「綾辻さ~ん、ちょっとこっち来て~、ほらこっちこっち早く早くぅ~」
親しげですらある。
が。
何気なくかけられた言葉にあるわずかなイントネーションやアクセントの微妙な差異。
モスキート音のようなモノだ。
昔は聴こえてたはずなのに、ある日を境にソレは聴こえなくなる。
届かない。
そこには大人にはわからない愉悦と暗さが含まれていた。
青い春を謳歌している者だけにソレはわかる
放課後の2年A組の教室に、ざわっとしか表現できない空気が流れた。
創設際の催し物の準備をしていた手が一瞬停まる。
視線が集まった。
欠席したのは薫と佐川と西谷の三人だけで、疑問符は付いたものの依然として詞の支持率と統率力は高い。
急な要請であってもほぼ六割、いや、余程の事情がなければ七割の参加は固いところだ。
いろいろ多忙な今どきの高校生にしては輝日東の校風もあり、その辺りおおらかというか生徒はみんなのんびりしているのもある。
しかし実質百パーセントの参加になったのは、不平分子だったはずの三人の扇動があったからだ。
なんとなくであるが状況が、変化しつつあるのを察したのだろう。
スクールカーストというシステムからは誰も逃れられない。
2年A組の与党再編に乗り遅れてなるものかとばかり、クラスでの地位を少しでも向上させようと積極的に参加していた。
誰しもが準備の作業に精を出しながらも、さり気ないようでびんびんにアンテナを張っている。
だからすぐに引っかかった。
転落の兆しの一端が。
言い出しっぺのくせしてとくに何かするでもなく、教室の隅っこでダベりながらニヤニヤ、意地悪い目で観察していた三人のもとに見るからに重い足取りで向かうクラス委員の姿に、2年A組でクーデターが起こったのをわからない者はいなかった。
「パラパラっとファイル読ませてもらったけどさ――」
「これナニ?」
「チョットないんじゃないかなぁ?」
蛇に睨まれた蛙のように固まっている詞を、壁際に鼠を追い詰めた猫みたいに、三人が三人とも声に面白がるようなトーンを滲ませ弄ぶ。
そこには自分の絶対的な優位を確信している者に特有の傲慢さがあった。
「定番ちゃ定番なんだろうけどメニューがクレープだけって、いっくら高校生の文化祭つっても安直が過ぎるんじゃないのかなぁ?」
机の上に座って腰の斜め後ろに手を突いて脚を組み、当事者意識のない無責任なことを自信たっぷりに弥生がのたまう。
女子にしては上背があるのでモデルのように、……とまではいかなくともそれなりに様になって目を惹いていた。
制服のスカートの奥が覗けそうで覗けない、計算がないようで計算高いその角度に、男子の何人かはチラチラ視線を送っている。
一緒にされたくない。
その馬鹿どものバレてないつもりの馬鹿丸出しの行動が、わかっていても踊るしかない事情のある詞のハラワタをいっそう煮えくり返させた。
だったらその安直じゃないアイディアってのを、アンタが出すなり手配するなりしてみればいいでしょっ!!
