※この作品はR-18です。

蛇獣書房   作:ヘビとマングース

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 今回はエロなし。
 ストーリー部分です。


“雀蜂”

 四楓院の屋敷を離れて数里。

 周囲に被害を及ぼさないよう移動した後、砕蜂はふと足を止めた。

 すぐ後ろからは夜一がついて来る。数メートルの距離を置いて地面に着地し、身に纏う余裕とは裏腹に、どことなく緊張した面持ちで彼女の背を見つめていた。

 

 服を着る時間を待ってやるだけの冷静さはあった。そのため今の夜一は裸ではない。

 一方で移動を終えた砕蜂は隊長であることを示す羽織を脱ぎ、足元へ捨てる。

 肩と背の布を省いた、肌を露出させる黒装束を露わにして、振り返る。

 

 重苦しい空気が漂う。

 それもこれも、いつ振りかという再会になるからだ。

 

 かつて砕蜂は夜一に心酔していた。彼女のために命を使い、その身を守り、いつ死んでも悔いはないという生き方をしていた。それは今から何年前の話であったか。

 だがそんな彼女を置いて、ある日を境に夜一は姿を消したのである。

 砕蜂を、そして彼女が無償の愛を与えたソラを残して、何も言わずに消えてしまった。

 そうと知った瞬間から、敬愛はすでに憎悪へと変わっている。

 

 ゆっくり振り返った砕蜂の表情は驚くほど穏やかで、目にした夜一は思わず驚く。

 

 会えなくなった日を境にして、彼と自身がどれほど悲しんだか、目の前の彼女は知らない。

 それでいいと思う。知って欲しい訳でもない。

 今はただ彼に会わせたくないだけだ。

 

 自身のことはまだいい。我慢もしようと考え直す。だが決してその件について口を開こうとしなかったソラが、人知れず涙を流していると知っている現状、悪びれもせず戻ってきた彼女を許す気はなかった。彼の涙を見たその日から必ず殺すと決めている。

 言わば今はチャンスを与えられたのだろう。願っても無い機会だ。

 

 砕蜂は夜一を見つめ、穏やかな笑みを見せる。

 意外なその姿には夜一も動揺を隠せない様子だった。

 

 「まさか、こうして貴様と再会できる日が来るとはな」

 「んん? 嬉しそうじゃな。ひょっとして儂に会いたかったのか?」

 「そうとも。会いたくて会いたくて堪らなかった」

 

 緩慢な動作で腰にあった刀が抜かれる。

 彼女の斬魄刀は他の隊員が持つ物よりよほど短い。せいぜいが脇差程度の刃渡りだ。

 それを逆手に持ち、右腕をだらりと伸ばして、力を抜いて立つ。

 

 奇妙なほど穏やかであると気付いていた。しかしそれも一言交わす間だけ。

 次の瞬間には全身から殺気が発され、凄まじいプレッシャーが叩きつけられる。

 

 「嬉しいよ。貴様をこの手で殺す日が来て」

 

 笑みを消して、殺意を込めた目で睨み、砕蜂は刀の柄を握る手に力を込めた。

 周囲の空気が一変している。まるで小柄な彼女に怯えるように空気がざわめき、どこからともなく現れた風が周囲の木々を揺らす。

 静かな森の中で、否、静かだからこそか。

 圧倒的な威圧感を発する砕蜂の存在はひどく恐ろしい物に見えていた。

 

 人の気配がない森の中では静寂が五月蠅く耳に残る。

 今はその存在を強烈に感じるだけの条件が揃っており、無視することはできなかった。

 

 ふぅと溜息をついて夜一が首を振る。

 恐れた様子はなく、至っていつも通りといった顔つき。

 おどけるように肩をすくめた彼女は笑みさえ湛えていた。

 

 「やれやれ。久しぶりに会ったというのにつまらん態度じゃのう。憧れの先輩が帰ってきたのだからもう少し喜んでくれてもよいだろう。ソラの奴は泣いてくれたもんじゃが」

 「そうか」

 

 端的に答え、目を伏せる。そして一瞬の後に瞼が上げられた。

 砕蜂は自らの心を明かそうとはしない。

 

 「尽敵螫殺(じんてきしゃくせつ)――“雀蜂(すずめばち)”」

 

