東方淫魔伝 作:スイセン
スキマの中を移動するのは嫌いだ。
なんか目がいっぱいあるし、変なもの浮いてるし……。
なにより、紫のスキマ空間とも繋がってるせいで変な動きをしたら一瞬でバレる。
今だってどこからか俺を監視していることだろう。
こんなにも殺気を身体中に浴びせられて、気分悪くならないやつなんていない。
それでも、やはり一瞬で長距離を移動できるのは便利だ。
今回も霧の湖の水面の境界と、里の近くにある川に境界を繋ぐことですぐに移動できたわけだし。
遠距離のスキマ繋ぎは下手なので座標がズレて、目的の場所からは少し遠い上に、水面の境界を利用したせいで軽く濡れてしまったが許容範囲だ。
それにこのクソ暑い夏だと水の冷たさが気持ちいい。
このまま浅瀬の辺りで少しだけ涼んでから、レミリアと咲夜に会いに行こうかな。
そんな誘惑に流されそうになっていると、夜の闇の中で赤い何が遮った。
季節ハズレの巨大な赤トンボの妖怪かな。んなわけあるか!
「はぁッ!」
嫌な予感と声に反射的に腕を構えて、防御をする。
「ぐっ……!」
腕に弱い衝撃を感じて、後ろに跳び引いた。
この感覚、間違いない。
赤い影が空中で止まったことで、相手の姿をはっきりと視認した。
「随分なご挨拶だな、霊夢」
「こんなところに1番怪しい奴がいたら誰でもするでしょ」
いや、問答無用で攻撃してくるの多分お前だけだぞ。……いや、白玉楼のやつとか、うちの主人の妹とかもしてくるか。ここの住民、拳が出るまでが早すぎるんじゃないですかね。
お祓い棒を肩に担いだ悪魔より悪魔している紅白巫女、博麗霊夢は手に持ったお札を投擲してきた。
「ちょっと、待てよ! 俺は犯人を捕まえに」
「奇遇ね。私も今捕まえてるところよ!」
投げられたお札は奇妙な軌道を描きながら、全方向から襲ってくる。
このお札、かわしても追尾してくるから嫌いなんだよ!
「とっとと捕まりなさい!」
「いや、だから話を!」
腕での防御じゃ駄目だ。肉体的なダメージはないはずなのに、なんか響いてくる。精神的に削れるってどういう仕様なんだこれ!
魔法で火弾を作り上げて、お札を焼き切ろうと打ち出す。
「おい、こら、危ないから辞めろって!」
「辞めて欲しかったら観念して退治されなさい!」
「無茶言うな!」
お札が効かないと見るや、霊夢はお祓い棒を手に突っ込んできた。
話を聞いてくれる気配もない。これは相手が俺だからなのか。
なにせ、霊夢とは犬猿の仲だ。俺が一方的に嫌われてるだけだけど。
「この脳筋巫女……! あっ──」
ここでおさらいだが、俺がスキマで転移したのは里の近くの川だ。
そして、浅いとはいえ、水の中に立っていた。濡れた石なんか中々に滑りやすい環境なわけだ。
そんなこんなで、結構簡単にバランスを崩してしまった。
普段ならこんなことは滅多に発生しない。しかし、霊夢といる時は話は別だ。
「え?」
唐突に体勢を崩した俺に驚いた霊夢の速度が一瞬落ちる。
ただ勢いを殺しきれなかったのか、思いっきり俺にぶつかった。
「うぐっ!」
鳩尾に霊夢の頭突きを喰らって、身体に激痛と吐き気が襲う。
体勢を崩してた俺はそのまま倒れ込んでしまった。霊夢を巻き込みながら。
「きゃあああッ!」
静かな夜の川に悲鳴が響いた。
「いっつ……」
「いたたた……」
2人して川の中で転がったせいで、ずぶ濡れだ。
目に水が入ったせいで視界がぼやける。
「霊夢、だいじょう」
「んっ……!」
……右手に、むにゅっと柔らかい感触がした。
気のせいだろうかと右手で掴んでいるものを軽く揉む。
「んあっ、ちょ、ちょっと……!」
左手で瞼を擦って、改めて見ると顔を赤くした霊夢がこちらを睨んでいた。
どうやら、ぶつかって転がった結果、霊夢は俺の下腹部に馬乗りになってしまったようだ。
お祓い棒が横に転がっている。
そして、何がどうしてそんな因果を生むのかわからないが、俺の右手は霊夢の巫女服をたくしあげて、サラシが巻かれた右胸をしっかりと掴んでいた。
なんで、どうして? どういう確率なの?