脊髄反射でそう叫びそうになったものの、数年間に及ぶ仮面ライフにより磨かれた精神力でグッと抑える。
もっとも背中をクラスメイトに向けたその表情は、苦虫を噛み潰したみたいという比喩がぴったりの苦々しいモノだった。
ヴィジュアルにまでメンタルの手が回らない。
これまで経験したことのない次元の異なるストレスの大きさ、プレッシャーの大きさに余裕ぶった優等生の仮面を被っている余裕などなかった。
「粉物は手軽でバラエティもあるし、技術もそんなにいらなくってラクだから」
怒りで小刻みに震わせながら、声をどうにか絞り出す。
事情を知らないクラスメイトにはソレが、恐怖に震えているように聞こえたが、もちろんそんなことに気を配る余裕も詞にはなかった。
「だから?」
「……だから」
言葉に詰まる。
弥生の言っていることはほとんどクレーマーのイチャモンと同じで、理屈は完全に詞の側にあるもののそれこそ「だから?」という話だ。
クレーマーはクレームを付けることが目的であって、初めっから説明や解決などというのは望んでない。
自分よりも立場の弱い者をうろたえさせて、ただ憂さを晴らしたいだけなのだから。
「ごめんなさい」
どんなに理に適ってなくとも、理不尽な謝罪をするしかないのだ。
嵐が過ぎ去るのを待つしかない。
飽きるのを待つしかない。
四人を中心に台風の目のように2年A組の教室内は静かだ。
その渦に割って入ろうかどうか純一が、ハラハラした顔で迷った素振りを見せているが、先日のモメごとではそのせいでさらにややこしくなった。
女同士の争いに男がしゃしゃり出たところで、火に油を注ぎヒートアップさせるだけなのを学んだみたいだ。
パチンッ。
乾いた音が響く。
唐突過ぎてナニが起きたのかわからなかった。
詞はキョトンとした顔をしていたが、ゆっくりジンジン痛みが伝わっていくことで理解する。
いきなり頬をノーモーションで平手打ち――スナップの利いたビンタをされたのだということを。
頭が真っ白になる。
言いしれぬ屈辱に膝がガクガク揺れた。
目つきが鋭くなり剣呑な光を宿す。
怒りも露わに睨みつける。
「あ……」
こちらもヘタレの本性があっさり暴かれたみたいで弥生はたじろぎ、偉そうにふんぞり返り仰け反らせていた身体が、机の上から一瞬転がり落ちそうになっていた。
しかしそれもそれこそ一瞬で、美雪がスッと近寄って詞の耳に自分の耳に嵌っていた、ワイヤレスのイヤホンを挿し込むまでである。
悠子が馴れ馴れしく肩に手を回しさっきまでふたりで、ニヤニヤしながら観ていたらしいスマホの画面を見せた。
けっこう離れた位置から動画を撮っているので、薄暗がりなのもあり画像も粗く、音声まではっきりと聴こえるわけではない。
けれど集中すればへっぴり腰の内股になって、引き戸の隙間に顔を密着させて覗いているのが誰かわかる。
そして目は口ほどに物を言うし、百聞は一見に如かない。
荒くなっていく息遣いも秘めやかな嬌声も、緩やかに上下する肩の動きや、股間を手で押さえながらモジモジする仕草が、観ている者の脳内で自然とクリアーな音源として再生されていく。
なので、
「やぁンッ」
わざわざ耳元で囁くようにアテレコしてくれなくとも、詞の脳内では誰よりも高いオリジナル性とクオリティで忠実に再現されていた。
少し舌っ足らずで甘ったるいロリータボイスが、デリケートでナイーブな神経を絶妙に逆撫でしながら流れ込んでくる。
美雪はあまり普段から目立つタイプというわけではなく、身体が小柄なのもあってひとの背後に隠れているかのような印象があった。
だが引きずり出してみれば毒を持った生き物であり、抵抗できなくなった獲物の柔らかな肉や内臓を、突きまわしてくるようないやらしさがある。
か弱いのは表向き。
裏にはきっとナニか黒いモノを隠し持っていると、優等生という仮面を被ってきた詞は、以前から漠然とではあるが自信を持って確信していた。
