※この作品はR-18です。

蛇獣書房   作:ヘビとマングース

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Rainy Soul

 雨が降っていたせいで一気に視界が悪くなった。

 濡れた髪が肌に張り付く。それが妙に鬱陶しい。ただでさえ雨が強くなり、風が吹いて集中力が途切れそうになるというのに、些細な変化が如実に邪魔に感じる。

 

 戦闘はおよそ一時間近く続いていた。

 逃げて隠れて、ぶつかって、その繰り返しで想像以上に長引いている。

 なぜこれほど決着がつかないのか。理由は一つだ。敵の実力が予想を遥かに上回り、一対一で戦うには厄介過ぎる。普通では考えられないほど戦闘能力が高かった。

 

 一時間近く戦っていまだに死んでいないのは奇跡に等しい。

 そう思うのは栗色の髪の青年だ。

 黒いスーツを身に纏い、敵を切り裂こうとするのは独特の形をしたナイフ。身軽な上に頑丈、命を狙うには適した武器である。意志の強さを表す目には忌々しげな光を灯して表情は歪んでいる。決して余裕がある姿には見えなかった。

 

 相対するのは奇術師のような風貌の男。

 逆立っていた髪は雨に濡れてすっかり垂れて、頬に描かれたメイクも落ちかかっている。

 この男のことは知っていた。

 

 ヒソカ。

 何か月も前から青年を狙っている男。

 奇術師とは名ばかり、ほとんどストーカーに近い。一体何を思っているのか青年に興味を示して以降はずっと後を追い続け、どれだけ撒こうが、説得しようが本気で戦おうと誘ってくる。それでいて奇襲の類はない。あくまで君とは正面から戦いたい、それが彼の言葉。

 後を追われるのが面倒で戦うと決めた。しかしそれが間違いだったのだ。

 

 この男は強い。

 適当に殴れば終わる戦いではなく、どちらかが命を落とすか、それに近い状態にならなければきっと終わらないだろう。実力が拮抗しているだけに戦闘は悪戯に長引いてしまい、いつまで経っても終わりが見えない展開となっている。

 

 それでも現状、二人は全くの無傷だった。

 一時間近く戦って無傷。本来ならあり得るはずがない。

 そんな事象を可能にしたのは二人が並みの実力者ではなかったからである。

 

 青年がナイフを使うのに対し、ヒソカが持つ武器はトランプ。なんの変哲もない、ただ紙で作られただけのトランプだ。

 それが驚くべき力を発揮している。刃物を受けても傷一つつかず、異常な強度が確認できる。指に挟んで持つだけ、特別な箇所は見られないのに、斬りつけられてわずかに欠けた程度の損傷でしかない。この強度には理由があるはずだった。

 

 その理由に念能力と呼ばれるものがある。

 肉体から溢れ出すオーラを操り、昇華させた物をそう言う。いまだ広くは知られていないこの特別な力を纏わせれば、ただのトランプがナイフと渡り合うことも不可能ではない。

 

 耳障りな音が続いている。もう一時間近くこの音を聞いていた。

 ナイフとトランプの攻防は一進一退で何度も状況を流転させている。

 いい加減飽き飽きしていた。体にも疲労が溜まる一方。決して良い状況ではなく、そのため青年は表情を歪ませるのだが、ヒソカは対照的で楽しそうにくつくつ笑っていた。

 

 「クックック……楽しいなぁ♥ あぁぁ、キミとはずっとこうしていたい……♥」

 (クソがっ。こっちはもういっぱいいっぱいだっての!)

