転生前は人間のオスだったエルフの聖女、婚約者に嵌められ淫魔になり追放されたらしい 作:芥目たぬき
エロ書きたい…もう許されたい…もうあとちょっとで終わるのでもうしばらくお付き合いください。ちゃんとハッピーエンドになるので。するので。
———まだ、あの頃はいつか世界に平和が来ると信じていた。
それがどんなに困難だとしても、自分ならできると思っていたのだ。
かつて私は、ひとつの研究所を運営していた。
エルフにおける聖女のシステムはある種の人身御身である。エルフの発展、繁栄を夢見た私は魔力の継続可能エネルギー化。これまでの歴史で幾人もの有識者が挑戦してきた困難を、私は手掛けようとしていた。
王都郊外の人気が少ない土地に建っていた古い屋敷。改装に改装を重ねたその建物は、私が出資していた研究所。
エルフの聖女としての仕事がある中で、時間をやりくりして研究所に通い詰めていたのが昨日のようだ。
その研究所では、一癖も二癖もあるエルフ達が和気藹々と研究に没頭していた。外の世界では差別されるようなハーフエルフや、賢すぎるが故に嫌われ者になったエルフなど……そこには多くのはぐれものがいた。
だから私も、きっとのびのびとしていたのだろう。
前世の知識をたっぷりと用いて、この世界における技術水準を超えたオーパーツの作成。超技術の詰め込まれたロマンに、私は夢の載せていたのだ。
その施設に鎮座していたエルフの国にそぐわない巨大な機械は、蒸気を立てながらも時代の特異点となる筈だった。
なのに。
出火元不明の火事で研究所は全焼。所属していた研究員全員の丸焦げになった遺体と、崩壊しきった建物だけがそこに残っていた。
研究結果も無くなり、潰されて無くなっていて、誰1人助からなかった。その知らせを聞いてすぐに飛んで行った私には、もう焼け落ちて全てが終わった後の建物だったものを見ることしかできなくて。
———だから、理解できなかった。
なんで、あの研究所に置いてあった機械が、ここにあるのだろう。なんであの機械の中に、
私のやってきたことは、なんだったのか。
故郷は燃やされ、同胞は死に絶えて、妹達は死体を陵辱されて、そしてかつて目指していた夢の名残ですら踏み躙られている。
そこにあったのは、私の全てだったのだ。
エルフとして築き上げてきたものが、何もかもまとめてめちゃくちゃにされていて。
こんなことのために、私はこれまでやってきたのか。
「あ……ぁあ……」
大切な妹達の首から下の死体が、液体の中で動かない。はたしてこの場でどんな凄惨な事件が起きたのか、私には予想もつかなかった。
私の家族でもあり、そして友人でもあった彼女達。私の名を呼ぶ声を思い出す。
———それがたとえ、見てきただけのものだとしても。
この100年で積み上げたものが全て蹂躙され、ただ目の前に現実だけが広がる。
「殺して、やる……!」
憎しみが言葉となる。悲しみは怒りへと変わる。
聞こえる笑い声が憎くて仕方なかった。足先から指の先まで燃えるように血流が回り続けて、だけど頭だけはやけにクリアになる。
そうして———
* * * *
ユターシャの手の上には、ひとつの小さな雫が眩く輝いていた。
「うう"……あぁぁあっ……!」
それは、彼女の持つ膨大な魔力の圧縮。枯渇した世界を癒せるだけの潤沢な魔力が、手の上に結晶の形となって凝縮されていく。
輝く紫色の光。それは力強くも、儚さすら感じる小さなエネルギーの塊だった。
音すら奪う圧力。光すら飲み込む重力。
ユターシャの周りに薄く風が巻き上がり、漏れ出す光が輝いている。
魔力が吹き荒ぶ凄まじい光景は美しくも荒々しくて……その光の奔流に目が焼かれそうになるものの、それでもそこから視線を離せなかった。
———もしもそれが、ここに落とされたら。
地上をえぐるなんてものじゃないだろう。おそらく、星の形を歪めるはずだ。大陸ごと消し飛ぶだろうそれは、エルフ国を焼いた兵器ですらオモチャに見えるほどだ。
