転生前は人間のオスだったエルフの聖女、婚約者に嵌められ淫魔になり追放されたらしい 作:芥目たぬき
それは、小さい命だった。
うっとおしく飛び回るその男を、何度も何度も叩き潰す。弾き、遠ざけ、押し殺す。
私には、やらなくてはならないことがあった。
悲しみで身が引き裂かれそうなほどの苦しみに浸りながらも、自身の中にもうひとつの世界を創成していく。
異界を渡るのは、転生者の
故に、私は異世界を無理矢理に生み出す。その結果として私は残骸となるだろうけれど、私とご主人様、そしてこの世界の未来を考えればそれが1番正しいのだろう。
なのに、なんで邪魔をするのだろうか。
集中しなくては出来なかった。異世界を作り出すイメージは難しくて、生半可には出来ない。鳴り響く葬儀の音楽が私を誘う中、暴力のような魔力を自身の中でこすり合わせる。
あの憎たらしい悪魔は、最初に殺すことができた。男を庇って消えていくその瞬間、どこか満足そうな表情をしていたような気がする。
その後、数多の武器を身体に纏わせた男は私の肉体を少しずつ攻撃し始めたのだ。
痛みはない。
そんな痛みよりも、同胞を失った痛みの方が辛かった。
男の身体は何度も何度も壁に叩きつけられる。骨だってもう折れている筈で、身体中のあちこちから血が噴き出している。
なのに、何故か男は何度も何度も立ち向かってくるのだ。
来ない、で
なんで、殺せないのだろうか。
こんなにも本気で潰そうとしているのに、私の攻撃はかつての勇者達の鎧によって塞がれる。物理的に潰そうとしても殺しきれなくて、遠くから壊そうとしても避けられ、かわされる。
男の身体は、満身創痍だった。
こんなに簡単に傷付けることはできるのに、なぜ殺しきることは出来ないのだろうか。
来ないで
なのに、どうしてこの男はここまで善戦しているのだろうか。私には、やらなくてはならないことがある。こんなところで手こずっている暇はなくて、鎮魂と創生を行なったのちに速やかに死ななくてはならない。
この世界はどこまでだって残酷なのだ。
魔王を倒したものが勇者になるのではなく、勇者に該当するものが魔王を倒さなくてはならない。その使命感はあまりにも重く、ひとつの身に2つの魂を宿した私には抗えないものだった。
そして、考えて、相談して———その結論が、私の死だったのに。
来ないで、くださいよぉ……!
ちゃんと死にますから。私が自ら死を選びますから。
なのに、男はそれでも私を殺そうとしていた。
「私が、勇者にはなれない私が、殺さなくてはならない」
血反吐を吐きながらも立ち向かうその男は。
「この世界を、運命から解放するために」
全身の全てが壊されているはずなのに、それでも私に迫り来る。
「神がいないこの世界で、ただ制定されたルールに従うだけの世界に———私が、刃を入れる」
そのために、どれだけの犠牲が生まれたのかはわからない。彼の夢はあまりにも眩く、そして決意があった。
この星がそのシステムを運用してから、ずっと繰り返されてきた因果。星がエネルギーを維持し続けるための、惰性からくる作用。
もうこの世界に神はいないのに、決められたことを決められたように動き続けている。
「手始めは、綻びでいい。いずれそこから人は切り拓くだろう。いずれ我々は到達する———生きる全ての生命に権利がある星へ、手を伸ばすのだ」
わたし、は……
男が、私の核に迫る。
剣を用いて突進して、その勢いのまま頭蓋を破るつもりだろうか。
頭上にまで来たソレに対して、私は手で自身の身体を守る。太陽の日差しを遮るように、私は障壁を作る。
———あぁ、しかし。
「この、程度でェッ……とまれる、ッ……かァ!」
私の片手は、弾き飛ばされた。
「何人を殺してきたと思う!? 希望のために、未来のためにどれだけの犠牲を出したと思う!? ここまできたのに、それが無駄だったなんて出来るわけがないだろう!?」
もう片方の手も、男の剣が私の肌を突き破ろうとしていた。
勇者の武器は、そのどれもが私にとっては劇薬にしかならない。突き立てられるその場所が、燃えるように熱くて苦しい。このまま手のひらを握って仕舞えば潰し殺せそうなのに、ソレすらも出来なかった。
手から、血が噴き出る。
くるな、くるなくるなッ……来ないでぇえええッ!
いよいよ、穴が空いた。
その空洞は私からすれば狭いが、しかし男の身体はその穴をくぐって差し迫る。
あぁぁッ……ァァアアアアア!
