俺たちはしばらく、モンドに留まることになった。
元々あちこち移動していたとはいえ、友達も居ることだし、それほど大きな変化はない。それでも町を出て仕事をすることはあって、主にヒルチャールという魔物を退治したり、離れた場所に届け物をしたりしながら過ごしている。
そう決めたのはジンさんの要求があったからだ。
あれの後、ジンさんはそれまでと比べるまでも無いほど元気になり、活力に溢れ、日頃から接している人々から驚愕されるほどの変化があった。
その原因が俺たち(というより俺なんだけど)と知られると、「一体どんな手を使ったんだ」と色々な人から聞かれる始末。だけどあの時の状況を言えるはずもなく、「久々に会えて嬉しかったんじゃないですか?」なんて適当な言い訳を繰り返す日々だった。
仕事でよっぽど遠くまで行かない限り、俺たちは毎日ジンさんのところへ行く。ジンさんから直接仕事を任されているから、周りの人たちに違和感を持たれてはいないらしい。栄誉騎士という特別な立場も良い方向に働いていたみたいで、誰にも気付かれることはなかった。
仕事でよっぽど遠くへ行かない限り、俺は毎日のように、ジンさんへ唾液を飲ませた。
ジンさんはそれだけで元気と活力を取り戻し、仕事の効率が良くなっているようだから自分でも驚いてしまう。
もしや俺の体で作られている何か不思議な成分が、ジンさんを元気にしているのでは?
そう考えることもあったけど、半ばやけくそで、捌け口みたいにパイモンにキスをしてみても別に元気にはならないし、むしろぐったりしてしまうので違ったらしい。少し残念。
自分が何をしているのか、一応、わかっているつもりだ。
でも考えていたってどうしようもないことはあるんだし、これがジンさんのためになるならむしろ良いことをしているはずだ。そう思って深く考えないようにしていた。
俺は今、ジンさんのためになることを、ひいてはモンドのためになることをしているんだ。なんてえらい人なんだろう。
「旅人、それは現実逃避って言うんじゃ……」
パイモンの黙らせ方は心得ていた。
いつものようにしてやると体をよじらせて、くねらせて、最初は抵抗していたけど徐々に動かなくなっていって、最後にはびくびくするだけになる。
そうなると自分で飛ぶことすらできなくなるけど、軽いから胸に抱いて運んでやればいい。今日もそうして黙らせてやった。
気付けばここ数日、俺たちの生活は安定していて、同じようなことを繰り返している。夜には宿に泊まり、朝になるとジンさんのところへ向かう。およそ旅人らしくない生活をしていた。
任務を受け取って外へ出て、その日の内に終わるならまたジンさんのところへ行く。
朝と夕方、場合によっては昼間も挟んで、二回か三回は唾液を飲ませる。少なくとも一回は必ずだろうか。あまり遠くへ行く仕事は任されなくなったし、早く帰ってくるようにと言いつけられるから素直に従っていた。
こんな生活がいつまで続くんだろう。
そう思っていたからか、変化は突然やってきた。
それは朝、いつものようにジンさんの執務室に行った時だ。
「指を舐めさせてほしい」
何ですか?
「君の指を舐めさせてほしいんだ」
驚くべきことに俺はあまり驚いてはいなかった。唐突なジンさんの発言に、なるほど、と素直に納得しようとしていたのだ。
しかし考えてもみてほしい。跪いて待ち構えるジンさんの舌へ、俺の舌から唾液を垂らして飲ませるという行為に慣れた今、俺の指を舐めさせてほしいという発言は、果たして驚くほどの衝撃を持っているだろうか?
