小早川悠斗の通う高校の今年の終業式は、十二月二十四日だった。
それは、言わずとしれたクリスマスイブ。クリスマス当日よりも、この日を祝う風潮がある。
まぁ、小学生や中学生の頃ならいざしらず、高校生にもなると、ごく一部の恵まれたカップルが幸せな時間を過ごすという都市伝説以外では、友達とクリスマスパーティーをすれば上出来で、後は家族でケーキを食べて終わる人間がほとんどだ。
「はぁ~。なんで、今年も俺は悠斗と一緒に帰っているんだろうなぁ。こんな年に一度のイベントの日に」
「ははっ。去年も同じことを言っていたよね、智也は……」
終業式が終わり、智也のぼやきを聞きながら、悠斗は彼と一緒に家路についていた。
「その上、成績も下がっちまったから、またどやされそうだしよぉ~」
「期末試験、ヤマが外れたって嘆いていたもんね」
「悠斗はどうだったんだよ、成績?」
「僕も少し下がった。どうしても苦手な数学と英語がね」
「うんうん。それでこそ俺の親友だ!」
智也は嬉しそうに悠斗の背中をバンバン叩く。
「でも、僕はもう叱られることはないと思うから。それに、大学に行くつもりもないし、とりあえず卒業できればいいかなって」
「……そっか。まぁ、店のこともあるもんな」
智也は少しだけ言葉を詰まらせたが、いつもの笑顔で気楽に同意してくれた。
その事を嬉しく思いながら、悠斗は智也ととりとめのない話をし、元旦の初詣の約束を再確認してから途中で別れた。
「数学と英語が『3』に落ちただけだし、休み明けのテストで頑張ればなんとかなるだろう」
赤点だけ避けられればいいのだが、それを目標にすると、何かの拍子で躓くかもしれない。だから、ある程度余裕を持って卒業できるようにすればいい。
悠斗は歩きながら、そんなぼんやりとした目標を立てる。
そう。以前のように、もっと向上心を持ちなさいと、お説教をしてくれる親はもういないのだから。
その事を気楽に思う反面、寂しくも思いながら、悠斗は家に戻るのだった。
……訂正したいと思った。
優斗は、つい先程、寂しいと思った自分の気持ちをなかったことにしたいと思ったのだ。
「……悠斗様……」
「はっ、はい!」
悠斗はソファー浅く腰を掛けて、低い声で自分の名前を呼ぶ、赤紫色の髪の少女の言葉に軍隊さながらの返事をする。
赤紫色の髪の少女――新戸緋沙子の手には、悠斗の成績表が握られている。
帰宅すると、いつものように彼女と薙切えりなに出迎えられたのだが、その際に、成績表をお見せくださいと頼まれた。
悠斗は怪訝に思いながらも、気楽な気持ちで緋沙子にそれを手渡したのだが、彼女は笑顔で、そう、有無を言わさぬ笑顔で悠斗にソファーに座るように言い、テーブルを挟んで自分も対面に座った。
嫌な予感がした優斗は、えりなに視線で助けを求めたが、彼女はにっこり微笑むと、「お茶を淹れてきますね」と言って台所に行ってしまった。
「単刀直入に申し上げます。勉強時間を増やしましょう」
「……えっ?」
悠斗の言葉に、緋沙子は「『えっ?』ではありません」と言うと、成績表を開いて、悠斗の方にそれを向ける。
「おわかりでしょうが、数学と英語の評価が下がっています。成績が上がった科目が一つもないのにも関わらず、です」
「あっ、その、うん。……ごめんなさい」
緋沙子の低い声と笑顔の迫力に負けて、悠斗はつい謝ってしまう。
「でっ、でも、その、僕は進学は考えていないし、なんとか無事に卒業できれば……」
「そんな低い志でどうしますか! 悠斗様は、私達のご主人様なのですよ!」
「えっ、あの、その、それって……関係有るのかな?」
「あります! 大いにあります!」
全国に高校生は多くいるだろうが、こんな理由で叱られる人間は自分ぐらいだと悠斗は思う。
「いいですか、悠斗様。料理人に学がいらないと思ったいるのでしたら、それはあまりにも古い考えです。ましてや、雇用されているのではなく、お店を経営されている以上、得なければならない知識、そして資格は山程あります。
それらを一つ一つ取る方法もありますが、進学をされて、専門学校に通うか、大学に進んだ方が効率は圧倒的によろしいです。そもそも、そういった学校に近いこの立地条件を生かさずにどうしますか!」
緋沙子のお説教はそれから十五分ほど続いた。
「……というわけですので、お勉強をしっかりなさって下さい。私とえりなが付き添いますので」
「はっ、はい。頑張ります……」
