転生前は人間のオスだったエルフの聖女、婚約者に嵌められ淫魔になり追放されたらしい 作:芥目たぬき
血飛沫が舞う。呼吸があがる。
黒い手の形をした何本もの触手がオレの身体を拘束しようとやってくるのを避けて、高速で的確に狙ってくる斬撃をかわし続ける。反撃に出ようにも出られず、ジリ貧の状態で戦い続けていた。
ユターシャのことを守らなくてはならない。
せめてこの男だけでも、殺さなくてはならない。
焦れば焦るほど隙が多くなるとわかっているからこそ、オレは守りに徹していた。
「はっ、はっ……流石だ、我が息子よ」
年齢からか、息が上がっている義父はそれでもまだまだ余裕とばかりに笑みを浮かべている。高そうなコートにはオレが斬りつけた跡があるものの、彼の身体にはまだ少しのダメージも入っていない。
そして、問題はこちらだ。
「ほらほら、頑張らないと捕まえちゃうわよぉ?」
悪魔の後ろに控える扉から、触手のような黒い手がオレとユターシャへと向かってくる。それらをナイフで切り刻み、そして距離をなんとか取る。
ただでさえ強い相手なのに、さらに二重三重の不利を重ねている。オレの方がよっぽど消耗していて、ぼたぼたと滴る血が地面に溶けていった。
「ごしゅじんさま……!」
「ユターシャッ! いいから逃げろ邪魔だッ!」
「いやまッ、ヒィ!?」
ユターシャの方へと向かう触手を切り刻み、このままでは埒が開かないと彼女の身体を抱きかかえる。
「それで逃げられると思うかァ!」
「ぐっ……くそ、がッ!」
義父の攻撃を全て弾き返し、そしてユターシャを抱きながらも触手から逃げる。死なない程度の攻撃は全て無視すれば、あっという間にオレの身体は血まみれになっていた。全身がやたらめったら切り刻まれて、打撲跡も残っているだろう。
それでも、ユターシャには傷ひとつつけない。つけさせない。
一度距離をとって、あの触手もどきを切り刻み、それから反撃に移るべきか———
「健気なものだ、なッ!」
男が隠しナイフを投擲してくる。慌ててそれを弾き返した時には男の足が目の前にあって、オレの顔面は思い切り蹴り上げられていた。理解するよりも、先に衝撃で刹那の時身体が停止する。
や———ばい、脳が揺れッ……!
「もらったァ!」
「させま、せんッ!」
「なにィッ!?」
その瞬間、身体がグンッと浮遊感に襲われる。唐突な加速負荷にオレは目を見開いて、そしてユターシャの方を見つめた。
———空を、飛んでいたのだ。
骨となって、そして大きくなった翼で空を飛んでいた。この一瞬でどこまで飛んだのか、地上の木々は小さく、ただ生い茂る葉っぱだけが見える。
オレを抱きかかえるユターシャの腕からは、まるで黒魔術のような黒モヤが煙のように薄く燃え上がっていた。
非力なユターシャがオレを持ち上げるなんて本来なら出来ないはずだ。おそらく魔術を使っている筈だが、それならユターシャの身体が溶けてしまうのに———何故だ?
「ふーっ、ふーっ……今は、聞かないでください」
「……そうだな」
ユターシャは未だに涙で濡れる頬をそのままに、真剣な面持ちで遥か下の地面を睨みつけていた。
この距離を瞬時に飛び上がるなんて普通は不可能だが、魔術で爆発的な威力を出せば出来なくはないのだろう。
これで、男からの攻撃はひとまず考えなくていい。
とはいえ、敵はもう1人いる。
「ふぅん? その翼、お飾りだって聞いていたけど?」
「貴方が成長させてくれたおかげで、空を飛べるようになりましたとも……ちょっと足すくんじゃうけど」
空を飛べるのは、なにもユターシャだけではないのだ。空中に浮かび上がった扉から現れた悪魔は、羽を動かしながら微笑んでいる。
そんな女と対峙しながらも、ユターシャはオレを抱えてじっと睨みつけていた。
「ひとつ教えてください。その扉の魔術は、いわゆる『地獄』とやらを使用して現実世界での位置移動を可能にするもの、という認識なのですが……あっていますか?」
「ふぅん? お勉強の時間? 聖女様は熱心ねぇ……でも、見ただけでそこまで理解してるならご褒美に教えてあげるわ。冥土の土産になさい」
悪魔は嬉しそうに微笑みながらも、扉の一部となっている苦悶の表情を浮かべた人間の顔を指でなぞった。
いわく、その魔術は彼女の住む世界と繋げるための扉らしい。現実と同じ座標にあり、しかし何もかもがオレ達の理から逸脱した裏の世界。そこに距離の概念はなく、歪んだ時間と生死のない狂ったナニカが飽和している。
地獄という多次元空間を経由することで可能にする空間移動。彼女の魔術の真髄だと、得意げに語っている。
「ふふ……こんなこと、この世界で何千年何万年経とうが、私以外に出来るはずがない。すごいでしょう? 賞賛なさい」
「なるほどなるほど……別の次元ですか……」
なにやら考え事をしながらもぶつぶつと呟くユターシャ。そうこうしている間にも、扉から伸びる触手の手はどんどんと多くなっていっている。
すなわち、その触手は地獄の生き物。
悪魔が扱うこの世ならざるシモベ。
「ユターシャ、おいッ! 来てるぞ!?」
「……しかし不思議ですよね。空間跳躍能力を持ってるくせに、わたしたちの元にすぐやってこなかったのは何故でしょうか」
「なによ、知りたがりねぇ……これで最後の回答よ?