それほどまでの高威力を片手に溜め込んだユターシャは、もう片方の手を翳した。
「……そんなの用意されて、わざわざそちらの世界にいくわけないじゃない」
だが、事実だ。いくらこの世界を真っ平にしようが、地獄の世界には影響がない。
「えぇ、そうでしょうね……ですから、こうしましょう」
「………………え?」
ユターシャの、もう片方の手が空間に無機質な穴を穿った。その奥には赤黒く、ぐちゃぐちゃな世界が広がっている。ビヂ、ビヂビヂと嫌な音を立てるのは、無理矢理それを開けているからなのだろう。
地獄だ。
ユターシャの手によって、地獄への穴がその場に生み出された。
「……地獄の広さは知りませんが」
ユターシャは、静かに口を開く。
「そもそも距離の概念がない世界。遠さによる衝撃の緩和は出来ないでしょうから、満遍なく地獄の端から端まで壊し尽くせるのではないでしょうか」
「私じゃ
ユターシャの手から、その雫が離れていく。
地獄の穴へと、吸い込まれていく。
———それは、とても美しかった。
たった数秒のはずなのに、まるで何十時間にも引き伸ばされたかのような感覚に陥る。
あたりが一層真っ暗になり、世界から音が奪われる。ゆっくり、ゆっくりと雫が穴の中に落ちていく。
それは静かな光。世界を丸ごと凝縮したエネルギー塊。
もう、誰にも止めることはできない。
地獄の穴へと、彼女は雫を投じる。
そして、穴が閉じると同時に弾けた。
「あぁぁァァアアアアアッ!」
飛び出してきた悪魔は、ユターシャの真後ろに現れる。当たり前のように予測していたオレは、彼女の後頭部に振り下ろされた刃を受け止めていた。
ボスが、酷く悪い顔色で腕を震わせながらもさらに刃を押し込もうとしてくるが……その腕を掴んでいるオレは、それごとひっくり返すように握りつぶした。
ばぎり、と嫌な音を立てて彼の利き腕が潰れる。
「ふぅ"〜……ッ! き、さまァッ……」
ボスの動きが悪いのは、地獄を無理矢理移動したからなのだろうか。先ほどよりもずっと動きが遅く、それは簡単にいなすことができる。
首に飛んできた反対側の手も受け止め、それもまた潰す。握力だけで手首の骨を砕いて、そして懐に隠し持っていた刃物を構える。
このまま、最短最速で心臓を抉り穿つ。
オレの手は、間違いなく男の命を刈り取ろうとしていた。
———だが。
「こんな、ところでッ……!」
バヂバヂバヂ、と音が爆ぜる。
目の前で唐突に起きた魔力の暴風。その程度で止まるようなオレではないが、しかしそれはただの魔術ではなかった。
瞬間、目にとらえていた筈のボスの姿が変わったのだ。全くの別人に入れ替わったソレは、悪魔の魔術による幻覚の類だろうか。
男の心臓を抉ろうとしていたナイフは目の前の人物に突き刺さりかけるが、刃先があたる数ミリ前で無理矢理止める。腕にビリビリとした反動が来る中、オレは突然現れたその女を睨みつけた。
どんな魔術かもわからないのだ。カウンター型の呪いがかけられているかもしれないし、わざわざここで入れ替えを選ぶ辺りになにかの罠が仕掛けられているのは目に見えている。
逃してしまった義父は悪魔の腕に抱えられて、折れた手首をかばいながらもこちらを睨みつけていた。
「はぁっ……ルシファー……助かった」
「いいのよ、でも、ここで出すつもりなんてなかったのに」
「……問題ない。次の段階だ」
「えぇまぁ、そうね」
目の前にいる代わりの誰か。
それは片耳を削げ落とされている老いた女のエルフだった。
身体は血塗れで、腕からは大量の血が流れ出ている。そして、それでも抱えているのは4つの生首。どれも若いエルフで、そして皆酷い顔をしていた。
まだ、生きているエルフ。
悪魔がわざわざ生かしていたということは———
「せん、せぃ?」