 

 ヒソカの動きに疲労は感じない。否、むしろ疲労を感じてからの方がキレが増している様子か。

 

 戦い始めた時から、いやそれ以前に初めて出会った時から奇妙な人物だった。興味を持つのは強者との戦闘のみで、なぜ求めるかと言えば自らの欲求を満たすため。彼が戦闘や殺人の際に得るそれは性的な物に近い。普段は感じられないエクスタシーをこの一瞬に求めているのである。

 ますます嫌気が差して真面目に相手しているのが馬鹿らしくなる。

 

 あいにく男に惚れる趣味はない。あったとしてもこの男だけは選ばないだろう。いわゆる普通と呼ばれる道から外れない青年が惚れるとすれば女性に見紛う男以外にあり得ない。

 

 無駄な思考を持ちながらも敵の攻撃をいなし続けた。

 流石戦闘狂なだけはあって動きのキレは尋常ではない。

 首筋、手首、胴体。急所を狙う攻撃は正確無比であまりに素早い。これなら念能力を使えてもそこいらの人間には、たとえプロハンターでもそう簡単に止められないだろう。彼を止められるのは小細工や作戦などという生ぬるいものではなく、純粋な戦闘力。そして揺らがぬ殺意だ。

 

 青年はまだ本気になり切れていない。だから諦めた顔で戦おうと宣言して一時間、鬼ごっこやかくれんぼを繰り返した。適当に相手をして途中で撒けばいいと思っていたのだ。

 それが失敗した今、猛攻を潜り抜けながらどうしようかと考える。

 

 始末するには本気を出さねばならない。きっとそれでも難しいだろう。かといって逃げ出すのはすでに失敗しており、この戦いの終わりが簡単には見えない。

 自身の死か、或いはヒソカの死。

 どちらにしても簡単ではなく、ようやく理解して表情が歪む。

 そもそも彼に近付いてはいけなかったようだ。

 

 「結局はオレが不用心過ぎたってことか……」

 「何の話だい?」

 「もうおまえの顔は見たくないって話だよ」

 「ひどいな♣ ボクはこんなにキミを求めてるのに♦」

 「だから! それがうざってぇんだよ!」

 

 一際強く腕を振ってナイフを繰り出し、流石に回避しようとしたヒソカが後ろへ跳んだ。

 二人の間に空間ができ、一旦足を止めて睨み合う。

 雨が全身に当たって、奇妙な静けさが辺りを包み込む中、動きを止めたところでまだ安心はできない。むしろ距離を取って視線の鋭さは増すばかりであった。

 

 ヒソカが本気を出していないのは明らかだ。

 まだアレを見ていない。

 お披露目とばかりに一度だけわざと見せた技。ガムのように引っ付き、ゴムのように伸びるオーラ。間違いなくあれがヒソカの必殺技に違いない。一度見ただけ、しかも見れたのも一瞬だったがその特性はよくわかる。シンプルだからこそ利用法はいくらでもあるはずだ。

 

 出し惜しみしている、というより待っているといったところか。

 おそらく彼は青年が本気でないことを看破し、本気で戦うようになるまで待っている。あくまで望みは真剣勝負と考えて間違いない。

 つまり今から何度ナイフとトランプをぶつけても意味はないということになる。

 この一時間、一体何をしていたのかと考えると気が遠くなりそうだった。

 

 「なぁ、ここらで手打ちにしないか。オレじゃおまえに勝てなさそうだし、はっきり言ってもうその顔を見るのはいやだ。降参して勝ちは譲るからおしまいにしよう」

 「いやだ♠」

 「そう言うとは思ってたが」

 「嘘なんて言わなくていいよ♦ 本当はそんなこと思ってない癖に♥」

 「何を根拠に言ってんだ。殺すぞ」

 「嘘つきは嘘を見破れるの♥ だから勝てそうにないってのは嘘♠ その次は多分本心だろうけどね♣」

 

 改めて面倒な奴だと思った。

 こうなってはもう見逃してはくれないらしい。終わらせるための方法は一つ。

 戦ってヒソカに勝つ。

 もうそれしかないのだろう。

 

 佇まいが変わった青年の姿を見てヒソカの顔つきが変わる。歓喜を抱き、笑みが深まって、今なら有り余るほどの狂気が感じ取れた。

 それを見て青年は怯えない。肩の力を抜き、リラックスして敵を見ている。

 

