木々の緑が深まり、初夏の訪れを感じさせる奔狼領。
生い茂る草葉の陰。朽ちた倒木のそば。差し込む木漏れ日の中に特徴的な紫色と赤色を探しながら、二人分の足音がざくざくと、森の奥へと進んでいく。
「お、ここにもあった」
「ホントだ! ふふ、だいぶ集まってきたね」
モンド特産のググプラムは、その分布のほとんどがここ奔狼領に集中している。
鋭い棘が特徴的なその果実は、果肉は食用に、種は薬用にと用途に富んで非常に優秀……なのだが、どうも人工栽培は困難らしい。日照条件か、土壌の問題か、それとも気候が問題なのか……詳細な生育条件が未だに解明されていないこの植物は畑で大規模に栽培することができず、求める場合はこうして奔狼領に採りに来るほかないのだそうだ。
お昼寝パイモンを洞天に残して、ジャム用のググプラムを採りに奔狼領に来た俺が、同じく薬用のググプラムを採りに来たバーバラと鉢合わせたのが今日の昼過ぎのこと。
なんだか妙に慌てた素振りの、彼女の「せっかくだから一緒に行かない?」という誘いを断る理由も特になくて、こうして二人連れ立ってググプラム集めに勤しんでいる。
「どう? これだけあれば足りそう?」
「うん! 充分すぎるくらいだよ。 これを全部薬にすれば、きっと二ヶ月分にはなると思う!」
「……これだけあっても二ヶ月かぁ」
「しかたないよ。 鎮痛剤も咳止めも、需要は多いもん」
籠一杯に詰まった果実を見下ろし、バーバラが喜色を浮かべる。くるくると巻かれた眩い金色のツーテールが、動きに合わせて楽しげに揺れた。
二人分になった人手、そしてそれぞれ求めるものが果肉と種とで違ったこともあり、収穫は互いの想定を大きく超えるものとなった。これを全部ジャムにしたら……消費量から考えて、こっちは半年くらいは大丈夫な量になりそうだ。もっとも、パイモンが本気を出したらすぐに食べつくされてしまうのだろうが。
「どうする? もうモンド城に戻る?」
互いに満足いくだけの収穫を得て、それでもまだまだ陽は高い。
これからどうしようかと顔を見合わせると、バーバラは少し考える素振りをみせて、やがて首を横に振った。
「……ううん。 今日はもうちょっと、ここに居たいかな」
「ん、そっか」
俯きがちなつぶやきは、どこかばつが悪そうで……その声色から、事情は俺にも察しがついた。
西風教会で祈祷牧師をやる傍ら、モンドの『アイドル』として活動しているバーバラ。
明るく朗らかに、誰もに優しく振舞って、歌とダンスで皆を元気づける彼女は、モンドの人々に広く愛されている。有志によって『バーバラファンクラブ』なんてものまで作られているくらいだ。
だが……広く愛されているが故の悩みを彼女が抱えていることを知る者は、モンドでもさほど多くない。
『アイドル』である彼女はその人気故に、常に人の注目を集める。
道行く先々で声をかけられ、言葉を、握手を、サインを求められる。それがたとえ仕事中でも、休日であっても。そしてバーバラはそれに「みんなをがっかりさせたくない」という一心で応え続けている。
周囲から常に視線を向けられ『アイドル』としての振る舞いを求められる日々。気の休まる暇もない生活に、彼女は時折疲れてしまうのだそうだ。
「じゃあ、どこか休めそうな場所でも探そうか」
「 ……うん。えへへ、ありがとね」
そういう時、彼女はモンド城を離れ、こうして人目につかないところで息抜きをする。今日奔狼領に来ていたのも、きっと息抜きを兼ねてのことだったのだろう。
風立ちの地、囁きの森、鷹飛びの浜……今までにも、バーバラの息抜きに付き合う機会は何度かあった。
……思えば、彼女がこうして息抜きをしているのを初めて知ったのも、奔狼領でだったっけ。
木々のさざめき、鳥のさえずり、木陰の涼しい風を体に感じながら、二人でしばしゆったりと林道を歩く。
奔狼の領主の住処近くの分かれ道を左に少し進んだところで、バーバラはふと足を止めた。
「あっ! この木、だったよね。 ふふっ、懐かしいなぁ」
