「あの、マジョラム看守長。ルシリス様が仰っておられたという、高町なのはさんとフェイト・T・ハラオウンさんは、いつ頃うちにやってくるんですかねぇ?」
退社時間になる少し前に、事務室にいる皆の顔を見にやってきたマジョラムに、フェンネルが尋ねてくる。
「フェンネルさん。そんなに待ち遠しそうな顔をしないでください」
マジョラムは嘆息混じりに言うと、フェンネルは「すみません」と言いながら、しかし微笑む。
「ですが、あのルシリス様が認めるほどの強者だという話ですから、早く会ってみたいんですよ。お二人とも、魔法だけでなく接近戦もこなせる達人とのことですし」
物騒な事を言うフェンネルに、同僚のカモミールやローリエも困った顔をする。
「貴女には残念なお話ですが、そのお二人はうちの施設には来ませんよ」
「えっ? ええっ~! どうしてですか? まだうちの収容人数には空きがあるのに……」
フェンネルは心底残念そうな表情をマジョラムに向けてくる。
「ルシリス様のご命令で、そのお二人はカルダモンさんにお願いすることになりました」
マジョラムのその言葉に、事務所にいるみんなの顔か険しいものに変わった。
「大丈夫なのでしょうか? あの人に任せて……」
そう口を挟んだのはフェンネルではなく、淡い紫色の長髪の女性――カモミールだった。
「カモミールさん。自分の姉をその様に言うものではありませんよ」
形式上、マジョラムはやんわりと窘めたが、彼女の心配する気持ちはよく分かる。
「今回の更生プログラムは、それだけ難しいということです。もしもなにかの手違いであの二人が暴れだした場合、それを止められる事ができるのは、カルダモンさんしかいません。更に加えて、非常事態には私にも協力して欲しいとまでルシリス様は仰っておられました」
「そっ、そんなにすごい人達なんですね……」
話を聞いていたローリエが、ゴクリと喉を鳴らす。
「ええ。カルダモンさんのことですから、そうならないように手は打ってあるでしょうが、万が一の事態になったときには、皆さんの力も借りて、全員が一丸となって対処しなければならない事になりそうです。……それほどの相手なのです」
そうマジョラムが話を一区切りすると、フェンネルが静かに立ち上がった。
「マジョラム看守長。今日は特に残業はなさそうですし、久しぶりに稽古をつけてもらえませんか?」
「あっ、私もフェンネル先輩と一緒にお願いします!」
「……それなら、私も……」
フェンネルの提案に、ローリエとカモミール、そして他の職員たちも稽古をつけてくれるように頼んでくる。
「……いいでしょう。それが終わったら、皆さんで夕食にしましょうか?」
「わぁ~っ! いいですね!」
ローリエが嬉しそうに同意する。
「もちろん私のおごりです。ですが、私との実戦形式の稽古で情けない結果を出す人が一人いる度に、夕食の質を少しずつ下げていきますから、全力でかかってくるようにして下さいね」
半分冗談でマジョラムは言ったのだが、その瞬間、部下達の目の色が変わった。
「マジョラム看守長。フェンネル達は、先の薙切えりなさんの一件で出来た、高級料理店に行きたいと話をしていたばかりで……」
怪訝そうな顔をするマジョラムにカモミールが教えてくれたが、もう遅かった。
「確かに言質は取りましたよ、マジョラム看守長! さぁ、みなさん! 頑張って豪華な夕食を頂こうではありませんか!」
フェンネルの言葉に、職員たちの心は一つになる。
マジョラムはそのあまりに士気の高い様子に戦慄を覚え、気合を入れて稽古に取り組むことにするのだった。
△
高町なのはは、ベッドとトイレ、そしてシャワーがついた、最初の部屋とは別の真っ白い部屋に、一人で監禁されていた。
ユーノが体を張って庇ってくれたおかげで、なのは自身はかすり傷一つ負っていないが、心が痛かった。