地獄では時間も距離も概念が違うから説明しにくいのだけれど……あの空間は生者に厳しく出来ている。だからこそ、長距離の短時間移動は彼に過大な負荷をかけることになるのよ」
彼、と言って地上を見下ろす悪魔。
おそらく、義父のことを指しているのだろう。
「私は人間には優しいから、ちゃんと気を遣ってあげてるの……ほら、人間だって犬猫には愛情をもって接してるでしょ?」
じゃあ、これでおしまいね?
そう呟いた悪魔は、指先をオレ達の方へと向けた。瞬間、数多の黒い手がこちらへのびてくる。絶望や、恐怖から逃れようとする助けを煮込んだような感情の奔流である触手達は、とくに明確な生者であるオレを狙いにしているようだった。
「ッユターシャ!」
「ちょっと、考え事してる最中に攻撃はズルですって!」
「言ったでしょ、さっきのでおしまいだって……ふふ、何を企んでいるのかは知らないけれど逃さないわよ」
飛んで逃げるユターシャを阻むように、悪魔を中心にぎぢぎぢぎぢと嫌な音を立てながらも魔術が構成されていく。それは超巨大な檻で、そして鉄格子には黒い雷が迸っていた。
いくらユターシャが高速で飛び続けても、この壁がある限りは遠くに逃げることは出来ないのだろう。
「……よぉしご主人様、私に捕まっててください」
「は?」
「あら、あら? 私の真似をして地獄の扉を開くの? ふふふふ……」
悍ましいほどの、楽しげな笑みを浮かべる悪魔の手が一瞬止まる。まるで、さも「それをしてみろ」と言わんばかりの表情だ。迫り来る触手も空中でぴたりと止まり、まるで逃してあげると言った様子か。
だが。
「いや無理です。私がその地獄とやらを開くと、あちらの常識を知らないのでぐちゃぐちゃになりますね?」
「あら、よくわかったわねぇ。全くつまらない……今まで5人、ぺちゃんこに潰れたことがあるのよ?」
「でしょうね……えぇ、ですから他の道を使用します」
そうしてユターシャが手を振り、現れたのはピンク色の扉だった。あの悪魔が生み出す悪趣味なそれとは違って、ただシンプルで銀色の回し取手がついている。
そして間髪入れずにユターシャが手をかけてドアを開くと、黄金色に輝く光が満ち満ち溢れていた。激流のようなエネルギーと温かく包み込むような何かが扉の外からでも肌に感じられる。
なんだ、これは。
息吹のマグマとでもいうべきか。世界のエネルギーを可視化したらこうなるのだろうか。
「異次元の扉を開く……なるほど、良い方法です。なので私は、私の理解できる方法を取らせていただきました」
「………………は? なに、それ」
悪魔が呆然とそれを見つめていて、しかしユターシャは言葉を返さなかった。傷だらけのオレを抱えたまま、扉を閉めて黄金の中をふわりと泳ぐ。
最後に見た悪魔は、まるで豆鉄砲を食らった鳩のようにマヌケな表情をしていた。
* * * *
「ルシファー、彼らは何処へ行った?」
「んん、エルフ国よ。……悔しいけど、貴方を連れて行くとなったら最短でも1時間はかかるわ」
「エルフ国か……まったく、面倒だ」
取り残された壮年の男と悪魔は、彼らが飛んで行っただろう方角を見遣る。
2人とも、数十時間前まではちょうどそこにいたのだ。
「あの空間移動は、唯一無二の絶対じゃなかったのか?」
「……ぐう」
「ぐうの音をあげるな」
壮年の男は1人ため息をつく。
やはり念には念を入れておいて良かったのだ。
地上に降り立ってすぐ、男はコートを脱ぎ捨てた。
先程までは荒くなっていた呼吸も落ち着き、互いに冷静さを取り戻す。
「お前が悪趣味を楽しもうなんてするから、コケにされた挙句こうして無駄を重ねてるんだぞ。最初から交渉しておけばこんな無駄は出なかった。少し反省しなさい」
「うっさい」
「頼むから、次は調子に乗るんじゃないぞ」
「……場合によるわ」