この人畜無害を装った少女の内面には、そういったタチの悪さが棲んでいる。
「クラスメイトのレイプをオカズに廊下でオナっちゃうなんて、いつもは澄ました顔してるくせに絢辻さんってけっこうヘンタイだよねぇ」
すると悠子のキャラは、誰にでもわかりやすい。
吊り目がちの瞳の奥には猫科動物の獰猛さと執拗さが宿っている。
勝気で攻撃的な性格も相まって、即物的ですらあるバイオレンスの匂いを感じさせた。
そうでありながら常にオンナとして、馬鹿なオトコに媚びるのも忘れてない辺りが、小狡いとしか映ってない詞には癇に障るところがある。
……そしてそれは三人に、共通して言えることだった。
「謝るんなら土下座して」
悠子のひそひそ声が聞こえたというより、怒りで色づくのとは違う種類の朱が差した詞の頬を見て、ヘタレていた弥生が自分の優位を再確認してまたイキりだす。
聞かなかったふりをするにはショッキングな言葉に、周囲のざわっとした空気がさらに大きなモノになる。
弥生は息を呑むクラスメイトに満足したように脚を組み替え、身を乗りだすと昭和のヤンキーみたいにうつむく詞を下から覗き込んだ。
「ほら土下座よ土下座、早く土下座して」
ひどく愉しそうにそう言いながら、スマホの音量ボリュームを徐々に上げていく。
どうして携帯電話のマイクの感度が、ここまで高性能な必要があるのだろう。
胸を張り世界に誇っていいはずの、日本の技術力を呪わずにいられない。
耳が幻聴ではない微かな吐息を捉えていた。
イヤホンをしてない耳からも、聞きたくもない声が聴こえてくる。
「土下座が嫌ならクラスの全員で、これから動画鑑賞会にしてもいいけどどうする?」
選択の余地はなかった。
また新たにざわっとした空気が流れる。
尊敬というほど大仰ではないものの、リスペクトを集めていた頼れるクラス委員兼創設祭委員が、膝を折って身体を沈めようとしているからだ。
小刻みに震えながら、ゆっくり床に這い蹲ろうとしている。
誰がどう見てもあきらかなイジメの図ではあったが、教室内の誰もが一歩も動けず見ていることしかできなかった。
もうこうなってしまえば男女の問題は棚上げして、純一は身を挺しとりあえず割って入るべきだったろう。
けれど持って生まれた優柔不断がこんなとき顔を出し、床に足を縫いとめ動くことを許さない。
あるいはここに薫がいれば、詞がそれを望むかどうかはともかく、守るための行動を躊躇いなく起こしていたかもしれない。
だが今日は欠席だ。
家にいる。
でもたぶん大人しくひとりで寝ているわけではない。
他人に構っていられないだろう。
膝が床に触れそうだった。
あとは左右の手を突き頭を深く垂れれば、誠心誠意の謝罪を込めた姿勢が完成する。
が。
膝を屈する寸でで肩が押さえられる。
ここぞというタイミングを計っていたみたいに、羽毛のようにそっとやさしく置かれた悠子と美雪の手によって。
驚いて顔を上げると、
「冗談よ冗談」
満面の笑みを浮かべた弥生と目が合った。
「チョ~ウケる~」
「ゴメンね。絢辻さん」
ふたりも親しい友人とのプロレスだったとでも言うように、ポンポンと肩を叩いてから抱きつくと左右から頬を擦りつけてくる。
柔らかなふくらみを二の腕にぴったり密着させて獲物を拘束していた。
「じゃ、みんな、今日はここまでで終わりしよっか。片付けが済んだら各自解散ってことでヨロシクね」
恥を掻かされた先日の意趣返しをして、ひとまず溜飲が下がったというか胸がすっとしたらしい。
自分と優等生のパワーバランスが逆転したのを誇示できたことに、興奮が抑え切れないのか弥生は顔を紅潮させ鼻の穴をぴくぴくさせていた。
何の権限もありはしないのに勝手なことを言うだけ言って、動けないクラスメイトを放置したまま教室をスタスタ出て行こうとする。