運命の神様がいるとしたら今頃、
「は、はは……、なんか、この場面だけ見たら逢引きしてる男女だな」
「成敗!」
愛想笑いと素敵なジョークで和ませようとしたら、どうなら気に食わなかったようだ。
霊夢が手をしっかりと握りしめて、殴りかかってこようとする。
「ま、待て! いつものことだろ! そんなに怒るな!」
「いつものことだから怒ってんのよ! 毎回毎回、あんたはスケベなことを!」
本当に不思議なのだが、俺と霊夢は所謂ラッキースケベがめちゃくちゃ発生する。
恐らく一種の呪いとかそんな感じのやつらしい(パチュリーの考察)。霊夢でも解けない呪いとか、それは恐らく運命的で最悪な因果なのだろう。
「そもそも、今回は突っ込んできたの霊夢だろ! 俺は悪くない!」
「なら、いつまで揉んでるのよ! この変態!」
思いっきりビンタされた。グーじゃなかっただけ有り難く思うべきなのだろうか。
「いってぇ……! おい、誰が変態だ! お前の慎ましい胸になんか興味ねぇわ! 揉むならパチュリーとか美鈴の揉むっての!」
「ッ……! 殺す……!」
涙目になりながら、霊夢は落ちていたお祓い棒を掴んだ。
やばい! 選択肢ミスった! 叩かれた痛みでとんでもない失言をしてしまったようだ。
馬乗りになられているせいで逃げられない!
「霊夢、話し合おう! 人間は話し合うことで問題を解決できる種族で……!」
「問答無用!」
「慎ましいとか言って悪かったから! 霊夢の胸もその年にしては十分というかバランス的に見たら100点というか」
口を回せば回すほど滑っている気がする。
その証拠に霊夢の顔はどんどん赤くなっていく。お祓い棒が振り上げられた。
「そもそも、さっきから、股間のもの押し当ててくるの辞めなさいよ!」
「いや、それはお前が馬乗りになってるか、ぶべばぁッ!?」
お祓い棒で頭を真横にぶっ叩かれた。視界が歪む。
能力とかそういうものを込めてなかったただの物理的な一撃だったらしく、先程のお札と違って内側に響くものはないが、外側から強力な衝撃が脳を揺さぶる。
あ、これ意識飛ぶやつだ……。
それなら最後にと、ついでにもう一揉みだけしておいた。
霊夢の口から可愛い悲鳴が聞こえる。恐らくこの後、気絶した俺は死体蹴りされたことだろう。
目を覚ましたら、二つの山が見えた。
朧げな意識で触ってみる。霊夢よりあって、柔らかい。
「んっ……、相変わらず元気ね」
「……こいつ、起きた瞬間、咲夜の胸揉み始めたんだけど」
ドン引きしたようなレミリアの声にやっと意識が覚醒して、身体を起こした。
「ここ、どこだ? 魔界?」
「冗談とふざけた行動をするだけの余裕はあるみたいで良かったわ」
辺りを見渡すと、先程の川の近くで咲夜に膝枕をしてもらっていたことがわかった。
ちっ、もっと堪能しておくべきだったか。
「それで、なんであんたがいるのよ。閉じ込めておいたでしょ」
ジロリとレミリアが睨みつけてくる。
「なぁ、咲夜、霊夢は?」
「霊夢なら怒りながら飛んでいったわ。新たに行方不明者が出たって伝えたから」
「新たに?」
「ちょっと、無視するんじゃないわよ!」
なるほど。新たに行方不明者が出てしまい、霊夢の中での俺の疑いは一時的に晴れたのか。
「んで、その新しい行方不明者ってのは?」
「最初に行方不明になった少女の弟らしいわ。私たちも魔理沙から聞いたばかりなんだけどね」
「……弟か」
姉と同じように狙われたということか。しかし、あの警戒体制の中でどうやって。
あそこまで警戒されていたのであれば俺がスキマを使って拐おうとしても、華扇や霊夢あたりに気づかれる。
