「…アンタ、こんな夜中に歩いていたら、妖怪にやられるよ?」
…ポケットに入れていた時計が動かなくなった。ついに頭が可笑しくなったかと思った。妖怪?馬鹿な話だ。
「…妖怪?」
「あぁ。夜中にはな、沢山、妖怪が出るんだ。人を食べにやってくる。博麗の巫女が守ってくれるが、里の外は自己責任だよ。」
しゃがれた声の老父は、よぼよぼの皮まみれの指で後方を指し示す。確かに、文化レベルは低そうだが、人の集落らしき場所がある。光は少なく、よほど夜が怖いのだろう。身を潜めている感じがする。
「夜は妖怪が活発になる。よほどの力がなきゃ、生きられないよ?」
「…ふむ。」
…このような貧しい集落でも、寝床がないよりはマシか。老人の後ろから、歩みを進める。
「しかし、アンタ、何処の人かね?アンタみたいな人は見たことがない。」
「昔は冷たいコンクリートの上で眠っていた。夜には冷たい風が吹き、朝には人々の声で賑わう…そんな街だ。」
無論、そんな街の裏側の人間だが。
生い先短い年寄りには綺麗な夢を見せておこう。ポケットに入っていた、懐かしい感触。慣れ親しんだ冷たさと硬さが、これが夢ではないと教える。コイツの感触を忘れるわけがない。
「ええ街だの。そうだ、アンタ…名前は?」
「…名前か。」
確か、東洋の島国は発達しているにも関わらず、作法等に五月蝿いと聞く。武士道精神とかいうものだ。…大抵、名乗らず仕事を済ますため、忘れてしまっていた。
「シア・ノックスハート。シアでいい。」
「シア、か。ダメだよ。アンタみたいな女の子が、こんな夜中に家を出ては。今日はワタシの家に泊まりなさい。明日のことは明日に考えよう。」
…老父の言うことは最もだ。
ここが何処で、妖怪が何かは眠った後に決めればいい。
「…んぅ…。」
朧げに知らない天井。寝ても覚めても、ここにいる以上、やっぱり夢ではない。暖かく、柔らかい布団と老父の貸してくれた部屋のいぐさの匂いが、する。…布団を剥ぎ取り、襖を開ける。
「おや、シアちゃん。おはよう。」
「…おはよう。」
老父は皺だらけの顔を動かして、柔らかい笑みを浮かべた。老父のいる机を見ると、彼が用意しただろう朝ごはんの用意ができていた。
「食べられるかい?」
「…頂く。」
思えば、昨日から何も食べていない。
それを思い出した途端、腹の虫が軽く鳴き始めた。
行儀よく、木の椅子につき、箸で白飯を挟み込んで口に放り込む。…決して、豪勢なものではないが、それでも美味しい。塊で入れたはずなのに、口の中でほろっ…と崩れる。
隣にある味噌スープも頂く。
中は麩と豆腐。口の中に入れると異様な熱さと味噌と出汁の味が広がる。…こういうのも悪くはない。
「それでなんだが、私も独り身だ。それに、もう歳で大した仕事にもついていない。私一人を養うで精一杯だ。だから…。」
「出て行け…と?」
…老父が黙って頷く。
一人で生きていくのは慣れている。
…とはいえ、流石に一筋縄ではいかない。
「…。」
もう昼前。何処もかしこも、私のような成長期の少女を受け取ってくれる場所はない。それどころか、妖怪とやらに間違えられた。そのせいで、結局、道はない。
「…あれ?どうかしましたか?」
「…?」
木の木陰に座り込み、考える私にかけられた声。
幼い少女の声だった。顔を上げると、紫色の髪をした少女が私に手を差し伸べていた。
「見ない顔ですね?一体何処の方かしら。」
「…貴女こそ。」
「あっ、名乗らないのは失礼でしたね。」
少女は稗田阿求と名乗った。
彼女は聞いてもいないのに自分の話をし始めた。
「…それで、逃げてきたんですよっ。…って、聞いてます?」
「聞いてる。聞いてる。」
…話が長い。
要約するに、阿求は良いとこの主人で、更には体が弱いことから家に半分監禁のような状態にされていたのだとか。だが、主人を完全に信じきっている従者。そんな従者を半分裏切る形で窓から外へ出たと言う。
…中身も身体も年相応ということだが…なんとなく、落ち着き払った別の雰囲気を感じる。
「外出なんて、小鈴…友達のところにしか、行けてませんし。それでは、幻想郷縁記を完成させることは出来ません。だから、私は抜け出してきたんです。」
そう言ってニコッと阿求はあどけない表情を示した。
…色々と気になることもあるけれど…。取り敢えず、自分が面倒ごとに巻き込まれたのだけは、わかった。
「さぁさぁ!!ここで会ったのも何かの縁です。貴女もいきましょうっ!!外の世界へっ…!!」
「…えっ?」
阿求は何故か、見ず知らずの私の手を掴み、人里の外へと連れ出した。キラキラと輝く様はまさに…まさに…。
難しい日本語はわからない。
だけど、どこか、キラキラしている感じがする。
「あっ。」
村の門近くになって、阿求が足を止めた。
危ない。危うく、ヒールのせいでこけそうになってしまった。
少し疑念の目で阿求を見る。
阿求は顎に手を当てて…何か考えていた。
「むむむっ…。」
「…どうした?」
