学生の夏休みとは不思議なもので、8月が迫ると教師たちが次々と出し始める理不尽な課題の数に、開放感が逆に削がれていく。
教室に置いていた教科書の重さも合わさって、持ち帰りの鞄は憂鬱感がどっさりとのしかかっていた。
高校二年生である俺は、来年に受験を控えている。
実質的に高校最後の長期休暇を満喫しようと、課題と旅行の計画を各所で耳にするようになった。
そんな日々の中で。
俺は連日のように、佐知子とセックスをしていた。
「あっ……ああんっ……おにぃ、さんっ……んんっぁぁああっ!」
「佐知子……あぁっ……イィ……ッ!!」
ベッドの軋みも気にせず、俺は取り憑かれたように乱れていた。
愛の言葉も技巧も無い。
ただ欲望をぶつけるだけのセックスに明け暮れている。
佐知子の長い髪が汗で肌に張り付き、焦点の合わない瞳で俺を見つめる。
布団はとっくに足元に落として、シーツの皺が行為の激しさを物語っている。
「んふぅぁあ……あっ、はげし……い、ぃぃいいぁ!! あっん……!」
「佐知子……はぁ……出る……出るぞ……佐知子…………ッ!」
俺は佐知子を抱きしめ、その体温と匂いを体いっぱいに感じて膣内で射精する。
美優のことは考えないように。
チラつくその影を頭から追い出すようにして、俺は佐知子の体で絶頂を迎えた。
床には、ティッシュに包まれた使用済みのコンドームが二つ転がっている。
「もう三回もしちゃいましたね。昨日も何回もしたのに。……そんなに性欲が溜まっているんですか?」
男に欲望をぶつけられる喜びを滲ませつつも、佐知子は恨めしそうに口を窄ませる。
「んーまあ、そんなとこ」
燃え上がるような激しいセックスとは対極に、俺の心は冷え切っていた。
セックスをするたびに、俺の感情を支配するのは自分への失望と諦めだった。
俺にはもうわかっていたのだ。
美優のことを考えずに射精できるようになったわけじゃない。
結局この体は、妹を好きになったという背徳感を燃料にして性欲を燃やしているだけ。
必死に逃げようとすればするほど、それは頭からこびりついて離れなくなった。
「夏休みはいつからだっけ」
「来週ですよ。すぐ夏期講習が始まっちゃいますけどね」
お互いに三学期制の学校であるため、終業式の日にズレはない。
夏休みにはまたイベントスタッフの仕事をやるつもりではあるが、果たして彼女がいる今、金が足りるものか。
長期バイトも始めないとな。
「下に降りるか」
「はい!」
佐知子はベッドから飛び出すと急いで着替えをする。
これから二人で料理を作るのだ。
アミューズメント施設やちょっとした観光地なんかにも行ったが、結局は自宅で勉強と料理をしている時間が一番楽しいことがわかった。
ああいったものは、たまの休日にドカッと遊ぶくらいがちょうどいい。
「今日は何を作るんですか?」
「片栗粉が中途半端に余ってるから、あんかけでも作るかな」
キッチンに具材と調理器具を並べる。
佐知子と一緒に作る料理は、俺の家事担当分。
つまりは美優にも食べさせるものだ。
男らしく肉をドカドカ焼くだけで許されるものではない。
白菜と人参があるから、適当に豚肉と合わせよう。
「……やっぱりお兄さん手際いいですよね。普段から作ってる人でも、そんなにズバズバ切れませんよ?」
まな板で野菜を切っていると、佐知子がジッと観察してきた。
「美優のおかげかな。小さい頃に母親の手伝いをしてたときは、美優にやたらと姿勢やらなんやら注意されてたんだよ」
美優が大人しくなる前は、事あるごとにああしろこうしろと口を挟んできた。
当時はわがままでうるさい妹としか思わなかったが、思えば第二の母親のような存在だった。
……今でもそうか。
「美優ちゃんが人に注文つけることなんてあったんですね」
