爽やかさを感じさせる波の音。肌をじりじりと焦がすような強い日差し。周囲に溢れているそれらはあまり馴染みがなく、どれほど眺めても飽きが来なかった。
若はいつもの着流し姿、ぼんやりとした姿で砂浜に座って、波打ち際で遊んでいる水着姿の少女たちを眺める。普段は忍としての修行に明け暮れる彼女たちも、今ばかりはその時を忘れて、普段滅多に見れない光景の中で遊び、楽しんでいた。
少女然とした元気な女の子は楽しげに笑って水の冷たさに気分を良くし、それよりも子供っぽさが残る桃色の髪の少女が彼女へ水をかけていた。その傍では微笑ましい光景を見るかのような、それでいて色気を含む目で桃色の髪の少女を見る銀髪の少女がおり、さらに三人を均等の距離に置く金髪の少女は何かを虎視眈々と狙うよう、膝のあたりに打ち寄せる波を感じながら両手をわきわきと怪しく動かす。ずいぶん個性的な少女たちである。
独特ではあったが平和な姿であった。若の表情もどこか柔らかく、年上らしいと言うべきか、妙な余裕を持って彼女たちを眺めていた。
その彼の下へ一人、少女が訪れる。他の少女と同じく水着姿、白色の薄い布地に局所を隠した格好で親しげな微笑み、どこか色っぽい感情を感じさせる。若の隣に歩み寄る姿は礼儀正しく、堂に入っていると言えるほど慣れて見えた。
「若様、飲み物とタオルをお持ちしました。暑いですから汗を拭って、水分補給を怠らないでください。ここでは特に日射病や脱水症状には気をつけないといけませんよ」
「ああ、ありがとう斑鳩」
若に目を向けられ、感謝の言葉をもらった後、斑鳩と呼ばれた少女はふわりと微笑んだ。彼からの言葉がたまらなく嬉しいと、そう書いてある表情である。
「いいえ、若様のためですもの。これくらいなんでもありません」
「そうか。だけど、俺はいつも助けてもらってばかりだ。斑鳩が居てくれてよかった」
「そ、そんな、大したことではありません。こちらこそありがとうございます。そう言って頂けるだけで、私はとても幸せです」
やさしげに微笑み、頬は赤らんで可憐な姿。斑鳩は滅多に見せない顔を彼にだけ見せて、甲斐甲斐しく若の世話を始めていた。
緩やかなラインを見せる肌に纏うのはまっ白のビキニのみ。肌の大半を見せ、長い脚や、大きく張り出した胸元にも汗をかき、それでもにこにこと笑顔が消え去ることはない。
普段は背に垂らされている長い黒髪も、今ばかりは頭の後ろで一つに纏められ、気分はすでに南国リゾートでの休暇。彼女は若の世話に喜びを見出し、何かを期待しているかのような挙動で、やけに自分の肌を若へと近付けながら体を動かしていた。
涼しげな表情を見せていても、さすがに強い日差しにやられたか、じんわりと汗を掻いた頬をタオルで拭う。一方でジュースが入ったグラスを若へと手渡し、水分の補給を促す。
母にも近い、恋人とも妻とも見える姿である。親しげでやさしい仕草は堂に入ったもの、昨日今日だけ続けたわけではないことが簡単に伺い知れる。
せっせと若を気遣いながら、できるだけ体を近付けようとするのもいつものこと。水着によって大部分が露わとなった白い肌を彼へ触れさせながら、斑鳩はさらに笑みを深める。
「若様、少し気になるのですが……若様は水着にならないのでしょうか?」
「ん? どうして」
「い、いえ、その、別に私が若様の水着姿を見たいとか、たくましい体を見たいだとかそういうことではなく、あ、暑い気候ですから。いくら薄い生地だと言っても服を着たままだと体温調節が難しくなります。ですから、水着になってはいかがでしょうかと提案しただけであって、な、何も若様を脱がせようなどということでは――」
