※この作品はR-18です。

【闇】東方短編集   作:slnchyt

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被写体にならないか、って

―被写体にならないか、って―

 

 

 

鈴瑚はデブ。デブは鈴瑚。

 

 

 

――売り物に手を付けたら怒るわよ、とは言ったのだが、聞きやしない。私が搗く側なら、そこのデブは座りしままに食う。まあ、じゃんけんで負けたのだから仕方がない。…あれ、ここの所ずっと私が負けていないか? 不信に思いながら、デブを見る。手を振った。何なのよあんた。

 

デブの腕が、たるみ、迫り出した腹を叩く。あの内側には団子がめちゃくちゃに詰まっているのだ。腕も太い。脚も太い。胴体も勿論太い。身体は殆ど脂肪なんじゃないか。私の疑念を他所に、デブは横になった。…まあ、別にデブがどうなろうと私はいいけど。私も休憩がてら、縁側に座った。

 

「清蘭」デブが呼んだ。「何」「私の事、めちゃくちゃ太ってるって思ってるだろ」「まあね」めちゃくちゃで利かない気もする。「これが私の自然体なのさ。わかるだろ」「わかんないわよ」少しはダイエットでもしたらどうか。…私は痩せていた頃のデブ――いや、鈴瑚を知っている。

 

知っているからこそ、今の脂肪の塊と化したデブと同一人物とは思えないのだ。体格が私より二回り以上も大きくなっているように見える。巨体と言って差し支えない。デブ――鈴瑚は、いつ頃からか急激に太り出した。一年も経たずにこのありさまだ。何かしらの病気を疑ったほどだ。

 

しかしデブは一切動じず、むしろそれを楽しんでいるかのように振舞った。それが私を更に怪訝とさせた。普通、女の子は太るのを嫌がるものではないか。…子って部類ではないか。モテろとは言わないが、外面はどうでもいいのか。私にはわからない。デブがこちらに転がる音がした。

 

「ねぇ清蘭、今の私と昔の私、どっちが好き?」「…なによ、藪から棒に」デブ――いや、鈴瑚の事は好きだ。姿形が変わろうとも、それは変わらない。でも、好き嫌いの話で言えば――「昔の方がいい」「そっか」再び寝転がる音がした。私は――どうだろう。若干後悔していたかもしれない。

 

「嫌いって言われたら、どうしようかと思った」「思うなら、痩せなさい。心配よ」そうだね、とデブは言った。たぶん本気にはしていない。私も深く突っ込む気はなかった。自然体と言えば、そうなのだろう。そうかもしれない。しかし私は、そう公言して憚らないデブに疑問を感じていた。

 

―――

 

  ―――

 

ラーメン屋にはあまり人が入っていない。二時過ぎならそんなものだろう。「鈴瑚、何頼む?」私は半半セットを頼んだ。昼だもの、このくらいが丁度良い。「じゃあ、超特盛で」――超特盛? 特盛なんてものはメニューにない。しかし店員の方はごく当たり前のようにそれを受け取った。

 

運ばれてくる半ラーメンと半チャーハン。デブのも運ばれて――「うわあ」見た事もない大きさの丼で来たそれは、とてつもない量の麺、野菜、そしてチャーシューがてんこ盛りになっている。これは確かに特盛だ。「いただきます」いただきますじゃない。それ本当に食べきれるの?

 

私の疑問を他所に、デブはゴリゴリズルズルと特盛に向き合っている。…というか、侵略している。あっという間に野菜も麺も半分なくなってしまった。チャーシューなど既に残っていない。デブは更なる攻勢をかけた。たまらず特盛は降伏し――汁まで全部、デブの腹に収まってしまった。

 

「いや、その、何…?」とてつもない食欲だ。いつもはここまでやらない。畏怖の目で見る私を見返して、デブは親指を立てた。何なのよ。やがて息を吐きながら、腹を撫で始めた。そりゃあ腹も満タンまで張るでしょうよ。夕飯入らなくても知らないわよ。…そう思ったのよ、この時は。

 

向こうから、同じ大きさの丼が運ばれてくる。まさか、まさかとは思ったけど――私の呆れを証明するかのように、それはデブの前に着地した。…特盛が二つだから超特盛なのか? 私の推測を他所に、デブは勢いよく野菜を、麺を、チャーシューを食らっている。野菜の山がズッ、と崩れた。

 

どうかしている。私は私の食事に手を付けるのも忘れて、デブの暴挙を見せつけられていた。もはや食いっぷりが良いというレベルではない。法外だ。胃袋に直接落としているに等しい。私は再び呆れ、デブを見る。…気のせいだろうか。デブの腹が二回りほど大きくなったように見える。

 

――いや、なっている。申し訳程度の上着がめくれ上がり、腹が完全に露出した。胃の当たりがテーブルに押し付けられている。汗を拭くデブをじっと観察していると、デブがこちらを向いて、ニヤリと笑った。何が楽しいのよ。私は目を逸らそうとして――横目にちらちらと、それを見た。

 

デブは既に半分以上を食い切っていた。腹を撫でる。息を吐くが、それはどちらかと言えば苦しいとかそういう風ではない。汗をぬぐった。如何にも異常事態なのだが、客の殆どはこちらを向いていなかった。…恐らく、いつもの光景なのだ。それはそれで、どうかとは思うが。

 

遂にデブは二杯目を食い切った。流石に苦しいのか、スープは残されていた。やれやれ、これで帰れるのか、私は、私の頼んだ麺をすすり――「替え玉六個」盛大にむせた。今なんて言った?「替え玉六いっちょー」六。六ってお前。デブは布で口を拭いながら、水をガブガブと飲んた。

 

「六は少ない方だよ」舌を出しながら、デブが口を利いた。「十八まで食べた事がある」あんたやっぱおかしいよ。時間差で上がる替え玉を入れられては食い、入れられては食い、であっという間に六玉食べきってしまった。わんこそばじゃないぞ。「清蘭それ食べないの?」食べるわよ。

