「えっ……。マァムさん⁉」
長い黒髪の少女はマァムの顔をみて、驚きの表情を浮かべる。
「メルル!」
間違いない。メルルだ。
マァムはようやく再会できた仲間の名前を口にする。
「マァムさん……よかった……」
するとメルルもこちらの名前を口にし、手にしていたスコップ二本を床に落として涙を浮かべた。
だが、感動の再会はここまでだった。
突然、マァムの視界からメルルの姿が消えた。そして、大理石の床が眼前に迫ってくる。
そう思ったときには、マァムは顔面から床に叩きつけられていた。
「誰が顔を上げていいと言ったのですか? 話をしていいと言ったのですか?」
マァムの後頭部を掴んで、顔面を叩きつけたカモミールが、怒りの声でマァムに尋ねる。
「くっ、このぉぉっ!」
マァムは、カモミールの腕を逆に押し返し、すぐさま上半身を起こして彼女に殴りかかる。
やっと、やっとメルルを見つける事ができたのだ。
それを邪魔するのであれば、誰であろうと許さない。
だが、マァムの放った一撃は、簡単にカモミールに躱されてしまう。
「命令違反に看守への暴行。許せるものではありませんね!」
カモミールはそう言うと、メルルが止めるよりも早く、マァムに制裁の手刀を繰り出す。
鋭い一撃だったが、それでもフェンネルの攻撃よりは遅い。
躱すことは出来なかったが、左腕でそれを防ぐことは出来た。
これならばなんとかなる。
マァムはそう思い、反撃を試みようとした。だが、突然、確かに攻撃を防いだはずの左腕が、ズキンと痛みだす。
そのせいで、右腕ではなった攻撃も躱されてしまい、バランスが崩れたところに、また手刀が飛んでくる。
攻撃を放った勢いのままに躰を回転させ、今度は右腕でその一撃をマァムは防いだ。
「くっ、ううううっ……」
痛い。痛い、痛い、痛い。
左腕が痛くて仕方がない。いや、それだけではない。いま攻撃を受けた右腕にもズキンとした痛みが起こり、段々とその痛みが増していく。
痛い、痛い、痛い。そして、熱くなっていく。攻撃を防いだ箇所が。
マァムの両腕は、瞬く間に痛みのあまり動かせなくなってしまった。
「マァムさん!」
メルルの心配する声を耳にし、マァムは痛む躰に鞭を打ち、カモミールに右足で蹴りを放つ。
だが、カモミールはそのケリを左手で簡単にいなしてしまう。
マァムは放った右足を今度は軸足に変え、左足で回し蹴りを更に放つが、それもカモミールは苦もなくいなして躱した。
「うっ、ああああっ……」
今度は足が痛む。両足がズキズキと痛み、熱を持ち始める。すぐに立っていられなくなり、マァムは膝を付き、床に顔を激突させた。
腕が動けばそのような醜態を晒すことはなかったのだが、マァムは丸いおしりを上に突き出した格好で、無様に動けなくなってしまう。
「はぁ~。やれやれですね」
カモミールは嘆息して、頭を振ると、
「神官殿の前で、尻を突き出すとは何事ですか!」
その言葉とともに、マァムのおしりに蹴りを入れた。
「いぎぃぃぃっっ!」
その一撃に一際大きな悲鳴を上げながら、マァムはうつ伏せに崩れ落ちる。
「マァムさん!」
「メルル神官殿! お止め下さい!」
マァムに駆け寄ろうとしたメルルの前に、カモミールが立ちはだかる。
「どいて下さい! その人は、私の大切な仲間であり、友人なのです!」
「お立場をお考え下さい。申し上げましたとおり、私は囚人を連れて来たのです。それ以外の者を私は連れてきてはおりません! この女は罪人なのです!」
カモミールがそうはっきり告げると、メルルは苦悶の表情をし、立ち止まる。
「罪人の処遇は、我々看守に一任されているのはご存知のはずです。いくら神官殿でも、その規則を破ることは許されておりません」
「……分かりました。ですが、マァムさんが貴女様に逆らった原因は、私です。それがなければ、このような事は起こらなかったはずです。
ですので、どうかマァムさんの躰を癒やさせて下さい。あとでどのような罰でもお受けいたしますので、どうか、このとおりです……」
マァムは痛みと熱に苦しみながらも、メルルが深々とカモミールに頭を下げている姿を目にする。
「……罪人には過ぎたる配慮ですが、ここは神官殿の顔を立てましょう」
「ありがとうございます」
メルルはもう一度頭を下げると、痛みに苦しむマァムの前に来て跪き、右手をかざして何かを唱える。
回復呪文ではない。
けれど、メルルがその言葉を唱えた途端、マァムの全身の痛みも熱も嘘のように消えていった。
「マァムさん、何も言わないで、今は我慢してください。近いうちに、私がなんとかしますから」
メルルは優しく微笑み、マァムの手を両手で優しく握った。
(メルル……。なんだか、少し変わった?)
マァムの知っているメルルは、芯は強いものの、普段は一歩引いた物言いをする少女だった。だが、今の彼女は頼りにしたくなるような強さを感じる。
それに、先程の力はなんだろう? メルルは回復呪文を少しは使えたはずだが、先程のものはベホマ以上の力を感じた。
「お見事です」
カモミールもメルルの力に感服しているようだ。
「もう少しだけ待っていて下さい。今までは助けられてばかりでしたが、今度は私がマァムさんを助けてみせますので」
メルルはそう言って、マァムが立ち上がる手助けをしてくれた。
もう、体の痛みはまるでない。
マァムはメルルの心遣いに感謝し、ただ黙って頷いた。
「すみません。すっかりお待たせしてしまいました。道具をお渡しさせて頂きます」
メルルと彼女に付きそう少女が、そう言ってカモミールに人数分のスコップを手渡す。
「マァムさん。力が有り余っているようですから、貴女が持って下さい」
そうカモミールに言われ、マァムはしかたなく、スコップ五本を両手で抱えて持つ。
「大変ご迷惑をおかけいたしました。当たり前のことですが、お預かりしたものは、きちんと綺麗にしてお返し致しますので」
「いいえ、そのままで構いませんよ。私が洗いますので。本来ならば私達が自らの手で行わなければいけないことなのですから」
「ですが、神官殿が自らなさることでは……」
カモミールがそう言うと、メルルはにっこり微笑んだ。
「私は、ただ神官という役目を任せて頂いているだけの女です。そのことを忘れないためにも、そうさせて下さい」
「……はい。お心遣いに感謝致します」
カモミールはメルルに静かに会釈し、マァムに「行きますよ」と言って踵を返す。
マァムもそれに倣おうとしたが、メルルが心配そうな瞳を向けている事に気づき、笑みを浮かべ、それからカモミールの後を追う。
メルルの無事が分かった。
それが分かっただけでも僥倖だ。
この時のマァムはそう考えていた。
そう、まだ彼女にも心の余裕が残されていたから、そう考えることが出来たのだった。