東方淫魔伝 作:スイセン
酷い頭痛だった。
今までも何度も頭痛はあったが、ここまで酷いのは久しぶりだ。脳に釘を打ち込まれているようで、眼球の裏すらも焼けるように痛い。
耳の奥では訳がわからない女の声が響いていて、ノイズのように聞こえてくる。
寝ていることすらままならずに、薄らと目を開けるとボロボロの天井が視界の中で歪んで見えた。
ここは……。
「目が覚めた?」
「うあっ!?」
天井を眺めていた俺の顔を覗き込んだ銀髪の少女の顔に驚いて、馬鹿っぽい声をあげて、跳ね起きた。
そのまま壁側まで後退する。
「もう、人をそんなお化けでも見たみたいに驚かないで貰えます?」
ぷんぷんと怒ったように頬を膨らませた十六夜咲夜。
「あー、悪い……」
あまりにも視界が歪むモノだから、一瞬本当にお化けだと思った。
歪んだ視界がゆっくりと焦点を結び、はっきりと咲夜とその隣にいる人物を映し出す。
「けど、早めに目が覚めて良かったわ。そろそろ退屈してたの」
「えー、酷いですよー! 折角、私が相手してたのに! それに咲夜さん、一度も私に勝ってないじゃないですか!」
なんの話だと彼女たちの周りに目を向ければ、チェス盤が置かれていた。
チェスのルールなんてあまりよく分かってはいないが、盤面を見る限り小悪魔が圧倒的に有利なように見える。
小悪魔の方の駒が咲夜の陣地を埋め尽くしてた。チェックメイトがかかっていないのが不思議でならない。
「一度も勝てないから退屈なんじゃない」
「だから、手加減してあげてるじゃないですか」
「チェックメイトを遅らせるだけを、手加減とは言わないのよ。イカサマしてないわよね?」
「イカサマしてるの咲夜さんの方じゃないですか。私の駒の位置、こっそり変えてるでしょ」
いつからやっていたのか知らないが、咲夜の態度を見る限り、随分と負けてそうだ。
一体俺はどれだけ寝ていたのか。
「というか、なんで小悪魔がここにいるんだよ」
「なんでってそれは契約を果たして貰おうと」
「寝込みを襲おうとしてたから止めて代わりにチェスの相手になってもらってたのよ。貴方が寝ていると私もここから動けないから」
「……本当に悪い」
色んな意味を込めて咲夜に謝罪をしておく。
繋がっていないといけないというのに俺が寝込むなんて迷惑極まりなかっただろう。
そう思い自分の手を見て、違和感に気がついた。
あれ、俺と咲夜の手繋がってなくね……?
気づけば俺と咲夜の手は離れていた。
「なぁ、手が離れてるんだけど」
「ええ。お嬢様に触れた後すぐに貴方が気絶して、その時に離れたのよ」
「え、そうなのか?」
「嘘を吐く必要はないでしょ」
そうなんだけども、こんな簡単に離れるなんて思ってもいなかった。薬の効果が切れたとかなのだろうか。
「というか、離れたのに待ってたのか?」
咲夜と俺が離れたのなら、咲夜は別行動は出来るはずで、わざわざ俺が起きるのを待つ必要はない。
「離れきれていないのよ」
「それはどういう」
「はいはーい。私が説明しまーす!」
無駄に元気よく割り込んだきた小悪魔が、にっこにっこで俺に抱きつく。
「咲夜さんがご主人様から離れようとすると、ちょっと問題が発生するんですよねー」
「問題?」
「具体的にはこの部屋の惨状になります」
言われて視界をやると、ボロボロの壁に、朽ち掛けた扉、割れた窓が目についた。
廃墟だ。
「ご主人様を中心として急速に周りのものが朽ちていくんですよね」
「正確には時が凄い勢いで過ぎてるみたい。だから、私が側にいて周りの時間を止めてるの。そうしないと朽ちちゃうから」
「まるで咲夜さんと正反対。時間を進める程度の能力ですね」
時間を進める程度の能力。