美優の昔を知っているのは、今のところ俺だけみたいだ。
とはいっても、記憶のほとんどは厳しくわがままだった美優ばかりだけど。
前は明るく社交的なはずだったんだが、美優には小学三年生以前の友達はいないんだろうか。
「米が炊けるからよそるぞ」
二人で作業分担をして豚肉のあんかけを作る。
できたてを二人で食べたら解散だ。
美優は帰りが遅くなることがほとんどないから、料理も温かいうちに食べさせてきた。
それはこれからも変えたくない。
料理を並べて、佐知子と二人で卓を挟む。
片方にまとめたサイドテールのほうがやはり佐知子らしい。
二人の間に出てくる話題は学校でのできごと。
それだけならまだ健全だったのだが、美優がセックスの参考資料にと、俺の持っているエロゲを佐知子に教えてしまったため、二次元方面に関する質問も多くあった。
佐知子は大体のことは抵抗を示さないので、趣味をおおっぴろげにできるのはありがたいけど。
恋人が相手でも、俺は趣味を秘めておきたいタイプだな。
「いつからエッチなゲームをやってたんですか?」
「中学に入ってしばらくしてからだな。ちょっとしたゴタゴタがあって落ち込んでて、そのときに悪い友達に唆されたんだよ」
「中学生なのに……その人は何をきっかけに始めたんでしょうね……」
「歳の離れた兄が出てくときに置いてったんだと」
「ロクでもない人はどこにでもいるんですね」
「まったくだ」
佐知子と話しているのは楽しい。
何より気が楽だ。
でも、何か違う。
もう何日も一緒にいるのに、付き合っている実感が湧いてこない。
出会い方が悪かっただけだと思っていたけど、こうして食事をしているとよくわかる。
佐知子は彼女というより、妹だ。
セックスができる二人目の妹みたいな感じ。
近くにいて気楽に過ごせるけど、それ以上に踏み込んだ感情は湧き出てこない。
おかしな話だ。
俺は実の妹には明確な好意を抱いているのに、血の繋がりのない女の子には親のような気持ちになっている。
普通なら、逆のはず。
美優が俺をそうさせたのか。
あるいは、生まれつきそういう体質だったのか。
そんなはずはないよな。
常識的に考えて、兄妹を好きになることなんてない。
なぜなら人間は、より強い子孫を残すために、自分から遠い遺伝子ほど好きになるようにできているのだから。
俺は妹物のエロゲーをやりすぎて、妹にあれやこれやと世話を焼かれて。
そうしているうちに、感性が狂ってしまったんだ。
俺は妹のことなんて好きにならない。
血の繋がった妹をオカズになんかしない。
フェラを要求したりもしないし、セックスなんてもってのほか。
おっぱいだって揉みたくない。
あんなものは脂肪の塊に過ぎないのだから。
そうだ。
美優の魅力は気遣いが上手いところ。
それだけだ。
俺は中学のときに女子に酷いからかいを受けて女性不信になった。
そんな俺が女に優しくされたら、実の妹であろうと慕ってしまうのは当然のこと。
女性に対するイメージとのギャップに、脳が麻痺しているだけ。
美優は特別なんかじゃない。
どの家庭にもいるような、ごく普通の妹なんだ。
「お兄さん? どうかしました?」
佐知子に心配されて、ハッとする。
箸が止まっていた。
二人でお風呂に入ってからというもの、考えるのは美優のことばかり。
無視をしようとしても、悪い方に考えようとしても、美優が頭から離れない。
恋人が目の前にいるのに。
付き合っている、彼女が。
今、この場にいるというのに。
「……佐知子」
弾みで、という表現が適切かはわからない。
でも、このタイミングしか無いと思った。
「話しておきたいことがある」
俺は佐知子と何度も体を重ねてきた。
でも、そこに恋人としてのセックスは存在しなかった。
「なんでしょうか」
「実は、だな」
