マァムはようやく帰ってこられた自室で、ズダ袋を脱いでその上に横になる。
すると、止めどもなく涙が溢れだした。
「うっ……あっ、あああっ……」
マァムの心は完全に折れてしまった。
もう、ここから脱出しようなどという気持ちは残っていない。
股間はフェンネルの力で以前のように戻ったが、相変わらずおかしなものが埋め込まれたままだ。こんな躰では、もう……。
「……助けて……。もう、嫌……。ポップ……メルル……。助けて……」
マァムは助けを懇願する。
けれど、こんな自分のような女を、無知で我儘で思いやりのない女を、あの二人が助けてくれるだろうか?
ふとよぎったそんな不安。
それは、以前の彼女ならば考えもしなかった猜疑心。
心の折れたマァムは、自らの考えに心を痛め、それをすり減らしていく。
「……私のような女がいなくなって、ポップはもしかしたら喜んでいるかも……。期待させるだけ期待させておいて、何もその期待に応えようとしない女の事なんか、もう忘れてしまって……」
マァムは今までの自身の行いを振り返り、自らの心を傷つける自傷行為を続けていく。
思えば、ポップに初めて出会った時から、自分は生意気で無知で、未熟な女だった。
アバン先生に師事を受け、アバンのしるしを頂いていたにも関わらず、魔弾銃を使いこなすのではなく、その力に縋っていた様に思える。
自らを僧侶戦士などと自称していたが、自分はもっともっと腕を磨くべきだった。そして、人間として、女としても成長するべきだったのだ。
アバン先生は卒業の日に、
『愛や優しさだけでは必ずしも他人(ひと)を守れない時もあるのです。正義なき力が無力であるのと同時に、力なき正義もまた無力なのですよ』
そう言っていた。
でも、私はその言葉は覚えていたものの、それを理解していなかった。
僧侶としても中途半端。戦士としても中途半端。それは人間としても、女としても同じだ。
ダイとポップと一緒に旅をするようになって、同じ宿の同じ部屋で眠る際も、自分は下着姿で平然としている恥知らずだった。
もしも自分が恥というものを知っているのであれば、もう少し慎み深い姿を心がけていたはずだ。
いたずらに、ポップの心を乱すようなことはしなかっただろう。
ポップは……。
そう、最初の頃のポップは、確かに頼りない部分はあった。
そして、そんな彼を、臆病で自分勝手なヤツだと思っていた。
でも、私程度の女に、そんなふうに彼を評する資格があったのだろうか?
獣王クロコダインがロモス城を攻めてきたあの時に、私はポップを全力で殴った。
そして、『あなた、アバン先生から何を習ってきたの…⁉』と口にした。
……研鑽を怠っていた自分を棚に上げて。
そして、フレイザードとの戦いで魔弾銃を失った私は、その時になって自分の未熟さに直面した。
魔法の力を自在に使いこなせるレオナを前にして、ようやく自分が足手まといになると危惧したのだ。
……遅すぎる。
あまりにも……。
そして、私は持ち前の力を生かして武闘家になろうと思った。
ああ、そういえば、ポップがロモスの魔の森まで、瞬間移動呪文、ルーラで送ってくれた際に、言ってくれた言葉があった。
『俺は…お前のためだったら、何度だって…命を捨てられるんだ…‼』
そう言ってくれた。
ああ、どれだけ私は鈍かったんだろう。
愚鈍とは、私のためにある言葉なのだろう。
他人の気持ちを理解しようとしない。その人の立場になって考えようとはしない。
心無い自分が嫌になる。
そう、私は心を磨かなかった。磨こうとしなかった。
拳聖ブロキーナ老師に武術を、武神流を学んでも、その表面的な破壊力だけを求めて、心が伴っていなかった。
間違いなく、ブロキーナ老師はそんな私の未熟さを見抜いていたはずだ。けれど、私という人間が成長することを見越して、奥義を授けて下さったのだ。
……それなのに、私はそんな事も理解できていなかった。
ロモス城で行われた武術大会に参加した際に、どうしてブロキーナ老師が名前を隠して参加されていたのか、何故私は考えなかったのだろう?
未熟な私を心配して下さっていたからだということに、どうして気づかなかったのだろう?
あの時、老師は、
『マァムの修行の成果が見れて良かったよ』
と仰って下さった。
けれど、それは飽くまでも奥義である、武神流閃華裂光拳を使いこなせているかだけの評価だったのだ。
それ以降の成長は、私ならば修行を怠ることがないと信じてくださっていたから、そう言って下さっていたのだ。
それなのに、私は……。
武術を少し覚えたことで調子に乗り、私は心の修行を怠り続けていた。
そう、今思い返すと私は大魔王バーンと同じことをしていた。
自分よりも力の劣る人間を、一方的に蹂躙することに心のどこかで溺れていた。
ロモスの武術大会に、ダイとポップが観戦に来ている事に気づいた私は、ポップの言葉に腹を立てて、対戦相手がもう戦意を喪失しているにも関わらず、殴り飛ばし、ポップに彼の巨体をわざとぶつけた。
対戦相手を必要以上に傷つけたにも関わらず、その後、私はポップ達に微笑みを向けた。
担架で運ばれていく、対戦相手を気遣うこともなく。
最低だ……。あまりにも身勝手だ。
心が弱すぎる。醜すぎる。
本当に、どうしてこんな自分の魂の力が『慈愛』なのだろう?