老女は疲弊しきったうつろな目をして、それでもユターシャを視界に入れた瞬間に目が見開かれる。
全員死に絶えたと思われたエルフの、最後の生き残り。
「ユターシャ……」
「先生……先生!」
生きていたんですね、と彼女はその老女に駆け寄っていた。……オレはその関係性を知らないが、おそらく聖女ユターシャの大切な1人だったのだろう。
悪魔とボスがオレ達から距離を取る中、ユターシャはその老エルフの手をとっていた。枯れたはずの目から涙をこぼして、そして彼女の身体を治していく。黒い魔力の光に包まれた老女は、安心しきった顔でユターシャを見つめ続けていた。
愛しげな顔でユターシャを見上げる老女は、しかし全てを諦めたように彼女の頬を撫でる。
「……よか、った……」
「今、直しますからッ! 先生、お願いだからっ……絶対、私が生かしてみせますから!」
「せめて、あなただけが、生きてて……よかった……」
———おそらく。
おそらく、彼女の風穴のあいた腕には彼女が大事に抱えていた4人のエルフの首を吊り下げられていたのだろう。悪趣味な被虐はあの悪魔のやりそうな事で、やつれきった顔はボスと同じような精神的なダメージも伺える。
どれだけの時間、地獄の空間に閉じ込められていたのか。
どれだけの間、彼女は4人の生首が揺れる様を見続けていたのだろうか。
美しかったのだろう4人は、死んだその時の顔のままで固まっている。老女の腕の中で、憎しみ、後悔、絶望、苦痛を煮詰めた表情をそれぞれが浮かべていた。
「……あなたには、ずっと、無理を、させてしまっていたから……」
やつれた老女は、ユターシャを愛おしむかのように手を伸ばす。
随分と痩せこけて、そして汚れきっていた手だったが……それでも、ユターシャはそれを受け入れるように手を重ねた。
「幼い頃、旅に出たいと……言っていたでしょう……? 冒険者になるだなんて、無謀なことを言って……」
「そりゃ、その時は恨みましたけど……でも、私が聖女となってから、色々と便宜を測ってくれたのは先生でしょう? 研究所も、魔術院への口利きも、いろいろとしてくださっていたの、私知ってるんですからね?」
老エルフの身体は治っていく。それなのに、彼女の目はあまりにも達観していた。まるで自分の死期を悟ったような瞳の色は、もう自身のなにもかもを諦めているのだろう。
ユターシャにとってこの老エルフはかけがえのない恩師であり、家族のような大事な存在。
他の一族全員が皆殺しにされた中で、唯一の生き残り。
悪魔はそれを知っていたからこそ、あえて彼女だけを生かしたままにしたのだろうか。
「……貴方が、貴方さえ幸せであれば、もうそれで……それだけで、いいから……」
「ほら! 傷直しましたから、その死ぬ間際みたいな言葉やめましょうよ……?」
「いえ、最期だから……ちゃんと聞きなさい、ユターシャ」
老女の腕は細く、しかし開けられていた穴はもう塞がっている。ユターシャの顔を抑えたその女は、涙で潤みながらもしっかりと見据えていた。
彼女は、自分の命などどうでも良かったのだろう。ただ、ユターシャだけはと、そう願って地獄を耐え抜いたのだ。
「……今まで、立場があったから、言えませんでしたが……」
それは、親の愛なのだろうか。
オレには理解できないものであったが、死の淵にあっても自分以外の誰かを思うその気持ちは確かにひとつの愛の形であった。
その手は震えていて、しかしその目は真っ直ぐに彼女を射抜いている。その声は、掠れて消え入りそうになるほど弱々しいものだった。それでも、はっきりと言葉を紡ぐ。
「自由に、自由に生きなさい……誰かのためでなく、自分のために。なんだって、いい。自分が納得できる、最善を選———」
あぁ、だけど。
その言葉を最後まで紡ぐことはできなかったのだ。
「本当に、それでいいのね? さっきの見て、それでもまだやめないっていうの?」
「あぁ、そのためにこれまで生きてきたのだから。やり通さねばならないだろう?」
