「現在、目標は我々の直上、第三新東京市ゼロエリアに侵攻。直径十七・五メートルの巨大シールドがジオフロント内ネルフ本部に向かい穿孔中です」
「敵はここ、NERV本部へ直接攻撃を仕掛けるつもりですね」
「・・・潮時、か」
「国連、戦自からもエヴァなしでの作戦続行、N 2 兵器使用は止めるべきとの声が上がっています」
「妥当ね。むしろエヴァなしの状況下、よくぞここまで付き合ってくれたもんよ。後で菓子折りでも持って頭下げに回らなきゃだわ」
本部作戦課第二分析室内にて、モニターとテーブル上に並ぶ資料にミサトと日向達職員は顔をしかめる。
第五使徒が放つ加粒子砲。
反撃する暇もなく撃墜され誘爆を起こす戦闘機群。
A T フィールドに阻まれ当たらない砲弾を放ち、遮蔽物ごと吹き飛ばされる戦車隊。
ケイジに収まったままの動かないエヴァ初号機。
「・・・まさか起動すらままならない状態に逆戻りとは、思いもしませんでしたよ」
「暴走するかしないかで一喜一憂してたのが嘘のようですね・・・」
「ほーんと、気まぐれなんだから。決戦兵器として致命的すぎよ、まったく」
「零号機の再起動、何時の間にかパイロット搭乗可能な段階にまで調整してた赤木博士達に感謝ですね」
副司令と作戦部長の命令をちゃっかり無視して作業を続けていた、カメラ目線のしたり顔で親指やピースサインを上げる技術局メンバーと涼しい顔でコーヒーカップを掲げるリツコの画像にミサトは苦笑いで敬礼を返す。
「あーあ。リツコにも何奢るか考えなきゃだわ」
「零号機の再起動成功後はレイちゃんと共に初号機の再調整を行っているみたいですが、どうします?」
「そっちはちゃんと止めさせといて。無駄な事に時間掛けてる余裕もないわ。レイにも色々やってもらわなきゃだし」
『エントリースタート』
『 L.C.L 電化』
『 A 10 神経、接続開始』
「・・・お願い、動いて」
オペレーター達の固い声が伝わるプラグ内。
レイは魂の座にて瞳を閉じエヴァに心を開こうとするも、彼女を拒絶するかのようにアラート音が鳴り響きプラグが初号機から強制的に排出される。
「ぅッ」
その衝撃にレイの傷付いた身体は堪えきれず、小さな呻き声が漏れてしまう。それを聞き逃さずリツコがオペレーターのマイクに割り込む。
『レイ。これ以上は次の戦闘に響くわ』
「でもっ!・・・ヅぅ」
主戦力のエヴァが動かないという切羽詰まった現状下、リツコから発せられた平坦な声にレイは不安と焦りを覚え、自分はまだやれると、思わず身を乗り出すも痛みで言葉を詰まらせてしまう。
『落ち着きなさい。まだ何もかもお手上げってわけでもないわ。零号機は確かに戦闘用としては未調整だけど、初号機の復旧具合と比べれば幾分かはマシよ。ミサトも何か策があるみたいだし』
「・・・分かりました」
それが重症のパイロットを傷が開く前に納得させエヴァから降ろす為の方便だと、オペレーター含めリツコの周りにいた職員達も、レイでさえも理解していた。
実戦へ投入する予定のなかったエヴァンゲリオンのプロトタイプ、零号機。
幾ら復旧率が六割とはいえ、実戦の運用データが後続機に反映されることを求められ建造されたテストタイプの初号機と比べれば、その性能は雲泥の差。
「車椅子の用意、お願いします」
作戦の有無に関わらず、使徒戦は絶望的だった。
( 弐号機は間に合わない )
レイをプラグから引き上げる医療スタッフ。
付き添い、車椅子にレイを乗せるリツコ。
廊下を行き交う保安諜報部員。
自販機前の技術者。
リツコに車椅子を押され進むレイは首を大きく反らすことなく、その暗い顔を、俯く大人達の顔を見ることができた。
向けられる、すがる様な双眸を。
かける言葉が見当たらず、悔しげに結ばれた口元を。