左右から詞の腕を捕まえたふたりも、意地の悪い笑みを浮かべながら後に続いた。
「絢辻さんっ!!」
心配してくれてるのはわかる。
嘘はない。
嬉しくないわけではない。
とはいえ言葉だけ気持ちだけで行動が伴わない純一に、
「大丈夫だから……」
まるで受刑者みたいに連行されていく詞が振り返りることはなかった。
そして純一が追いかけてくることも。
女の争いに男は不可侵という不文律があるにしても、物語の主人公であれば当然する選択を純一はしなかった。
してくれなかった。
すっかり陽は落ちている。
深い闇に邪魔されて廊下の先がよく見えない。
でもどこに向かっているのかはここ数日、そこで起こったことばかり考えていたからよくわかる。
橘くん。
もしかしたらけっこう好きになりかけていたのかもしれない。
ふと思った。
時折り後ろを振り返りニヤニヤ観察してくる弥生の足が、頭にこびりついて離れない空き教室の前でぴたりと止まった瞬間に。
引き戸を開ける。
ずかずか入り込みパチンッと弥生が点けた照明が、陽の堕ちた放課後の暗がりに慣れた目にひどくまぶしい。
――もちろん今日は未使用だ。
まだ。
床の一部が変色している。
理由は想像できるしそれは妄想ではない。
事実に裏付けられた根拠があった。
三人はパッパッと積もった埃を払って、机の上だったり椅子だったりにそれぞれ腰掛ける。
「ここだけの話、ぶっちゃけタピオカって美味しい?」
「え、美味しいじゃん」
「う~ん。わたしは苦手かなぁ」
「だよねぇ」
どうすることもできず立ち尽くしている詞をほったらかしにして、毒にも薬にもならない人生でもっとも無駄で中身のなさそうな雑談を始めた。
まるで詞がそこに存在していないかのように、視線すら送ることなくガールズトークに花を咲かせている。
このシーンだけを切り取れば、2年A組の教室でもよく見る光景だった。
とはいえここはいつもの2年A組の教室でもなければ、他愛もない青春の一ページを楽しんでいられるような場面でもない。
知らず知らずのうちに固く握られていた詞の手は、襲ってくるプレッシャーにいつの間にかベットリ汗ばんでいた。
「最近またドラクエやってんだよね」
「11?」
「うんにゃ。1、2、3。なんかそこら辺シリーズ通してやっとくと、どうもさらに11が面白くなるらしいんだよねぇ」
「ドラクエとFF、どっちの方が好き?」
「FF」
「ドラクエ」
「割れたねぇ」
このまま三人の下手くそな、小芝居に付き合っても埒が明かない。
明かないけど……。
しかしだからといって自分から、率先して積極的に埒を明けるのも躊躇われる。
状況が良い方より悪い方に転がる可能性が大だからだ。
「絢辻さん」
だがドラクエ派かFF派かで盛り上がっていると、お題を出した美雪が所在なさげにしている詞にも話を振ってくる。
天使のような無邪気な笑顔で、
「服、脱いでくれる」
脈絡もなく気軽に、何気ない口調で宣告した。
お願いという形式を取った命令を。
「え……」
その不意打ちはあまりにも唐突でありながら自然だったので、詞は咄嗟には美雪にかけられた言葉の意味が理解できなかった。
季節は冬である。
普段は使われることのない教室はひとの温かみがないのもあり、寂しさを喚起するその無機質さは鳥肌が立つほど寒々としていた。
なのに手のひらからも腋の下からも、ジットリとした冷たい汗が湧き出し流れていく。
「わたしたちに撮影会をさせて欲しいなぁ。鑑賞会の方がいいんならそうするけどどうする?」
「ダッシュすればまだ教室に、みんな居るんじゃないの?」
「あ、橘くんってカメラとかそういうの、好きなんじゃなかったっけ? だったらどうせだしさ、でっかいモニターに映してもらわない?」