「……いいわよ。もう……最期まで付き会うわよ」
変容する。変体する。
老女の身体は骨格が歪んでいった。それに耐えきれずに皮膚が張り裂けて、目玉がこぼれ落ちて、爪や歯が鋭く鋭利なものへと変わっていく。
服が引き裂かれてようやく見えたのは、ユターシャにも刻まれている魔族化の刻印だった。
わかりきっていたことだった。彼らの手に一度落ちて、それから助かるわけがない。
それでも……一族全員殺されて、唯一の生き残りだった親のような存在だったエルフを目の前で壊されるだなんて。
そうまでして、ユターシャを追い詰めたいのか。
「———ッユターシャ!」
「あ、ぁぁあ、ああああ!? なんで、なんで!? なんで、どうしてっ……」
ユターシャの腕の中で巨大な化物に変容していくエルフの老女。慌てて彼女の身体を化物から引き離したオレは、苦しそうに身体を掻きむしる化物に相対した。
視界の中で、悪魔がこちらに手を伸ばしている。
「どれだけ足掻こうが、シナリオは変わらないわよ……あぁでも、私の棲家を壊した分の恨み程度は重ねてあげるわ」
悪魔が腕を振るうと、同じように化物も腕を振るう。おそらく操られているのだろうそれは、苦しそうに身体を掻きむしりながらも身悶えていた。
———Ah……
きっと、口だったものが開く。
———Aaaaaa……
軋むような音は、はたして声と言えるのだろうか。
g・g・g……ッ! Aaaッ、aaaaaaaa———!
痛みを吐き出すかのような咆哮と、そしてその鋭い爪で自身の頭部を掻きむしる。血のようなドス黒い液体が噴出して、何かしらの臓物のようなものが飛び出てくる。
「もう手は抜かないわよ……全身全霊をもって、貴方を追い詰めましょう」
「ぁ、あぁあ……先生……!」
喉が潰れたような咆哮をあげる化け物は、まるで嘆いているかのようだった。悪魔の手と連動してユターシャ目掛けて鋭い巨大な爪が振り下ろされる。
呆然とするユターシャの身体を担ぎ上げてその猛攻を避け続けるものの、攻撃にうつるわけにもいかず、ただこちらの体力を消耗させるだけだった。
「くそッ……ユターシャ、移動出来ないか!?」
「あっ……ぁ……い、いどう……? あっ……」
とても巨大なその化物は、窪んで何もない目元からドス黒い血をこぼしている。首だけは拒否するように横に振って、しかし氷の魔法を携えた腕を持って振り撒くように巨大な氷塊を投げ飛ばしてくるのだ。
そうこうしている間にも、悪魔はそれを操作しながらこちらに向かって魔法を飛ばして、ボスも応急手当ての魔道具を湯水のように使って回復を図っていた。
「逃げ……? で、でも先生がっ……!」
「無理だッ……つの! どうしようもねェって!」
その間にも、氷塊が次々と飛んでくるのだ。それらを避け続けるのも、いずれ終わりはくるだろう。
「あぁ……親が化物になってもまだ足りない、のね?」
「甘い。完膚なきまでに、だ」
「わかってるわよ……まったく、骨が折れるわ」
その爪は鋭かった。その魔法は巨大だった。
その吐息は熱くて、そしてなにより硬い鱗で覆われた身体は鉄壁の守りを誇っている。
あの悪魔が本気で作り出した化物が、弱い筈がなかった。老エルフという長い年月の神秘を溜め込んだ強者が弱い筈がない。
オレが知っている魔物とは比較にならないほどの魔力量。ドラゴンと対峙しているかのような生物としての圧。
もしも躊躇なく殺せるのならば、まだ戦いようはあったのだ。
しかし———
「ご主人様……せ、先生はっ……おねがいします、先生、を……」
「善処する、が……ッ!」
彼女は、紛れもなくユターシャの大切なひとりだったのだ。ユターシャの気持ちを汲むならば、あの化け物を殺すことはできない。
せめて、あの悪魔さえ倒して化物の操作をやめさせれば……
Gッ、 Guuu・A……Aaaaaaaaaaaッ———!