 「嘘つきは嫌いなんだ。せっかく穏便に済ませてやろうとしてるってのに、余計なこと言って場を引っ掻き回しやがる」

 「それは自己嫌悪も入ってるのかな?」

 「かもな」

 

 青年は右手にナイフを持ち、それをくるりと回す。

 手慣れた手つきは長い経験を感じさせる。それを専門で扱ってきたに違いない。

 達人との戦闘はいつも心が躍る。特に一つの物を極めた人物は良い。中途半端にいくつも手を出す人間より、よっぽど熟練した技が見れるからだ。

 やはり面白そうだと感じて背筋がぞくぞくと震えた。

 

 「ククク……やっぱりキミはいいなぁ♥」

 

 目つきが変わっている。さっきとは明らかに別人で、外見はそのままでも雰囲気は比べ物にならなかった。長い時間はかかったがようやく本気になってくれたらしい。

 嬉しくなって体が震える。

 ヒソカの形相もまた、別人のように変化していく。

 常人ならば一目見れば恐怖で硬直してしまうほど、凄まじい狂気を感じる笑みだった。

 

 早く壊したい。

 そんな欲求を感じ取ってか、唐突に青年がナイフを投げた。

 ヒソカの眉間を狙い、高速で飛来する細身のナイフ。それを全く怯えずにトランプで弾いた。前へ進む力を失ったナイフは力なく宙を飛び、回転しながら地面へ落ちる。

 

 小さくも甲高い音。

 それがきっかけとなったように、両者は前へ跳び出していた。

 

 武器はナイフとトランプ。青年はまた新たなナイフを手にしていて、どうやら服の下にいくつも隠し持っているのだと推測し、近接戦闘を得意としているのだと予想する。肉弾戦なら望むところだ。相手を殴り、削り、互いの肌に触れ合って徐々に死へ近付いていく。相手へ触れられる距離というのは、最もヒソカが好む距離感でもある。

 

 互いに腕を振るって武器を打ち合わせた。

 掠るように通り過ぎて、わずかに触れ合い、独特の衝突音が鳴る。

 ひどく心地いい。たった一撃で彼の本気が伺えた。

 ナイフを投げた奇襲。腕を振るう速度も明らかに違う。逃げてばかりかほとんど防戦一方だったさっきとは比べ物にならないほど、ヒソカの急所を狙っていた。

 

 同一人物とは思えないほどの変化だと言っていい。

 これをヒソカが喜ばないはずがなかった。猛攻を受け流しつつ、舌なめずりを始める。

 

 (あぁ、いい……♪ そういう顔を待ってたんだよ♥)

 

 容赦のない連続攻撃。急所を狙い続け、少しでも隙を見つければ即座にそちらを突き、敵を傷つけるためならば多少の体勢の崩れなど気にしない。防ぎ切っているヒソカが凄まじかった。素早い動きと的確な狙いは人体を一瞬でズタズタにしていてもおかしくないだろう。

 全ての攻撃がいなされている。

 オーラで強化されたトランプは鉄の刃にも負けなかった。

 幾度もの攻撃を凌いで尚も余裕。笑みを称えたままのヒソカはもはや彼に釘付けだ。

 

 (初めて見た時からわかっていた♠ キミはボクによく似ている♥)

 

 状況を変えようと思ったのか、青年がしゃがんで蹴りを繰り出し、足払いを仕掛けようとする。それを跳んで回避した。

 着地と同時に下からの突きが迫る。

 ヒソカは後ろへ跳びながらその攻撃を払い、肉を抉られかけたことをほくそ笑む。

 

 (キミとボクは同じニオイがする……♪ だからこそボクにはキミがよくわかる♠ キミの強さも、キミが何かを隠しているのも……♥)

 

 跳んだ勢いで着地と同時に地面を滑り、ぬかるんだ足元に跡が残る。

 濡れて垂れ下がって来た髪を左手で掻き上げて、ひどく楽しげに笑っていた。気分は最高潮。もうこの欲求は誰にも止められない。

 青年はナイフを突き出したままヒソカへ向け、腕を伸ばした状態で動きを止めていた。

 

 (滅茶苦茶に壊したい……!)