となると、里の内部で並の妖怪が誘拐するのは厳しい。
しかしこの状況で里の人間、しかも姉を拐われた弟が自ら里の外に出るとは思えない。
少し悩むように顎に手を添えて考えていたら、首に手が添えられた。
「おい、私の質問に答えろ。この噛み跡はなにかしら」
「……さっきと質問、変わってないか?」
殺気の込められた手刀に冷や汗が垂れる。
どうやらうちの主人は大変ご立腹のようだ。
「これでフランを買収したの?」
「人聞きが悪い。契約をしただけだ」
「ふん。全く、あいつもあんたも本当に好き勝手動いて」
好き勝手騒ぎまくってる貴女には言われたくないですがね。
ふんと不満げに鼻を鳴らしたレミリアは、首に当てた手を離す。
「それでなんで出てきたの?」
「そんなの、犯人を捕まえるために決まってるだろ」
「そう。なら、後は私たちに任せて帰りなさい」
レミリアはしっしっと邪魔者を追い払う態度を取ってきた。
やけに邪険に扱ってくる。俺をこの事件から遠ざけたいようだ。
「じゃあ、聞かせてくれ。どうやって犯人を捕まえるつもりだったんだ?」
レミリアをじっと見つめて尋ねると、彼女は不快そうに眉を八の字に曲げた。
「それを聞いてどうするつもり?」
「今回は俺が最有力を容疑者なんだ。事件が解決されなかったら困る」
暫しの静寂。正確には睨み合い。
その後にレミリアは煩わしそうに口を開いた。
「狙われるのが少女なら咲夜を囮にでもすればいいのよ。そうすれば犯人から勝手にやってくる」
「今回いなくたったのは弟って話だったと思うけど?」
「うっさいわね! そんなこと知らないわよ!」
もう既に破綻してるじゃないか。
結局のところ大した作戦もないようだ。咲夜を見れば苦笑を浮かべていた。
「お嬢様、そんな話をしている場合じゃありませんわ。先を越される前に犯人を見つけないと」
「ちっ、そうだった。咲夜、里の中には」
「いま確認してきましたが、残念ながら無理矢理に連れ去られた痕跡は一つ残っていませんでしたわ」
「じゃあ、里には向かうだけ無駄ね」
歯噛みしたレミリアは、ジロリと俺を見た。
「あんたは帰ってフランと遊んでなさい!」
「なんで、そんなに俺を関わらせない様にするんだよ。俺が1番の関係者だろ!」
「……この件に関わったら碌なことにならないわよ」
それだけ言って、飛び立つレミリア。それを追う様に咲夜も軽く会釈して飛び立った。
碌なことにならないって、既にかなり面倒な事態になっているんだが。
それに、その妹様にお土産話をねだられているのだ。フランとの約束は破ると面倒どころの話じゃない。
長話にしないためにも、そして俺のためにも、とっととこの夜は終わらせたい。
帰る気などさらさらない俺は、躊躇いなく手首を掻っ切った。
さて、消えたのは弟って話だったな。恐らく中学かそれに行かないくらいの歳であろう。
痕跡もなしにどうやって里の中から消えたのか。しかも、霊夢にも魔理沙にも、天狗にすら気づかれずに。
手首から垂れる赤い液体は薄く赤い気体へと変化した。
『赤と青を操る程度の能力』
赤い霧は暗い闇夜に溶けて沈んでいく。
これを前にパチュリーに見られた時は、貧血みたいな反応をされた。
やはり首を切るよりも出血量が少なくていい。探索範囲は狭くなるが、それでも今回の場合は十分だろう。
体内の血液が蠢く。
この言い表せない気持ち悪い感覚。獲物を見つけた時は妖怪はこんな感じなんだろうか。
……よし、見つけた。
霧の湖。そこに2人の人影。
そして、なんて勘の良さなのだろうか。接近している幻想郷の守護者。先程出会った乱暴巫女。
