正直なところエロって感じでもないです。
雰囲気重視。
カタカタと無機質な音が響き、暗い室内では、パソコンによって灯されたわずかな明かりしか存在しなかった。
ひどくこじんまりとした、六畳ほどの部屋である。
コンクリートが打ちっぱなしの壁で、パソコンをはじめとした機械が山のように積み重なり、移動できるスペースがごくわずかに制限された狭い空間。
その中に一人、無心でキーボードを叩いている男がいた。
音を立てる指の動きは素早く、画面は次々に映す物を変え、次から次に様々な光景を映し出す。
時にはどこかのカメラが映した映像、音声、顔。或いはプログラムが羅列されたページ、0と1とで作られた世界。広大なネットの世界からわずかに切り取られたほんの一部分が、彼の前に現れては消え、また現れて消えていく。
開かれたままで瞬きすらしない目はじっと画面を見つめたまま。表情は変わらず、無機質に指だけを動かし続ける。
取り残された世界。外界とは隔絶された、それでいて外界を監視し続ける奇妙な空間だ。
彼は自身を、観察者だと呼ぶ。当人にはならずにいかなる問題も外から眺め見て、決して手を下すことはなく、ただ外側に座り続ける。
目的は観察。人間たちの生涯を、生命とは何かを見続ける。
驚くほど広いネットの世界を駆け巡り、答えを欲するでもなく、情報を集めては自分で呑みこみ、また次を求める。
ただの変人にしては卓越した技術と実行力だろう。彼は時が経つことも気にせず、関心を持たず、孤独な空間の主であり続けた。
すべては、観察のため。
その孤独な空間に来客が来たのは初めてのことで、彼の協力もなくその場所を引き当てた彼女に、思わず笑みが抑えられなかったようだ。
「いい趣味をしてるわね。覗き見は楽しい?」
「さて、楽しいかと問われれば、果たして本当に楽しいのかどうか。いやそもそも、楽しみを求めて始めたことだったのかそれすらも疑問だ。今はただ結果だけが残っている。私は実行者ではなく、観察者なのだと」
「なるほど、観察者……確かにあなたにふさわしい呼び名かもしれないわね。悪趣味なのは変わらないけど」
唯一の出入り口に立った、妙齢の女性。
薄紫の髪の色に特徴的な髪型を持ち、瞳が赤く、上着としてレザーのジャケットを羽織っているが胸から下半身にかけて纏った服は露出度も高い物。
どこか不思議な雰囲気を持った人物である。物々しいとも言え、達観しているようでもあり、若く見える外見とは裏腹に妙な落ち着きを感じる。
くすりと、声が洩れた。
どちらが笑ったのやら、暗い部屋の中では判別もつかない。なにより、男は女性に背を向けるようにイスへ座っていた。
互いに顔を見せ合うこともなく、女性はイスの背もたれに向かって話すこととなる。
「ここ一ヶ月ほどかしら。公安九課が関わる事件には必ず不正なハッキングがついて回っていた。監視カメラやパソコン、義体を操ったことすらあったわね。まるで私たちを手助けするかのように、どの現場においても不可思議な出来事が起こった」
「本来ならルール違反な行為だ。私はあくまで観察者、誰かに味方することも敵対することも許されない。自分自身で許していない。ただし君たちが関わった案件だけは別だった。君たちが追い、逮捕した男はかつての私の仲間。友人、と言ってもいい。とにかく近しい間柄だった」
「だから友人が犯罪に手を染めるのは許せなかったと?」
「どちらかと言えば許せなかったのは私の技術が使われていたことだ。彼とはもう何年も連絡を取っていないし、別にどうなろうと彼の人生だ。文句を点ける気はない。だが私の技術を使って犯罪を犯すのならば、また少し話は変わってくる」
「あなたが許せなかったのは何? 自分のハッキング技術が悪用されたこと? それとも自分の技術が使われたのに犯人が捕まってしまったことかしら」
「答えを出すならばおそらく後者だ。私は今日まで自分の技術に自信を持っていたし、おそらく犯罪を犯したのが彼でなく私だったのなら、もっと巧妙に事態を推し進めただろう。もっとも、君たちが相手では遠からず同じ境遇となっていたのだろうが」
「あら、あっさり諦めるのね。それだけ自信があるなら私たちを出しぬくくらいの気概があるかと思ったけど」
しゃがれた声が耳に残る。
腰に手を当てて立っていた女性はぐるりと部屋を見回し、大量に積まれたパソコン、何かの機械、まるで情報の要塞のようなそれを確認した。
その後腕を組んで近くの山に背を預け、再びイスへ目を向ける。