 そうして小さく呟いた時、砕蜂が握っていた斬魄刀が消え、右手に奇妙な物が装備されていた。籠手のような物が腕に纏わりつき、中指には蜂のそれを思わせる針がある。

 斬魄刀の力を十全に発揮させる形態、その第一段階であった。

 始解と呼ばれる形態を発動させて、砕蜂は改めて構えを見せて姿勢を変える。

 

 刀とは呼べぬ独特の武器だ。目的が斬撃ではなく徒手空拳にあると素早く見切る。

 それでなくとも見たことがあった。夜一はすでにその武器の力を知っており、非常に危険な物であることも知っている。今から遠い昔に知識を得たのだ。

 

 彼女は本気だった。

 本気で夜一を殺そうとしていて、確信を強めるかの如く殺意が膨れ上がる。

 

 「すでに知っているだろうが改めて説明しておこう。“雀蜂”の能力は弐撃決殺(にげきけっさつ)。一度目の攻撃で貴様の体に蜂紋華(ほうもんか)を刻み込み、蜂紋華を打てば二撃目で確実に命を奪う。死にたくなければ一撃も受けないことを勧めておく」

 「ああ、覚えているさ。わざわざ教えてくれるとはずいぶんやさしいのう」

 「そうでもしなければいつ終わってもおかしくない。遺言なら今の内に聞いておくが?」

 「ふぅむ、急にそう言われても何も思いつかんし……」

 「ただし」

 

 些細な仕草を見て、両脚にぐっと力が入ったのを見た。

 半ば本能的な反射で夜一は腰を落として警戒する。

 それを見ても砕蜂は態度を変えなかった。

 

 「その口で二度とソラを語るな。貴様の遺言があいつに届くことはない」

 「ほう……ま、予想はしておったがな」

 

 フッと、砕蜂の姿が掻き消えた。地面を蹴って移動しただけだが想像していたよりずっと速く、油断していたせいか、もはや目視では捉え切れないと気付く。

 夜一もまた素早くその場を移動した。

 

 鍛錬を終えた死神が操る歩法、瞬歩は今しがた見た通り、まるで消えたかのように移動できる。

 かつて夜一はその瞬歩を誰よりも得意とし、“瞬神”とまで呼ばれていた。ブランクはあるが回避は難しくないと思っていただろう。そしてそう思っても不思議でないほど卓越した技術と慣れを感じさせ、久方ぶりに使ったところでかつてと比べ遜色はないはずだった。

 

 惜しむらくは、砕蜂がそれ以上の地点へ到達していたというだけのこと。

 風邪を置き去りにする高速移動の最中、夜一は左頬に鋭い痛みが走ったのを知った。

 

 地面に着地して左頬に手を伸ばす。

 わずかだが皮膚が裂けて血が流れていた。一撃を受けている。その場所では自分の目で確認することはできないが、以前はなかったはずの文様が刻まれていると想像はできた。

 事実、彼女の頬には死の刻印、蜂紋華が刻まれている。

 これにもう一度攻撃を受ければ、抵抗する術もなく死に至らしめられるのだ。自然と表情は緊迫感を表して、余裕を見せている状況ではないと判断していた。

 

 砕蜂は数メートルの距離を置いて彼女の背後へ立つ。

 表情こそ冷ややかだが、目には隠し切れない憤怒がある。

 一度戦闘が始まってしまえば抑え込む術はない。今は隠しもせずに怒気が溢れていたようだ。

 

 「貴様が消えたあの日から、私は己を苛め抜いたよ。いつかこの手で殺してやろうと」

 「フッ、儂も衰えたかのう……まさか見えぬとは」

 「あいつはやさしいんだ、誰に対しても。貴様を勘違いさせてしまったかもしれない。だから私が教えてやろう。貴様の居場所はここにはないと」

 

 ゆらりと腕が上げられる。

 咄嗟に振り返り、気付いた夜一は即座に地面を蹴った。

 瞬歩を使い、目にも止まらぬ速さで空へ飛び出して、木の枝を使ってさらに遠くへ跳ぼうとしたらしい。だが気付いた時には背後に砕蜂が居て、すでに腕を振りかぶっていた。

 目視で気付いた夜一は考える間もなく背をのけ反らせた。

 

 「ソラは私が守る。もう二度と、貴様の顔を見せる気はない」

 

