―互いの枷―
あいつと私は、同じ日に生まれて、同じ場所で育った。ひよこの頃から泣かされてばかりだったらしいが、だからと言って恨んで殺そうなんて事はしない。私は理性的なのだ。ホントだぞ。…それはまあ、ともかく。私は大天狗という役職を戴き、あいつは不良天狗として好き勝手に生きている。
尤も、奴はいつも遊んでいる訳ではない。不良天狗の立場は、ある意味では重宝されているからだ。山の老人達の利害対立を取り持ったり、お家の傭兵として様々な面倒事を処理したり、或いは武力――奴の強さは私が良く知っている――を行使する。フィクサー、後ろ暗い調停人という奴だ。
実際、私も何度かあいつの力を借りた。大天狗ともなれば、敵の一つや二つは抱えるものだ。注意深く扱えば典も役に立つが、荒事にはてんで向いていない。そういう仕事は、奴の得意分野だ。話術もできる。暴力もできる。そして典と仲良しだ。…お前ら、変な化学反応起こさないだろうな。
「いやはや、易い仕事でしたねェ」あいつは私から渡された紙幣を数えている。…実際、金銭にあまり執着はなさそうだが。仕事の準備に大金を使って、収支がゼロなんてのも珍しくないらしい。欲しいのは、名声――とは少し違うな。まるで自分の名を諸所に刻み込む為に動いているように思える。
「お前の手際は感心するよ。流石は不良天狗」「おや、不良はあなたも同じでしょう。暴れん坊の大天狗」最近ついてしまった渾名を、奴は如何にも面白げに呼んだ。奴の言葉は――まあ、事実だ。上昇志向は人より強いと思う。しかし、そうでなければ大天狗になった甲斐がないというもの。
引き際は弁えているつもりだが――まあ、何事も攻めて攻めて攻めまくるべきだ。何事も、な。「所であなた、聞きましたか。近々、興味を引く催しがあるとか」「催し?」聞いた事はない。まあ、卑近な事まで大天狗の耳に上がってくるとは限らない。「参加しようと思うのですよ、わたくし」
「ふうん」私は正直な所、興味がなかった。大体何の催しなんだ。天体写真とかなら覗いてやってもいいが。「ベストカップルです」「…は?」近付いてきたあいつが、顔を覗き込む。「ベストカップルショウ」あいつはニヤリと笑った。「あなたと私なら、優勝もかっさらえると思いますよ」
◇◆◇◆◇◆
「――何で引き受けちまったかなぁ」いや、全力で嫌がったんだが。私は大天狗だぞ。お前よりずっと偉いんだぞ。…とはいえ、そこは権力になびかぬ不良天狗。つい口車に乗せられてしまった。入賞すればカッコイイだの、名を上げるチャンスだの。…何となくその気になってだな。
「ほら、黄昏ている場合ではありませんよ、飯綱丸」典と何やら悪い相談をしていた文が、こちらを向く。「次は愛のジャイアントスイングです。あなたが振り回します? それとも…」「私がやるよ」こいつに振り回される側になったらどうなるかわからん。こちとら真天狗だぞ。
「しかし何だ、めちゃくちゃな競技ばかりだな」何というか、体力を使う仕事ばかりだぞ。「世間の目は厳しいのです。今時は話題性に振り切れておりまからね」空中宙返りの粗品をかじりながら、文は笑った。「会場が盛り上がるなら、勿論私達も盛り上がらなければなりません」
いやな、私的には盛り上がれる要素がないんだが?「私は楽しんでおりますよ。あなたもそうなさいな」そうかそうか、そりゃ良かったな。憤慨する私の前で、文は典が撮った――お前写真とか撮れたの?――写真を物色し始めた。「ほら、入場式。初々しいですね」そりゃ出来合いだものな。
――それからも珍妙な競技は続いた。おにぎり食い競争はまだマシなほうで、丸太で棒高跳び、パンツ――いや待てよ――レスリング、終いには飛行禁止で危険な足場を飛び移る、なんてのはいくらなんでも無茶だ。…なんだかんだ、二人ともゴールできたんだが。脱落者が多かったったからな。
そういう訳でなんとなくポイントを稼いだ私達は、人の波に囲まれている訳だ。…帰りたい。「ほら、シケた顔してないで」「シケるわ」最終競技は、――ダンスだ。突然文化的になるなよ。…そうなっているのだから仕方はないが。まあ、古風なのでよければ舞いの一つや二つは――
「社交ダンスですって」「…え?」「社交ダンス」いやいや、どう考えてもおかしいだろう。何故突然そんな舶来の。…というか、お前は何処で覚えてきたんだ、そんな単語。「あなたは踊れまして?」まあ、さわりくらいなら…うん。できん事もない。つまりはできないのと同義だが。
「わたくし、経験がありませんもので」ふふ、とあいつが笑った。「あなたがリードしてください。お願いしますからね」…ちょ、待て。お前がわからないんじゃ踊りようがないだろ。「無経験よりは幾分かマシでありましょう」唇に指を当て、あいつは笑った。こいつ、いやに挑発的じゃないか。
司会が私達の名を呼んだ。人の波が引いていく。参加者の周囲に空間ができた。これで十二分に踊れるというものだろう。…どうすっかな、これ。「どうしようって顔してますね」「そりゃそうだろ…」ここで失態を晒せば大天狗の沽券に関わる。「後には引けませんよ。覚悟なさい、飯綱丸」
音楽が始まる。下駄が床を叩く静かな音が鳴り始めた。いわゆるドレスではないが、天狗の礼装は十分に華美に映っただろう。袖がなびく。ふわりと持ちあがる。時に離れ、時に近付く。この踊りは外で格式高いとされるそれを、天狗がアレンジしたものだ。主に下駄や翼の動きが加えられている。
私達の踊りは――不思議なくらいに、上手くいっていた。こいつ、知らないと言いながら、しっかり動けているじゃないか。「真似しているだけですよ」あいつが耳元で囁いた。それで、これだけ動けるのは才能という奴か。…昔からこいつは天才肌だったからな。私が努力型と言いたくはないが。