やけに慌てた口調で、斑鳩は何かをごまかすように手を振りながらそう説明する。今、この場において服と呼べる物を身に着けているのは若のみ。他の少女たちは皆そそくさと水着に着替え、涼を取るために海辺で遊んでいる始末。
知らない土地とはいえ、危険がないとは知っている。しかしだからといって些か平和ボケした光景だ。ただ、それは彼女たちが普通とは違った存在、忍であるからだと言える。己の実力に自信があるからこそ、警戒心を抱いていないようだった。
若は無言で辺りを見回し、水辺で遊ぶ少女たちを、隣で必死に弁解しようと言葉を吐く斑鳩を見、納得したようにふむと小さく頷く。
確かにこの場は海に囲まれた島。突然連れて来られてしまった場所ではあるが、目に見える危機はなく、先程からどうしようもない暑さを感じていた。斑鳩の提案は渡りに船とも言えるだろう。
「うん、そうだな。確かにそれもいいかもしれない。でも俺は水着を持ってないぞ」
「その点に関しましては問題ありません。私たちの水着を借りた購買部では、男性用の水着も用意されていました。お金はいらないそうです。なのでこんなこともあろうかと、すでに若様にお似合いになる水着もお借りしてあります」
「そうか。なんだか妙に準備がいいな」
「そ、そそそ、そんなことはありません! 私はただ若様のことを想い、お待たせする時間がないよう前もって行動していたのみであって、別に私が選んだ水着を着た若様のお姿を見たいなどと思ったわけでは――!」
「でも、斑鳩が準備がいいのはいつものことか。いつもいつもすまないな」
「……い、いいえ、これくらいなんでもありませんから」
若に微笑みかけられ、斑鳩はまた少し頬を赤らめつつ、ふにゃりと表情を緩める。何やら慌てていた様子だが、彼の顔を見ただけでそんな心配も吹き飛んだようだ。
話が纏まった以上、斑鳩としては一刻も早く若に着替えを渡したかった。別段他意があるわけでもない、と本人は主張しているが、その怪しい何かを感じさせる態度は若以外の者は全員が気付けただろう。準備が早いことといい、何やら怪しげな姿である。
斑鳩が彼の手を握ったその時。この場から連れ出すために声をかけようとしたまさにその瞬間、海から上がってきた少女が二人へ声をかけた。
頭の後ろで髪を縛った、元気な少女。やけに目立つ二人の姿に気付いたためだろう。飛鳥は楽しげな笑みを浮かべて二人へ近寄り、普段より弾んだ声で語りかける。
「あれ? 若様も水着になるの?」
「そうらしい。斑鳩が用意してくれたみたいだ」
「へぇ、そうなんだ。さすが斑鳩さんだね。私全然気付かなかったよ」
「実を言うと俺もだ。あんまり泳いだことはないから」
ぽたぽたと体から滴り落ちる水が砂浜へ吸い込まれる。飛鳥は前かがみに上体を倒し、自分の膝に手を置いて若の顔を見る。ポーズのせいか、胸元が自然と寄せられ、強調するような姿勢。若自身はあまり気にしていないものの、傍から見ていた斑鳩は明らかにむっと唇を尖らせた。
「え? でも若様、泳ぎは上手だよね」
「うん、訓練を受けたから。でも海には来たことないし、泳いだことはない」
「へぇ、海に来るの、何回くらいなの?」
「一回だけ。山育ちだからな。海に来る理由があまりなかった」
海の方向から吹く風が、やさしげに若の髪を揺らす。
ひどく落ち着いた姿だ。普段から表情の変化に乏しく、はしゃぐ姿など見せないほど落ち着いた性格だが、今はそれがより顕著になっている。
真昼間で空から降り注ぐ暑い日差し、真上に位置する太陽。波の音やどこまでも広がる海原。すべてが雰囲気を作る要因となって、若を包み込んでいた。
ぼんやりとしながらも、どこか儚げで、なんとも言えない不思議な姿。飛鳥と斑鳩は時を忘れて彼の姿に見入り、じっと見つめるだけで頬を赤く染め始める。
