夕食が終わり、そしてこれからの『食戟』に関する打ち合わせも終わった。
薙切えりなは、一糸まとわぬ姿で自室に向かい歩いていく。
近くまではカモミールという名の看守が付き添ってくれていたのだが、彼女は「今日は私もいささか疲れました。後は自分の足で戻ってもらいます。ですが、くれぐれも問題を起こさぬように」と言い、別れた。
それが、カモミールの気遣いなのは明らかだった。
『問題を起こさなければ、今晩だけは自由にしてもいい』と彼女は言ってくれたのだ。
えりなはところどころの壁に点けられた明かりを頼りに歩く。この明かりも、蝋燭などではなく、何か丸い球体のようなものが浮かんで、優しく発光している。
「……魔法なのでしょうね、これも」
もう、驚くのにも疲れた。あまりにも超常の現象を目の当たりにしすぎて、感覚がおかしくなっているのかもしれない。
見るとはなしに、通り過ぎる部屋の中でぼんやりとした表情を浮かべる他の囚人達の姿が目にはいってきて、えりなは腹立たしい気持ちになる。
これも魔法の力なのだろう。丈夫な鉄の扉は、何故か閉まると外からは透けて中が見えるようになるのだ。だが、中から外は見えないことを、収容されているえりなは理解している。
片側からは見えても反対からは見えないマジックミラーと呼ばれるものがあることは知っていたが、これもそれの亜種なのだろう。
収容される人間の、ましてや年若い少女の尊厳を、人権を踏みにじる行為に怒りがこみ上げて仕方がなかったが、えりなは自分の独房を通り過ぎてからは、努めて気持ちを落ち着けた。
えりなはその部屋の前に辿り着いた。
他の部屋と同様に、中の様子が見える。
そこには、赤紫色の髪の少女が、えりなが誰よりも大切に思い、心許せる唯一の存在である新戸緋沙子が、自分と同じ一糸まとわぬ姿で、両手を組んで目を瞑り、何かを祈っている姿が見えた。
彼女が何を祈っているかを、えりなは言葉にしなくても分かる。
いつもそうだから。緋沙子は私の事を常に第一に考えてくれているのだから。
「……緋沙子」
えりなは鉄の扉越しに、大切な従者の――いや、親友の名前を口にする。
「えっ? ……えりな様? えりな様ですか?」
緋沙子は立ち上がると、扉の前まで駆け寄ってくる。
「ええ。緋沙子。『食戟』の内容が決まりましたので、その事を貴女にだけは話しておきたいと思います」
「……はっ、はい。分かりました!」
緋沙子は涙を瞳の端に浮かべていたが、それを手で拭い、見えていないにもかかわらず、えりなの方をまっすぐに向く。
その顔に思わずもらい泣きをしてしまいそうになったのと、自分だけが姿を見えているのは不公平だと思い、えりなは扉に背を向けて座り、緋沙子にも同じようにして欲しいと伝える。
「今日だけは、私はこうして貴女とお話ができます。その代わり、私は明日から『食戟』が始まるまでは、一人でそのための準備を行わなければいけません。課外活動とやらは免除になりますが、食事も別になりますので、緋沙子と顔を合わせる機会も無くなってしまいます」
「……そうなのですか」
緋沙子の落胆する声に、えりなは申し訳なく思いながらも、嬉しい気持ちも湧き上がってきてしまう。
この誘拐の原因は間違いなく自分だ。結果として、それに緋沙子を巻き込んでしまったことになる。けれど、緋沙子が居てくれたから、自分はこんな状況でも強く有れる。
「まず、『食戟』の日時ですが、これから一週間後の朝食から開始されます」
えりなは、細かな説明を敢えてせずに、大雑把な説明をする。
それは、質問をさせるため。少しでも長く、緋沙子と久しぶりにゆっくりと話をするためだ。
「一週間後ですか。しかし、朝食『から』というのは、どういうことですか?」
流石は緋沙子だ。すぐに今の発言の裏を読んでくれた。
えりなは頬が緩むのを堪えながら、厳かな声で続ける。
「この施設の人間が判定者では不公平だと言うことで、近くの街にある神殿の神官達三名に審査を行って頂くということになりました。ですが、たった一回の勝負では不満が出るかもしれないとあのフェンネルさんという看守が言い出しまして、その日から一週間、私とあのローリエさんが朝昼晩と食事を作るという変則的な食戟となったのです」
「一週間、三食全てを、ですか? それはあまりにも長丁場な……」
「ええ。ですが、これはチャンスだとも思ういます。もしも仮に神官たちがここの看守達と結託していたとしても、一週間も期間があれば、私の料理の虜にすることは容易いはずです」
えりなは努めて明るい声で言う。
「えりな様、その判定員の神官達の情報などは分かっているのですか?」
「明日、資料を頂けるそうです。それと、本当かどうかは判断が付きませんが、ローリエさんも神官さん達に直接お会いしたことはないとのことです。
それに、先触れを出して、お相手の都合が付けば、その神殿の判定員に直接お会いしてもいいとの許可も貰っています。監視役兼案内人として、カモミールさんが明日以降、私の専属になってくださるそうです」
「あの、カモミールさんですか。……そうですね。彼女ならまだ信用が置ける気がします。えりな様が一方的に不利になるようなことはしないでしょう」
緋沙子が少し安堵したこと、えりなは笑みを浮かべる。
「緋沙子……。地下室でカモミールさんの毒を受ける際に、貴女は私の罪を軽減させるようにと無茶をしましたね」
「……はい。ですが、あれは……」
「いいえ、怒っているわけでは有りません。ですが、助けられてばかりと言うのも私のプライドが許しません」
えりなは表情を引き締め、静かに拳を握る。
「今度は私の番です。この『食戟』で貴女を開放します。約束します。必ず、貴女のために勝利を収めると」
えりなは忠臣のために、いや、緋沙子は恐れ多いと言うだろうが、親友のために必ず勝利をすることを宣言する。
「えりな様……。申し訳ございません。本来はそれは私の役目のはずなのに、えりな様にリスクを負わせて、私だけがのうのうと……」
涙声になる緋沙子に、えりなは優しく声をかける。
「何を言っているのです。この『食戟』が終わったら、また忙しい毎日が戻ってきます。何日もスケジュールに穴を開けてしまうからには、今まで以上に多忙になってしまうでしょう。そのときこそ、緋沙子、貴女の出番です。……頼りにしていますから」
「……はい。分かりました……」
涙声で応える緋沙子に、えりなは微笑みかける。
そして、それから『食戟』の話を中心にしながらも、とりとめのない話を、明日に支障がない範囲で話し合い続けた。
それは、本当に幸せな時間だった。