晴天の日差しが強い中、新戸緋沙子は今日も全裸で課外労働に取り組まされている。
今回は畑を新たに耕す作業で、最低限の装備として長靴だけが貸し与えられていた。
その他には手ぬぐい一つなく、緋沙子は額から流れてくる汗を手で拭う。
本当に屈辱的な作業だ。だが、それも長くは続かない。
あと一週間ほどで、えりな様の『食戟』が始まる。
一週間という長丁場の変則的な『食戟』だが、あの神の舌に加えて、余人が及びもつかない卓越した料理技術を持ったえりな様が負けるはずがないと、緋沙子は心から信じている。
それに……。
「はい。そこ、少し遅れていますよ。皆さんで一斉に耕しているんですから、遅れないようにしてくださいね」
えりなの対戦相手であるローリエが、今日の緋沙子の班の担当だった。
彼女は仕事を今日も続けているのだ。勝負の準備のために特別に課外労働等を免除されているはずのえりなとは異なり。
余裕の現れかとも推測したが、その後の仕事の休憩時間に、一人で何かを考えながらブツブツ料理の名前を呟いている彼女の姿を確認したので、そうではなさそうだ。
(えりな様……)
緋沙子は主人の勝利を願い続ける。
それ以外、何も出来ない自分自身を恨めしく思いながらも、ただひたすらに願い続けるのだった。
△
薙切えりなは、久しぶりにまともな服を着て街を歩いていた。
とはいっても、簡素な白のチュニック一枚だけで、下着さえ付けていないのだが、全裸であるよりはずっといい。
だが、えりなは服を着ることが出来た喜びなどよりも、今は食材の目利きに夢中だった。
「これが一番マシな牛肉ですね。熟成もあと数日で食べごろといったところのようですし」
この街に三軒しかない精肉屋の中でも、一番の高級店の最高の肉を前にしても、えりなの評価は厳しかった。
「カモミールさん。予算に限度はないのでしたね?」
「ええ。ありません。ただ、フェンネルのポケットマネーですから、彼女が苦しむだけです」
えりなの案内役であるカモミールの答えに、えりなはにっこり微笑んだ。
「この牛肉をまるごと一頭購入させて頂きます。それと、鶏肉と豚肉も……、そうですね、これと同程度の品質のものを、六日後に購入しに来ますので、それぞれ……」
えりなはいろいろと精肉店の若い女性に無理を言うが、カモミールが「お願いします」と頭を下げると、彼女は恐縮して「分かりました」と頷いていた。
「野菜類は最初に連れて行って頂いたお店が一番良かったですが、果物はもう少し質の良いものを扱っているお店はありませんか?」
「それならば、少し遠くなりますが、山奥の街に行きましょう。ただし、距離があるので、輸送してもらうわけには行きません。今日は下見と試作用のものを購入するだけで、あとは必要な時に購入するという形にしますよ」
「はい。それでお願いします」
えりなはカモミールに頼み、この国のいろいろな街に移動して買い物を済ませる。
カモミールがいてくれるおかげで、なんとかえりなは、自分が思い描く料理を作ることができそうだ。
とはいっても、カモミールはえりなの味方というわけではない。
彼女は飽くまでも中立だと宣言している。
えりなの質問に答えられる範囲では答えるが、質問されないことには一切事得ないという立場なのだ。
どうやら街の名前を教えてくれないのも、その一環なのらしい。
とりあえず、えりなは、カモミールが質のいいと思う食材を扱う店に案内してもらい、それからその街のいくつもの店を回って材料を揃えていくという方法を取ったが、カモミールの目利きは確かなようで、彼女の一押しの店を上回る食材を扱っている店には巡り会えていない。
もっとも、それらの店の食材であっても、えりなとしてはかなりの妥協を余儀なくされたのだが。
それから合計で五つの街を行き来し、試作用などの食材を集め終えたころには、すっかり日が暮れていた。
昼食も食べずに店を回っていたので、えりなも空腹を覚える。きっとそれは、涼しい顔をしているカモミールもそうだろう。