穏やかな時間、平和だと感じられる空間だった。争いのない海は彼と彼女たちをやさしく受け入れ、普段とはまた違った時間を与えてくれている。
唐突に与えられた状況であったが、こうして落ち着いてみればなんとも心地よい。
若の顔は無表情ながらも不思議とやさしく見え、ぽつりと呟かれる言葉は不思議と今まで聞いたことがないような気がして、聞き入れば感動すら含んでいそうだった。
「昼間に見たのは初めてだ。案外きれいなものなんだな」
「ええ、そうですね」
「えへへ……若様も気に入った?」
「ああ。これならもう少し早く知っておけばよかった」
にこりと口元を上げ、今度こそ若がはっきりと笑った。
その表情を目にして恥じらうように笑みを見せる二人はとても幸せそうで、普段の忍としての責務から離れ、今ばかりは一人の少女の顔が見える。
飛鳥はくすぐったそうに体を揺らして微笑み、斑鳩はさらに若へと身を寄せた。今となってはその大きな胸がむぎゅりと彼の左肩へ押し付けられている。
ずいぶんとのどかな光景である。これも彼らが常々マイペースに生きているが故か。緊張感は薄れて肩から余分な力が抜けており、忍としての立ち振る舞いなど残されていない。
「で、では若様、そろそろお着替えの方を。私もお手伝い致しますので、あちらの方に」
「あ、そういえば斑鳩さん。若様の水着ってどんなの?」
「えっ、ええ? いえ、それは、その、見てのお楽しみということにしておいてください。先に言ってしまっては楽しみがなくなってしまうでしょう?」
「斑鳩さん、ちょっと焦ってる……ひょっとしてまた何か変なこと考えてる?」
「な、何を言うんですか飛鳥さん。そんなはずありません。私はただ、発表するのならちゃんと時を選んだ方がいいというだけで――」
「わかった! えっちな水着買ってきたんでしょう! それとも更衣室で二人っきりになってえっちなことするつもりだったか!」
「な、ななな、何を根拠にそんなことを!?」
「斑鳩さんが焦ってる時って、絶対変なこと考えてるんだから。どうせまた抜け駆けしようとしてたんでしょ? だめだよ、若様独占して斑鳩さんばっかり良い想いしちゃ」
突然何事かを思いついたらしく、飛鳥は唐突に腕を組んでしかめっ面を見せ始めた。どうやら斑鳩の態度が怪しいと気付いたらしい。
彼女は若への忠誠心、及び執着心というものが他よりずば抜けて大きい。それゆえに普段から不穏な行動が多く、ともすれば自分の仲間たちを差し置いて彼と深い仲になろうと画策する。今となってはもはや当たり前だと感じられるほどその頻度が多いようだ。
つい今しがたもその空気を感じたようで、飛鳥の目はじっとりとした視線を斑鳩へ投げかけ、慌てふためく彼女は必死に弁解しようとする。ただその慌てる態度から尚更怪しいと感じられるようになり、許すどころか、ますます飛鳥の態度は彼女を疑い始めた。
「ち、違います。私はただ、若様の御体を心配して、体調を崩さぬようにと配慮していただけです。人聞きの悪いことを言わないでください」
「うーん、ほんとかなぁ……」
「大体、私が抜け駆けなどしたことがありますか? そういう誤解を招くような発言は控えてください、イメージが悪くなるでしょう。若様の前では特にやめて頂きたい――」
「抜け駆けはしたことあるよ。それもたくさん。いっつも気付いた時には若様と斑鳩さん、二人だけどこかへ消えちゃってるんだもん。あれは抜け駆けじゃないって言うの?」
「うっ……そ、それは、若様の体調のことを考えてのことでして」
あたふたとしながら弁明を続ける斑鳩に、片時も彼女から厳しい視線を離さない飛鳥。二人に前後を挟まれ、若は尚ものんびりと海を眺めている。どことなく異様な光景であった。
