新戸緋沙子がドアを開けると、そこには五人の人間が立っていた。
一人は緋沙子の主君である薙切えりな。その他は看守のローリエ、フェンネル、ジンジャー、カモミール。
看守達は緋沙子に目をくれずに、えりなを見ている。だが、えりなは緋沙子の方に視線を向け、口元に笑みを浮かべ、再びフェンネルの方を向いて口を開く。
「それでは、<食戟>についての話を煮詰めていきましょうか。双方の意思確認は行われましたが、奇数名の厳正な判定者。勝負条件の合意。正式な対価の決定。やることはいくつもあります」
「まぁ、そう焦らないで下さいよ。そろそろ皆さんの食事の時間です。それが終わってから、ここでもう一度話し合いましょう」
フェンネルは苦笑し、指をパチンと鳴らす。
「なっ!」
緋沙子は床や外に飛び散っていたガラスが宙を舞い、まるでそれが当たり前のようにくっつきあって窓ガラスが再生する様子に驚愕する。
「ローリエさん。力加減には注意ですよ。昨日も壁と天井を傷つけて、マジョラム看守長に注意を受けたばかりなんですから。窓を割ったことまでしれたら、せっかくの初任給が悲惨なことになりますよ」
「……その、すみません。それと、ありがとうございます、フェンネル先輩」
「いえいえ。可愛い後輩のためなら、これくらいお安い御用です。ですが、今度修復魔法の練習もしましょうね」
フェンネルの優しい声に、ローリエは「はい」と頷き、無邪気な笑みを見せる。
「さぁ、まずは夕食の準備です。新戸緋沙子さん達も、昨日と同じところに座って下さい。すぐに用意をしますから」
フェンネルは楽しそうに夕食の準備を始める。それが、緋沙子には不気味に思えた。
話の全容は分からないが、えりな様とローリエの間で、『食戟』が執り行われることになったようだ。
何故そのような話になったのかがまるで見えてこないが、これは千載一遇のチャンスである。
えりな様が勝利の対価を、日本に戻す事にするのは明らかだ。そして、彼女ならば必ず勝利できると緋沙子は確信している。
けれど、だからこそ不気味なのだ。
フェンネル達は自分やえりな様の事をどういうわけか調べ尽くしている。当然、えりな様が神の舌という最高の能力と卓越した調理技術を有している事も知っているはずだ。
それなのに何故、こんな不利な勝負をわざわざ行おうというのだろうか?
緋沙子はもっと事の内容を知りたかったが、カモミールから着席するように命じられ、仕方なく他の者達と同じ様に昨日と同じ席に着く。
やがて他の少女達も食堂にやってきて、それから夕食とは名ばかりの一分とかからない食事が終わった。
その後は当然退出を命じられるだけだ。
緋沙子はそう思い、悔しさに歯噛みをしたが、そこでカモミールに声を掛けられた。
「新戸緋沙子さん。貴女も薙切えりなさんと一緒に、ここに残りなさい」
思わぬ言葉を嬉しく思いながらも、緋沙子は顔にはそれを出さず、小さく頷く。
他の少女達は、別の看守達の案内のもとで部屋に戻っていった。
故にここにいるのは、自分とえりな。ローリエ、フェンネル、ジンジャー、カモミールの六人。
「カモミールさん。私、新戸緋沙子さんを残してくださいとはいっていませんよぉ」
フェンネルが不満そうに口を尖らせる。
「これがまったく無関係な者ならば、私もこのようなことはしません。ですが、彼女は薙切えりなの従者であり、その事を誇りに思っています。そんな彼女が、このような主の一大事を知らぬと言う事になれば、明日からの作業に支障をきたす恐れがありますので」
カモミールはしれっとした表情で言い、フェンネルを睨む。
「……もう。カモミールさんは優しすぎますよ」
「それは貴女の勘違いです。私は、誰よりも規則に厳しいという自負がありますから」
「ええ、もう、分かりました。それでいいですよ」
フェンネルは苦笑しながら、カモミールの提案を受け入れ、緋沙子がここに残ることを認めた。
そんな事を実際に行えば、カモミールの立場が悪くなる事は容易に推測できたので、緋沙子は何も口にしない。だが、心のなかでは何度もカモミールに感謝をする。
「それでは、薙切えりなさん。新戸緋沙子さん。二人共そこの席に並んで座りなさい」
フェンネルの命令に従い、緋沙子はえりなの隣の席に座る。
テーブルを挟んで、えりなの対面にローリエが。その隣、つまりは緋沙子の前にフェンネルが座る。
ジンジャーとカモミールはフェンネルたちとは別の後ろの席に座った。
「さて、私が提案したことですが、薙切えりなさんとローリエさんの双方が合意してくださいましたので、『食戟』を執り行いたいと思います。薙切えりなさん、発言を認めます。最後の確認ですが、お二人共、今更二言は有りませんよね?」
「はい。ありません」
「だっ、大丈夫です」
えりなは自信有りげに、ローリエは少し不安そうに応える。
「では、まず対価を決めましょう。先にもいいましたとおり、この範囲は薙切えりなさんの自由に決めて頂いて結構です」
やはり妙だと緋沙子は思う。
あまりにもえりな様に有利すぎる状況を作ることに、何の意味があるというのだろう。
「決まっています。私達を開放しなさい。私と緋沙子はもちろん、この場所に収容されている人達全員を。それが、私の望む対価です」
不安になる緋沙子とは対象的に、えりなは自信に満ちた声色で提案する。
「……残念ですが、それは無理ですね」
フェンネルは苦笑交じりに答える。