 右腕による鋭い突きが繰り出された。中指に装着された針が右頬の蜂紋華を狙い、背が反らされたことで夜一の顔に触れることはできず、攻撃は空を切る。

 

 ひとまず即死は免れた。しかし安堵はできない。

 木の枝を蹴った夜一が跳べば、即座に砕蜂も続いて追い縋る。

 どうやら逃げることはできなさそうだと判断して、思わず夜一は舌を打った。

 

 速度はほぼ互角か、或いは砕蜂に分がある様子。

 かつてとはあまりにも違う速度が夜一の平静を乱しかけ、心を律して平静を保つも、それがいつまで保てるかは定かではない。それほど追い詰められていたようだ。

 砕蜂の攻撃は二度受ければ即死する。加えて、その速度は“瞬神”夜一を確実に捉えていた。

 かつてとは違う姿には驚きを隠せずに、瞬歩の最中に視線が合う光景が信じられないのである。

 

 「くっ……速くなったな、砕蜂。見違えるようじゃ」

 「当然だ。貴様を超えようと必死だったからな」

 

 再び木の枝を蹴って跳ぶ。しかし完全に捕捉されていた。

 夜一は決して手を抜いていない。自らが出せる最高速度で距離を取ろうと走っているのに、砕蜂は焦るどころか涼しい顔で横に並んでくる。つかず離れず、敢えて見逃すような、いつでも攻撃できるぞという目で冷淡に焦る夜一を観察していた。

 

 その目の冷たさたるや、過去の姿を忘れてしまいそうなほど。

 よほど憎まれているらしい。夜一は苦笑し、一方胸の内では焦りが増していた。

 

 何度目かの瞬歩に入った瞬間、突然砕蜂が夜一へ躍りかかって攻撃へ出た。

 右手に装備した雀蜂が危険なのだ。夜一の注意は当然そこに向けられることになるのだが、そうだろうと知っているため、砕蜂は右手を構えながら冷静に敵を見ていた。

 

 警戒されていると知りながら右手を突き出す。その一撃は夜一に避けられ、空中で体勢を変えたことで再び空を切ってしまう。

 それでも砕蜂は慌てない。

 むしろそれを待っていたかのように、直後に夜一の腹へ左足による蹴りが突き刺さった。

 

 「ぐっ、ふっ……!?」

 「まだだ」

 

 痛みを受けて全身が硬直したことを機に、雀蜂で二撃目を狙う。

 それだけはまずいと知るため、夜一は左腕を犠牲に頬を守ろうとした。

 その瞬間、狙いを変えた雀蜂は軌道を変えて、すとんと彼女の胸に突き立てられた。

 

 まだ一撃目。だがそれ以前に針はそれ自体が攻撃力を持っている。

 針は胸に蜂紋華を刻むと同時に、彼女の柔肌を裂き、赤々とした血液を宙へ撒き散らした。すぐに抜かれて攻撃のため構えられ、咳き込む暇すら許さず、二撃目が放たれようとする。

 夜一は防御のため咄嗟に両手で胸と頬を守るのだが、砕蜂はそれを見た後で脚を切り裂いた。

 

 動きを見た後で攻撃を与えられている。それだけ二人の間に速度の差があるということだ。

 夜一は枝にぶつかりながら地面へ落ちて、やっとの想いで体勢を変え、着地する。

 

 そのダメージを無視することは不可能だった。

 一つ一つは些細な物でも、一撃受ける度に死の刻印が施されていく。

 現時点で体に刻まれた蜂紋華は三か所。守らなければならない場所が増えていた。

 すでに両手を犠牲に守れる数を超えており、尚且つ完璧に対応し切らない限り、この先も危険が増え続けるだけ。これには夜一も表情を歪めてしまった。

 

 彼女の前へ砕蜂が降りてくる。

 敢えて一度足を止め、刻まれた蜂紋華を眺める。左の頬、胸、左足の太股だ。

 確認した後、何かを想い出したのか、表情が変わって怒りが放出される。

 

 「自分で言うだけはある。やはり、衰えたな」

 「ハァ、ハァ……」

 「二撃目を警戒する判断力は見事。しかしそれだけだ。全盛期の貴様なら上手く攻撃をいなし、反撃に転ずることさえ可能だっただろうに。それが貴様の限界だ」

 「言ってくれるのう。悪いが儂はまだ死にたくない」

 