そんなこと言われても実感なんて全くなく、自らの手を握ってみる。
なんも変哲ない。いつもの体。
「とまぁ、そういうわけで咲夜さんは離れられないわけです」
「なるほどな。ところで、なんで抱きついてるんだ。抱きつく必要なかったよね」
「いえいえ、だって、私はそもそも契約を果たして貰うためにここに来たわけですし」
小悪魔の手が俺のシャツを捲り、露出された肌に触れる。
「寝込みじゃなければいいですよね」
「いいって言うわけが、んっ!」
不満を口にした俺を小悪魔の唇が無理矢理に塞ぐ。
「んっ、ちゅ……れろっ」
小悪魔の舌が唇を舐める。
唇を開ければ間違いなく舌を侵入させられる。そんなことをすれば、そのまま流れでやってしまいかねない。
唇を固く閉じた俺に小悪魔は少し目を細める。
「む、契約違反じゃないですか」
「んなことないだろ。いつまでなんて期限を設けられた記憶はない」
確かに精液寄越せと言われ、俺も了承したが、それがいつかなんて指定は無かった。
「ふーん、そういうこと言うんですね。けど、それなら無理矢理」
「悪いけど、彼のことはパチュリー様のところに連れて行きたいの。早く事態を解決しないと仕事が貯まる一方だし」
一瞬、不機嫌そうな顔になった小悪魔が咲夜に向き直る。
「それってお願いですかぁ? それとも、め、い、れ、い?」
ニヤニヤと笑う小悪魔に咲夜が無言でナイフを取り出した。
「偶には妖精以外も教育をするべきでしたわ」
「私が勝ったら何をして貰おうかなー」
「勝つつもりなんて随分と余裕ね」
バチバチなんて擬音が似合いそうな雰囲気を出す二人。
「いやちょっと待っ、うおっ!」
破裂音と共に部屋の壁が崩れて、小悪魔が外に飛び出した。
それを追うように咲夜も飛び出す。
「ああもう。なんでここの住人って喧嘩っ早いんだ!」
俺が寝ている間に夜になっていたらしく、外は暗い。
そんな光景の中で、崩れた壁の前から二人の姿を探す。
「見つけた」
暗闇の中でも、弾幕に彩られた二人の少女が空に舞う姿ははっきりと見えた。
片方は紫色の弾幕を張り、もう片方は大量のナイフを飛ばしている。
「あれだけ大口を叩い割には大したことないのね」
「ああもう、相変わらず出鱈目な力……!」
先程見たチェスとは正反対の戦況になっていた。
大量のナイフに小悪魔の弾幕が少しずつ押し込まれている。
魔弾を生成するのと同時にそれがナイフで撃ち落とされる。
小悪魔は魔弾を生成する手間がある分、ただナイフを投げるだけの咲夜の方が早い。
小悪魔は防戦一方のようで、どんどん館から離れるように逃げている。それを咲夜が追いながらナイフを投げる。
魔弾で牽制をかけているが、そんなものは気にした様子もなく咲夜はどんどん小悪魔に接近する。
「終わりね」
鬼ごっこもすぐに終わり、咲夜が小悪魔を肉薄した。
「……ええ、そうみたいですね」
咲夜のナイフが小悪魔の首元に当てられて、小悪魔は観念したように両手を上げる。
飛び出した時はどうしたものかと思ったが、二人とも怪我をした様子もないし、思ったよりも平和的に終わって良かった。
「この状況じゃ動けません。……けど、咲夜さん、ちょっと離れすぎじゃないですか?」
「え?」
ほっとしたのも束の間、床が抜けた。
「は? はあああああっ!?」
さっきまで床には何も問題はなかったはずだ。
なのにどうしてと考えて、その理由はすぐにわかった。
床が朽ち果てていた。
「時間が進むってこういう感じかよ!」
見える周りの景色が一気に変化していく。天井も壁も何もかも朽ちていく。
そのまま下の階の床に叩きつけられると思ったら、自由落下する身体が受け止められた。