いや、冷静になった。やっぱりすごいことを言ってる。どうしたんだジンさん。
「その、前々から気になってはいたんだが、唾液を飲ませてもらっている関係上、あまり求め過ぎるのもどうかと思い、言えなかったんだ……」
そうですか。衝撃度では負けますけどね。
そこが真面目なジンさんらしいと言うべきか、唾液を飲ませてもらっているのにこの上指まで舐めさせてもらうのは傲慢だ、とでも考えていたのかもしれない。安心してほしい。もうそんな段階は越えてしまっている。すでに俺は大したことじゃないと驚かなくなっていた。
「なんだ、指くらい。旅人、舐めさせてあげろよ。唾液を飲ませるのに比べたらちっともいやらしいことじゃないぞ」
この能天気な妖精はなぜ深く考えずにそんなことが言えるのだろう。新しい復讐の方法を考えなければいけないかもしれない。口に指を突っ込んでやる。
「やっぱり、だめか? 最近、君に頼り過ぎていることは自覚している。今までにこれほど良くしてもらっていながらそれ以上を望むのはいけないことだとわかっている。しかし私にはモンドを守る責任がある。そのためには、君の協力が必要なんだ」
「わかってるぞ、ジン! 旅人の指を舐めれば元気になって、モンドを守れるんだよな?」
「ああ、その通りだ」
「旅人、舐めさせてやれよ。それだけでジンが元気になるんだ。ジンが元気になれば、モンドのみんなは安心するんだ。良いことばっかりだぞ」
ああ、俺の指がめちゃくちゃにされる以外はね。
何の話をしているんだろう。長く旅をしているけどこんな会話は聞いたことがない。
ほんの少し、ヒルチャールより怖いと思ってしまった。
あと、ジンさんは真面目だけど、最近ちょっと、モンドのためと言えば俺が従うとわかっているんじゃないかと疑ってしまう。もちろん生真面目な彼女がそんな打算的な考えで話すはずがなく、俺の邪推か、彼女の天然さがそう思わせてしまったのかもしれない。もしくは俺の思考が破壊されつつあるのか。なんだかもうよくわからない。
「その……」
「旅人……」
ジンさんはともかく、パイモンまで不安そうに見つめてくる。
そんな目で見つめられて断れるほど俺は強くない。
仕方なく承諾する。ジンさんとパイモンがわっと声を上げて喜んだ。なんだか俺だけ仲間外れな気がして複雑だ。
じゃあ、早速。
そう言っていそいそとジンさんが近付いてくる。パイモンもなぜか興奮した面持ちでその光景を見ようと俺の肩口から前のめりに顔を出してきた。
「モンドとジンのためだぞ。頑張れ旅人」
何を頑張ればいいんだろう。深く考えないことにする。
ジンさんはすでに俺が差し出した右手に触れていて、大事そうに握ると、興奮した顔を恐る恐る近付けてくる。そして少しだけ口を開けた。
人差し指の先っぽに唇を当てて、まるでキスをするみたいにぐっと押しつけてくる。柔らかい感触で思わずドキドキした。考えてみればこれほどの美人が顔を赤くして俺を見つめているのだ。他人が知れば羨むことは間違いない。ましてや、指先にキスをされては尚更。
ちゅっ、ちゅっと何度か繰り返し音を立てる。熱中している様子のジンさんは基本的に俺の手を凝視しているんだけど、時々俺の顔を見つめてくる。手を大切そうに両手で握られていて、まるで大切な物を奪われまいとする子供みたいだった。
正直に言うと、これは素直に嬉しい。唾液を飲ませるのは変態的というか、常軌を逸してる感があって戸惑いを隠せなかった。でもこれは、なんというか、変態的ではあるんだけどいつも凛としているジンさんが少女のように見えて、俺を見つめてくる顔が可愛らしいと思った。
自他共に厳しいことは有名で、怖いと言う人だって居る。なのに今は全く違う。この姿を俺しか知らないのだとしたら、こんなにも嬉しいことはない。
ジンさんが俺の指先を口に入れて、舌の上に乗せた。ちろちろと動かして、唇をすぼめて弱く吸いついてくる。遊ぶようで、確かめるようで、俺の反応を窺っていた。