 些細な言葉だが砕蜂の眉が動いた。

 忌々しい。そんな感情をぶつけるかの如く、だが一方で感情を隠すようでもあり、不可解な様子のまま返答が出される。

 

 「ソラのことか? 心配するな、貴様が居なくても私が面倒を看る。今まで通りにな」

 「理由があった、と言っても無駄じゃろうなぁ」

 「今となってはどうでもいいことだ。貴様と私の絶対的な違いを言ってやろうか?」

 「違いか。速度か力か? それとも白打や鬼道とでも言うつもりか」

 「いや」

 

 砕蜂の姿勢が低くなり、飛び出すための力が全身に込められる。

 

 「ソラを泣かすか否かだ。私ならあいつを泣かせたりしない」

 「耳が痛いな」

 

 一瞬で砕蜂の姿が消える。

 直後、右の脇腹に痛みを感じ、視線を下ろした時には砕蜂が通り過ぎて切り裂いていた。

 また新たな蜂紋華が刻み込まれる。これで四か所。

 

 移動を終えた砕蜂は夜一の背後で無防備に背を見せていて、余裕を見せつけるかのようだ。わずかに振り返って確認するが反応している暇はない。

 自身の想像を遥かに超えて、状況は不利に傾いていた。

 この状況を力ずくで盛り返せると判断するほど馬鹿ではなく、夜一は冷静に思考しなければならないと考えており、そのためには一度体勢を整えるべきと判断する。

 

 敵から離れるため瞬歩へ入る。衰えたとはいえ、彼女の瞬歩は常人のそれを遥かに凌駕する。

 ただし、今対峙する敵はそれさえも超える速度を手にしていた。

 

 瞬歩へ入ってすぐ、常人には見えないはずの夜一の前へ砕蜂が現れた。

 進行方向に立ち塞がり、速度など物ともせず視線が合って、迎え撃つべく右手が掲げられる。このまま進めば体のどこかが貫かれるだろう。そう思うのは決して間違いではない。

 慌ててその場へ足を着き、地面を滑って削りながら体を止めた。

 

 体を止めることには成功した。だが今度は砕蜂の姿が見えなくなっている。

 ぞくりとした何かを感じ取るより先。

 背中を走った痛みで体が前へ転びかけた時、すでに後ろを取られているのだと理解した。

 

 数歩進んで、よろめいた体を足で支えると体勢を整える。

 即座に振り返れば砕蜂は静かな姿で動きを止めていた。まるで彼女を嘲笑うかのように。

 

 「うっ……ここまでとは」

 「これでわかっただろう。今の私ならいつでも貴様を殺せる」

 「どうやらそうらしい。じゃが、なぜそうしない?」

 「わからせてやるためさ。簡単になんて殺しはしない」

 

 そう言った時は少し、悲しそうな顔をしていた。

 攻撃する意思が感じられない。唐突に姿が変わって見えた。

 砕蜂はどこか物悲しげな顔で語り、抵抗せずに夜一はその呟きを聞く。

 

 「理由があると言ったな。そうなのだろう、貴様は理由があってここを離れた。我々に言うことができない何かだった。私も、そう結論付けた日があったさ」

 「それなら話を聞いてくれぬか。儂はおぬしと戦いたくはない」

 「だがそれも関係ない。貴様が消えた後、ソラがどうなったか知っているか?」

 

 その言葉を聞いては言い返すことができない。

 ぐっと歯を噛んだのがわかったのだろう。砕蜂は迷わず言い切った。

 

 「どんな理由であれ、あいつの下を去った貴様が、何も知らない貴様が軽々しく戻ってくるなど許さん。後悔しろ。ここが貴様の死に場所だ」

 「言うようになったな。流石隊長殿は違う」

 

 挑発するような一言が癇に障ったのか、砕蜂の姿が消えた。

 これで何度目かになる。

 やられっぱなしではいられず、夜一も瞬歩を使い、その場を移動しながら応対した。

 

 すでに蜂紋華が刻まれた場所は五つにまで増えている。増えれば増えるだけ死が近付き、不利になっていくはずだ。二撃目を受けてはならない蜂紋華は行動を制限する役目もあった。

 防御と攻撃。その両方を行う。

 そう決めて二人は接近した。

 

