知らない気配。
覚えのないベッドの匂いと寝心地。
普段の戦闘服とは違う肌着の感触に目を覚ませば、そこは見たことのない部屋。
判然としない頭のまま横を見やれば月光の差し込む窓辺で椅子に座ったツインテールの少女が一人、常夜灯の明かりを頼りに手にした石板を所在無げに弄んでいた。
「おや。 もう目が覚めましたか、エウルア・ローレンスさん」
身じろぎした気配に気付いた少女が、顔を上げて私を見る。
夜の闇を切り取ったような黒髪。星の意匠が散りばめられた、ぴっちりとした青い服。
トレードマークとされる魔女帽子こそ被っていないものの、その姿には覚えがあった。
「…あなた、占星術師の…」
「も、もう起き上がって平気なんですか? もう少し安静に…」
「このくらい、平気よ」
力の入らない体を無理やり起こす私を、石板を置いた少女が慌てて支える。
ほとんど面識もないのに『罪人』の身の心配だなんて。この恨みは覚えておかなくては。
「コホン。 アストローギスト・モナ・メギストスです。 気軽にモナと呼んでください」
偉大なる占星術師を名乗るこの少女には覚えがあった。
モンドの下町に居を構えていた、冒険者協会所属の占星術師。
その占いの的中率たるや凄まじく、しかしそれでいて一切の対価を求めない変わり者。
風花祭で任務中の私に限定酒なんて差し入れてきた、お人よしの一人。
そして──
「ここの気配は…モンドじゃないわね。 どこ?」
「それについては話せば長くなるので、ひとまず『
そして、モンドを救った栄誉騎士の、恋人と噂される人物。
衆目の前で彼と
察するに、ここは彼が引っ越したという居宅なのだろう。
ちくりと胸に痛みが走る。
「どこまで覚えていますか? ゆっくりと思い出してみてください」
「……ファデュイの拠点にされたダダウパの谷の洞窟を単独で襲撃して…目撃情報よりも明らかに数が多くて、逃げきれずに…雷蛍術師と初めて見る白ローブの水術師に不覚を、取った」
目を伏せて、この部屋で目を覚ます前の記憶をゆっくりと掘り返していく。
付近を通った狩人曰く、以前からあるそう大きくない洞窟のはずだった。入り口なんて人一人がやっと通れるほどの狭さで、猟師が雨宿りに使うのが精々といった大きさだと。
上下左右を壁に囲まれた細い道に人が詰まってしまっては、いざという時に撤退もできない。集団での突入はかえって危険に思われた。
ちょうどもう一か所、ファデュイの拠点にされていると目される廃屋があったため、旗下の小隊にはそちらを対応させて同時に叩く。そのはずだった。
「そうだ、部隊。 第四小隊の…私の部下たちは?」
「あなたの部隊は全員無事です。 報告では、時間だけ稼がれて廃屋は制圧したがファデュイには逃げられた、とのことでしたが」
「…やっぱり、罠だったのね」
実際に洞窟に突入してみれば、細い入口の先は事前に仕入れた情報が嘘のような大広間。
閉所で両手の指を超える数のファデュイ先遣隊達に待ち構えられ、即座に撤退の判断を下したものの時既に遅し。
突進してくる雷槌や風拳の攻撃をいなして唯一の退路へと逃げ込んだ先に、見たことのない白ローブのファデュイが立ち塞がった。
大剣を振れない狭い通路を塞ぐように飛沫とともに現れた彼女が、実際は水鏡に映った幻影だったということに気付くにはあまりにも時間が足りず、突破のために立ち止まった一瞬はあまりにも致命的だった。
「感電で気絶させられてそのまま拘束…最初から生け捕りにするつもりだったのね。 でも情報を吐かせようとはしなかった…生け捕りの目的が他にあった…?」
殺すでもなく、情報を吐かせるために拷問するでもなく、ファデュイ達は私をただ拘束するにとどめた。
意識を取り戻すたびに感電で再度気絶させられたが、アンバーと栄誉騎士が救助に乗り込んでくるまで、ついぞファデュイ達は私に何もしなかった。
奴等の目的が見えない。
「……」
モナが躊躇うように口をつぐむ。
占いの結果はたとえ相手が望まない結果だろうと歯に衣着せずに告げると噂の占星術師とは、とても思えない重い沈黙。
「…モナ?」
「……どこまで、知りたいですか?」
催促するように声をかけると、彼女は重々しく口を開いた。
当然、答えは決まっている。
「全部よ。 奴等の目的、何もかも」
「…知らないほうがいい真実も、あります」
「だとしても、
渋るモナの目をじっと見据える。
ややあって、モナは諦めたように溜息をついた。
「…ファデュイの目的は、これです」
そう言ってモナが差し出したのは先程手にしていた石板。
「竜巻の魔神・デカラビアン。 氷雪の魔神・アンドリアス。 そして風神・バルバトス。 現在モンド史において語られる魔神は主にこの三柱ですが、このほかに、モンドにはその名を忘れられた魔神が存在したことを知っていますか?」
唐突に魔神の話が始まってぎょっとする。
忘れられた魔神、その存在に心当たりはある。
かつてローレンス家が管理していた祭礼の弓。その祭祀に関する伝承にそんな話があった。
「時の魔神…」
「そうです。 ファデュイの目的は、時の魔神の力が秘められた遺物。 この石板は、それを保管する場所の鍵です」
そう言って、モナは手にした石板を裏返す。
石板の裏に刻まれた見覚えのある紋章に、ぞわりと脳が震えるような感覚がした。
「これ、堅氷の印…!」
堅氷の印。ローレンス家の家紋にして一族の武力と栄光の証。
ファデュイが求めるもの、ローレンス家の家紋、そして今回の罠。
洞窟に関する誤った情報も、私の部隊の動かし方を理解したうえで誘い込む手口も、廃屋での陽動と時間稼ぎも、全てローレンス家の私をピンポイントに狙ったものと考えれば納得がいく。
…いや、おかしい。
ファデュイは私を捕縛するだけで情報を吐かせようとはしなかったし、そもそも私ですら知らない情報をなぜファデュイが?