踊りもたけなわだ。私はあいつの手を取り、くるくると回してやった。この部分だけはしっかり練習していたからな。派手だから。「これは上手くいったでしょう。あなたのリードあってこそですよ、飯綱丸」そ、そうか? 何だか照れるじゃないか。「しかし、少々硬かったですね」うるせえ。
――とりあえずは上手くいっただろう。優勝は――いや、正直私にとってはどうでもいいんだが――どうだろう。司会の言葉を待つ。何やら審査員の間で紛糾しているようだが、別に私は手を回したりしていないぞ。…そう見られても仕方ない気はしないでもないが。私は大天狗だからな。
やがて大喧嘩も収まった頃に、司会は大仰な身振りで手を伸ばし――指した。宣言されたのは、私達の名前だった。…おいおい、マジかよ。「優勝ですって。やりましたね、飯綱丸」…いやまあ、かけらほどは嬉しくない訳ではないがな。こういう場でカップル扱いされるのは、恥ずかしいぞ。
にわかに湧きあがった会場の中、私達はどうしようもなく注目されていた。…はは、もう手を振るしかない。文ははちゃめちゃに手を振っている。こいつ、ばっちり楽しんでやがる。――やがて司会が告げた言葉に、私は耳を疑った。確かにこう聞こえた。――優勝者は勝利のキスを、と。
「き、きききキスぅ!?」「おや、周りに聞こえますよ」あいつは私の口に指を当てた。「なんて事はありません。ただ唇と唇がぶつかるだけです」「いや、しかしだな――それはちょっと」私は完全に動転していた。あいつの顔を見て、そして唇を見た。おいおい、私はまだ、そういう経験がだな…
「最後まで覚悟し続けなさい、飯綱丸」あいつが、私の腰に手を当てた。「この場で失態をかませば、観客を落胆させるというもの」あいつは目を瞑った。これは、ああ、その、何だ――ええい、こうなりゃヤケだ!「やるぞ」「どうぞ」お前の顔が近付く。なんてことはない。なんてことは…
私達はそっと顔を近づけ――文の頭を引き寄せて、キスをした。周囲から歓声が上がった。
「…あくまで自分からではない、と。中々の卑怯者ですね。あなた」口を押えながら、文は呟いた。「まあ、いいでしょう――良かったですよ。とても」視線を外し、文は呟いた。私の腰から手を放し、そして己の耳に触れた。それが意図する所を、私は理解しなかった。…卑怯者、か。
そういうつもりはなかった――いや、あったかもしれない。わからない。ただ、お前に自分からキスをするのが、怖かったんだ。「すまない」「謝るなら、最初からしない事ですね。飯綱丸」いつものにやけ顔を取り戻した文は、再び私の腰に手を回した。「さて、退散いたしましょう」
私達はしめやかに壇上から降りた。場は熱狂していた。二人を揶揄するヤジも飛び交っていた。私達はこれで名実ともに――共に、なんだ? ともかくとして、ベストカップルに選ばれた訳だ。あいつの望みは叶った。…疲れたな。「早い所帰って、ひとっぷろ浴びたい気分だ。お前もそうだろ?」
「いいえ。もう、少し楽しみましょうよ」お前は何を言っているんだ。「広い会場、何処へ行っても歓迎されますよ。――そう、歓迎をね」「勘弁してくれ…」私はもう帰りたいぞ。「ヴァイタリティの足りない事、大天狗の癖に」うるさいな。私はインテリジェンス極振りなんだよ。
「ふむ、あそこの甘味などよろしいですね。あなたにとってもさぞ美味しい場ですよ。さあ、いらっしゃい。」やめろ。ひきずるんじゃない。「食い物にされるだけじゃないか」「おや、いつも食い物にしておられる大天狗様が情けない。食っておやりなさい」いやいや。…止めろコラ、おい!
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―――
「めちゃくちゃにされた…」如何にも穢された気分だ。首には季節感皆無の首飾りが何重にも垂れ、礼装はもみくちゃにされ、帽子には風船がくっついている。サインまで求められた。それを諦め半分で機械的に処理している間、あいつはひたすら喋り続けていた。よく舌が回るもんだ。
「良い顔になりましたね、飯綱丸」…こいつは何で無事なんだ?「あのくらいはあしらえると思っていましたが――まあ、まだまだですね。ひよっこさん」うるせえ。「まあ、どうやら馬鹿騒ぎもお開きのようで」周囲は既に片付けも半分方終わり、酔っぱらいも叩き出されていた。
「…もうやだ。おうちかえう。何も考えずに十時間寝る」私のぼやきを聞いて、文はクスクスと笑った。何だお前、私にはその権利があるぞ。大天狗はお前よりずっと偉いんだぞ。「ええ、そろそろ帰りましょう。大天狗様はさぞお疲れのようで」私は憤慨して、文を思い切り睨みつけてやった。
「――でも、まだまだ寝込んでもらっては困りますよ」「…どういう意味だ?」意図が掴めない。まあ、こいつの言葉はいつもそんな感じだが。「とりあえず、風呂に入りましょう」そうだな、そうして疲れを取って――「色々なものを洗い流すとよろしい。そう、色々なものを、ね」「…?」
私達は可及的速やかに己の居所へと飛んだ。ニヤニヤ笑いで文が手を繋ごうとしたので、振り払った。どうせろくな事はない。…大体、お前のねぐらはあっちの方じゃないのか。何故ついてくる。「何故でしょうなァ」…まあいい。酒でも付き合ってやる。好きなだけ苦情を入れてやるからな。
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私は足取り軽く、パッパと全裸になった。大天狗様となれば単に個人用の湯があるだけではない。内容も大変に豪華だ。かけ流しの湯、広々とした湯船、シャワー付きの洗面台、伝統的な黄色い桶、鏡の向こうにタオルを巻いた文の姿。いいもんだな、風呂は。――いや待て、文の姿?