咆哮。至近距離での大音量は、本来であれば簡単に男の頭蓋を割るくらい出来たのだろうけれど。
パチン、パチンと音を立てて崩れたのは3、4個の勇者の武器であった。
迫る、迫る迫る———
男の持つものは、もはや一本の剣しかなかった。
全身は焼け爛れ、粉砕し、まともである場所の方が少ない。
なのに、止められない。
何をしても、どうやっても男の進撃を止める事ができない。地上で最も強いであろう私が、さらに魔王になったこの姿で……どうして、ただ1人の人間を殺すことが出来ないのだろうか。
そんなはずは、ない。
だって、だってこんなの、まるで勇者みたいじゃないか。
……ごめん
その時
ご主人様の声が、聞こえた気がした。
私の身体から、何重もの鎖が内から飛び出してくる。身体の中から、幾重にも鎖が現れていく。
は……?
それは、私の鎖だった。
私を封印し、私を殺すためにある鎖。
肌の下から現れて、私を拘束している。痛みはなかった。苦しみもなく、しかし何かが急速に無くなっていく。
黄金色に輝くチェーン。その勢いは止まる事なく、徐々に私の身体の素肌面積をなくしていく。それと同時に鱗だったものは柔らかな肌に戻り、身体は収縮していき、魔王という私は小さくなっていく。
「ごめん、ユターシャ」
「ぅ、あ? ご主人様……?」
なんで目の前にご主人様がいる?
「あ、ぁぁぁぁっ!? まっ、だめ、なんで!?」
ちからが。
わたしの、魔王としてのなにかが、取られていく。
身体は小さくなっていき、かわりにご主人様が私の因果を盗んでいく。交換に与えられたのは、私の運命よりもずっとちっぽけな運命力と言えるものだけ。等価交換なんて許してもらえないほどのそれを、ご主人様は私に与えた。
変容する。
変質する。
私の巨大な身体は、ご主人様に奪われていた。その血肉が全て瞬時に作り替えられて、肉体はご主人様で構築される。
見上げるほど大きくて、悍ましい生き物へと姿を変えたご主人様は、それでも微笑んでいた。
裂けた口、歪な身体。それでも、私に向けて微笑んでいたのだ。
「ごしゅ、じん……さま」
ご主人様に追い出された私は、魔王という運命を吸い取られてただのエルフで淫魔なユターシャへと成り下がる。魔王は彼へと変わり、私は空中へ放り投げられていた。
それでも、死に至る剣は止まらない。
「いや、いやだ……!」
取り返さなきゃ、いけないのに。
もう、目も開けられないほどに私は疲れていた。
地獄を滅ぼして、魔王になるために自らの手で覚醒を行ったのだ。魔王だったからこそ補填されていた魔力は底を尽きていた。
私自身の魔力は、この星のエネルギーを1人で解決できるほどだった私の魔力は、もう限界を迎えていて。
それでも、手を伸ばす。
だってもう私には彼しかいない。
「だめ、おねがい……っ!」
彼の眼前に、男の剣が差し迫る。
「なんで、殺すなら、私にしてっ……!」
光が瞬く。ご主人様が、大きくのけぞる。
「あ、ああぁぁぁ……!」
そして。
ご主人様の後頭部から、血まみれの男は落ちていった。
「いやだ……なん、で……なんで、なんでなんでなんでっ……!」
手を伸ばす。私の魔術があれば、きっとまだ回復できる筈なのに———私の身体は、走ろうとしても全身が悲鳴を上げて動かせない。
立ち上がって歩き出そうとしても、肉体が急激な魔力の増減に追い付かずに動かせなかった。
這いつくばって、ご主人様の元へと芋虫のように近づいていく。止まらない涙を拭いもせず、何度も何度も魔力切れで気を失いかけて、それでも私は彼の元へと近付いていく。
倒れていく、ご主人様。
とても、美しいとは言えない姿だった。
全身に鎖を巻き、真っ黒な姿をした死神のようなそれ。呆気なく額を貫かれた魔王は、満足そうに微笑みながらも倒れ伏せていく。
手を伸ばしても、全然届かなかった。
魔力を放っても、届かない。
無力で無意味な私は、叫びながらも崩れていくご主人様を眺めることしかできないのだ。
そして、彼は。
エルフの聖女が宇内の血潮にエネルギーを捧げるためのその穴に、深く落ちていった。
* * * *
オレは、死んだのだろうか。
そりゃそうだ。額を貫かれたら、いくらなんでも人は死ぬものだ。
いや……人じゃなくて、魔王になったんだったっけか。あまりにも一瞬のことだったから思い出せないが、オレは確かにユターシャから魔王というものを奪い取ったのだ。
