日が傾き、夜の帳が下りるころ、ようやく長かったドブさらいが終わった。
「それでは、私は道具をお返ししてきます。皆さんはここで静かに待っているように」
淡い紫色の長い髪の女性――カモミールが、そう言って新戸緋沙子達が使い終わって清めたスコップなどの道具を四人分、一人で持って民家の方に歩いていく。
一人では大変だろうと思ったが、カモミールは顔色一つ変えずに軽々と道具を運んでいく。
収容所からこの場所まで一気に移動した力といい、やはり看守達は皆不思議な力を当たり前のように使えるようだ。
緋沙子は、同じ班に分けられた少女達が地面に腰を下ろして休むのに倣い、自分も静かに腰を下ろす。
初めは全裸でいることが恥ずかしくて仕方がなかったが、他の少女達も服が汚れることを嫌い、全裸で作業をしているので、少しは慣れた。
もっとも、流石にここに異性の目があれば話は別だが、幸い同性しか居ないのでまだこの恥辱にも堪えられる。
緋沙子は休んでいる他の少女達に声をかけられ、彼女達の話に耳を傾けた。
大したことは分からなかったが、毎日行われるこの労務において、看守の誰に当たるかはすごく大事なことらしく、カモミール看守が一番の当たりだと聞かされた。
カモミール看守は、厳しいことを言うが、一番優しさがある看守だと誰もが思っているらしい。
今回のドブさらいの際にも、定期的に休みを入れてくれていたが、酷い看守に当たると、昼食時の休憩以外はまったく休みをくれない看守もいるのだそうだ。
今回の班分けで、緋沙子が使える主君である薙切えりなは、あのローリエ看守の班になっていた。
それとなくローリエの事を聞いてみたが、やはり新しい看守ということも有り、まだみんなその性格を掴んではいないようだった。
「ええと、緋沙子さんだったよね? 少しだけれどあの監獄の先輩としてアドバイスをしてあげる。いい? 看守に逆らっても痛い目を見るだけだよ。特にカモミール看守に逆らうのは一番の愚行。あの人が一番私達の事を大切にしてくれている。そんな人に嫌われたら、もうお先真っ暗だよ」
「……そうですか。忠告に感謝します」
緋沙子は自分よりも少し年上らしき女性に、礼を言って頭を下げる。
それからカモミールが戻ってくるまでの間、緋沙子はいろいろな話を聞くことが出来た。
あまりにも素行の悪い囚人は、『処理場』という施設に移送され、そこから帰って来た者は一人もいないという話や、『名抜き』と呼ばれる恐ろしい罰があるのだという話。そして、同じ囚人の『赤髪』と呼ばれている娘がその罰を受けて、名前を無くしてしまったらしい。
なんでも、『名抜き』をされると、自身はもちろん、ありとあらゆる人達から、それまでの自分に関する記憶が消滅してしまうらしい。
馬鹿げた話だと、普通ならそう考えるだろう。
けれど、緋沙子はもう超常の力をいくつも目にしているので、その話を怖いと思った。
(私がその罰を受けても大した問題はないだろう。だが、もしもえりな様がそのようなことになってしまったら……)
それは、世界の損失だ。決して許されることではない。なんとしてもそんな事態だけはどうにか回避しなければならない。
ただ道具を返しに行っていたにしては随分時間を掛けて、カモミールは戻ってきた。きっとこれも、彼女なりの配慮なのだろうと、緋沙子は推測する。
「それでは、戻りますよ、皆さん」
カモミールに、緋沙子達は「はい」と応えて、彼女の近くに集まる。
すると、緋沙子達の躰は光りに包まれ、あっという間に収容施設に、牢獄に戻るのだった。
△
緋沙子は他のみんなと同様に、シャワーで躰の汚れを落とす。水しか出ないシャワーだが、この際躰の汚れを落とせるのであれば、文句は言わない。
タオルで髪と躰の水滴を拭き取り、緋沙子はようやく人心地付いた。
「……新戸緋沙子さんでしたね。今日が課外活動の最初の日でしたが、貴女は慣れない仕事も一生懸命努力をしていました。どうか、その姿勢を忘れないで下さい」
シャワーを浴びた緋沙子に、カモミールが声を掛けてくれた。
喋る許可はされていないので、緋沙子は静かに頭を下げる。
だが、その時だった。
不意に、何かが割れるような大きな音が聞こえてきたのは。
あれは、食堂の方だ。緋沙子の記憶では、音のした方向にはそれしか施設はないはずだ。
「……皆さん、間もなく夕食の時間です。ですが、今から部屋に戻ってもすぐに出て来なければいけません。ですので、特別にこのシャワー室で待つことを許します。
私は先に食堂に行って準備をしていますので、問題を起こさず、時間には必ず食堂に来るようにして下さい」
カモミールは緋沙子達にそう言い聞かせ、静かにシャワー室を出ていった。
食堂で何があったのか気にならないと言えば嘘になるが、カモミールの命令を無視して彼女の反感をかうのは得策ではないと判断し、緋沙子は十分程シャワー室で他の少女達ととりとめのない話をして時間を潰した。
シャワー室の時計で、後五分ほどで食事の時間となったので、緋沙子達は食堂に向かったのだが、未だに食堂の中では何かトラブルが起きているようで、ただならぬ雰囲気が漂っている。
『いいでしょう! 食戟だかなんだか知りませんが、私が受けてあげますよ! 貴女のような高慢ちきな愚か者には、身の程というものを教えてあげますから!』
横開きの食堂のドア越しに響いてきたのは、間違いなくローリエの声だ。
それに、『食戟』という言葉が出てくるのであれば、彼女と話している人物は一人しか考えられない。
(えりな様!)
緋沙子はドアを開けようとはしない他の少女達に先んじて、ドアに手を掛け、静かにそれを開くことにするのだった。