転生前は人間のオスだったエルフの聖女、婚約者に嵌められ淫魔になり追放されたらしい 作:芥目たぬき
私は、ただ暗い夢の中を揺蕩う。
いつもの自室と違うのは、それを再現できるだけの思考リソースを回し切れないからだろう。
ひとつの肉体には、ひとつの魂しか受け入れられない。だが私に課せられた運命は、転生者の魂を受け入れることにあった。
無垢であり、胎児の夢を眺める私の横に入り込んできた異物。完全に出来上がった形状としてやってきたそれは、当たり前のように私の基本意識を全て持っていった。
スライムよりも柔らかな形状の私と、形が出来上がっていた
そして本来の私は意識を持たない、そこに浮遊するだけのか弱い魂となった。成長することもなく、ただ赤子のままそこにある本来の私。
そこに在る。
しかし受け入れる器はもう空きがない。
じゃあ、もうひとつの空いている方はとりあえず観測するだけの装置にしておこう。
そのように処理された私は、ただそこに在るだけの観測装置となった。
蓄積される負の感情、喜びを味わったかと思えばすぐにやってくる辛い未来。感情のないはずの私は、それでも苦しみを味わい続けていた。観測装置として、溜まり続ける澱みは消えることがない。
少しずつ、変わり出したのは100年が近くなってきた頃だろうか。
人間の寿命というのは大体決まっていて、そして魂もそれと同じくらいの使用期限が定められている。前世も含めて120年近く使用され続けていた魂は、随分と擦り減っていた。
そして、彼と出会う。
摩耗した代替品が彼を愛して、観測装置の私も当たり前のようにそれが伝播した。
そして、おかしくなったのだ。
恋は私の存在を大いに狂わせた。荒々しい感情が芽生えて、なし崩し的に魂が成長を遂げる。人を愛するという異常なエラーに観測装置として耐えきれなかった私は、自己を無理やり成長させたのだ。代替品が壊れかけていたのも相俟って、それはちょうどよく成形されていった。
観測装置として代替品を完全コピーしていた私は、見事に本来あるべき姿に戻ったのだろう。
私は、代替品ではない。
———私こそが、本来のユターシャである。
代替品は私を知らない。
———彼はずっと、私という存在がいることを知らなかった。
私は代替品を知っている。
———観測装置として、私は彼を全て理解している。
私は代替品に干渉できない。
———彼の形状に合わせて成形された私は、彼を超えることはできない。
代替品は私に命令できる。
———私は彼に追従するようにずっと出来ていた。
私は代替品に勝てない。
———彼こそが
そして、鎖に縛られていく
ひとつの肉体にふたつの魂は入らない。そのため、彼は成長する私に合わせた存在の縮小を行ったのだろう。
今まで私が意思のない観測装置であったように、これからは、彼が意思のない魂となり、寿命が尽きて腐り落ちていくまでゆっくりと死んでいくのだ。
私達にとってすればそれはただのバージョンアップのようなもので、本質はなにひとつ変わらない。ベータ版から完全版に移行するにあたって、以前の機能をアンインストールするような、そんな事務処理である。
ただ、その変化は私にとっては荷が重いのだ。
ずっと昔から定められていて、ようやく理解した私の責務。この腐りかけの世界は、私を贄に選んでいたらしい。
* * * *
「はっ……はっ……あぅ……うううう……」
ごちゃごちゃな情緒のまま、私は飛び起きた。
昨日と変わらない私は、隣で眠っているご主人様を見下ろす。
自分でも何が起きてるのかわからない。
何が変わったのかと聞かれれば、なにも変わっていないと答えられる。
私はユターシャ、エルフで聖女をしていたユターシャ。
前世に現代日本人としての……男としての感性を持つ、普通のユターシャ。前世での記憶も残っているし、あの頃の常識倫理もまだ私には根付いている。
なにも変わらない……私は、昨日までの私と変わらないのだ。
「ごしゅじん、さま……」
寝ているのかもしれないし、起きているのかもしれない。私は彼の懐に潜り込んで、嫌に大きく聞こえる心臓の音を誤魔化すように目を瞑る。
なにも見たくなかった。
なにも、感じたくない。
「ユター、シャ?」
「……起こして、しまいましたか?」
「ん……いや、いいんだ」
ご主人様の掠れた声が、上の方から聞こえる。私は彼の身体に抱きつきながらも、抱きつかれる心地よさに目を瞑った。
「どうした、怖い夢見たのか」
「えぇ、はい……そんなところです」
