二勝五敗。
点数差も合計で十五点ほど差が付き、薙切えりなは『食戟』に敗れた。
それは、えりなにとってはまったくの予想外の出来事だったが、側で彼女を見てきたカモミールからすれば、当然の結果だった。
調理技術について、薙切えりなとローリエでは圧倒的な差があった。無論、薙切えりなの方が上だという意味だ。そして、天性の味覚の鋭さも、ローリエでは足元にも及ばない。
だが、薙切えりなは慢心していた。慢心しているということに気づかないほどに慢心していたのだ。
彼女の舌は『神の舌』ともてはやされていたらしい。
だから、彼女は自分の舌が美味だと判断するものこそが絶対の価値だと錯覚していた。
食べる側も自分と同じものを旨いと思うはずだと信じて疑わなかったのだ。
それでも、一週間、三食の食事を作るというこの長丁場の変則的な『食戟』でなければ、薙切えりなは勝利を収めることが出来たはずだ。現に、先に二勝を上げたのは彼女の方だったのだから。
この長丁場の『食戟』こそが、あの狡猾で陰険なフェンネルの仕掛けた罠だということに気づけなかった事が、薙切えりなの犯した大きなミスだ。
「薙切えりなさん。結果は絶対です。受け入れて下さい」
カモミールは最後の調理を終えたえりなに声を掛けるが、彼女は体を震わせていた。それは、怒りによるものだとカモミールは理解する。
「片付けが終わったら、今日まで双方の料理の判定者を務めて下さった神官様達に、最後にご挨拶をしてから戻ります。貴女も同行して下さい」
「……分かりました」
えりなの返事を聞き、カモミールは静かに片付けが終わるのを待った。
△
えりなはなんとか気持ちを押し殺して、片付けを手早く終わらせると、カモミールの後をついて、神殿を歩く。
思えば、神殿の入口から厨房まで来たことはあっても、それ以外の場所に行くのは初めてだった。
だが、そんなことよりも、えりなはやらなければいけないことがある。問いたださなければいけないことがある。
どうして、ローリエよりも美味なはずの自分の料理が低い点数なのか、きちんとした説明をしてもらわねば納得がいかない。
途中、別の厨房を使っていたローリエも合流し、えりなは三人で判定者のいる食堂まで足を運んだ。
この神殿自体が、荘厳な造りだが華美ではなく品を感じるように、食堂も衛生的で綺麗だったが、至って質素な雰囲気の大部屋だった。
「スターアニス様。この度は、我々の無茶な要望をお引き受け頂きありがとうございました。本日を持ちまして、すべての過程が終了致しました。ご協力に心から感謝致します」
「いいえ、カモミール様。大変興味深い催し物で、私を始め、参加させて頂いた皆さんも心より楽しませて頂きました」
部屋に入る際のノックをした際にも、入室を促した声は、このスターアニスと呼ばれた、二十代半ばくらいに見えるウェブのかかった金髪が印象的な女のものだった。
街の住人とは異なり、スパイスの名前を使っていることからも、この女がここの責任者なのだろう。
「スターアニスさんと仰るのですね? 一つ私の質問にお答え下さい」
頭を下げているカモミールとローリエとは異なり、えりなは顔を上げてスターアニスを正面から睨みつける。
「薙切えりなさん! 控えなさい!」
「何て無礼なことを!」
カモミールとローリエが慌てるが、えりなにとってはどうでもいいことだった。
「いえ。どうか発言をお続け下さい。薙切えりなさん」
スターアニスは右手を小さく挙げて、カモミール達に口を噤ませ、えりなの発言を許す。
「ありがとうございます。それでは、単刀直入にお聞き致します。どうして、私の料理がこちらにいるローリエさんの料理よりも下であると判断したのかをお答え下さい。
私とローリエさんは、互いの料理を食べあっていますが、私のこの舌は、どう間違っても私の料理が彼女のそれの後塵を拝すことなどありえないと判断しておりますので」
えりなは負けを認められない。