「技術は完成されている。だがそれだけに進歩はない。言いかえればすでに限界を知っているということだ。私なら君たちの目から逃れ、発見を遅らせることはできても逃げ切ることなどできはしない。見つかる前に脳を焼き切るというなら話は別だがね」
「あなたが彼と同じ道を辿らなかったのは、すでに限界を知っていたから? 捕まるのが怖い、なんてタマじゃなさそうよね。観察者になった理由も同じかしら」
「先の問いに対してはイエスと言えるだろう。私は自分の技術の、いや、自分自身の限界を知っている。無謀な挑戦に挑みたくなるほど血気盛んではない。捕まるのが怖いかという問いに対しては、わからないとだけ言えるだろう。考えてみたことすらない問題だ。そして最後の問いに対してだが、こちらもイエスだ。完成された技術と自らの限界に到達した私は、あらゆる物に興味を失った。進歩のための次の一歩が見えなくなったからだ。だが前に進むことをやめれば人間の脳は腐り、思考そのものがなくなってしまう。何かにすがる必要があった」
「それで外部の情報で脳に刺激を与え、観察者となった。人間のままで生きるために」
「正解だ。今や技術の進歩は望めずとも、物を見、食べ、嗅ぎ、触って、聞くことによって自らの感性を働かせることはできる。言わば私が観察者となった理由は、私自身を生かすためだ。手に入れた情報そのものに興味はなく、これを使って悪事を働くことにも興味はない」
「残念な人ね。ただ見ているだけでは生きることはできても変化を得ることはできない。それでは死んでいるのも同じだと思うけど。あなたの技術が泣いてるわ」
「技術は無生物だ、泣きはしないさ。そのための器官も感情も持ち合わせてはいない。これがロボットならば別だろうが」
「先の問いに対しては?」
「君の言う通りだ。私は生き続けているが心は死んだも同然。故に、観察者なのだ。観察するだけでは心を動かさない。ただあるがままを見、事実を受け止める。ただそれだけの生物となった」
ふぅ、と一息つき、イスの背もたれがぎしりと揺れる。
「私に何の用だね。友人について聞きに来たか」
「いいえ、少し話がしたくて。私たちを覗き見している人間がどんな人物かが気になったの」
「私は何も知らないよ、草薙素子くん。私は君たちを何も知らない」
その言葉を聞いて女性、草薙素子は微笑みを浮かべた。
「君たちの行動は見ていた。いかにして友人を調べ、足取りを探し、追い詰め、逮捕したのかを。さらに言えばそれ以前から、公安九課の存在は知っていた。だがそれだけだ。私は君たちの行動を見、眺め、知っていたに過ぎない。それを真に理解と言えるならば私は君たちを知っていることにもなろうが、そうとは思わんだろう」
「謙虚ね。それが観察者としての美徳?」
「私のこだわりだ。情報は正しく整理し、理解しなければならない。傲慢、不遜、結構だが、私とは相いれないものだからな」
「それで私たちの動向を見守って、どんなことを感じたの? あれだけ綿密に見ていたのだから、何も思わないわけではないでしょう」
「何も思わないわけではない。が、実はあの頃にも他の場所を同時に見ていた。君たちだけ見続けていたわけではないのだ」
「なるほど。予想以上に器用なようね。それもこの死骸の山のおかげ?」
「彼らは私の血となり、肉となってくれた。だからこそ今日の技術が完成している。そう言う意味では、彼らのおかげとも言えるが、実際に使ったのはこの一台のパソコンと私の義体、それだけだ」
ギィ、と小さな音を立て、イスがくるりと回転した。
ようやくその姿を目にすることができたのだが、想像よりもずいぶんと小さく、耳にしていたしゃがれた声を嘘のように思えるほど。
男はまだ子供だった。十歳程度の小さな体躯に、白いシャツ、半ズボン、裸足が床にも届かないほど。
イスの上に座る小さな人影を目にし、素子はほんのわずかだけ表情を変えた。
「子供……それがあなたの技術の結晶というわけ」
「なに、外見はなんでもいい。ただ私が義体化したのがこの年齢だったというだけ。それから幾度も体を変えたが、成長しようとは思わなかった。体を機械にしたあの日から、私の心は少しも成長していないのでな」
「なぜハッキング技術を? それもその体になった頃から考えついたの?」
「最初はただ、単純な理由だった。事故で皮膚のすべてが火傷でただれた後、私は生命維持のために機械の体を手に入れた。だが生き残ったところで両親もまた重体、しかも体の状態が悪く義体化も難しかったらしい。手を施せば、それだけで死に至らしめられる状態だ」
