季節はすっかり冬に入っていた。
期末試験も終わり、学生であれば、間もなく待ちに待った冬休みになる事を喜ぶのが一般的だが、小早川悠斗は一人、自分の店で嘆息まじりに、試作で使った皿洗いをし、テレビを見ていた。
テレビの内容は、あの薙切えりなの話題。
精力的ながらも、強引な手法で反感を買っていた薙切薊から、彼の娘である薙切えりな新総帥に代わる就任挨拶が、これから生中継で放送されるのだ。
悠斗は同い年の少女の大躍進に、もともと世界が違うと思っていたが、それがより顕著になったことを寂しく思う。
おこがましいと思うが、あの少女を、薙切えりなをひと目見たときから、自分は彼女に惹かれていたのだ。
もちろん、自分の料理を不味いと言って、頭から被せられた事は快く思っていないが、そんな事を忘れてしまいそうになるほど、彼女はあまりにも美しかった。
彼女との一件があった数日後、彼女の一糸まとわぬ姿を夢で見てしまい、悠斗は己の性欲を恥ずかしく思うとともに、本当に自分は薙切えりなに惚れてしまっているのだと自覚した。
「あっ!」
テレビの中継が切り替わり、薙切えりなの新総帥就任の挨拶が始まった。
相変わらず美しく、多くのカメラの前だと言うのに、毅然とした態度で挨拶の言葉を口にする薙切えりなの堂々とした姿に、感心するのと同時に寂しく思う。
やはり、住む世界が違う。
悠斗は改めてその事を理解し、大きなため息を付いた。
「……やっぱり、もう少し頑張ろう」
今日はもう試作はやめにしようと思っていたが、少しでも腕を上げたいと思った。
そんな日は二度と来ないだろうが、いつかこの店と自分がもっと有名になり、彼女が食べに来てくれて、美味しいと言ってもらえるように。
それに、どうせ試作をやめても、この店の二階の居住スペースに戻るだけだ。あの誰もいない、寂しい場所に。
悠斗がそう思い、テレビを消そうと思ったときだった。
コンコン、と、正面入口のドアが叩かれたのは。
最初は風かと思ったが、何度か規則正しいリズムで刻まれるそれは、明らかに風によるものではない。
しかし、今日は平日で、店を開けていないし、その旨は、掛け看板に書いてある。
近所の人が訪ねてくるのならば裏口からのはずだし、いったい何処の誰だろう?
「あっ、はい。今開けます」
不審なものを感じたが、ノックはいつまでも続くので、悠斗はそう声をかける。
もう十二月も後半だ。外はこの上なく寒い。
いつまでも立たせておくのは可哀想だ。
店の入口の明かりをつけ、悠斗は店の入り口の鍵を開けようとする。
そこには、フードの付いたコートを身にまとい、頭まで隠している人物が二人立っていた。
「その、どのような御用でしょうか?」
危機感が足りない行動だが、悠斗はドアを開けて、コートの二人に話しかける。
すると、顔を俯けている二人のうちの一人が、顔を上げてフードを外した。
「えっ……」
悠斗は言葉を失った。
そのフードを外した人物の顔は、今までテレビ越しに見ていた少女の顔だったのだから。
「小早川悠斗様。大変遅くなり申し訳ございません。私、薙切えりなは、貴方様にお仕えさせて頂くために参りました」
慇懃に礼をする、薙切えりなを名乗る少女の姿に、悠斗は思考が停止し、何も考えられなくなってしまうのだった。
△
とりあえず、薙切えりなと名乗る少女達を店の席に案内をし、悠斗は厨房でコーヒーを入れながら、ものすごく古典的な方法だが、自らの頬をつねってみた。
そして、予想通り痛いのを五回ほど確認し、席に座る二人の姿が幻のように消えて無くならないこともしっかり確認してから、これが現実だということを認めた。
テレビでは、ようやく薙切えりなの就任の挨拶が終わったところだ。
悠斗は困惑する頭を激しく横に振り、とりあえずは寒そうなあの二人にコーヒーで温まってもらうことを優先することにした。
「その、口に合うか分からないですけれど……」
悠斗はそう前置きしてから、薙切えりなとフードをかぶったままの人物の前にコーヒーをお出しする。
すると、フードを被っていた人物も、それを外した。