 

結局、私が食べ終わるまでに鈴瑚はチャーハンを注文し、例によって平らげていた。狂ってる。私は思ったが、口には出さなかった。…それより酷いのは、デブの腹だ。カウンターにめり込む勢いで膨れ上がったそれは胃の当たりからドンと膨らみ、たるんだ肉を無理に引き延ばしたかのようだ。

 

それをデブは、若干苦し気に撫でている。若干だ。まだまだ余裕とばかりにメニューを見ていた。これ以上ここにいたら何を注文しだすかわからない。私はデブを会計に引っ張り――気が付いた。今、財布にはそんなにお金が入っていない。必要ないだろうから、置いてきてしまった。

 

デブが好き勝手に食い尽くした金額を考えると、明らかに払える中身ではない。私は顔を青くした――が、それは一瞬だ。払えないならデブを捨てていけばいい。そんないい加減な事を考えていると、しかしデブが財布――伸びきっている――から万札をいくつも渡し、勘定していた。

 

――なんでこのデブはこんなにお金を持っているのか。訝しむ私を見て、デブが語った。「稼ぐ手段は色々とあるものさ」へーへー。あんたの団子屋は盛況ですものね。私は手首を振って、退店を促した。デブはレジ横の持ち帰り麺を見ていた。いい加減にしないとホントに殴るぞデブ。

 

私達はさっさと退散し、団子屋に戻った。デブの事は実際よくわからない所が多い。隠しているようには見えないが、私の見えない所で色々と秘密を持っているのではないか。上の空でそんな事を考える。場所はそんなに変わらないのに、売れ行きはどうして異なるんだろうな。

 

撤収した後にも、何処かで何かを食べてきたらしい。頭の中に食欲しか詰まっていないに違いない。「清蘭も食べてきたら?」家で食べるからいいわよ。「今日の晩御飯、何?」冗談も大概にしなさいよ。「あっさりめがいいな。そうめんとか」流石、数十袋食い尽くす奴の言う事は違う。

 

―――

 

  ―――

 

ある日の夜中、デブがこっそりと家を抜け出した。私はたまたま、それに気付いた。案外、稼ぐ手段、ていうのと関係あるんだろうか。まさか夜の街で――あんな事やそんな事をしているとは思えないが。興味を惹かれた私は、静かにその背を追った。元イーグルラヴィを舐めるなよ。

 

デブは人里の外縁を歩いていた。茂みからそれを見る。この辺りは人家も商店もまばらだ。何かあくどい事をするなら、丁度良い場所かもしれない。私は背を凝視した。デブが路地に入った。そこから飛び出し、角に立つ。私は僅かに顔を出した。デブは向こう側を向いている。

 

「そこにいるんだろう、清蘭」デブが振り向き、私の影を見た。…くそ、気付かれていたか。「別に、普通に来ていいんだよ」私は頭を掻きながら、デブの後ろについた。「こんな所に何の用事があるの」「まあ、後ろ暗い所には色々とあるものさ」デブは歩き始めた。私はそれを追う。

 

静かな夜だ。デブの足音、息切れだけが聞こえる。「――飛べば?」「まあ、たまには歩かないと、ね」そういうものか。…逆に言えば、普段は飛ばないとやっていられないのか。こうはなりたくないな、と私は要らぬ心配をした。デブは汗を拭いた。今は秋口なのだが、如何にも辛そうだ。

 

「――さあ、着いたよ。清蘭」デブが引っかかりそうな細い道を抜けると、そこには地下室の入口らしき階段があった。傾斜が緩い。幅が妙に広く取られている。「着いた、ってここ何なの?」「写真屋さんさ。ちょっとばかし特殊な、ね」デブはゆっくりと階段を下りた。膝をイワしそうだ。

 

「ここでは――そうだな、ただ食べるだけの写真を撮っている」「…ただ食べるだけの写真?」そうさ、とデブは肯定した。「これが結構――いや、かなりの金になるんだ。いくら買い食いしてもまとまった額が残るくらいには」「金になるって、何で?」「何でだろうね」デブは笑った。

 

「来たよ、監督」石壁が続いた先に、大きなドアがあった。それを開けると、中には暗幕のようなものと、テーブルと椅子がいくつもある。目を引くものといえば、この場に不釣り合いな巨大な冷蔵庫と調理台、そして白狼天狗が一人。私達に背を向け、調理していた。良い匂いが漂っている。

 

監督と呼ばれたのは、キャスケット帽を目深に被った女性。間違いなく妖怪だ。何者かはわからない。どうやらデブとは如何にも親しいようだった。友達は選んだ方が良いわよ、と口にしようと思ったが、やめた。そこまでデブの交友関係に踏み込むのは失礼な気がしたからだ。

 

友達を置いていてもいいかい、とデブは聞いた。もちろん、と監督は快諾した。いや、私は別にこんな所にいなくてもいいんだけど。ぐう、と腹が鳴った。いい匂いだ。きっとこれは、デブの腹にみんな収まるのだろうけど。ラーメン屋の狼藉を思い出し、私はため息をついた。なんだかなあ。

 

白狼天狗が冷蔵庫と調理台を激しく往復し始めた。今からデブ食べるものを調理しているのだろう。いつの間にか現れた烏天狗――メイド服?――の給仕が二人、それを次々に運び込んでいる。――それはあっという間だった。いくつもの料理が並列で飛び出し、デブのテーブルを占有した。

 

「おっ、その前に計量を」「オーケー」メジャーを持った監督に促されて、デブは傍に置かれた体重計に乗った。…なんか、数字が一回りしたんだけど。「128kg、138cm。お変わりないようで。お友達も計ってみますか?」いや、私は別に。「損はありませんよ」測った。48kg、70cm。至って普通。

 

――しかし、とてつもない量だ。後から後から追加される中、デブは我慢できないとばかりに、料理へ手を付けた。大盛どころではないカレーを半ば流し込む。巨大なパンケーキをザクザク切って頬張る。野菜炒めを一口で食らい、ボリボリと音を立てる。大判のピザを折りたたんで食べる。

