ボロ屋の縁側に座って外を見ていると、雪が降ってきた。
そのことに、久しぶりに私の目に光が宿る。
もう、何度目の雪だろうか? よく覚えていないが、十回は超えていたはずだ。
けれど、そんな私は……薙切えりなは、全く年を取ることもなく、成長することさえなく、あの時と変わらずにこのボロ屋に一人で居る。
そう、居るだけだ。生活しているといえるほどのことは何もしていない。
ただ、いつもあの牢獄の人間が週に一度、纏めて持ってくる錠剤と、庭の井戸から汲むことができる水だけを飲んで、ゆっくりとしか進まない時間の経過を待つだけの日々を過ごしていた。
――終身刑。
私がその罰の過酷さに気がつくのに、少し時間が必要だった。
きっと、ここに連れてこられた頃の私は、少しの時間が経てば、またあの牢獄に戻されるとでも思っていたのだろう。
……いや、もっと甘く考えていた。
緋沙子が自分を助けてくれるのではと、根拠のない希望を抱いていた。
「そう言えば、緋沙子を恨んでしまったこともあったわね……」
緋沙子ならきっと助けてくれるという期待が、時間が経つにつれて、疑惑に変わり、そして、恨みに変わったこともあった。
どうしていつまでも助けに来てくれないのだろう。私が頼りにできるのは、もう緋沙子しかいないのに。
そう恨み続けた。
けれど、その『恨み』というものも、時間の経過とともに『諦め』というものに変わってしまった。
「……私は、いつになったらこの苦しみから開放されるの?」
このボロ屋での唯一の娯楽は、季節の変化をこの目で見られること。
この場所にも四季はあるようで、遠くに見える山の色が変わるし、冬には雪も降る。
ただ、その緩やかな変化を眺めているだけの生活は、地獄以外の何ものでもなかった。
「そう言えば、なんとかここから出られないかと努力したこともあったわね。そして、それが無理だと分かって絶望して、今度はどうにかして死ぬことはできないかと思って……」
すべてを諦め、死のうとしたが、どうやっても私は死ぬこともできなかった。
食事を抜き続けても、飢えが続くだけだった。井戸から汲んだ水に顔を沈めて見たが、苦しさは感じるものの、いくら待っても死ねなかった。
わずかにタンスの中に入っていた着物を使って首を釣ろうともしたが、結果は同じ。ただ、苦しい思いをしたのと、貴重な服を痛めてしまっただけだった。
そして、『死のう』という気持ちも、『諦め』に変わった。
「随分、今日は多弁ね、私。まぁ、雪が降ってくれたのだから、仕方ないわよね」
雪が降るのは特別なこと。代わり映えのしない日々の明確な変化だから。それに……。
「それじゃあ、また小石を一つ追加」
庭の石を一つ巾着に入れて、それからわざわざ巾着を開いて、中を確認する。
きっと、他の人間が見たら、頭がおかしいと思うだろう。けれど、これは私の数少ない楽しみの一つなのだ。
「……十五……。そう。それだけ時間が経ったのね」
この場所の暦が、グレゴリオ暦を使ってているのかは知らない。
だけど、四季があることを理解した時から、私は雪が降るたびに、予めこのボロ屋の中に置いてあった巾着に、庭の小石を一つだけ入れる習慣を作った。
これだけは、昔の自分を褒めてあげたい。これがなかったら、娯楽が一つなくなっていたのだから。
「十五年か……。本来なら、私も三十歳を超えて……。きっと、結婚して子供もいたはずよね」
そんな事を想像しながら、私は微笑む。本当に久しぶりに、笑った。
その時だった。
不意に、この家の入口の方から物音が聞こえたのは。
「誰か居るの?」
そんな私の誰何の声は、返答を期待してのものではなかった。
きっと、風か何かだろうと思っていた。でも……。
「すっ、すみません! 覗き見をしてしまいました」
そのまま逃げればいいのに、律儀にも謝罪をしながら、家の影の部分から、白い服を纏った水色の髪の小柄な十代前半くらいの少女が現れる。
彼女は顔を真っ赤にして、「その、本当にすみません」と何度も頭を下げる。
「……あら? 見ない顔ね」
「はっ、はい! わっ、私は、昨日から働くことになりました、ターメリックと申します! そっ、その、今週の食事をお持ちしたのですが、ご挨拶をしてもお返事がなかったもので……」
ターメリックと名乗った少女は、そう言って謝りながらも、チラチラとこちらを見てくる。
彼女の視線の先が自分のむき出しの乳房であることを理解した私は、「ああ、ごめんなさい」と言って、家の中に入ると、白い貫頭衣を身につけた。
「見苦しい格好を晒してごめんなさい。服が傷むのが嫌だから、普段はあまり身に着けないようにしているの」
私がそう言って謝ると、ターメリックは「いえ、その、すごく大きくて綺麗で羨ましいです」と自分の控えめな胸を撫でながら言う。
「食事を持ってきてくれたのね、ありがとう」
私が近づいて微笑むと、ターメリックは恥ずかしそうに、
「いえ、仕事ですので」
と胸を張って応え、食事の入った小さな袋を手渡してくれた。
その明らかに背伸びをして大人ぶろうとしているのが微笑ましくて、私はつい彼女の頭を撫でてしまった。
看守の一人だろうから、きっとこのターメリックも、私などとは比較にならないほど強いはずだ。手を振りほどこうと思えばいくらでも振り解けるだろうに、彼女は照れながらも、なされるがままになってくれた。ただ、流石に長く撫ですぎて、「あっ、あの……」と声をかけられてしまったので、慌てて手を引っ込める。
「あっ、ごめんなさい。人とこんなふうに話をするのは久しぶりだったから、つい……」
かつての私ならこんなことはしなかったと思う。けれど、人恋しかったのだ。あまりにも孤独すぎて。
「いっ、いえ! 大丈夫です! そっ、それでは、失礼いたします!」
ターメリックは顔を真っ赤にしながら、逃げるように魔法を使って帰って行ってしまった。
私はそのことに驚きながらも、久しぶりに触れた他人の温かさに心が満たされる思いだった。
それから、ターメリックが私の家に毎週、食事を運んでくれるようになった。
本当はいけないのだが、彼女は毎回来るたびに、私に少しだけ外の話をしてくれた。
それは何よりもありがたいことだったが、先輩に帰りが遅いことを指摘されてしまったらしく、すぐに別の人間が事務的に食事を持ってくる形に変わってしまった。
でも、私はターメリックという少女に、心から感謝している。
彼女が最後に私のこの家にやってきた時に、もうここには来られないことをわざわざ謝ってくれたばかりか、こっそり素敵な贈り物をしてくれたのだ。
その贈り物のお陰で、私の娯楽が一つ増えた。
……いや、違う。
それは、娯楽などの粋を超えて、私にとって何よりもかけがえのないものになったのだ。
そう、何よりも……。