「――お、おい!? 何でお前…いや、入ってくるんだよ!?」取り落した手桶がケロチャン、と音を立てた。「おや、拒みなさる」文のニヤニヤ笑い。「カップルですもの、風呂くらい一緒に入りますよ。お背中失礼」硬直した私の背中に、湯がかかる。「おひょっ!? …いや、何でそうなる」
「どうもこうも」手を広げて見せた。やれやれとでも言わんばかりに。「私がそうしたかった、では足りませんか」「足りんわ」私は慌てて各所を隠すと、文の方に向き直った。「年頃の――いや、そうでもないが、人前で肌を晒すのはだな…」「頭の中に化石でも詰まってらっしゃる?」
文はタオルを背に回していた。要するに、何処も隠していなかった。そういうのはやめろ。目のやり場がないだろ。「化石でも何でも結構。私にも倫理観というものがだな…」文はニヤリと笑った。「色々なものを流しましょう、と言ったはずですね」…そうだっけか?「流しましょう。ええ」
後ろを向いてください、と文は言った。私は素直に従った。鏡を見なければ、少なくとも見せられないものを見せられる事はない。「ちょいと失礼を」私の傍から石鹸とヘチマを掠め取る。何をしようと、何をされようとしているのかわかる。…いやいや、私は何をさせているんだ?
「身体、洗ってもよろしくて?」鏡の向こうの文は、楽し気だ。…いやいや、鏡は見ないと決めただろう。「よろしくて?」「ん…ああ…。いいぞ」軽く動転していたので、飛び出した言葉だ。あっと思った時には、もう遅い。文は石鹸をヘチマにこすりつけると、それを私に向けてきた。
大天狗の中にはそういう奴もいる。…ほら、そういう奴だ。わかるだろう。…しかし私は、クリーンなイメージで売ってきたんだぞ。「具合はよろしくて?」ヘチマが背中全体、腕、尻から足元までを洗っている。…いや、確かに届きにくい部位ではあるが、人に触られるのはくすぐったい。
「それでは、前をば」…は?「え、いや、前はいいぞ」「おや、先程ご許可は頂きましたがねェ」いや、確かにそう言ったが、それは言葉のあやという奴で…。「言葉のあやだと、そうおっしゃりたいので?」「うっ…」どうやら見透かされていたようだ。私が言葉に詰まる中、文が近付いてきた。
「なあ、冗談だろ…?」「先程からわたくし、一度も冗談など吐いておりませぬが」私の横、すぐそばまで頭を近づけた文は、いつもの顔とは少し雰囲気が違うような気がした。「カップルとはそういうものです」それはないだろ。それ以前にカップルなんて、あれはコンテストの間だけであって…
「流しましょう。色々と、ね」「うひゃあっ!?」私の奇声すら無視するように、私の首を、乳房を、へそを、それはなぶり始めた。「さぞ汗をかいたでしょう。しっかり洗わねばなりますまい」背中に乳房が当たっている。遠慮のない手は、更に下、下の方へと…「待て待て、それは待て」
「そこだけ洗い残すのは画竜点睛を欠くというものでして」いかん、もはや逃れようがない。「大天狗様の大天狗、これは失礼をば」文の手がそれに振れる。ヘチマだけでは飽きたらず、文は手を使って洗い始めた。丁寧に、至極丁寧に、剥き、洗い、流した。泡の向こうに手の感触があった。
「さあ、綺麗になりましたよ」私が呆然としている間に、それは終わった。「…あ、ああ」シャワーで洗い流されている内に、私はようやく実感を得た。「マジか…マジだよな…」こんな事は夫婦でもしないぞ。たぶん。私の許可なく――いや、許可はしたが――こいつは一体何を考えてる。
「頭も洗って差し上げましょうか」「いや、いい。ホントにいい。やめてくれ」このくらい断らないと、こいつには通じない気がした。文はニヤリと笑うと、鏡の向こうから消えた。…洗うか、石鹸を置いた。頭を掻く。…いや、掻きむしる。洗っている間中、さっきの事が頭を駆けまわっていた。
「いい湯、頂いていますよ」…こいつを放り出すべきか迷ったが、それはそれで面倒な事になる気がする。「いつか返してもらうからな」私は奴から一番遠い場所を選んで、身を沈めた。「…お前、結局何を企んでるんだ」「何も」タオルが頭に乗った。「何も企んでなどおりません」…本当か?
