薙切えりなは、目の前で始まったやり取りに驚いていたが、やがて冷静さを取り戻すのと同時に、怒りを顕にする。
「ローリエさん。茶番はそこまでにして下さい。そして、私の先程の質問に答えて頂けないかしら?」
口調こそ丁寧だが、えりなの表情には明らかな不快感が顕になっている。
「あっ、そうでした。ええと、その、じゅねーぶ条約? というものは私の不勉強で知りませんけれど、そもそもこの場所は、貴女達の世界とは違うところにありますので、それは適応されないはずです」
「違う世界? 何を仰っているのか分からないのですが?」
えりなはふざけたことを言うローリエに冷たい視線を送る。
「ですから、ここは女神ルシリス様が創造なされた世界の一つなんです! 貴女達は、魂を……」
「ストップです、ローリエさん。それ以上のことは話してはいけませんよ」
老婆を抑えながらも、緑髪の少女フェンネルがローリエに待ったをかける。
「あっ、そうでした。すみません、フェンネル先輩!」
ローリエは立ち上がり、フェンネルに頭を下げる。
その行動が、自分を無視した行動が、えりなの機嫌を更に悪くする。
「もう、うっかりさんですよ、ローリエさん。まぁ、あまりにも頭の悪い雌豚達で苦労されているのは分かりますから、今回は不問にしてあげます。ですが、今後は気をつけないと駄目ですよ」
「はい! ありがとうございます! 以後は気をつけます!」
ローリエの目にはやはり、えりなの姿が写っていない。そして、この高貴な自分と緋沙子の事を何度も『雌豚』扱いをするなど、許されることではない。
「ローリエさん。ふざけたことを言うのは止めて、貴女達の目的を明らかにしなさい。身代金が目的であるのならば、お金はいくらでもご用意できます。私が直接おじい様にお願いすれば、ですが。
ですので、貴女達にとって私と私の親友である緋沙子は大切な人質のはずです。故に、境遇の改善を希望しますわ。そうでなければ、私は貴女達に協力は致しません」
「あっ、あの、私の話を聞いていましたか? ですから、貴女達は『矯正調教プログラム』を受けるんですよ。それが私達の目的であり全てです。身代金なんて言うものには興味がありません。
私達の使命は、分をわきまえずに男性に迷惑を掛けるクズ女、つまりは雌豚を調教し更生させることだけです。いい加減理解して下さい!」
ローリエの語気も少し荒くなる。彼女も腹を立てているようだ。
だが、えりなの怒りはその程度のものではない。
「そちらこそいい加減に真実を明らかになさい! この男女平等が当たり前の世の中で、そんな昔の男尊女卑の考えがまかり通るとでも思っているのですか?」
「だから、ここは貴女の住んでいた世界とは異なるんですよ。それに、私は男女平等も悪いことだとは思っていません。しっかりと男性を立てて、敬い、その力をいかんなく発揮して頂けるように尽くす事ができる女性には、それなりの権利があってもいいと思います。
ですが、これはそういった気遣いを、女の義務を果たすことのできる『人間』に対して与えられる権利です。何の義務も果たさずに、権利だけを主張する『雌豚』は例外に決まっているじゃあありませんか」
ローリエは当たり前のことのように断言する。
おかしい。やはりこの連中は狂っている。
えりなはそう思い、恐怖を覚えた。
「それに、薙切えりなさん。貴女は、男女平等が信条ではないんじゃあないですか? 貴女のこれまでの行いは資料で全て確認させていただきましたが、貴女の行動はどう考えても、自尊他卑です。
自分がどれほど優れた人間であると錯覚しているのかは知りませんが、今までの自らの行動を振り返ってみて下さい。そうすれば、貴女が男女平等などと口にする資格がない人間だということが分かるはずですよ」
ローリエは真っ直ぐな瞳をえりなに向けてくる。
「いいかげんにしろ! えりな様は人類最高の神の味覚を持つ高貴なお方だ。それ以上の罵倒は私が許さん」
今まで我慢して黙っていたのだろうが、ついに堪えきれなくなったのか、緋沙子が口を開いた。
「……もう。だから、どうして優れた味覚を持っているというだけで、高貴な存在になるんですか……。
それと、薙切えりなさんがこんな困った性格になったのは、新戸緋沙子さん、貴女達のような太鼓持ちのせいだとどうして分からないのですか?」
ローリエは深い溜め息をつき、頭を抱える。
「……ジンジャーさん。お怒りはごもっともですが、ここは私に任せて下さい」
文句を言おうとしていたえりなの耳に、フェンネルのそんな言葉が聞こえてきた。
「そうだね。流石に私も呆れ果てて、毒気を抜かれてしまったよ。ローリエではまた殺してしまうから、手本を見せてやっとくれ」
「はい。先生」
物騒なやり取りを終えたフェンネルが、ジンジャーという名の小柄な老婆を離し、こちらに近づいてくる。
フェンネルは笑顔だった。だが、その笑顔に良からぬものを感じ、えりなの躰は震えだす。
「ローリエさん。いくら言っても理解できない馬鹿には、やはり躰に教え込むしかないんですよ。ただ、ローリエさんの力では痛みは一瞬で終わってしまいます。ここは頼れる先輩のフェンネルさんがお手本を見せますね」
「貴様、えりな様に危害を加えることは許さんぞ!」
えりなを庇い、緋沙子がフェンネルの前に立ちはだかる。だが、そんな緋沙子に、フェンネルは「邪魔ですよ」と穏やかに言い、軽く緋沙子のお腹の部分を掌で押した。
緋沙子は動じずに、すぐにフェンネルを押さえつけようと襲いかかる。
だが、そこで、緋沙子の動きが不意に止まった。
「ひっ、緋沙子?」
まるで彼女の時間だけが止まったかのように微動だにしない。だが、それも数秒のことで……。
「がっふっ……」
緋沙子は不意に口から血を吐き出し、顔から地面に倒れた。そして、苦悶の声を上げながら、血を吐き続けて悶え苦しむ。
「ひっ、緋沙子! 緋沙子!」
えりなは半狂乱になって、緋沙子の名前を呼び続ける。
「もう、本当にうるさいですね。ただ、胃を破裂させただけですよ」
フェンネルはそう言うと、えりなに近づき、彼女のお腹にも軽く掌を押し当てた。
最初はなんともなかった。緋沙子の場合と同じ様に。
けれど、躰の内部に重い衝撃が後から襲ってくる。そしてそれが、えりなの胃を破壊した。
「ごふっ……」
えりなも大量の血を吐き、力なく顔から地面に倒れる。
痛い。痛い。痛い。
血が何度も吐き出され、呼吸もままならない。
でも、気絶も出来ない。ただただ地獄のような時間が続き、えりなものたうち回る。
「いいですか、ローリエさん。これが技です。物覚えの悪い雌豚には、こういった苦しい罰を与えないといけないこともあるんですよ。ですから、これは看守として覚えなければいけませんよ」
「はっ、はい! 流石フェンネルさんです!」
「うん。さすが私の一番弟子だ。いい浸透勁だったよ」
苦しみもがくえりなと緋沙子の方を向こうともせずに、朗らかな会話を交わすローリエ達をみて、ようやくえりなは、自分がどんな立場に置かれているのかを理解することが出来たのだった。