 

デブは私の目前で、恐ろしいスピードで平らげていく。出される料理と拮抗しているのではないか。白狼天狗の調理も凄まじいスピードだ。明らかに手慣れている。そう、大量の食事を用意する事に、だ。監督は写真を撮っている。周囲を回転しながら。これもまた、凄いスピードだ。

 

…なんというか、私には理解できない世界だ。実質デブの餌付けではないか? 私は暴挙から目を逸らし、壁の写真を眺めた。デブだけではなく、様々な妖怪が載っていた。その誰もが巨体、或いは痩身と共に膨れ上がった腹を晒していた。確かに圧巻ではある。…あるが、身体には悪そうだな。

 

カメラアングルで上手く顔は隠されている。…耳と帽子が写りこんでは台無しだが。脱げよ。――私はその中に、目を引く写真を見つけた。…兎耳、紫の髪、細身の身体。――鈴仙だ。鈴仙もこんな所に出入りしているのか。膨れ上がった腹を指で撫でている。扇動的だ。私は息を飲んだ。

 

私はその写真から目を逸らせなくなっていた。人の身体をこれほど凝視したのは、或いは初めてかもしれない。スカートを押し下げる腹。ブラウスを押し上げる腹。人差し指を唇に当て、指の腹でそれを撫でる。横向きの写真もあった。身体の厚みが二倍、いやそれ以上に突き出している。

 

私は――そうだ、明らかに興奮していた。「写真をご所望ですか?」「ひゃあ!?」私は驚いて後ずさった。「この細身の子はそのギャップで人気がありましてねェ…」そういうと監督は鈴仙の写真を剥がし、袋に入れると私の手に乗せた。「お近づきの印です。どうぞ」「ど、どうも」

 

私は動転していた。こんなのに興奮するなんて――そう、変態みたいじゃないか。けれど私は、それをつき返す事はしなかった。できなかったのかもしれない。鈴仙のあられもない写真。思い出すと、身体が熱くなる。…何を考えているんだ。こんなもの、ただの出っ張った腹だ。腹。

 

デブの方に視線を向ける。大テーブルの上の食べ物はおよそ半分以上がなくなっていた。それだけデブが食べたという訳だ。私は呆れると同時に、笑えてきた。デブは今も食べ続けている。その姿に、何故か清々しさすら感じられた。デブの荒い息遣いがここまで聞こえてくる。

 

デブがこちらを振り向く。ケーキを貪りながら、手を振った。私もつられて、手を振り返した。…私は何をやっているんだ。さて、特にやる事もなくなった。デブの隣に座り、それを眺める。山のようなラーメンが消えた。巨大なハムが消えた。りんごが芯ごと消えた。焼き魚を骨ごと噛み砕いた。

 

デブの腹はますます膨らんで――いや、巨大化していた。この間ラーメン屋で見た時を遥かに超えている。抱き着いても背中どころか脇腹にも回らないだろう玉。玉だ。ぶよぶよとした四肢や顔の印象を置き換えるほどの、巨大な腹。バランスが悪いのか、ずっと身体を反り気味にしている。

 

七割、八割。「ちょっと苦しいかな…」何がちょっとなのか。申し訳程度に残っていた上着を更に持ち上げた。玉のようなそれが完全に露出した。デブは何度も腹を叩いた。舌なめずり。まだいける、とばかりに食事を再開する。…もう食事とも言えないな。詰め込みだ。詰め込み。

 

遂に九割が消えた。デブは大きなげっぷを繰り返した。座り直し、腹を撫で、持ち上げた。空間を確保しようというのか。デブは――最後の一皿を片付けようとしていた。消える。食べ物が消える。白狼天狗が尻尾を振りながら、こちらを見ている。食べる。食べる。…食べきった。

 

デブは再び、大きなげっぷをした。荒げた息を整えるように、胸を押さえた。「限界ですか?」「限界…」さようで、と監督は写真を撮り続けた。白狼天狗はこちらを凝視していた。「前回からかなり増えましたね。とてもいい」「はは…」椅子に完全に身体を預け、デブは笑った。

 

――これで、仕事は終わっただろう。後はデブがそれを消化するまで待てばいい。私は再び手持無沙汰になってしまった。監督は暗幕の中に消えていた。白狼天狗は相変わらずデブを凝視している。耳がぴくぴくと動いた。舐めるような視線だ。まるで目に焼き付けているような。

 

私もそれを見た。大きい。とにかく大きい。体格と比べても遜色ない、いや、印象で上回るほどの腹だ。椅子を引くまで、テーブルを完全に押し出していた。当人はそれをずっと撫でていた。苦しさを紛らわせているのだろうか。まあ、わからない。そんな事を考えていると、デブがこちらを見た。

 

「清蘭もやるかい?」「…何をよ」鈴瑚はニヤリと笑い、手招きした。「被写体にならないか、って」馬鹿な事を、と思った。…しかし。「相応の対価はお支払いしますよ」監督が割って入った。「――本当に、食べるだけで?」「わたくしこの方、嘘をついた事がないもので」

 

限りなく胡散臭い。しかしデブは現にお金を貰っているという。私だって欲はある。清蘭屋を畳む気はないが、お金があれば新商品をためらいなく打てる。ボロ屋も新築できるかもしれない。それに――遊ぶお金もあるなら、それは有り難いことだ。「…お金、どのくらい貰えるの?」

 

監督はいやらしい動きで指を動かし、それをを示してみせた。…実際、なかなかの金額だ。一月、いや、二月は景気良く暮らせるだろう。私は息を飲んだ。…一回、一回だけやってみよう。やる事は、どうせ食べるだけだ。単に食べればいい。好きなだけ見せつけてやればいい。「…やる」

 