そして、ボスに殺された。
そのまま立ち続けることが出来なくなったオレは、倒れ込んだ。その先が、この星の中心まで伸びる穴だったのだ。
落ちて落ちて、登り登り、辿り着いたのはユターシャが開いたあの扉の中と同じ空間だった。
どこまでもどこまでも、黄金色が続く世界。この星の中心部にして、エネルギーだけが渦巻く不思議の異界。
本来、オレは死んだらルシファーの腹に消える運命だった。しかし彼女はユターシャによって滅ぼされて、そして地獄も壊されている。
行き場の無くなったオレの魂は、きっと一度ユターシャと共にここに来ていた事もあり、うまく辿り着けたのだろう。
とはいえ、この時間も距離もないこの異次元は魂の受け入れ場所というわけではない。死にたくないという感情を提げながらも、オレの魂は徐々に崩壊していくのだ。
歩いていく。
歩けば歩くほど、自身の魂が崩れていくのがわかる。
ふと後ろを振り向くと、魔王だったオレの遺体が転がっていた。ひとつの魂だけの状態になって、それでもオレは何かに導かれるように進んでいく。
滅びていく。
オレの魂が、進めば進むほど壊れていく。
それでもオレは歩き続けた。立ち止まって仕舞えば、今度こそ無くなると思ったからだ。歩き続けていた方が、まだマシだと思えた。
感情は消えていった。
悲しみ、怒り、楽しみ、喜び———どんどんと剥がれていくのがわかる。オレが、小さく小さくなっていく。
それでも最後まで残っていたのは、ユターシャを愛する感情だけ。何もなくなったオレは、それでもユターシャを想う心だけが強い輪郭を保ち続けていた。
はたして、どれだけ歩いたのだろうか。
たったの数歩なのかもしれないし、何千何万kmも歩いたのかもしれない。オレはもう、自我のない亡霊のような状態になりながらも、そこに漂っていた。
そして。
———それを、やっと認識したのだ。
「……あぁ」
眠っていたのは、理解し難い存在だった。
あまりにも大きすぎて、あまりにもそこにあるのが当たり前すぎて理解できないもの。空気を見えないのと同じように、オレは、それを死にかける直前の矮小な魂となるまで理解できなかったのだ。
暖かいはずなのに、冷たい。
動いているはずなのに、止まっている。
その巨大なそれは、生命とはとても言い難くて。
ただ、この星を肉体として持つひとつの魂だったのだ。
人の魂はどこに宿るのか? 血潮を動かす、心臓なのだろうか。
ならば、オレがいるのはこの星の心臓なのか。宇内の血潮の中心点、魂の宿る場所だというのか。
それは、何万年も眠り続ける死にかけのこの星そのものだった。昔々の人は、きっとこれを神と呼んでいたのだろう。
少し触れただけで、その魂の情報は流れ込んできた。
人でいうところの感情というものが、それにはなかった。生存本能というものがなかった。欲望もなく、希望もなく、ただ浮かぶだけのそれ。
彼はこの世界の定義を司る、方向性のない創造神だったのだろう。
彼はその星を自由に作ることが出来た。黄金のエネルギー体の上から地表の外殻を作り、その上に温かな空気の膜を張る。
真似をしたのは、彼が夢に見た遠い異界。それよりももっと良いものを作るために、その異界で夢見る人々のイマジナリーをもとに構築された世界。
魂というものを、定義した。
自身の持つそれを、彼の世界全てに適用した。
彼は生み出した。彼は創造を繰り返した。そうする事しか出来なかったから、その通りに作ったのだ。ルールを次々と生み出し、生命を溢れさせ、進化を促した。より良いものを作るために、破壊を生み出した。
何度も。
繰り返して、自身の作る生命体に請われる度に彼は変わっていったのかもしれない。
元々機械のように動いていた星の魂は、苔むすようにおかしくなっていった。何億年以上の月日をかけて、ゆっくりと壊れていったのだ。
それは、彼の制定したルールによるもの。
ユターシャがかつていた世界を見習って制定した永遠のものはないというルールを自身にも当てはめた彼は、星よりも先に彼自身の魂に綻びが生まれてしまったのだ。
故に、この世界にはもう神はいない。
神といえる存在は、死を迎えるだけの眠る植物となっていた。
「……ああ」
オレは、それに手を伸ばした。
ユターシャのために生きたいと願って、そして生きられるためならなんだって使えばいいと思ってしまったのだ。
肉体は、とっくに死んでいた。
