東方淫魔伝 作:スイセン
「大丈夫? 調子悪そうだけど」
「ああ……。ちょっと疲れが出ただけだから」
紅魔館の少ない窓の拭き掃除をしていると、ガラスに映った自分の顔の悪さがよくわかる。
疲れが出るほど働いてなんていないというのに、身体は重く、動かす腕はまるで鉛のようだ。
人間を美味しそうと思うなんてどうかしてる。
どうかしてると分かっているのに、その自分を制御出来ていない。
あの解体された女性の肉塊を思い出すと、堪らなく空腹感を感じてしまうのだから。
「あまり無理はしない方がいいわ。って、言ってあげたいところだけど、貴方が動いてくれないと私も動けないから」
「わかってる。だから、今もこうやって働いてるだろ」
「……さっきから同じ場所しか拭いてないわよ」
指摘されて、自分が同じ行動を繰り返していただけだと気づく。
憂鬱になりすぎて、まともに思考が働いてなかったらしい。
咎めるような目を向けられて、苦笑いを浮かべると、咲夜はため息を吐いた。
このままじゃ良くない。こういう時は気分転換に限る。
そう、例えば辛いことがあった時にアリスとの交流を思い出せば、胸も股間も熱くなれる。最悪な下ネタだった。思いっきり自分の頬を引っ叩く。咲夜が少し引いた目で見てきたが気にしない。
そもそも、今までどうやって気分転換してきたのだろうか。思い返してみれば、アリスや幽々子に抱きしめられて、愛されて、そんなことをされてやっと落ち込んだ状態から回復してきてた。なんだこいつ面倒くさいな。
けれど、つまり女の子との触れ合いが大事というわけだ。今まさに咲夜と手を繋ぐという触れ合いはしてるわけなんですが。
……温もり不足ってやつか。
隣の少女を見て、温もりをどう補充しようかと考えてみる。
「……なぁ、咲夜。胸揉んでいい?」
「腕切り落としますよ?」
にっこりと笑顔でナイフを向けられた。やっぱりダメかぁ。いや、なんでそんなこと聞いてんの。馬鹿なの俺。せめて抱きつくとかにしろよ。どっちも変わんねぇだろ。
思考が上手く働いてない。脳内にチラつく、あの死んだ女性の瞳が思考を変な方向に転がしてしまっている。
どうやら幸いなことに俺は人殺しというものが全く向いてなかったらしい。
再び隣からのため息。そんなにため息吐いたら幸せが逃げるぞ。だからって、俺が隣にいる時点で不幸せなんてこと言うなよ。泣いちゃうから。
「……そうね。仕事が早くに終わったらいいわよ」
「なにが」
「さっきのこと。ご褒美ね」
……え、マジで。
咲夜の言いたいことがわかって、視線がついついそこに向かってしまうと、隠すように咲夜の腕が胸に回された。
「ご褒美って言ったでしょ。仕事が終わってから」
「……先払い分とかは」
「アリスが聞いたら怒りそうね」
ははは、なにを言ってるんだ。アリスが聞いたら、無言で人形飛ばしてくるだけだぞ。ボコボコにされるのは間違いない。
それにしても、ご褒美なんて冗談を咲夜に言わせてしまうほど、俺の顔は情けなかったのか。
……冗談だよな? その答えは少し怖くて聞けない。
「メイド長ー!」
廊下の奥から妖精メイドが咲夜を呼ぶ声が聞こえた。
とてとてと可愛らしく歩いてくるその妖精は俺を見て、顔を強張らせる。
何度経験しただろうか。俺と咲夜が離れられないということを説明すると、妖精メイドたちは警戒するように距離を取る。あまりにも嫌われすぎて、そろそろいじけそう。
しかも、今回は特段酷い。相手の顔が青ざめていた。
てか、この妖精の顔、どこかで……。
「へ、変態!」
ビリビリとした声が廊下中に駆け巡り、咲夜からは一体なにをしたんだという軽蔑混じりの視線が向けられた。
あー、この妖精の子はあれだ。フランの部屋で胸を揉んじゃった子だ。けど、あれ俺悪くないと思うんですよ。
なんて弁明をしたところで、咲夜に色々とやっているし、さっきも胸揉ませてなんてセクハラ発言をしたので信用される気がしない。
冷や汗混じり成り行きを見守っていると、咲夜がにこりと微笑む。
「用件はなに?」
「あ、はい。えっと、今日の料理を作るのに、いくつか足りない食材があって」
「……食材は十分に用意されてたと思うけど?」
「その、それが……何人かがつまみ食いを」
言いづらそうにして咲夜に報告をする妖精ちゃん。
なんだろう。学校とかで別に自分が悪いわけじゃないのに先生に報告しに行くみたいなあの辛い状況が思い出される。
