違和感を感じて、赤紫の髪の少女――新戸緋沙子は目を覚ます。
何故、自分はこんな時間に眠っていたのだろう? 先程まで、えりな様と同じ車に乗り、今日の味見役としての現場の話をしていたはずなのに。
それに何より……。
「何故、私は裸なんだ? それに、この大理石でできた床は?」
十六歳という思春期の少女が、裸で寝かされていることに羞恥を感じないはずはない。だが、自分のことなどよりも、緋沙子は自らが仕える薙切えりなの安否を確認するための行動に出る。
緋沙子は若々しくハリがある形の良い乳房も、女の一番大事な部分が隠されている秘部も、キュッとしまった形の良いおしりも隠そうとはせずに立ち上がる。
そう。恥ずかしがっている暇などない。えりな様だ。えりな様の無事をまずは確認しなければ。
ギリシャか何かの神殿を彷彿とさせる建物のようだが、日本にこのような場所があるとは思えない。映画のセットのような作り物らしき雰囲気がまるでないので、緋沙子はここが異国であると判断した。
(となると、私とえりな様は誘拐されてしまったのか? けれど、いくら思い出そうとしても、トラブルに巻き込まれた記憶も、意識を失った記憶もない)
緋沙子はそこまで考えたが、とりあえず現状の把握が第一だと考え、この場所を散策しようとする。だが、そこで、誰かがこちらに向かって歩いてくる音が聞こえた。
緋沙子は一糸まとわぬ姿で構えをとる。
えりなの護衛も緋沙子の仕事のうちだ。それなりの戦闘術は心得ているのだ。
足音が、えりなのものでないことははっきり分かるので、緋沙子は奥の方から歩いてくる人物を迎え撃とうとする。だが、不意に足音が止まった。そして……。
「新戸緋沙子さんですね」
不意に背中から声を掛けられ、緋沙子は正面に跳ぶのと同時に空中で体をねじらせて背後を確認する。
するとそこには、奇怪な格好をした、水色の髪の若い女性が立っていた。
「貴様、何者だ! 私とえりな様を誘拐したのは、お前の差し金か!」
着地するのと同時に、緋沙子は声の限りに叫ぶ。状況が分からない以上、周りは全て敵だと判断して行動しなければならない。
「ええ。私の名はルシリス。光の女神と呼ばれております」
「……女神、だと?」
緋沙子は訳の分からないことを口走る女に、警戒を強める。
「えりな様を何処にやった! 貴様は何が目的で、えりな様に危害を加えようとする!」
「……何も覚えていないのですね。それならば、答えましょう。私の目的は、貴女と薙切えりなを調教し直すことです」
「調教だと!」
このルシリスと名乗った女が何を言っているのか分からない。だが、自分だけでなくえりな様に危害を加えるというのであれば、緋沙子は黙っていられない。
「調教で、その歪んだ性根や魂がどうにかなるかはわかりませんがね。初めてです。すぐにでも『名抜き』をしたいと思った豚達は」
「豚だと? それは、私だけではなく、えりな様に向かっていっているのか、貴様は!」
やはりルシリスの言っていることは分からないが、敬愛する主人を侮辱され、緋沙子はルシリスに攻撃を仕掛けようとする。
だが、緋沙子の繰り出した右の掌がルシリスに触れようとした瞬間、彼女は腕に凄まじい激痛を感じ、その場にうずくまってしまう。
「くっ、あああっ……」
右腕の感覚がおかしい。いや、もう動かずにだらんと肩の部分から垂れ下がる。痛みを堪えて泣き叫ぶのを堪えることしか緋沙子には出来ない。
「なるほど。右腕の骨を粉々にしても、声を上げないのは大したものですね。ですが、貴女は忠義を向ける相手をそもそも間違えています。故に、そのような行為は、私の怒りを増すだけと知りなさい!」
「なっ!」
ルシリスは何もしていないのに、緋沙子の躰は勝手に宙に浮かび上がっていく。そして、ある程度の高さに達したところで、停止する。
そして、頭を下に向けられたかと思うと、不意にそこから大理石の床めがけて叩き落された。