そうしていると若の目にそれが入った。海から上がってこそこそと、白昼堂々で見晴らしのいい砂浜だというのに妙に慎重に歩いてくる人物がいる。
徐々に近付いてくる彼女もまた、三人の知り合いであり、仲間だ。警戒する理由もないため、若は別段気にした様子もなく、その行動の行方を見守る。
歩き方を見れば目的などすぐにわかる。なにせ彼女が常々欲していることなどたった一つだ。それはもはや日常茶飯事、いつもの光景。今さら止める理由もない。
弁明と事情聴取に必死になっていた二人に気付かれることもなく。いつの間にやら飛鳥の背後には長い金髪を揺らす青の水着姿の少女が立っており、砂が大きく動かないようそっと足を動かして、不思議と前に掲げられた両手は怪しげに指を動かしていた。
そして意を決したように勢いよく、両手は脇の下を通って飛鳥の胸を鷲掴みにする。
「もらったァ!」
「きゃあっ!?」
突如として背後から胸を鷲掴みにされ、そのまま得意げに指が動いて揉みしだかれたせいで、予想外の状況に飛鳥は思わず悲鳴を上げる。対して彼女の胸を揉む少女、葛城は上機嫌そうに笑みを浮かべ、光悦とした表情すら見せて嬉しがっていた。
半蔵学院の忍学生、三年。飛鳥よりも年上となる彼女は胸の大きな少女へのセクハラを己が至福と感じており、こうした出来事は日常茶飯事となるほど繰り返している。飛鳥の胸を揉み、至福を感じて吐息を洩らし、恥ずかしがる彼女の反応を楽しむのもいつものことだ。
下から掬いあげるようにしてたわわに実ったそこを掴み、上へ持ち上げてたゆんと揺らし、指に力を込めてぐっと肌の中に埋もれる。非常に手慣れた様子を見せる両手の動きはなんとも鮮やかで、これでもかと巧みさを感じさせた。
葛城が指を動かす度、飛鳥は驚きながらも体を小さく震わせ、ある時目を閉じて声を洩らしてしまう。驚きと衝撃が大きくて抵抗はほんのわずか。そんな恥じらいを感じる反応を見せるが故に、葛城の笑みはさらに深くなって調子に乗ってしまうのだ。
「やっ、ちょっとかつ姉、急に何して、んっ――」
「うっしっし、よいではないかよいではないか。どうせ減るもんじゃあるまいし、ちょっとくらい揉ませろよぉ。抵抗しても無駄だ、夏がアタイを強くさせる……!」
「もう、いやっ、離してよかつ姉――あんっ」
ぐにぐにと形を押し潰し、指を埋めて感触を楽しむ。驚くほど柔らかくて、同時に張りもあって、若さというものが嫌というほど掌に伝わる。
彼女自身も同世代なのだが、葛城はとにかく飛鳥の体を存分に堪能し、若い女体をこれでもかと楽しんだ。その表情は危険だと思えるほどだらしなく緩み、そうそう見れた物ではない。
次第に鼻息が荒くなり、頬まで赤くなって徐々に雰囲気が変わってくる。葛城はついに飛鳥の耳元で小さく、痴漢する男のように怪しく囁いた。
「ハァ、ハァ、飛鳥のおっぱいやーらかいよぉ……オジサンこのまま、行くところまで行っちゃおうかな。いいよね? ちょっとだけだから、すぐ終わるから」
「やっ、だめ……うくっ、かつ姉、いい加減に――」
ついに葛城の手が肌の上を伝って、胸を覆うビキニの下へ潜り込もうとした時だ。危機感を感じて咄嗟に顔色を変えた飛鳥はぐっと歯を食いしばり、覚悟を決め、素早く自身の両手を動かした。
「もうっ、調子に乗り過ぎだよかつ姉!」
「ん? あ――ぶへぇっ!?」
気付けば頭上から大きな影が迫っており、突然葛城の背には巨大な蛙がのしかかって、砂浜に思い切り倒れることとなった。大量の砂が宙を舞い、自然と葛城が静かになる。