だから、ここにある死にかけの魂とまだ動かせる肉体をもらえばいいだろう。そうすれば、またユターシャに会えるのだ。
鎖を、ゆっくりと伸ばしていく。無防備な魂はなんの抵抗もなくオレに食われていき、そしてオレは対価として脆すぎる自身の魂の強度を与える。
魔王になる感覚とは比べ物にならないほどの、潰されるような情報量。星そのもの、神と呼ばれる存在にはそれほどの質量があって、ただの人間だったオレには耐えられるようなものではなくて。
自身の人間性が、失われていくようだった。どんどん思考は機械的に、無機質なものに塗り替えられていきそうになる。
———だけど。
オレは、どうしても失わないひとつの想いがあるのだ。
それさえあれば、オレはまだ戦うことができる。たとえ星の濁流に飲み込まれようが、ユターシャを愛する心がオレという存在をはっきりとしたものにする。
愛しているのだ。
どうしようもないほど、彼女のことを愛している。
「ユターシャ」
「ユターシャ、愛している」
「ユターシャ……ユターシャ……」
この星の生まれから長い長い歴史を辿っていく。動かぬ生命にすら在る生存本能と防衛本能。今を生きる生命がこの形に至るまでの、繰り返される生と死。
死を悲しみながらも多数を殺して生きる。生を喜びながらも必ず訪れる死に悲嘆に暮れる。そんな矛盾を抱えて、それでもなお生き続けていく。その先にある、果てしない闘争の世界。刑罰のために拷問が繰り返される地獄よりも、無秩序な現世。
だから———神はいろんなシステムを作ったのだろうか。
自身の作った子供達が何度繰り返しても苦痛の世界を生き続けるのだから、せめてそれに秩序を与えようとしていたのだろうか。
無機質で無感情な神様は、それでも生命を愛していたのかもしれない。憐憫の愛ともいえるそれは、オレ達のような人間ではわからない高すぎる次元から見下ろして愛でていたのだ。
あぁ、本当に悍ましい上位存在。
生命を個として見ず、生命の全体的な調和を尊ぶ創造主。
「でも、オレは……」
そんな彼から全てを奪い、抜け殻を与えた。
そこに在るのは、寒くひとりぼっちで震える神様だった何か。人でもなく獣でもなく、感情すら持たないそれはあっという間に溶けて消えていく。
星の情報量を耐え切ったオレは、人間性を持ちながらも万象を手にする。神が記録し続けていたこの星の生誕を全て吟味し、そしてその悍ましさに顔を顰めた。
前代の彼ではないのだ。
何故こんなにも醜く最悪な生命の溢れる世界を作ったのか理解に苦しむし、オレは彼とは違うのでその全てを愛するなんて義理はない。
「……ユターシャ」
彼女以外は、何もいらなかった。
ユターシャ以外の何者も、オレは必要と思えなかった。
前代の彼が作ったこの地上の外殻は邪魔である。自身の生まれた地上ですらオレにとっては不要なもので、この星の血潮と同化したオレは自身の肉体を大きく広げた。
星を覆うテクスチャ……大地だとか海とか空気とかが、黄金の濁流に飲み込まれたようだ。オレの身体に触れた瞬間に、数多の生命が全て無へと帰る。
死ではなく、存在の消滅。
オレが軽く腕を伸ばしただけで、広い地表は星の奥深くへと溶けてしまったのだ。
ユターシャがいるところは、わかっていた。
だから、それ以外の全てを溶かしていく。
彼女が泣いている場所から向かって、正反対の星の裏側から腕を伸ばしていった。光と同じ速度で、オレはその生命全てを食らっていく。
地表はどこまでも続く黄金色に書き換えられた。
悲鳴すらあがらない。それほどまでに一瞬の煌めきは、星を覆い尽くしていく。時間の流れがない異次元の星の内側が、星の外殻を埋め尽くしていく。前任者の彼が見捨てて眠りにつき、惰性で運営され続けていた世界。
オレには、不要なものだから。
魂の概念も取っ払った。肉体の概念も無くした。
地獄も天国も不要となり、生命は存在を抹消されるか永遠となるかのどちらかしか選べない。
今まで、何人もの命をこの手で奪ってきたのだ。今更この世界の全生命の存在を消そうが、なんの心も痛まなかった。
……だけどユターシャは、悲しむだろうか。
「ごめん」
「ご主人様……?」
彼女が泣き伏せていた大地も、その横で死にかけていた義父も、全てを消し去ってしまった。忠誠を誓った国も無くして、もうこの星にはオレかユターシャしかいない。