悠斗はそう言って頭を下げるしかなかった。
「はい。結構です。とはいえ、いきなり今日からでは気分が滅入るでしょう。折角のクリスマスイブですし、今日は楽しむことに致しましょう」
緋沙子はそう言うと、にっこりと微笑んでくれた。
「話が長くなり、昼食が遅くなってしまいましたね。申し訳ございません。すぐに、ご用意いたします」
緋沙子は立ち上がって悠斗に一礼すると、静かに台所に向かって行った。
「すみません、悠斗様。緋沙子がはしゃいでしまって」
すっかり冷めてしまったお茶を口にする悠斗に、今まで黙って近くに立っていたえりなが声を掛けてくる。
「はっ、はしゃいでいるの? あれが?」
「はい。そして、悠斗様を大切に思っているのです。自分の仕える方が他人から後ろ指を指されることがないようにと、一目を置かれる存在に成長して頂きたいと願っているのです。どうか、その気持ちは汲み取って下さいませ」
「……そうなんだ。うん。分かったよ。……でも、勉強か。料理修行も一緒にしなければいけないのに」
悠斗は憂鬱そうにため息をつく。
「料理のこともお任せ下さい。まだまだ私も緋沙子も修行中の身ですが、見た目以上に研鑽はしておりますので、お役に立てると思います」
「あっ、うん。そうだね。僕も、えりなのような料理を作れるように頑張るよ」
悠斗は苦笑交じりに言うと、しかしえりなは首を横に振った。
「悠斗様。私がお教えできるのは、包丁技術などと知識だけです。ですので、どうか私のような料理ではなく、ご自分の目指す料理を追求して下さい」
「えっ? でも、君の料理は、すごく美味しくて……」
「ありがとうございます。ですが、私もまだ自分の料理を模索している最中なのです。以前のように、高級食材の旨味をより引き出すことだけに腐心するのを止めて、ありふれた食材を美味に変えることができないかと頑張っているんですよ」
えりなはそう言って、柔らかく微笑む。
「えりな……。やっぱり、君は変わったんだね。いや、その、悪い意味ではなくて」
悠斗はえりなの変化を好ましく思う。以前の強気で気高い面を持ちながらも、今の彼女には温かさが感じられるのだから。
「ふふっ。悠斗様にそう言って頂けると、何より嬉しいです」
えりなは嬉しそうに微笑むと、静かに悠斗の頬にキスをする。
「あっ、えりな……」
「さぁ、昼食ですよ、悠斗様」
顔を真っ赤にする悠斗の手を取り、えりなは食卓に向かう。
本当に、この数日、気の休まる暇がないほど慌ただしい。
だが、えりなと緋沙子が来てからというもの、悠斗はまったく寂しさを感じることはなくなった。
「悠斗様、昼食は軽めにサンドイッチにしました」
「ああっ、美味しそうだね」
笑顔を向けてくる緋沙子に、悠斗は感想を述べる。
「夕食は、私と緋沙子が腕によりをかけて作りますので、悠斗様は明日のお客様のお料理に専念して下さい」
「うん。ありがとう、二人とも……」
明日のクリスマスに一組だけ予約が入っているので、悠斗は昼食を終えると、二人に夕食を任せて、その下準備に取り掛かることにする。
(えりなと緋沙子が腕によりをかけた料理か……。よし、僕も負けていられないな!)
腕の差を考えると、なんともおこがましい発言だと自分でも思うが、悠斗は気持ちだけでは負けないようにしなければと、気合を入れるのだった。
△
日が暮れるまで明日の仕込みを頑張り、悠斗はすべての準備を終えて居住スペースに戻った。
するとそこには、クリスマスらしい飾り付けが壁一面にされていた。
もみの木、トナカイ、サンタクロースが、壁に所狭しと飾られている。
子供っぽいと思う気持ちもあったが、年に一度のクリスマスらしくていいと悠斗は思う。
ここ数年は、仕事が忙しかったことも有り、両親とさえゆっくりとクリスマスを祝うことなどなかった事を思い出す。
けれど、それでも両親が居てくれただけ幸せだったのだ。
無くして初めてそのありがたさに気づく自分は、この上なく愚かだと思う。
しかし、そんな憂鬱な気持ちはすぐに吹き飛んだ。
「悠斗様! お疲れさまでした。お食事に致しましょう」
「えりなと二人でケーキも作ったんですよ。さぁ、お席にどうぞ」
そう、そんな気持ちは吹き飛んだ。
自分に向かって微笑んでくれる美しい二人の少女の声を聞いて。
そして、幸せなクリスマスイブの時間が始まる。
そう。悠斗にとっても、えりなと緋沙子にとっても忘れられない時間が始まるのだ。