「あぁ、もしかして……まだ助かる方法があるなんて、甘い幻想抱いてらっしゃる?」
ただひたすらに避ける。考える暇すら与えない攻撃の嵐は、そのどれもが当たっても死に値するものだ。
美しかっただろう大地は無惨にも抉れて凍りつき、どんどん足場すらも危うくなっていく。
「無駄なのよ……えぇ、もう全部無駄。彼の計画に狂いはなく、どこまでも貴方を追い詰める筋書きはできている」
氷柱が頭上に降り注ぎ、そして左右からも剛速の爪が迫り来る。
「いくら強かろうが、いくら無茶苦茶な存在だろうが、そこに心がある以上は付け入る隙はあるのだから」
襲い掛かる攻撃はあまりにも熾烈極まりなく、もはや逃げる術など失われていた。
そして
———そして、今更気がついたのだ。
「ぁ」
咄嗟にユターシャを庇ったが、想像していた攻撃は
腹を、腕ごと斬られたのだ。
それに気がついた時には、避けられないところまで氷塊が迫ってきていた。
「ッあ」
残っている腕でユターシャを突き飛ばす。
なにも理解できていないといった様子のユターシャは、ただ呆然とオレを見つめ返していた。
「……手は、抜かなかったわよ」
最初から。
最初から、オレを狙っていたのか。
よく考えればわかることだった。
ユターシャの周りのエルフを殺して、見せしめのように目の前でユターシャの恩師を化物に変えていたのだ。
わざわざ、ユターシャを狙うはずがない。
彼らの思惑はわからないが、それでも狙われているのは自分だったのだ。
ユターシャを、苦しませるために。ユターシャの周りの親しいもの全てを殺すために。
「え……あ……? ご主人様、が? な、なんで? 待って、直しま……なお、なおすからっ……」
下半身は、氷塊によって潰されていた。この巨大な岩のようなものが容赦なく振り下ろされたのだから、おそらくもう使い物になんてならないのだろう。ぺしゃんこに潰れて、感覚も無くなっている。
そして片腕は飛んで、オレの視界の端に転がっていた。どくどくと溢れる血は熱くて、それと引き換えに身体は冷たくなっていく。
「必要なのは魔王の絶望、覚醒。故に聖女様の周り全てを壊す必要があった」
「人類において最高峰の強さを誇るボウヤを安全に殺すのに、色々考えたのよ」
「自分の今までの人生で積み上げたものを全て凌辱されたのは苦しかった?」
「目の前で親のような存在を化物に変えられて操られるのを見るのは、どれだけ悲しかった?」
「そして———愛した男を自身のせいで殺して、その魂を永劫蹂躙し続けられると知ったらどれほどの憎しみを抱くのかしら?」
悪魔の声が、どんどんと近くに聞こえてくる気がした。
それは、オレが幼い頃に交わした契約だからなのだろうか。死にかけて、肉体から離れかける魂があの悪魔に食われようとしているのか。
こんなふうに終わるなんて、と思う自分と、あぁやっぱり碌な死に方じゃなかったと思う自分がいる。
ユターシャを咄嗟に守ったはいいものの、あんな表情をされていたら未練しか残せないじゃないか。
「ほら、もう貴方には何も残されていないわよ」
……あぁ。
やっぱり、死にたくない。
死の間際ですら、彼女の笑顔がまた見たいだとかそんなことを思ってしまう。
ユターシャには笑って欲しい。オレの横で、ただ笑っていて欲しかっただけなのに。
「いや、だ……」
掠れていく視界。その中で、ユターシャの恩師だった女が簡単に殺されていた。魔術によって編まれた鎌が、何の抵抗もしない化物の首を跳ね飛ばす。