きっと、オレが死んでから数秒も経っていないのだろう。ユターシャは目を見開いている。
「私……移動、したのですか?」
「いや、この世界の地表を全てオレが平らげただけだ」
きっと、彼女にはまだ意味が伝わっていないのだろう。満点の星空と、黄金色の海。オレはいつもと同じ肉体を製造して、ユターシャの前に立つ。
彼女に連れられて行ったあの異世界に、オレ自身が至ったのだ。ユターシャが勘違いしても仕方がないだろう。
「なんでも、いいだろ」
彼女の涙を拭って、抱きしめて。
「……ご主人様……生きて、るんですね?」
「あぁ。生きているよ」
「よかった……!」
冷え切った彼女の身体を、黄金に浸して温める。
「愛してる」
「えぇ……えぇ、私も、私もです」
もうユターシャとオレしかいない。
彼女の魂のふたつを、共に永遠のものとして固定した。オレの魂と接続させ、永遠を共有する。
星そのものになったオレと、ただのユターシャ。
彼女のためだけの神となったオレは、血潮の中に彼女を招き入れた。彼女の呼吸も生命も、その何もかもがオレで構築されていく。
「言えよ、叶えてやるから」
「……なにを?」
「なんでもいい」
どうせもう、時間なんてものはこの世界にはないのだ。
終わりがあるとすれば、この感情がオレとユターシャからなくなった時がこの星の終わりなのだろう。互いに溶けてなくなって、その時にはいずれ星は消えてしまうのかもしれないが。
時を測る存在がいるから時間が在る。
この世界には、きっともうそんなものはいない。
「もう一度、星を再生するか? 争いのない、白痴の愛玩動物だけが闊歩する地上を作ったっていい。お前の望みなら、なんだって叶えてやれる」
黄金色の腕で、ユターシャを抱きかかえた。そのまま、原初の羊水の中で抱き合う。
神へと至ったのだ。
どんな願いも叶えられるし、どんな世界でも創造できる。ユターシャが望むのであれば、今までと似たような世界を再度作ることもできるだろう。
そんなオレの言葉を受け入れたユターシャは、困ったようにへにゃりと笑った。
「……なんでも?」
「あぁ、なんでもだ」
「それは、例えば私を神様にしてくださいとか、最強系TSヒロインにしてくださいとか、チーレム主人公にさせてくださいとか……そういうことも?」
「そういうのがいいのか?」
神への変換はまぁ出来るとして、最強系TSヒロインというのは……前任者の観測した知識から推測するに、ユターシャはもうそれに該当しているのではないだろうか。チーレムは……同上。オレがいるのだから、もう満たされているだろうに。
もっと、別のことを頼むと思っていた。
例えば時間の巻き戻し———は出来ないにせよ、エルフ達が生きていた頃の完全再現だって出来る。悲しみのない世界を生むことだって、今ならば容易いのだから。
「なら……貴方を、私が幸せにしたいです」
お前がいればもう幸せなんだけどな、と思うがどうやら違うらしい。
「本当に、どんな願いでも叶うのなら……私は、貴方に幸せを知ってほしい」
「もう、満たされてるぞ? お前がいて、お前を全ての苦痛から遠ざけた世界なんだ」
オレはそれだけで満足している。だが、ユターシャは首を振った。
「人として、の幸せを」
「……お前がそれを望むなら」
星に地表が、地上に空気が、そしてユターシャが青い空を望むのであれば。人としての営みをユターシャが望むのであれば、それを叶えてやろうとオレは作り替えようとした。
だが、伸ばした手はユターシャに絡め取られて。
「いえ、そんな綺麗事はいりません」
「……?」
「貴方が醜いと否定した生命を、わざわざ作り直すなんていやですよ」
ユターシャは、オレをどこまで見たのだろうか。
永遠を与えるために接続して、そこからユターシャに伝播したのだろうか。
オレを理解しているユターシャは、ゆっくりとオレの顔を覗き込んだ。
「……私は、エルフとしての自分をもう清算しました。過去を歌で見送りました。ですが……貴方は、きっと何ともない顔をしながらその罪を重いとも思わず背負うのでしょう?」
優しい表情をしていた。
民を導き幸せを願う聖女は、オレを見つめている。
人間だった頃に、命を奪った罪。
自分の醜いと思ったものを全て否定して、消滅させた罪。
自分の命を繋げるために、神の魂を奪った罪。
オレにとっては平然としていられるものも、ユターシャは哀れに思ってくれる。
