土曜日、快晴である。
今日この日、俺は人生最大の初めてを迎える。
女の子と二人で外を歩くという、大イベントだ。
相手は実の妹だが。
出かける前から緊張している。
二人でいることにはもう慣れ切っているはずなのに、外出するというだけでこれほどまでに違うものか。
「まともな服がない」
美優が俺の部屋のクローゼットを漁っている。
無難にシンプルなモノトーンの服を集めたつもりなのだが、美優からはどれもボツを食らった。
休日に高波たちと遊ぶのによく着ていた服も「ダメ」の一言で床に放り投げられてしまう。
「これならまだマシかな」
美優が取り出したのはグレーのTシャツ。
無地のVネックで、スカしてる感じが嫌だったのでしばらく封印していたものだ。
それがいいというのなら、まあわからないでもないんだが。
それまでに美優がボツにしてきたものとさして変わらない気がするのは、俺がまだ未熟だからだろうか。
最後に服を買ったのは二年前ぐらい。
とはいったものの、新しい服が全くないわけでもなく。
いわゆる親がセールで気まぐれに買ってくる服を、俺はありがたく頂戴していたわけだ。
「それしかないのか」
「ない。他のは古い。サイズが合わない。生地が悪い」
「生地なんて見た目じゃわからないだろ」
「着てるとわかるの。いいから着て」
美優の顔つきは真剣である。
元々やや吊り目気味なので力強い視線が、また一段と凄んでいる。
続いて選ばれたのはハーフパンツだった。
それは俺もいつも履いているもので、ひざ下まで丈があるタイトシルエットなので脚が長く見えるステキアイテムである。
せっかく胸元がスッキリしているので、ネックレスでもつければ映えそうなものだが。
「暑いからどうせすぐ取りたくなっちゃうでしょ」
「そりゃな。でも、オシャレって言ったらやっぱりアクセサリーかなって思って」
「ホストでもやるつもり? 短パンTシャツで十分。後は筋肉でカバーすべし」
どうやら妹は、細身の雰囲気イケメンよりも、男らしい男が好きらしい。
そういう美優も夏らしい格好だった。
6月の快晴ということもあって、外の気温は相当なもの。
インナーの肩紐まで丸見えなトップスからは、主張の激しい胸部の溝が露わになっている。
換気をしないとどうにも蒸してしまうらしい。
色白なふとももをきらめかせるショートパンツはもはや凶器だ。
ひとことで言うなれば、今日の妹は、エロい。
「美優はずいぶんと服にこだわるんだな」
「お兄ちゃんがだらしなさすぎるだけでしょ」
美優は今日俺が着る服を見繕った後も、クローゼットを物色し続ける。
そのほとんどを捨てて、新しいものを買うべきと判断された。
「私も友達に紹介するからには、不良品みたいなお兄ちゃんを出すわけにはいかないんだから」
引き出しの奥まで、手を伸ばす美優。
お尻がグイッと突き出されて、屈んで覗けば隙間からパンツが拝めそうだ。
妹の下着くらい洗濯物で見慣れているはずなんだが。
どうしてだか履いてるパンツはいくらでも見たくなるんだよな。
腰にくびれがあるせいなのか、美優のお尻の膨らみはおっぱいと同じくらいに女性的な魅力を感じる。
なんと言ってもこの適度に肉を残された脚だ。
ショートパンツから伸びる膝の白さが艶めかしい。
今にして思えば、俺が最初に美優に欲情したのもふとももだった。
エロい。
一度でいいから触ってみたい。
「お兄ちゃん」
気づけば美優が俺の方を向いていた。
そうして下腹部を睨んでから、顔を睨んでくる。
知らぬ間に勃起していたらしい。
これから出かけるというのに。
情けない限りだ。
「これ、私だよね」
テントを指差して美優は呆れる。
「私だよね」と言ったのはつまり、「この勃起は妹である私でエッチなことを妄想した結果なんだよね」という意味である。
「油断しただけだって。出かけるまでには鎮まるから、気にせず気にせず」
「そう? ならいいけど」
美優はまた俺の服の選別を始めた。
抜かせてくれと頼みたいところだが、美優をオカズにしたとなったら口では受け止めてくれない。
「女の子ってたくさん服を持ってるって聞くけど。美優もそうなのか?」
「まあね」
「やっぱりか。クローゼットの中とか、すごいことになってそうだな」
これだけこだわりがあるくらいだからな。
雑誌とかも大量に買ってそうだ。