風呂場からはとっとと退散した。文はしばらく出てこなかった。御付きの部下に放り出させるか迷ったが、とりあえず保留した。あいつの言い分を聞こうと思ったからだ。あいつが客人用の寝間着を――貸すなんて言ってないんだが――身につけてやってきたのは、随分後だった。
「長風呂じゃないか、烏の癖に」「今日び烏もお肌のケアを嗜むもので」紅を落とした文の顔は、少しばかり幼げに見えた。「私はそういうのはわからんが」文は角テーブルの隣に座った。「少しは気を付けるべきだと思いますが」笑い声。「そっけない姿は、ウケませんよ。飯綱丸」
「ウケるも何も、私はそういうつもりはない」実際、そうだ。向こう千年は――数字は適当だ――妻を娶る気はない。気が向かないのもあるが、…実際、幸せにしてやれる気がしないのだ。政争の間で、いつ零落するかわからぬ身。好いたものにほど、そんな重責を負わせたくない。
「そうでしょうね。ええ」扇に本来の仕事をさせながら、笑う。「あなたのそういう所を、私は買っているのですよ」「…どういう意味だ?」文は扇で私を差した。「生まれも同じ、育ちも同じ、いわんや性質をや。私達、似た者同士とは思いませんか」そうだろうか。…そうとは思えないのだが。
「生まれや育ちはともかく、お前が私に似ているとは思えないぞ」「表の話ではありませんよ」首を振る。「もっと本質の話です」「本質、なぁ…」私の頭には、傍若無人な不良天狗と、野心を抱いた大天狗しかいないように思う。奴が言ったのは、本質。…もっと本質、本質か――
「…なまっちょろいとでも言いたいのか?」私は少しばかり不機嫌になった。「近いですが、まあ…そこまでご自分を卑下なさらずに」指が机を叩く。「あなたは優しい、どうしようもないほどに。私は烈しい。如何にもそのように。――しかしてその本質は、いくじなしなのですよ。飯綱丸」
…お前が、いくじなし? いや、私はそういう所も――いやいや、あるかもしれんが、お前はそうとも思えんぞ。現に今まで、その烈しさで世を渡ってきたんだろうに。「大胆不敵、の間違いじゃないのか」文は首を振った。「それは私の一面に過ぎません」「…なら、お前はどんな面がある?」
「――恋。そう、恋です」…思いもよらぬ言葉が出た。「私にはそれを口にする事が、ついぞできなかった」「…それが、お前の隠された一面?」「ええ、そうです。わたくしとて、恋くらいします。そして、そのすべてに破れてきた」一方的ですがね、と文は呟いた。それは自嘲にも聞こえた。
「伝わらなければ、決して振り向かせる事はできない。苦い教訓でした。だからこそ、私は、私の存在を示したかった。刻み込もうと思った」――指が離れ、文自身の首を裂くポーズをした。「それが、私にできる限界でした。私の残滓を見て、好いた誰かは振り向いてくれるのではないかと」
「実際の所、それは無駄な足掻きに過ぎなかった訳ですが。私の痕跡を見たとして、誰も私を見ようとはしなかった」文の顔に、陰りが見えた。「…そうですね。不良天狗などを顧みる人など、いるはずがない」文は額に手を当て、遂には机に突っ伏してしまった。ばつの悪い沈黙が流れる。
「――それでも私は、行動で示そうとした」「…行動?」「ええ。口で伝えられないなら、そうするしかない」伏せた顔の向こうで、文は話し続けた。「話術を覚えました。しかしそれは、愛する人の前では何の言葉も紡ぎだせなかった。風を磨きました。しかしそれも、己の傲慢を強めるだけ」
「結局は愛を語る――いや、単に話しかける事ができなければ、気付いてすら貰えないのです。誰もがそれをする。しかしそれが、私にはどうしようもなく難しい」文の背中が、震えているように見えた。「――こんな話をするのは、どうしてだと思います?」「…さあ、な」
「私は恋多き女です。…いいえ、そうでした」顔を上げた。「もう恋なんてしない。そう思っていたんです。ただ一つを除いて」こちらを向いた顔は、涙を流していた。「私はいくじなしです。だからこそ、あなたから私を見つけて欲しかった」大粒の涙が、畳を、机を、お前自身を濡らしていた。
「催しに誘ったのは、その為でした。私には行動しかできない。――まさか優勝するとは、私自身思っていませんでした。あなたとキスをした時、私の中で何かが変わった気がしました。ああ、やはり私はあなたが好きなのだと。行動で返されたならば、行動で返さねばならない――」
「それで、風呂場のあれか」私は徐々に――なんだろう、これは。友愛、違うな。冷笑、これも違う。期待――そう、期待だ。お前に振り回されるのを、或いは楽しんでいたかもしれない。それは私が、いくじなしだからか? お前の行動がなければ、何も理解しようとしなかったからか?
「私とあなたは似ていますよ。飯綱丸」文はしめやかに私の隣に座り――身体を、預けてきた。「伝えられない私、感じ取ろうとしないあなた。いくじなしです。私達は」私は黙って、それを聞いた。「私が必要だと言ってください。そうしていただけるなら、私はあなたに、見つけられます」
考えた。答えは出そうになかった。お前を見つけたよ、と囁く事はできただろう。しかしそれは、私の仕業ではない。心にもない事を伝えるほど、私は不誠実ではないし、あろうともしない。…いくじなし、か。私は確かにいくじなしだ。夜空の星、そこにあるお前を、見つけるのが恐ろしいんだ。
「――私には、無理だよ」お前の身体から身を離し、私は言った。…いや、呟いた。私自身、或いは伏せてしまいたい気分だったかもしれない。「――ええ、わかっていました。その反応も」文も、身を引いた。「初めて、言葉で伝えたかっただけです。推し量るような真似をしました。すいません」
文は泣いてはいなかった。笑ってもいない。どうしようもなく、無表情だ。私には再び声をかける事ができなかった。…ああ、やはり私はいくじなしなのだ。「帰ります」立ち上がった文に――そうだ、何かを言わなければ。いくじなしにだって口はある。何か、かける言葉はあるはずだ。
「待て」私は寝間着を引いた。「待ってくれ。…頼む」文はこちらを振り向いた。それは無表情――いや、無を砕いた顔が、濡れそぼっていた。「私を弄ぶつもりなら、もう構わないでください。あなたはただ、いくじなしを温めながら見送ればよろしい」…違う。「…いいから、座ってくれ」
文は私の目の前に座った。…いや、崩れ落ちた。「あなたは私を引き留めました。しかしもう、終わった事なのです。――世間話でしたら、今日はご遠慮いたします」終わった。…終わってはいない。きっと、終わっていないはずだ。「お前は私を見つけてほしいと願った。しかし私は――」
「…そうだ。お前を見つけられなかった。」文の身体が、ぶるりと震えた。「だが、もしお前は既に見つかっていたとしたら?」私は顔を覗き込もうとした。「お前は手段に囚われて、視野狭窄に陥っていってはいなかったか?」僅かに、困惑したように見えた。私が促すと、静かに顔を上げた。
「夜空の星を愛するものは、時にそれを我が手の中に置きたいと感じるものだ。そう、私はもう…お前を見つけていたんだ。ただ――そうだな。お前という星を、手元に置こうとはしなかった。星が私の為に瞬いているなんて、思いもよらなかったんだ。――すまない。下手だったかな」
文は首を振った。「悪くはないですね。しかし、女をたぶらかすには、いささか淡白でしょうな」文は涙を流しながら、しかして悪態をついた。「もう見つけていた、と言われれば――確かにそうかもしれませんね。今更聞く事でもなかった。そう言いたいのでしょう。あなた」
私は膝立ちになり、文の手を取った。崩れ落ちたその身体が、私の誘うがままに動いた。元居た場所に座らせると、文は少しだけ平静を取り戻したように見えた。悪態もつけるのだ。大丈夫だろう。私はそんな事を思いながら、文の方を見ていた。涙が一筋、流れていた。
――どちらからともなく、その身を布団に誘った。互いにそういうつもりではなかったかもしれないが。「あなたはいくじなしですね」肩を抱き、文は囁いた。「私もそうです」私は肩を寄せると、静かにその身を抱き込んだ。それが、私達の今の限界だった。「いくじなしはお互い様だろ」
「ええ、いくじなしの烏さん。あなたの方から誘うべきでしたね。言い訳はできませんよ」「…いやまあ、そうかもしれないが」「…それで、どうしましょう、これから」文の指が、私の唇に触れた。「私の方も、準備ができているとは言い難い。奥手なので」…奥手は風呂であんな事しないだろ?
