薙切えりなは自分が閉じ込められていた部屋の鍵が開くと、悠然と部屋を出て、鍵を開けたショートヘアで小柄な青髪の少女に言った。
「貴女たちの中で、一番偉い人間を私の前につれてきなさい」
その言葉に、青髪の女は目を大きく見開き、驚く。
「しっ、私語は……きっ、禁止……」
「貴女達の都合や決まり事など知りません! この薙切えりなが話があると言っているのです。いいから、早くなさい!」
えりなには恐れも何もなかった。
ただ当たり前のように、青髪の少女に命令をする。
「しっ、静かにしなさい!」
青髪の少女は、その声と同時にえりなに平手打ちを放つが、それはえりなに当たる寸前で、ピタリと止まる。
「どうしたのです? 叩きたいのなら、どうぞ。ただ、そんな事をして後から後悔しても責任は持ちませんが」
えりなの言葉に、青髪の少女は腕を引っ込めて、後退りを始める。
彼女は理解したようだ。自分が誰に向かって不敬な事をしようとしているのかを。
「どうしたんですかぁ、ローリエさん?」
緑色の髪の少女が、ローリエと呼んだ青髪の少女に駆け寄ってくる。
「あっ、フェンネル先輩……。いえ、その、この囚人が……」
ローリエは不安げな顔で、緑色の髪の少女に視線で助けを求める。
(ローリエ? フェンネル? 偽名にしても安直な)
どちらも香辛料の名前だ。えりなはそのネーミングセンスに内心で呆れる。
「う~ん、やっぱり私が部屋の扉を開けるべきでしたね。今日が初めてのローリエさんに自信をつけてもらいたかったのですが、逆効果でしたね。すみません」
フェンネルと呼ばれた少女は、困ったように頬を掻く。
けれど、えりなはそれが気に入らない。
自分という存在が言葉を発しているにも関わらず、それを無視することなど許されるわけがないのだから。
「フェンネルさんとおっしゃるのかしら? そこの貴女。貴女に命じます。今すぐ私の前に、貴女達の責任者を連れてきなさい。この薙切えりなが話があると言っているのですから」
冷たい目でえりなはフェンネルに命令をする。
「……えっ? もしかして、私に言っているんですか、薙切えりなさん?」
フェンネルはわざとらしく横をキョロキョロと見てから、自分を指差して大げさに驚く。
なんとも人を馬鹿にしたその態度が、えりなをイラつかせる。
この女は、私という人間の高貴さが、身分の違いが分かっていないのだろう。
私を叩こうとして手を止めた、あのローリエと呼ばれている女はまだ見込みがあるが、こういった物の価値がわからない愚か者に何を言っても無駄だということは、あの忌々しい男と出会って理解している。
「馬鹿と話しても無駄のようね。ローリエさん。貴女で構わないわ。先程私が言ったことを、すぐに遂行なさい」
えりながわざわざもう一度直々に声をかけても、ローリエはオロオロするだけで行動に移らない。
「どうしたの、ローリエ?」
「どうしたのです、フェンネル」
白い服を纏った他の女達が、更に二人、えりなの前にやってきた。
二人共、やはり少女と言って差し支えがない年齢だ。
一体、何が目的でこんな年若いものばかりが看守をしているのかわからない。
廊下をざっと見ただけでも、明らかに収容されている少女たちのほうが数が多い。彼女たちが反抗を起こせば、またたく間に立場は逆転しそうだ。
ここに収容されているのも、みんな年若い少女ばかりのようだが、多少の力の差異はあっても、人数が多いほうが有利なのは明らかだ。
一体、何の目的でこんな馬鹿げた牢獄ごっこをしているのか、えりなには見当がつかない。
けれど、このようなずさんな組織であれば、交渉は容易いだろう。
えりなは遠月学園総帥である、薙切仙左衛門の孫娘である。
それだけに留まらず、彼女自身も『遠月十傑評議会』に名を連ねる存在だ。故に、強大な遠月のコネクションを利用できる立場にあるのだ。
