施設の入口に居たはずが、メルルが手をかざしたかと思うと、マァムは白い光に包まれて、気がつくと、街のあの神殿の入口に立っていた。
「……メルル。すごい、すごいわ。回復呪文だけでなく、転移呪文まで使えるようになったのね」
この力は、あのカモミールが使っていたものと同じようだ。
以前の彼女はこんな呪文を使えなかったはずなのに。
「呪文とは少し系統が異なる力なんですがね。ですが、それよりも今はまず、私の部屋に、いえ、私達の部屋に行きましょう。神殿長様も、挨拶は明日になってからでいいと仰って下さいましたので」
「……ええ」
マァムが頷くと、メルルはマァムの右手を優しく握り、嬉しそうに歩き始める。
「お帰りなさいませ」
メルルの姿が見えると、門番らしき年若い――とはいってもマァム達と同じくらいの歳に思えるが――少女二人が、メルルに頭を下げて出迎える。
「ありがとうございます。朝早くに外出をし、ご迷惑をおかけしてしまいまして申し訳ございませんでした」
メルルの丁寧な対応に、二人の門番はニッコリと微笑む。
「お連れの方が、今日からこの神殿にお住まいになられる方ですね」
「はい。マァムさんという方です。どうか、よろしくお願い致します」
メルルの堂に入った挨拶に驚き、挨拶を忘れていたマァムは、慌てて「よろしくお願い致します」と頭を下げる。
「はい。どうかよろしくお願い致します。私達のご紹介は後ほど。まずは、お体をお休め下さい」
そう気遣いをしてもらったマァムは、今までとの生活環境とのあまりの違いに、涙が出そうになってしまった。
「マァムさん、行きましょう」
このままでは、また泣き崩れてしまうことを危惧してくれたのだろう。メルルは優しく微笑んで言うと、静かにマァムの手を引いて、神殿の中を進んでいく。
神殿は大理石で床も壁も出来ているものの、決して華美ではない気品がある。
メルルは数回、マァムの方を振り返って、「大丈夫ですか?」「もう少しで着きますからね」と声をかけてくれた。
「はい。ここが私達の部屋です。相部屋なのは、すみませんが我慢して下さいね」
メルルは明るく言うと、部屋のドアの取っ手に手をかざして、何かを短く唱えた。
すると、カチッという音が鳴り、ドアが勝手に奥に向かって開き始める。
「さぁ、どうぞ」
メルルは先には入らず、部屋に入るように促す。
マァムは驚きながらも、言われるままに部屋に足を踏み入れた。
予想よりもずっと広い部屋だった。
あまり思い出したくもないが、自分が今朝まで監禁されていた部屋が三つは入りそうだ。
大理石の白の壁は明るく、奥にはベッドが二つ並んでいる他、簡易的な台所まである。
床には絨毯が敷かれ、テーブルと椅子が三脚用意されていた。
「奥の左手がシャワー室で、右側が洗面所とお手洗いです」
「すごい……。各部屋に、シャワーがついているなんて……」
「ふふっ。早速使ってみませんか? その間に朝食をご用意しておきますので。そして、それを食べたら、少し眠られたほうがいいと思いますよ」
メルルの気遣いに、マァムは涙をこぼし、深々と頭を下げた。
「……ありがとう。私を助けてくれて……。ありがとう、本当に……」
感謝の言葉を繰り返すマァムを、メルルは優しく抱きしめた。
「大丈夫です。もう怖いことは何もありませんから」
メルルはそう言って優しくマァムの頭を撫でると、シャワー室までわざわざ案内をしてくれ、シャワーの使い方も教えてくれた。
そして、朝食の準備をするために居間に戻るメルルを見送り、マァムはシャワーを浴びることにする。
「あっ、温かい……」
冷水のシャワーを、しかも短時間しか浴びていなかったマァムは、感動してまた泣き出してしまう。
そして、マァムは泣きながら、幸せを噛みしめるようにシャワーを浴びる。