スマホを掲げ選ぶなら一択の、提案ともいえない提案をする美雪に続いて、フットワーク軽く席を立って引き戸に手をかけた悠子や、いま思い出したという演技が棒読み過ぎる大根な弥生が、熱い羨望や暗い嫉妬の色が乗せられた瞳でねめつけてきた。
ちょっとした覇王色気分。
先日までなら三対一であったとしてもザコキャラ扱いで、それこそ目ヂカラどころか存在感だけで怯ませられる。
……だがもうその立場は完全に逆転していた。
「どっち?」
可愛らしいが酷薄な笑みを浮かべて、愉しそうに非情で非道なチョイスを迫る美雪に、
「ぬ、脱ぐわ。脱げば、……いいんでしょ」
屈する以外の選択肢など詞にない。
憂いを帯びた消え入りそうな声で言ってうつむくと、長い黒髪をさらりと揺らしながら青白くなった顔を儚く隠した。
「ムリしなくてもいいよ?」
けれどそんな決意を踏みにじるみたいに美雪は言葉でも嬲ってくる。
するしかない無理を、優しい声で言外にリクエストしていた。
ふたりも後方腕組みしつつ、いやらしく嘲弄している。
詞は目を閉じた。
一切の雑音をシャットアウトしながらゆっくり、接着でもされたみたいに抵抗のある瞼を開ける。
考えてしまったらできない。
動けない。
素早く制服のブレザーから腕を抜く。
キレイに二つ折りに畳んで埃っぽい床に置いた。
男にはない同じ女だからこその粘るような視線を浴びながら、襟元のリボンをしゅるりと解いてブラウスのボタンを外していく。
ぱっと見ただけでは思い切りのよい潔い脱ぎっぷりにも映るが、ほんの少しでも気を緩めてしまえば指先は震えてしまいそうだった。
慎ましいふくらみを包んでいるブラジャーは、淡いピンクでフリルも派手さのないシンプルなモノである。
ボリュームにしか目がいかないと、サイズ的にイマイチ物足りないかもしれない。
しかしその控えめな起伏のラインが描く流麗なフォルムに、価値を見いだし愉しむことができるのなら、乳房に求めるモノが大小だけでないのを理解するだろう。
美乳というやつだった。
さらにスカートがぱさりと落ちると、こちらもブラジャーとお揃いの、上品なフリルに縁取られたショーツがさらされる。
男にすらラッキースケベがあるくらいだ。
女同士であれば学校生活において、体育の授業や水泳の着替えの際などで、素肌を目にする機会も少なくないが、このようなシチュエーションで視線を浴びるのには慣れてない。
やはり小ぶりなヒップやキュッと締まった腰も相まって、清楚なイメージを纏わせたスレンダーで真っ白な肢体は恥辱で火照り紅潮していた。
情けなさで泣きたくなるのを堪えつつ、殺意すら篭めてキッと睨み返す。
だがその鋭いナイフのような視線に怯む者は、脊髄反射で弥生がびくんっとなったくらいで皆無。
言葉はない。
眼だけで饒舌に三人は語っていた。
下着も。
と。
「――ッ……」
わかってる。
セミヌード程度で性悪なこの三人が許してくれるわけがない。
詞は背中に手をまわすと諦めの気持ちとともに、震える指先でブラジャーのホックを外した。
左手で慎重に胸元を押さえながら、本人にそんなつもりはまったくないのに、焦らすみたいにゆっくり布地を引き抜いていく。
慣れ親しんだはずの柔らかく汗ばんでいる感触に、くらくら眩暈がして風呂上りのようにのぼせそうだった。
ボリュームやサイズがイマイチであっても、そこは曲がりなりにも乳房は乳房で、双乳の重さを包み隠しながら身を屈めショーツに手を伸ばす。
引き下ろそうとして――手がぴたっと止まった。
このまま左腕で胸を押さえたままでは、どうしても姿勢が不安定なものになってしまう。
どうだとわざわざ見せつけたことはもちろんないが、水泳の授業で着替える際の更衣室などで三人にも見られたことはあるかもしれない。
なら今更恥らうこともないのかもしれないが、感情の発露というのは理屈ではなく本能に根ざしたものだ。
詞は熱くなった乳房を覆っている手を外すそのタイミング、卑劣な脅迫者の視線に触れさせるタイミングをなんとなく逸していた。