「がっ!」
緋沙子は受け身を取ろうとしたが、右腕がまったく使えなくなっていたことで体のバランスが崩れ、頭部からの激突こそ逃れたものの、背中を硬い床に痛打してしまった。
あまりの衝撃に、緋沙子の口から赤い液体が吐き出された。
「あっ、ああっ……」
背中が痛い。そして、生暖かい液体が背中から漏れ出ていく。
手も足も動かない。そこで、緋沙子は自分が致命傷を負ってしまったということを悟る。
「……えり…な……様……」
緋沙子は最後の力で、大切な主君の名前を呼ぶ。けれど、そんな彼女の行動など目に入らないのか、ルシリスは冷ややかな目で緋沙子を見る。
「あっ、ああ……」
再び緋沙子の躰は宙に浮かび上がっていく。
「まさか、これで終わりだとでも思っているのですか? 貴女の犯した愚行の数々が、この程度の痛みで雪がれるとでも?」
「あっ、うっ……」
緋沙子はもう何も喋れない。
しかし、そんな彼女の躰が、もう一度硬い床に叩き付けられる。
再び、緋沙子は血反吐を吐き、苦しみにのたうち回ることとなった。
「……緋沙子……。緋沙子!」
しかしそこで、思わぬ声が緋沙子の耳に届いた。
それは、聞き慣れた少女の声。自分が心から仕えるただ一人の主の声。
「……えり……な…さ……ま……」
もう霞んできた目でも、その姿ははっきり分かる。えりな様だ。
自分と同じ様に一糸まとわぬ姿にされているようだが、無事のようだ。
「ようやく目覚めたのですか、薙切えりなさん」
ルシリスはそう言うと、敬愛する自分の大切な主にも何かをしたようで、えりなの躰が宙に浮かび上がり始める。
「なっ、なんなの、これは!」
これから起こることを理解していないのだろう。えりなは不安げな顔で、こちらを見てくる。
その目が語っている。助けてと叫んでいる。
「やっ、止めろ……」
緋沙子は何とか声を絞り出すが、ルシリスの耳には入っていないのか、彼女は冷たい目をえりなに向けるのみだ。
「やっ、止め……ろ……。止…め……て……」
懸命に声を上げようとしても、うめき声のようなものにしかならない。
「新戸緋沙子さんは、最大限譲歩して、口をきくことくらいは許容できましたが、貴女はそれにも値しない。死ねない中で、徹底的に痛めつけてあげましょう」
「いやっ! なんなの、これは! 助けて、助けて、緋沙子!」
えりなは助けを求める。もう、命の火が消えそうになっている緋沙子に。
「やっ、止め……」
緋沙子は最後の力を使ってそこまで声を出したが、無意味だった。
そして、緋沙子の地獄は始まった。
何度も何度も、目の前で大切な人が、守るべき人が空中に浮かび上がらされては地面に叩きつけられるのを見せつけられ続けたのだ。
それは、えりなが動かなくなってからも、何度も何度も。美しい金色の髪と白い肌が、赤黒い血に染まっても、何度も何度も。
緋沙子は、その凄惨な光景をこれ以上見たくなかった。死んでしまいたかった。
けれど、いくら待っても死は訪れない。ただ、激しい躰の痛みと、えりなが痛めつけられる心の痛みを味わい続けさせられた。
「……私としたことが、少々取り乱してしまいましたね」
何十回とえりなの躰を床に叩きつけた後に、ルシリスは穏やかに微笑んだ。
だが、もう文句を言う力もない。声も出ない。涙も枯れ果てていた。
「新戸緋沙子さん。貴女はE-。そして当然、薙切えりなさんも、E-とします。もしもこれよりも下のランクがあるのであれば、薙切えりなさんはZ評価にしたいのですが、仕方がありません」
ルシリスはそう言うと、緋沙子とえりなに背中を向けた。
すると、ようやく緋沙子は意識が遠のいていくのが分かった。
(ああ、やっと死ねるんだ……。えりな様となら、それも……)
緋沙子は意識が混濁する中で、最後にそう思った。
けれど、それは甘すぎる考えだった。
緋沙子の、そしてえりなの本当の地獄が始まるのは、ここからなのだから。