未だになにひとつ飲み込めていなくて、ただ彼の腕の中の心地よさだけに溺れていく。頭を撫でられると気持ちよくて、私は静かに彼の心臓の音を聞いていた。
どうしようもなく好きと思う感情。
これはまさしく、本物である。それだけがあればよくて、他はもう、何もわからなかった。
なんで今まであんなに頑張ったのに、私が魔王なんだろう。
「……ご主人様、愛してます」
「本当にどうしたんだお前」
「少しだけ、こうさせてほしいなって」
擦り寄る私の身体を抱き寄せてくれるご主人様もまた、いつもと同じだった。昨夜、エルフを殺したとは思えないほど優しい手つきで頭を撫でられる。
私たちにとってなにひとつ変わらない。
昨日と今日は同じで、なにも変わらない。そうであってほしいと願うし、明日からも同じでいいと思う。
「寒くないか?」
「大丈夫です……それより、ご主人様は?」
「オレは頑丈だからな、平気だ」
早朝の日差しが、薄暗く窓から差し込んでいた。
部屋はひんやりと冷たくて、布団から出ている顔だけが冷たくて仕方がない。
密着した肌をさらに擦り寄せて、私の持つ体温を彼に押し付ける。
「ユターシャ」
「んぅ……ご主人様」
ちゅ、とおでこにキスをされたらしい。
私がご主人様の方へ顔を向けると、そのまま何度もキスが降ってくる。まぶたから頬、鼻から唇まで全部口づけを施されるのだ。
目を開けるたびに、穏やかな顔をした男と視線が交わる。普段はもっと怖い顔をしているのに、こんな時だけ優しいのだからずるい男だ。
「ご主人様、もっと……」
「あぁ」
彼の手が私の頬を包んで、そして何度も角度を変えてキスを繰り返した。甘ったるいバードキスは、私の心を優しく溶かしてくれる。
先程までの不安が嘘のように、私は幸せな感情に包み込まれていた。ご主人様がいればこうも簡単に救われる自分に呆れてしまうが、幸せなのだから仕方ない。
頬から首筋に手が進み、顎の下をまるで猫にするようにくすぐられて、それから下へと伸びていく。
「アンタの身体は温いなァ……」
「ご主人様が冷たすぎるんですよ」
「そうか?」
ご主人様の大きめな手が、私の胸元に向かった。ぷに、とたわわな果実が形を変える。
「温めてくれるだろ?」
「……貴方が、それを望むなら」
今度は私から彼の唇に口を近づけた。ちゅ、ちゅ、と音を立てながらも、ゆっくりと彼の上に覆いかぶさる。足を絡めて、身体を押し付ければ、ご主人様も私に意識させるように勃起を押し付けてくる。
朝勃ちにより、ご主人様のそれは元気になっていた。サキュバスの肉体としての本能がぞわりと顔を出すが……私はそれを静かに隠して、焦らすようにキスをした。彼の下腹あたりで手をさまよわせて、くすぐるように下生えを指でかき分ける。
「求めて、ください……私が欲しいと」
「ん……あぁ」
優しく指先で触って、ひくつく竿を柔らかく刺激していく。その間もキスは絶え間なく繰り返されて、ご主人様の手は私の身体を確かめるように背中へと伸びていった。
身体をまさぐられ、彼の指先の動きに肌が敏感になる。背筋から翼の付け根、腰、そして尻尾の根元からお尻へと手はどんどん下に降りていった。
「温かいな……柔らかくて、甘くて……」
「もっと、私を……さわって」
布団を被ったまま身体を少し起こした私は、柔らかなふたつの豊満な果実を彼の胸板に押し当てる。そして彼の身体にしなだれかかりながらも、唇を食んだ。
重力に従って垂れ降りる私の長髪はカーテンのように朝日を遮り、彼の顔を眩しさから隠している。
幸せだった。
まるで世界がこのベッドの上だけのようで、ひどく幸せな気持ちになる。
このままずっとこうしていられたらどれだけいいだろうかと思うと、自然と目頭が熱くなっていた。幸せで幸せで、だからこそ怖くなってしまう。
「泣いているのか?」
「……くるしいんです」
「そうか」
慰めるようなキスは毒だ。
私を夢中にさせる彼は、こうして私を現実から遠ざけてしまう。どうしようもなく終わっているこの世界の末も、救われないだろう運命も、何もかもを忘れさせてくれる。
幸福に浸る。溺れるほど、抜け出せないほど深く足を掬われている。
「たすけて、ほしいんです」
「……?」
「私は、もう、どうしたって救われない」
あなたで、殺されたい。
私がそうつぶやくと、彼は途端に苦しそうな表情を浮かべた。
「縁起でも、ねぇこと、いうなよ……」
「わたし、あなたになら、なにをされてもいいんです」
きっと彼なら、すぐに私を殺すことだってできるのだろう。膨大な魔力を持つ私は一度や二度首を落とされたところで死にはしないけれど、それでも100回くらい殺されたら死んでしまう。
