―また会おうね―
私は妖怪である。名前は――生まれた時から、ルーミアだ。誰が名付けた訳ではない。そう決まっていた。それ自体を忌む気はない。私は生まれた時から私なのだ。闇を操り、空を飛んだ。命を奪い、肉を食んだ。人と出会い、友人になった。私にとって、今のサイクルは好ましいものだ。
或いは私が生まれる以前、前世めいた私は今よりも遥かに強大な存在であったのかもしれない。不思議な夢を見るのだ。赤い閃光のつるぎを持ち、終わりなき戦いに身を投じる姿。それは私に酷似しているようで、しかして欠片も似ていない。空に浮きながら、そんな事を考える。
――周囲からは何も考えていないと思われているが、それは間違いだ。私は常に色々な事を考えているが、それをおくびにも出さないだけだ。例えば、そうだ。幻想郷の行く末とか。それから、パワーバランスとか。或いは世の中を憂いたり、自分自身の存在意義とか。いろいな事を、だ。
「くんせいにく食べる?」「食べるー!!」しかし悲しいかな、私の精神構造は食欲に敵うようにはできていない。「ありがとみすちー!」お礼は欠かさない。そうすれば、次にまたくれるかもしれない。打算的だが、感謝していないかと言えば、嘘になる。私はあなたを、好いているから。
そうだ。私はあなたを好いているのだ。あなたと出会ってから、こんなにも狂おしい気分になるなんて、思わなかった。あなたの方は、そんな事はまったく思ってもいないだろう。何故なら、言わないからだ。言い出せなかった。それを口にしてしまったら。――あなたは、いなくなってしまう。
「あんたは食欲の妖怪ね」失礼な事を言う。私は宵闇の妖怪であって、食欲は――その、サブだ。サブクラス。「私は宵闇の妖怪だよ!」「あーはいはい。宵闇さま、後片付けを手伝っておくんなまし」私が来る頃には店じまいだ。手伝う対価として残り物を受け取る。フェアな取引だ。
「あー、悪いけどあんたが引いてよ。私はこっちがあるから」あなたは何かを背嚢にかついでいた。「何それ」「明日の仕込み」あんたに渡したら食べちゃうかもね、とあなたは言った。否定しきれないのが悲しい所だ。あなたと並んで屋台を引く。こういう力仕事は得意だ。
やがて、それは見えた。小さな屋根。小さな佇まい。しかして新築めいたそれは、きっと誰かに建ててもらったのだろう。私はその傍に屋台をつけた。あなたはそれにしばらくかかりきりだった。私は手持無沙汰で空を見た。まだ夜だ。まだ。いつかは朝が来てしまう。私は荷物を担いだ。
慎ましやかな家にお邪魔する。ここには何度か来たことがある。大抵は残り物が山とある時の食堂代わりだったが。あなたが頭を抱えていたのはよく覚えている。商売とは、売れなければ困るのは知っている。それ以上はよくわからない。それより、私に回ってくる食べ物が気になる。
――私は思った。今はあなたと二人きりだ。きっと、何の邪魔も入らないだろう。身体が震えた。身体が求めた。伝えるなら、今しかない。あなたの背後にそっと回った。あなたは書き物をしていて、こちらに気付かない。私は少しだけ躊躇って、あなたに、襲いかかった。
背後から、勢いよく押し倒した。あなたの細い身体では、抵抗などできなかったに違いない。正面を向かせる。あなたの驚く顔が、私に罪悪感を与えた。だが、考えるべきはそうじゃない。伝えたいんだ。きっと今しか伝えられない。私は掴む手に力を入れた。逃げられないように。
私の精神構造は、食欲に敵うようにはできていない。私は必死にそれを振り払う。そうではない。そうではないのだ。伝えたい事は。伝えなければならない事は。私は必死に言葉を探した。あなたに食欲を伝えたい――違う、愛を伝え――それも違う、それだけじゃない――!
「愛してる。みすちー」私から出た言葉を、あなたは理解しがたいようだった。「あなたを骨まで食い尽くしたい。だって、愛しているから」あなたは理解できなくとも、目の前のそれを死の恐怖として受け取ったようだった。私を見る目が、拒絶の色に染まった
「あなたを、食べていい?」今にも美しい喉笛を噛みちぎってやりたい。手足を引きちぎりたい。「いやだ」あなたは震えていた。私のよだれが、あなたについた。「愛してるから」「それは一方的よ!」私は首を振った。「愛する――食べるという行為は、いつも一方的なのよ」
私の精神構造は、食欲に敵うようにはできていない。愚かな私の中で、思慕と食欲は分かち難い。愛しているから、あなたを食べたい。しかし、それでは駄目なのだ。あなたを食べてしまえば、私は二度とあなたに会えない。あなたと笑えない。あなたに、告白する事はできない。
私は頭を抱え、あなたから離れた。頭が割れるように痛い。相反する一つの感情が、私の内面を壊していく。ボロボロと涙が流れていた。背を丸めた。息ができない。頭が痛い。私はあなたを食べたい。けれど食べたくもない。こんなにも愛しているのに、あなたにそれを伝えてはならない!