 

 カチッと音がした。

 奇妙な体勢だと思ってはいたが、突如ナイフの刀身が柄から射出されて、ボンッと小さな爆発音と共に飛び出す。まるで弾丸。ヒソカの顔面を狙っていた。

 

 多少驚きはしたが問題ない。トランプで弾き飛ばす。

 刀身は軽い音を立てて地面を跳ねた後、不思議にもその場から消えてしまった。

 何の痕跡も残さずに消え去る。この現象は知っていた、念能力である。

 おそらくは具現化系能力者だと推測して青年を見た。

 

 念能力を使う者は六つの系統に分類される。その中で具現化系はオーラで模って本物同然の物体を作り出し、流動するオーラではなく物質として存在を確立させ、具現化することに長ける。

 

 今の一撃でバレたと理解しているのだろう。

 青年は胸の前に手を掲げ、何もないそこから急に現れたナイフを握りしめた。

 間違いない。具現化系能力者、ナイフを具現化する能力である。

 

 「そう♣ キミは具現化系なんだね♦ てっきり変化系かと思ってたけど♠」

 「あ? 何を根拠に思うんだよ」

 「ボクが考えた系統別性格診断によれば、気まぐれで嘘つきは変化形♥ キミもそうじゃないかと思ってたんだけどねぇ……キミはボクに似てる気がしたから♥」

 「アホか。似てる訳ねぇだろ。おまえに似てる人間なんか暗黒大陸探したって見つからねぇよ」

 「ククク♥」

 

 変わった風貌のナイフを逆手に構え、左手にも新たにナイフが現れる。そちらも逆手に持って二刀流だ。姿勢は低く、堂に入っている。

 彼の姿にヒソカが上機嫌になった。

 もう逃げの一手はない。決着がつくまで戦闘は続くだろう。

 

 「ベンズナイフ? そんなのも作れるのかい?」

 「見てわかったことを聞くんじゃねぇよ。心配しなくても毒抜きだ。流石にそこまでは具現化できなくてね」

 「それは安心♥ その分長く戦っていられるね♦」

 「そんなことねぇさ」

 

 青年が駆け出して一直線にヒソカへ向かう。

 対してヒソカは、自身もまた武器であるトランプを投げつけた。当然、前方から迫ってくればナイフによって弾かれるため、攻撃は無駄に終わって走る足は止まらない。だがヒソカは上機嫌だった。それ以上迎撃らしい行動を取らない。

 

 不審に思うが、何かされるより早く首を掻っ切ろうと一直線に向かう。

 その最中、一気に加速した。

 青年が何かした訳ではない。走る速度はそのままだが、まるで何かに引っ張られるような。それに気付いてまさかと思い、オーラを目に集めて自身のナイフを見る。

 

 一度だけ見た不思議なオーラが、ガムのように張り付き、ゴムの張力で青年の体を思い切り引っ張っていたのだ。しかも簡単にバレないようオーラを“隠”の技法で隠すという徹底ぶり。虚を突くための作戦は完璧だった。

 

 「伸縮自在の愛(バンジーガム)って言うんだ、これ♠ 一回見ただけじゃわからないよね♣」

 「う、おおっ――!?」

 

 もはや走る必要も無く引っ張られる。速度は高速、吹き付ける風がさらに強くなった。

 ガムは左手から伸びている。

 身構えて待つヒソカを目にし、意を決した青年はナイフを強く握った。

 

 迎えてくれるというなら好都合。走らなくていいならむしろ攻撃に専念できる。たとえ今の状態が危険とわかっていても恐怖心は捨て去った。

 変わり身の早さは強者としての覚悟に思える。

 ヒソカはその様を喜び、右拳を痛いほど握りしめた。

 

 「そうこなくっちゃ――♪」

 

