マァムが監禁部屋に戻ると、彼女の体液や排泄物で汚れていた部屋が綺麗になっていた。
そして、ズダ袋と紐も新しいものが置かれている。
「掃除をしてくれた? ……まぁ、あのままだと、私はまた同じことをしてしまうものね」
一瞬、掃除をしてくれたことを感謝しそうになった自分に気づき、マァムは首を軽く横に振り、その気持ちを頭から消す。
勘違いしてはいけない。
あいつらは、自分を監禁している奴らなのだ。そんな相手に感謝するなどどうにかしている。
「あっ……」
ズダ袋を手に取ると、その下に、小さな木製の水筒と紙に包まれた小さな何かが置かれていた。
包みを開けると、これまで食事として出されてきた丸薬のようなものが二つ包まれている。そして包み紙には、『今回だけです』と書かれていた。
「…………」
マァムの瞳に涙が浮かぶ。
けれど、彼女はまた懸命に頭を振って否定する。そうしないと危険だからだ。
「これは洗脳よ。こんな事で心を許すわけにはいかない」
そう口に出すことで、マァムは何とかフェンネル達に、あの憎き看守達への怒りの気持ちを維持する。
しかし、お腹が空いてたまらない。喉もカラカラだ。
「……このままじゃあ、脱出する体力も無くなってしまう。うん。だから、仕方がないわ」
マァムはそう言い訳をして、相変わらず惨めで楽しみもなにもない食事を終わらせた。
けれど、空腹感はなくなった。喉の乾きもすぐに解消される。
「どう考えても、これまで摂取した水分では足りないはずなのに、どうしてあまり喉が渇かないのかしら? それに、空腹感ももう感じないし……」
きっと、この丸薬のような食事に秘密があるのだろう。
考えても答えが出るはずがない。
マァムはそう考えると、今までと同じように、ズダ袋を下に敷き、その上に横になる。
「疲れたわ……」
あまりにもいろいろなことがありすぎた一日だった。
そして、この上なく屈辱的な一日だった。
こんな醜い改造を躰にされ、そのせいで痴態を晒すこととなってしまった。
それに何より……。
「……まるで歯が立たなかった……」
あの自分と同年代らしいフェンネルという名の看守に、一方的に負けた。負けてしまった。武神流の名を汚してしまった。
『マァムさん。貴女がその武神流という流派に誇りを持っているのならば、人前でその名前を口にするのは止めたほうがいいですよ。貴女のような未熟者が背負うには、その名前は重すぎるようですから』
フェンネルに言われた言葉を思い出し、マァムは怒りに身を震わせる。
けれど、その怒りの矛先はフェンネルではなく、未熟すぎる自分に対するものだった。
フェンネルに言われた、武術に関する事柄については、なんの弁明のしようもない。
自分は驕っていた。奥義を二つ授けられたことで、心のどこかで慢心していた。そして、もっともっと自分を高めなければと言う向上心が弱くなってしまっていた。
涙が溢れてくる。
……そんな資格はないのに。
こんな怠惰で身の程知らずな女には、悔しさに涙する資格さえないのに……。
「うっ、あっ……。うわあああっ!」
マァムは堪えきれなくなり、声を上げて泣き出す。
どれだけ自分は愚かなのだろう。罪深いのだろう。傲慢なのだろう。
こんな最低の女を、唾棄したくなるほどの浅ましい女を自分は知らない。
マァムは泣いた。泣いて泣いて、嗚咽を漏らし続けた。
心がへし折れる。駄目だと思っても、堪えることが出来ない。
「助けて……。このままじゃあ、私、おかしくなってしまう。お願い、助けに来て、ポッ……」
その人物の名を口に出そうとしたマァムは、再びフェンネルの言葉を思い出してしまう。
『貴女のような何もかも中途半端な身の程知らずに、あの偉大な大魔道士であられるポップ様が、どうして好意を寄せられているのか、私には理解できません』
『私が知っているだけでも、貴女はポップ様を人前で何度も叱責し、手を上げていますよね。あの方が優しく、貴女に好意を抱いていることを良いことに。
私も一人の女の端くれとして、男性を立てようとはせずに、それを貶めようとする貴女の行為には反吐が出ます』
その言葉を思い出し、マァムの中で何かが壊れた。
それは、濁流のような感情をせき止めていたもの。
自暴自棄になりそうでも、心が壊れてしまわないようにしていた堰。心の安全装置。
「いやぁぁぁぁぁっ! 違う、違うの! 私、貴女のことを本当は尊敬して……。ううん、それだけじゃない。その、好きだったの。だから、私は貴女との軽いスキンシップのつもりで……。
そう、違う、違うのよ! 貴方を貶めるつもりなんて……。そんなつもりなんて、全く……。全く……。あっ、ああっ……。いやぁぁぁぁぁぁっ!」
マァムは想像してしまった。
傲慢な自分に、ポップが愛想をつかしてしまう事を。
いや、それだけではない。
すでにポップの心は自分にないのではと危惧してしまった。
そして、一度疑ってしまったら、そこがヒビとなり、心を傷つけていく。
マァムは癇癪を起こした赤子のように泣き叫び、ここにはいないポップに対して、意味のない弁明を続ける。
だから、マァムは気づかなかった。
まだ残業をしていたフェンネルがこの施設に残っており、マァムの声がうるさい事を窘めに部屋の前まで来ていたことを。
「……まだ、自己弁護をするんですね。呆れますよ、本当に。そして、面の皮の厚い貴女は、また明日になればまた、何食わぬ顔をしているんでしょうね」
彼女がそう呟き、マァムを今まで以上に、蛇蝎のごとく嫌ったことを。
「……ああっ、駄目ですね。自分で作ったキャラなのに、マァムさんを見ていると、あまりの腹立たしさに、演じることさえ出来なくなってしまいます。この本当の私は、あの方以外には見せたくないんですがね」
そして、フェンネルがそう呟いて、黙って戻っていったことを。
……だからもちろん、フェンネルが心のうちで思った事柄など分かるはずがない。
「そんな見苦しく浅ましい心ならば、完全に壊しても問題ないですよね?」
フェンネルがそう思い、マァムの心を完膚無きまで砕く決意をしたことなど、分かるはずがないのだ。