「きっと貴方の生まれがそれを苦だと思わないものにしていても、人にその業は重たいですよ」
「オレ、もう神になったんだが?」
「中身はご主人様でしょう?」
ユターシャは微笑んでいた。
どこまでも愛おしむように、慈しむように微笑んでいる。
どうしようもないオレなんかを、もう十分に救われているオレをさらに幸せにしようという傲慢な女。この星の命の全てを消し去ったオレを幸福にしようとする、鎮魂の聖女。
「……どうか、安らかにうたた寝を」
「オレはどうなる?」
「幸せな夢を、見続けましょう。過去を忘れて、苦痛もなく、ただ幸福であればいい。貴方は等身大のただの人間として、幸せな夢を見続けるのです」
等身大の人間というなら、地上を作って命を作り直して、そしてそこに分身体を送り込めばいいのに。
だが、ユターシャは再度首を振った。
「貴方は、生命を醜いと思ったんでしょう? その中でも、私だけは許してくれた」
「あぁ」
「……美しいと、貴方が思ってくださったものだけで構築された世界を。私は貴方に、幸福な夢を見てもらいたいのですから」
……そして。
そしてオレは目を瞑る。ユターシャに誘われて、夢の世界へと落ちていく。
何度も入ったことのあるユターシャの夢の世界。かつてよりずっと広大で、どこまでも終わりのない永遠が広がる世界。
全てが、ユターシャで構築された無限の世界でオレは全てを忘れていく。罪を、苦痛を……出会いから何もかも、全てを清算されていく———
* * * *
ぴりりりり、ぴりりりり……
「ご主人様ぁ、朝ですよ! 起きないと講義に遅刻しちゃいますよぉ!」
朝からやかましいメイドがオレを起こしにやってくる。目覚ましが鳴っているんだからそれはわかっていて、オレは身体を起こしていた。
いつか見た、男の部屋だ。テレビがあって、服が乱雑に散らかっている。……あとでメイドに掃除させておこう。
机の上に転がるボールペンと、その横にはオレの名前が書かれてあった。
「おはよう、ユターシャ」
「おはようございます、ご主人様!」
彼女の作った朝食を食べて、そして大学に行く準備をする。適当な服を着て、そして鞄の中には彼女が作ったお弁当箱を入れた。
いってらっしゃいと彼女に見送られながら、オレは外に出る。そして数歩歩けば、いつものように友人がオレの肩を叩いてきた。
「おっはようございます! いやー今日もいい天気ですねぇ」
「はいはい、おはよう
そして、彼女の後ろにいる少女にも視線を向ける。ランドセルを背負って、その長い金髪を柔らかな三つ編みにしたユターシャの妹。
「あの、えっと……そのう、おはようございますっ……」
「おう、おはよう
すこし引っ込み思案な彼女の頭を撫でて、それからオレは友人が腕を組んでぐいぐいと寄ってくるのを無視しながらも歩いていく。
そしてまた暫くすると、彼女と同じような赤いランドセルを背負った少女たちがこちらに走り寄ってきた。
ポニーテールにしていたり、ツインテールにしていたり、いろんな種類がいる。
「ユターシャちゃん、おはよぉ! あ、お兄さんもおはようございます! あとお姉さんも!」
「おはよう、
「おはようございます……って、あれ? 私ついでですかぁ!?」
オレの腕に乳を無駄に押し付けていたユターシャは、小学生に付属品扱いされてフンガーなどと怒っている。小学校はこの十字路を左に行ったところにあるから、彼女の妹達とはここでさよならだった。
「今日も勉強頑張ってこいよ」
「はい! いってきまーす!」
そしてまた暫く歩いていると、今度は高校時代の後輩とばったり出くわした。制服を見事に着こなして、今代の生徒会長を務めている彼女は今日も柔らかな金髪を風に靡かせながらも歩いている。
「先輩、おはようございます」
「おはよう
オレの腕に絡みついている友人とは反対方向に、ぴったりとくっついた生徒会長のユターシャ。彼女とは高校時代に偶然出会って以降、何故か好かれたようでよくオレにひっついてくるのだ。
彼女が志望しているという大学も今オレが通っているところである。
少しばかり押しが強めな彼女だが、後輩から慕われるというのも、まぁ悪くはない。
「私も、あと一年で先輩と同じ大学に入りますから、それまで待っててくださいね?」
「ん? あぁ、そうだな。楽しみに待ってるよ」
そうこうしていると、またもや曲がり角から旧知の顔が出てくる。コイツもオレよりひとつ年下の女子高生をしていて、部活の後輩だった女だ。