Tシャツ一枚取っても同じ柄を着ていた記憶がないし。
なにより、どんな風に服を整理しているのかが気になる。
クローゼットのサイズは美優と同じで、服の数は圧倒的に美優の方が多いはずなのに、俺はやり場のないズボンやら室内着やらを投げっぱなしにしていて、美優の部屋には制服の脱ぎ痕すら確認したことがない。
「んー? ダメだよ、見たら」
美優はひと通りの物色を終え、積み上がった服を有無を言わせずゴミ袋に詰めていく。
中学生のときからサイズが合わなくなった服もあるが、ここまで断捨離されるともったいないような気もしてくる。
きっとそのなんとなくの不安が贅肉なんだろう。
美優が気に掛けなくなったら、俺はまた外見に無頓着な生活に逆戻りだ。
「だいたい必要なものはわかった。何万円か使うけど、持ち合わせはある?」
「それくらいなら、問題なく。意外とかからないんだな。ちゃんとしたやつを買うんだろ?」
「なんでも高いものを買えばいいってわけじゃないの。物をきちんと見定めて、安いやつを買う。特にお兄ちゃんなんて短期のバイトしかしてないんだから」
汗水垂らして稼ぐより、生活を切り詰めて小遣いを貯めるほうが楽だからな。
美優だってバイトはしていないはずなんだが、どっから服の費用を捻出してるんだか。
「もう出かけるか?」
「うん。ただ、その前に」
美優は残しておく服をきれいに畳んで仕舞うと、カーペットに正座をして俺にも居住まいを正すように指示した。
「出かける前に、真面目な話をしようか」
その表情にも、声音にも、いつもの美優らしい余裕はなかった。
「言うと逆に意識しちゃうだろうから、言いたくなかったんだけど。話題に出ちゃったから、きちんと忠告しておくね」
美優の視線が、俺を圧迫してきた。
美優に真剣な顔をされるのは初めてではない。
だが、美優の顔を怖いと思ったのは、今日が初めてだった。
怒っているのとは違う。
不機嫌なのとも違う。
それはいつものように、俺が美優に投げかけた言葉のレスポンスではなく。
美優の意思で、美優自らが作り出した、想いの限りを俺に伝えようとしていたからだった。
「私の部屋のクローゼットの中だけど。覗いたら、縁を切るからね。本気で」
美優は酷く冷淡な声で言った。
それはもはや、その秘密を守るためなら殺人すら厭わないと感じさせるほどの圧力があった。
「わ、わかった」
たしかに、するなと言われたらしたくなるのが人のサガではあるが。
そこまではっきり禁止をされたのなら、俺にだって分別がある。
「本当に?」
「本当だよ。絶対にクローゼットは開けない。約束する」
その約束をすることは、俺にとっては疑問でも負担でもなかった。
幸いなことに、俺にはおそらく美優の秘密に理解があるのだ。
クローゼットの中身を見られたくない、服に関する秘密。
となったら、それはもう、一つしかない。
「何を知られたくないのかはわからないけど。俺は応援してるぞ」
そうか、美優にも、そういう趣味があったのか。
通りで俺がエロゲをやっていても何もツッコミを入れなかったわけだ。
納得がいった。
だが、同時にそれを見てみたくもある。
決して秘密を覗きたいというわけではない。
ひと目でいいから拝んでみたいのだ。
あの美優が、コスプレをしている姿を。
ショッピングモールは広かった。
建物がデカい、というのもあったが、何よりも上の階層まで吹き抜けになっている構造が、建物全体を一体感のあるお店として演出している。
「すげえ高そう」
軒を連ねる店の展示物からして、学生である俺の場違い感が浮き彫りになる。
“俺”であって“俺たち”でないところがポイントだ。
俺の横にはまさに、俺よりもずっとあどけなくて小柄な女の子が歩いているというのに。
「メンズのお店で安いところも調べておいたから。ピンポイントでそこだけ狙ってさっさと買っちゃおうか」
美優は俺を先導して歩いていく。
本来のデートであれば男が引っ張っていくべきなのだろうが、これだけ頼もしい妹がいて口を挟む気にはならない。
「何を買うんだ」
「夏物をひとしきり。今日みたいに二枚セットで出かけられるやつをいくつかね。あとは靴と部屋着くらいかな」
美優はTシャツコーナーで足を止める。
いくつか柄違いの服をめくって、またすぐにボトムスのコーナーに移動した。
