おかしい。
明らかに、マァムとメルルの様子がおかしい。
寝間着からいつもの服に着替えたポップは、まだ夢を見ているのではと思い頬をつねってみたが、予想通りただ痛いだけだった。
……そう、痛かった。痛かったのだ。
それは、これが現実である証拠。
それなのに……。
「はい、ポップ。しっかり食べてね」
この宿の一階は食堂になっている。そのためポップは、マァムとメルルが先に確保しておいてくれたテーブルに向かったのだが、席につくなり、マァムが笑顔で大皿のグラタンを小皿に取り分けてくれた。
「あっ、ああ。サンキュー……」
あまりにも予想外のことをしてくれたので、ポップは驚き、感情のこもらない礼を口にする。
だが、そんな礼の言葉にも、マァムは微笑んだ。
柔らかく、心から嬉しそうに。
それなりの期間、一緒に旅を続けているつもりだが、こんな笑顔は向けられたことがない。見たこともない。
以前、ヒュンケルとの戦いの際見せた温かな笑顔とも違う。
本当に、ただただ嬉しくて仕方がないといった微笑み。年頃の女の子の笑みだった。
(こんな風に、笑えるんだ……)
出会って間もない時に、アバン先生のことを語っていたときに見せた、女の子らしい一面。
思えば、あの時に自分はマァムに惚れてしまったのだろう。
でも、今の微笑みは、その時以上にポップの心を捉えた。
「ふふっ。嬉しそうですね、ポップさん」
「えっ、あっ、その……」
マァムの隣の席に座るメルルに図星を突かれて、ポップは返答に困る。
けれど、そんな情けない自分に対して、メルルも嬉しそうに微笑んでいる。
そこには、暗い感情は一切見えない。
三人で旅をしているあいだ、時折見せていた、無理をして笑っている様子がないのだ。
「はい、ポップさん。パンも焼きたてですよ。しっかり食べて、今日も頑張りましょう」
そう言ってメルルがポップの前に差し出してくれたパンは、食べやすいように半分ずつにカットされ、ジャムが塗られている。彼女が気を利かせてくれたのだろう。
「はい、メルル」
「ありがとうございます。マァムさんも、パンをどうぞ」
ポップに取り分けた後、マァムとメルルは互いの食事を配膳し合い、微笑みを交わす。
距離感が近いとでも言えば良いのだろうか?
昨日よりも、明らかに二人は仲が良さそうに見える。
更に飲み物――ミルクのようだ――もマァムがみんなに配ってくれて、食事が始まる。
ちなみに、何故か飲み物も、いの一番に嬉しそうにポップに手渡してくれた。
「おっ、美味い」
熱々のグラタンを頬張ると、チーズと肉とじゃがいもの味が口いっぱいに広がる。ポップは嬉しくなって、二口目を頬張り、はふはふと口内で冷まして味を楽しむ。
「ええ。美味しいわね」
マァムは柔らかく微笑むと、フォークでじゃがいもを刺したもの口の近くに運び、ふうっ、ふうっと優しく息を吹きかけてから、それを口に運ぶ。
マアムのその一連の動作に、ポップはまた目を奪われる。
(なんで、飯を食ってているのを見ているだけなのに、目を奪われるんだ、俺は……)
このままマァムに見惚れていたら怒られそうだ。そう心のうちで思い、ポップは視線をメルルに向ける。
だが、そちらも……。
「本当に美味しいですね。トロリとしたチーズが、とても濃厚で……」
メルルはグラタンの熱さに頬を紅潮させながら、嬉しそうに料理を味わっていた。だが、ポップの視線に気がつくと、彼に無言で笑みを返してくる。
それは、昨日まで彼女が浮かべていた笑顔とは系統が違う笑み。
温かい笑みではあるのだが、どこか蠱惑的な、色気のある笑みだ。
マァムとメルルが朝食を咀嚼するのを見ているだけなのに、ポップはまるで見てはいけないものを見てしまっているかのような罪悪感と高揚感を覚え、かぁーと頬が熱くなってきてしまう。
(でも、その……色っぽいだけではなくて、二人共、すごく綺麗に食べるんだよな……)
メルルはもともとゆっくり丁寧に食べる方だったが、それがより洗練されている様に思える。
マァムも食べ方になんの問題もなかったが、今は昨日まで以上に品がある。
駄目だ。
二人を見ているだけで、胸がドキドキしてしまう。
その一挙一動が艶っぽくて、たまらない。
「ポップ。あまり食事が進んでいないようだけれど、大丈夫?」
マァムが心配そうにこちらを見てくる。