「その答えを待っておりました」監督はカメラを構えた。これはたぶん、一時の気の迷いだ。気の迷いでお金が貰えるのだ。悪くない話だろう。私は肩をすくめた。「さあさあ、こちらにお座りください」椅子を引く監督はニヤニヤ笑いを崩さない。やはりこの人は、胡散臭い。

 

白狼天狗が冷蔵庫と調理台を激しく往復し始めた。今から私が食べるものを調理しているのだろう。それはあっという間だった。いくつもの料理が並列で飛び出し、デブの隣のテーブルを占有した。…目の前で見ると、やはり威圧感が違う。ざっと見ただけでも五人前はあるだろうか。

 

「ささ、おあがりなさい。可能なら全部」わかってるけど、これは――いや。やるならやらねば。私は威圧感を振り払い、食事に手をつけた。大盛の天ぷらうどんだ。…美味しい。美味しい! 最近食べたもので一番おいしいかもしれない。私はそれをあっという間に平らげてしまった。

 

「いいですよ、とてもいい」監督が私の周りをグルグルと周りながら、写真を撮っている。「――今も撮るの?」「ビフォー&アフターという奴です」何だかよくわからないが、そういうものらしい。私は何かのローストに手を付けた。美味しい。料理人はさぞかし腕が良いに違いない。

 

私は夢中になって料理を詰め込んだ。なにしろ美味しいのだ。満腹は最悪のスパイスとも言うが、それを押し退けるほどに美味しい。腹が苦しくなっても、それを口にする欲が勝つ。あっという間におよそ半分を平らげた。流石にこれ以上は苦しい。私は腹を撫でた。カメラがそれを撮る。

 

「もう少し、もう少しやれませんか」ええ…?「謝礼は弾みますよ。どうです?」…何だか騙されている気がするけど、まあいいか。ゆっくりと食事を再開する。流石にもう美味しいなんて言ってはいられない。苦しい。腹を撫でる。胃袋の辺りがごつり、と膨らんでいる。…苦しい。

 

苦しみと戦う私を、デブは面白げに見ていた。既にいくらか消化したのか、平然とテーブルに肘をついている。「もう駄目だ、と感じてからが本番だよ、清蘭」やかましい。こちとらそんな壊れた胃袋を持っちゃいない。白玉団子を掻き込む。ステーキを切らずに無理矢理しゃぶりつく。

 

胃が悲鳴を上げている。まだだ。もう少しで完食できる。実際テーブルからは食べ物がなくなりつつあった。サンドイッチに食いつく。コーヒーを一息に飲んだ。ケチャップをぶちまけてオムライスを流し込む。ポテトサラダを食む、食む。アイスクリームを飲み込む。エビチリを咀嚼する。

 

最後だ。最後に残った茶碗一杯のごはん。――最後なのに、手が伸びない。これ以上は欠片も入らない。消化器がそれを拒んだ。息がずっと上がっている。きっと内側がめちゃくちゃに圧されているせいだ。後一つ、後一つなのに。私は身体を反らせた。それでも隙間は空かない――

 

――ぐえぇっぷ!

 

私は驚き、目を白黒させた。こんな下品なげっぷが出るなんて、思ってもみなかったのだ。監督とデブはニヤニヤしている。白狼天狗は尻尾を揺らしていた。今更恥ずかしくなったけど――どうした事か、私の胃にはいくらかの余裕ができていた。ごはんをかき込む。…再び、限界だ。

 

「いやいや、結構」監督はずっと写真を撮り続けていた。「初めてとは思えないね、清蘭」うるさいわよ、このデブ。私は椅子に背を預け、身体を反った。そうしていると少しは楽になる。「いいですよ。いい。とてもいい…」監督は喜びにもだえている。…この人、結構おかしいな。

 

思えば、こんなに詰め込んだのは初めてだったかもしれない。訓練時代でもこんなに食べはしなかった。カメラがあちこち、あらゆるアングルからで撮る中、カラになった食器も写されていた。意味は解らなかったが。…今にも胃が裂けそうだ。吐き気を抑える。今吐いたら色々と台無しになる。

 

「細い子の大食いを好む人もいますからねェ」カメラはあらゆる方向から私を撮った。腹を撫でるよう求められる。撫でる。こする。私は再び大きなげっぷをした。恥ずかしい、なんてのは考える余裕もない。「まあ、その食いっぷりならすぐに太くなれるでしょう」監督はニヤニヤ笑っている。

 

促されるがまま二人立ち上がり、カメラの方を見た。監督が私達にポーズを決めさせた。監督は周囲を激しく周りながら、私達の魂を抜いていった。少しは消化されてきたのか、私はなんとか吐き気を受け流せたようだった。冷静になると、自分にも意識が向く。…ああ、なんて腹だ。

 

上から見てもそれは膨れ上がっていた。足は当然のように見えない。撫でてみれば、まるで鉄のように固い。薄皮一枚を隔てて破裂しそうな胃袋が存在するように感じる。へそから下も硬い。脇腹も硬い。私の胴体は何処を押しても硬くなってしまった。…ふと、鈴仙の姿を思い出した。

 

「良いですよ、良いですねェ。あなた達はウチのナンバーワンです」うちわで口元を隠しながら、監督はデブをじろじろと見た。「これは趣味と実益を兼ねています。あなたがたはある意味で、私に尊厳を売り渡している訳ですねぇ。はい」…見間違いでなければ、監督は鼻血を拭いていなかったか。

 

監督はやにわにカメラを下すと、デブの腹に抱き着き、頬を押し付けた。その腕は脇腹辺りまでしか回らなかった。「んん゛――!!」監督は何度も巨大な腹にキスをした。デブは腹を揺すって答えた。監督の手が何度もデブの腹を押し込んだ。その感触はきっと柔らかく、そして限りなく硬い。

 

私もなんだか、我慢ができなくなっていた。デブの横に立ち、身体を抱き込んだ。やはり向こう側には届かない。迫り出した私の腹を押し付け、デブの名を呼んだ。監督は私の腹も撫でた。押し込んだ。互いの胃袋を想像してくらくらした。監督が箱から、巨大な容器に入った白い液体を取り出した。