薙切えりなと一緒にいる人物ということで想像は付いたが、その人物は赤紫髪の少女、新戸緋沙子だった。
先程、少しだけだか彼女も、生中継のテレビに映っているのを見た悠斗は、ますます混乱する。
「その、申し訳ありません。私などでは、小早川悠斗様のお好みにそぐわないと思いますが……」
新戸緋沙子は顔を見せるなり、コーヒーに手を付けず、神妙な面持ちで頭を下げてくる。だが、悠斗には彼女が何を言いたいのかまるで分からない。
「緋沙子。いきなりそのようなことをお話しても、小早川様が混乱されるだけですよ」
薙切えりなは、新戸緋沙子をやんわり嗜める。
「小早川様。少々長くなりますが、私、薙切えりなと新戸緋沙子がこの場にいる理由についてご説明をさせて頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「そっ、それは是非お願いします。ですが、その、小早川様というのはなんだか恥ずかしいので……」
「わかりました。そのようにお望みでしたら、謝罪後に改めさせて頂きます」
薙切えりなはそう言うと、静かに立ち上がってコートを脱いで畳んで、今まで座っていた椅子の上に置く。彼女の服装は遠月學園の制服で、先程テレビで見たものとまったく同じだった。
「あっ、えっ……」
薙切えりなは、床の上に跪くと、そのまま深々と頭を下げて土下座をする。
「小早川様。先日、私は貴方様にとんでもない粗相をおかしました。この程度の謝罪でお許し頂けないことは重々承知の上ですが、どうか謝罪をお受け取りくださいませ。まことに、申し訳ございませんでした」
床に指を付いて、あの薙切えりなが土下座をして自分に謝っている。
この光景が現実のものには思えなくて、悠斗は呆然とするしかなかった。
「その、私も小早川様に無礼をはたらきましたことを、心からお詫び申し上げます」
薙切えりなに続き、新戸緋沙子も床に土下座をし、謝罪してくる。
その光景に、悠斗はもう一度自分の頬をつねったが、やはり痛いだけだった。
「あっ、いや、その……。どうか顔をあげて下さい。もう以前のことですし、僕は気にしていませんから」
いつまでも二人に土下座をさせておくのは申し訳なく、悠斗は二人に顔を上げるように言う。
「……御慈悲に感謝致します。そして、数多の女の中から、私をお選び下さったことを重ねて感謝させてくださいませ。そのおかげで、私はかけがえのない友人である緋沙子を救うことができました。
この御恩は、この身が尽き、何度生まれ変わろうとお返しできるものではございません。ですから、今日このときより、私、薙切えりなを、貴方様に、小早川悠斗様にお仕えさせて下さいませ」
薙切えりなは顔だけはあげてくれたが、跪いたままの姿勢で、悠斗の言葉を待つようにじっとしている。
新戸緋沙子の方は、土下座したまま顔を上げようともしない。
「そっ、その、お仕えするというのは?」
席に戻ってくれるように言おうとした悠斗だったが、薙切えりなの真っ直ぐな視線に気圧され、その言葉を飲み込み、彼女にそんな質問をする。
「はい。わかりやすく言えば、貴方様の奴隷となります。私の生殺与奪を含めたすべての権利を小早川様にお渡し致しますので、ご自由に使い捨ててくださいませ」
「えっ、その、そんなこと……」
いきなりそんな事を言われても、悠斗は困ってしまう。
「あっ、あの! とりあえず椅子に座って下さい! その上で、もう少し詳しく話を聞かせて下さい。正直、僕には何が何やら……」
悠斗は混乱し、少し強い口調で言ってしまったことを後悔したが、薙切えりなと新戸緋沙子は、「かしこまりました」と口にし、優雅な挙動で席に戻る。
「そっ、その、温くなってしまう前に、まずはコーヒーをどうぞ。そして、一から話して下さい。どうして、貴女達がここにいるのかを」
悠斗の言葉に、「はい」と二人は返事をし、コーヒーカップを持ってそれを口に運ぶ。
それから、薙切えりなが話し始めた。
それは、とても荒唐無稽な話だったが、以前に悠斗が見た夢と関連する話だった。
そして、悠斗は理解する。
あの夢だと思っていた出来事は、現実での出来事だったのだと。