無言が続く。
状況説明を口にしたフェンネルが嘆息してからというもの、一向に喋らないからだ。
ここは、『矯正調教プログラム』とやらの説明を受けて、この忌まわしい躰に改造されてしまった部屋。
マァムはそこにつれてこられ、こうして全裸で床に正座し、背もたれのある椅子に座っているフェンネルの無言の圧力を受けている。
フェンネルの話では、夕食の時間を知らせる鐘の音が鳴り、その時、みんなを案内する看守だったクミンに発見された自分は、全裸で小便の池を部屋に作り上げて、蕩けきった表情で気絶していたのだという。
クミンは大慌てで自分を部屋からだして、いの一番にシャワーを浴びせると、こうしてこの部屋に、診察兼手術部屋に運んだのらしい。
目が覚めるまではベッドの上に寝かされていたが、意識が戻るなり床の上に正座をさせられ、そのままこれまでの経緯を説明されたのだ。
マァムは説明を聞き、羞恥と怒りで顔を真っ赤にしていたが、いつまでも続くフェンネルの無言に、だんだん苛立ちを覚えてくる。
「……ああ、何か言いたいことがあるのなら、喋ってもいいですよ。許可します」
フェンネルはそう言うと、再び嘆息する。
「どうして……どうして私の躰をこんなおかしな風に変えたのよ……。こんな事をして、何が楽しいのよ!」
マァムは、怒りの声を上げる。あまりの怒りに、目には涙が浮かんでいる。
「…………」
しかし、そんなマァムとは対象的に、フェンネルは何も言わず、また嘆息するだけだ。
「答えなさいよ! そのせいで、私はあんな……」
思い出すだけで、無様で惨めで、死にたくなるような事柄に、マァムは涙を流す。
だがそこで不意に、彼女の躰は後方に吹っ飛び、壁に叩きつけられた。
……壁に激突した背中が痛いが、それ以上に鼻が痛い。そして、そこから赤い液体がポタポタと落ちていく。
「ああ。すみません。折檻するつもりはなかったのですが、あまりにも腹立たしくて、ついやってしまいました。私も、修行が足りませんねぇ」
立ち上がって無表情でいうフェンネルのその言葉に、マァムは完全にキレてしまった。
「……」
マァムは鼻の傷を今まで見せていなかった回復魔法で治すと、立ち上がり、全身の闘気を拳に集中させる。
そして、腰だめに右拳を構えたかと思うと、その拳をフェンネルの体を目掛けて繰り出す。
それは、マァムの持つ奥義の一つ。武神流奥義の猛虎破砕拳という技だった。
彼女の持つ攻撃の中で、最も物理的破壊力が大きい技。
それを何の加減もなく、フェンネルに打ち込んだのだ。
フェンネルはその凄まじい速度の攻撃に、左の掌をあわせて防ごうとする。だが、それは無駄な抵抗だ。
命中すれば、その一点を起点として体が砕かれる。これは、そういう技なのだ。
放った右拳がフェンネルの左の掌に触れた瞬間、マァムは彼女の腕が砕け散る事を確信していた。
だが……。
フェンネルの掌はしっかりとマァムの右拳を受け止めた。そして、何故か左手ではなく、フェンネルの立っていた床に大きな亀裂が入る。
「そっ、そんな……」
マァムの必殺の一撃は、完全にフェンネルに受け止められてしまった。
しかも、彼女はその場から一歩も動いていない。マァムの技の威力は、完全に受け流されてしまったのだ。
驚愕するマァムだったが、冷静に判断していられたのはその瞬間までだった。
自分の繰り出した右拳から、凄まじい威力が逆に返ってきて、マァムの右拳から右の肩、そして右肋骨数本を砕いたのだ。
「くっ、あああああっ!」
マァムはあまりの痛みに悶絶して床に転がってのたうち回る。だがそのせいで、躰が一層傷んで、また激痛が走る。
負の循環だった。
「なるほど。今のが、貴女の師である拳聖ブロキーナ様の技ですか」
フェンネルはのたうち回るマァムに興味を示さず、淡々と言葉を紡ぐ。
「素晴らしいとしか言いようがない技ですね。マァムさんのような未熟者が繰り出してもこの破壊力。まともに当たっていたら、倒されていたでしょうね。
機会があれば、是非、ブロキーナ様にお会いしてお話を伺いたいものです」
フェンネルはそう言うと、マァムに近づき、彼女に向かって手をかざした。
「ぎっ、ぎぃやぁっ! いっ、痛い! いやぁぁぁぁっ!」
すると、マァムの口から、一層酷い悲鳴が上がる。
堪えきれない。躰の内部で何かが動いている。その度に、鋭い痛みが連続で襲いかかってくる。
マァムは今まで以上の痛みに、悶絶する。
「今、貴女の体の骨なんかを直しているだけですよ。ただ、普通は痛覚を消すんですが、看守に手を上げた罰です。少しの間、地獄を味わって下さいね」
フェンネルはそう言うと、静かに椅子に座り直した。
それからしばらくの間、マァムの悲鳴が響き渡っていたが、彼女の声が枯れる頃には、治療が終わった。
「……どうして……武神流の奥義が……」
マァムはまだ痛む右腕を左手で抑え、フェンネルを睨みつける。