果たして終わるまでに辿り着けるだろうかと、俺は急いで夜に飛び出した。
霧の湖は年中、霧がかかっている。
そのため、日中ですら日の光は届きにくく、だからこそ紅魔館はそんな場所の近くに建てられていた。
「……だとしても、今日はやけに霧が濃いな」
これじゃあ前後不覚どころか、地面の上に立っていることすら怪しい。
気を抜いたら湖の上で、水にドボンとかなりかねないぞ。
探知した場所の近くに来たのはいいものの、この霧のせいか正確な場所はよくわからない。
ヒタヒタと霧の中を歩く。
湿っぽい空間はなんとも居心地が悪い。
早く犯人を捕まえて帰りたいものだ。
ヒタヒタ、ヒタヒタ。
夜に響く足音。
ヒタヒタ、ヒタヒタ、ヒタヒタ。
それがいつの間にか足音が増えていた。
気づいた時には、目の前の霧の中に影。
瞬間、霧が、空間が切り裂かれた。
唖然としていると姿を見せたのは、不機嫌そうな紅白巫女。
「……なんで、またあんたがいんのよ」
お祓い棒を薙ぎ払った霊夢は不快そうに顔を顰める。
あぶな。一歩間違えたら完全に真っ二つだったぞ今の。
「家に帰ろうとしたら道に迷った」
「ま、すごい霧だもんね」
俺の嘘を興味なさそうに答えた霊夢は、目を細めた。
「その手首どうしたの」
「ん? ああ、唐突に攻撃されないように探知してるんだよ」
手首からポタポタと垂れる血液。しかし、この霧に邪魔されて探知が上手くいかない。
行きは上手くいったのに、どうしてだろうか。
「へぇ、誰に攻撃されるって言うの?」
「そりゃあ、凶暴な紅白巫女……じゃなくて、今回の犯人に」
軽口に凄い顔で睨まれたので、慌てて訂正した。
「霊夢はどうしてここに?」
「勘」
「デスヨネー」
相変わらずとんでもない巫女である。いや、とんでもない才能と言うべきか。
「それにしてもさっきからこの霧、うざったいわね。こんなんじゃ空も飛べないわ」
霊夢がお祓い棒を払うと、一瞬霧が薄まるがすぐにそれを埋めるように次の霧がやってくる。
俺の探知が効かないこといい、このいつもより濃い霧といい、まともじゃない。普段からまともな場所ではないが、異常さが際立ってる。
「なぁ、霊夢。この霧って」
「能力によって作られたものでしょうね」
きっぱりと断言する。
どうやら彼女はとっくに気づいていたらしい。
「結界みたいなものね。おおかた、獲物が歩き疲れたところで襲いにくるってところかしら」
「なら、なんでこんな呑気に歩いてるんだ?」
歩いて疲れさせるのが狙いであれば、俺たちは相手の術中に嵌っていることになる。
「結界の端があるんじゃないかと思って。残念ながらアテが外れたみたいだけど」
霊夢の視線が斜め下に向いた。
そこを見ると、赤いシミ。ふむ。今しがた手首から垂れたものではない。
「同じ場所を永遠に歩かされている感じか」
同意も否定もせずに、すたすたと霊夢は先に進む。先に進めているのかはわからないが。
こんな湿っぽいところに閉じ込められるなんて勘弁してもらいたい。
「結界とか、そういうの解くの得意だろ」
「結界みたいなものって言ったでしょ。これはこの場所の空間を捻じ曲げて固定してるのよ。だから、解くとかそういうものじゃないの」
「ふーん。よくわかるな」
率直な感想を告げたら、この空間に負けないくらいジトっとした視線を向けられた。
「さっきから気持ち悪いのよ」
「え、急な罵倒。流石の俺でも傷つくぞ」
「は?」
なに言ってんのお前という顔をする。もっと傷ついた。
「ほら、わかるでしょ。なんか空間がグルグルして気持ち悪い感じが」
「いや、全然わからないけど」
