転生前は人間のオスだったエルフの聖女、婚約者に嵌められ淫魔になり追放されたらしい 作:芥目たぬき
今からおよそ20年ほど前。
その男は、あまりにも不遜な態度で佇んでいた。
「相変わらず生意気ね、貴方」
この私に対して少しも怯えず、ただ闇に視線を向けるその男。
この国の貴族に生まれ、幼少期から今現在に至るまで完璧を貫き通してきている。その野望は高潔。しかし目的のためならどんな方法も使える、無情な男。
とっくの昔に魂を貰い受ける契約は施していた。
ただの人間のくせに重たい運命を背負っていて、それが酷く甘美に思えたのだ。
「なんで、私を呼び出したの?」
男は簡潔に口を開いた。
それは、人類にとっていずれは解決しなくてはならない問題。魔王という、この世界の浄化装置。
全世界の
人類の発展を妨げるためのそれは、5000年を生きる私にとっても虫のように不要な存在だった。
悪魔にとって、人間とは愛しい隣人。それを害そうとする存在は敵である。
「でも、魔王には勇者じゃないと対応不可なのよ? わかってる?」
確かに、その男は規格外の強さを誇っていた。
頭も良く、地位も持ち、そして恵まれた肉体も持っている。
とはいえ、その天災は普通に戦って勝てるような相手ではない。人が嵐に立ち向ったって、何も出来やしないのだ。
だが、私の問いに彼は首を振った。
「……ふぅん?」
その時は話半分で聞いていた。彼の夢物語は、人類のことだけを考えた正義の上になりたっている。
私の思想と一致しているそれを、不可能と断じても否定はしなかった。
———あぁ、だから今も彼を守るのだ。
私に出来ることはここまでしかない。
およそ100個ほどにもなるかつての勇者の武器を、私は調達した。魔術をかけて、その男がそれらをすぐに使用できるようにもした。
私が生まれるよりも前の武器もあれば、私が出会ったことのある勇者の武器もあった。
魔王について調べて、どうすればそれが出現するのかも調べて回った。おそらく、私の生涯の中で最も忙しく動き回った日々だろう。
男には寿命があった。
だから、私は焦っていたのだ。早くその魂を味わいたいと思う反面、明確な目的のある充実した日々がきっと楽しかったのだ。
「あ"、がッ……」
魔王の覚醒は、伝承に残るよりもずっと激しいものだった。
普通なら、普段なら私は身の安全を取っていただろう。
しかし私は男を守っていた。自身の身を賭して、その壁となった。
荒れ狂う嵐のような魔力は、明確に私達を敵だと認識している。
それもそうだ、魔王を発生させるために多大な犠牲を生み出したのだから。
かつての戴冠式事変や、エルフ国の大虐殺。
その全てが私たちの引き金だった。その全てが、万全に準備した状態で魔王を覚醒させ自分達の手で殺すためのものだった。
報いなんて悪魔には似合わない言葉だけれど、まぁ仕方ないな、なんて身体が塵へと変わりながらも思ってしまう。
最初は、ただ魔王がいなくなればいいと思っていただけなのに。いつのまにか、その夢は自分の死よりも重いものとなっていたのだろう。
それも、悪くない。
死にたくないが、それでも私の大好きな人間を滅ぼそうとする魔王のシステムが今日この日をもってなくなるというならば、許せる気がした。
神が捨てたこの世界。不要と切り捨て、もうすぐ終わりかけたこの世界で、新たな希望が生まれるのも美しいと思う。
私の愛した人類が、いつかきっと、神にも手を伸ばす日が来るのだ。
この強大すぎる悍ましき怪物に彼が勝ってくれることを祈りながら、私は世界に溶けていく———
* * * *
「……どこだ、ここは」
「ご主人様っ♡」
暗闇。目をどれだけ凝らしても遠くまで漆黒が続く世界。
ガバッと背後から抱きついてきたのは、全身にジャラジャラと鎖を巻き付けた、ツノも羽も生えてないただの聖女ユターシャであった。
いつも通りとまでは言えないが、しかし元気な顔をしたユターシャを見るとなんだか酷く心が落ち着いた。
「なんだよその……趣味悪いな」
「なんでですかぁ。かっこいいでしょ、鎖!」
かっこよくはない。
ユターシャの身体全体をぎちぎちと、食い込むように縛り付ける鎖。しかし彼女はそれを痛くもないらしく、平気な顔でニコニコとしていた。
あきらかに異常な空間なのに、それを認識できない違和感だけが喉に突っかかる。いつもの日常と同じような気持ちで、腕に絡みついてくるユターシャと共にどこかへと足を進めた。
そういえば……オレはなにをしようとしていたんだったか。
「? なにか、する事でもあるのですか?」
「思い出せなくてな……まぁ、行けばわかるか?」
「どうでしょうね。別に、思い出せないのなら思い出さなくてもいいことなのではないでしょうか?」
それもそうだ、とオレはユターシャの言葉を飲み込む。
「それよりも……ご主人様ぁ♡ せっかくの2人きりなんですから、もっとこう……燃え上がるようなイチャラブと言いますかぁ……♡」
「えぇ……? そんなことしてる暇ないだろ」
擦り寄って、もちもちタプタプのでっかい乳をわざとらしく擦り寄せてくるユターシャ。まぁ悪い気はしないものの、どうしてかそんな場合じゃないだろうと思ってしまう。
……オレは、何かやりかけのことがあったのだろうか?