 繋がった左手とナイフはそのままに。

 二人の姿が接近した一瞬、両者は右腕で攻撃を行った。

 強烈に振り切られたナイフがヒソカの首筋を裂き、大量の血液を噴き出させ、また、猛烈に繰り出されたヒソカの拳は青年の左頬に叩き込まれる。

 

 姿勢が変わり、瞬時に左手のナイフを消した青年が殴られた勢いで宙を飛ぶ。ガムとの繋がりを失くしたことでもう引き寄せられない。背中から地面へ落ちて泥に汚れる。しかし一旦距離を離すにはこれが一番手っ取り早かった。

 

 すぐに起き上がりながら右手のナイフを見る。

 刀身はヒソカの血で濡れていて、奇妙なほど赤々としている。

 青年は躊躇わずに刀身へ舌で触れ、血を舐め取った。

 その様子を見ていたヒソカは首筋に指先を触れて、バンジーガムで簡易的な止血を行い、噴き出していた血の流れをせき止める。これで失血死は免れたはずだ。

 まだ戦える。むしろ今からが本番にさえ感じていた。

 

 「今ので付けたよ♣」

 

 ぐいっと腕が引かれる。すると先程と全く同じ、青年の体が引っ張られた。

 殴られた瞬間に頬へバンジーガムを付けられたらしい。

 今更になって気付き、体が空中に浮かんでしまった後で表情を歪める。速度はやはり止め切れないほど速い。引き寄せられるまま、前へ飛ぶしかなかった。

 

 「チッ、そういうことか……!」

 「ボクの体からならどこにだってくっつけられる♦ もう逃がさないよ♥」

 

 再び接近して、今度はヒソカの左拳が振り切られた。

 両腕を交差して防御する。腕に当たったパンチの重さは尋常ではなく、たった一撃で骨が軋む。オーラを集中させていなければ折られていたに違いない。

 体は吹き飛ばされそうになるが、またバンジーガムで引っ張られ。

 急速に接近していくのを感じ、歯噛みした青年は防御を捨てた。

 

 左手に新たなナイフを出し、四肢を後ろへやってエビ反りの体勢で力を溜める。ここぞという瞬間、全力で攻撃を叩き込むために。

 望むところといった姿勢にヒソカは歓喜する。

 そうでなければならない。そう来なければ面白くない。

 

 今度は防御を考えず、左手にオーラを集束させる。本気で殴って、仕留める。彼の中に在ったのは単純な思考のみだ。自らの手で決着をつけたいと全ての力を注ぎ込んだ。だが一方で終わらせたくないと思っている。コンマ数秒の間、この時が永遠に続いて欲しいとも考える。

 

 反対に青年はこの戦いを終わらせる方法を思考する。

 ヒソカとは正反対に攻撃にオーラは使わない。全てのオーラを腹へ集め、防御にのみ使う。無手の敵と違って彼には武器があった。考えるのは二本のナイフでさっき以上の血を流させること。両方が特殊な刀身を持っているため、肉に突き刺しさえすれば後は手首を返すだけでいい。それだけでさっき以上の肉を抉り取れる。

 

 それぞれの思考を胸に距離が縮まる。

 攻撃は一瞬。全く同時に繰り出された。

 ヒソカの拳が青年の腹を捉えて鈍い音を奏で、振り下ろされたナイフは両肩へ突き刺さる。

 

 一瞬の出来事で、殴り飛ばされても不思議ではなかった。そのため青年は必死に歯を食いしばって耐え、深々と刺さるよう力ずくで押し込み、両手首を返して刀身をねじり込む。すると肉に埋まった刀身がぶちぶちと筋肉を裂いていくのがわかった。

 その後彼の体はまた飛ばされ、勢いよくヒソカから離れていく。殴られた腹は内部で骨が数本折れたのだとわかる。痛みのままに喉を駆け上がる血液があって、大量にそれを吐き出した。

 