どんな顔をしていればいいかはわからないけど、案外気分は悪くない。唾液を飲ませてる時に比べてずっと安心しているのは自分でもわかった。
「んっ、ふむぅ、んちゅ……あむっ、ふはぁ」
「お、おぉぉ……これは、思ってたよりもエロいぞ」
パイモンに同意する。しかし、エロい。
ただ指を舐められているだけなのだけれど、なんというか、見ているこっちがむずむずするほどのいやらしさを感じていた。子供がするような仕草とはまるで違う。
ねっとりと執拗に、丹念に舌が絡められていて、唾液が塗りたくられる。不思議とそれを嫌なものだとは思えない。温かくて柔らかくて、まるで生き物みたいだ。時折口の中に吸い込まれるみたいに奥まで入れられて、じゅるじゅると強く吸われる。
人差し指だけでなく、中指、薬指、小指まで順に行くと親指に移動する。優しくべろべろと舐められて濡らされた後、掌にまで舌が這っていった。
これが本当にあのジンさんなのか。顔を見ていても疑問に思う。
ジンさんは幸せそうな表情で、俺が見ていることに気付かないほど熱中している。
掌だけじゃなく手の全体を舐めようとしていて、抵抗せずにいると、手の甲まで右手全体に満遍なく舌で唾液を塗られた。
「はぁ、ふぅ……こっちも」
流石に手首までは来なかったけど、右手が終わるとすぐに左手が取られた。俺が許可を出すよりも早く手の甲にキスをして、また指先を口に含んでちゅーちゅー吸い始める。
指の一本ずつ、掌も甲も満遍なく、触れていない場所がないほど細やかな仕事だった。こんな状況だけど、ミスがないことにジンさんらしさを感じる。
ねっとりと温かく、優しくて、当然のように魅入られる時間だ。
ちゅっと指先から唇を離した時、ジンさんは潤んだ目で俺を見ていた。
今やすっかり見慣れた、頬を赤らめて物欲しそうな、まだ足りないと言うかのような表情。俺は俺で褒められた状態ではないわけで、こういう時、どうしていればいいかわからない。
「う、うー……なんか、すごいぞ?」
パイモンも俺たちみたいにもじもじしていた。
この空間は何だろう。
する人、される人、見てるだけの妖精と、違いはあるけどみんな揃って興奮していて、その興奮をどうしたらいいんだろうと困ってる。
こういう時、やっぱりというか、動き出すのはジンさんで。きっかけになってるのがいつも彼女なんだから当たり前なんだけど、今日もそれは変わらなかった。
「だ、唾液を、飲ませてくれないか?」
やっぱりそうきた。流石に何度も経験していると俺は驚いていなかった。
少し考える。そりゃ、俺にだって性欲はあるわけで、このもどかしさとか、溜まりに溜まって発散したくて堪らない何かをどうにかしたい気持ちはある。でも、今までジンさんと一緒に居て、他の人が知らないだろう姿を見てきて、色々と考えることもあるわけで。
根拠とか推測とか何もない、ほんの思いつきでしかないが、試しに俺は断ってみた。ジンさんがしたいと、してほしいと言っているそれを敢えて取り上げてみた。
ジンさんのついでにパイモンまで驚いて、しばらく沈黙することになった。
誰も何も言わない中、異様な空気が流れていて、パイモンはどうすればいいかわからずにただおろおろしているだけだったのだが、ジンさんは少し様子が違った。
多分、俺が怒っているとか、嫌がっているとか、そんなことは思っていないんじゃないか。そんな予想をしている。ジンさんは俺の顔をじっと見つめていて、寂しげで、落ち着きがなくそわそわしていて、ちっとも我慢できていないんだけど黙っている。唇をきゅっと結んで、しばらく黙っているとどんどん目が潤んできたけど、それでも待っている。
おそらく、俺がいいと言うのを待ってるんじゃないだろうか。
それが良いことなのか悪いことなのかわからないけど、多分俺が良いと言うまで待っていそうな意思の強さを感じるし、だからといって強行するわけでもないのがジンさんらしさなのだと、彼女の知らなかった一面を見てきたことで今はそう思う。