 

デブが嬉しそうに喉を鳴らした。私にはそれが何だかわからなかった。わからなかったけれど、きっと悪いものではない。監督は手慣れた風にデブの手足を拘束すると、私達よりも高い位置まで浮遊して、それの中身を上を向いたデブの口に流し込み始めた。それは如何にもドロリとしていた。

 

「ヘビークリームです」目の色を変えた監督が言った。「とても高カロリーですよ、これは。開いた空間をこれで埋めます」デブは流し込まれるそれを嬉し気に飲み込み続けた。呻きで拒むまで。そもそもがどのくらい入っているのかはわからないが、半分ほどがデブの腹に消えた。

 

「あなたもどうです?」私は頷いた。どうかしていた。しかし私は、そして監督は、膨腹行為に入れ込んでいた。漏斗越しに、クリームが流し込まれるのがわかる。私も喉を鳴らした。こなれた腹が再び限界まで膨らもうとしている。流し込まれたそれを、私は魅了されたように受け入れた。

 

飲む、流し込まれる。飲む。流し込まれる。今の私にはもう、限界がわからなくなっていた。このままだといつか破裂してしまうという確信だけがあった。私は慌てて呻きを上げるが――監督はそれを無視した。胃が胎動する余裕もなく、飛び跳ねた。死んでしまう。このままだと、本当に――

 

「終わりです」監督はそう言うと、私から漏斗を外した。クリームはカラになっていた。私は安堵すると共に――もっと続けていたらどうなっていたか、確かな破滅を想像していた。それは私の中を熱くさせた。気が狂っている。監督も、デブも、そして私も。みんな狂っている。

 

私は床に倒れ込んだ。もう何も食べたくない。入りもしない。速く消化されるのを待つだけだ。私はデブの方を見た。私よりも遥かに消化が速いのか、既にそいつは平然としていた。さっきまで流し込まれていた癖に、なんて腹だ。とてつもなく飛び出したそれを見て、私は呆れるばかりだった。

 

「それでは、測定をば」監督がこちらに近付いてきた。体重計に乗るよう促す。私が先に乗った。…というか、乗せられた。体重は――56kg、82cm。食べる前が48kg、70cm。8kgも増えていた。…8kgかあ。これって、どのくらい太るんだろ。私は若干の後悔に苛まれる中、デブは体重計に乗った。

 

元が128kg、138cmで、今は――160kg、169cm!?「記録更新ですよ。ナイスですね」監督は歓喜でクネクネしていた。デブは腹をさすりながら笑っていた。白狼天狗が尻尾を振った。烏天狗が見ている。この場のすべての視線が、或いは熱を帯びていたように感じる。感じただけかもしれない。

 

「32kgってあんた、何処に?」…って、胃袋しかないけど。本当にどうかしている。私の四倍食べてようやく限界って事…?「そこのお友達も、スジがいいですよ。又来なさい。是非」「連れてくるよ。その代わり――」「わかっておりますとも、ええ」監督はお金を数えて、封筒を渡した。

 

「今日は奮発いたしましたよ」渡された封筒を開く。――嘘でしょ? 清蘭屋の収入の何ヶ月分――いや、雑費込みなら半年分はある。こんなに払って、採算は取れるんだろうか。…まあ、私が考える事じゃない。けど、どうしよう。簡単な――辛い事は辛いけど――仕事でこの給金だ。

 

「鈴瑚はいくら貰ったの?」「まあ、たぶん清蘭の五倍くらい?」ご、五倍…?「そりゃいくら買い食いしてもなくならないわね…」「それに日頃から、食べる訓練しておかないとね」あんたのそれは食欲が九割じゃないの。「それでは、何ヶ月か後を楽しみにしておりますよ。ええ」

 

監督に促されて、私達は外へ出た。…ああ、この無暗に広い階段ってデブみたいな人を想定してるのね。合点がいった。のっしのっしと階段を上るデブの後ろを歩いた。倒れ込んできたら死ぬな。これは。…振り向く。またここに来るだろうか。拒否。肯定。よくわからない気分になっていた。

 

―――

 

  ―――

 

あの日以来、私の中にはよくわからないものが引っかかっていた。困惑、或いは欲望。お金には余裕がある。そろそろ住処を新築しようかと思う程度には。店屋の前を通る度に、あの日あの時を思い出すのだ。私は自然に外食をするようになった。量を問われたら、一番大きなものを頼んだ。

 

並の量では胃袋が納得しなくなっていたように思う。私は飲食店をハシゴした。ラーメンを食べた後にカツ丼とうどんを食べるような真似を続けた。満腹感を得たかったのだ。家に帰っても搗いた団子を無理矢理に詰め込んだ。水で流し込んだ。体重を計った。6kg増。あの時には及ばない。

 

「あ、おそば。…食べたいな」我慢しろ。こんな事を続けていたらおかしくなる。…そうは思ったけれど、腹は私の意思とは無関係に鳴っていた。私はのれんをくぐった。しばらくして、私は少し膨れた腹を撫でながら出てきた。もう我慢できない。他所にもいこう。私は狂っていた。

 

週一くらいでそんな生活を続けた。何故か清蘭屋は繁盛し始めた。理由は?――私はやはり狂っていた。私の身体にその原因を見出したのだ。過食は週二に変わった。周三になるのはすぐだった。家に帰れば団子を押し込む。夢中で胃袋を膨らませ続けた。…8kg増。ついにあの時に追いついた。

 

「清蘭、ちょっと太った?」お前よりは太ってないよ。私は体重計に乗った。そのまましゃがみこんだ。見間違いでなければ、私は――太った。5kgくらい。今まで気付かなかった訳じゃない。気付きたくなかったんだ。食べれば太る。当たり前だ。しかし私とて女の子だ。体重は少ない方がいい。

 