 それでもバンジーガムは離れていない。また引っ張られて先の光景を繰り返すだけだ。

 分かり易い戦闘だった。どちらかが必ず壊れる仕組みになっている。

 興が乗ったヒソカは肩にナイフを埋め込んだまま右腕を引き、再度青年を呼び寄せた。

 

 自分たちはあと何度これを繰り返すだろう。どれだけ戦っていられるだろう。そんなことを考えながら、一撃一撃を楽しもうと考える。

 凶悪な笑みは隠されず、青年の目にもしっかり映った。

 

 「さぁ、もっとやろう……! もっともっと楽しみたいんだ――!」

 

 引き寄せられる中、青年がふと目を閉じる。

 奇妙な様子だった。これから攻撃が迫ろうかというのに、引っ張られている最中に目を閉じる。諦めたようには思えない。そんな人間だとは思っていない。

 

 瞬間、青年の姿が消えた。

 バンジーガムに繋がっていた姿が消え、縮む動作のガムだけが戻ってくる。

 

 ヒソカは瞬時に彼が何かの能力を使ったのだと考えた。消えたとか、実は幽霊だったとかではない。何かしらの理由があって彼は姿を意図的に消した。緊迫した状況下で敢えて目を閉じたのは、言わばそのための予備動作。

 

 絶対に離れないバンジーガムから逃れたというならもはや不要。すぐに能力を消して周囲に視線を走らせる。視界は悪いが雨が降っているのは幸いにも不幸にもなることだろう。

 匂いはかき消されて視界が狭くなる。だが足音は聞こえやすくなっているはずだ。

 

 物質を作るのが基本の具現化系でありながらそうとは思えない念能力。

 どうやって消えたかはわからなくても必ず近くに居る。根拠もないのに自信と確信があった。それは一種の信頼なのかもしれない。

 敵はどこかから自分を見ている。見失ったこれを機に仕留めようと動くに違いない。

 そう思う数秒間の後、唐突に膝から血が噴き出した。

 

 「おや……♠」

 

 膝が割られていた。左足に力が入らなくなってその場へ膝をつく。目視で確認すればナイフで斬られた訳ではない。傷跡は切り傷ではなく銃弾が通り過ぎた痕だった。

 銃声は聞こえなかったのに。

 そう思っていると右膝も同じように血を噴き出し、銃声がないまま銃弾に貫かれ、力が入らなくなる。彼はその場で両膝をつき、跪いた。

 その直後に気付く。

 距離にして一メートル。目の前に青年が立っているではないか。

 

 「ふむ、妙だね♦ さっきからずっとそこに居たのかい?」

 

 純粋に驚いて半ば呆然としながら、そうは見えない顔でヒソカが言う。

 青年は銃を構えていた。入手には決して困らない型で、ナイフとは違ってこだわりも見られない至って普通の一品。敢えて言うなら持ち運びに困らないサイズだというところか。

 右腕を伸ばして銃口をヒソカへ。ただし奇妙なことに目は閉じていて、銃口の狙いも胴体へ向けられている。ふざけている様子でもないのだろう。

 

 とどめを刺すために心臓を狙うなら理由はわかる。だがそれでは目を閉じる必要性はない。

 姿が消える前もそうだった。彼は目を閉じ、そして消え、再び現れた今も目を見せない。

 それが条件となっているのか、或いは見せたくない物があるのか。

 理由を考えながらヒソカは慌てていなかった。

 首、肩、そして両膝と、満身創痍の状態。流した血の量も多い。しかし死に対する恐怖はまるで持たず、それどころか戦闘をやめるつもりさえなかった。

 

 「確かに今、キミは消えた……だけど具現化系にそんな能力あるはずがないよね? ナイフに特別な能力を持たせるというのもできないはず♣ あくまで具現化系能力はオーラを物質化するのが本分だ♦ だとするとさっきの現象が説明できない……♠」

 

 ヒソカが語り掛けても青年は返事をしない。

 外見を見ていると無視するというより、聞こえていないかのようだった。

 