「手術に耐えられなかったのね」
「私は両親をガラス越しに見ることしかできなかった。父親の固い手を握ることもできず、母親の柔らかな胸に抱かれることもない。一人ぼっちになってしまった。一度もそんなことを望んだことはないのに」
少年はわずかに俯き、同時に首の辺りへ触れるとカチリと音が鳴った。何かスイッチが変わるかのように。
俯いたままでまた言葉が聞こえてくるのだが、今度は老人じみたしゃがれた声ではなく、まさしく十代の少年のような高くて張りのある声が聞こえた。
素子の表情は変わらず、じっと動きを止めたままで少年の言葉を耳にする。
不思議と声が変わっただけで話し方まで変わってしまったようだ。
「最初にハッキングのことが頭に浮かんだのは、両親に触れたいその一心だった。幸運にもぼくはパソコンばかり弄っていた子供だったし、父親がプログラマーで色々な技術を教えてくれていた。問題なのはハッキングをどうやってやればいいのかを知るだけ。厳重に鍵をかけられた扉を開けるための技術が必要だった」
「面会謝絶の両親に会うためハッキングを、ね。あまり普通の子供とは言えないわ」
「子供は自分に正直だよ。正直で素直で、時に残酷で、すでに理解していることをわからないふりで気付くまいとする。ぼくもそうだった」
「両親はすでに手遅れだった。直す手立てなどなかった」
「その通り。ぼくが焼かれたのは表面だけだったけど、両親は内臓まで焼かれていた。肺や胃や心臓、至るところがだめになっていて、義体化が勧められないのもそのせい。手術の間呼吸が続かないし、何より脳にまで影響が出ていた。電脳化をしたところで記憶障害は免れなかったらしい」
「それを知ってて、いえ、知っていたからこそ、あなたは両親の肌に触れたかった。焼けただれていても、自分を産んだ唯一の肉親だから……そういうことね」
「そう、正解。だけど結局、両親が息絶えるまでに技術は完成しなかった。それでも数日持った方だけど、それも奇跡だったらしい。ぼくは最後まで両親に触れることができなかった。と言っても、ぼく自身がすでに義体化した後だったから、触れたとしても意味があったのかはわからないけど」
義体。少年の体は機械でできていた。
目を開けたまま瞬きせずとも痛みを感じることはなく、なんなら目を開けたまま眠ることだってできる。機械でできた眼球に潤いなど必要がないためだ。
指を動かすのも、足をぶらぶらさせるのも問題はない。すでに義体化を終え、生まれ持った脳を機械で守っているおかげで。電脳から発せられる信号が義体を操り、肉の体同様に操れる。否、義体性能から考えるに、便利さだけで言えば肉体のそれより遥かに凄まじい運動能力すら誇る。
右手を見つめてグーパーと何度か掌を開いたり閉じたり、少年が顔を上げた。
無機質な顔、表情はない。けれど子供らしいと言える外見をしていることだけは確かだ。
「両親の死までには間に合わなかったけど、ぼくはハッキング技術の完成を目指した。これがおそらく、ぼくにとっての外部記憶になっていたのだろう」
「皮肉なものね。広大なネットの中で個を失わないための方法が、広大なネットに干渉するための技術だったなんて」
「それでも構わない。自分の肉体を失って、ぼくを唯一知る両親が死んでしまった後では、ぼくを証明するものは何もなくなってしまった。ぼくがぼくのまま存在するために必要だったのは親でも肉体でもない、生きる目的とぼくを証明するものだ。ぼくはぼくを守るため、自分のすべてを注ぎこんだハッキング技術を完成させた」
「そして自分の生にすら興味を失くし、観察者となった」
「目的は完成した技術を使うことではなく、完成させることそれ自体だった。もう両親が居る部屋の扉を開ける必要はない。彼らが亡くなってもうずいぶん経っていたのでな」
少年の口元が緩やかに上がる。
作ったような、それでいて自然な笑顔。
さほど変わったパーツを使った義体ではない。しかし様々な義体を見てきた素子にとっても、その小さな体はなぜか特別な何かを感じさせた。
「観察は存外、楽しいものだよ。人間の良いところも悪いところも見つけられる。これでもぼくは男の子だし、性的なものに興味もあった。ずいぶん楽しませてもらったしね」
「女の裸を見て興奮できた? 義体じゃ処理もできないでしょうに」