「やだやだぁ♡ せ、せめてチューしたいですっ♡ ちゅーっ♡」
と、せがむように唇をこちらに突き出してキス待ち顔を晒すユターシャ。ちょっと間抜けなツラで、しかし美人はなにしても美人なんだな。
「……」
「…………」
オレがじっと無言でユターシャの顔を眺めていると、その沈黙に耐えきれなかったのか伺うようにそろりと目を開けるユターシャ。
見つめ合うこと数十秒。先に折れたのは、もちろん彼女だった。
「ご、ご主人様? キスしてくださるとか……せめて何かおっしゃってくださいません? あんまり無言で見つめられるとちょっと照れます」
「いや、綺麗な顔してるなって」
「え、えへへぇー?」
と、ユターシャが顔をだらしなく緩めた瞬間に頬を掴み上を向かせて唇を奪っていく。
馬鹿め、油断するからだ。
「ほ、ほぉおおおっ!? ちょっ、ずるっ! ずるいっ……うぅ……何今の……ずるすぎます……」
「あ? キスして欲しかったんだろ?」
「そ、そうなんですけどぉ……♡」
何が不満なのか、ユターシャはなにやらぶつぶつと呟きながらもオレの腕に腕を絡めて歩き出した。
絶対になんとかしなくてはならない何かを忘れて、オレはただただユターシャの歩幅に合わせてゆっくりと足を進めていく。
———足?
「あれ、オレの足……」
たしかにオレは足が潰れた筈なのだ。
物理的に上から押しつぶされ、骨から肉までつぶ……
「でも歩いてるんですよ?」
「あぁ……歩いてる、な」
じゃあ、いいか。
何か絶対に思い出さなくてはならないことを思い出せないオレは、それを無視して歩き続ける。
目的地なんて、どこにもなかった。
そもそも、進んでいるのかどうかすら怪しい。
どこまでも続く暗闇の中、ただ見えるユターシャと共に歩いていくだけなのだから。
「ところで、その鎖はなんなんだ?」
「気になりますぅ? ま、そりゃそうですよね……雑に言いますと、私が私と入れ替わった事によりこの世に魔王が現れました。そのための勇者カウンター武器、というやつです。鎖という形状なのは、その当時の私が最も必要とした形だからですね」
「はぁ」
魔王だとか、勇者だとか……よくわからない話だ。
単語としては理解しても、それが何なのかがぼんやりとして理解できなくされている。
どうでもいいのだろうか?
本当に……それは、どうでもいいと断じていいのだろうか?
「この鎖には最大最強になるのが必定だった魔王を殺すための効果がありました。とはいえ、彼女が自ら消滅を選んでいるので、もう無用の長物。私は戦わずして勝っているのです。ぶい」
「どういうことだ?」
「大丈夫です。私達は、存在するだけで魔王を倒して私達だけの世界へと至るのですから」
魔王を倒す———その言葉に、胸が締め付けられる。
わからないのだ。何か大切なことを忘れさせられているようで……その違和感に気がつけないようにされている。
オレは先程まで何をしていたんだ?
何故、足が潰れるような事になった?
