その結果を聞いた新戸緋沙子は、自分の耳を疑った。
「今回の『食戟』は、『二十七点 対 二十八点』でローリエさんの勝利です」
フェンネルは、淡々と結果を告げて緋沙子の独房から去っていった。
呼び止める事もできなかった。
あまりのショックに、思考が停止してしまっていたのだ。
七日間の『食戟』の三日目で、えりなが敗北した。
状況的に考えれば、まだえりなが勝利している。けれど、敗北したという事実が問題なのだ。
えりなの料理の腕を、緋沙子はよく知っている。そして、彼女の『神の舌』の絶対的な凄さも理解している。だから、普段の通りの実力をえりなが発揮できているのであれば、敗北はありえないはずだ。
(それなのに、何故、えりな様が……)
緋沙子は懸命に考える。何が原因でえりなが敗れてしまったのかを。
けれど、そこで絶望的な事態に今更気づく。
たとえ原因が分かったとしても、自分はえりなと会話することが出来ないのだ。つまり、伝える手段がない。
(だが、それでも)
緋沙子はそれでも考える。
(なにか見落としている点はないか? この変則的な『食戟』で、何かえりな様が不利になる要素が……)
緋沙子は懸命に考えた。それこそ寝る間も惜しんで。
そして、彼女は一つの推測に行き着く。
(そんな、まさか……。だが、奴らが不正をしていないのであれば、これしか考えられない)
それはあまりにもシンプルな理由。けれど、シンプル過ぎて緋沙子は失念していた。
緋沙子は拳を握りしめ、反対の掌を叩く。
(まずい。私程度が分かることを、えりな様が分からないはずがないと信じたいが、なまじ最高の舌を持っているがゆえに、このシンプルな罠から逃げられない可能性がある)
(この、愚か者。どうして私はえりな様と会話をしたあの時に、この事をお伝えできなかったのだ)
七日間、毎食の食事を作る『食戟』という時点で気付かなければいけなかった。
……いや、違う。もっと前だ。
あのフェンネルが、『食戟』などというものを持ち出し、自分達に希望をちらつかせた際に、おかしいと思うべきだったのだ。あの女は、酔狂で『食戟』を持ちかけたのではない。この罠にえりな様をハメるために……。
後悔先に立たず、だ。
ずっと感じていた、得も言われぬ不安な気持ちの正体はこれだったのだ。
(せめて、私がお側にいることができれば……)
そう。一般的な味覚を持った人間がいれば、打開策はあるのだ。だが、『神の舌』では駄目なのだ。高級食材しか口にしてこなかった、えりな様ではそんな妥協した料理は作れないのだから。
この日から、フェンネルが毎晩、『食戟』の結果を告げに来るのが緋沙子には苦痛に変わった。
悪い予感とは当たるもので、緋沙子の予想通り、えりなはその日から連敗していくことになったのだから。
△
薙切えりなは、思考の袋小路に迷い込んでいた。
昨日のまさかの敗戦から、今日もまた、えりなの敗北という信じられない結果となったのだ。
しかも今回は、『二十点 対 二十八点』という屈辱的な大差での敗北だった。
「どうして……。この単調で代わり映えのないパスタに、私の料理が敗れるというの……」
相変わらず、ローリエは自分が作った料理をえりなのところにも、従者に頼んで運んできているので、えりなは彼女の料理を全て口にしている。
だがどの料理もえりなの舌には合わない。どれもが不味いとしか判断できない料理だった。
えりなは、自作し、鍋に残っていたスープを口に運ぶ。
間違いなく、このスープ一つでも、ローリエの作ったパスタ、ミートソースパスタよりも遥かに美味だ。
この『神の舌』がそう感じているのだ。間違いはない。
それなのに、何故自分の料理が敗北するのだろう?
(不正が行われているの? けれど、私の料理を一度口にすれば……)
えりなの料理は間違いなく美味だ。そして、その味に魅了されれば、それなしではいられなくなってしまうはずなのに。何故自分が敗北するのか分からない。
「緋沙子、この料理……」
つい、この場にいない緋沙子に声をかけようとしてしまい、えりなは誰もいない厨房で力なく肩を落とす。
「迎えに来ました。ですが、まだ時間はあります。何かやり残した事があれば、私に構わず用事を済ませておくといいでしょう」
カモミールがやってきて、いつもと同じ様なことを言ったが、えりなはそれどころではなかった。
「いいえ。もう他に用事はありません。すぐに戻って試作をしたいので、お願いします」
「……そうですか」
カモミールはただそれだけを言うと、魔法の力を使う。
次の勝負に勝つことに必死なえりなは気づかない。その時、カモミールが僅かに顔を曇らせたことに。
△
いつものように緋沙子の独房前にフェンネルがやってきて、今日の、五日目の『食戟』の結果を口にする。
「今回の『食戟』は、『二十一点 対 二十五点』でローリエさんの勝利です」
ついに勝敗が逆転してしまった。
緋沙子はきつく拳を握りしめ、床を叩く。
「フェンネル看守!」
喋ることを許可されていないことは分かっていたが、緋沙子はフェンネルに声をかけずにはいられなかった。
「もう、駄目ですよ、新戸緋沙子さん。私は喋ってもいいとはいっていないんですから。まぁ、とはいっても、気持ちはわからないでもないですし、貴女は最近真面目に働いているようですから、特別に許可してあげましょう。それで、私に何の御用ですか?」
フェンネルが許可してくれたので、緋沙子は扉の近くで、彼女に訴える。
「お願いします。どうか、私もえりな様に協力させて下さい!」
緋沙子の要求は無茶苦茶なものだった。
それは彼女自身が一番良く分かっている。けれど、このままではえりなが無期懲役の罰を受けることになってしまう。
「う~ん、そんな横紙破りを私が許すと思っているんですか? いや、思っていませんよね。貴女達、遠月の人間にとって、『食戟』は神聖なものなのでしょう? それを汚すんですか?」
「……いいえ。それは、そのとおりです。……ですが、このままではえりな様は……」
緋沙子の目に涙が浮かぶ。
「はぁ~。あのですね。貴女の主である薙切えりなさんも、そして貴女自身も、『食戟』に勝って、敗北者に無茶な要求を飲ませてきたじゃあありませんか。それなのに、いざ自分が負けそうになったら、ルールを変えて欲しいとか、この勝負は無効だとか言うのは無しですよ」
フェンネルは心底呆れ声で言う。
「飽くまでも私の私見ですが、私はこの『食戟』もそうですが、貴女達が通っていた、遠月の教育方針が大嫌いです。一度でも失敗した人間を切り捨てるような方法は、指導する側は楽でしょうが、それをされる側はたまったものでは有りません。
ですが、貴女達はそんな環境を良しとしてきたのでしょう? でしたら、それに殉じなさい。勝ちは貰うが、負けは払わないでは、今まで貴女達に負けて、無茶な要求をされた人達が許さないはずですしね」
フェンネルの言葉は正論だった。緋沙子は悔しさに歯噛みする。
「それと、貴女が今ここで大声をあげて、薙切えりなさんの独房まで届くようにアドバイスをするのもなしですよ。他の方の迷惑この上ないですし。……って、言わなくても分かっていますよね。そんな事をしたら反則負けにしますからね」
言われるまでもなく、緋沙子はそんな事は予想できていた。それに、これは伝えても仕方がないことなのだ。
あのえりな様に、自分の舌を裏切った料理を作るようになどと言えるはずがないのだから。