哀れみと同情の視線を向けると、睨み返された。とても嫌われているようでお兄さんは悲しいよ。咲夜から余計なことすんなとばかりの視線を向けられたので、窓の外にでも視線を向けておく。
紅魔館の外は相変わらず、赤い霧が漂っていて天気が悪い。こんな天気ばっかりだけど、洗濯物乾くのだろうか。
「そう。分かったわ。この後で買い出しに行くとしましょう。報告してくれてありがとう」
咲夜の言葉を聞くや否や、妖精ちゃんは足りなくなった食材を伝えて、逃げるように去っていった。
それで、やっと言葉を放つことを許されたと一言。
「……怒らないんだな」
「その程度でいちいち怒っていたら回らないもの。罰は与えるけどね」
ふぅと小さく息を吐いた咲夜は俺に向き直ると、唐突に腕を引いた。
「え、ちょ、おい!」
早足で近くの空き部屋に入ると、扉を閉めて鍵をかけられる。
そして、そのまま壁に押し付けられた。
「さて、それじゃあ説明してもらおうかしら」
顔の右側の壁に咲夜の手がドンッと突かれた。
所謂壁ドンシチュ。男女逆が良かった。
「説明ってなにを……」
「変態って呼ばれてた理由についてです」
冷静に咲夜が俺を見つめつつ問いかけられる。
顔近いな。少しドキドキする。主に俺の本能が訴えかける命の危機で。
「それは、俺にもさっぱりで」
「嘘吐くのは賢明じゃないわよ。あの妖精に聞けばわかることなんだから。それに、嘘が吐いたらどうなるかわからないほど馬鹿でもないでしょ?」
脅しに近い言葉。けど、そんな脅しには屈しない。
こういう状況は正直に話したら負けだと理解している。
「いや、なにも知らな」
「あら、手が滑ったわ」
グサリ。
咲夜のナイフが思いっきり太ももに刺さった。
「いっ」
「叫んだらダメよ。気づかれるじゃない」
いってえぇぇぇぇっっ!
脅しじゃなくて、拷問だったようだ。
叫びそうな俺の口をすぐさま抑えた咲夜の手口はあまりにも慣れすぎている。間違いなく経験者。SMプレイとか絶対にやりたくない相手No1だ。
「それで、もう一度聞くけど、どうして変態と呼ばれたのかしら?」
冷たい瞳に射抜かれる。
寿命が3年ぐらい縮まった気がした。次に誤答をしたら手が滑って首を切り落とされかねない。
「胸を……揉んだ」
「……そう」
渋々と事実を口にすると、咲夜は壁に押さえつけるのをやめてくれた。軽蔑の視線と共に。
「……やっぱり性欲が有り余っているのかしら」
あ、やばい。あらぬ誤解を受けてる。そして、これ死亡ルートだ。ナイフの準備してるし。
「ち、違う! トラブルだ! トラブル! 転んでその拍子に!」
フランにあの妖精がぶん投げられてなんてことは言わない。藪蛇になりかねない。
必死の弁明に咲夜が納得してくれたのかはわからないが、ナイフは下ろしてくれる。
「まあ、私が近くにいるうちは大丈夫だからいいことにします」
逆に近くにいるというこの状況が終わったらどうなるのか非常に気になるんですが。大丈夫だよね。生きて帰れるよね?
「貴方は魔力補給に性行為が必要とはいえ、少しは自重した方がいいわよ」
「……いや、うん。はい。ごめんなさい」
この原因を作った俺の主に対してめちゃくちゃ文句を言いたかったが、ぐっと堪えて反省してる感じを出して謝罪の言葉を口にしておく。
冷ややかな視線を向けてきていた彼女は、頭痛がするように頭を抑えた。
「貴方がきてから、いつも以上に忙しないわね」
「……そんなにか?」
「ええ。最初だって、貴方に働き手を4割は潰されているもの」
4割なんて大袈裟な。またまた冗談を。
笑い飛ばしたいところだが、咲夜の口ぶりが冗談を言っているなんて感じではなく、返答に困る。
詳細を尋ねるなんて出来ない。さっきと同じく、後戻りできない事実を突きつけられるかもしれないから。
「……それより買い出し行くんだろ」
だから、俺は逃げた。
嫌なことからは向き合わない選択を取った。それくらい許されてもいいはずだ。だって、この幻想郷にきてから、ずっと辛い思いをしているのだから。
声が震えていたのか、訝しげな表情で頷いた咲夜。
咲夜に刺された太腿の出血はとっくに止まっていたけれど、スーツに黒いシミを残してしまっていた。
* * *
足りない食材の買い出しを行うためにやってきました、人里。
紅魔館から人里まで、久しぶりに羽を生やして空を飛んだが、存外にうまくいった。手を繋ぎながらということで、咲夜にアシストして貰ったのもあるが、とても安定していたと思う。