うろんな記憶を手繰り寄せる。
進めていた足は止まり、少し先でユターシャがこちらを振り向いていた。
その表情は、少し曇っていて。
「ご主人様」
「答えろユターシャ、オレは何を忘れている?」
「気のせいでしょう?」
「ユターシャ」
「ダメです」
ジャラジャラと、鎖がざわめくような騒々しい音が聞こえる。彼女の身体から少しずつ離れて、そしてこちらに迫ってくる鎖達。
おそらく、元々の服装なのだろう清楚な聖女衣を身につけた彼女は、オレと対峙する。
「ここは、どこだ」
「……
子宮は女性の肉体において最も安全な箇所として作られている。そして肉体の中に新たな肉体を生み出す場所。故に肉体もなく消滅しかかっていた私を、
まぁ、処女懐胎ならぬ淫魔懐胎なんてことをさせないためにも自身を封印したのは正解でした。なんて、ユターシャは笑う。
「私は、これで納得したんです。だからもう、貴方はこれ以上は思い出さないでください」
「……なんでだ?」
足元にまで、鎖が迫ってきていた。
それはオレを束縛するための鎖なのか、しかし彼女の理性がそれを踏み留まらせているようだった。
彼女の言葉のかけらも理解できず、飲み込めないオレはユターシャをただ見つめ返すしかできなくて。
相変わらず、とても綺麗な女だった。
黄金色の髪はエルフとしての強さと気品を持ち、堂々とした佇まいは国のためにと在ったため。はたしてどれだけのものを魅了したのか、その麗しい美貌と肉体———どれをとってもオレには到底勿体無いはずで。
そんな彼女が、こんなオレを想って狂いだしている。
その瞳には強い愛が。
誰にも負けないと言わんばかりの、茹だるような狂気の感情が秘められていた。
「私が彼女に対抗するはずの勇者としての因子を持っていて、そしてこの世界から彼女を消滅させて、私が貴方を愛しているからです」
言ってることの少しも理解ができなかった。
きっと、ユターシャにはそれをオレに理解させるつもりもないのだろう。オレが理解できないからこそ、彼女は饒舌に語る。
「……ユターシャ、ここを出たいんだ」
「何故です? いえ、そもそも無理ですよ」
「だが……」
———あいつが、まだ苦しんでるだろう?
自分で自分の言葉の意味が理解できないが、オレはそう伝える。オレの大事なユターシャは目の前にいるというのに、他に何が大事なのかわからなかったが……それでも、それを忘れてしまうのはひどく恐ろしいと感じるのだ。
「あいつ、とは
「……あぁ」
「ならばやはり、問題はありません。元々が同一の私達。光の当たる肉体に対して実態のない影のようなもの。コインの裏面か表面かの違いです」
「それでも、嫌だ」
鎖は、足首に巻きつき始めていた。
「……ユターシャの全てが、どのような形であれ傷付けられているのを受け入れたくない」
「そうなるのが必定の運命であっても? 私自身がそれを受け入れていても?」
関係ない。
「オレは今までの人生全て裏切って、国も教えも何もかも全部無視してお前を選んでるんだ。……魔王だとか、ユターシャが人類を滅ぼすとか、今更興味がない」
———魔王。
自身が吐き出したその言葉で、少しずつ記憶が蘇る。死にかけたあの時に見た最後の光景、巨大な怪物となったユターシャ。
そういえば先程、ここが子宮だと言っていたか。
あの巨大な怪物となったユターシャの———腹の中なのだろうか。
「外に出たい……ユターシャ、ここから出してくれないか」
「むう……私だって、これ以上貴方の傷付く姿なんて見たくないんですよ」
それに、外に出す必要なんてないですから。
と、ユターシャは微笑む。
「本来のユターシャ……すなわちユターシャ
ユターシャのかざした腕から白い光の粉が輝き、そこに外の様子が映し出される。
数えきれないほどの輝かしい武器を次々と懐から引き出すボスは、悍ましくも美しい魔王と至ったユターシャに殴りかかっていた。
しかしその攻撃は、その悉くが無為に返される。音により、物理的に、そして空間を捻じ曲げられて、一切の暴力はその魔王には届かない。
「膨大な魔力量を有した
「……オレと、ユターシャだけの?」