「Tシャツと短パンくらいなら俺でも買えそうだけど」
「ほんと? じゃあ選んでみる?」
無駄口を叩いたら、急に手を放された。
とはいえ、無難な柄と色を選べばいいだけだろ。
後はサイズ感と、美優が言うには生地が大事なのか。
ふむ。
「ごめん。やっぱ選んで」
「はいはい」
選ぶ断面に立って、ようやく思い出した。
Tシャツなどの簡単な作りの服の場合、どれも正解に思えてしまってどれも選べなくなってしまう、という事象が度々発生する。
目につくものすべてが悪くなさそうに見えるのだが、実際に買ってみると想像以上に不格好で腐らせてしまうことが多いのだ。
「自分の身長と肉の付きやすさに向き合わないから、基準がわからないんだよ。最初は私が選んであげるけど、試着のときに何が重要なのか、ちゃんと鏡を見て考えてね」
美優は店を一周してから、改めていくつかの商品を手にとって、俺に渡す。
美優に選んでもらったからなのか、美優の審美眼が確かなのか。
よくわからないが、渡された服はたしかに俺によく似合いそうな気がした。
さすが、と俺は心の中で称賛の言葉を掛ける。
美優が服にこだわる理由が判明してからは、こうして話を聞いてるだけでも楽しくなってきた。
無感情で無表情で、俺が料理当番のときに家族で食卓を囲んでいても美味いとも不味いとも言わず、口すら利かないようなこの妹が、ひとつの趣味を持ってそれに没頭している。
微笑ましいと言うとおかしいかもしれないが、そんな美優の内面を知れたことが嬉しかった。
兄としては、もっと妹の趣味に付き合ってやりたい気持ちになる。
「えっと、だな。全部良さそうに思えるんだが。これ考えて選ばないとダメか?」
「別にいいんじゃない? 私が選んでるんだから。あとはお兄ちゃんの好み次第」
試着をして、なんかしっくり来たので、それらを購入。
次のお店に向かい、そこからも似たような流れだった。
購入した服は小物を合わせると相当な量になった。
両手いっぱいに袋を携えて、そろそろ歩くのにも邪魔になってきた。
「だいぶ歩いたな。疲れたからちょっと休憩でもしてくか」
「そうだね」
「腹は減ってる?」
「お兄ちゃんの奢りなら食べる」
「へいへい」
ま、今日一日を俺のために使ってくれたわけだし。
これから先のことも含めて礼をしないわけにはいかないよな。
「最後にあのお店だけ入ってもいい?」
レストランフロアに向かう途中、美優が気になるお店を見つけたようで。
急ぎの用もなかった俺は素直に頷いた。
レディース専門店だし、荷物も多いしで、店先に展示されてるものだけ眺めて後はベンチで座っていようと、考えていた矢先のこと。
「あっ……!」
近くで誰かが驚きの声を上げたのを聞いた。
覚えのあるその声の主は、俺の視界の端で後ずさりしていたようだが。
俺がそちらを向くよりも先に、その場を離れることはできなかった。
「あっ」
俺も同じ反応になった。
なんという、偶然だろうか。
「そ、ソトミチくん。奇遇だね」
「山本さんこそ。こんな遠くまで」
美優とは反対に、露出の少ない服で身を固めた山本さんが立っていた。
肩前に下ろされた黒髪がたわわな胸部を強調して、むしろ服で隠れているからこそのエロスを醸し出している。
なんで山本さんがここに居るんだ。
俺は美優に誘われてこのショッピングモールまで来たわけだけど。
女の子が一人で来るような場所ではないよな。
「ご、ごめん! 私、急いでるから!」
山本さんはしきりに周囲を気にして、お店の中に未練がましく視線を送ってから、その場を離れようとする。
そんな山本さんの背後から、眼鏡を掛けた一人の男の姿が近づいてきた。
「あっ!!」
そして、三度目の「あっ」を聞くことに。
「ソトミチ!? なんで、お前がこんなところに……!」
「鈴原!? お前こそ」
俺以上にショッピングモールが似合わない男が、レディース専門店から姿を現した。
信じられないことの連続だが、これが、ある一人の存在によって、整合が取れてしまう。
「え、なに、お前ら。まさか……」
うつむいて気まずそうにする山本さんと、困惑しつつもどこか誇らしげな鈴原。
その答えを聞くより先に、鈴原が山本さんの手を握って、状況を教えてくれた。
「まあ、そういうことだ」
鈴原はしたり顔で眼鏡を掛け直す。
山本さんと鈴原が、付き合っていた?