「しかし個を支えることはできる。人間は好みがあるものだ。これが好き、これが嫌い。そういうものが寄り集まって人格の形成や他の個体との違いが生まれる。ぼくはぼくを学び続けた。様々な物を見、学んで、ぼく自身の趣味趣向を知ることによって」
「性のお勉強もその一つというわけ」
「膨大な情報量の中ではごく一部さ。他にもたくさん見た。子供を作るところも、人間が産まれるところも。犯罪を犯す人間や、陰口を言い合う人間。正義感に溢れる人間だっていた。楽しんでいる人間、悲しんでいる人間。自殺や他殺、事故や事件も。時には動物だって見た。彼らも交配して子を残し、次の世代を作ってから死んでいく。世界はそうして出来あがっていた」
「あなたが情報を集めたのは自分という個を保存するため? それとも大衆を知って大衆になろうとしたのかしら」
「一人の人間が大衆になることはできない。出来たとしても、それは大衆の中に埋もれた個のなれの果てだ。ぼくは自分の個を守るため、ぼく以外の情報を集めた。ぼくとそれ以外とを分けるために」
「情報自体が自分を証明するための外部記憶。あなたも歪ね。苦労してそうだわ」
ふふふと小さく笑って、素子が肩をすくめる。冗談を言うような態度だった。
「その情報の中に私たちがいたのね」
「攻性の捜査を行う機関、攻殻機動隊とは面白い名前だと思ってね。聞きしに勝る大活躍だった。ぼくは一気に君たちのファンになっていったよ」
「でも顔を見せようとは思わなかった」
「それが観察者だ。決して対象に触れてはいけない」
「私たちが気付かない間も観察は続けていたのね。本当に、油断も隙もあったものじゃない」
「心配しなくていい。君たちに関しては捜査風景しか見ていない。君たちのファンだからね、プライベートにはノータッチだ」
「あらそう。お気遣いどうも。どうせ見られて困るものはないわ」
「それは許可を得たと受け取ってもいいのかな?」
「好きにするといいわ。ただし、代わりに条件がある」
「ようやく本題か。内容は?」
「私たちのところへ来ない? 公安九課……あなたが言った、攻殻機動隊よ」
少年がにんまりとした笑みを見せる。どうやら予想できていたらしい。
なにせ彼は、自分の技術に絶対の自信を持っている。犯罪を起こして捕まった友人がそうしたように、いつか誰かが欲しがることなど簡単に推測できるだろう。
少年の笑みに対し、素子は余裕のある態度で微笑みかける。
「あなたのハッキングはまさしく完成された代物よ。ウィザード級の力を持ってる。通った道には痕跡を残さず、どんな扉でも一秒程度で開けて、攻性防壁ですらダメージを受けることなく解体。ゴーストハックをいとも簡単に行っていた。使い方を間違えれば国家を転覆させることだってできる」
「君が使えば、可能だろうね。ぼくじゃあそこまでの覚悟と勇猛さはない」
「でも情報を集めることはできるわ。広大なネットにいくつもの目を瞬時に作り、後手から先手に回ることもできる」
「不可能ではないと言っておこう。結局はシステムが完成されていても使い手によって技量は変わる。ぼくがやる場合と君がやる場合では結果が同じでも行程が違うのと同じ。上手くやれるかどうかは使用者によって変わる」
「使うのはあなた以外にはいない。それほど複雑なシステム、理解するだけで何年もかかりそうだもの」
もたれるのをやめて自分の脚で立ち、再び片手を腰に当てて正面から向かいあう。
素子はそうして少年の目を正面から見つめ、迷いのない声で言い放った。
「もう観察にも飽きてきた頃でしょ。九課でその技術を生かしてみるつもりはない? たまに休み返上で働くことになると思うけど」
「労働か。それも警察にスカウトされるとは」
「あら、警察は嫌い? でも安心して、私たちは内務省所属の防諜機関。堅苦しい制服を着る必要はないわ」
「ふふふ、この体に制服ならそれはそれで面白そうだけどね。さて、どうしたものか……」
顎に手を当て、少年はううむと唸りだした。
すぐには答えを出そうとしない。かといって本当に悩んでいるのかと言えばそうも見えず。何を考えているかはわからない。
それでも素子は答えを待った。
彼がなんと答えるかを待ち、一方でどんな答えが聞けるのかはわかっている気がする。外見に見える余裕もそのためかもしれない。
「イエス、と答えてもいい。でもそう答えるためにはまだ決意が足りない」
「どうすれば決意できるのかしら」
「叶うのならば一つだけ、聞いてもらいたい頼みがある」