「勘弁してくれ。……あぁ、そういえば」
そして、扉の目の前で壮年の男が立ち止まる。
ここまで待たせているのだから———彼女に一言声をかけておかないといけないと思ったのだ。
特別な、お客様。
聖女を連れて行くのに、念の為に用意した切り札のうちのひとつ。そのひとつは、先程の第二王子の生首だったが。
「会っとくの?」
「あぁ。あの闇の中に長く放置されれば発狂しかねないからな、頼む」
そして暗闇の中、ひとつの影がうっすらと見える。
ゆっくりと出て来たのは十字架に張り付けられた1人の女だった。全ての関節に釘を打たれ、魔術使用不可の呪いをかけられている。
息も絶え絶えと言った様子のその女は、それでも2人を憎しみ籠った目で睨みつけていた。
ぶらりと、垂れ下がるは4つの玉。
そこからダラダラと赤い血が落ちて、地面を汚していた。
「ご機嫌よう、マドモアゼル」
「……フーッ……フーッ……、地獄へ、堕ちろォ……!」
「クク、元気で大変結構なことだ」
壮年の男は、女の言葉に首を振った。
彼の死後はもはや道が決まっている。地獄よりもよっぽど悍ましい、悪魔のはらわた。
祖国のために魂など、とっくの昔に売っている。
だからこそいくらでも非道になれたし、これまでのことも、これからのことも何ひとつ罪悪感を抱くことはない。
「あれほどの魔術が使えることは想定外だったが……なに、問題はない。こちらにはまだカードが残っている」
いくら強かろうが、いくら魔王であろうが、そこに心がある以上付け入る隙はいくらでもある。
「いくら魔王として運命から目を背けようと、もはや無駄だ」
もう遅い、全部手遅れなのだ。
いくら強かろうが、こぼしたものは取り戻せない。
世界を恨む運命は確約された。多くの魂は焦土に潰えた。
この世界は残酷で、結果と数字だけを見てそれを処理されたと認識するだろう。
「これは、必要な犠牲だった」
「貴方達の尊い命を持ってして、この地上で行われる魔王の最後の蹂躙は終わったのだ」
「人類は進化する。長い歴史において我々を苦しめてきた魔王というシステムを、人類が掌握する」
「ついに人類は、勇者なくとも魔王を封じられるのだ」
それは十字架に貼り付けられた女に、語りかけていた。
男は理想を抱いているのだ。若い頃から変わらず、ずっと一途に思い続ける。
国のために人々のために、全てを売り渡した男。
どれだけ魂を穢そうが、どれだけ罪を背負おうが、人類の礎となるなら関係ない。
「人間に繁栄を、人類に永遠を。不滅の種族は、この大地に愛されているのだと証明しよう」
赤子だろうが、老人だろうが。
使えるものを全て使って、男は正義を成してきた。全てはこの世界を平和に導くための必要な手段だった。魔王という悪を捉えるための、人類にとっての希望のために。
代償は罪なき者の命、得るものは———これからの未来。
「老いさらばえた哀れな最後のエルフよ、この大地を支えていた聖女達の師よ。喜べ、貴様こそが証人となるだろう」
「あぁ……あああああ……ッ!」
女は———おそらく
聖女達の親代わりのような彼女は、自身の教え子達の首を腕からぶら下げられながらも空を仰いで涙を流した。
どこで間違ったのか?
どうしてこうなってしまったのか?
答えはわからず、惨劇はもう全て終わっているのだろう。
かつて鉄壁とも謳われたエルフの国の魔術による国防は、極端に弱体化していた。ユターシャがいなくなってからは大地を支える儀式に既存の聖女だけでは足らなくなって、国々の各地から魔術を使えるものを掻き集めていた結果だった。
ではどうすればよかったのか。
足掻いて、足掻いた結果がどうしようもなかったのだ。
「ユターシャ……!」
あぁ、だからせめて彼女だけは。
老女の祈りは誰に届くこともなく、涙だけがエルフの国から遠く離れた大地に吸い込まれていった。