それに偶に邪魔してくる野良妖精なんかは咲夜が的確にナイフで処理していったので、とても快適な旅地だった。
そして人里の少し手前のところで着地する。
「貴方のその羽は人里だと騒ぎになるから」とは咲夜の談。
幻想郷において妖怪は人間の敵らしい。
「敵ねぇ……」
雪の積もった道を歩きながら、視界に映る者たちを眺める。
この道路に行き交う9割は人間だ。そして、残りの1割は人間じゃないもの。
その1割は表面上の見た目には、人間との違いは見えない。けど、中身がおかしい。鼻につく匂いが違う。目に映る形が違う。肌に刺す魔力が違う。
あからさまじゃないにしろ、それが人間ではないことは理解できた。
……なんで、そんなものがわかっているんだか。
フランとか幽々子とか、アリスとか、小悪魔とか、そういうのに触れすぎたのか、なんとなく人間と妖怪の違いがわかる。
あれも人間じゃないな。けど、当たり前のように商売をやってる。そして、人里の人間もそれを咎めない。
気づいてないのか。気づかないふりをしているのか。妖怪は敵ではあるが、それだけではない何かがあるのだろうか。
この人里のルールにも、幻想郷にも詳しくない俺にはなんとも言えない。
けれど、この瞳には、この景色がとても歪に見えてしまう。
「どうかしたの?」
声をかけられて、はっと我に返った。
いつの間にか脚は止まっていて、虚な様子で眺めていたらしい。
「悪い。なんでもない」
口から出た声は、冬の寒さでとても冷たかった。
怪訝な表情を浮かべる咲夜。慌てて、視線を巡らせて、とってつけた言い訳を探す。
「いや、あの店のお団子美味しそうだなと」
視界に止まったお団子の文字の旗。旗だけで美味しそうかなんて判断つくはずもないが、咲夜には突っ込まれない。
「お団子好きなの?」
「まあ、うん」
別に好きじゃないし、嫌いでもない。少し歯切れ悪く答えると、咲夜は頷いた。
「なら、あそこで休憩しましょうか」
「買い出し急がなくていいのか?」
ご飯遅れたからって暴れられたら困るぞ。
「休憩時間ぐらいはありますわ。それに、気分転換も必要そうだしね」
他のメイドには内緒ね、と言わんばかりに、パチンと可愛らしくウィンクされた。
やめろよ。男の子って簡単に勘違いするんだからそういう行動するの。端的に言うと、めっちゃ可愛くて、ドキドキしました。
「いらっしゃいませー!」
咲夜に連れられて、店に入ると、16〜18歳ぐらいであろう見た目の女の子の店員が出迎えてくれる。
その少女は、俺と咲夜を見て目をパチクリと瞬かせた。それから少しだけ顔を強張らせて、席に案内される。
その理由には検討がついた。
俺と咲夜の格好だ。和服の多いこの人里において、俺と咲夜の服は異常だ。
もしかしたら紅魔館の者だと気づかれたのかもしれない。けど、少女はそのことに触れない。
「何頼むの?」
手を繋いだまま隣り合って座り、メニュー片手に尋ねてくる咲夜。
あの視線にも慣れているのか気にした様子もない。
「じゃあ、あんみつで」
パッと目についたものを選択すると、咲夜は小さく笑った。
「お団子にしないのね」
「あ……」
やっべ、違うことに気を取られて、すっかり忘れてた。
誤魔化しきることすら出来ないなんて情けない。けど、咲夜はそれ以上は追求しない。
「それじゃあ私はこのみたらし団子にするわね」
先程の少女を呼んで、咲夜が慣れたように注文する。
その際に少女がチラリと俺のことを一瞥した。
それから待つこと暫し、注文したあんみつと、みたらし団子が運ばれてくる。
「お待たせしました」
お盆の上のあんみつは色鮮やかで非常に美味しそうだ。
咲夜の方にみたらし団子も置いた少女。そのまま、戻るのかと思ったら、じっと俺と咲夜を見てくる。
「……どうかしたのか?」
耐えきれずに尋ねてしまった。
尋ねない方が良かったのだろうとは思いつつ、注文も待っている間もチラチラと見られていたし、流石に気になる。
まぁ、大方、俺らの素性に関することだろう。なんとでも誤魔化せるはずだ。最悪、咲夜がなんとかするだろう。こういうのは慣れてるだろうし。なんて他力本願。
「あ、いえ、その……」
尋ねられると思わなかったのか、少女は少し困惑したように言葉を濁した後、意を決した様子で口を開いた。
「あの、お二人は付き合っているんですか?」
「……はい?」
その質問は想定外なんだけど。
十六夜咲夜との買い出しデート