「先輩! おはようございますー」
「あぁ、おはよう
「今日は部活お休みなんですよぉ」
おっとりした後輩だが、これでも全国大会に出るような猛者である。大学は推薦をもらってオレと同じところに行くと言い張っている。
「生徒会長も、あと先輩のお友達も、おはようございますー」
「えぇ、おはようございます」
「おはようございます! いやぁ、センパイはモテモテですねェ? やだー私嫉妬しちゃいますぅー」
「どうでもいいから腕離せ。無駄にデカイ乳が熱いんだよ」
ウザ絡みをしてくる友人をひっぺがすと、即座にその間に入り込んできたのは部活の後輩だ。そして先ほどまで友人に取られていた手を取られて、ぎゅっと貝殻繋ぎされてしまう。
さらに、反対側にいた生徒会長もオレの手を貝殻繋ぎで奪っていて、両手に女子高生という変な光景が出来上がっていた。
「……部活の後輩だか知りませんが、先輩は私のものですよ?」
「生徒会長が率先して異性不純行為しようとしてますぅー。いーけないんだー」
「あーもう、お前らなぁ!」
歩きにくくて、オレはさっさと2人から手を奪い返すとポケットの中に突っ込んだ。いがみ合ってる2人の後輩は昔から露骨にオレにアピールをしてきて、全く困ったものである。
それぞれブレザーとセーラー服のミニスカートが風にひらりと舞いながらも、オレは少しだけ見えた下着を無視することにした。
「おはようございます、今日もモテモテですねぇ」
「……おう、おはよう
女子高生2人と別れてから再び友人と歩いていれば、もう1人の大学からの友人と偶然出会う。ズボンを履いて、今までの奴らと違って胸はなかった。
ある意味オレの心のオアシスとも言える、同性の友人である。
……とはいえ、顔はどっからどうみても女。とんでもなく美人で、女装したら下手な女よりもモテるだろう。というかコイツ本当に男なのか?
「で? よりどりみどりな中でヒロインは誰にするつもりなんですか?」
「私! 私!」
「やめてくれよ……全く、みんな揃いも揃って浮かれやがって」
「あれ、ちょ、無視ですかぁ!?」
騒ぐ女友達のユターシャを無視しながらも歩みを進めていく。自称・男のユターシャは苦笑しながらも、そんなオレの横で物腰柔らかく穏やかに微笑んでいた。
その後も何人も何人も、何故か今朝はオレの親しい人と出会うタイミングが多かった。うちにいるメイドの妹のドジな中学生とか、子供の頃となりの家に住んでたお姉さんとか、幼稚園の頃の先生とか、やたらと色んな人に声をかけられる。
大学で講義の席に着く頃にはすっかり疲れ切っていて、オレは1限から机の上に顔を突っ伏していた。
「ありゃ? ちょっと属性多すぎましたかね?」
「まぁまぁ、ご主人様もいろんなところから選べた方が嬉しいでしょうし、いいと思いますよ」
「お前らなぁ……オレの頭の上で、話してるんじゃない」
両脇を友人に固められたオレは、深くため息をつきながらも……でもこんな日常も悪くないな、なんて思ってしまっていたのだ。
……ユターシャの思う日常系ハッピーって、こんなに安っちいんだな。
「そういえば、こんなチケットあるんですけど、使います?」
「ん?」
自称・男の友人であるユターシャが差し出してきたのは、海の見えるホテルの二泊三日のチケットだった。印刷されている写真はなぜか見覚えがあって、懐かしいなぁなんて思ってしまう。
「僕、その日バイトで行けないんですよね。よかったら誰か好きな人でも誘って行ってきたらどうでしょう?」
「はい! はいはい! 私行きたいです!」
オレの隣で元気よく手をあげるユターシャ。しかし……
「これ平日だぞ? お前もう出席日数も単位もギリギリだろ、ダメだ」
「そんなぁー!」
男友達であるユターシャからありがたくもらったチケットをしまいつつ、誰を誘おうか頭の中で考えた。……といっても、こんな平日の日にオレの都合に合わせてくれそうなのは1人しかいないわけで。
スマホを開いて、手早く予定を開けておくようにと連絡をしておく。すぐに既読がついて、返信にかわいらしいスタンプが送られてきた。
「早いですね、誰を誘ったんですか?」
「ん? まぁ……おんなじ相手ともう一回行くのも、悪くないかと思ってな」
ひょんなことから我が家で養っている、メガネでメイドな金髪のエルフ淫魔だ。
* * * *