人里まで走り込む事にした。団子搗きも猛烈にやる気を出した。「頑張ってね」そのにやにや笑いを止めろデブ。「今日は我慢しておくかな…」いつも我慢すべきなのはわかっている。わかっているけど止まらない。それでも必死の対策で、体重の増加は止まったように感じる。

 

少なくとも数字上は。あくまで数字上かもしれない。顔が微妙に丸くなっている。「このくらいなら、気付かないよね…」「清蘭、顔丸くなった?」「なんでそんなに目ざといのよ」知り合いには誤魔化せない気がする。走り込みを二倍にした。団子も激烈に搗いた。――杵が壊れた。

 

そんな私の異常行動を見ているのかいないのか、デブはいつでもマイペースだ。ほとんど毎日里中を荒らし回っているのだろう。たぶん。「ねえ清蘭」なによデブ。「清蘭って結局、私みたいなのに興味あるの?」――ぶっ! お茶を吹き出してしまった。「…いや、よくわからないけど」

 

「――今日は私も、そこそこ食べてきたんだ」確かに何度か、店屋ですれ違った気はする。…里中の飲食店をハシゴしたんじゃないでしょうね。「抱き着いてみなよ。あの時みたいに」私は戸惑った。あの時――あれか。監督が抱き着いてた。「いいの?」「いいよ」何の確認を取ってるんだ?

 

私はそれに抱き着いた。私の腹が柔らかな脂肪を押し退けようとして、更に硬い硬い内側と衝突した。「むふー」…確かにこれは、すごい。立ち上がって腹を合わせて、押し合った。デブの手が私の背中に回った。私の手は、とても回らなかった。「いいもんだろ、これ」「…そうかしら」

 

腹を合わせて、抱き合った。「…何してるんだろ、私達」「なんでもいいさ」デブの太い腕が、私の首を引いた。腹に互いの距離を邪魔されながら、若干無理矢理に、しばらくぶりのキスをした。その内、前からはできなくなりそうだな。どうでもいい――いや、切実かもしれない事を考えた。

 

―――

 

  ―――

 

胃袋の成長に運動量が追い付かない。暴飲暴食は週四に変わった。足が痛くなってきて、走り込みは止めてしまった。代わりとばかりに、団子を破壊的に搗いた。――臼が壊れた。反省して、それも止めた。ぺったんぺったんしている間も、目の前の団子を見て平静が保てなくなっていた。

 

いつもいつでも、食べ物の事ばかり考えている。それも、底なしに。今日は玄関に倒れ込むほど食べてきた。しかし更に団子を詰め込む。水で流し込む。冷や汗と吐き気を押さえ、なんとか立ち上がって体重を計る。元が64kg、82cm。今は――76kg、98cm。私の中には12kgが詰め込まれている。

 

大の字に寝転がった。あの日から私はどうかしてしまった。食べるのが好きなどと生易しい事ではない。腹を膨らませるのに夢中なのだ。運動を止めてから体重もまた増えた。今のペースだと70kgなんてすぐに行ってしまうんじゃないか。腕をつまんだ。足をつまむ。やはり脂肪が乗っていた。

 

「おーい、清蘭?」デブの声に適当な返事を返した。今はそれどころじゃない。「つれないなぁ清蘭、例の仕事の話なんだけど」びくり。私は背中を震わせた。「また来て欲しいってさ。…どしたの清蘭?」私は嫌悪と共に、歓喜を感じていた。あの美味しい料理を腹一杯食べられるのだ。

 

「受ける?」「――受ける」私は無理矢理に座り込むと、デブの顔を見た。「だと思った」

 

―――

 

  ―――

 

「ビューティフォー! ハラショー!!」監督は困惑する私を撮りまくっている。「何kgお増で? んああ仰らないで。こちらに体重計がございます。ささ」若干失礼な気がするけど、まあいいか。今日は何も食べていない。体重は――67kg、85cm。「ワオ! 15kg!?」うるさいなこいつ。

 

確かに太った。いつもの服はこっそり仕立て直したけど、それでも誤魔化せないほどに胸や腹が出っ張っている。脚や腕はもう諦めた。それでもどういう訳だが、最近は人妖に声をかけられるのだ。以前は興味すら持たれなかったのに。…こいつら胸と腹しか見てないのか?

 

デブの方はおよそ128kg、138cmで変わらない。…あの身体を維持するにはあれだけ食べないといけないのか。それともデブの燃費が極めて悪いのか。「此度は人員を増やしまして、これでおよそ三倍の速度で料理をお届けできる訳ですねェ。はい」確かに、白狼天狗が三人に増えていた。

 

椅子に座る間もなく、料理がどんどこと運ばれてくる。給仕――やはりメイド服?――も四人になっていた。食べ物の津波をすごい勢いで運んでくる。デブが喉を鳴らした。私もそうだ。「どうぞ、お食べなさって」その言葉を待っていた。私とデブは料理の捕食者として激しく振舞った。

 

「負けないぞ、清蘭」「勝てると思っちゃいないけどね…」デブがモリモリと料理を片付けている。私も食べる。きっとデブと同じくらいの速度で食べる。皿を空にするのは、あの時よりも遥かに簡単だった。一日振りの食べ物だ。とにかく美味しいそれを、嬉しみと共に胃に納め続けた。

 

「あやッフー! あやややッフー!!」監督の台詞が段々壊れてきていないか?「やるじゃないか」「そりゃね…」いつも店屋で食べるほどの量を胃袋に詰めた。およそ5、6kg。ここまでは美味しく食べられる。ここからは、意地と根性だ。コロッケにマヨネーズを掛けながら、私は気合を入れ直した。

 

サラダにたっぷりドレッシングをかけて捻じ込む。ミートパスタをすすり込む。カステラを手づかみで食べる。ベーコンエッグを切り刻んで食べる。チャーシューを塊ごとかじる。ごはんですよをこそぎ取る。親子丼を腹の中で再会させてやる。ぶどうジュースを一気飲みする。茹で卵を――