唐突にどこかから現れ、そして消えていった蛙は飛鳥が呼びだしたものだった。秘伝忍法、という技法を使って行われる召喚忍術。蛙は彼女が得意とする召喚相手である。
されるがままだった状態から一転、自らの力で暴漢を対峙した飛鳥はずれかけていた水着の位置を正し、恥ずかしそうに胸元を抱き締める。
いくら忍であるからとはいえ、やはり恥じらいは捨て切れないらしい。しかし彼女もまだ十七歳、むしろそれが当たり前のように思えた。
恥じらいを見せて唇を尖らせる飛鳥はジト目で葛城を見やり、倒れたままで砂に埋まる葛城はその体勢のままで顔を上げ、拗ねたように唇を尖らせる。二人の視線は合わさり、互いに距離を取ったままようやく落ち着いて話し始めた。
「チェッ、なんだよ飛鳥、ちょっとくらいいいじゃんかよー。ただおっぱい触っただけだろ?」
「それが問題なの。触らないでっていっつも言ってるじゃない」
「わかってない。わかってないな、飛鳥。女性の胸がなぜ大きくなるのか知ってるか? それはな、揉まれるためだ。アタイに揉まれるために、世の女性の胸は日に日に大きくなって――」
「そんなわけないでしょ! もう、いい加減にしないと怒るよ、かつ姉」
砂まみれで倒れて不敵な笑い声を発する葛城に向け、ついに我慢できないとばかりに飛鳥が大声を出した。肩を怒らせて日頃の鬱憤をすべてぶつけるかのようである。
彼女がセクハラを働く時、大抵真っ先に被害を受けるのが飛鳥だ。それは単純に胸が大きいからであり、反応が面白いためであり、同時に成長期真っ盛りなせいでもある。
葛城曰く、揉めば揉むほど大きくなる。そんな飛鳥の体は彼女にとって絶好のターゲットでしかなく、こうして度々セクハラを働かれているのだった。
「そんなにおっぱいを触りたいなら、自分のを触ればいいじゃない。かつ姉だって十分大きいんだし。私じゃなきゃいけない理由なんてないでしょ」
「バカッ! 自分のを触って何が楽しい! 自分以外の可愛い女の子のおっぱいを揉むからこそ価値があるんだろうがッ!」
「そ、そんなに必死に怒られても……とにかく、私のはだめ。かつ姉がいっぱい触るせいで、またサイズ大きくなっちゃったんだから」
「いいことじゃないか。大きいことは魅力だぞ、飛鳥」
「そんなこと言ってもだめ。大きくなっちゃうと、また下着変えなきゃいけなくなっちゃうんだよ。動く時に邪魔になったり、最近は肩だって凝って――」
胸を下から持ち上げ、ゆさゆさと揺らし、思わず鼻息を荒くして凝視してくる葛城に対してそう説明している時、ふと飛鳥が気付いた。
先程から妙に静かな自身の背後。そちらが気になって視線を向けてみれば、いつの間にか斑鳩が若と腕を絡ませ、どこかへ行こうとしているではないか。
すぐさま状況を理解する。ついさっき注意したばかりで、ほんのわずかな時間の間に抜け駆けするつもりだ。飛鳥は咄嗟に大声を出して二人を呼びとめ、そこでようやく葛城も気付く。
「斑鳩さん! 若様をどこへ連れて行くの! 抜け駆け禁止って言ったばかりじゃない!」
「ハッ!? ち、ちち、違いますよ。これは抜け駆けなどではなく、その、た、ただ着替えをするために更衣室へ行くだけです。流石にこんな場所では着替えられませんから」
油断も隙もあったものではない。若に関する事柄だけ、我を忘れて暴走しがちな斑鳩に向けた仲間たちからの共通の評価だ。
普段は冷静で落ち着きがあり、皆を纏める上級生然とした彼女も、若が関わった時だけ冷静さを掻いて自身の欲望に走る。そのため常に目を離してはいけない人物であり、何をしでかすかわからない人間だった。いつでも若のことばかり考えている。
若は基本的に趣味趣向を持たない。流れるままに生きると言うのか、普段からさほど自分の意思を表そうとしないのだ。いやむしろ、自分の意思を持っていないとさえ見える。