「えぇ。その結果魔力が燃え尽きて魔王としての私は消滅。私は勇者としての役割も完遂しながら、貴方と共に永遠に誰にも害されない世界に行くことができるのです」
それは。
……それ、は
「ユターシャが、消滅?」
「問題はありません。宇宙ロケットだって、射出してから不要になったものを切り離して捨てていくでしょう? コインの裏側であるあちらの私がこの世界における全てを背負い、コインの表側である私が貴方だけの私になるのです」
そんなの、受け入れられるわけがなかった。
「嫌だ」
「何故ですか」
「お前を、どうして犠牲にしなきゃならないんだ」
「元からそういう運命でした。魔王と勇者という運命が決まっていたんです。その被害を最小限にするためには、これしかないでしょう?」
ユターシャの鎖が、足全体を拘束し始めていた。
オレの言葉を受け入れるつもりはないのか、しかし悲しそうな顔を浮かべている。
そして彼女は、オレの頬を撫でた。
またしても忘れかけていくナニカ。
幸福感で脳味噌が痺れそうになる快感。
目の前の女の事しか考えられなくて、大事なことがどんどん消えていきそうになる。
「愛してるんです、貴方だけを」
ユターシャの声がオレの心に直接響く。
「だから、自身の身体がどうなろうとも構わないのです」
それは、彼女の本心なのだ。
「貴方の横に私がいられるのであれば、どんな犠牲だって厭いません」
ユターシャの深い深い愛を捧げられる。
「お願いします……ただ、私と共にいてください」
———深い、口付けだった。
いつのまにか鎖によって全身ががんじがらめにされて、指の一本も少しも動かせない。脳味噌に直接与えられる毒薬は、あまりにも甘美の味がした。
酔いしれるほど官能的で、狂おしいほど愛おしい。濃厚な彼女の愛は、オレという存在を壊すほどに優しかった。
「ユターシャ……」
「ご主人、様」
彼女から与えられる愛で潰されそうになる。このまま溺れてしまえばどれほど心地いいのだろうか。
おかしくなりそうで、もうおかしくなっていて、だけどただ根底の部分だけは捻じ曲げられるわけにはいかなかった。
委ねるわけにはいかない。
ただ彼女に愛されるだけの幸せを感受するだけでは、オレはオレでなくなってしまう。
だから。
オレは、ユターシャの願いに首を振った。
「……オレは、お前を愛してるんだよ」
その感情だけは、彼女に侵食されたくなかった。
他の何を失ってでも、それだけは揺るぎないものとして立ち続ける。愛に絆され曖昧にならず、燃え上がるような恋心だけはその輪郭を保ち続ける。
「お前がオレを想ってくれるように、オレだってお前を愛してるんだ」
こんなに愛されている。
だけど、だからこそ、オレはユターシャを愛したい。
自己犠牲を受け入れる彼女を、オレは否定する。
オレを愛しているが故に自身の消費をしようとする彼女を、オレは否定する。
彼女の無償の愛を、ただ受け入れることは出来なかった。
「ッ……! なんで」
「愛した女が泣いてるんだ。オレが、慰めてやらないと」
ぎち、ぎちと鎖を引っ張る。
こんなにも細いのに少しも千切れなくて、オレの肌にミシミシと食い込んでいく。痛みがないのに、オレの肌は傷付いていた。
あぁ、だからどうした。
「ねぇ……やめて、くださいよ。そんなことしても無駄なんですよ?」
「ユターシャ」
「その鎖は、入れ替えと封印の鎖。今は貴方の強さと私の非力さを交換し、そしてさらに貴方の肉体を封印しています」
拘束されたオレの顔を撫でて、ユターシャは何度も繰り返しキスを落としてきた。
舌が口の中に入り込んで、互いに唾液を交換し合う。漏れる吐息は熱く、そしてどろどろに溶け切ったユターシャの目はオレだけしか見ていなかった。
「動けないでしょう? だから……なにも考えなくていいではないですか」
「ユターシャ」
「愛しています、ご主人様……」
それでも、オレは腕を引く。
身じろぎして身体を抜け出させようと、鎖の中でもがく。
無駄だろう、とユターシャは憐れむようにオレの身体をなぞっていった。
ゾクゾクと背筋に快感が流れてそれに思考が奪われかける。相変わらず口元はユターシャにたっぷりととろけさせられていて、彼女が触れる部分から耐えきれないほど熱く切なくなっていく。
