薙切えりなが『食戟』に破れた次の日。
彼女は大切な従者であり、友人である新戸緋沙子との別れの言葉も交わさずに、この場所に連れてこられた。
「着きましたよ、薙切えりなさん」
ここまで魔法で連れてきたフェンネルは、短くそう言うと、「後は、この家屋の中で待っているジンジャーさんから話を聞いて下さい」と言い残し、魔法を使って姿を消した。
終身刑。
『食戟』で敗北したえりなは、その刑を受け入れた。
敗北した以上、結果は受け入れなければいけない。それに、受け入れるのを拒否したところで、力ずくで言うことを聞かされるだけなのは目に見えていた。
けれど、えりなは知らない。
この世界においての『終身刑』というものがどれほど過酷なものであるのかを。
「このボロ屋に住めというの? ……まぁ、石の牢獄よりはましね」
えりなは、目の前に見える木造の粗末な家を見て、そんなことを呟く。
今、彼女は何も持っていない。文字通りの裸一貫だ。服さえもない。けれど、家屋が与えられるのは少し甘い気もした。
「ボロ家で悪かったね。だけど、そんな事を言っていられるのは今だけだよ。この家が、お前の終の棲家なんだからね」
家の中から、小柄な老婆が、ジンジャーが出てきた。
「薙切えりなだったね。改めて名乗らせてもらうよ。私はジンジャー。公共施設の管理を任されている。この家屋もその一つで、ここをお前に貸し与えるように頼まれただけの老いぼれだ」
「…………」
えりなは何も応えない。
「ああ、ここでは喋るのは自由だよ。この家と庭以外にはどこにも行けないだけで、他は自由だ。好きにすると良い。食事は、あの牢獄と同じものが、毎日三食分運ばれてくるし、家の中なものも好きに使うといい」
ジンジャーは簡単な説明を終えると、「それじゃあ、もう会うこともないだろう」と言い残し、魔法を使って居なくなろうとする。
「まっ、待ちなさい! そんな雑な説明だけで終わりなんですか?」
えりなは慌ててジンジャーを引き止める。
「まったく、どうやら分かっていないようだから、最後のサービスだ。薙切えりな。お前は、もう見限られたんだよ。更生の余地なし、と考えられてね。お前は魂が朽ちるまでここに一人でいるんだ。ずっと、ずっとね」
「…………」
えりなはジンジャーの表情に恐怖を覚え、言葉が出てこなくなった。
ジンジャーは別にえりなを脅したり、威嚇したりはしていない。彼女はただ、哀れみの表情を浮かべていただけだ。だが、だからこそ、えりなは恐怖を覚えた。
「それじゃあ、さようなら、薙切えりな。その魂が朽ちる前に、自分の愚かさに気がつけるように努力をおし。そうすれば、次の生ではまともに生きられるかもしれないよ」
「まっ、待って! まだ何も話は!」
えりなは懇願したが、ジンジャーは魔法を使って姿を消した。
「なんなの、いったい……」
訳がわからない、えりな一人が残されてしまった。
えりながこの時のジンジャーの言葉の意味を理解するのはもう少し先の話。
そう、もう少しだけ……。
△
新戸緋沙子は、誰よりも真剣に課外活動に取り組む。
もちろん、彼女がこうして懸命に作業を行う理由は一つ。一日でも早く、神官になるためだ。
終身刑となり、この施設から居なくなってしまった敬愛する主人を、薙切えりなを救い出す手段はもうそれしか残っていない。
そのためならば、緋沙子は何でもするつもりだったが、懸命に課外活動に取り組むこと以外に、今は何もできない事が悔しくてならない。
(えりな様……。えりな様……)
緋沙子は呪文のように、えりなの名前を心のうちで繰り返して作業に取組む。
看守に逆らい、ボロボロになった愚かな囚人が居て、看守からその囚人を痛めつけるように命じられれば、緋沙子は躊躇わずにそれを行った。
痛む良心に背を向けて、自分を殺して、ただただ神官になるためだけに行った。
その結果、緋沙子は看守から認められ、あのズタ袋を再び所有することを認められた。
けれど、それだけだった。
それ以上、緋沙子の待遇が変わることはなかったのだ。
ずっと、ずっと、彼女は頑張り続けた。けれど、それが報われることはなかったのだ。
そう、何度も季節の循環を経験しても、彼女の後に入ってきた囚人の一人が神官に取り立てられることはあっても、新戸緋沙子という女にその道が開かれることはなかった。
どんどん、収容される人間が様変わりしていく。けれど、緋沙子は変わらぬ生活を続ける。
気がつくと、あの『赤髪』と呼ばれる女以外は、全てが後輩になってしまった。
けれど、そんなことさえ当たり前になるほどに、時間はゆっくりと、けれど確実に流れていった。
(えりな様……。えりな様……)
会えない時間が長くなりすぎて、緋沙子の記憶の中のその人物の顔が薄れてきても、緋沙子はその呪文を繰り返し続ける。
やがて、彼女の目からは光は失われ、ただその呪文を繰り返す様になった。
変わらないのは、女神の加護を受けた彼女の肉体という入れ物だけ。以前のように十代の若く瑞々しい躰のままだ。
けれど、心は壊れ、やがて腐敗していく。
そして、自分が口にする『えりな様』という存在が何だったのかを忘れてしまった頃、一つの出来事が起こる。
それは、とても珍しい、奇跡のような出来事だった。