「言ってみて。考えるのはその後で」
「ぼくと繋がってほしい」
少年ははっきりとそう言った。あどけない外見が、言葉の意味を思わせるとひどく淫靡な様子を思わせる。
本人にその気があるのかないのか、わからない。おそらくはどちらでもいいのだろう。
素子が受け取る意味はすでに正当な形をしていた。冗談ではなく、わかりにくい言葉を選んだわけではない。彼の望みはわかりやすいものだったのだから。
「私の電脳と、あなたの電脳を?」
「そうだ。君はどうやって自分の個を守っている? それが知りたくて堪らない。観察している時はそうは思わなかったが、実際会ってみれば話は別だ。君の中にあるのは、君だけか、それとも他の個が入り混じった複合体なのか。どちらでも問題はないわけだが、どちらなのかを知ってみたい」
自分のうなじへ手を伸ばし、少年はコードを伸ばした。義体同士を繋げるためのコード。
電脳空間で出会い、対話する。それが彼の望み。彼が言う“繋がる”ということ。言わば知識の共有と言ってもいいだろう。
「君は自分が何歳かを覚えているか? ぼくはもうわからない。この声の時は自分を十歳だと思っていて、さっきの声なら六十歳、もう少し変えれば二十歳にも三十歳にもなれる。それがぼくの個の形だ」
「繋がれば、私のことがわかると?」
「可能性がないわけじゃない。だがわからないにしても、もっと君のことが知りたくなった。ただそれだけのこと」
小さくため息をついて、素子は前へと歩き出す。
狭いスペースを背筋を伸ばした状態で歩き、すぐに彼のところまで到達し、イスに座ったままの彼の小さな膝を跨ぐ。
抱き合うように腰を下ろして、豊満な乳房が少年の顔を埋めた。彼はすぐに顔の角度を変えて上を向き、呼吸を確保するのだが、見下ろす目が合うとそれすら忘れるほど美しい。
にこりと微笑む彼女はこれまで見た女の中で最も美しく、華があり、同時に力強さを感じさせた。だからこそもっと彼女が知りたくなり、手に持ったコードを彼女のうなじまで伸ばす。
「いいわ。調べたければどうぞお好きに。隅々まで見ていいわよ」
「ありがとう。代わりに君には、ぼくを見せよう。ぼくが持つ世界と、ぼく自身を」
「そうさせてもらうわ。簡単に理解できる世界じゃないでしょうけど」
かちりと音を立ててコードが接続され、準備は整う。
大きなイスの上で少年と素子が抱き合って座り、ぴたりと肌を密着させて、互いに目を閉じる。
今触れあうのは機械の体だが、コードを通せば意識同士で繋がり合う。情報、知識、人格すら共有する電脳空間での一時。
「じゃあ行くわ。ただし忘れないで。これが済めば、あなたも九課の一員になる」
「約束するよ。その時はぼくの技術を君たちのために使おう」
額がこつんとぶつかった。
それを認識した直後、意識が遠ざかっていく。自分たちの内面、自分たちだけの世界へ行くのだ。
さほど時間もかからず、二人の意識が繋がった。
◆
そこは海の中だった。
青い空間に揺らぎが存在し、上から差し込む光を感じて、自分たちまでゆらゆら揺れる。
魚はいない。それどころか自分たち以外に生物はいない。それでもそこは海の中なのだろう。
その中で少年と素子は裸で抱き合い、光とは遠ざかるように下へ向かってゆっくり落ちていた。
「自分が人間だという自覚はある?」
「突然ね。あなたは自分を人間ではないと思っているの?」
「それはわからない。ぼくが人間か、君が人間か、証明する物はどこにあるんだろう。いくつも流れる情報を見ていると、時折そんなことを考えるようになる」
触れあう肌が心地よく、すべすべで、抱き合う手にも力が入った。
少年はあどけない様子で素子の胸に顔を埋め、柔らかな感触に頬を緩ませる。在りし日の光景、母に抱かれた時のことを思い出した。
「例えば君のこの肌は人間のものなのか、そうでないのかを証明することはできるだろうか。人は君を人間だと言うだろう、だからこの肌も人間の物だと言う。けれど、そう言っているのも人間だ。結局ぼくらは人間が作ったルールや規範の中で生息していて、真に自分を証明するものなど持っていないのかもしれない」
「人間であることに拘らなければいいわ。あなたは自分の個を持ってる。だから人間か否かを証明できなくても、自分は自分であることの証明はできるはず」
「君は人間であることに拘ってはいないか?」
「さぁね。そこまで深く考えたことはないのかもしれない。でもいまだに名前を持って生きている以上、案外拘りがあるのかもしれないわね」