 不審に思ってヒソカが口を閉ざすと沈黙が数十秒。

 雨の音だけが聞こえる不思議な静けさの中で対峙した。

 一分は経っていなかったと思うが、少なくともそれに等しいくらいの時間、両者は沈黙を保って雨に打たれていた。

 

 数十秒経って、静かに青年が目を開く。

 何も変わったところはない。以前と同じ薄めの茶色が伺える瞳だ。

 特別な何かは見受けられず、ようやく青年が口を開く。

 吐き出した言葉はヒソカが投げかけた問いとは関係のない物だった。

 

 「終わりだ。どうせまだ動けるんだろうが、もうおまえと遊ぶ気はないぞ。これでやめるって言うならオレはおまえを撃たない。だがまだやる気なら引き金を引かざるを得ないな」

 「へぇ……なるほど♥」

 

 質問に対する返答はなし。それだけなら気にしなかっただけとも言えるが奇妙な沈黙は無視できなかった。ヒソカは笑みを称えて語り掛ける。

 

 「さっきの質問についてだけど♣」

 「知るか。答えてやる義理はない」

 「そう♦ じゃあ答えてくれなくていいけど、一つだけ確認させて欲しい……ちゃんと聞こえてたのかな?」

 

 青年は口を噤んだ。

 確信を得たヒソカは目を細める。

 

 「具現化系の能力じゃないね♠ さっきのナイフを作る能力は本物だと思うけれど、だとすればもう一つ別の能力を持っている、違うかな? ナイフを作って見せたのはボクに能力はこれだという認識を植え付けるため♦ そしてここぞという時にもう一つの能力を使った♣ ボクの油断を誘うために♥」

 

 素晴らしい観察力だと思う。あれだけ興奮しきって戦闘に臨んでいたのに、戦闘中の些細な仕草をよく見ている。

 青年が黙っていると、さらにヒソカは続けた。

 

 「目を閉じてたね♦ あれはきっと制約の一つだろ? 何をやったのかわからないけど目を閉じた後に姿が消え、目を開いた後で話し始めた♠ 話も聞こえていなかったようだし、結構厳しい条件つけたと見るけどどうかな?」

 「本当に、めんどくさい奴だな……」

 「能力の詳細がわからない以上考えても仕方ないけど、ボクの血も舐めてたね♥ ひょっとしてあれも関係してるんじゃない?」

 「聞けば答えてもらえるとでも思ってんのか? そんなもん自分で考えろ」

 「ククク、失敬♥ 確かにそうだよねぇ♣ だってその方が面白いもの……♪」

 

 ヒソカは足に力を入れて立ち上がろうとしていた。戦意はますます滾るばかり、目つきの鋭さが留まるところを知らない。その様は見る者に悪魔を連想させた。

 青年は無表情でそれを見ながらぽつりと呟く。

 

 「半分正解で半分不正解。血を舐めるのは確かに制約だ」

 

 唐突にそんな種明かしを始めた。

 きょとんとしてしまったヒソカの体から力が抜ける。

 

 「なんで言っちゃうんだい? 考えながら戦う楽しみがあったのに♣」

 「そうだろうと思って言った。これなら諦めもつくだろ」

 「……ひどいなぁ♦」

 「うるせぇ。それに、はっきり言ってもうおまえには負けねぇよ。奇襲でいきなり首持ってかれるとかじゃない限りはな」

 

 そう言って青年は銃を懐へ仕舞った。

 立とうとしていたヒソカも力を抜いて何気なく彼を見る。

 

 すっかり戦闘の緊張感が霧散していた。せっかくこれから面白くなりそうだったのに、残念な結末には溜息すら漏れてしまう。だが青年にとってはヒソカがやる気をなくしてよかった。

 

 明らかに彼は異常だ。両肩と両膝、自力では動けないくらいに傷つけたはずなのに自分で立とうとしていた。放っておけばきっと何としてでも立っただろう。そして戦闘は続けられ、下手をすれば殺されていたはず。その執念と狂気には肝が冷える。