「あら? 対価は私が自由に決められるのではなかったのですか?」
「はい。そのとおりですよ。ですが、貴女が負けた時の対価はどうするつもりです? 貴女一人の命を賭けても、それは貴女一人を自由にすることに対する掛け金にしかなりませんよ」
フェンネルは物分りが悪い子供に言い聞かせるように言う。
「貴女一人を元の世界……つまりは、日本に戻ることを条件にするのであれば問題有りませんが、それ以上は不可能です」
「それでは『食戟』を受ける意味がありません。私と緋沙子を日本に戻すこと。最大限譲歩して、それが最低条件です」
えりなの言葉を緋沙子は嬉しく思う。けれど、自分のことなどよりも御身を最優先にして欲しいと緋沙子は願う。
だが、そんな緋沙子の心配そうな顔を見て、えりなは緋沙子の肩に優しく手を置く。
「緋沙子は私のかけがえのない存在です。彼女を置いていくなんてことは有りえません」
えりなは断言し、フェンネルを睨む。
「……そうですか。それならば、こうしましょう。貴女が勝ったら、お二人共開放することとしましょう。ですが、もし負けた場合は貴女を終身刑にします」
「終身刑?」
「ええ、そうです。貴女が今後いくら心を入れ替えて真人間になったとしても。魂が浄化されたとしても、決して減刑しません。その魂が朽ちるまで、この施設で過ごしてもらいます」
フェンネルは、笑顔でとんでもないことを提案してくる。
「フェンネル先輩! それは、この施設のあり方を否定することです! それでは、『名抜き』と大差ないではありませんか!」
えりなではなく、話を聞いていたローリエが悲鳴じみた声で反論する。
「ええ、そうですね。まぁ、『名抜き』に比べればこれでも優しいですがね。ですが、この『食戟』という仕組みは、他人の一生を左右することに対する罪悪感さえ持たない非情なルール。それに、多くの人間の人生を台無しにしてきた薙切えりなさんには、ふさわしい罰だと私は思います」
フェンネルは震えるローリエの頭を優しく撫でて、えりなの方を向く。
「どうします? 薙切えりなさん。自分がすべてを失うのは怖いですか? 尻尾を巻いて逃げますか?」
フェンネルの言葉は明らかな挑発だった。
まずい。これはきっと何か自分達が負けない確信がフェンネルにはあるのだ。
緋沙子はえりなに不安げな視線を向ける。だが、えりなは微塵も恐れずに……。
「待った! 少しだけ答えを言うのはお待ち!」
えりなの答えは、ジンジャーの大声で止められた。
「なっ、なんですか、ジンジャーさん?」
フェンネルが両耳を抑えながら、老婆に尋ねる。
「いや、なんというか、たまにはカモミールの頼みも聞いてやろうかと思ってね」
ジンジャーは不意に優しい笑みを浮かべると、静かに後ろの席から歩いてきて、両手を前に出し、左の掌をえりなに。右の掌を緋沙子に向けて、何かをブツブツ唱え始める。
緋沙子にもえりなにも、ジンジャーが何をしているのか分からない。
けれど、その小柄の老婆が開いていた両方の掌を閉じた瞬間、緋沙子は躰に、目に見えない衝撃を受けた気がした。
別段、体に異常はないが、何かが抜けてしまったような感覚のようなものがある。
隣を見ると、えりなも不思議そうな顔をしていることから、おそらく自分と同じ感覚を受けたのだろうと、緋沙子は推測する。
「……カモミールさ~ん。甘すぎませんか?」
フェンネルが恨みがましそうな視線をカモミールに向けるが、彼女は涼しい顔で顔を横にそらす。
「ジンジャーさんも甘すぎますよぉ」
「まぁ、そうお言いでないよ。この魔法を使う機会なんてめったに無いからね。あんたやローリエへの手本でもあるんだから、ありがたく思いなさい」
「……むぅ、それはそうですね。分かりました」
フェンネル達のやり取りが何なのかは分からないが、特段躰に異常はない。
緋沙子はとりあえずこの事は横に置いておいて、『食戟』の話題に集中し、テーブルの下で、えりなのむき出しの太ももに手を置く。
それは、静止を促すジェスチャーだったが、不安のあまり緋沙子の躰は震えてしまっていた。そのため、えりなには不安な気持ちしか伝わらなかった。
「フェンネルさん。横やりが入りましたが、私の答えを言います。厳正な判定を下す条件下であれば、この『食戟』を受けましょう」
えりなは堂々と宣言してしまった。勝負を受けると。
緋沙子は止めたかったが、もう口に出してしまった言葉は戻らない。
それならば、主の勝利を信じるしかない。
「もちろん、厳正な判定を行いますよ。ただ、そのことで少し相談があります。これは、貴女に不利だと思うのであれば断って頂いても結構ですが……」
「どのようなことです?」
「はい。それは……。あっ、ですが、カモミールさん。新戸緋沙子さんは部屋に戻して下さい。もう、カモミールさんの目的は果たしたんですから、いいですよね?」
不意に、フェンネルは緋沙子を独房に戻すようにカモミールに頼む。
「貴女の言っていることはよく分かりませんが、いいでしょう。新戸緋沙子さん。私についてきて下さい」
緋沙子は後ろ髪を惹かれる思いだったが、カモミールにはここまで話を聞かせてもらった恩がある。それを仇で返すわけにはいかない。
「大丈夫よ、緋沙子。貴女が心配することなど何も有りません」
それに、えりなの力強い言葉を聞き、緋沙子は頷いてカモミールと一緒に食堂を後にすることにしたのだった。