斑鳩はそんな彼だからこそ甲斐甲斐しく世話をし、常に身辺警護を怠っていないわけだが、時にはその性質を利用してどこかへ連れ去ろうとしているらしい。
この時ばかりは飛鳥も年上である斑鳩へ詰め寄り、再び問い詰めるように声をかけ始めた。今度は逃がさぬようにと、斑鳩が腕を組んでいるのとは逆側で若の手をぎゅっと握りしめて。
「まったくもう、いつもそうやって二人で隠れちゃうんだもん。斑鳩さん、また二人っきりでしようとしたでしょ。ほんとにいつもいつも、そうはいかないんだから」
「い、いいえ、全く違います。見当違いもいいところですよ。若様が水着に着替えられると仰るので、私は更衣室まで案内しようとしただけです。一切他意はありません」
「斑鳩さんが連れていこうとしたんじゃなくて、若様が言ったんだね」
「え、ええ」
「つまり斑鳩さんが若様をどうこうしようってつもりじゃなかったんだよね」
「当然です」
「若様、ほんと? 若様がそう言ったの?」
「斑鳩に着替えに行こうって言われた」
「わ、若様っ!? それは内緒って今言ったばかりじゃ――!」
「斑鳩さん……」
じっとりとした視線が斑鳩へ向けられる。これまで何度も出し抜かれた経験があるせいで、飛鳥の視線も自然と厳しくなっていた。
またしてもあたふたと慌て始める斑鳩に、視線も厳しく詰め寄る飛鳥、そして再び立ち上がってゆっくり彼女の背へと近付く葛城。誰もが普段通りの態度を崩してはいなかった。
再び胸を鷲掴みにされた飛鳥の悲鳴が上がる頃、海に入っていた二人の少女も砂浜へとやってくる。幼さが見える桃色の髪の少女と、銀髪をツインテールに結んで右目に眼帯をつける少女。楽しげな雰囲気を嗅ぎつけて駆け寄ってくる雲雀と、世話をするように彼女を追う柳生が、再び砂浜へと腰を降ろした若へと近付いていった。
「なんだかみんな楽しそうだねー。ねぇ、若様も楽しい?」
「ああ。楽しいよ」
「雲雀、水分はきちんと摂取しておけ。水に浸かっていたとはいえこの暑さだからな。気をつけないと日射病になってしまう。ほら、これを飲むんだ」
「うん。ありがとう柳生ちゃん」
雲雀もまた前かがみに若の顔を覗きこみ、警戒心もなく顔を寄せる。当然とばかりに胸が強調される格好となり、若ではなく柳生がそこへ吸い寄せられるように視線を向けていた。
若はぼんやりした様子で言葉を返す。普段より少し表情が柔らかいのがわかった。
楽しそうで何よりだと雲雀がくすぐったそうに笑う一方、その背後からは柳生が雲雀へと近寄り、彼女を心配するよう、斑鳩が用意していた水筒を手にしている。彼女を妹のように溺愛する柳生ならではの行動。抜け目がない姿は尊敬に値するほどだ。
誰もかれもが普段通りの振る舞い、いつもと少しも変わらぬ態度。しかしやはり夏の気候がそうさせるのか、普段よりも少しばかり騒がしく、無邪気に楽しんでいる姿にも見える。
暑い日差し、広い海、美しい景色。それらが彼女たちの気分を高めていたようだった。
少女たちは一時、今ばかりは忍ということを忘れ、青春とも言うべきひと夏を楽しんでいた。
喧嘩をするように騒がしい、それでいて幸せそうな声。それぞれ違っているとはいえ輝かんばかりの笑顔。心からこの瞬間を楽しむ彼女たちの姿を眺めて、若は落ち着いていた。
突然やってきた夏と孤島。それらは彼女たちに困惑を与えたが、同時にこうして笑顔を与えてもいる。この時間は彼女たちにとって、確かに良いものとして受け入れられていたようだ。
戦いとは無縁な平和は彼らから忍としての自覚を奪ったらしく、ひどく穏やかな一時であった。
「コラァ! おまえら一体何やってんだ!」