明確な説明がなければ、これが仕組まれた八百長だとしか思えないのだ。
「なるほど。貴女は自らの舌に絶対の自信をお持ちのようですね。確か、お話によれば、『神の舌』と呼ばれるほどの素晴らしい味覚をお持ちなのだとか」
「そこまでご存知ならば話は早いはずです。どうして、私のこの舌とは異なる判定をされたのか、お聞かせ下さい」
睨むえりなとは対象的に、スターアニスはにっこりと優雅に微笑む。
「それは簡単なお話です。今回の判定者が貴女ではなく、私達だったからですわ」
「……詳しく説明をお願いします」
「ええ。もちろんです」
スターアニスはそう言って説明をしてくれた。懇切丁寧に、分かりやすく。
「薙切えりなさん。貴女は今まで贅沢な食事を当たり前のようになさってこられたのだと思います。ですが、私達はそのような美食を食べ付けてはいないのです。それ故に、最初の二日間は驚きの連続でした。このような味があるのかと驚愕しました」
そこまでの説明は、えりなも納得できる。実際に、二日目まではえりなが勝利を収めていたのだから。
「ですが、美食を食べ付けていない私達にとって、それが三日も続くと、その味がしつこく思えてきてしまったのです」
「えっ……」
その言葉は、まったくの予想外で、えりなは言葉を失う。
メニュー作りには余念がなかったはずだ。濃い味付けのものが続かないように、あっさり食べられる料理も組み入れていたはずだ。
「納得いきませんか? それではもう少し言葉を言い換えましょう。薙切えりなさん。貴女の料理は美味しすぎるんです。ですから、私達はもっとあっさりとした、穏やかな美味しさの料理を食べたいと思ってしまったのですよ。そして、そんな私達にとって、ローリエさんが作って下さった料理こそがまさにその時に食べたい料理だったのです」
「そんな……。そんなの、納得がいきません! どちらの料理が優れているのかを判断するのが『食戟』! それなのに、判定者が食べ慣れていないから、味の劣る料理の方が優れているというのは、おかしな話です!」
えりなはそう否定しながらも、自分に否があるのを心の何処かで感じてしまった。だから、だんだん勢いが弱くなる。
「薙切えりなさん。私や両隣に控えている今回の判定者となった神官の嗜好を、好みを、貴女はご存知ですか?」
「……いいえ……」
えりなは正直に答えるしかない。
「そうでしょうね。貴女はそれを細かく調べようとはしなかった。直接私達に会えずとも、従者にお尋ね頂ければ、ある程度はお答えできることであったのに、それをなさらなかった。ローリエ様とは違って」
ローリエの名を聞き、えりなは彼女の方を見る。すると、彼女は哀れみの表情を浮かべていた。
「薙切えりなさん。貴女は、自分が作った料理を食べる人のことを考えていなかったのではないですか? 私達もローリエ様とこうして顔を合わせるのはこの『食戟』と呼ばれる勝負が初めてですが、彼女は一日の勝負が終わるたびに、私達に料理の味がどうだったかを教えて欲しいと尋ねられていましたよ」
「……それは、でも……」
「ルール違反ではないと私は考えます。彼女は、自分の勝敗を変えて欲しいと願う事はありませんでしたから。ただ単純に、私達に美味しい料理を食べてもらいたいという善意の気持ちから、改良点を尋ねられただけです」
スターアニスはそこまで言うと、「ご納得頂けましたか、薙切えりなさん?」と尋ねてくる。
「…………」
えりなは何も言えない。
「食べる相手のことを考えない料理というものは、ただの自己満足の料理に過ぎません。もしも貴女に他人を思いやる心があるのであれば、この結果は間違いなく逆になっていたでしょう。ですが、これが今回一度きりの勝負であるのであれば、私はローリエ様の勝ちだと断言致します」
スターアニスの言葉が、えりなの胸に突き刺さる。
そして、今度こそ、えりなは完全に認めてしまった。
自分は、この『食戟』に敗北したのだと。