力に溺れて弱者をいたぶり、ポップがキルバーンの罠にかかってしまったときのように、自分の力が及ばない事が起きると、誰かになんとかして欲しいと願う。
ああっ、本当に最低だ。
こんな女、いなくなったほうが世の中のためだ。
何より、ポップのためだ……。
マァムの折れてしまった心に、更にヒビが入っていく。
「あの、マァムさん。まだ、起きていますか?」
不意にマァムの耳に、廊下の方から女の声が聞こえてきた。この声は聞き覚えがある。
「ええ」
マァムはそう応え、躰を起こす。
「良かった。私です。ファリーナです……」
声の主は、マァムの予想通りの人物だった。
「どうしたの? こんな時間に部屋の外に出ているの?」
「はい。これで最後なので、皆さんに挨拶をするようにと、フェンネル看守に言われまして」
ファリーナは明るい声で言うが、無理をしているのが明らかだった。
「最後? どういう事?」
「ええと、いろいろと命令違反などが重なって、その……。処理場に移ることに……」
ファリーナの声は震えている。
そして、次第に嗚咽混じりに変わっていく。
「なっ、何? 処理場って、いったい……」
「私も詳しいことは分かりません。ですが、そこに送られて帰ってこられた人はいませんので、その、きっと、言葉通りのところだと思います……」
「待って! 処理って、その……」
マァムの脳裏に、その処理という言葉が重くのしかかる。
「はい。今度こそ死刑になるのか、それとも赤髪さんのように『名抜き』をされるのかは分かりませんが……。どちらにしろ、もう最後です。こうして、マァムさんとお話できるのは」
「なんで死刑なんかに? それに、『名抜き』というのは、いったい……」
マァムの問に、ファリーナは説明をしてくれた。
「私はいろいろと命令違反をしていたんです。とくに、その、同じ囚人仲間を傷つけるような命令は辛くて出来なかったから……。だから、処理場に移されてしまうんです。
それと、『名抜き』というのは、名前を消滅させることです。その当人の記憶はもちろん、この世界や異なる世界の住人すべての記憶から、その人の記憶を消してしまうことらしいです」
その説明を聞き、マァムは背筋が凍えるように冷たくなった。
あの囚人の赤い髪の少女を、フェンネル達も「赤髪さん」と呼称していたが、あれは嫌がらせなどではなく、純粋にもう彼女という存在が生きた記憶が無くなっていたからなのだと理解したから。
「余程のことがない限りは、処理場送りにはされないとのことでしたが、一つ一つは小さな反抗でも、フェンネルさん達看守はきちんとそれをチェックし続けています。
私のようにそれが積み重なって、そうなる場合もあるみたいですから、マァムさんも気をつけて下さいね」
ファリーナは震え声ながらも、なんとかそう言う。
「ファリーナ……。私、貴女に酷いことをしてしまったのに、どうしてそんなアドバイスをしてくれるの?」
マァムの疑問は当然のものだった。
いくらこの忌まわしい改造のせいとはいえ、自分はファリーナに性行為を強要し、レイプをしたのだ。それなのに、どうして……。
「……私が暑さと疲れで倒れてしまった時に、マァムさんは不思議な力で助けてくれましたよね? それが、すごく嬉しかったんです。
ここに連れてこられてから、あんなふうに優しくしてもらったのは初めてだったので」
ファリーナはそう言うと、
「短い間ですが、お世話になりました。どうか、マァムさんは、私のようにはならないでくださいね。それと、ティナさんとクイナさんにも、マァムさんも好きであんな事をしたわけではないのだから、許してあげて下さいと言っておきましたから。できるだけ仲良くしてくださいね」
「まっ、待って、ファリーナ! それじゃあ、貴女は私に何もしなかったせいで……」
マァムはファリーナに待つように言ったが、彼女はそれ以上は何も言わずに、ただ足音が遠ざかっていった。
「……私のせいだ……。私のせいで、ファリーナが……」
自分が何の問題も起こさなければ、ファリーナが処理場とやらに送られるのはもう少しは先のことだったはずだ。
それに、もしかすると何らかの理由で罪が軽くなり、そんなところにいかないでも済む可能性だってあったはずだ……。
「私のせい……。私が、ファリーナを死に追いやってしまった……」
マァムのヒビの入った心は、完全に壊れた。
「人殺し……。私が、殺したも同然……」
マァムはそれからも、「人殺し」という言葉を繰り返し続けた。
疲労で意識を失うまで、ずっと、ずっと……。