「これだから、鈍感男は……、いえ、天然かしら」
ぶつくさと文句を言いながら霊夢はお札を飛ばした。
飛んでいくお札の影が歪んで消えた。正確にいうのであれば、一定のラインでお札が捩じ切られた。
「……なるほど」
「見たでしょ。お札の影の動き。ああいう風に周りの空間が歪んでるのよ」
「実感は全然ないけど、空間が歪んでるってのはよくわかった。んで、どうするんだよ。まさか、一生ここで霊夢と生活とか言わないよな」
「冗談は顔だけにしてくれる」
顔だけってなんだ顔だけって。もしここで本気とか言ったら、躊躇いなくお祓い棒が飛んでくることだろう。
「こんな大掛かりな能力よ。時間が経てば崩れるわ」
「じゃあ、さっきから歩いている意味ないじゃないか」
そこまでわかっててさっきまで歩いていたのはなんだったのか。
「意味はあるわよ」
ぶんっとお祓い棒がまた振るわれた。
しかし、すぐに霧が集まってきてしまう。
「ヤケクソにしか見えないけど」
「はぁ……、あんたって本当に紅魔館に住んでるの? よく生きてられるわね」
呆れた表情をみせる。
「どういう意味だよ」
「さっきから攻撃されてるでしょ」
「は?」
一体いつどこから。
霧のせいで全くわからない。
脚を止めてみる。瞬間、風が吹いた気がした。
頬に小さな痛みが走る。指で触れると血が出ていた。
この現象はそう、
「カマイタチ──!」
「立ち止まったら死ぬわよ」
再び霊夢がお祓い棒を振るう。
俺には全く見えないが、霊夢には勘的なものでわかるのだろうか。化け物より化け物してるなこの巫女。
「それで、攻撃されていることと歩くことになんの意味が……」
「空間の捻じ曲がり方に合わせて歩いてるの。そうしないと追いつかれるし」
「追いつかれるってなにに?」
振り向いても何もいない。
そもそも霧のせいでわからない。
「空間の裂け目によ。少しずつ捻りが強くなってるみたいね。このまま押し潰す気かしら」
霊夢がひょいとお札を投げると、俺の5歩後ろのところでくしゃくしゃになった。押し潰すというのは言葉のままの意味らしい。
「さっき、時間が経てば解けるって言ってなかったか!?」
これじゃあ話が違う。
しかし、霊夢は至って気にした様子もなくお祓い棒を再び払った。
「ええ。だって、もう限界だもの」
その言葉に答えるように、霧の世界が唐突に崩れた。
一寸先すら見えなくなりそうな霧が薄まって、湖さえ視認できるようになる。
これはつもり、能力の限界がきたということなのだろうか。
「なんでわかったんだ?」
「放っておけば押し潰されるのに、わざわざ攻撃を仕掛けてくるってことは余裕がないってことでしょ」
言われればその通り。
しかし、だからと言ってあそこまで冷静にいられるのだろうか。
普段はのほほんとしているのに、こう異変が絡んだ時の彼女の目は少し怖い。
「けど、まだ能力の中みたいね」
確かにまだ俺の探知は有効になってない。
世界が崩れたと同時に現れた、霧の中に浮かぶ影すら視覚でしか捉えられてないのだから。
霊夢の視線が真っ直ぐと霧に浮かんだ影に向けられる。
その影の足元には何かが落ちていた。
幼い子供くらいの大きさの何か。ピクリとも動かないモノは恐らく行方不明になった男の子。それは、その子供がただの塊になってしまったことを物語っていた。
霊夢がお祓い棒を強く握り締める。
「どこの誰かは知らないけど、退治させてもらうわ」
お祓い棒を相手に向けて、お札を持った霊夢。
ゆっくりと影が近づいて、霧で隠れたその姿が視認できるようになる。
確実に仕留めるという目をしていた霊夢の目が、大きく見開かれた。