「離れないでって言ったでしょ」
銀色の髪がふわりと揺れる。
「い、言われてないけど……」
落ちていた俺の身体を咲夜がお姫様だっこの形で受け止めていた。
それと同時に建物の老朽化が止まる。
咲夜が能力を使って周りのものの時間を止めたらしい。
「はい。咲夜さん。チェックメイトです」
そして、咲夜の背後からそんな声が聞こえた。
手のひらを向けた小悪魔が笑顔で浮いている。
既に魔弾は生成されていて、あとは撃ち出すだけ。
「卑怯なんて言いませんよね。私、参りましたって言ってませんし」
咲夜は小さくため息を吐いて首を横に振る。
「ええ。やられたわ」
ゆっくりと床に着地すると、俺を下ろした。
「けど、小悪魔らしくないわね」
「私だって成長するんですよ。どっかの誰かさんが絡め手ばっかり使うから」
小悪魔も床に着地すると、チラリと俺に視線を向けられる。
「さーて、咲夜さんには何をして貰おうかなー。まぁ、とりあえず移動しましょうか。人が来ない部屋に、ね♡」
「小悪魔、待ってくれ」
小悪魔が咲夜に何をするつもりかなんて知らないが、流石に見過ごせない。そもそも咲夜が負けたのは俺を庇ってのことだ。
「契約なら今すぐに果たしてやるから、咲夜には」
何もするな。そう言おうとした俺の唇を咲夜の人差し指が抑える。
そして、ゆっくりと小悪魔の方に向き直った。
「悪いけど、負けたら命令を聞くなんて約束をした覚えはないわ。それに、私もまだ参ったなんて言ってないわよ」
「この状況で何が出来るんですか? 咲夜さんが時を止めて逃げたらご主人様に当たっちゃいますよ?」
いや、ご主人様を人質にしたらダメだろ。
小悪魔がめっちゃ悪役顔してるんだけど。なに悪魔の血が目覚めた?
「そうね。時を止めたところでどうしようもなさそう。けど、時を止めないことは出来ます」
「はい? 何を言って」
困惑した小悪魔の身体が傾いた。
正確には沈んだ。
「え、ちょ、嘘でしょ!?」
驚いた小悪魔が姿勢を崩す。
見れば小悪魔の足元だけ床が朽ちていた。
俺がさっき起きたのと同じ現象。床が抜けたのだ。
咲夜が小悪魔の胸元に飛び込む。
「っ……! このっ……!」
生成してあった魔弾を撃ち出した小悪魔だが、体勢を崩していて狙いが定まらなかったのか、咲夜の横を通り抜ける。
完全に咲夜の間合いに入った。
「傷符『インスクライブレッドソウル』」
咲夜はスカートから取り出した2本のナイフを振り被る。
「スペカって本気ですか!? ちょ、ま、待って! 参りましたからぁッ!!」
慌てて降参した小悪魔の絶叫に近い言葉と同時に、銀の光が何十にも重なって煌めいた。
小悪魔の身体が吹き飛び、咲夜はすとんと体操選手かのように綺麗に着地する。
両手のナイフを使った超連撃。
降参した相手に対して、オーバーキルがすぎる。
「……こ、殺したのか?」
「まさか。妖怪がこの程度で死ぬわけありません。それにちゃんと斬りましたから」
「そこは峰打ちじゃないんだ……」
吹き飛んで仰向けに倒れた小悪魔に近づいてみると、思いっきり斬られた後が身体中にあった。
着ていた服ごと切り裂いて皮膚にまで届いてる。
えぇ……、本当に斬ってるじゃん。
「これ大丈夫なのか?」
「パチュリー様に魔力を貰えば1日で回復する程度の怪我よ」
「……妖怪って便利だな」
ボソリと呟いた俺に咲夜は目を瞬かせる。
「貴方はもっと酷い怪我でも半日で回復してたと思うけど」
「ははは、笑えねぇ……」
「これで邪魔者もいなくなったし、パチュリー様のところに行けるわね」
「邪魔者って、小悪魔の扱い酷いな」
「本当ですよ……」
見れば、小悪魔が薄目を開けていた。