後は施設に戻るだけとなったのだが、何故か今日一日ですっかり見慣れたものとなったカモミールの転移の魔法で連れてこられたのは、一番最初に訪れた、『食戟』の舞台ともなる神殿がある街だった。
「カモミールさん? どうしてこの街に戻られたのですか?」
えりなは不思議そうに、カモミールに尋ねる。
「……いえ、すみません。私としたことが、うっかりしていたようです。施設に帰るつもりだったのですが」
カモミールはそう言うと、すぐに魔法を唱えなおそうとはせずに、えりなの方を向いた。
「薙切えりなさん。何もやり残したことは有りませんね? このまま施設に戻ってもいいのですね?」
カモミールの問に、えりなは一応考えてみたが、特段思い当たることはなかった。
「ええ。構いません。お願い致します」
「……そうですか」
カモミールはただそれだけいうと、今度こそ魔法を使い、収容施設に戻ってきた。
それからカモミールが食材を運ぶのを手伝ってくれ、えりなは調理室にそれらを運び込む。そして、シャワーを浴びに行く前に、カモミールに一つの事を頼むのであった。
△
カモミールが看守室に戻ったのは、囚人達の夕食が終わり、勤務時間も終わった後だった。
「あら、おかえりなさい。カモミールさん」
「ご苦労さまです、カモミールさん」
緑髪の同期の職場仲間であるフェンネルと、銀髪でこの施設の看守長であるマジョラムが、カモミールを出迎えてくれた。
「これは、マジョラム看守長。お疲れさまです」
カモミールは姿勢を正し、マジョラムに敬礼をする。
普段は看守長室から出てこない彼女が、こんな時間にこの部屋に来るとは何事だろうかと不思議に思う。
「ぶぅっ。私には何もなしですか?」
フェンネルが文句を口にするが、カモミールは無視する。
「いや、そう固くならないで欲しい。久しぶりに、貴女達と食事でもと思い誘いに来ただけです」
マジョラム看守長のその言葉に、しかしカモミールは顔を曇らせる。
「申し訳有りません、マジョラム看守長。実は例の囚人である、薙切えりなの料理の試作を試食してしまいまして……」
「あら、そうでしたか。それは残念ですが、仕方が有りません。食材を無駄にするよりはその方がずっと望ましいですからね」
マジョラムの言葉に、「申し訳ございません」とカモミールは頭を下げる。
「へぇ~。薙切えりなさんの料理ですか。どうでしたか? それなりに美味しかったですか?」
「そうですね。それなりなどというレベルではなく、素晴らしく美味しかったですね。あれだけの腕があるのであれば、多少慢心してしまうのもやむを得ないのではと思う程度には」
フェンネルにそう答えたカモミールは、ここで重要なことを思い出し、ローブのポケットに手を入れ、そこから紙を取り出し、フェンネルにそれを手渡す。
「領収書です。私が立て替えておきましたので、近日中に精算して下さい」
「えっ? 月末払いではないんですか?」
「近隣だけではなく、いろいろな街に行ったので、現金払いも必要だったのです」
カモミールの説明に、「そうですか」と答えたフェンネルだったが、その領収書を数枚見るなり、目が点になり、冷や汗をかき始める。
「あっ、あの、カモミールさん。これはなにかの冗談ですよね? あっ、それとも、もう一週間分の食材をまとめて発注したんですか?」
一縷の希望に縋りつこうとするフェンネルに、カモミールは冷静な声で、
「いいえ。今回の試作のための材料費だけです」
と冷静に答える。
「いったい、いくらかかったというのですか?」
マジョラムも気になるのか、そう言ってフェンネルの手から領収書を受け取って確認し、絶句した。
「まっ、マジョラム様! おっ、お願いします、せめて半額は出して下さい! このままだと、私……」
フェンネルは半泣きになり、マジョラムに縋り付く。
「おっ、落ち着きなさい、フェンネルさん。言われなくとも半額は出します。ですが、その、今日の食事は中止でも構わないですかね?」
「はい……」
意気消沈するフェンネルとマジョラムを見て、カモミールは予算設定の大事さを改めて理解するのだった。