「――まあ、そうだな。…抱き合うか。とりあえず」そっと、腰に手を回す。「いろはのいでございますね」文の手が、私の腰を抱き寄せた。互いの乳房が押し合う。「それで、どうします?」「…どうしよう」あまりにも情けない台詞を聞いて、文はクスクスと笑った。「この、いくじなし」
「私だって色々考えているんだぞ、その――交わりとはどんなものか」「素直でよろしい」私の首元に頭をうずめた。「愛し合う二人は――そうですね。まずはいちゃつくものでしょう」「い、いちゃつくのか…」いちゃつくって具体的にどんな――ああ、こういう事を考えるからいけないんだよ!
「いちゃついてみよう」「どうぞ?」私は意を決して、…文の頬を撫でた。「ほう、それでそれで?」それを軽く掴むと、むにむにと揉んだ。「柔らかいじゃないか」赤い瞳が、こちらを見ている。「70点くらいですかね」文も私の頬をもにゅもにゅし始めた。…うむ。「これでは子供の遊びだな」
「――いいじゃないですか。カップルなんて、箸が転がってもおかしいものでしょう」文は頬を離し、今度は耳をさすり始めた。「うひょっ」そこは弱いんだ。勘弁してくれ。「随分と感度がよろしいようで」ああ、変な事を知られてしまった。「私もなんですよ」「…そうなのか?」
試しに撫ぜてみる。「んっ」…本当らしいな。長い耳を元から撫ぜ上げる。「…っ、はぁ」繰り返している内に、頬が俄かに赤く高揚してきた。…いや、本当に弱いんだな。私はこそばゆい程度だぞ。「も、もうやめましょう」「…ああ」嫌がらせてもよかったが、後で何倍返しされるかわからん。
「それでは、キスしましょう」…えっ、キス?「一度も二度も同じですよ。わたくしめはあなたの唇を所望します」いや、二回は同じじゃないだろ。「本当に欲しいのか?」「逆に、何故嘘をつくとお思いで」「そうか、そうだよな…。しかし、私には心の準備が必要であって…」
「断るならそれもよろしい。しかし、今しか開いておりませんよ。私の唇」こいつの視線はいつも意地悪だ。「…わ、わかったよ。する。してやるさ」今度はお前の頭を近づけるんじゃない。私がリードして…うん。リードして…してやるったらしてやるんだ。私は大天狗だぞ。お前達より以下略。
目を閉じる、闇雲に唇を突き出す。…なんか違うな。目を開けて見合う…これもなんか違うな。「どうなさる?」いや、私だってしようと思ってるんだが。「仕方のない人ですね」私の頭に文の手が廻り、それを近付けた。「あとはあなたがやるんです」やにわに近付いた顔がにやついた。
私は――そうだ。大まかにはあの時と同じようにすればいいんだ。口を閉じた。顔と顔が最も近づく。唇と唇がついに当たった。やったぜ。…さて、これからどうすればいいんだ? 戸惑う私の瞳をじっとみつめていた文は、…突然、私の唇の中に舌を入れ始めた。「!!!??」思わず口が開く。
文が目を細めた。…そうか、つまりそう言う事をすればいいんだな? 私も、…そうだな、意を決して、文の口の中に舌を入れた。互いの舌が絡み合う。…聞いた事があるぞ。これがディープキスというやつか。一通り満足したらしい文が舌を引いた。唇と唇が離れ、私は息を吐いた。
「…ここまでするなんて聞いてないぞ」「そうでしょうね。言いませんでしたから」手で口を隠しながら、文は笑っていた。こいつ、いつかわからせていやるからな。「さて、いちゃいちゃはこれでお終いでよろしいので?」ああ、何だかもう疲れてきたよ。「そうしようか」「そう、それなら…」
「後は交わりですね。交わり」「…は?」いや、わかってはいたんだが、実際その段になると期待よりも困惑の方が先に来る。「交わり…ってお前、そんな連呼する言葉でもないだろ」「でしたら、セッk…」「それもやめろ」ああ、いかん。こいつを調子に乗らせると、無限にいじられるぞ…
「わかった、しよう」「さようで。ええ、致しましょう」…と言ったものの、どうすればいいんだ。想像もつかんぞ。しまったな、そういう書物もよくよく開いておくべきだったか。向こう千年は必要ない予定だったから、戸棚の裏の下辺りに隠しt、…いや、仕舞ったんだった。
まあ要するに、私の性的な知識はそこらの犬猫以下という訳である。…自分で考えていて悲しくなってきたな。だからといってこいつにリードさせるのは――してやるんだと決心した手前、情けなさ過ぎるぞ。…ああ、こういうのを指して、私はいくじなしと呼ばれるんだろうな…、
「さて、何をしてくださるんです?」「…正直な所、わからん」ああ、遂に観念してしまったぞ、私。「あなたは如何にも予想通りでいなさる」文の手が宙をはたいた。「…まあ、それならそれで、私もそれ以上は求めません」脚を絡めてきた。「こうしていましょう。一緒に」こうしてって…
「ただ、抱き合っているのも乙なものですよ」互いの距離が近付く。「好きですよ、飯綱丸」文が再び首元に頭を乗せた。私はしばし硬直していたが、やがてそれを抱き寄せた。「…好きだ、文」――秋の終わり。肌寒さが訪れた山の中で、私達はただ、抱き合った。それはとても暖かいものだった。