は、と気がつくとそこは家の玄関の前だった。
幸せな夢を見ていた。ユターシャに囲まれて、よくあるハーレムの中心にオレがいた———気がする。
今のオレは、家庭を持つ1人の男だ。
会社に勤めてもう幾年も経ち、穏やかな家に帰ってきたオレは鍵穴に鍵を刺す。
「ただいま……ァ?」
「おかえり、パパっ!」
扉を開けて、すぐに腹に衝撃が走る。
下を見ればまだ幼い娘がオレの腹に抱きついていて、ニコニコと笑いながらもこちらを見上げていた。
「ただいま、
「いい子にしてたよ!」
「どうですかねぇ? さっきまで『パパいつ帰ってくるの?』って、ずーっとお母さんの邪魔してたじゃないですかぁ?」
ゆったりとした足取りでこちらに向かってくるのは妻・ユターシャ。髪を1つにまとめ、エプロンをしている様はまさしく若いお母さんと言った風貌である。
娘の両頬にキスを落としてから抱き上げて、そして妻にもキスをする。ちゅ、と優しい音がして、目の前には大切な家族がいた。
「あのねパパ、今日はハンバーグでね、ユターシャも手伝ったの! パパのはね、1番おっきいやつにしてあげる!」
「そうかァ……楽しみだな」
「さ、ご飯にしましょうね。もう出来てますから」
娘は、妻に似てとても美人な女の子だ。
綺麗な金髪にくりくりとした可愛らしい目元。大きくなったらどこぞに嫁に出さなくてはならないのかもしれないが、今からでも将来の男を殺したくなるほどに愛おしくて仕方がない。
溺愛するかわいい娘と、穏やかでオレに寄り添ってくれる優しい妻のいる家庭。理想をそのまま描いたような夢の世界。オレなんかには過ぎた贅沢だ。
温かみを感じさせるごくありふれた木製のテーブルには、湯気が立つ食事が用意されていた。部屋は暖かく、壁には娘が学校で描いた絵が飾ってある。
3人揃っていただきますをして、口に入れたハンバーグは優しい味がした。
「それでねー、学校でねー」
「あぁもう、ご飯食べながらお話ししちゃダメでしょう?」
必死になって無邪気に今日あった色んなことを教えてくれる娘と、そんな娘を宥めながらも口元に笑みを浮かべている妻。当たり前のように繰り返される日常の一コマ。
汚れ切った手で触れるのが怖くなるほど幸せで、怖くなってしまう。こんなにも———
「
「……なんでもない」
なにかを思い出そうとして、そうして妻と娘がこちらを向いているのに気がついた。途中まで思考していたことを放棄して、ハンバーグを口に運ぶ。
「忘れちゃうってことは、どうでもよかったんだよ。ね、パパ?」
「そうかもなァ……ま、パパにはユターシャ以上に大事なことなんてねェから、きっとどうでもいい事だな」
大きくなったらパパと結婚する、なんてベタな事を語る娘。食べてしまいたいほど可愛くて、目に入れたって痛くない。
幸せだなぁ……ずっとずっと今が続けば幸せなのに。
「ふふ、早く食べないと冷めちゃいますよ」
「そうだな、せっかくユターシャが作ってくれたんだもんな?」
「うん!」
* * * *
「……ご主人様?」
「ん、あぁ……なんだ?」
オレはまたしても夢を見ていたようだ。
大学の友人からもらったチケットで海辺のリゾートにやってきていたはずなのに、さっきまで幸せな夢を見せられていた気がする。
———この世界にはオレか、ユターシャしかいない。
しかし今のオレにはそれをおかしいと気がつけるための思考は奪われているようだった。人を滅ぼした過去も思い出せないし、ただ制限がかかる中でなんとなく認識しているものもあって。
だから、オレとユターシャの関係がこんなにも平穏じゃないことだって、忘れているはずなのに覚えている。
目に見える全てが美しいのは、その全てがユターシャで構築されているからなのだろう。
穏やかな海が目の前に広がっている。夕日を背にした彼女は、波の中で足を踊らせながらもこちらに笑いかけていた。
可愛らしい水着に身を包み、しかしそれを見るのはオレしかいないこの世界。彼女の美しい身体をオレは近付いて抱きしめる。
「どうですか? ご主人様。明日が来ない毎日は」
「幸せだ」
彼女が唇をオレに向けて目を瞑った。夕日に照らされたその顔はとても綺麗で、美しくて、そしてオレの心をどこまでも満たしてくれる。
彼女の顎を支えて、そっと優しく口付けた。
オレとユターシャしかいない、どこまでも終わりのない幸せな世界。彼女の中で、オレは安寧の夢を見続ける———
-終-