そんな平和な一時を切り裂く声が聞こえて、若は、或いは彼の傍に居た柳生と雲雀はそちらに顔を向ける。ずいぶんと怒りを感じる叫びだった。無視はできない。
巫女装束に身を包む少女が三人、砂浜を大股で歩いてくる。
目には燃えるような怒りが灯っていた様子。何気なくそちらを見つめて到着を待つも、あいにく何かをした覚えはない。三人は不思議そうな顔でじっと待つばかりだった。
彼らの前にやってきたのは巫神楽三姉妹と紹介された三人で、何やら怒り心頭といった様子で若たちを見ている。特に怒りの念が強いのは先頭の少女、長女らしき人物である。
そういえば名前を聞くのを忘れていた。若は首をかしげる。
「おまえたちは……」
「さっき会ったばっかりだろ。巫神楽三姉妹、
「うちは
「
三人横並びで、中央に立つ蓮華が答えた。
次に口を開いたのが彼女の右側に立つ、ショートカットの髪を持つ華毘だった。活発そうで人懐っこい笑顔を見せる彼女が可愛らしい仕草と共に自らの名を告げる。
さらに反対側、華風流が口を開いた。愛想のない顔で視線は厳しく、若を見る目も敵対意思はあっても友好的な物はない。華毘とはあまりに対称的な表情である。
自分たちの名を告げた後、ふと蓮華が首をかしげた。
そういえばと、先程顔を合わせた時は名前を告げる暇すらなかったと思い出す。
加えてその青年、美少女たちに囲まれた唯一の男性が話に聞いていた人物だと気付き、途端に数秒前の怒りに似た感情を忘れ、パッと笑顔を輝かせて彼にのみ意識を集中させていた。
「そういえば自己紹介はしてなかったか。あんたが噂の若様かい?」
「噂?」
「小百合様から話を聞いたんだ。ずいぶん腕が立つらしいね」
にこりと笑みが浮かべられる。
好奇心を表す顔は親しげに見えて、一方で戦意を滲みだそうともしている。
些か奇妙な雰囲気に感じられ、気付いた柳生が眉をひそめた。本来彼女たちは若の護衛のために日頃から傍に居る。平和な日常の中では彼が襲われることなど滅多にないが、今この瞬間には緊張感を持たずにはいられなかった。隣に立つ雲雀は別段何を気にするでもないものの、柳生は姿勢を整えて蓮華に厳しい目を向ける。
何も気にせず、若は蓮華から感じる戦意を受け止めた。
「俺と戦いたいのか」
「そりゃもちろん。あんたとのケンカは面白そうだからね。でも――」
蓮華の目がちらりと柳生を見て、笑みを深くする。
この場で武器を取ったところで邪魔されるだけだろう。よく訓練された護衛役だ。油断もなければ隙もなく、一目で相当の実力者なのだと理解できる。
今はまだ早いと判断した蓮華は腰に手を当て武器を取らず、あくまで友好的な態度で話した。
「流石にここじゃやれないね。それよりあんたたち、何遊んでんだい。もう忍の盆踊りは始まってるんだよ。さっさと他の学校のヤグラを壊しに行ったらどうだ」
「あの、本当に戦わなきゃいけないの?」
叱るような口調で蓮華が言えば、首をかしげる雲雀が尋ねる。
幼い仕草で人さし指を唇に当てて、不思議そうな声色。心底わからないと言わんばかり、嘘や嫌味が一切感じられない純粋な瞳で、前方に立つ三人の少女たちを見つめていた。
「だって私たち、戦う理由なんてないよ。こんなにきれいなビーチに来たのにどうして戦わなきゃいけないのかな。みんな仲良くした方がいいと思う。若様だって、そんなの望んでないよ」
「あんたバカ? 話を聞いてたらわかるでしょ。あんたたちがここに来たのは忍の盆踊りをするため、夏休みじゃないのよ。きれいなビーチがあったって忍は戦わなきゃいけない運命にあるの。はい論破」
「そうっす、忍の盆踊りのための忍結界っすよ。準備にかなり時間かかったんすから」
華風流と華毘が続けて言う。すると雲雀はぐっと唇を噛んだ。