―――
―――
結局私達は、朝までずっと抱き合っていたままだった。人払いした部下も戻ってきて――私らの行為を見て、目を白黒しながら無礼を詫びた。…まあ、こんな時間まで半裸でいる方が悪いんだが。結局はもう一度人払いを命じ、私達はようやく互いの枷から離れる事ができた。
冷めた茶を飲み、頭を掻いた。文はまだ、私に背中を向けていた。「攻めて攻めて攻めまくる…なんて、言ってませんでしたか。あなた」やかましいわ。「まあ、飯綱丸らしいですね」こちらを向いて、微笑んだ。「根が優しすぎるんですよ」指が布団をトントンと叩いた。
「どうします?」文は肘をつき、頭を乗せた。「私もそれほど暇ではありません。用がないなら退散いたしますが」たぶん、本気だ。放っておいたら服を着て、何処かに行ってしまうだろう。「――あなたは、据え膳を見逃しなさる?」妖艶な顔だ。誘い込むような仕草。私は思わず、唾を飲んだ。
「私とて、奥手の部類に入るのは承知しておりますが、耳元で愛の言葉を囁かれれば、こう――それなりに期待するものはあるのですよ。飯綱丸」文は起き上がり、私の隣に座った。私に少しだけ身体を預けると、私の茶をさらって、飲んだ。ごくり。その音は、私の耳元で聞こえた気がした。
「…あなた、ひょっとして、交わりの得手不得手を比べられるのが恐ろしいのですか?」「あ、いや…そうかもな…」そう言われてみれば、そうなるのか。そんな事は思いもしなかった。――誰かと比べられて、つまらなかったと言われたら…それは確かに、へこみそうだな…
「ご安心なさい」手で口元を隠しながら、文は目を細めた。「私も、経験ありませんから」…そうなのか?「…意外、って顔しましたね、あなた」「いや、そんな…」「言い訳も私の予想通り」私の背中に手を当てた。「言ったでしょう、私は奥手だって」文の手が、背中を這いずる。
「…ええ、まあ。殿方の喜びそうな事をしているだけです。そういった知識はありますから」知識があるだけ、いいだろう。私なんてぶっつけ本番なんだぞ。誰もそんな事を教えちゃくれなかったからな。「…私は、そういう手並みは苦手かもしれん」苦手で済むか。ナニがナニやらもわかんのだぞ。
「構いませんよ」文の手が、首元を撫でた。「私だって、喘ぎ方なんてわかりません」…私は赤面していた。平然となんて事を言うんだ。「…そのなんだ、お前も私も、もう少し段階を踏まなければならない気がするんだ。交わるにはもっと、色々と覚悟がだな…」我ながらヘボい言い訳だな…
「段階などとうに踏み越えておられませんかね」文はニヤニヤと笑った。「裸で抱き合った時点で、世間様は少なくとも愛人だと思うでしょうね」…愛人? いや、そうなるのか、愛人…しかし、もっと穏当な言い方というものが…「嫌ですか?」ちょっとな。「――じゃあ、結婚します?」
――一瞬、何を言われたのかわからなかった。「け、けっけけけ!?」更に赤くなった私をからかうように、文の指が私の頬に触れた。「流石にそれは…ええ、私もちょっと考えてしまいますな。大天狗の妻――なんて、ガラじゃない」「つ、つつつまぁ!?」…だめだ、思考が焼き切れる。
「おやおや、あなたの反応は本当に小娘並みですね」混乱する私の頬を、指先がよじる。「落ち着きなさい、飯綱丸。…私だって、本当は恥ずかしいのですよ」「…えっ?」文の方をまじまじと見つめると…そうだ。お前も少しだけ頬を赤くしていた。戸惑う私には気付かないくらいに。
「勇気を出してください、飯綱丸」私に身体が預けられた。「あなたが下手でも、私は怒りませんから」耳元で囁く声が、私の中で反響していた。これはお前にできる最大の譲歩なんだろう。私が袖にすれば、この場は終わってしまう。そうなれば、お前も失望するだろう。次があるかはわからない。
「満足させてやる――とは、言えないんだよな」「でしょうね」文の手が、私を引いた。「もう一度言います。勇気を出してください」私達は再び、布団へと戻った。今度は抱き合うだけではない。それではいけないんだ。私は、お前と、交わらなければならない。――いや、交わりたい。
「そうです。あなたは私が欲しいとだけ、思えばいい」お前の目が、私を挑発した。「私もあなたが欲しい。これはフェアな取引ですよ」お前を抱き寄せ、押し倒す。「もう、軽口を叩く余裕もありません」お前が私の背を抱いた。「あなたがリードしてください。お願いしますからね」
お前は私の下で、私の身体に頭を寄せた。私はそれを抱き込む。さっきまではこれで良かった。これからは、そうはいかない。
恐る恐る、乳房に手を寄せる。少しばかり、躊躇った。しかしそれを凝視していた。…その時。お前の手が、私の手首を掴んで引き寄せた。「触ってもいいのですよ」お前は目を逸らした。「…ああ」触れたそれをそっと撫でる。何だ、自分にもついている器官だが、それの手触りはやけに柔らかい。