自分を守るために友達を負傷させてしまったこと。レイジングハートがないと何も出来ない情けない自分のこと。これからいったいどうなるのだろうかという不安。それらの思考が混ざり合い、何も考えられず、なのははベッドの端に腰を掛けて俯く。
「……ユーノ君、ひどい怪我をしていたけれど……大丈夫かな?」
なのははベッドに躰を預け、天井を見る。
明かり窓がなくても明るいこの部屋は、温度も一定で過ごしやすい。けれど、時計もないため、ユーノと離れ離れにされて、あれからどれだけ時間が経ったのかさえ分からない。
何もないこの部屋にいるだけで、不安な気持ちがいや増していく。
「……シャワー……使わせてもらおうかな?」
この部屋に連れて来られた際に、カルダモンと言う女から、中の設備は自由に使ってもいいと言われている。それに、何かしないでいると気落ちし続けるだけだ。
最初に確認したところ、バスタオルの他に、衣服や下着の替えもシャワー室の前の籠に用意されていた。そのため、なのはは汗を流すことにする。
衣服を脱ぎ、温かなシャワーを浴びると、少しだけ気持ちが和らいだ。備え付けのシャンプーやボディソープもかなりいいもののようだ。
けれど、躰を洗いながら、なのはは自分のそれに違和感を覚える。
「私の躰って、こんなに小さかったっけ?」
小学三年生の平均的な背丈のはずなのに、おかしな感じがする。
もっと腕も足も長くて、胸もあったような気がするのだ。
「……あははっ。きっとそうなりたいっていう願望だよね」
なのはは自分の違和感にそう結論を付けて、少しだけ長めのシャワーを楽しんだ。
それからシャワー室を離れ、躰をバスタオルで拭き、真新しい下着と衣服に着替えたなのはは、髪留めを使っていつもの髪型にする。
そして、再びベッドの端に座り、一息ついた時だった。
不意に、部屋の入口が、横開きの電子ロックのドアが開かれたのは。
「は~い、なのはちゃん。楽しい実験の時間よ」
紫髪の女が、優しい笑顔とともにノックもせずに部屋に入ってきた。ユーノを傷つけたカルダモンという名の女が。
「じっ、実験てなんですか?」
震えそうになる躰を叱咤し、なのはは立ち上がり、毅然とした顔でカルダモンに尋ねる。
「もう。忘れちゃあ駄目よ。私にとって、あのユーノ君は研究対象であるけれど、貴女はただの素材としての価値しかないんだから。当然、私の実験に付き合ってもらうわ」
カルダモンは楽しそうに喉で笑う。
「本当は無茶苦茶な実験をしてもいいんだけれど、貴女に何かあったらユーノ君が協力してくれなくなってしまうから、軽い実験で済ませてあげるわ」
「くっ……」
なのはは後ずさりをしようとしたが、次の瞬間、一瞬でカルダモンに距離を詰められた。入り口から距離があったにもかかわらずに。
「がはっ……」
なのはが腹部に強烈な衝撃を感じたと思った次の瞬間には、彼女の躰は吹っ飛び、部屋の壁に激突してしまった。
なのはは咳き込み、お腹を抑えて痛みに躰を丸める。
だが、そんななのはの頭を乱暴に鷲掴みにし、カルダモンは彼女の躰を片手で持ち上げた。
「なのはちゃん。自分の立場が分かっていないようだから説明してあげるわね。いい? 私が実験だと言ったら実験なのよ。貴女に拒む権利なんてないの」
カルダモンは笑顔を微塵も崩さずに、なのはに諭すように言う。
「分かったかしら?」
「くっ……」
カルダモンの問に、しかし、なのははそれに答えずに睨み返す。
「あらあら……」
そんなおっとりとした声とは異なり、カルダモンは開いている方の手で、なのはの頬を引っ叩いた。
頬が熱くなり、痛みが走ったが、なのはは睨むのを止めない。
「ユーノ君と私を、お家に返して!」
気丈に言い返すなのはに、カルダモンは片手を顎に当てて何故か頷く。
「こんなに元気なら、あの薬を試しても良さそうね。うんうん。最初からアレはキツすぎると思ったけれど……」
カルダモンは一人で納得し、なのはの頭を信じられない握力で掴んだまま、部屋を後にするのだった。