疑問が、状況証拠が、推理が、頭の中で最悪な答えとなって実を結ぶ。
「ま、さか…」
「──今回の一件は、全てローレンス家による『エウルア・ローレンスに対する復讐』として仕組まれたものです。 一族のみが知る秘宝の情報を売って、『エウルア・ローレンス』を買う。 これはそういう取引だったんです」
淡々と告げられる救いのない事実。
ローレンス家でありながら騎士団に入った一族の恥。栄光を取り戻すどころか、去年の末にはモンドに害をなそうとする伯父を逮捕すらした裏切り者。
私が全ての血族、親にすらも疎ましく思われていることは知っていた。
だが、まさか一族が代々受け継いできた魔神の遺物を手放してまで復讐されるほどだったとは。
怒りと失望にシーツを握りしめた手が震え、吐き気がこみあげてくる。
「石板もあなたも、今回の『取引材料』は私たちが確保しました。 ローレンス家はファデュイに支払う対価を失い、ファデュイに対しては現在、騎士団が掃討作戦を展開中です」
「…このことは騎士団にも?」
「代理団長とアンバーには話しました。 そもそも、アンバーが私たちに助けを求めなかったら手遅れになってましたからね。 危機に敏い子兎座なだけあって流石の働きでした。 殊勲賞の彼女には知る権利があるでしょう」
「よりにもよってその二人に…」
腐りきったローレンス家の姿を
ベッドの上では溜息と恨み節をこぼすくらいしかできないのがおもはゆい。
「そういうわけで、ファデュイの掃討作戦が終わってほとぼりが冷めるまで、あなたにはしばらくここで暮らしてもらいます」
「えっ…」
人の悩みをよそに、勝手に話が進んでいく。
「ここより安全な場所なんて滅多にないでしょうからね」
「待って! 掃討作戦には私も…!」
「駄目です。 『事が終わるまで塵歌壺の中であなたを匿う』のが騎士団からの依頼ですから」
きっぱりとそう言って、モナが首を横に振る。取り付く島もなかった。
「代理団長から伝言です。 『今回の復讐は我々が代行する。 任せて欲しい』、と」
「くっ…!」
今回はどうやら、自らの手で復讐を果たすことすらできないらしい。
一族への失望。西風騎士でありながら守られることしかできない現状への懊悩。今回の危機を招いた自身への悔恨。肉親から恨みを向けられる諦念と疲弊。
鬱屈した様々な思いが胸の中でない交ぜになって、今日何度目かの溜息となって口から漏れた。
「はぁ…グンヒルド家の娘に復讐の機会すら奪われるなんて! この恨み、忘れないんだから!」
「これで現状確認はできましたね」
人の気も知らないで…いや、意図的に無視するかのように淡々と話を進めるモナが恨めしい。
睨みつけても涼しい顔でコホンと咳払い。
「ではここからが本題です」
「…本題?」
「ええ、どうしても聞いておかなければいけないことがあります」
まだなにかあるというのか。
半目になって睨む私の目を、水色の澄んだ瞳がじっと覗きこんでくる。
「エウルアさん──あなた、空のことが好きですね?」
「…!?」
真剣な表情で投げつけられた想定外の爆弾に、一瞬で頭が混乱の渦に叩きこまれる。
モナと会話したのは今日が初めてのはずなのに…なんで知ってるの!?アンバーにだって話してないのに!