甘く、愛を囁くように私は乞う。
辛い現実から何もかもを捨てられるのであれば、なんでもよかった。彼の腕の中で、愛に溺れた白痴のままに死ねたら幸せだった。
「どうしようもなく、終わってるんです」
彼の胸板に指を滑らせる。
「私は、どこまでも救われない」
首筋を、爪で辿っていく。
「人を殺す運命に定められてしまった」
顎を、手のひらで優しく撫でる。
「私を止められる人は、私の中で果てました」
そして私は、彼の頬を手で包み込んだ。
見つめ合って、2人だけの幸せな世界に沈み込んでいく。
私は、彼の腕の中でだけ幸せになれる。
「だから、せめて、何も考えられないままに殺して欲しいんです」
「……ユターシャ、やめてくれ」
何もしなくても枯れ死ぬ。
理に従って動けば殺戮が生まれる。
何も選びたくない。
何もしたくない。
「ユターシャ……やめてくれよ、そんなの……」
「ご主人様」
どこまでも強い男なのに、泣きそうな顔で私を見上げている。似合わないなぁなんて私は微笑んで、そして口づけを落とした。
「オレと会わない方が、きっとお前は幸せだったよ」
「……そう、かもしれませんね」
ベッドの上、私たちは愛しあいながらも運命を呪う。互いに身体を触れ合わせながら、現実から逃げるように語り合う。
幸せなんて、知らなければよかったのだ。
きっとご主人様も後悔しているのだろう。
彼の手が、私の首に触れる。
きっとこの大きな手なら、私の首をすぐに落とすことだってできるのだろう。
「お前が望むなら、殺してやる」
殺せる。このまま、私を殺すことができる。
「ひ、ぐ、ぁ……っ!」
「なぁ、だから……オレの願いを、叶えてくれないか」
男のか細い声での祈りは、私だけのものだ。
彼の手は安心する。この手がどれだけ血に塗れていようが、私にとっては愛しい人の右手でしかない。優しく、少しずつ込められていく力は私の息を苦しくさせて、少しずつ視界が白んでいった。
きっと私たちは、ここで終わってしまった方が幸せなのだ。2人ぼっちの世界で、誰にも知られずに、淡く泡のように溶けてしまったほうがいい。世界がどうなろうとも知らず、互いに何も知らないで、愛し合って溶け合ったほうがいい。
だけど。
「ユターシャ、オレのためだけに、生きてくれ」
「か、はっ……ごしゅ、じ、さまっ……」
「オレが殺すから、ちゃんと……だから、ユターシャ……オレのためだけに、お前は全てを消費して生きて欲しい」
それは、ひどく傲慢な願いだった。
私にとってそれは救いで、涙がこぼれ落ちる。
愛に溺れた愚鈍な存在に成り下がる幸せ。守られる安心感、愛の泥沼に突き落とされた私は、どうしたってもう抜け出せない。
私は彼のためだけに生きて、そして彼の手によって殺してもらえるのだ。
愛から生まれた私にとって、その絶望は美しすぎる。
「貴方だけの私で、いいでしょうか」
「あぁ」
「やらねばならないことから逃げ出して、いいのですか」
「お前がオレを救ってくれるなら、オレがお前を全部許すよ」
その甘露は、私を壊していく。
たとえ世界中の誰からも責められようと、彼だけが私を許してくれるのであればそれでいい。私の世界は、彼だけでよかった。
世界のために私が決断しなくても、彼だけは私を許してくれるだろう。何もかもを知らないふりして、私のせいで人々が餓死したって彼は許してくれるだろう。
たったひとりの男のための、私になる。
「だから、オレがお前を殺すから……オレのために生きてくれ」
「あああ……ああああああ……」
生まれたことも間違いだった。
出会ったことも間違いだった。
この男の睦言を馬鹿正直に信じるのも、きっと間違いなのだろう。それで世界が滅びようとも、私は彼に許してもらえればそれでいいと、思ってしまったのだ。
彼に強く抱きしめられる。私の身体を味わおうと起き上がった男は、私の手をベッドに縫い付けた。
「あはっ……顔、隠すなよ」
「うぅ……ああぁ……み、ないで、くださっ……」
「いいから……こっち向け」
嬉しくて、怖くて泣いてしまう私を、ご主人様は見下ろしていた。
本当にひどい男だ。
こんなにぐちゃぐちゃになった私を、余すところなく愛してくれる。私という存在の強大さを無視して、ただのユターシャとして愛してくれる。私の全てを自分のものにして、最後は彼の手で終わらせてくれるのだろう。
地獄のような愛に包まれて、私はどこまでも堕ちていった。愛を知らなかった頃にはもう戻れないし、戻ろうとも思えなかった。
あぁ
私と彼以外———この世から全て無くなってしまえばいいのに。