最悪の目覚めだった。
カビ臭い石の床の上で眠ったのだ。目覚めがいいはずもない。
その上、寝間着どころか下着の一つもない全裸で。
シャワーも浴びられなかったから、躰も髪もすっかり汚れてしまった。
薙切えりなは、忌々しそうに美しく金髪を手で梳く。
格子戸から入ってくる明かりと空気の感じから、今はおそらく早朝だとえりなは判断する。
「それにしても、この私に対してこんな扱いをするとなると、これは恨みによる犯行なのかしら?」
えりなは今回、自分と緋沙子を誘拐した犯人の事を考える。
「記憶の中で、私は酷く痛めつけられたはず……。でも、今はどこも外傷はない。親切に緋沙子のことまで教えてくれた赤髪さんには悪いですけれど、あれが現実とは思えない。すると、集団催眠のようなもの? いえ、その前に、私はそもそもいつ誘拐をされたの? その時のことを思い出すのが先ね」
仮眠を取ったことで、頭が少しは働くようになっている。
えりなは、いつから自分の記憶が抜けてしまっているのかを思い出す。
「……確か、緋沙子と一緒にいつものように……」
味見役としての仕事を昨日もこなしていたはずだ。そして、たしか三件目の店まで行ったことは覚えている。
もっとも、あまりにもまずい料理を出したということ以外、その店も料理人の顔も覚えていないが。
「そして、次の店に向かう途中で……。途中で……」
そう。車で移動していた。そこまでは覚えている。けれど……。
「どうして、それからの記憶がないの? どうやって私はここにつれてこられたのかまるで思い出せない」
車で移動している間に何かが起こったのだろうが、その時のことをまるで思い出せない。
「まさか、本当に催眠術か何かで……」
あまりにも綺麗にそれ以降の記憶がない。取っ掛かりもない。緋沙子と談笑していたことも、その内容も覚えているのに、それ以降の事が欠片も思い出せない。
「緋沙子と話ができたらいいのだけれど……」
この建物内にいるということは分かっているが、自分のいる場所も分からない今、その行方を知る方法はない。
「赤髪さんも、部屋までは知らないと言っていましたし」
昨日、赤髪さんがこの部屋を出ていく際に、自分を出して欲しいと彼女に懇願したが、彼女は「皆さんの迷惑になりますから、ごめんなさい」と謝り、首を立てには振らなかった。
それは仕方のないことだ。赤髪さんにも赤髪さんの立場がある。それに、夜は看守がいないとのことなので、『目的』が果たせない事が分かったので、えりなもそれ以上の無理は言わなかった。
「あの赤髪さんの後に、今回の首謀者か、あのルシリスとか言う女がやってくるのではと思っていたのだけれど……」
えりながそんな事を考えていると、どこからか、コツン、コツンと靴で床を踏む足音が聞こえてきた。
そして、時を置かずして、耳をつんざく鐘の音が響き渡る。
「起床! 起床だ!」
鐘の音が終わると、女の声にしては低めの声が聞こえてきた。
それを確認し、えりなは不安な気持ちに蓋をして自分の部屋の扉が開かれるのを待つのだった。
△
けたたましい音と声に、新戸緋沙子は飛び起きた。
主人であるえりなのことを思うと眠れそうになかったが、それでも今後のためだと自分に言い聞かせ、眠りについた矢先の出来事だった。
昨日、クイナという小柄な少女がこの部屋にやってきて、このふざけた牢獄とやらの説明をしてくれ、服とは名ばかりの袋を一枚と紐を置いていった。
その際に聞き出した話で、この建物にえりな様も囚われていることを知り、緋沙子は安心するのと同時に、敬愛するえりなの事が心配でならなかったので、なかなか眠りにつけなかったのだ。
「これが、起床の合図か? 耳障りのもほどがある。……だが、これで……」
自分はあのルシリスとか言う女に、ボロボロにされ死んだはずだ。それなのに、こうして傷一つない状態で生きているのは何故なのだろう?
あれは夢だったとでもいうのだろか?
だが、それにしてはあまりにもあの時のことを鮮明に思い出せてしまう。
あのときの痛みを、悔しさを……。
「とにかく、今はえりな様のご無事な姿をこの目で確認しなければ」
そう。緋沙子が、主を守れなかった不甲斐無い自らをの命を絶たなかったのは、えりなが生きている情報が手に入ったからだ。
今度こそ、今度こそ、えりな様を守らねば。
緋沙子は自らを鼓舞し、部屋の扉が開かれるのを待つ。
ようやく部屋の扉が開かれ、女の声で『出ろ』と命じられる。けれど、そう命じてきた白い露出の少ない服を身に着けた女は、緋沙子が出ていくのを待つことなく、小走りで廊下に戻っていく。
廊下が騒がしい。
緋沙子は床に敷いていた袋を頭から被り、紐を手に持って廊下に向かって走る。
「あっ、ああ……」
外に出た緋沙子の目に真っ先に飛び込んできたのは、一糸まとわぬ状態でも、美しく気高い。自分の使える主人の姿だった。
冷たい氷のような瞳で、神官服を纏った女達を睨みつけるえりなの姿に、無事なその姿に緋沙子は涙を浮かべるが、すぐにそれを手で拭う。
感激している場合ではない。えりな様が無事であるのならば、あの方のお側こそ自分がいるべき場所だ。
「えりな様!」
緋沙子が駆け寄って名を呼ぶと、えりなはわずかに振り返り笑みを浮かべて再び前を向く。
「聞こえないのですか? 貴女たちの中で、一番偉い人間を私の前につれてきなさいと私は言っているのです!」
そして、えりなは凛とした声で、女達にそう言い放ったのだった。