 砕蜂は右腕を振りかぶっていた。二撃目を考えているのは間違いない。

 一挙一動に注意する夜一は敢えて攻勢に出た。防御を考えては後手に回ってしまう。ならば先に攻撃を当て、行動を止めようという腹積もりだっただろう。

 雀蜂が振り下ろされる前に殴りつけようと拳を握る。

 その瞬間に砕蜂の左手が夜一の顔を殴り、驚きと衝撃で全身が硬直した。

 

 「がっ――!?」

 「隙だらけだな」

 

 次いで蹴りが一度、二度とやってきて腹や肩を打ち、彼女の体を叩き落とした。瞬歩の速度など一切意に介さず吹き飛ばして、夜一が地面へ叩きつけられて土煙が立つ。

 

 速度だけの人間ではない。

 一瞬の攻防で最善手を選べる判断力、実際に行動へ移せる身体能力、そして必殺の二撃目。

 地面に倒れ、思わず呻いた夜一は彼女の厄介さを今になって思い知った。

 

 「立て。まだ殺しはせんぞ」

 

 間近に砕蜂が立っていた。気付くのに一瞬遅れ、即座に夜一が起き上がり様に蹴りを放つ。

 地面へ両手を着いて体を跳ね上げ、長い脚がしなるように迫った。砕蜂はその動きを冷静に見極めており、夜一が動いた後になって動き出し、先に攻撃を当てる。

 腹に強かな蹴りが突き刺さって、体が軽く宙を舞う。

 受け身も取れず無様に草の生えた地面を転がった。

 

 「ゲホッ、ゴホッ……!」

 「立て」

 

 砕蜂は慌てず、歩いて近寄ってくる。

 対する夜一は焦りを抱いて立ち上がり、その場で姿勢を低く拳を構えた。

 

 徒手空拳においてはそこまで大きな差はない。そう思っていた。

 だが速度が違えば、互角の戦闘を演じることは難しい。

 自ら攻撃しようとした夜一だが、瞬歩を用いた砕蜂はあっさりその傍を通り抜け、通り過ぎる刹那に二度の攻撃を加える。どちらも雀蜂で皮膚を切り裂いていた。

 その結果、右手の甲と左の二の腕に蜂紋華が刻まれる。

 

 一方的な展開だった。

 絶句した夜一は思わず動きを止め、今しがた切り裂かれた両腕を眺める。

 彼女の瞬歩を見切ったつもりだった。それなのに姿を見ることさえ叶わず、攻撃を与えられてしまっている。やはり彼女の成長は夜一の想像を遥かに超えているらしい。

 

 今はまだ生かされているだけなのか。その気になれば即刻始末できるだろう。

 改めて思い知らされた夜一は緊迫した表情で砕蜂を見る。

 砕蜂は、ついに目の色を変える頃だった。

 

 「さぁどうする。このままでは蜂紋華が増えていくだけだぞ。このまま死ぬ気か?」

 「そうじゃなぁ……儂としてはやはり戦いたくないんじゃが」

 「その気がないならそれでいい。始末してやるだけだ」

 

 雀蜂に左手を添え、砕蜂は奇妙な動きを見せ始める。

 どこからともなく吹き荒れた風が腕に纏われていくのだ。

 

 「冥土の土産に見せてやろう。私が編み出した新たな戦法、白打と鬼道の融合だ」

 

 まるで風の鎧を身に纏うかのよう。

 周囲へ暴風が吹き荒れ、瞬時に夜一が表情を変える。

 脅威と見たか、或いは純粋な驚きか。些か違和感を感じる顔つきになっていた。

 そうとは気付かず、砕蜂は説明を続ける。

 

 「この技にまだ名前はない。先日完成したばかりだからな。だが急ごしらえと侮るな。完成したばかりでも、すでに貴様を倒すだけの力は――」

 「いや。名ならある」

 

 唐突に夜一が呟いた。耳にした砕蜂は眉を顰める。

 聞き捨てならない一言だ。

 あり得ないと思いつつ、彼女をよく知るからこそまさかと思って、人知れず冷や汗が流れる。

 

 「瞬閧(しゅんこう)、という。おぬしも刑戦装束を身に纏っているなら知っているじゃろう。装束には背と両肩に布が付いておらぬことを」

 「何を、言っている……」

 「付いていても無駄だからじゃ。完成されたこの技を使った時、肩と背の布は消し飛ぶ――!」

 