「ダメだ、ユターシャ……」
「ダメになったっていいでしょう? どうせこれから、私達だけの幸せへと向かうんです。いいも悪いも、何もありません」
「嫌だ、愛してる、オレはッ……」
鎖が音を立てる。壊れない。
ユターシャ程度の筋力でこの鎖が壊れるはずがなかった。それでもオレは、抗うことをやめられない。
だって、今こうしている間もユターシャは自身を消滅させようとしているのだから。
「ご主人様、お願いですから……こうすれば、みんな納得できるんですよ?」
「うるせェよッ……! オレは、誰がどう言おうが……お前自身が否定しようがッ……!」
世界を敵に回す———なんて、陳腐な言葉を使ってもいいと思えるんだ。
「お前を、オレだけは諦めてやらねェからな……ッ!」
壊れない鎖。魔王を縛り上げるためのソレが、簡単に壊れるわけがない。
ユターシャの身体にも巻きつかれていて、おそらくどこまでも伸ばすことができるのだろう。
どんどん、オレの身体は自由が効かなくなっていく。
ユターシャの涙が溢れた目元を拭うことすらできず、その手を握ってやることもできなかった。
「ぐ、ぅッ……!」
「やめてください」
鎖に抗おうとしても、少しも痛くはなかった。痛くないのに、どんどんその金属が肌に食い込んでいく。
入れ替えと、封印。
オレの筋力はユターシャと同程度に下げられていて、そして肉体の自由すらも封印されているのだ。
「無駄ですよ」
「わからねェだろ」
「……諦めて、ください。私は貴方のそんな顔見たくないです」
どんどん、鎖が増えていく。オレの身体に巻きつくソレが、増えていく。
重さに耐えきれなくなったオレは、いつのまにか膝をついていた。
ユターシャはオレの身体に抱きついて、その柔らかな胸に顔が埋まる。甘い香りによって、頭がぼんやりと溶けていく。
まだ、諦められなかった。
きっと、鍵はあるはずなのだ。
「それとも……私達が理想郷へと辿り着き、死ぬべき私が死ぬ時まで貴方を夢中にして差し上げましょうか? 何も考えられないくらい気持ちよくなってしまえば、貴方は無理にここから出て行こうとしないでしょう?」
「オレは、お前を諦めない」
———その時、だった。
あ、ぁああ……!
その暗闇の世界に、声が響く。
来ない、で
それは、魔王ユターシャの声だった。
腹の底から出した拒絶の悲鳴は、この空間にも響き渡ったのだ。
はたして、外では何が起きているというのか。ボスが、あれほど大きく強大なユターシャを相手に戦っているということだろうか。
「……いえ、大丈夫です。勇者以外に、魔王が負けるはずがない。今はまだ空間創生の段階ですが、ただの凡人に史上最強の魔王が負けるはずがありません。羽虫が飛び回っていたとしても、多少の時間稼ぎにもなりませ」
く、る、なァァアアアアアッ!
「……だ、大丈夫大丈夫。ダイジョウブなはずです。だって最強無敵の私がさらに覚醒した姿ですよ? いくら準備しようが、ただの凡人に負けるわけないじゃないですか」
どう考えても、大丈夫な悲鳴ではないだろう。
外の様子はわからないが、きっと良くないことが起きているに決まっている。
彼女は強すぎるが故に、格下相手にはかなり余裕を見てしまう傾向があるのだ。あのボスを相手にして、いくらユターシャといえど慢心は敵になる。
……早く、出なくては。
「無駄ですよ、行かせるわけがないじゃないですか」
鎖の感触を理解する。
柔らかく、肌に食い込む様はリボンのようだ。黄金色に光り輝くのは勇者の武器だからなのだろうか。
「無駄です。無駄ですから……」
その輝きを見るに、外でボスが使っているのと同じような出自のものなのだろう。
ならば、所有者に制限はないように思える。魔王を倒すための武器は、誰の手に渡ろうが十全に機能するようだ。
ユターシャの身体を縛り上げているのも、彼女が自身を封印しているからだろうか。
なんとか鎖を引きちぎろうと力を込めるも、やはり鎖はびくともしなかった。
「ご主人様、暴れないで……どうか、私を受け入れてください」
「……ユターシャ」