巨大な体から溢れた大量の血が、大地を濡らしていく。噴水のように飛ぶドス黒い液体は、勢いよくユターシャの座り込む足元にまで広がっていた。
そして、彼女の元に4つの首が転がる。
あの老エルフが大事に抱えていた、彼女の姉妹達の生首。エルフの無念。
「ご主人様……貴方、だけは……」
ユターシャの悲痛な呟きが、遠く聞こえる。
意識が薄れゆく中、オレはただユターシャのことを考えて溶けてゆく。
———間違ってたっていい。
———どうなったって、しらない。
———だから私の全てを持ってして、ご主人様を
* * * *
大地が揺れるのは、祝福なのか。
風がどこからともなく吹き荒ぶのは、世界が饗宴を開くからなのか。
階梯は最上を迎えた。彼女の翼は、これをもって意思ある肉となる。
見上げるほど強大なその王は、誰もを救おうとして誰1人救えなかった手で自身を抱きしめる。それは体内を守る蛹のようにも、もしくは理不尽な暴力に怯える子供のようにも見えた。
顔と呼べる箇所にある輝くまなこからは、7色の液体が零れ落ちる。その雫が地面に落ちれば、美しい花が咲いて枯れていく。
せめて、安らかに
彼女が口をひらけば、様々な美しいしらべがその空間に響き渡った。
この世界のものにとっては馴染みの深いエルフの鎮魂歌であったり、人間の挽歌であったり。
または
騒々しいまでのそれは、しかし一定のリズムをもって美しいと思える。
その姿は、あまりにも哀れな終わりを果たした同族を弔う獣の形をしていた。
やけに長すぎる6本の指、それが翼だったところから枝分かれしてぶら下げられたように5本ずつ揺らめいている。かつては翼だったはずの腕のようなナニカは、それぞれ棺のようなものを掴んでいる。
春宴担う祝は悲しみに反転し、ファムファタールへ
それは、運命の女。
万人への幸福は、たったひとりを狂わせるためのものに。
果てぬ赤の憎しみは増幅し、紫の生まれへと
それは、高貴なる者。
選ばれし只人だった彼女は、超越者へと変質する。
嶺爵の騎士が怒りに発狂し、テクフルを失墜に導いた
それは、皇帝。
彼女が愛したその国は、全てが玉砕していた。
陽光讃歌の怨みは浸透し、琥珀のスカラベを産み落とした
それは、日蝕。
冷え切った冷たい太陽を、彼女はその身で生み出し地獄を無に変えた。
5つの棺には、それぞれのエルフが安らかな顔で眠っていた。柔らかな花に包まれて、様々な葬歌で弔われる彼女達を引き金に、ユターシャは魔王へと至る。
私の矜持は死に絶えた———故に、降り立つ繁栄の名は返還し、ここに底尽きた大釜は再誕する
エルフの聖女として彼女を育て、そして彼女を責務と立場で縛りつけた老女の死を悼む。
もう何も、彼女にはないのだ。
大釜はカリス。何人をも満たすことのできた無限の宝は、彼女の中にだけ向けられる。
これをもってして、覚醒の忌語は成った
不完全な悪魔の呪言とは違う、彼女だけの寿ぎ。
飢餓、日蝕、玉座、紫、運命。
それらを完全な5つの言葉として、ユターシャは受け入れたのだ。
人の形をして、しかし人とはいえない獣の形をした生き物。鱗は眩く光り輝き、角は大樹のように大きく枝分かれして育ち切っている。しかし、枯れたように真っ黒で捻れているのは世界を憎悪しているからなのだろう。
美しいのに悍ましいその生き物は、魔王というのに相応しかった。