「…な、なんの、こと?」
「びっくりするくらい誤魔化すのが下手ですね…顔真っ赤ですよ」
「ぐっ! なんで、知って…」
「そんなの
熱くなった顔で焦る私に、わかって当然とばかりにさらりと言ってのけるモナ。
目を逸らして深呼吸をして、考える。
ここにきて、モナが言いたいことは一つだろう。色恋に疎い私でもさすがに想像がつく。
つまるところ牽制。「私の恋人に近寄らないで」というやつだ。
元より私には目のなかった恋だった。
罪人の血を引く者に居場所なんてない。
所詮私は邪魔者なのだ。モンドにとっても、ローレンス家にとっても、そして今、この場においても。
押し寄せる孤独感と劣等感を「恨み」だの「復讐」だの威勢のいい言葉でごまかして虚勢を張って。
ひたすらに戦って、勝ち取って、生き延びて。今までずっとそればかりだったから、普通の女の子らしいことなんて何も知らない。
西風騎士になる前は教会で治療なんて受けようがなかったから、身体だって細かい傷痕だらけだ。
強く優しく、機転もきいて、立場にも国にも縛られない、モンドの誰より『自由』な旅人。
ただ偶然そこに居合わせただけの異邦人だというのに、巨龍とすら戦ってみせたモンドの英雄。
今日だって、しくじった罪人なんかを助けるために傷を負い血を流した彼。
『ローレンス』なんて気にも留めない、酒も飲まないくせに、酒場で私を見れば必ず相席してくれる彼。
彼を慕う者は多い。想いを寄せる者だって、少なくないのだろう。私然り、目の前のモナ然り。最近恋の歌が増えたと噂のバーバラも、きっとそうだ。
そんな中で、罪人の末裔が一体どうしようというのか。あまりに釣り合いがとれていなさすぎる。
わかってはいた。この恋は、きっと徒花だと。
それでも、あらためて突きつけられる無情な現実に声の震えを抑えるのがやっとだった。
「……わかってるわ。 彼には…」
「──それで、いいんですか?」
「…は?」
やっとのことで絞り出そうとした敗北宣言を遮るように重ねられた言葉が私を苛立たせる。
「それで、諦められるんですか? まだ想いすら伝えていないのに」
意味がわからない。何を言っているんだこの女。
いいわけがない…諦められるわけがない!
屈辱を必死で噛み潰し、シーツを握りしめてモナを睨みつける。なにもかも見透かすような目が心底腹立たしい。
「…何?
「砕けろとまでは言いません。 ただ想いはちゃんと伝えるべきだと」
「随分と余裕ね! 恋敵をわざわざ挑発しようだなんて!」
「
あまりの苛立ちで殺気すら放っているはずの私を前にして、それでもモナはくすりと笑った。
「モンドの法律には伴侶の数を制限する条文はなかったはずですが。 違いましたか?」
急に
「っ……違わない、けど…」
モンドは『自由』の国。その抑圧と束縛を嫌う気風は、千年前の旧貴族統治時代の圧政を経てより顕著なものとなったという。
故にモンドの法律は、殺人・略奪の禁止などの社会秩序を維持するために必要な条項を除けば驚くほどに制限が緩い。その法の緩さが、城内が常に騎士団の仕事で溢れ、ファデュイの内政干渉を易々と許した原因でもあるのだが。
そして、一夫多妻や一妻多夫、同性婚の禁止などといった『恋愛の自由』を制限するような条文は当然、存在しない。
「まあ、
「…本気?」
だが禁止されていないとはいえ、実際にそういった道を選ぶ人間は多くない。他国の例に漏れず、モンドにおいても一般的なのは一夫一妻の家庭だ。
理由は至ってシンプル。人数が増えれば増えるほどそれを養うために求められる経済力が増え、そして同時に
それがわからないわけでもあるまい。まして彼女は博学多才で知られる占星術師なのだから。
なのに──
「本気ですよ。 個人的に頼みたいことと、今後についての約束事がいくつか。 それさえ飲んでもらえるなら、私にはあなたを新たな家族として迎え入れる用意があります」
「かぞ、く…」
家族。
私を苛む枷であり、そして今日私を陥れたもの。
いくら求めても罪人には得られぬもの。
ずっと欲しくて、けれど手に入らないこともわかっていて。
それでも諦めきれなくて、彼ならひょっとしたらって思って、けれど躊躇ううちに気付けばモナに先を越されて。
それが今、手の届く場所にあると彼女は言う。
独占できる立場の優位性を手放し、不和の種を招き入れるリスクを負ってまで、罪人を家族に迎え入れると。
困惑、不安、猜疑、期待。感情が竜巻の如く渦巻いて、頭がうまく回らない。
「だから、まずは素直に想いを伝えてみてください」
「……」
「もう、そんな顔しないでください。 …大丈夫ですよ。 ここはあなたが罪から切り離される場所。 ちゃんと向き合えば、きっと悪いようにはなりませんから」
子供にかけるような、モナの優しい声色に視界が滲む。なにか答えなくてはと口を開いても、喉が震えてうまく言葉が出てこない。
シーツを握りしめた拳に重ねられた彼女の手を、振り払うことは結局最後までできなかった。