ググプラムの詰まった籠を置き、喜色をあげて一本の木へと歩み寄るバーバラ。
奔狼領の森の中、いくらでもある木の一本に、彼女は懐かしそうに手を触れる。
「ね、覚えてる? 前にも赤いググプラムを採りに来たとき、人が来ちゃって一緒にここに隠れたの」
「……あー、あの時の。 バーバラが一人になりたい時に、ファンが追いかけてきちゃったんだっけ」
言われて俺も思い出す。
たしかシスター・ヴィクトリアに頼まれてバーバラを探しに来て、彼女の息抜きを初めて知った時のことだ。なぜか追いかけてきた
もっとも、そのあと俺はアルバートを追い返しに行ったから、あの時ここに隠れていたのなんてほんの少しの間だったけれど。
そんなこともあったなぁ、なんて俺がぼんやり思い出に浸っていると、バーバラがとことこと木陰から戻ってくる。
さっきまでの爛漫な笑顔とは違う、なんだか意気込むような真剣な表情でじっとこちらを伺う彼女に、どこか不思議さを覚えて。どうかしたの?なんて言葉を口にしようとしたその矢先。
「……っ、えいっ!」
「ぉ、わぁ!?」
何を思ったか、バーバラは俺の手を取ると、さっきの木の方へと勢いよく引っぱった。
「ちょ、ちょっと、バーバラ!?」
「……こんな、感じだったよね。 あの時」
転ばないように慌てて幹に右手をつくと、バーバラにも軽く抱きとめられる。
木の幹を背にしたバーバラに、覆い被さるような体勢。引っ張られた左腕が彼女の胸の前で抱かれ、互いの呼吸が感じられるほどの距離で視線が交わる。晴天のように鮮やかな青色の瞳に至近距離でじっと見つめられ、思わず逃げるように目を逸らした。
「こ、こんなに近かったっけ?」
「うん、ちょうどこんな感じ。 ……えへへ、こうして改めてやってみると、なんだかドキドキしちゃうね?」
彼女のほうから仕掛けておきながら、照れくさそうに頬を染めてバーバラが笑う。
密着と言えるほどに近い距離感。目の前ではにかむ端整な顔立ち。二人の腕を挟んで触れ合う体の感触と、ミルクのような甘い彼女の香りに心拍数が跳ね上がる。
これ以上はいけない。火照った頭からどうにか理性を搾り出して体を離そうとすると、バーバラは掴んだままの俺の腕をぎゅっと抱きこんで、離すまいとしてくる。
「……バーバラ?」
「え、と、その……ごめんね? いきなりこんな風にして……あなたを困らせちゃってるって、わかってる」
俯きがちに目を伏せて、バーバラは囁くように謝罪を口にした。
彼女の胸元にぎゅっと抱きしめられた俺の手が胸元のリボンに埋まって、その奥にある彼女の体温に触れる。
「あなたにはもう、恋人がいるんだもん。 ただの友達の私が、こんなこと……しちゃいけないんだって、わかってる。 ……でも、どうしても……どうしても、諦められなくて」
胸元に抱いた俺の手に、バーバラの両手が重ねられる。
緊張からか、小さく震える指先が絡んで、まるで祈るように手が組まれる。
「そしたらね、優しい占星術師さんに言われたの。 『運命から目を逸らしても、それは一時の慰めにすぎない。 後に残るのは拭えない後悔だけ』だって。 『人はみな、自分の心と正しく向き合って、自らの運命と対峙するべきだ』って。 だから……許してくれるって」
「……!?」
「ホントは今日ね、こうなれるの、待ってたんだ。 二人きりになって、ちゃんと気持ちを伝えるために」
占星術師と聞いて、モナの姿が脳裏に浮かぶ。
いかにも彼女が言いそうなセリフ、そして今のこの状況……困惑と既視感に押されて二の句を告げることができないでいる間に、バーバラがそっと顔をあげた。
モナよりも明るい
「私ね──あなたのことが好き」
吐息のかかる距離で、バーバラが心の内を言葉にする。
静かに、まっすぐに。まるで聖句を唱える時のような厳かさで。
「『モンドのアイドル』でも、『
ひとつひとつを噛みしめるように、澄んだ声が言葉を重ねていく。今まで秘められていた想いが喉を震わせ、言葉になっていくにつれ……解き放たれた熱情が、彼女の瞳に、声に、溢れ出してくる。