――そうだ。そうなのだ。
あなたを愛さなければ、あなたを食べる事もない。石ころを食べないのと一緒だ。あなたは食べられないものなのだ。そうだ。そうなのだ。「――そうなのか」私はあなたに背を向けた。ここにはもう、いたくなかった。あなたとは二度と会わない。ただの妖怪として、かつての生活に戻る。
「わかった」どうしてだろう。涙は止まらない。「もう二度と会わないよ。…さよなら、みすちー」そんな事を言いたいんじゃないんだ。どうしてだ。どうしてそんな言葉を吐いてしまうのか。私は私の意思とは裏腹に、戸口へと進んでいた。もう私だけでは、どうしようもない――!
「待ちなさいよ」
あなたの声が、私を引き留めた。どれだけ望んだ声だっただろう。私は振り向き、涙を拭いた。拭いた所で、意味がないほど流れていた。「このままあんたを放っておいたら、私はきっと後悔する。何を言いたかったか、何をしたかったか」あなたも涙を拭った。「教えて。聞いてあげるから」
「あんたは私を、食べたかったの?」頷いた。「――そして、愛してもいたの?」再び、頷いた。あなたは少しの間、考えていた。考えて、答えを見つけたようだった。「やっぱりあんたは、食欲の妖怪よ」肩を叩いた。「何でも食欲に結びつけてしまう」その顔は、苦笑いを浮かべていた。
「…それさえなければ、いいのにね」私は座り込んだ。あなたもだ。「今から何をしても、噛み付いたりしない?」私は――頷いた。「じゃあ、おいで」あなたは膝を叩いた。私は傍に寄って、あなたを見た。あなたはじっと、私を見た。「信じてるからね」…私は頷いた。
「愛ってのは、こうやって伝えるのよ」あなたは私の首に触れると、引き寄せながらキスをした。私の心が、何かが凄まじいものに吹き飛ばされた。これは――わからない。けれど、私は変わった。突然に変わってしまった。思慕は食欲から切り離され、深い深い所に繋がった気がした。
「――わかった?」あなたがこちらを見ていた。「…わかった」私の変化を、あなたも理解していただろうか。私達はもう一度キスをした。首元に噛みつこうとする衝動は、もう起こらなかった。あなたは或いは、食べられるものかもしれない。でももう、私はそんな事はしない。
私達は話をした。腹を割って話す機会なんて、なかったと思う。私がどうしてあなたを食べたかったか。どうしてあなたはそれを許してくれたのか。優しさだった。優しさ。私の事を嫌いになって当然だったのに。あなたはそうしなかった。きっと、私を信じ、優しくしてくれたから。
私達は何度もキスをした。覚えたてのそれを試すように。互いに頬を赤くしていたように思う。「あなたがそんなに愛してくれていたなんて、知らなかったわ」「私も、許してくれるなんて思わなかった」あなたは笑った。「恋が始まるのなんて一瞬よ。…お客さんが言ってたんだけどね」
もう、朝だ。小鳥も鳴き終わり、外は本格的に明るくなっている。今は私達の時間じゃない。でもここは違う。二人だけの、私達の場所だ。あなたの方を向く、あなたが私を見る。あなたは私に寄り掛かった。正直、どちらからそれをするか迷っていたけれど、先を越されたみたいだった。
あなたの手が、私の胸に当たった。わざとだった。きっと、そうだ。あなたは私の後ろに回り、そっと首を持ち上げた。翼がばさり、音を立てた。「愛の伝え方、もっと教えてあげようか?」私はほんの少しだけ躊躇した。きっとそれは、私には思いつきもしない事だろうと思ったから。
「――来なさい」…あなたの言葉は、私を駆り立てた。食欲ではない。何かはわからない。けれど、もっとこう、根源的なものだ。私は静かに頷いて、答えた。あなたが手を引いた。敷かれていた布団に二人で座る。あなたと再びキスをした。あなたの手が、伸ばされた手が、腰に当たった。
…何をされているかは、わかった。要らぬ事ばかり考えている私にも。わかっていた。私はとても冷静で、しかし心を熱くしていた。あなたの手が、服の上から、そして下から這いずった。手の感触をとても心地よく感じた。ずっとそうされていも良いと思ったが、そうはいかなかった。
服の上から、それを転がされる感触。くすぐったかった。…普段はそんな事を全く意識しないのに、私はそれをされるのに少しづつ快感を覚えていたかもしれない。あなたは私をじっと見て、左右のそれを転がし続けた。手を置き、揉み始めた。揉むほどはないのだけれど。
あなたの手が、上着を脱がせた。私は抵抗しなかった。むしろ脱ぎやすいように身体を動かしすらした。上半身裸になった私を、あなたは値踏みするように見つめていた。あなたの手が伸びる。それに舌が這いずる。転がしまわす。手が揉み続けている。肉を集めて、無理矢理に。