学校一の美少女と、冴えないオタクだぞ?
マジかよ……ショックが凄まじい……。
「う、うん。そ、そうなの。ごめんね、ソトミチくん」
山本さんはなぜか俺に謝罪をした。
鈴原と黙って交際していたことに、俺が傷つくと思ったんだろうか。
それは、正解だ。
かつての俺なら、条件反射で鈴原を殴っていた。
美優に友達を紹介してもらう約束がなければ、それこそ鈴原と縁を切っていたかも知れない。
どちらにしても、羨ましくはある。
ただ、なぜだろう。
秘密がバレたこと以上に、山本さんがあまり嬉しくなさそうなのは。
っていうか、待てよ。
山本さん、彼氏がいたのに、昨日は俺にあんなことをしてきたのか?
「二人は、いつからそういう関係に?」
聞いて、山本さんは益々顔を青くした。
俺の質問の真意に気づいたようだ。
もしちょうど今日付き合い始めたのなら、なんら問題はないのだが。
「ひと月前だよ。お前ら、俺の奏とベタベタしやがって」
鈴原の苛立ちの理由は、他でもなく彼女が他の男といちゃついてるのが許せないというものだった。
だとしたら、アレはマズいだろう。
山本さんは彼氏でもない男に、してはならないくらい過剰なスキンシップをしたのだから。
「何してるの?」
美優がお店から出てきて、鈴原と山本さんの視線はそちらに吸い込まれた。
すぐさま俺に色の変わった目が向けられて、今度は俺が身構える。
「ソトミチくんの彼女さん? クラスの子にはいないって言ってなかった?」
「嘘はついてないよ。こいつは妹だから」
彼女だったら良かったのだが。
見栄は張らずに正直に答える。
これで学校に変な噂が流されたらたまったもんじゃないからな。
「妹!? お前、くっそこんな……聞いてないぞ……」
なぜ鈴原が羨ましがるんだ。
お前は一億人が羨む美貌を彼女にしてるんだぞ。
「妹です」
美優は端的に自己紹介をした。
お辞儀をして、美優はその麗しいお姉さんを見上げる。
正しいが、おかしい。
「この人が山本さん?」
会話を聞いていたのか、情報から推察したのか。
美優は俺に尋ねてすぐ山本さんの特徴的な部位に目を留めて、「でかい……」と呟いた。
「あ、はい、山本です。初めまして」
山本さんは一転して顔を綻ばせて「可愛い……」と呟いて返す。
「お兄ちゃん、と、そこの眼鏡の人」
「鈴原だ」
鈴原は態度は苛立たしげに、声は嬉しそうに名前を述べた。
「鈴原さん、悪いんですけど、30分ほど山本さんをお借りしてもいいですか?」
「はぁ? まあ、うーん。嫌とは言わないが。なんで?」
「お話がしたいので」
美優がそこまで言うと、山本さんも弾かれたように「私も妹さんとお話したい!」とお願いを畳み掛けてきて、鈴原は腰を低くしてそれを了承した。
「飯は?」
「山本さんと食べる」
「なら俺たちも一緒でいいだろ」
「聞かれたくない話をしたいからに決まってるでしょ。察しなさい」
「す、すまん」
そんな俺と美優のやりとりに、山本さんは微笑ましげに口角を緩めて、美優と手を繋いでレストランへ消えてしまった。
取り残されてしまった、俺と鈴原。
「こうなったら、話してもらうぞ」
「わかってるって」
山本さんと鈴原がどうして付き合うことになったのか。
袋を開けたばかりのミステリー小説を前にしたような気分だった。