 夜一が横へ右腕を伸ばし、大きな動きを見せることなく奇妙な力を纏わせた。

 まるで雷。轟音と共に閃光が襲い掛かる。

 砕蜂はその姿を、目を離さずに見つめていた。

 

 瞬閧。そう名付けられたという技は、夜一の体に纏われて完成されていた。

 雷のようなエネルギーが背と両肩から立ち昇り、威圧感は以前の何倍にも膨れ上がって、まるで別人が立っているかのようにすら思える。

 それは砕蜂の物に似ていて、しかしその実別物であった。

 

 思わぬ驚愕を受け止めた後に、忌々しいと思う。

 いつも先を歩いている。悠々自適に暮らすくせに、置いて行ったくせに、まだ届かない。

 

 悔しげに歯噛みした砕蜂は言葉を失い、ただ握り締めた拳に力を込めた。

 

 「よくぞ己が鍛錬のみで辿り着いた。誇ってよいぞ」

 「貴様……! まだ私を愚弄するかッ!」

 

 穏やかな顔つきに変わって、ふとした瞬間に夜一が告げる。

 褒め称えるように見せて侮辱する言葉ではないか。少なくとも砕蜂はそう思う。

 怒りに身を任せて瞬歩を使い、正面から夜一へ接近した。

 

 もう長引かせない。風を纏わせた雀蜂で胸を貫いてやろうと決める。

 しかし駆ける砕蜂へそっと寄り添った夜一が、彼女の風をやさしく解いて、手を握る。外からの力で瞬閧を解除させる術には驚嘆するほどの技術があるものの、些細なことのように感じさせるほどの静けさ。その一瞬にこそ夜一の実力が集約されていた。

 

 懐かしい感触と体温に気付き、手を握られた砕蜂は動揺する。

 自身の全力が子をあやすように受け流された瞬間だった。

 

 「じゃが、今はやめておけ。おまえにはまだ早い」

 

 攻撃をするでもなく、むしろ助けようとするかのように。

 声はひどくやさしくて、あの頃と何も変わっていないと思わされてしまって。

 

 砕蜂は体から力を抜いた。追撃を行おうとせず、握られた手を振り払おうともせず、その場で俯いてしまって行動を停止する。そのまま数秒動かなかった。

 これで終わったのか。戦意を失ったように思えて、彼女の姿を見て思う。

 ただ、これで終わればいいと思った時だった。

 

 「なぜ……」

 

 小さく呟き、顔を上げた砕蜂を目にした瞬間、予想だにしない空気の冷たさを知った。

 感じたのは巨大過ぎる怒りの念。

 数秒前の比ではない。辺り一帯の雰囲気が変わってしまい、一瞬で夜一の全身を包み込んで、歴戦の猛者たる彼女を恐怖させてしまっていた。

 彼女は確かに怯え、たった一歩とはいえ後ずさりしてしまったのだ。

 

 隙を衝いて手を振り払い、自由になった砕蜂は後方目指して跳ぶ。

 宙返りをして距離を取る最中、空中で空を見上げ、怒りに染まる声で小さく呟いていた。

 

 「なぜ貴様なんだ」

 

 軽やかに着地し、即座に真上へ跳ぶ。

 砕蜂は空中で右腕を伸ばすと、雀蜂の先に夜一を置いた。

 まるで照準を定めるようだ、と思ったのは間違いではなかったか。その姿は変貌する。

 

 「卍解――」

 

 右腕に装備されていた雀蜂は巨大化して、形すら変わっている。ただの針でしかなかったそれが今や砲弾を打ち出す砲台だ。砕蜂が覗き込む照準器も付いており、自らの顔を守る盾もある。一撃必殺に秀でた武器が右腕に装備されていた。

 

 もはや二撃も必要ない。一撃で一帯ごと消し飛ばす。

 そう決めた彼女の表情に迷いはなく、恐怖を感じた夜一は移動さえ叶わない。

 

 圧倒的な威圧感から、もうだめか、とさえ思った一瞬。

 

 「雀蜂雷公鞭(じゃくほうらいこうべん)――!」

 「砕蜂様っ!!」

 

 彼の声が聞こえた。

 

