オークションへの侵入から数週間が経った頃。
いつも通りと言えばそれまでだが、青年は姿を消し、一人で自由気ままに行動していた。
その痕跡を追うのは決して簡単ではない。日頃から注意深く、細かなことにさえ気を配る彼を見つけるのは、親しい仲間たちですら難しいと口を揃える。
某国の山奥。そこに彼の姿があった。
一般人は立ち入ることが許可されていない、遺跡である。
こじんまりとした規模ながらいまだ解明されていない事柄が多く、調査の手もすっかり止まってしまい、長い間放置されたままの状態。考古学者やプロのハンターも手を出さず、謎が解明できないのが原因か、今や人が近付く気配もなかった。
人の目がないならば侵入はひどく簡単。崩れかけた石造りの建物へ入り、青年は勝手に調査を始めている。専門的な知識は持たないアマチュアだが、心は踊っている様子だ。
素人の考えながら調査は進んでいる。
ネットや本で調べた情報を下に、以前盗んだ目玉の像を手にし、遺跡の内部に刻まれた壁画を一つずつ確認していく。専門的な知識を持たずともわかることは多かった。
ライトの光で暗闇を切り裂き、しゃがみ込んで調査を続ける。
少し前からとはいえ、これがずっとしたかったことだ。彼は充実感を感じていた。
しかしそれを邪魔する何かがやってくる。
痛いほどの静寂の中、ある時奇妙な音が聞こえた。
別段驚く様子もなく青年は振り返る。誰かの足音だ。滅多にどころか全く人が近付かない場所である。自分以外にも珍しい人間が居たものだと、笑みを浮かべてその誰かを待った。
その足音、隠そうとしていない。
気配を殺そうともしておらず、むしろ見つけてくれとばかりに足音を立てて、ゆっくりと近付いて来る。おそらく遺跡ではなく青年を目的としているらしい。
理由はわからない。だがいい予感はしなかった。
険しい山道を越えてわざわざやってきたのだ。ただ会話したいだけとは思えない。
立ち上がって待っていれば、同じ空間に一人の人間がやってきた。
逆立った髪で長身、頬にペイントを施した、奇術師然とした雰囲気の男。あからさまに奇妙な空気を纏っていて、どうも常人ではなさそうだった。
言い知れない強さを感じる。目に見える物とそうでない物、両方で彼は普通ではない。
男は背筋を伸ばして立ち、青年のライトに照らされて尚も態度が変わらず、笑顔で口を開いた。
「やぁ♥」
「オレに用か?」
「うん♥ 君、凄く強そうだよね♠ ちょっと気になっちゃって♣」
「それで尾けてきたって訳か。趣味の悪ぃ奴だ。用件は?」
「一つだけだよ♠ 君と戦いたいと思ったんだ♦」
簡単に言って青年の顔には笑みが浮かぶ。
そんな気はしていた。風貌からして和やかに話がしたいだけの人物と思うのは無理だろう。少なくとも武器らしき物は持っていないようだが、独特の衣装なので隠しているのかも見抜けない。
一応の警戒心を持ちつつ、冷静に話を聞く。
青年は逃げずに彼と向き合っていた。
「戦闘狂か愉快犯ってとこか。オレの一番苦手なタイプだな。残念ながらこっちにはその気がないもんで、遊び相手が欲しいなら他を当たれ。天空闘技場はどうだ?」
「嫌♦ 君と遊ぶのが楽しそうだから来たんだ♥ 他には興味ないよ♣」
「ほらみろ、めんどくせぇ。ウチにも似たようなのが何人か居るが説得に応じないんだよなぁ」
青年がわざとらしく肩を落として溜息をつくと、奇術師の男はにやりと頬を釣り上げる。
相手を見てまず得られるのは、確信。
表情や態度に反して立ち姿に隙が無い。そしてそれを隠すのを得意としている。おそらく腕の無い者であれば今の彼を隙だらけだと称し、襲い掛かれば瞬く間に返り討ちとなるだろう。
間違いなく強者だ。