理解できないかもしれないけど、と前置きしてから、俺は深く息を吸う。
まだ誰にも教えたことがないその秘密。
美優に迷惑がかからないよう、俺についてだけの悩みを、佐知子に打ち明ける。
「佐知子とセックスをしてるとき。いつも、美優のことを考えてた」
端的に説明するには、そう言うしかなかった。
「ほえ……」
ポカンと口を開けて固まる佐知子。
何を言っているかわからないだろう。
でも、これが事実なんだ。
「そもそも、美優が俺の彼女を募集した理由がな。俺が美優以外をオカズに、その、射精ができないからで」
話を聞いている佐知子の目線が、段々と下がっていく。
俺が勝手に負い目を感じていただけなのだから、話さないほうがよかったのかもしれない。
でも、まだ若い佐知子を相手に、裏切り続ける関係ではいたくなかった。
佐知子のことを考えてセックスをしようとは頑張った。
でも、結局は最後まで美優のことを考えずに射精できなかった。
体しか使ってやれなかった。
それは女性からすれば、最大級の屈辱だろう。
「わかってたこととはいえ。いざ言われてしまうとちょっぴりショックですね」
「すまん……」
謝罪の直後、俺の頭のなかで佐知子の言葉がリフレインする。
「え?」
待て。
わかってた、ってどういうことだ。
「わかってたというより、ありえるかもなーってぐらいだったんですけど」
たしかに俺が想像していたよりは佐知子に落ち込みが感じられない。
本心を隠しているとも考えられるけど。
それにしたって、兄が実の妹をオカズにする可能性なんて考えるか?
「実はですね、私にも秘密にしていたことがありまして」
二人の立場が入れ替わる。
この間際に暴露される秘密って、まさか。
「同じなんです。私も」
佐知子が照れくさそうに頬をかく。
「美優ちゃんに初めて指でしてもらったときの快感が忘れられなくて……お兄さんとエッチしてるとき、悶々としちゃってました……」
今度は俺が口をポカンとさせる番だった。
美優の幻影を追い払おうと、テクもなにもないセックスをしていたことは自覚している。
それでも、佐知子の乱れる姿を見て、俺は自分のセックスが気持ちいいものだと思い込んでいた。
「マジで……」
「マジです」
どういうことなんだこれは。
俺たちは恋人という立場にありながら、互いに別の人を考えてセックスしていたというのか。
しかもその相手が、片や実の妹、片や同性の友人だったなんて。
いったい俺たちは、どこで何を間違えたんだろう。
「俺たち、付き合ってたんだよな」
再燃する疑問。
元々薄かった実感が、更に希薄になっていく。
「一応、彼女のつもりではいますけど。お兄さんはやっぱり、美優ちゃんのことが好きなんですよね?」
「好きじゃない……ことは、ないというか。まあ。好きだけど」
認めたくはないけど、こうなったら認めざるを得ない。
「うーん。私は彼氏がいたらどうなるか知りたかっただけですし。どっちでもいいですけど」
どちらでも良い。
その二つの選択肢は当然、このまま恋人の関係を続けるか否か。
美優のためを思うのなら、別れるべきではない。
せっかく彼女を紹介してくれたのだし、佐知子と別れたら俺には美優しかいなくなる。
改善の余地がゼロになってしまうわけだ。
でも、これが果たして自然な恋人関係かと聞かれれば、決してそんなことはない。
そんな関係を続けていたところで、俺がこれ以上に好きになることはないだろう。
互いに貴重な青春を棒に振って、それこそ今よりこじれることになったら大変だ。
「友達でいたほうがいいんだろうか」
「そうかもしれませんね」
決着は早かった。
こんな歪な関係は、続けるべきではない。
客観的に振り返ってみれば、それ以外にない選択肢だった。
俺たちは今日の食事を最後に、ただの知り合いへと戻る。