「一瞬、魔界が見えました……。本気でスペカ打つなんて酷くないですか」
「ちゃんと手加減はしたつもりだけど? 頭と胴体がお別れしてないでしょ?」
「ご主人様、咲夜さんが怖いです」
「……うん。まぁ、今の発言は俺もどうかと思う」
コテンと咲夜が不思議そうに首を傾げる。
「大丈夫か?」
「こんな傷だらけの女の子が大丈夫だと思いますか?」
「小悪魔じゃなかったら思わないな」
小悪魔だと罠の可能性が真っ先に思いつく。
「なんでですかぁ! そもそもご主人様が契約守らないせいでこうなったんだから、責任取ってください! 傷物にした責任を!」
「おい、言い方が悪すぎるだろ!」
そして、傷物にしたという内容自体に間違いがないのが何よりも酷い。
それにしても、大丈夫じゃない割に元気に叫んでるな。
流石は妖怪。身体は丈夫なようだ。
「こうなったらアリスさんに、ご主人様が犯してきた様々な痴態の数々を……って、きゃっ、な、なにするんですか!」
ごちゃごちゃと恐ろしいことを口にしていた小悪魔を身体を持ち上げる。
俺がさっきまでされていたお姫様抱っこの形で。
「何ってパチュリーのところまで運ぶんだよ。お前しばらく動けないだろ」
「そ、それはそうですけど、急になんですか」
訝しむように眉を顰められる。
おかしい。小悪魔からの信頼が非常に低い。本当にご主人様なのだろうか。
歩き出した俺の隣に咲夜が来る。
「随分と優しいんですね」
「んなことないだろ。流石に廊下に放置なんて可哀想だし」
「みたらし団子みたいです」
それは、甘いって言いたいのだろうか。
にっこりと微笑んでいるせいでその思考は読み取れない。
「本当にどういう気の変わりようですか。それとも、なにか叶えて欲しい望みでもあるんですか?」
「いや、無いって。小悪魔の中で俺ってどういう印象なんだよ」
ジトっとした視線を送ってきていた小悪魔が、思いついたように口角を上げる。
「まさか、私のこと好きになっちゃいました? まあ、こんなに可愛い使い魔ですから気持ちはわかりますけど。けど、ごめんなさい。ご主人様は私的にギリギリストライクゾーンから外れているといいますか」
「違うから。あと、なんで俺ナチュラルに振られてるの」
こいつ咲夜に斬られたついでに頭でも打ったのか。導き出された回答がバグってる。
「あ、でも、人間としては好きですよ。みっともないところとか、滑稽なところとか」
「……フォローありがとう」
果たしてそれはフォローなのだろうかという疑問は飲み込んでおいた。
「それと身体の相性が良いところとかも。そこら辺を加味したら、ご主人様が望むなら特別に良いって感じですね」
蠱惑的に微笑んだ小悪魔の表情に一瞬見惚れてしまった気がする。
「わかっているとは思うけど、悪魔の誘いは基本的に破滅しかしないわよ」
割り込んだ咲夜の忠告に小悪魔が口を尖らせる。
「私はちゃんと許可を貰ってますから」
「許可?」
「はい。俺を破滅させてくれって情熱的なプロポーズをいただきました♡」
「なんか色々と語弊がある気がするんだが。あと、咲夜、その引いた目を向けるの辞めてくれ、辞めてください」
こいつやべぇって目を思いっきり向けられた。
あれって悪魔界隈だとプロポーズになるのか。だとしたら、悪魔界隈の方がやばいだろ。
「それで、その破滅計画は順調なの?」
「そうですね。それは、もう少しってところですね。ね、ご主人様?」」
「はいはい。そうですねー」
もうなんか答えるのも面倒なので適当に答えておく。
「ちなみに、どうやって破滅する予定なの?」
「今のところ最有力候補は痴情のもつれですね」
「ああ、それは……」
「それはあり得そうだな、みたいな微妙な反応やめろ!」