青年を見た男の機嫌はさらに良くなった様子で、懐からそれを取り出した。
両手で遊ばせるのは何の変哲もないトランプの束である。
「麓の町で君を見かけた時、ピンときたよ♣ 君は強い、それも尋常じゃないレベルだ♠」
「何を根拠に」
「君のオーラさ♥ すれ違っただけで伝わったよ♦」
青年は笑顔のまま心中で、面倒だと毒づく。
この手の人間は勘が鋭くておまけに頑固だ。交渉の余地はないに等しく、態度からして諦める気はなさそうだ。逃げるか、応じて倒すか、どちらかしかないと考えられる。
どう転んでも良い方向には進みそうになかった。幸いなのは問答無用で襲い掛かってこないところか。話せるだけに解決策はゼロではないようにも思う。
姿勢を崩した青年はおどけた様子で提案を始めた。
構う気など毛頭ない。できれば煙に巻いて逃げたいところだ。
「要はオレと戦いたいってことだろ?」
「その通り♥ 命を賭けてね♠」
「ハァ、わかった。でも少しだけ待ってくれないか。この遺跡を調べてる最中でな、興味本位とはいえやり遂げたい。その後なら応じてやっても構わないが」
「そう♦ じゃあそれからでいいよ♣」
「それじゃ麓の町でしばらく待っててもらえば――」
「それは嫌♥」
ぴしゃりと断り、男はほくそ笑んだ。
鋭い目つきは考えを見透かすよう。
青年も思わず口を噤んで彼の言葉を待った。
「君の考えは大体わかるよ♠ 上手くはぐらかして逃げようって気だろ?」
「オレが? なんでそんなこと」
「嘘つきは相手が嘘をつく瞬間がわかるんだ♦ 頭の良い人間なら簡単に頷くはずないし、腕に自信のある人間なら挑発的な言葉を返してくる♣ だから少し待って欲しいなんて言うのは頭が良くて、尚且つ僕を騙そうとしている人間に違いない♥」
「まさか。オレが嘘つく人間に見えるのかよ」
「じゃあ僕はここで待たせてもらうよ♥ 君が約束通り逃げないように♣」
そう言って男はそこに立ったまま動かず、じっと青年の姿を見つめる。
これ以上無駄なことを言えばまずい事態になりそうだ。遺跡の調査もできないままに襲われて、遺跡を破壊される危険性すら高いだろう。
この男は明らかに強い。
警戒するからこそ青年はその提案を拒否することなく、壁画に向き直った。
「わかった。その代わり大人しくしてろよ。もし襲おうもんなら全力で逃げるからな」
「いいよ♥」
男に見守られながら調査を再開させる。しかし後に向き合う気などさらさらなかった。
青年の頭にあったのは遺跡に関する事柄と、如何にして男から逃げるかという算段。
素直に受け入れた素振りも、この場だけの物であった。
*
「変? 最近のルツが?」
「会ってないの? あんたも同じ意見だと思ってた」
某国の昼下がり。
人の入らないカフェの一席で会った二人は女性であった。
片方はパクノダだ。普段と変わらずスーツ姿で、優雅に紅茶が入ったカップを傾けている。
その対面に座ったのが独特の装束を身に着けた、桃色の髪を結った女性。元々目つきが鋭い容姿なのだが、今はどことなく不機嫌そうな顔に見える。
店の人間すら奥に行ってしまい、二人きりの店内で話すのは一人の男について。
パクノダが口火を切って話し、和装の女性は真剣に耳を傾ける。
「妙に達観してるって言うか、どこか変なのよね。何がってのは言えないけど」
「あいつが変なのはいつものことでしょ。別に今更驚くことでもない」
「いつもとは違うから言ってるの。とにかく一度会ってみればいいわ。どうせ、そろそろ会いたくなったから嗅ぎ回ってるんでしょ? ほんとに分かり易い」
「うるさいね。別にどうでもいいだろ」
鼻を鳴らして女性がそっぽを向く。