言い返すことができない。確かに自分は忍であってただの学生ではない。戦うための訓練は毎日継続しているし、実際にこれまで忍と戦ったこともある。戦いが避けられない運命にあることも以前から理解していたはずだ。
可愛らしい容姿の眉間に皺が寄って、思い悩む様子。
途端に隣に立つ柳生が彼女を庇うように前へ出て、鋭い視線を二人へとぶつけた。
華風流は鼻を鳴らして受け止めるが、唐突なことに華毘は肩をびくつかせて驚いた。忍学生とは思えないほど強烈な殺気。数分前まで遊び呆けていた少女には見えなくなっていたようだ。
「ずいぶん一方的な意見だな。オレたちは勝手に呼び出されたに過ぎない。そんな物に参加すると言った覚えはないぞ。つまり、おまえたちに従う理由などない」
「それは忍の本分を忘れてるって言うのよ。自分の恥部を自ら晒すなんてね」
「なんだと……」
「フフン、プライドも持ってない忍学生って哀れよね。何か反論ある? あるなら聞くけど、もう何も言えそうにないわね。だったらこれで終わり、はい論破」
穏やかな風景の中で剣呑な空気が漂う。
柳生と華風流は睨み合い、周囲で見る雲雀や華毘が恐れるほどの迫力が伝わり、今や大気の震えすら感じさせた。ただし蓮華だけは笑みを浮かべ、余裕綽々といった様子。むしろこの空気を楽しんですらいる。若は静かにそんな彼女たちを眺めていた。
どちらかが手を出さないか、と思える頃、割り込むように斑鳩が二人の間に入る。
少し離れた位置には動揺した様子の飛鳥が心配そうにしており、ふざけるのをやめた葛城も彼女たちを見つめていた。いつの間にやらビーチにある雰囲気は変わっており、呆れているらしい斑鳩が仲裁しなければ止まらなかったようだ。
両手を伸ばして二人を止めて、斑鳩は小さくため息をつく。
「お二人共、そこまでにしておきましょう。いがみ合っているだけでは何も解決しません。お互いにわかり合えないのなら、まず落ち着いて話し合った方がよろしいのでは?」
「そ、そうだよみんな。こんなところでケンカなんてやめよう」
「出会ったばっかで仲悪いなぁ。気分が和まないならお姉さんがマッサージしてやろうか?」
葛城が両手を怪しく動かしながら笑うと、三姉妹の顔に緊張が走った。
妙な動きにねっとりしたいやらしい声。同じ女性でありながら嫌な予感が背筋を這い回り、流石に平静を保つのも難しい。三人の視線は葛城に集まり、毒気を抜かれた柳生も敵意を霧散させてため息をつき、傍に立つ飛鳥ですら呆れた目を彼女に向ける。
ひとまず戦闘の危機は去ったようだ。空気が一気に緩んでいく。
そこでようやく雲雀は安堵してため息をつき、柳生の顔を見て微笑んだ。
気付いた柳生も彼女に目をやって薄く微笑む。彼女を見れば肩の力が抜けたらしい。
仕方なくといった様相を残しつつ、蓮華と華風流も戦意を納めた。どうやら今すぐにも戦いたかったようで、望んだ展開にならなかったのは残念だったと見える。ただ華毘だけは戦闘を回避できて安堵したのか、ほっと胸を撫で下ろしていた。
その後で雲雀が辺りを見回し、ようやく気付く。
いつの間にやらそこに居たはずの若と斑鳩の姿が見えない。どこへ行ったのかとビーチを見回してもどこにも姿はなく、心配して表情を変えながら遠くまで見渡す。
やはり二人を見つけることはできず、多少気落ちした声で呟いた。
「あれ? 若様と斑鳩さん、どこに行ったのかな。さっきまで居たのに」
「え? あっ、斑鳩さん、また――」
一足遅く気付いた様子の飛鳥が小さく呟いた。
先程一人だけ抜け駆けしようとした人物の姿はすでにその場へなく。
呆れた飛鳥は緊張感を完全に消し去り、呆れて思わず盛大なため息をついた。