 砕蜂と夜一の目が同時にそちらを向いていて、息を切らすソラの姿を見つける。

 背後には砕蜂の部下、刑軍の姿。彼らが連れてきたらしい。

 

 一瞬で砲台が消えてしまって、斬魄刀が地に落ちる。回収するだけの余裕もなかった。

 焦りを見せた砕蜂は刑軍へ向かって叫ぶ。

 彼らにはソラを近付けないよう言ったはずだ。全てはこの場を見られては困るため。夜一殺害の現場を見ることは彼の精神にとって良い影響を与えないと思っていた。

 見られてしまった以上、継続するのは不可能であった。

 

 「刑軍! なぜソラを連れてきた!」

 「も、申し訳ありません。ソラ様がどうしてもと……」

 「馬鹿者が……! これでは、奴を――」

 

 言葉にしている姿さえ見せたくないのか、口を噤んでそれ以上言えない。ソラを見る砕蜂は悔しげな顔であり、見るからに焦っている表情でもある。

 ソラ自身も動揺を隠せず、今しがた見た光景が信じられなかった。

 

 雀蜂雷公鞭。

 それは、砕蜂にとっての必殺でありながら、矜持に反するとして使いたがらない能力。一撃を受ければ敵は身を滅ぼし、回復する暇さえ許さない破壊力を持つ。

 知識としては理解していた。それだけに自然と胸の鼓動が速くなる。

 砕蜂は本気で夜一を殺そうとしていた。

 

 もう少し遅ければただでは済まなかっただろう。

 或いは、向かっていた自分たち諸共消し飛ばされてしまう可能性もあった。

 

 間に合ってよかったと心から思う。そんな予感はしていたのだ。

 運んでもらったというのに焦りからか呼吸が乱れ、必死に落ち着けようとしても難しく。

 結局ソラは落ち着かぬまま話し始める。

 二人を止めたい、その一心で。

 

 「もうやめましょう、砕蜂様。お二人が争うなんて嫌です」

 「だが……」

 「ボクは、お二人のどちらが居なくなっても悲しいです。だから」

 

 必死の形相を見てしまうと、ぐうの音も出なくなる。

 こうなるとわかっているから見せたくはなかった。ソラに懇願されて断れた試しがない。様々な想いがあるからこそ、涙に濡れる目を無視できるはずもないだろう。

 

 唇を噛んで苦悩し、頭を振って溜息をつく。

 彼の目の前で始末することだけは不可能だった。

 

 「ハァ……わかった。おまえがそう言うなら」

 「あ、ありがとうございます」

 「ふぅ~、やれやれじゃな。色々あったがまぁとにかくこれで」

 「ただしソラを任せられるかどうかは否だ。変わらず私が世話をする。あなたのやったことをお忘れなきよう。指一本触れられるとは思わないで頂きたい、夜一様」

 「何ぃ?」

 「当然の報いです。音沙汰もなく何年経ったとお思いですか」

 「ぬぐっ」

 

 戸惑いはあるが、かつてのように話し始める。上手くできたかわからないとはいえ、砕蜂が夜一へ向ける眼差しは確かに変わったらしく、辺りの空気は緩んでいった。

 それからソラが頬を緩め、心底嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

 やはり自身が敬愛する二人は仲良しな方がいい。かつてを知るからそう思った。

 完全ではないが雪解けの兆候が見え、やっと過去を取り戻せる気がして、彼は心から喜んだ。

 

 ソラ本人は本心を告げてよかったと思っていた。ただそれだけなのだろう。

 周囲で見ていた者は、果たしてそれだけだと思っていただろうか。

 自身の怒りが徐々に消えていったこと。発射寸前だった砲台が彼女の精神に影響され、正しい行程を取らず瞬時に消えてしまったこと。不思議な事象はいくつかある。

 漠然と脳裏に浮かんだのは、以前マユリに聞かされた言葉だ。

 

 不意に考えようとして、しかしそれらの理由を考える暇すらないらしい。

 砕蜂はソラに抱き着こうとする夜一から彼を守るため瞬歩を使い、素早く抱き上げ、遠ざける。子供っぽく感情を露わにする夜一を見やり、怒った顔で取り上げたのだ。

 それは以前とは違う形であって、また昔のように戻れそうだと感じさせる光景だった。

 

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