「うそ……」
その影は人の形をしていた。
ヒタヒタと軽い足音を立てて、その影はこちらに近づいてくる。
その影はオレンジ色の着物を纏っていた。
軽やかな足取りで、まるで遊びにでも行くかのように歩く。
その影は霊夢と同年代ほどの女の子だった。
手と口からはこの霧に溢れた白い世界には不釣り合いな赤い鮮血が垂れている。
「なんで……」
霊夢の手が震えていた。
驚愕、疑念、困惑、怒り、悲しみ、色んなものがごちゃ混ぜになった瞳は先程までの戦意が抜け落ちてしまっていた。
その少女はそれを見逃さなかった。
影が飛び出す。
「霊夢ッ──!」
固まったままの霊夢を押し倒した。
直後、背中に激痛が走る。
「づうぅぅ──!」
血液が沸き立つ。
なんだ、これ、外側だけじゃない。内側からも混ぜられたかのような痛みが全身を襲う。
「あ、あんた、何して……」
混乱しているのか霊夢はこの場における正常な判断が出来ていない。
「馬鹿! ぼけっとしてないで、とっとと逃げ──!」
俺が言うよりも早く、それは再び襲ってきた。
重い衝撃が身体に響く。
ぼたぼたと霊夢の身体に赤い液体が降りかかった。
「え、あ……」
呆然とした霊夢の視線が俺の胸元に向かう。
それを追うように俺も視線を下に向けると、胸から真っ赤な手が生えていた。
痛いなんて情報を脳は受け入れなかったようだ。
ただ胸が熱い。呼吸をしようとしてもまともに酸素を取り込めない。
「くっ、この、やろ……!」
俺の反撃を予期したのか、胸から手が抜けた。
栓が無くなった穴からは大量の血液が溢れてくる。
くそ、探知なんかに血を無駄遣いするんじゃなかった……!
すぐに、またくる。せめて、霊夢だけでも。
踏ん張ろうとする身体の力は持たない。
霊夢の上に崩れ落ちてしまう。
「ねぇ、しっかりしないよ! ねぇってば!」
バカ、だから俺の心配よりも自分の心配を……。
途切れかける意識をなんとか保ちながら、なんとかスキマを霊夢の背後に開いた。
「え──」
驚愕する霊夢。
良かった。先程よりも相手の能力が弱まっていたおかげで一瞬とはいえスキマを繋げられた。
開かれたスキマに落ちていく俺と霊夢。
そのまま地面に落下して叩きつけられた。
「いった……!」
腰を打って顔を顰める霊夢。
まだ視界には霧が映る。どうやらそこまで遠くには逃げられなかったようだ。
しかし、一時的に少女は俺らを見失ったことだろう。
「あんた、大丈夫なの!?」
霊夢が慌てた様子で駆け寄って、俺の身体を見ると息を呑んだ。
胸にぽっかり穴が空いた姿はさぞ滑稽だろう。
「今すぐ治療を──」
「逃げろ……」
「なに言ってんのよ! そんなこと出来るわけないでしょ!」
なんとか意識をかき集めながら言葉を発する。
もう指を動かす力すら湧かない。こんな状態の獲物を逃す狩人がいるはずない。
すぐにあいつはやってくる。
霊夢1人ならなんとかなるだろう。しかし、俺という足手纏いがここにいたら無理だ。
あいつが俺を狙ったら霊夢はきっと守ろうとする。
「いいから、行けよ……! 何のために庇ったと思ってるんだ!」
まだまだ恨み言やら遺言やらと言い足りないところではあるが、喉にたまった血がそれ以上の言葉は許さないと封をする。
酸素が薄い。血が足りない。身体の端から冷たいものが這ってくる。目に映る世界は歪んできて、近くにいる彼女の表情すら俺にはよくわからない。
俺の言葉を聞いた霊夢は、無言で背中を向けると、霧の中へと姿を消した。
悪い、フラン。ちょっと約束守るのキツいかも……。
俺は繋ぎ止めていた意識を手放した。