彼女のことをわかってきた気がする。だけどやっぱり折れるのは俺だ。
いつまで見つめ合っていても耐えそうな根気を感じるので、いいですよ、と一言告げる。
途端にジンさんはパッと笑顔になって、まるで好物を前にして我慢していた犬が、食べていいと言われた途端に尻尾を振るみたいに、いそいそと俺の前で跪いた。
いけないことをしている自覚しかないが、乗りかかった船だ。俺も一応付き合う。
大きく口を開けて、舌を伸ばして待つジンさんを見下ろして、伸ばした舌の先から溜めた唾液を垂らす。ゆっくりとそれが受け止められて、彼女の口の中に消えていった。
一般的に見て変態的な行動をしているのだろうと思いながらも、それでジンさんが喜んでいるのは間違いない。俺が与えた唾液を飲んだ彼女はすぐに次を欲しがって、恥ずかしがる素振りも見せずにべっと出した舌を見せてきて、俺が自分の口の中に唾液を溜めている間、少しだけ息を乱しながら懇願するように俺を見つめていた。
本当に、何をやってるんだろうと思いながら、俺はまた次を与える。
「んんっ、ふむっ……ぷはっ」
「ふわぁー……」
パイモンもすっかり見慣れたはずだが、いまだに感心した様子で見つめている。
俺たちのことをどう思っているんだろう。いつも一緒に居るけど触れない話題もあるもので、最近は当たり前になりつつあるから敢えてこれについて話すことはない。
まあ、パイモンを捕まえて無理に口を塞いだりとか、今までに散々そういうこともしてるから今更ではあるんだけど。あれはあれで結構やばいことだ。
「ふぅ、んん、あぁむっ……」
何度か繰り返して、ようやくジンさんが満足した後、目の前で立ち上がった。
なぜか俺の手を握っていて、にこりと笑いかけられる。
こんな笑顔も、こうなる以前は見なかった。前よりも柔らかくて、情を感じて、嬉しいんだけど直前の行動を思い出すと多少罪悪感なんかもある。
「ありがとう。君のおかげでまた頑張れる」
「やったな旅人! またジンの役に立ったぞ!」
褒められているのか、喜んでいいのか。
嘆息した俺は思考を放棄することにした。
あまり考え過ぎない方がいい。特にこういう非日常的な出来事は。近頃日常と化しつつあることには不安を覚えるとはいえ、考え過ぎると碌な思考にはならない。
とにかく俺は、ジンさんを助けていることには間違いないのだ。
仕事の効率が上がっていることは本人にも周りの人からも言われることだし、すごい変態的な行動を除けば、今まで通りジンさんの仕事を手伝っているだけ。
なんだ、悩む必要なんてないじゃないか。
俺の右手の人差指を口に含むジンさんを見ながら、はははと笑った。
「ジン、なんだか赤ちゃんみたいだな」
「そ、そうか? こうしていると、なぜか落ち着くんだ……」
「ふーん。オイラもやってみると落ち着くのかなぁ?」
安心しろ、あとでやってやる。オエッてなるかもしれないけどそれも経験だ。
「なぁジン、他にやってほしいことはあるか?」
やめなさいパイモン。また何かよからぬ要求をされるんだから。
それを証明するわけじゃないけど、ジンさんが俺の手を飲み込もうとするかのように口に入れて甘噛みしている。ちょっと怖い。
「むぐっ……そうだな。他にしてほしいことは……」
俺の手を口から出したのはいいけど、掌に舌を這わせながら顔をじっくり見つめられる。
ジンさんは恥じらうように笑って、何かを思いついた様子だった。
「できれば、その……わ、私を、ビンタしてほしいんだ。思いっきり……」
「ほ、本気なのか? 旅人! やっぱりジンはおかしくなってるぞ!」
うん、わかってる。というより今までもずっと思ってた。
どうやらジンさんは本気のようで、両手で捕まえた俺の手を愛おしそうに撫でていて、そのまま自分の頬に運ぶ。そこを叩けと言いたいらしい。
流石にそれは気が引けるんだけど、期待する目で見つめられるのが心苦しい。
俺はパイモンと目を合わせる。流石にこればっかりは応援されなかった。