「そうだな…なんというか、艶めかしいというか…」素直な感想だった。肉体とはこれほどまでに妖しいものだったのか。「いくらでも触ってください。ただし、その後を忘れずに」「わかってる」力を入れて掴み、絞った。掴み、揺らした。自分ならこの程度は痛くないという所まで。
「――遠慮してますね?」お前の言葉の意味を、少し考えた。「もっと強くしても構わない、と?」「あなたは遠慮している。私を壊してしまわないように」目が、合った。「…わかった」私は手先を強め、そして――無防備な乳首に、むしゃぶりついた。もう片方を指で触れ、しごいた。
小さく息を吐いたお前の至近で、私はその先端を転がした。お前の顔はどちらかと言えば、驚きの色が強かったように思える。口を離し、指の背で転がした。お前の身体がびくりと痙攣した。きっとそれは快楽によるものではなく、己自身の中で整理がつかないが故の震えだ。
私だって、整理なんてついちゃいない。乳房を掴みながら、私は首筋に指を走らせた。僅かな声が上がる。指を上に這わせ――お前の苦手な所を指でさすった。頬の僅かな赤みが、急に色づいたように見えた。乳房から手を離し、両手で左右の耳を弄ぶ。大きな息を吐いた。ああ、私の勝ちだ。
私は顔を寄せると、耳元で愛を囁いてやった。それは恐らく子供でも思いつくような言葉だったろう。しかしお前は、それを聞いて身体をよじった。もう一度、私に考え得るそれを吹き込む。お前の手が私の背に回り、そこをさすり始めた。そうか。だが私の囁きは、まだ終わっていない。
耳に優しく歯を立てた。お前の上げた声は苦しみだったのか、それとも悦びか。舐め、噛み、さすり、噛んだ。少しだけ、痕がついていた。もう片方にも同じ事をした。やはり、少しだけ痕がついた。お前は幾度も痙攣した。これは――そうだな。悦びによるものだと、私は思いたい。
少しだけ起き上がらせ、背に手を這わせた。お前がやっていた事だ。お前にもきっと、効果があるはずだ。互いに背を、首筋を撫であった。私の手はやがて尻を撫で始めていた。お前は私に抱き着いた。首元に頭を預けた。私は片手でその頭を抱き寄せ。片手で狼藉を働いた。
やがて私は、お前の身体を布団に戻した。再びお前の上を覆った。…お前の手が、行き場を求めて這いずった。私は抵抗しなかった。――お前の手が、私のそこに触れた。触れられて初めて、それが膨らんでいる事に気付いた。なんだか気恥ずかしかった。こんな風になる事は、めったにない。
お前はそれを望んだ。だが生憎、私にはまだその準備はできていなかった。僅かな硬さを帯びたそれを、お前は撫でさすった。少しずつ、それは立ち上がったように思える。だが、恐らく役に立つほどではないはずだ。私とてそのくらいは想像できる。だから私は、そうした。
私は立ち上がり、お前を脚を開いて座らせた、その前に私が座る。そういう事だ。お前の手が這いずる。片手で私の胸が揉みしだかれた。それに触れたお前の手が、ゆっくり、ゆっくりとそれを撫で始める。しなっていたそれが、ぴくんと反応した。お前は撫でた。反応する。撫でた。反応する。
やがてそれは指を絡められ、そして握られた。上下運動にそれは甚だしく反応した。普段の何倍くらいあるのだろう。自分でもわからないくらいにそれは怒張し、先端からは僅かに精が零れていた。手がそれを擦る度に、私の中のなにかが燃え上がった。熱い。熱いものが内側でぐるぐるしている。
…しかし、もうこれ以上は、耐えられないのだが。しかして私も正気を失っていた。早くそうしたいと焦っていたのかもしれない。最大限に強くしごかれた時、私は精を解き放っていた。それは遥かに飛び、畳の床を汚した。…替えさせないとな。私はある意味、至極冷静になっていた。
お前は如何にも驚いていたようだが、やがて私の頬をつつき、お元気ですね、と揶揄した。私だって驚いたさ。自分の身体とはこれほどまでに制御できないものか。お前は私の背に身体を押し付け、精をこぼすそれを掴むと、ぬめるそれを再び擦り始めた。私のそれは、再び赤い巡りを集め始めた。
――そうして今、私はお前の上に覆いかぶさっている。硬く張ったそれはだらだらと精を垂らしている。…確か、これを挿れるはずなんだ。しかし、どうすれば。私の迷いを見透かすように、お前は手招きした。そうだ。こんな所で悩んでいても、仕方がないのだ。私は腰を落とし、お前を、突いた。
さっきの手とは違う、吸い付くような感覚があった。これは、そうか。私はそれを幾度も抜き挿しした。抜いて、挿し、抜いて、挿し。そのループに夢中になっていた。ふとお前の顔を見ると、お前は両手で顔を隠し、深く深く息を殺していた。これはお前にとっても、気持ちの良いものなのか。
――限界を感じる。私は夢中になって腰を振り続けた。漏れる声が私をますます狂わせる。お前は顔を隠すのを止め、私の頭に手をかけていた。力でもって、私を近付けようとする。もっと近付けというのか。いいだろう。いくらでもそうしてやる。お前の身体の内側を、私の精で穢してやる――!