「あなたと一緒に冒険をして、一緒にご飯を食べて、歌を聴いてもらって、そばであなたの笑顔を見て……それだけでも幸せだったけど。 でも、モナさんもエウルアさんも、あなたと『それ以上』になってるのに……ただ遠くから見てるだけなんて、そんなのイヤ! 私だって……っ!」
感情の高まりとともに、腕を抱く力が強くなる。昂った感情のままに胸の内を吐き出して、バーバラの目が力強い光をたたえて俺を見据える。
「私だって」
出会った順番のあとさき、ただそれだけで簡単に成否が決まってしまいがちな恋の不条理に、爪をたてる抗いの言葉。あの時のエウルアも、同じことを言ってたっけ。
シスター然として清廉な彼女が、横恋慕の不義理を理解して、それでもなお諦められないと食い下がっている事実。向けられていた感情の大きさを眼前に突き付けられて、ぎゅっと胸が締め付けられる。
初めて目にするバーバラの、恋する乙女の「攻め」の表情。普段は他の誰かを思いやってばかりの彼女の、蒼穹の瞳のその奥から……バーバラ自身の願いが、欲望が、鎌首をもたげて俺を見ていた。
「……ねぇ、こうやってくっついて、ちょっとはドキドキしてくれた? 私のこと、ちょっとは女の子として見てくれたかな?」
「バー、バラ……」
「私は……してるよ? いますっごくドキドキしてる。あなたのこと、男の子として見てる。 ……このまま、ただの友達じゃいられなくなっちゃうのを、期待してる」
「……っ!!」
どくん、と一際強く心臓が跳ねる。
胸の内から羽化したバーバラ自身の欲望が、清らかだった告白を淫靡な誘惑へと塗り替えていく。甘く重く、どろりとした蜂蜜のように絡みつく声が、心に強く響いてくる。鼓膜から脳へ、欲望を煽り立てる蠱惑の囁きが浸透する。
ずっと目を合わせているせいか、それともこの脳を揺さぶる甘い声のせいか、不思議と頭がぼうっとしてくる。
ばくばくと跳ねまわる心臓がうるさい。はっ、はっ、と浅い呼吸が苦しい。何か言わなければ。そう思っても、喉の奥で絡まるばかりで、うまく言葉が出てこない。
「ホントはね、今までだって、ずっと期待してたんだよ? あなたと二人っきりになるたびに……このまま、押し倒されちゃったりしないかなぁ、って」
木漏れ日にキラキラ輝くような金糸の髪と長いまつげ。身に纏う純白の修道服よりもなお白い素肌。上気した頬の色。華奢な身体からふわりと香る甘い芳香。バーバラを「女」として意識した瞬間、愛情にも獣欲にも似た衝動が爆発するように湧き出でて激しく心臓を叩く。
ついさっきまでただの友達だったはずの目の前の少女が、なぜだか今はたまらなく魅力的に思える。バーバラのこと、こんなに好きだったっけ?
なにかがおかしい。おかしい……はずだ。弱々しく軋みをあげる理性の中に芽生えたそんな違和感も、こみ上げる感情の波涛に押し流されて、あっという間に溺れ沈んでいく。
「ね……私、あなたになら何されてもいいよ? 今はまだ、私のこと友達としか思ってなくても……今日だけ、今だけの気の迷いでもいいの」
バーバラの両手に捕まった俺の左手が、彼女に促されるままに、するりとリボンの下へと入っていく。大きくあいた襟元の、その滑らかな素肌を伝って、服の中に秘められた温かく柔らかい場所へとたどり着く。
手のひらに感じる、バーバラの「女」の柔らかさ。指に触れる小さな突起の感触。友達の一線を踏み越えた先にある、可憐な花の甘い蜜を味見させられて、頭の奥がかっと熱くなる。掻き立てられる情欲に心が塗りつぶされて、血液が沸騰する。
なにも、かんがえ、られない。
言葉を失った俺を見て、バーバラの口元が喜びに歪んだ。
「だから……私とも──友達以上のこと、して?」
頭の中で、ぷつりと何かが切れた感覚がする。
掻き立てられた獣欲で酩酊する意識の中、食らいつくように奪ってしまった唇のあいだから、戻れなくなる音がした。