今回の事件の首謀者の力の規模も、要求が何なのかは分からないが、身代金目的であれば、金はいくらでも用意することができるし、その力を集結すれば、自国はもちろん、他国の軍隊だって動かすことができる。
いわば、一つのちっぽけな組織が、全世界に喧嘩を売っているのに等しい愚行。
だから、えりなは、何度も、早く今回の誘拐の首謀者を呼んでこいと言っている。
今ならば、自分と緋沙子、そしてあの赤髪さんや囚人にされている少女たちを無事に開放するのであれば、情けをかけてもいいと、慈悲のつもりで提案しているのだ。
「えりな様!」
背後から駆け寄ってくる足音と、声を聞き、えりなは緋沙子も無事を確認する。
そして、もう一度、愚かな看守もどきに言ってやる。
「聞こえないのですか? 貴女たちの中で、一番偉い人間を私の前につれてきなさいと私は言っているのです!」
そう、凛とした声で。
「……え~と、貴女の世界の賢人のお言葉ですが、『無知の知』でしたっけ? 自分が無知であるということを知っていることよりも、知らないということを知らない人間の方が罪深いという意味ですよね? まぁ、細かくは諸説あるようですが……」
フェンネルは嘆息し、不意に、哲学の父とも呼ばれるソクラテスの言葉を引用してきた。
「それが、どうしたというのです?」
えりなには、フェンネルが何故そんな言葉を持ち出したのか分からない。
「あっ、あの……」
それは、えりなとフェンネルを交互に見つめ続けながらオロオロするローリエも同じようで、フェンネルにまた目で訴える。
「ああ、そんなに難しい話ではありませんよ、ローリエさん」
フェンネルは優しくローリエの頭を撫でる。
「今、そこで素っ裸で偉そうにしている女のように、自分が何も知らない馬鹿であることを理解していない真の馬鹿より、自分には知らないことがあると理解している私や貴女の方が、よりよく生きていけるということですよ」
穏やかな声で説明し、フェンネルは顔を上げ、えりなに顔を向けてにっこり微笑んでくる。
「貴様、えりな様に向かって、何という口を聞いている!」
えりなの後ろに立っている緋沙子が文句を口にしたが、えりなは静かに彼女の前に手をやる仕草をして、それを止める。
「フェンネルさん。貴女の暴言は聞かなかったことにしてあげましょう。ですが、譲歩はこれが最後です。今すぐ、私の言うことを聞きなさい」
えりなは最後通牒を出す。
これ以上は本当に容赦しない。徹底的に叩き潰す。
「さてさて。それでは、新人の前で、頼りになる先輩らしいことを……」
「だっ、駄目です! あの囚人は、私の担当です! わっ、私が懲らしめます!」
不敵な笑みを浮かべたフェンネルが、えりなの前に歩み出ようとしたのを、ローリエが懸命に止める。
「そっ、そこの囚人! 薙切えりな! あっ、貴女はいくつもの違反を侵しました。もう、謝っても許しません。わっ、私の愛のムチを、うっ、受けなさい!」
ローリエはそう言って、泣き出しそうな顔でえりなを正面に見据える。
「ですから、叩きたいのならどうぞ。ですが、貴女はその行動を必ず後悔するでしょうけれど」
えりなはローリエに冷ややかな目を向ける。
どうせまたこの少女は物怖じする。高貴な存在に手を上げるという愚を感じて。
そう、えりなは確信していた。
「ええ。いいですよ、ローリエさん。許可します」
そんなフェンネルの声が聞こえた瞬間の出来事だった。
腹部に強烈な衝撃を受けて、えりなの躰が水平に吹っ飛んだのは。そして、凄まじい衝撃が背後からも襲ってくる。
「がっ! あっ……」
廊下の奥の行き止まりの壁までは十メートル以上あったが、えりなはそこに激突し、全身から血を流し、更には吐血までして動かなくなる。
「……あっ、ああ……。えりな様ぁぁぁぁっ!」
緋沙子が、壁にめり込んだまま動かない主人の名前を絶叫したが、意識が途絶えてしまったえりなの耳には、その言葉は届かなかった。