お前の叫びと、私のそれはほぼ同時だったと思う。打ち付けていた腰を止め、限界までお前に近付いた。…そうか。これはそんなに気持ちのいいものだったのか。殆ど意識がないらしいお前の顔を近づけて、無理矢理にキスをした。お前は抵抗する余地もなかっただろう。
お前は欲しいと言った。私も欲しいと言った。これはフェアな取引だと。…いや、これは私のは取り分が大きすぎるかもしれない。私はお前が欲しいと言った。しかして己自身の快楽も欲しがった。…お前もそうだろうか? 私を欲しいと言ったが、自分自身をも欲しがっていたのか?
――交わりとはそういうものなのかもしれない。己が欲望に対して自分勝手な自分がいる。相手の為と偽って、自分自身の欲求を満たす。私は酷く冷静な頭で、そんな事を考えていた。お前の身体を真っ直ぐに寝かせてやる。ついでにと、布で顔を拭いてやった。
お前の声が聞こえた。それは優しい声だった。私はお前の隣に寝転ぶと、右と左とで、手を繋いだ。――何だか、お前と私との立場というか、主導権はすっかり私に移ってしまった気がする。いい気分だった。まあ、平常に戻ればまたからかわれるだろう。私は苦笑いをすると、目を閉じた。
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結局私達は、夕方まで寄り添っていたままだった。人払いした部下も戻ってきて――私らの行為を見て、目を白黒しながら無礼を詫びた。…まあ、こんな時間までヤってる方が悪いんだが。結局はもう一度――一日中だな、もう――人払いを命じ、私達はようやく互いの枷から離れる事ができた。
「…風呂でも浴びるか」私は立ち上がり、文の方を振り返った。「…そうですね」手を取って立たせてやる。…なんだかいつもより、なんだ、しおらしいじゃないか。こっちが調子狂うぞ。「流してやるよ」私はできる限りの笑顔をで答えた。多分、引きつっている「…どうも」何か、おかしいよな…?
「――私は。…いえ」脱衣所に向かう途中、文は何かを言いかけて、やめた。そういうのは気になるじゃないか。「お前が、どうした?」私の言葉が、文のそれを引き出した。「――ともすれば。…そう、私はあなたをダシにしたのかもしれない。己の寂しさを紛らわせる為に」繋いだ手が、離れた。
「――それでもいいさ」私は強引にその手を掴み直した。「お前のそういう所を、私は見つけていたんだと思うぞ」私の言葉を、文は飲み込めないようだった。私は傍に寄り――その身を強く、抱きしめてやった。「私も同じだよ。お前の心に触れられないんだ。何しろ、いくじなしだからな」
「お前は行動で示すと言っただろ。私もそうしようと思った所でな」私の腕の中で、文は耳を真っ赤にしていた。その先には僅かな傷があった。私がつけた、身勝手の傷だ。「さあ、みんな洗い流そう。いくらこすっても、私とお前が残るさ」「…そう、ですね」私はぐいぐいと文を引っ張ってやった。
「…なあ、一つだけいいか」文は頷いた。「今のお前、とっても可愛いぞ」「!!」文の顔が再び高揚した。「…いつもは可愛くないとでも言いたげですね。この清く可憐な射命丸を指して」「――ああ、そうだよ。その顔」鼻先をつついてやった。「いつだって可愛いさ、お前は」
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私達は正直、疲れていた。昨日からほとんど徹夜みたいなものだ。布団は敷いたままだが、そういう気分ではなかった。お互い。御付きはいない。結局今日は守りがガタガタだったが、まあいい。新たに布団を二枚出して、隣同士に並べた。位置はまあ、戯れだ。あいつも嫌がりはしないだろう。
「どうして布団が三枚もあるんでしょうね」調子を取り戻してきた文が笑った。その意味に辿り着くには少々時間が掛かったが、…まあ、純粋な私にはそういう話は思い浮かびもしないぞ。「安心しろ、四枚ある」流石に四人も集めてくんずほぐれつはしないだろう。…しないよな?
「多分、思っているような理由じゃないと思うぞ」布団を叩きながら、私は笑いかけた。悪い笑みだ。自分でもわかる。「清く可憐、が聞いて呆れるな。お前はもっと――可憐で、図太いだろう」「ご意見は承りますがね」文はくすくすと笑った。「女の子に言う台詞じゃありませんよ」子と来たか。
まあ、そうだな。もう寝よう。私達は布団に入り、少しばかりお喋りをした。文の舌はしっかり回るようになってきたようだ。これならもう、心配はない。…ああ、心配していたんだ。交わりの後、自分やお前が非可逆的に変化してしまうのではないかと。杞憂だった。ただ、よかったな。
――ビュン、と風を切る音。――私達は飛び起き、左右に散る。その時だ。布団のあった場所が巨大な風の刃で真っ二つに切り裂かれたのは。「ちっ」寝間着を整え、風を繰る。文は既に扇を掴んでいた。二人、身構える。こういう時は初動の始末が肝心だ。――決して焦るな。しかして逃すな。
――烏が三人、飛び込んできた! 風を構える私の目前で、そいつらは全身をずたずたにされていく。「殺すなよ!」「承知致しております」新たに五人の白狼。外にはどれだけいるかわかったものではない。「今日の私は気分がいい」剣を扇で受け、文は好戦的な笑みを浮かべた。
「ああ、私だってそうさ」烈しく渦巻く風が、白狼達を吹き飛ばした。襖が、障子が、そしてガラス戸が、内側からの圧力で弾け飛んだ。…お前、それいくらするかわかっているんだろうな。「左」「ああ、右だ」大天狗がこれしきの事で討ち取られてたまるか。私は大天狗だぞ以下略。
剣を、風を、すべてを薙ぎ払う弾丸めいて、文は飛び込んでいった。競争だな。昔はよくやったもんだ。手に手に風を帯びながら、すべてを切り裂く矢めいて、私は飛び込んだ。ものの数ではない。私と、お前で、百万の軍勢を叩きのめしてやればいい。お前がいれば、私は決して負けはしない。
「さあ、私と遊びましょう!」「さあ、私と遊ぼうじゃないか!」