 

ぐええぇっふ! 大きなげっぷだ。今はあまり気にもしなくなった。外食では流石にやらないが――漏れてしまう事もしょっちゅうだ。再び片付けにかかる。まだだ。まだ胃には余裕がある。もっと大きく膨らむんだ。私は腹を撫でながら、息を整えた。デブの方を見る、若干デブが追い抜いた。

 

フォーチュンクッキーを割る。大願成就。ならばもっと、もっとやれるはずだ。私は食事を再開した。カレーがナフキンを汚した。どっちにしても洗濯するのだ。構うものか。ビーフシチューを呷る。フランスパンにバターをしこたま塗って、下から齧る。味変にマヨネーズが乱れ飛ぶ。

 

流石にちょっと、いやかなり、きつくなってきた。デブの方を見れば、ペースダウンした私とは裏腹にどんどんと料理を吸い込んでいる。張り合っても仕方がない――いや、まだだ。例え追いつかなくても、自分の最大の量を食べたい。私はやはり、膨腹なる行為に狂っていたのかもしれない。

 

料理は際限なく運ばれてくる。あの時のように限界は見えていない。ならば食べるしかないじゃないか。私は食べた。食べ続けた。胃が悲鳴を上げても、肺が自重を求めても、食べ続けた。遂に、テーブルへ腹が届いた。めり込む余地は、ほとんどない。表面の柔らかい部分は伸びきっていた。

 

硬く硬く張り出した腹が、テーブルを押した。押し続けた。流石に動きはしなかった。しかしこのまま、食べ続けていればどうだろうか。私は妙な想像をしていた。これを押し退ければ私の勝ちだ。何を考えているのか自分でもわからない。だがそれは、確かに私を限界へと突き動かした。

 

食べる。押し合う。食べる。押し合う。一皿、一皿毎に内から膨れ上がる感覚は、しかしテーブルを押しのけるには至らない。まだだ。まだ圧力が必要だ。テーブルとの間で押し合う腹が段々と痛くなってきた。後ろに下がろうか。――いや、やるんだ。やってやる。私にはそれができる。

 

ゴゴ、とテーブルが動いた。やった。私は勝ったのだ。食らい尽くす手が止まった。きっと限界ギリギリだった。これ以上は羊羹一本も――意外と入るな――入らないだろう。二度、大きなげっぷをした。私は手で制し、最後の味噌汁を口に流し込んだ。これでスペースは、完全になくなった。

 

息が苦しい。いや、できない。できていない。気を抜いたら気絶しかねない。破裂寸前の腹を撫でた。私自身が腕を回したら、或いは後ろまで届かないんじゃないか。監督が正面から、横から、そして斜めから、何度も撮った。促されるままに、半ばずり上がってた上着を除けて、腹を露出した。

 

監督はやはり狂っていた。私の腹に抱き着いていいか聞いてきた。別に減るもんじゃないし、と私は承諾した。…監督は既に鼻血を出していた。慌てた様子でそれを拭い、監督は私の腹に抱き着いた。頬を当てる。顔を埋める。撫でまわす。立ち上がり、わたしの背に腕を回す。

 

それは簡単ではなくなっていた。腹と腹を押し付け合う。監督は細身だ。私もそうだったはずなんだけど。一通りさすり回して満足したのだろう。監督は冷静さを――取り戻したフリをして、今度はデブの方を撮り始めた。私の机の料理はすべてそちらに向かっていた。エコである。或いはエゴか。

 

しばらくそちらを眺めていた。私の腹も少しずつこなれてきた。相変わらずのスピードで料理人を酷使している。しばしの後、デブは手で制した。残された料理をすべて平らげ、こちらを見た。何よ。「やるようになったじゃないか」そりゃ、前よりはね。「なるつもりは――まあ、なくもないか」

 

監督が暗幕に飛び込んでいる間、私達はしばらく消化に集中していた。白狼天狗達が尻尾を振っている。烏天狗が何やらひそひそ話を始めた。こちらをじろじろと見ている。一体何を話しているのやら。デブの方を見る。肘を机に立て、こちらを見ている。あんたもなんなのよ、まったく。

 

「さてさて、最後はやはりこれでしょう」箱から白い液体の入った容器を取り出した。二つ。「清蘭さん、お先にやられます?」まあ、私が先だった訳だし。「ややや、こちらへ」手足が拘束され、漏斗が口に入る。少し高い所からクリームが――流し込まれた。甘い。しかし、不愉快ではない。

 

喉を鳴らし、それを飲み下した。先程まで破裂寸前まで食べていたとは思えない。まだ入る。まだいける。…もしかすると、一つ全部行けるかもしれない。私は飲み込み続けた。――しかしまあ、そういう訳にもいかなかった。限界は突然に来た。ッ――! もう駄目だ、これ以上は――!!

 

慌ててうめいた私を、監督はやはり無視した。「残り二割、二割です。ふへへへぇ…」そうなると思った。飲み込めないクリームが喉元まできている。息ができなくなる。慌ててそれを飲み込む。胃袋に鉄球を投げ込まれたような感覚が襲う。寸前ではない。既に裂けているのではないか。

 

涙がこぼれた。このまま死んでしまうのか。ごくり、ごくりと飲み下すそれはもはや反射だ。私の意志とは無関係に行なわれている。胃袋が上から下まで飛び上がった。何処にも隙間はない。前へ前へ迫り出すだけだ。監督の手がそれを撫でた。愛おしそうに、ゆっくりと。

 

「――さあ、おしまいです」監督が拘束を解いた瞬間、私は床に倒れ込んで、激しく息を吐いた。腹が破れる。死ぬ。死んでしまう。それを押さえるべく、無駄な足掻きをした。撫でる。撫でる。監督が写真を撮っている。そんな事はどうでもいい。湧きあがる吐き気を必死に抑える。

 