下を向いたまま、過ぎ去っていく背中を。
( 間に合っても、弐号機の人は乗らない・・・ )
口の中で広がる抜けきらない L C L の臭いが、ただただ不快だった。
リツコと女性看護師の手を借りてプラグスーツから検査着へ着替えたレイはそのまま体調に問題がないか、傷が開いてないかを調べるため検査に回された。
その後、検査疲れか問題が山積みのまま使徒戦へ向かわなければならない緊張からか、何時の間にか車椅子の上で眠ってしまっていたレイはベッドの中で目を覚ます。
そこは、もはやレイの私室と言っても過言ではない病室だった。
窓側の壁に新しく設えた棚には先日贈られた花束たちがまだ瑞々しい花弁を賑わせている。
来客用にと運び込まれた机の上には数枚の C D 。普段使いしている車椅子の上には縫い包みと、その頭部へかけられた大きなヘッドホンが。コードは腹部のポケットへと繋がっている。
( ・・・身体が重い )
検査終了後にパイロットも交えての作戦会議が予定されていた事を思い出すもレイは起き上がることを躊躇ってしまう。
倦怠感から来るものではなかった。
傷が痛む訳でもなかった。
( 重いのは・・・心? )
それは虚脱感だった。
少女はこのまま一日が終わり明日からはまた何時もの日常が、病室で暮らす日々が再び始まれば良いと、思わずとも望んでしまっていた。
ぼんやりと、寝起きの頭で初号機の人もこのような気持ちなのだろうかと、見慣れた天井を見詰め考える。
現実から逃げ出すように、一日の大半を身体を丸め寝転び眠り続ける少年の気持ちが、今なら分かるような気がして、レイも両脚を片手で手繰り寄せベッドの中で丸くなる。
こんなことをしたところで何かが変わるわけでもないと知りながら、レイは瞳を閉じる。
案の定、瞼の裏に浮かぶのは嫌な光景ばかりだった。
嫌な空想で、絶望的な未来だった。
それは作戦失敗の四文字。
続くジオフロントへの使徒侵入。
そして本部壊滅。
( 私の代わりはいる )
レイの頭の中には複数の N 2 ミサイルの弾頭を抱え使徒に接近し自爆するという、作戦ともいえない、しかし確実に使徒へ打撃を与えれる案が描かれる。
今の彼女にとって、死への恐怖など些細なものだった。
死よりも身体を、心を震え上がらせる恐怖を知ってしまったから。
( あの部屋には、もう帰りたくない )
今の少女にとって恐怖とは、またコンクリート柄の何もない部屋で過ごす日常へ戻ることだった。
鳴らないドアチャイムの代わりに、強弱様々なドアを叩く音が。
外から響く鉄を打ち鳴らす音の代わりに、様々な人の話す声が。
その全てが、確かに綾波レイという少女に向けられていた。
病室から出ていく職員達の背中と横顔も。
初対面で何を話せばよいか分からない若干の気まずさも。
自分に向けられる安堵の笑みと続く感謝の言葉の応酬も。
誰でもない、綾波レイという一人の少女に向けられていた。
( 次の子も、きっとそう )
新しい自分も、あの部屋へ戻ることはきっと拒むだろうという確信があった。
( でも・・・ )
レイはもう一度、瞼を上げ縫い包みに視線を向ける。
一人で居る病室でも寂しくないようにと、手渡されたテディベアを。
暇を潰せるようにと、贈られた小型の C D プレイヤーとヘッドホンを。
C D を持たず、無音のヘッドホンを耳に当てていることを驚かれ、何枚も借りることになった C D を。
( でも、ここは私だけの部屋 )
レイにとって、そこはもうただの白い病室ではなかった。
( 誰にも、私にも渡したくない場所 )
灰色の、打ちっ放しのコンクリート柄の部屋など、もう要らなかった
( 私だけの居場所 )
少女は終に、壊れた眼鏡が何所に置かれたままかを思い出すことはなかった。