「今思い出しました。私っ!!貴女の名前を聞いてませんっ!!」
少し驚いたようにそう言う阿求。
…呆れた。そんなことの為に足を止めたのか。育ちが良いのだろうが、とんだ箱入り娘のようだ。さっさと言って、阿求の欲求をさっさと満たして、この場をおさらばするに限る。
「…シア・ノックスハートだ。シアでいい。」
「シアさんっ!!素敵なお名前っ!!」
両手をぱんっと合わせて、満面の笑みで私の名前を何度も呟く阿求。偉くご機嫌だ。箱入り娘…私とは正反対だな。
「ではっ、参ります。」
「…勝手にしてくれ。」
門番に気づかれないよう、死角を利用して、外へ出た。人里近くは開けていたが、周りは意外に鬱蒼としていて、道は最低限しか舗装されていない。
「おぉ〜。これが、村の外ですかっ。」
「…出たことがないのか?」
「ええ。さっきも申した通り、私、身体が強くありませんので。」
…人は外見では判断できない。
今、こうして子どもらしく無邪気に動いてはいるが、身体が弱いだなんて。
「…とりあえず、何からしましょうか。森の中に直々に出向くには軽装すぎますし…。」
「…。」
もう遅い。
人里近くを歩き回っているうちに、若干の生い茂った森に入ってきてしまった。少しじめじめとしている感じがする。
「…ん?」
…何かいる。
カサカサと草むらをかき分ける音。鼻につく、醜悪な獣臭。懐かしい金属の匂い。
「…どうかしたんです?」
阿求が小さな首を傾げ、くりくりとした目で此方を見る。
「…後ろに隠れて。」
「ふぇ?」
…周りに人はいない。隠れ蓑にする住宅街もビルもない。あるのは生い茂った木々と背の低い草むらだけ。
「…シアさん?…ッ!?」
朝っぱらから、狼のような妖怪のお出ましだ。
血走った目で周りを見渡している。どうやら、此方は気づかれていないらしい。阿求も、口を押さえて目を白黒させている。…取り敢えずゆっくりと後退することにしよう。
———パキッ…。
何かが…折れた…音?
「…ッ!?」
小声で阿求が謝罪をした。
…獣の何かは此方を認識したようで、口から涎を垂らして、此方を見た。仕方ない。
「シアさんッ!!」
「阿求、逃げて。」
…またこれを出すことになるとは。此処に弾が何弾あるかはわからないけれど、仕方ない。効くかどうかは賭けだ。胸元から銀色に光り輝く銃を取り出し、照準を合わせる。
「そ、そんなもの…何処でッ!?」
「そんな話は後。」
二足歩行のオオカミはゆっくりと此方に迫ってくる。あっちが優位だってわかっているからだ。久しぶりだが、握る腕には震えはない。
「…ッ!!」
奴の眉間に合わせて、引き金を引く。
銃弾は空を切り、雲を尾にたなびかせる。
静寂満ちた森の道に発砲音が響くと同時に、獣の頭部に着弾した。頭が後ろへと動き、止まったから間違いない。普通なら…致命傷、或いは致死だ。
「…シアさん…。」
「…逃げるよ。」
「…えっ…。」
手応えはあった。だが、倒れない。どちらでも無いのだ。全く効いていない。これは奴にとって…目眩し以外の何にもならない。阿求の手を持って、来た道を逆に走る。
「はぁ…はぁ…シアさんッ!!追ってきてますッ!!」
「わかってるッ!!」
止まれば死ぬのは私たちだ。
目に見えてわかる。鋭い爪で首を掻っ切られ、大きな口で頭を噛み潰されるに違いない。
「…くっ。」
最悪、阿求だけでも…。
そう思った瞬間、後ろから断末魔のような叫びが聞こえた。…一体何が起こったのだろうか。息を整えながら、後ろを振り向くと…。
「…あの妖怪が…死んでます…。」
「…。」
私たちの足元に首が転がっている。何の比喩でも無い。突如、現れた何者かによって、一太刀にして首を切られた。
身体は頭部を失い、パッと糸が切られたかのように前から倒れる。首の断面が此方に見えている感じだ。いくら私でも、首の断面図を見るのは初めてだ。不思議と恐怖や嫌悪、嗚咽よりもそれを綺麗と感じてしまった。自分の美的センスを疑ってしまう。
「…大丈夫か。」
見入っていると、前から低い男性の声が聞こえた。髪は女性のように長くそして、白い。吸われるような真っ黒な瞳、そして、和装。何処からどう見ても東洋におけるジャパニーズサムライなるものだ。いや、真似をしているだけである可能性も…。
「…ん?お前…見たことない顔だな。何者だ?」
「…人に名乗らせる前に、自分で名乗るのが東洋の礼儀と聞いたが。」
警戒を怠るな。
この人物が助けてくれた人物であるのはわかる。カタナと呼ばれる剣に他のようなものが付いているからだ。だが、メリットがない。通り掛かりにしても、この人物が私たちを助けるメリットが存在しないのだ。
「し、シアさん…!?助けて頂いた方にそのような目を向けては…!?」
「…うむ。確かに、此方から名乗るのが礼儀というもの。吾は朱智愈咫郎。この先、紅魔館にて従者紛いなことをしている。」
そう言い、はにかむ男。何処か、あどけなささえ感じさせた。
実は地霊殿の導入…ではないです。はい。
地霊殿にも行きますが…。