それは決して言葉だけの心配ではなくて……。潤んだ瞳を向けてきていて……。
「だっ、大丈夫だよ!」
ポップは慌てて自分の食事を再開する。
「ポップさん。疲れが溜まっているのではないでしょうか? ここのところ、強行軍でしたから」
「そうね。この村にたどり着くまでは、ルーラで戻ることもできずに野宿が続いていたもの……」
メルルとマァムは心配そうに言う。
「だから、大丈夫だって。……一日も早く、ダイの手がかりを見つけないと行けねえんだ。休んでいる場合じゃあねぇさ」
そう自分に言い聞かせるように言い、ポップはパンを口に運ぶ。丁度いいサイズに切られたそれは、とても食べやすかった。
「……そうね。でも、たまには休むことも必要ではないかしら。貴方の代わりはいないのよ、ポップ」
「マァムさんの仰るとおりです。ポップさん、今日は程々のところで探索を切り上げて、明日は久しぶりにお休みにしませんか? ずっと気を張ってばかりでは、体が持ちませんよ」
マァムとメルルはそんな提案をしてくる。
提案ではあるものの、マァムとメルルの表情は真剣そのもので、譲る気はなさそうに思えた。
「あっ、ああ。確かに全然休みらしい休みを取っていなかったよな。その、すまねぇ。二人だって疲れが溜まっているよな」
ダイを見つけ出そうという気持ちが大きすぎて、マァムとメルルの体調を慮るのを疎かにしてしまっていたことに気が付き、ポップは二人に頭を下げる。
「私は大丈夫よ。でも、休めるうちにしっかりと休んでおきましょう、ポップ」
マァムの笑顔は、やはり優しくて可愛らしい。
見ているだけで、ドキドキとしてしまう。
「私も鍛えられましたので大丈夫です。ですが、体力だけでなく魔法力も酷使されているポップさんには、休息と癒やしが必要だと思います。今晩と明日は、心も体も癒やして頂けるように、頑張りますね」
「えっ……」
メルルが頬をほんのり赤らめながら艶やかに微笑むので、ポップは思春期の男の子らしく、つい色っぽいことを想像してしまう。
「ええ、そうね。いつも頑張ってくれているものね。私もこんな時くらいはしっかり休んで、癒やされてもらいたいわ。……ふふっ、ポップ。楽しみにしていてね」
てっきり怒ると思ったマァムまで、メルルに同意して恥ずかしそうに微笑む。
良からぬ妄想をして鼻の下を伸ばしていたポップだったが、予想外の反応に戸惑うしかない。
「さぁ、ポップ。しっかり食べて探索をしましょう。メルル、貴女は諸々の手配をお願いしてもいいかしら?」
「もう、マァムさん。駄目ですよ、そんな大事なことを勝手に決めては……」
「あっ、そっ、そうよね」
マァムは申し訳無さそうな顔をポップに向けて、静かに頭を下げた。
「ごめんなさい、ポップ。貴方の意見を聞かないで。その、今日の手がかりの探索は貴方と私の二人で行うことにしたらどうかと思うの。その間に、メルルには今日の宿なんかを確保しておいて貰ったらいいと思うのだけれど……。駄目かしら?」
「あっ、ああ。いいんじゃあないか。ただ、それならどこの宿に泊まるかを決めて、先にルーラで送っていくぜ」
マァムのお願いしてくる声が愛らしくて、つい頷いてしまったポップ。
もっとも、特段そのことに不満はないし、一番体力のないメルルを休ませる事自体には、賛同こそすれ反対する理由はなにもない。
そもそも、今までであれば、マァム達がこうすると決めたのならば、事後報告だけだったはずだ。
やはり、今日のマァムとメルルはおかしい。
けれど、決して嫌な気持ちはしない。
むしろ、普段以上に二人が魅力的に見えてしまい、どうして良いのか戸惑ってしまう。
「ポップさんもよろしいのでしたら、温泉のある宿屋はどうでしょうか? 疲れも癒やされるはずですし」
「おっ、温泉?」
温泉と聞き、ポップはついマァムとメルルの入浴姿を妄想してしまったが、慌てて頭を振ってそれを振り払う。
どうせ、そんなところを見る機会などあるはずがないのだ。
「あっ、いいわね。ポップ、どうかしら?」
「あっ、その、おっ、俺もそれでいいぜ」
何とかそう答えると、メルルとマァムは微笑む。
特にメルルは、口元に手をあてて上品に微笑んだ後、
「期待を、していてくださいね」
と蠱惑的な笑みをし、ポップの心臓の鼓動を早めるのだった。