「名前か……そうだ、ぼくは大事なことを忘れていた。名前、ぼくの名前はなんだったか。はて、個を保有しようとしていたというのに、自分の情報を持つことを忘れていた。この世に生まれてきた時、ぼくはなんと呼ばれていたんだったか」
背に回した腕にぎゅうと力を込め、胸に挟まれた少年の顔がわずかに苦心する。
何かを思い出そうとして、でも上手くいかない。困った表情でうんうん唸って首をわずかに動かす。そのため乳房がむにゅりと動かされていた。
素子もまた目を閉じ、彼の頭をやさしく抱える。まるで慈愛に満ちた母のように、裸の少年を我が子のように強く抱いた。
「名前も自分を持つための重要な情報よ。それを失って尚、あなたはあなたで居続けたのね」
「そうか、そうだった。名前、ぼくを表す記号。ぼくにはそれがない。個を守るつもりで思考を続けていたのに、一番簡潔な情報を忘れていた」
「証明なんて必要ないのかもしれないわ。あなたも私も自分の個を失くしてはいない。体は失くしても、あなたはあなたのままよ」
「そうだな。うん、そうかもしれない。結局のところ、ぼくは自分のまま生きている。それでいいんだろう」
海の中を落ちていく。だがある地点へ差し掛かった時、辺りの景色は一瞬にして入れ替わった。
水の底を突きぬけ、今度は空へ。気付けば空から地表へ向かって落ちていた。
一糸纏わず裸のまま。互いに強く抱き合って落ちていく。しかしそれほど速い速度ではなく、常識では考えられないほどゆったりとした速度で。
遮る物なく肌に直接風を感じ、不思議と爽やかな気分すらあった。
恐怖心はない。為す術なく落ちていくのも心地よさがある。
「もう何年生きたかもわからない。自分が何歳なのかさえ忘れてしまった。君に話して聞かせた、両親の話。あれはいつのことだったんだろう。体がずっとこんな姿だとね、それすらも摩耗していく」
「外部の情報ばかりに満たされた空虚な自分。方法に惑わされすぎたわね」
「ああ。だが教えられて気付かされた。これも案外気分がいいものだ。ひょっとしたらぼくは今日、生まれ変われるのかもしれない。君のおかげで」
「ふふふ、それじゃあ私が母親? やめてよ、そんな柄じゃないわ」
「だとしたらぼくは、君を妻と呼びたい。君の中にぼくという記憶を埋め込んで、ぼくを証明する一つになってほしい」
「あら、おませさんね。出会ったその日にプロポーズ?」
「あいにくぼくは女性の扱いに慣れてない。まだ十歳なんだから」
空から落ちていく最中、青色の空がバラバラと崩れ、まるでジグソーパズルのピースが外れていくように、空が崩れていった。
景色はまた変化し、二人を包みこむように色が変わる。
「外見は変わらなくても中身は変わるでしょう。年月と共に成長するわ」
「でも自分の中でスイッチがある。声が変われば、どれだけの年月があってもぼくは十歳になる。これが、この姿が本当のぼくなんだ」
「便利なものね。それとも数多の情報を呑みこんだ結果がそれなのかしら」
ふわふわと落ちていく。辺りは徐々に姿を変え、気付けば彼らは高い天井、円形の部屋、ホールのような広さのそこにぽつんとあるベッドの上へ横たわった。
ふわりと受け止められるよう、衝撃はなく、痛みもない。
二人はまっ白なシーツの上に身を横たえ、正面から抱き合ったまま、見つめ合って笑みを浮かべていた。
「生まれ変わるのだとしたら、また十歳からのスタートか。さて、今度は成長することはできるのか」
「私としてはぜひともそうして欲しいところね。夫が十歳の子供じゃ後ろ指差されて表も歩けない」
目を閉じた素子が顔を動かし、そっと少年にキスを与えた。唇同士が触れあい、柔らかな感触の後、ちゅっと音が鳴る。
少年にとっては初めてだったかもしれない。初めてではなかったかもしれないが、少なくとも一度自分をリセットしようとしている彼には大事な一瞬だっただろう。
少年も目を閉じ、自分から首を動かす。強く押しつけるように前へ動いて、さらに素子を感じようとする。
しばし無言で強く抱き合い、唇を押しつけ合って時間が流れる。ちゅっ、ちゅっと何度も音が鳴って、頬の赤らみが増してくる。
キスが一度終わると、今度は少年が素子の唇を奪い、わずかに伸ばした舌で形のいいそれをそっと撫でた。
柔らかい感触。いつまでも触れていたいと思えるそれだ。
堪らず素子も舌を伸ばし、彼の舌を絡め取ってしまう。れろれろと交わり、唾液を交換し合って口の中にまで侵入してくる。