 あいにく青年はそこまで戦闘狂ではない。

 戦いに対する躊躇いはないが、誰かを始末しなければならないならしっかり計画を立てるのがいつもの彼だ。今日は勢いで動き過ぎた。らしくないとは自分で思う。

 

 死ななくてよかった。

 冷静に状況を思い返して素直にそう思う。

 そして次に考えるのは、目の前の男についてだった。

 

 「あの町からずっと追ってきてたな。なんでオレを狙った。誰かの依頼か?」

 「いいや、ボク個人の趣味♥」

 「はた迷惑な趣味もあったもんだ。まぁ今更驚かねぇが」

 「キミとヤるのは楽しいって一目でわかったんだ♥ 今日は途中で中断されちゃったけどね♣」

 「まさかまだ諦めてねぇのか」

 「もちろん♥ 止めたいなら今ここでボクを殺しておいた方がいいと思うよ♠」

 「そう言ってまたやり合う気だろ。だったら手は出さねぇよ」

 「おやおや……♦ 残念だなぁ♣」

 

 今日のところはもう戦闘を続けるつもりはないらしい。ヒソカは自身のバンジーガムを傷口へつけ、止血を始める。刺さったままだった二本のナイフも抜き取り、地面へ捨てる。すると念能力で作られたそれらは役目を終えて消えてしまった。

 やはり本物ではない。具現化能力で作り出された虚像だ。

 そうなるともう一つの能力の存在が気になる。

 

 「さっき、気になることを言ってたね♦」

 「あん? 依頼がどうのってやつか」

 「そっちじゃない♣ オレには勝てないってやつさ♠」

 「ああ。それに関しちゃ嘘をついた覚えはない。現におまえは、オレの姿を見失った」

 

 改めて地面へ座ったヒソカを見つめ、青年は冷静に語る。

 

 「種明かしをしてやろう。条件を満たした今、オレはおそらくおまえに負けない」

 「ぜひ聞きたいね♥ 次の参考のために♠」

 「オレは盗賊、盗むのが生業だ。今、おまえの五感を盗んだ」

 

 事も無げに言われる。予想外の言葉でヒソカは目を丸くした。

 

 「対象の体液を体内に取り込む。効果が届く範囲の設定。制約はあと二つ、それで対象の五感を盗むことができる。目も耳も触覚もオレを認識できなかったはずだ」

 「なるほど……♣ 他人の感覚を盗む能力、か♠」

 「おまえのマーキングは済んだんだ。あとは範囲にさえ入れば、オレを認識させなくするのは簡単。いくらおまえでも認識できない相手に勝つのは不可能だろ?」

 「ふむ、確かに♥」

 

 それは明らかな勝利宣言であったにも関わらず、ヒソカは気分を害さずに笑う。

 恐れを抱いた様子はない。焦りも感じなかった。

 それでいて諦めたようでもないのだから厄介に思えて、やめておけと言ったつもりだったがまた襲ってきそうな気配がある。いよいよ青年は溜息を堪えきれなくなる。

 

 「それを聞いてまだやる気か?」

 「そりゃあねぇ♦ 決着はついてないから♥」

 「だったらどうすりゃ諦めるんだ」

 「うーん、さて、どうすればいいか……♪」

 

 おどけた仕草で考えるヒソカは青年から目を離さず、怪しげな空気を醸し出す。

 やがて彼へ一つの提案を与えた。

 

 「もしキミがボクに付き纏われたくないっていうなら、やっぱりどっちかが死ぬまでヤるしかないと思うんだけどね♥」

 

 結局この返答である。

 本当に始末した方が早いのかもしれないが今やそれも面倒に感じる。

 しばらく沈黙し、考えた。

 厄介な人物には違いない。だがひょっとしたらと考える。

 

 「おまえが興味あるかは知らないけど……オレより強い奴、知ってるよ」

 

 その一言にヒソカの表情が変わる。

 雨は徐々に弱まっていった。

 

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