楽になりたいんでしょう。
安らぎを得たいんでしょう。
私と一つになりたいんでしょう。
心も体も一つに重ねたいんでしょう。
「でも、あなたとだけは、絶対に死んでもいや!」
それは結局の所、全てが溶け合い混ざりあった状態で、その他大勢の中の一人として少年と在ることを許容し、良しとすることが出来なかったからだろう。
上手く動かない右腕にかけられた手錠。
臭いも羞恥も気にならなくなって久しい部屋の隅の簡易トイレ。
ヘッドセットのないフケだらけのぼさぼさな頭。
潰れた左目を医療用眼帯の上から押さえ付け眠気をはらう日々。
「ぜーんぶ、あんたなんかとキスしたからよ」
赤い少女、惣流・アスカ・ラングレーはベッドの上で悪態をつく。
まるでこの状況は自分ではなくキスの相手の少年、碇シンジが作り上げたものだと言わんばかりの口ぶりで。
「・・・もう泣かないって決めた筈なのに」
彼女自身、知る由もないことだが本当の原因はそれに尽きるのだった。
それはあの赤い海での思い出。
終わった世界よりも重要で、消えた人間達よりも大切な事。
二度も首を絞められてもなお、自分を見ようとしないシンジに死の間際、最後の最期に縋ってしまったという慙愧の念。
( 全てあたしのものになる筈だった )
何もかも失くしたシンジがあの世界で残すものはその命と
だからアスカは安易な方法に手を出した。
その繋がりさえ拒絶しようとするシンジが辛く当たる自分を受け入れる筈がないと諦めてしまったから。
( 何もかもなくなって、何も持たないあいつから全てを奪って、あたしだけのものにして終わる筈だった・・・ )
なのに。
「・・・歯ぁ磨いてるかですってえ?」
細くなった左腕を振り上げベッドのマットレスに叩き付ける。
安っぽいスプリングが錆び付いた音を響かせ僅かに跳ね軋んだ。
腕に痛みもなければベッドに損傷も見られない。
イライラの解消さえ思い通りにいかない現実の全てが癇に障った。
「あいつは何も分かっちゃいない」
ひと月近くも前になる、薄れ行く意識の中で最後に見たシンジの顔を思い出す。
痛みも、苦しみも、恐怖も無いといった安堵に包まれた顔だった。
アスカは唇を重ねるのに夢中で何時からその表情だったかは覚えていないし、当時はその表情について深く疑問に思うことはなかった。
なんならアスカ自身、同じ様な顔をしていたかもしれない。
満たされたと。
もしあれで最期だったならば、アスカは疑問を持たず今もシンジと共に浜辺で横たわったまま、微笑んだまま朽ちて行けただろう。
『あんた、碇司令が死ねと言ったら死ぬんでしょ!』
『そうよ』
『・・・だったらお願いよアスカちゃん。一緒に死んでちょうだい』
『うん、いっしょにしぬわママ。だからママをやめないで!』
『何もしない!私を助けてくれない!抱きしめてもくれないくせに!!』
( 結局、あいつはあたしに言われた事を言われたままに、された事をされたままにしただけ )
アスカは愕然とした。
本来ならば立ち直れない程のショックであった。
あれが愛情ではなくただの同情だったと理解してしまったのだから。
求められたことへの受動的な反応だったと。
自分のことを好きになれない人間が、自分の全てを奪おうとし奪えないと涙する他人へ向けた感謝の表れにしか過ぎないのだと。
「・・・だから何よ」
それでも少女はまだ少年を求める。
互いに生き延びているのだから。
あの赤い海でも溶け合えず、あの浜辺でも朽ちることはなく、ここにいるのだから。
だからこそ、アスカは再び求める。
赤い海で拒絶し、浜辺で勘違いしたまま永遠に溶け合うところだった彼を。
「次は確実に。もう一度、あたしと一つに」
それは互いが互いを押し貫き、互いの隙間を埋めていく行為。
痛みと共に互いを受け入れる行為。
ひび割れた唇が歪に吊り上がり、痩けた頬が喜色に染まる。
「今度こそあんたの全てを・・・」
アスカにとって何故まだ自分が生きているのか、どうして胸の傷が綺麗に塞がっているのかなどは些細な問題だった。
アスカにとって偽者が跋扈する薄っぺらな世界など更にどうでも良い問題だった。
彼女にとって一番の問題はシンジがまだ確かに生きているという事実。
未だにシンジの全てを手に入れられていないという事実。
気を失う間際、それが同情だと気が付かず手を緩めた自分に吐き気すら覚えるアスカは夢想する。
あの時、自分の腕に力が残っていれば今頃、涙も見せずにシンジの全てを手に入れられていたと。
あの時、涙する姿をあいつに見られてしまうくらいなら、あいつの目玉を刳り貫いて食べてしまえばよかったと。
やつれてもなお未だ顔に幼さと美しさを残す少女はそんな猟奇的なことをつらつらと考えながら、今日もドアに落ち窪んだ右目を向ける。
虎視眈々と。
二度も成されなかった補完を求めて。
一方、随分と関係性が怪しくなった異性から命以上のものを求められているとは夢にも思わない寝たきりの少年、碇シンジは今、呼吸器を取り付けられていた。
幸か不幸か、気管にまでチューブを入れるほど重篤なものではなかったが、今すぐ L.C.L の中に沈められる程の容体でもなかった。
「初号機パイロットを使え」
第二発令所作戦指令室にて、ゲンドウは司令席からオペレーター席のミサトを見下ろし非情な命令を下す。
「・・・承服しかねます」
ミサトはその命令を見上げながらも真っ向から拒否する。
第五の使徒との戦いが直ぐそこにまで迫っていた。