互いの口を行ったり来たり。粘膜を刺激し合ったことで気分が高まり、再び顔を離してみれば、互いに先程までと顔色が変わっていたようだ。
「少しぎこちないわね。初めてだったのかしら」
「さて、どうだったか。そうだと思っていたが違うような気もするし、不思議な感覚だ」
「でも興奮してるようね。ほら、こっちはわかりやすい」
「あぁ、これは初めてだ。断言できる。なにせ肉体は十歳の頃に失くしてしまった」
素子の手が少年の腹から肌を伝って下へ降りていく。そうして触れたのが少年の勃起したペニスだった。
ビンとそそり立つ固い肉棒。十代の体に生えたそれは大人にも負けないサイズである。子供の平均を大きく上回ったそれは素子の手の中で弄ばれ、感触を確かめられる。
一方で少年は素子の胸にしゃぶりつき、ピンク色の乳首に吸いついて淫らな音を発していた。
「大きいわね。どう見ても十歳のサイズじゃない。何したらこうなるのやら」
「ふぅっ、ふぅっ、うっ――」
「んっ、ふっ……こうしてると、子供っぽいのにね。あんっ――」
じゅるると音を立てて吸いあげられ、素子の口から小さく色っぽい声が出た。
快感は確かにあって、興奮は確かに肉体へ変化を促す。
左手で彼のペニスを扱いてやり、右手では頭を撫でてやる。あやすような体勢で触れ、触れられるのが心地いい。
「んっ、んっ、ふっ、んっ――」
相手が子供の姿をしているというのは、存外興奮を煽られるものがあった。
乳房を掴みながら乳頭へむしゃぶりつく様は不思議とそそられるものがある。必死な様子に見えて仕方ないのだ。
赤らんだ頬、純真無垢な目。多少口調は爺臭さを感じる部分もあるが、声は可愛らしいもので、態度としても彼女を慕うもの。
相手としては不満はない。にやりと微笑む素子は体を起こすと彼の股間の前へ顔を移動させ、勃起するペニスを眼前に置いた。
「知らないのなら教えてあげる。手取り足取り、ね」
右手で根元を支えて口を大きく開ける。そしてぱくりと、銜えこんだ。
口内へ迎えた亀頭はきれいなピンク色で女を知っている様子はなく、子供っぽさと大人の威容を兼ね備えた風貌。どちらとも言い難いものがある。
舌を絡めながらずるずると上下へ。少年の反応を確かめながら動きを加えた。
少年はシーツに体を預け、わずかに息を乱している。
「んんぅ、んっ、ほぅ……ん。これが、フェラチオ。どうかしら」
「あぁ、想像以上に気持ちいい。安堵するのと同時に征服感すらあるな。これはいいものだ」
「そう。ここでもう少し子供っぽく振る舞えたら、私ももっと気持ちよくなるんだけど」
舌を絡ませ、割れ目を責め、頭を振って奥まで迎え入れる。素子の動きは献身的とすら思えた。
少年はこれまでの観察でいくつもそういった光景を見たことがある。上手な女、下手な女、第三者として色々見てきたつもりだ。
中でも素子は上手に見える。それが経験の豊富さなのか天性の才能なのかは知らないが、少なくとも自分が感じている快感は確かなもの。
気持ちよさから息が乱れ、徐々に体が熱くなっているようにも感じられた。
彼女は熱心にペニスをしゃぶり、自分は何もしていないのに快感を感じるという環境が、今までにない征服感を味わわせた。
「んんっ、んむっ、ふっ、んっ――」
数度頭を振ってペニスを刺激すれば、先程よりも硬度を増して雄大な姿を拝むことができた。
素子は一度口を離し、唾液がかける橋の先にペニスを見る。
手を離せば腹の方へ反りかえって、小刻みにびくびくと震えている様子。
素子の頬がにんまりと緩む。
「いい調子ね。悪くないわ」
「フェラチオされるのも悪くないんだけど、ぼくは早々に本番を試してみたいんだが」
「そう急かさないで。達観しててもやっぱり子供なのかしら。普通こういうのはゆっくり楽しむものよ」
そう言った素子が這うようにして体を移動させ、少年の唇を塞ぐ。
散々ペニスを舐めた舌で彼を舐め、絡み、吐き出す息まで自分の物とするかの如くねっとりと吸いついた。
そうして数秒、舌を絡めた後は首筋を舐め始め、胸まで到達すると彼の乳首に触れる。
小さいながら立派に勃起したそれ。形を確かめるよう、円を描くように舌を這わせ、舌先でくるりと刺激を与える。
少年の顔は気持ちよさげだった。だが素子の胸を揉みながら、あくまで求めるのは体を一つにすることらしい。
「まったく、仕様のない男。じゃあ――」