険が強いようで意外に可愛らしい性格だ。彼の話を聞いて嫉妬でもしたのか、不機嫌そうな様子はどんどん強くなっていき、自分でも抑え切れていない。
普段は冷静に物事を見極められる性質だというのに、彼の話題となればその限りではない。
なんとも微笑ましくて、分かり易い姿に思わず笑ってしまった。
「この前の仕事、呼ばれなかったんでしょ」
「別に、呼んで欲しいとも思ってないからね」
「フランクリンやシャルも言ってたわ。いつものルツだったし、いつもとは違ったって」
「……どういう意味?」
「上手く言えないのよ。態度はいつも通りだけど何か隠してそう、って言うのかしら」
「パクの能力ならわかるでしょ。あいつに触れてたんだろうし」
「ふふ、妬かない妬かない。男と付き合うなら嫉妬なんて無意味よ」
「嫉妬とか、そんなんじゃ」
視線を外す和装の女性に微笑みかけていたが、ふと笑みが消える。
和やかな雰囲気と反して真剣な話のようだった。
「読めなかったの。ルツに触れてみても」
「読めない? なんで」
「さぁね。私が読めるのは触れた対象の記憶だけ。想いまで読み取れる訳じゃない。少なくともルツの行動はいつも通りだったし、怪しい動きはなかったわ」
「一応、読んだのね」
「本人も気付いてたけどね。だから、私が読むのを予測してた可能性はある」
「どういう意味? ルツが、裏切ろうとしてるってこと?」
「私を利用して、身の潔癖を証明しながら動くことはできるわ。ルツならそれくらい考える。あれでも頭は回る人間だから」
「まさか。軽薄に見えてもあいつはそんな奴じゃない」
「だといいんだけど……」
パクノダは不安を消しきれないようで物憂げに呟く。
強く言い切れず、女性も言葉を吐き出しにくかった様子だ。
彼女たちの仲間は、一癖も二癖もある者ばかり。決して仲が良いと言える間柄ではなく、一種の信頼は確かな物でも、それぞれが隠し事を持っているのは周知の事実だった。
現在話題に上がる青年にしても、一目で理解できるほど浅い人間性ではない。
むしろ、厄介さで言えば頭一つ抜きんでている可能性まであった。
殺しを好まず、戦闘を好まず、それでいて仕事は安全に終わらせるため、盗賊としての手腕は誰もが認めるところ。派手に動くのが好みな団員でさえ彼の指示には従う。それはひとえに彼の実力を認め、考え方に理解を示し、文句を言いながらも信頼しているからだ。
一方で奥が見えない人間として見られている。
腕は認めるが何をしでかすかわからないのも彼で、強く言い切れない理由はそこにあった。
唇をきゅっと結んでいた和装の女性が、意を決したようにパクノダを見た。
「団長はなんて?」
「会ってないわ。居場所がわからないのは団長も同じだし、見つけられるのはルツだけでしょ」
「そうね」
「気になるなら自分で確かめてみれば? 蜘蛛の中でルツを見つけられるのはマチだけよ」
しばし視線を落として考え、和装の女性が立ち上がる。
出会ったばかりの人間ではわからないだろうが、深い関わりにある者からすれば表情は見るからに変わっていて、すぐに背が向けられた。しかし歩き出す前にパクノダへ言う。
「支払い頼んでもいい?」
「ええ。安いものよ。臨時収入が大きかったからね」
「ちょっと会ってくるよ。変かどうかは確認してみないとわからない」
「それがいいわ。ルツによろしく」
そう言って和装の女性が歩き出し、店を出て行った。
残ったパクノダは紅茶を口にしつつ、伏し目がちに考える。
ここ最近で彼に会った者は、付き合った時間に関わらず同じ言葉を口にする。
いつもとは何かが違う。
たったそれだけの言葉が妙に頭に残って、パクノダは他の団員と同じく、なんとも言えない感覚に陥ってしまい、そこから抜け出す手立てが見つけられない様子だった。