だが、涙に濡れて、体力を使い果たしたその瞳には、もう力がない。
「マァムさん。貴女がその武神流という流派に誇りを持っているのならば、人前でその名前を口にするのは止めたほうがいいですよ。貴女のような未熟者が背負うには、その名前は重すぎるようですから」
フェンネルはそう言い、「ブロキーナ様が不憫ですよ。貴女のような弟子しかいなかったとは」と嘆く。
「わっ、分かったようなことを言わないで! 貴女が武神流の何を知っているというの⁉」
マァムが抗議の声を口にする。
「マァムさん。貴女、修行が全然足りません。剛拳だけは少し使えるようですが、柔の動きが全く出来ていませんよ。だから、相手の攻撃を受け流すことも出来ないですし、自らの攻撃のダメージが自分に跳ね返って来た際にも、それを地面に逃がすことが出来ないんですよ」
フェンネルは、大人びた口調で言うと、大きくため息をつく。
「これは私の推測に過ぎませんが、ブロキーナ様は貴女に、今の技を使うことを控えるように仰っていたのではないですか? 柔の動きがまるでなっていない貴女は、衝撃を流すことが出来ずに、自分の躰にもダメージがくると」
フェンネルのその指摘に、マァムは言葉を失う。
それが、事実だったから。
「貴女はどれだけの時間を武術に注いできたのですか? 武術を修めんとする方々は、何年、何十年と研鑽を積み上げているのですよ。
それなのに貴女は、多少の才があることを鼻にかけて、碌な鍛錬をしてこなかったようですね」
「違う! そんな事! 私は、鍛錬を怠ったことは……」
マァムの反論に、フェンネルはまたため息をつく。
「その鍛錬というのは、ただの剛拳の繰り返しだったのでしょう? 大魔王バーンの配下であったミストバーンとの戦いで、ブロキーナ様が見せた素晴らしい柔の動きを見ていたにも関わらず、貴女はそれを修行しようとはしなかった」
フェンネルの指摘に、マァムは何の反論も出来なかった。
「貴女に多少の才能があるのは認めます。ですが、貴女程度の人間が、短期間で身につけられるほど、武術とは底の浅いものではありません。いえ、これは武術に限らず、物事全てに言えることですがね」
「…………」
マァムはやはり何も反論ができない。
「マァムさん。貴女は、ただ他の方よりも少しだけ早くに一歩を踏み出したことに慢心し、そうではない人を一方的に苛めることで、自分の強さに陶酔していたのではないですか?
……ああ、特段意識して言った訳ではないですが、たしか大魔王バーンも同じようなことを貴女に言っていましたよね? 人間の敵とはいえ流石は大魔王ですね。指摘は正しかったわけですね。貴女という傲慢で面の皮の厚い女は、それを正義だ、平和だ、などの言葉で誤魔化していたようですが」
フェンネルの指摘に、マァムは顔を俯けて躰を震わせる。
それしか、出来なかった。
「もっとも、私もまだまだ修行中の身です。私程度の考えが全て正しいとは言いません。ですが、私程度にも及ばない人間が、武術を修めたかのような態度をとっているのは、目に余ります」
フェンネルはそこまで言うと、額に手をやり、ため息をついた。
「自分に自信を持つことが悪いとは言いません。ですが、貴女は慢心しすぎです。武術に関しても、それ以外の事柄に関しても。
……誠にポップ様に失礼な発言ですが、貴女のような何もかも中途半端な身の程知らずに、あの偉大な大魔道士であられるポップ様が、どうして好意を寄せられているのか、私には理解できません」
ポップの名前がフェンネルの口から上がったことで、マァムは顔を上げて彼女を睨みつける。
「ポップのことを、貴女なんかが偉そうに語らないで!」
マァムのその言葉は、精一杯の抵抗だった。
「それは、私の台詞ですよ」
フェンネルはそう言うと、マァムを睨み返してきた。
「私が知っているだけでも、貴女はポップ様を人前で何度も叱責し、手を上げていますよね。あの方が優しく、貴女に好意を抱いていることを良いことに。
私も一人の女の端くれとして、男性を立てようとはせずに、それを貶めようとする貴女の行為には反吐が出ます」
「それは……」
フェンネルの言うことは間違ってはいない。
「ポップ様がその気になれば、貴女など相手にもならないことさえ自覚していないんですか? それに、言うまでもなく、貴女より強い私でもその足元にも及びません。
貴女に好意を寄せてくださっている方は、貴女などにはもったいないほどの素敵な男性なのですよ。それを理解しなさい。そして、今までの自分がしてきたことを反省なさい」
フェンネルはそこまで言うと静かに椅子から腰を上げる。
「話は終わりです。部屋に戻りなさい。今日の一連の出来事の罰則は後日にします」
その言葉に、マァムは躰を震わせながら、静かに従った。
悔しかった。悔しくて仕方がなかった。
……けれど、フェンネルの言っていることは正論で、何も言い返すことが出来なかった。