『食戟』の料理は、毎回神殿の厨房を使用して作らなければいけない。
そのため、えりなは事前に一度神殿を訪れ、その設備を確認しておいた。そして、前日にも訪れ、調理に支障がない環境を作らせてもらった。
原始的な設備しかその厨房には備わっていなかったが、事前にわかっていればいくらでも対処の方法はある。
ふと思い返せば、初めて買い物に出かけたあの日、看守のカモミールが、間違えたといって、最初に足を運んだこの神殿のある街に自分をもう一度連れてきたことがあったが、あれは彼女なりに心配してくれたのかもしれないと、えりなは思った。
(まぁ、いらぬ気遣いですし、完全にカモミールさんを信用するのはまずいでしょうが、勝利を確定させた後に、もう一度私の料理を振る舞うくらいのことはしてさしあげようかしら)
えりなは微塵も、自分が負けるなどと思ってはいない。食材の質と調理器具が完全でない程度のことでは、問題にならない。
自分はこの舌を、『神の舌』を信じて、ただそれが認める最高の味を作って判定者に出せばいいだけなのだから。
判定者である神殿の高位の神官に直接会うことは出来ないらしく、薙切えりなは自分が作った料理を給仕せずに、厨房に料理を運びに来た、彼女達の従者達にそれを手渡して終わりだった。
朝食、昼食、夕食とそれを繰り返し、えりなは完璧な料理を作りきったという自負を持っていた。そして、それとは別に、自分の料理がローリエの下手な料理を上回っている事を確信していた。
そう確信していた。
なぜなら、ローリエがわざわざえりなの分の食事も作り、毎回、神殿の従者経由で彼女に料理を出してくれていたのだ。
だが、えりなはそれらを一口だけ口にし、「不味い」と結論づけて、残りを残飯として捨てた。
素材の質もあるが、調理技術があまりにも拙いそれは、料理と呼ぶのもおこがましいと思う程度のものだったのだ。
きっと、あのローリエという怪力少女は、本当の美味を口にしたことがないのだろうと思い、朝食は用意していなかったので出来なかったが、昼食からは、えりなもお返しに彼女の分も料理を作り、従者に運んで貰った。
これで実力の差を理解してくれるのであれば、簡単に決着がつくのだが、生憎とローリエは実力差を理解する事ができなかったらしく、明日も勝負は続くようだ。
今回の『食戟』は、朝昼晩の一日の料理を、判定者一人が十点満点で評価をし、合計三十点を満点として、それを七日繰り返し、一週間の総合点数で決着がつくことになっている。
競技を公正なものとするためもあり、その日毎に点数が発表されるのだが、初日は「三十点 対 二十一点』で決着がついた。言うまでもなく、えりなが三十点、満点であった。
(ローリエさんの皿が二十一点ですか。ずいぶんと、今回の『食戟』の点数付けは甘いようですね)
点数を教えに来てくれた従者の少女に礼を言いながらも、えりなは内心でそう思っていた。
その従者の少女が頭を下げて厨房を出ていったので、えりなは明日の朝食の仕込みを終わらせ、厨房を綺麗に掃除する。
ちょうどそれが終わる頃に、淡い紫髪の見慣れた顔の女性が、カモミールが厨房を訪れた。
「そろそろかと思い迎えに来ました。ですが、まだ時間はあります。何かやり残した事があれば、私に構わず用事を済ませておくといいでしょう」
カモミールはそう言ってくれたが、えりなはもうやるべきことが見つからない。
自分だけでなく、緋沙子の命運もかかっている以上、油断や慢心をするつもりはないが、できることは全てやっている。
「いいえ。もう他に用事はありません。どうか、あの場所までよろしくお願い致します」
「……そうですか」
カモミールはただそれだけを言うと、魔法の力を使う。
そして、えりなは再び牢獄に戻るのだった。
△
えりなはシャワーを浴びてから、再びこの施設の厨房で試作をすることをカモミールに申し出た。
時間外の労働になるであろうに、カモミールは「そうですか」とだけ言って、えりなに付き添ってくれた。
本当のことを言えば、彼女が帰ってくれた方が緋沙子と話ができるのでありがたいのだが、流石に結構ですのでお帰りくださいとは言えないことくらいは、えりなにも分かる。
えりなは黙々と試作を続ける。
そして、カモミールも厨房の奥の椅子に座り、一言も喋らない。
あまりにも何も喋らないので、眠っているのではとえりなが思ったほどだ。
やがて試作も終わり、それらをえりなと、彼女に頼まれたカモミールがお腹に収めた。
「明日も早いので、しっかり眠っておきなさい」
独房の前で、カモミールは無表情にそう言う。
発言を許されておらず、調理場を出たことで衣類を没収されたえりなは、黙って頷いた。
「それでは、また明日」
カモミールはそう言ってドアを締めて、鍵をかけると、足音を残して去っていった。
「これで、一日目が終了。ローリエさんの評価次第ですが、このままのペースで行けば、数日で逆転が不可能になり決着が着くでしょう」
えりなは冷たい石の床に座り、壁に背を預けて小さく嘆息する。
(緋沙子は、今日もあの訳のわからない薬のようなものしか口にしていないのでしょうね)
早く開放してあげたい。そして、自分が作る最高の料理で彼女のお腹を満たしてあげたい。えりなは切にそう願う。
(この国の人々の一般的な食事は調べてありますから、それから逸脱しすぎずに、最高の味を提供し続ければ、勝利は揺るぎようがありません。後は、満点を取り続けることが重要。一日も早く、自由を手にするために)
えりなは気合を入れると、しかし、今日は早めに休むことにした。
もう勝利は揺るがない。
後は、それを一日でも早く確定することが重要。
けれど、油断は決してしない。
えりなのその考えが揺らぐことはなく、次の日の『食戟』も、『三十点 対 二十五点』でえりなが勝利することになる。
そう、順調だった。
後少しで自由が手に入ると、えりなも、フェンネルからその結果を聞いていた緋沙子も確信していた。
だが、三日目。
その日の『食戟』の結果から、その確信が瓦解し始める。
その時の点数は、『二十七点 対 二十八点』であり、えりなは格下と侮っていたローリエに敗北することとなったのだ。
……そしてここから、形勢は一気に逆転し始める。