私はその行為よりも、それに夢中になるあなたを見て、心を熱くしていた。私は身体をねじった。あなたはそれを許さぬとばかりに、私を引き寄せた。背中に手が這いずった。あなたは首筋に何度もキスをした。ぼうっとする私の顔を引き寄せ、胸の中に抱き込んだ。愛の呟き。あなたの呟き。
あなたが着物をはだけた。私は躊躇いながらもあなたと同じ事をした。揉むほどは――あった。私よりもお姉さんなのだ。あなたは。私が抱き込むのに、あなたは抵抗しなかった。それを甘噛みした。色々な所を噛んだ。首元に何度もキスをした。以前の私なら、それを食い破っていただろう。
あなたは私のスカートを脱がせた。あなたは私の後ろに回り、濡れた下着の上から、そこを撫でた。撫でまわした。奇妙な感覚だった。こんなのは今まで、一度も感じた事がない。こすりあげられる。私は息を吐いた。…いや、漏れ続けていた。あなたはその行為を止めない。止めてくれない。
もう、駄目だ。何故かそれがわかった。身体がぴん、と伸びた。耐えきれない。私はあなたに背中を預けた。あなたは私の隣に顔を近づけ、頬にキスをした。あなたは穢れた下着を脱がすと、あなた自身も裸になった。あなたにそれがあるのは知っていた。勿論、見るのは初めてだった。
それは大きかった。小さくなるものだと知るのは後の事だったが。あなたは私に覆い被さると、片手でそれをしごき始めた。あなたの顔は真っ赤になっていた。たぶん、私もそうだったと思う。互いの吐息がかかるほどに、顔が近く、近くにあった。私は両手で頭を引き込み、キスをした。
そうすれば気持ちが良いと、私は学習していた。そこを両手で撫でた。撫でるだけでは足りなかった。少しだけ、指を差し込んだ。私にできるのはそこまでだった。十分だと思った。これから始まる事に、思いを馳せる。あなたの顔がひときわ赤くなり、それは更に大きく張り詰めていた。
あなたが覚悟を問うた。私は頷いて、返した。――私の中に、それが押し込まれる。痛かったけれど、それも快楽の中に沈んだ。外からではない、内側からそれは起こっている。互いの吐息が掛かるほどに、顔が近く、近くにあった。…いや、それ以上に私達は、近くにあったかもしれない。
翼がバサバサと揺れた。私の瞳も揺れた。あなたもそうだ。涙が落ちた。私も涙を流していた。感情の持っていき場がなかった。あなたが愛の言葉をつぶやいた。…いや、半ば叫んでいた。私も叫んだ。快楽がそれを吐き出して、止まらなかった。壊れてしまった。狂ってしまった。
それは、終わりに近づいていた。あなたの動きがゆるやかになった。何かを我慢しているようだった。私は求めた。あなたはそれを驚きの顔で、しかし蕩けた顔で聞いていた。もう、止められるものはない。再び、そして強く腰を打ち付けた。頭が近付いた、それを両手で抱き込んだ。
あなたは突いた。がむしゃらに突いた。私の中で先程と同じ感覚が湧きあがっていた。この後に起こる事を想像して、私はよがった。その時だった。私の中で何かが破裂するような感覚があった。あなたは激しく羽ばたいた。それは幾度も震えると、私の中に熱い何かを吐き出した。
私は頭を強引に引き寄せた。あなたは私に倒れ込んだ。二人ともしばらくの間、震えていた。顔を上げたのは、もう少し後の事だった。あなたはそれを引き抜くと、私にキスをした。私からもキスを返した。…そうか、愛する二人はこういう事をするのか。私は頭ではなく、心で理解した。
あなたは立ち上がり、伸ばした手で私を促した。私は立ち上がり、あなたに寄り掛かった。お行儀悪くテーブルに座り、互いに愛の言葉を囁いた。それは大した言葉ではなかったかもしれないが。それでよかった。私達に正気が戻ってきた。私はあなたに寄り掛かり、頬にキスをした。
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「みすちー!」私の飛来を待っていたかのように、あなたはこちらを向いた。「悪いけど、今日は何も残ってないわよ」「いいよ。サービス」後が怖いわね、とあなたは汚れた皿を片付けていた。あれから、私達はいつも通りの関係に戻った。それでも、私はきっと忘れないよ。あの日を。
「あんたも商売とかやってみたら?」「フードロス削減業者だし」私の言葉にあなたは頭を振り、まあその通りか、と納得していた。するなよ。「みすちーがお店やってる限りは今のまま」「辞めたら?」「その時もみすちーと一緒!」きっとそうだ。いつまでも二人の関係は続いていく。
「片付け終わったよ」「へーい」あなたの背中を見送った。もうすぐ朝になる。私のようなものは、退散する時間だ。「さよなら、みすちー」明日はもう直前まで迫っている。きっと明日もここに来る。明後日も。最も後も。あなたがいる限り、私はその傍にいたい。
「――また会おうね」