なんでもなかったはずの行為も、意識してしまうと途端に恥ずかしい。
「手伝ってあげよっか?」
急かすというよりも囃し立てるようにそう言いながら、誰も片目をつぶって顔を押しつけてない引き戸を悠子がわずかに開ける。
第二の自分がいなかったのに胸を撫で下ろしつつ、
「遠慮するわ」
いくしかない……。
焦燥感に駆られながら無理やり身体を屈めて、女のコの秘密を守る薄く小さな布地を引き伸ばした。
片足立ちで右脚から抜きにかかる。
――三人から笑みが零れた。
本人は気づいてない。
ついこの間まで少なからずあった尊敬される優等生の面影は、ある意味で土下座よりも見っともなく頭を垂れる今の詞にはなかった。
滑稽である。
「くッ」
もっとも詞からすればそれどころではなく、ショーツの布地を限界まで引き伸ばし、膝を折り曲げてぷりっとした尻たぶを露わにしていた。
恥毛が覗いてしまわないよう内股になっているのが、本人は至って真面目なのだがコミカルさに拍車をかける。
これでかなりの繊細さを要求される緻密な作業をしていた。
しかしそれが他人に伝わるのは困難でありながら、どうやってもマヌケな姿なのも変わらない事実だった。
そんなデリケートでナイーブなバランスは、美雪のたったひと言であっさり崩れてしまう。
無邪気を装った少女の視線はじっと、股間に密生する黒い翳りに注がれていた。
ポツリと漏らす。
「けっこう濃いんだね」
主語がないので厳密には恥毛を指しているわけではないのだが、不安定な姿勢でもがく少女を床に這い蹲らせるのに充分だった。
パタン。
為す術なく無様に転がる。
土下座でもするみたいに四つん這いになっていた。
「アソコの毛が濃いひとってエロいらしいよ」
背後にポジションを取っている悠子へ突き出すみたいに、少女の肛門から会陰へと続くなだらかなラインがさらされる。
おぼろげな月明りに浮かぶ白くスレンダーな肢体は神秘的であったが、引き締まったヒップの谷間の奥にあるぴったり合わさった裂け目は、カタチも色も穢れのないヴァージンらしく、可愛らしいうぶなモノではあったが、嗅覚ではない感覚でセクシャルな匂いを感じることができた。
指摘された恥毛の濃淡はどうかというと、実際には揶揄されるほどでもないのだが、あまり他人のソコをジロジロ観察するようなことはない。
自信満々で科学的根拠に基づいた真実であるかのように語る悠子に、
ギリッ。
何度目かになる恥辱に顔を歪ませながら、食い縛った歯を軋ませることしかできなかった。
荒れ狂う感情の濁流に、身体がぷるぷる痙攣するだけですぐに立ち上がれない。
躾けられる犬みたいなポーズでしばし詞は固まっていた。
惨め。
再起動にどのくらいの時間がかかったのかは、
「ぬ……脱いだわよ。こ、これで、これで……いいでしょ?」
心の中で泣くもんか泣くもんかと呪詛のように唱えつつ、血を吐くように望まぬ言葉を口にして立ち上がった詞にはわからなかった。
偶然なのか必然なのかオナニーのときの配置と一緒で、右腕で乳房を隠しながら左手で股間を覆う。
気づいてない。
これでいいでしょという精いっぱい強がった言葉の裏に、これでどうか許してほしいという本音が潜んでいることに。
紺のソックスとローファのみ。
なまじ中途半端に身に着けている分だけ、犯罪の気配を誘発してしまって卑猥ですらある。
いくら空き教室とはいえ品行方正なはずの女子高生がしていていい格好ではなかった。
おじさんが狂喜乱舞しそうな恥じらう黒髪JKのヌードには、春を想うこの年頃にしかない危うい禁断の色香を醸し出している。
――そしてそれは同じ年頃である同性の嗜虐性すらも激しく煽った。
「ダ~メ」
瞳が妖しいケダモノの光を宿して爛々と輝いている。
興奮を露わにした熱っぽい声で、
「手、どけなさい」
弥生は冷たく命じた。