腰の位置を変えて彼の下腹部を跨ぎ、今にもはちきれんばかりのペニスに手を添える。
亀頭の狙いを定めて腰をくいっと動かせば、彼女の膣と、少年のペニスが触れあった。あとは腰をおろせばいいのみである。
素子は躊躇いもせず腰を下ろす。するとそれだけでずぶずぶと呑みこまれていった。
男と女として一つになって、素子はため息を洩らし、少年は首を反らせて目を閉じた。想像以上の感覚に参っているようだ。
その表情が幼さを感じさせる、言いかえれば初心な様子に見えて、素子の熱も一層強まる。
ぐっと脚を開いて動きやすい格好になり、乳首に指を添えて腰を動かし始める。跳ねるように上下へ動いて一気に強い刺激を与え始めた。
「んっ、ふっ、ふっ……ど、どう? 気持ちいでしょう」
「うぅ、あぁ、気持ちいい……」
「ふっ、んんっ、んんっ。あぁっ、すごい、形がはっきり――くぅっ」
ギシギシとベッドが軋み、空虚な空間にやけに大きく響いている。
二人は一心不乱になって腰を動かした。時を忘れ、理性を忘れ、ただ一匹の雄と雌として。
もはや言葉もない。荒い息遣いだけを吐き出して。
淫らな音が空間を満たしていた。
「はっ、はっ、んっ、はぁ――」
「んっ、んんっ、はっ、あぁっ――」
終わりを迎えたのは、少年が素子の中に精を放った時のことだ。
突然腰がびくりと震え、彼女の丸い尻が止まった。玉のような汗が丸まった背を流れ、尻を伝って彼の脚に落ちる。
ふぅ、と一息ついて。
体の力を抜いた素子は少年の隣に寝転び、彼に腕枕をして顔を寄せた。
「ありがとう。なんだか夢が叶ったような気分だ。今日まで生きていてよかった」
「ふふ、そう。そう言ってもらえて嬉しいわ」
「あぁ、でも。この体になって後悔したことはないが」
「ん?」
少年は素子の胸元に顔を埋め、小さな声で呟いた。
「君にぼくらの子供を産んでもらえないというのは、思っていた以上に辛いことだな」
◆
公安九課、通称“攻殻機動隊”所属、バトーという男は厳めしい顔を困っているかのように歪めて仁王立ちしていた。
腰に手を当て、眠らない目とも言われる目で見つめるのは自らの上司。彼女に手を引かれる子供には敵意を向けていない。
彼女、草薙素子とはそれなりに長い付き合いになる関係だった。共に戦場を駆けたこともあるし、九課に所属してからはチームとして様々な捜査に就き、解決している。
そんな関係にあるからこそ、今目の前の光景には一言言ってやらねば気が済まなかった。他ならぬ彼女のため、並びに彼女に手を引かれる子供のために。
「少佐。俺ァ、おまえの色恋に口出す気はねぇし、どんな男と付き合おうが文句は言わねぇけどな……ガキはやめとけ。そりゃあ、犯罪だぜ?」
「大丈夫よ。義体はこうでも中身はジジイなんだか子供なんだかわからないわ」
バトーの声を聞き、素子がやってきたことを知った九課の面々が集まってくる。
そして気付くのだが、彼女が連れる子供はなんなのだと皆一様に首を傾げ始める。全身義体の素子が子を産めるはずもなく、考えられるのは誘拐でもしてきたか、副業で家政婦でも始めたか。
陽気にそんなことを考えていた面々だが、にこりと笑う素子が彼の背を押し、少年を前に出すと、当然のように言い放った。それにもまた驚いてしまうのである。
「今日から九課のメンバーが増える。例のハッカーだ。実力は折り紙つきだぞ」
その言葉に全員が驚いた。
彼らもすでに知っていた事件解決を後押ししてくれた謎のハッカー。それが、目の前に居る小さな子供だという。
まさかと思うものの、わざわざ一目で証明してくれる何かがあるわけでもなく。一同は全身義体の子供をじっと見つめるだけだった。
「とは言うが、あいにく名前を忘れてしまったらしくてな。まずそこから決めなくてはならない。さて、どんな名前にするか――」
隣に立つ素子にちらりと見下ろされ、それにも気付くことなく少年は九課のメンバーを見回した。
その後でわずかに口を開き、およそ子供らしくない笑みを見せながら、妙に楽しげな声で告げるのである。
「よろしく」
本当ならセックスシーンも丸々なしでいいかくらいの気持ちだったのですが、おまけ的にちょっとだけ。それも気付けばこうなってた。
細かい話は省いてますが、全身義体になった者たちが性的快楽を得るための方法がわからないので(原作漫画未読もあり)こんな形になったわけです。一応漫画にはそれっぽい話もあるとかないとか聞いたことはありますが。
攻殻機動隊でなんか書きたかった。ただそれだけ。