久しぶりに、本当に久しぶりに、人心地つくことが出来た。
メルルが用意してくれていたバスタオルで体を拭き、同じ様に用意してくれていた下着と寝間着に着替える。
サイズもぴったりで、着心地もよく動きやすい。
「あっ、ちょうどよかったです。今、朝食ができたところですよ」
シャワーを浴びて居間に戻ると、メルルが温かな食事を用意してくれていた。
野菜がたっぷりはいったスープとパン。それに腸詰めと目玉焼き。
特段、珍しい料理ではないものの、味気ない、食事とも言えない丸薬のようなものと水だけに比べれば、この上ないご馳走だ。きっととても美味しく感じられるだろう。
しかし、マァムのその予想は裏切られる。いい方向に。
「さぁ、頂きましょう」
メルルが食事前の祈りを捧げていたので、マァムもそれに倣った。
そして、待望の食事を口に運ぶ。
まずは、スープから……。
「…………」
言葉が出なかった。ただ、ただ、涙が出てくる。先程から、涙腺が壊れてしまったかのように泣きっぱなしだ。
そう思いながらも、マァムは涙を堪えられない。
「美味しい……。すごく美味しいわ、メルル」
想像していたよりもずっと、メルルの作ってくれた朝食は美味しかった。
久しぶりに人間らしい食事が出来たからだけではない。
優しくて心がホッとする、けれどしっかりと味わい深い素晴らしいスープだった。
「美味しい。このパンも、腸詰めも、目玉焼きも……」
マァムは泣きながら朝食を堪能する。
メルルはそんな彼女に微笑み向けて、自分も朝食を口に運ぶ。
やがて至福の食事時間が終わると、メルルが食器を洗い始めたので、マァムもそれを手伝おうとした。
だが、「マァムさんは、少し休んでいて下さい、すぐに終わりますから」と言われてしまい、手持ち無沙汰にテーブルの椅子に座り、メルルが食器を洗うのを見ていた。
だが、メルルの食器洗いのあまりの手際の良さに、マァムは驚いた。
彼女の言葉通り、食器洗いはあっという間に終わった。
けれど、決して手を抜いているわけではない。どの食器もナイフとフォークもピカピカだ。
それに、使用した洗剤と水も僅かだった。
「すごい……」
思わず、マァムの口から感嘆の言葉が漏れる。
メルルが家事的なことが得意なのは知っていたが、以前はこれほどのレベルではなかったはずだ。それなのに……。
「マァムさん。これを一つ飲んで下さい」
メルルは後始末を済ませて手を洗うと、小さな袋から何かの種子のようなものを取り出すと、マァムの前に差し出した。
「これは?」
「以前、ダイさんに渡した、夢見の実のようなものです。ぐっすりと安眠して疲労を回復させる効果と、気持ちを落ち着かせる効果があります」
メルルの説明を聞いて、マァムはそれを受け取って、静かに口に運んで飲み込む。
「……あっ……」
不意に、マァムに眠気が襲ってくる。
「よほど、疲れが溜まっているんですね。このまま、ベッドに行きましょう」
メルルはそう言うと、肩を貸してくれ、マァムを優しくベッドまで運んでくる。
筋肉質で見た目よりは重量があるはずの自分を支えているはずなのに、メルルはしっかりとした足取りだった。
「……メルル。その、私……」
ベッドに横になったマァムは、このまま眠りに落ちたい欲求を持ちながらも、恐怖に身を震わせる。
もしも目を覚ましたら、またあの石の部屋に監禁されているのではという不安が拭えないのだ。
メルルはにっこり微笑み、全てを理解したかのようにマァムの左手を両手で優しく握った。
「大丈夫ですよ。私がついていますから……」
メルルの優しく、けれど力強いその言葉に安心感を覚え、マァムは自らの睡眠欲求に身を委ねた。
分からないことがいっぱいだ。
けれど、今は躰を休めよう。
マァムはそう思うとすぐに、深い眠りに落ちるのだった。