「んっ……好き、好きです……」
じゃらりと音が鳴る。
オレの身体にも、ユターシャの身体にも幾重に巻きつかれたそれはどんどん重くなっていた。
甘い口づけに、切なげで一途な言葉を耳から流し込まれて頭の奥から溶け出していく。ドロリとした愛を囁かれる度に心が絆されそうになってしまうのだ。
「どうして欲しいですか? いえ、言わなくたって、全部してあげます。おかしくなっちゃうくらいどうか溺れてください。気持ちよくしてあげますから……ね?」
身体中が埋め尽くされる。
その鎖は彼女自身なのだろうか。もう、オレの身体にはどこも素肌が見える場所なんてない。全てが鎖に閉じ込められてしまい、呼吸すらもままならないのに多幸福感で満たされてしまう。
それでも。
「……やっぱり、お前とオレは出会うべきじゃなかったな」
「そう、でしょうか」
ここにいたのがオレじゃなければ、きっとユターシャは幸せのままでいられたのだろう。オレでなければ、そのままユターシャの中で溺れてしまえた筈なのだ。彼女の願いは叶えられた筈だ。
だけど、オレはユターシャを愛していた。
どうしようもないほど、彼女を愛している。
「だから、ごめん」
「……え?」
それは、少しの誤認を無理矢理呼んだだけだ。
ユターシャが操る鎖。それは、オレの方が多く巻きつかれていた。彼女の身体をも封印しているために、
勇者でなくては操れないなんてルールもない。
それに、ユターシャはあまりにもオレに心を開きすぎていた。
「あ、れ……? なんで、だって私の、武器っ……!」
先ほど見せられた映像ではボスが様々な武器を使って戦っていた。アレはそのどれもが歴代の勇者の武器だった。
つまり、勇者でなくても勇者の武器を扱うことはできる。
……ならば、オレが彼女の武器を奪うことだってできるわけで。
「あ、あ、あ? あぁぁぁっ……だめ、え、なんでっ……!?」
ユターシャの身体に巻き付いていた鎖が、どんどん離れていく。彼女の身体が、鎖から解放されていく。
武器の所有権を
オレの身体を縛り付けていた鎖は、オレの意志に従い身体に巻き付いていく。
「いや、いやいやおかしいでしょッ……? なんで、そんなこと、おかしいって!」
「ユターシャ」
オレの服にしがみつくユターシャの、その手をそっと離させる。彼女の身体を抱きしめて、そして鎖を使って何もかもを入れ替えていく。
彼女の全ての苦をオレが背負えばいい。
そしてオレは、ユターシャに優しくキスを落とした。
「ごめん」
「ご、ごめんじゃないですよぉっ! やだ、うそ、なんでですか!? だって……」
縋り付くユターシャは、どうしたってオレを進ませたくないようだった。
「……魔王は、殺されるべきなんです。助けないで、ください……」
「それは、人々のためなのか?」
「そうですよ! 私も、世界中の人々も、みんなみんな幸せになれるんです! 私の半身で全てが丸く治るなら、それでいいでしょう!?」
ならば、別にどうでもよかった。
この世界の全てが無くなろうが、どうなろうが、オレにはユターシャだけがいればいいのだ。
先程からずっと叫んでいるのだろうユターシャに意識を向ける。上を見上げてもどこまでも真っ暗で、しかしそちらから彼女の嘆く声は聞こえていた。
行かなくては。
この世界の誰からも恨まれ嫌われる運命にあるユターシャを、オレが守らなくては。
「我儘なんだ、オレは」
「知らないですよぉ……っ! 私、わたしだって、わがままなんです……いやだ、やだやだ、行かないでくださいッ……!」
「ごめん」
ユターシャから奪った鎖で、彼女の身体を縛り上げた。もがくユターシャを尻目に、オレはこの暗闇の空間に鎖を伸ばしていく。
魔術などの知識がないオレだが、その武器を操ることは十全に出来ているようだった。
この暗闇は、魔王ユターシャの子宮内。
ならば、そこから鎖は繋ぐことができるはずなのだ。
「いかない、で」
涙を流しながら懇願するユターシャに、オレは笑顔で答えてやった。
もう、振り返る必要もない。
オレは彼女を愛している。そして彼女もオレを愛してくれていて、オレ達は互いに互いを愛し合っている。
だから、オレは———