「大丈夫です、大丈夫。今までどうにかなった人は――まあ、数人はいますが」全然気休めになっていない。「もうやらない…」「ややや」やややじゃないが。…そんな事を思っていたら、耐えきれない痛みが少し楽になったような気がする。息もできる。苦しいのに変わりはないが。

 

「ささ、鈴瑚さんも」監督はデブにも同じ事をした。そいつは一切滞りもなく、平気な顔でそれを飲み下して見せた。「次からは三つ必要ですかねェ」正気を疑うような発言を、私は聞かなかった事にした。とりあえず半分ずつ、なんて言われたら、確実に死ぬ。私は椅子に座り直した。

 

「それでは…フヒヒッ…」わかってますよ。「それでは、嬉し恥ずかし体重計へ」嬉しくもないし恥ずかし――くは、あるけど。促されるがままに体重計に乗った。「元は67kg、85cm、今は――85kg、112cm!? じゅうはちきろ! あやややや!?」監督が発狂した。いや、元々狂ったような人かもしれない。

 

デブの方は元が128kg、138cm、今は164kg、172cm。プラス36kg? …着実に増えてるじゃないの。「あやややぁ…」監督は相変わらず壊れている。多幸感で人は死ぬのだろうか。…まあ、いいか。私達が体重計から下りると、監督は復活していた。「最後に、…わかりましょう?」

 

「その、おさわりをば」わかって――はいるけど、これ過剰サービスじゃない?「ややぁ、流石ですねぇ鈴瑚さん」監督がデブの腹に抱き着いた。私もだ。監督の手がデブの腹を、そして私の腹を撫でまわした。胸を揉もうとしたので、つねってやった。デブの方は全然気にしていないようだけど。

 

視線の端で、白狼天狗がもだえていた。メイドはじっとこちらを見ている。なんだかよくわからないけど、私達に興味を向けているらしい。興味というと。…この身体? 案外監督と同じ趣味だったりする?「それでは、今宵はお開きという事で…。ふへへ…」どうにもしまらない、にやけ顔。

 

渡された封筒には――待って、前よりかなり多いんだけど。「それだけの価値がある訳ですよ、フヒッヒ…」「私は同じくらいかな」それでも私の何倍か貰ってるんだって?「清蘭さん、あなたは我が写真屋の期待の星です。これからも御贔屓に」「は、はぁ…」褒められているのか何なのか。

 

中で休憩している間に、腹も大分こなれた。迫り出した腹の方は殆ど変わっていないけど。若干苦労しながら椅子を立ち、外へ出た。デブが先に上がる。…倒れてきたら確実に潰されるな、これは。前と同じ感想を覚えながら、私は一度だけ振り向いた。…私は何をしているんだろうか。

 

どうせまた、来てしまうのだろう。多分、お金だけじゃない。自分自身の欲望の為にここへ来るんだ。理性で考えれば馬鹿らしい。けど、感情は欲望を満たせ、と囁きかけてくるのだ。…胃を休めたら、また店をハシゴしよう。もっと胃を大きくしたい。デブじゃないけど、訓練かな。これは。

 

―――

 

  ―――

 

「行こうか」鈴瑚と手を繋いで、私達は里の店屋を回った。ハシゴしながら、私達は店の一番大きなものを食べた。私達の事を、誰も特に気にしていなかった。大食い兎の評が流れたのは昔の事だ。苦しくなれば、茶屋のベンチで休んだ。ついでに羊羹も一本頼んだ。私達は常に食べ過ぎだった。

 

あれから何度か仕事をした。こっそり教えてくれたが、あの写真は幻想郷中の好事家が高値で買い取ってくれるらしい。良ければ斡旋しますよ、と言われたが、断った。そっちの気はなかったし、私の目的は――ここでめちゃくちゃに食べる事だから。そう言うと監督は悶え狂っていた。

 

「今日も良く売れたわ」「こっちも完売だよ」売上は右肩上がりだ。まあ、団子の妖怪が団子を売っていたら珍しいかもしれないが。案外、これは里人を悉く太らせる為に考えられた鈴瑚の計画の一環なのかもしれない。それはそれで嫌な話だが。私は取っておいた一つを頬張った。

 

団子屋を辞める気はなかった。これはライフワークだ。新製品をどんどん打ち出すせいでイロモノ団子屋と呼ばれ出したのは困るけど。鈴瑚の方も同じだ。双方ともよく売れる。声もしょっちゅうかけられて、いなすのが大変になった。絶対体型と相関があるってコレ。

 

「鈴瑚の歩き方って――そうだ、青い狸みたいね」「確かにそうかも」最近の鈴瑚は常に数センチ浮かんでいる。どうも歩くのが嫌になったらしい。膝をやったのかもしれない。まあ、歩かなくなったらますます太るんじゃないかしら。当人は全く気にしていないようだけど、ね。

 

…私の体重? いや、全然太ってない。鈴瑚は130kg超えたらしいけど、私は70――いや、75?――くらいだ。ホントに。私は鈴瑚ほど無節操じゃない。暴飲暴食だってたった周五くらいだし、団子搗きで運動だってしてる。服のサイズは、まあ、三段くらい上がったけど、誤差よ誤差。

 

――確かにまあ、横には広くなった。少し。鈴瑚よりは全然太っていない。ちょっとばかし、腕が太くなって顔が丸くなって、後はお尻と足が太くなったくらいだ。胸はバインバインだからいいのよ。うん。まだ大丈夫。いくらでもダイエットできる。たぶん。…自分でも信じちゃいない。

 

「夜はどうする?」「今日はしていい日だから」私は鈴瑚の後に続いた。何処も店じまいまで食べ尽くしてやる。財布を気にせず好きなだけ食べる。それはきっと、素晴らしい娯楽の一つではないだろうか。鈴瑚も、私も、限りなく欲深いのだ。きっと。一つの店が、大食い兎を受け入れた。

 

 ◇◆◇◆◇◆

 

「何これ、鈴仙の写真?」「ええっと、それは…」

 

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