いや、出会ったときから恋人になることが決まってたわけだし。
ここでようやく、俺たちはあるべき関係を始められるんだよな。
最後に仲良く食器を洗って、俺たちの間にある空気は、変わらなかった。
お別れは玄関先で。
手を振って、遠のいていく姿に、虚無感が訪れる。
短い青春を見届けた夏の午後。
俺の中には美優への申し訳無さが残るだけだった。
「ただいま」
18時きっかりに、美優は帰ってきた。
鞄は両手で前に持つ。
ピシッとした姿勢で、まず一度立ち止まり、ひと呼吸。
ローファーを脱いでから振り返り、スカートを撫でながら軽くしゃがみ込む。
顔の横に掛かる髪をかき分けるように押さえながら、靴の向きを外へと変える。
これが美優の帰宅時の一連の動き。
息を呑むほどに洗練された所作。
どこでこんなものを覚えてきたんだろう。
「おかえり」
出迎えに声をかけると、美優は「どうも」と軽く会釈をしてくる。
ドライモードの美優はどこか他所他所しいけど、このたおやかな様は好きだ。
リビングには一人分の食事。
それを目の端で確認すると、美優は手を洗ってからすぐに食卓についた。
俺はいつ佐知子と別れたことを言うべきか迷っていた。
美優は黙々と食事を続ける。
最近は話すことが多かったから、会話がない時間に空気が張り詰めていた。
ソファーでだらだらとやり過ごしていても落ち着かない。
棚に置かれた雑誌でも読んでいたいが、美優が買ったファッション誌ばかりが並んでいるので手を出しづらい。
横になることもなく、俺はソファーに座ってジッとしていた。
静止しているのに、不審な動き。
喉が渇いてきた。
なんと言って謝ればいいんだろう。
別れればスッキリすると思っていたのに。
ずっと近くにあったものが突然なくなった寂しさと、美優に対する罪悪感に、俺の心はざわついていた。
身動きが取れない。
迷っているうちに美優は食事を終えてしまった。
食器をシンクに運んだら、部屋に戻ってしまう。
時間の猶予はない。
俺よりも先に佐知子が別れたことを美優に報告したら、なぜ黙っていたのかと美優は憤るだろう。
ただでさえ頭の上がらない立場だ。
俺が言うしかないんだ。
「み、美優……!」
立ち上がろうとして、自分の声の通らなさに驚く。
相談もしないで勝手やって、美優は怒らないだろうか。
そんな不安がよぎって、俺は強く頭を振った。
美優はキッチンからなかなか出て来ない。
やはり声は聞こえなかったのか、カップを取り出して、ポットでお湯を作っていた。
それを放置したまま、美優はリビングを出ていく。
呼び止めようと思ったが、お湯が沸くまでに部屋でやりたいことがあるのかもしれないと見送ってしまった。
それから5分ほどが経って、美優がリビングに戻ってきた。
見たことのない箱を携えて、再びキッチンに立つ。
ここがタイミングだ。
美優がカップに注いだものをリビングで飲んでいくとも限らない。
「美優、ちょっといいか」
なんとか声を捻り出して、俺は美優の前に立った。
美優は歩くのを止めて、その場でカップをふーふーする。
そして、それを俺に差し出してきた。
「はい」
いきなりパスされたカップを、俺も両手で丁寧に受け取る。
突っ立っていると、美優がこちらを見つめてきた。
飲めということだろうか。
「俺の?」
「うん」
カップから立ち込めるほのかな甘い香り。
色の良い紅茶だった。
「これは……?」
「フレーバーティー。なんだか落ち込んでたみたいだから」
美優は俺の緊張を感じ取って、落ち着かせようとしてくれていたらしい。
フレーバーティーなんて見かけたことなかったけど、部屋から持ってきたのはこれだったのか。
「悪いな」
「いえいえ」
美優は紅茶を俺に渡すと、手を前に揃えて首を上げた。
「で、何か用?」
二重の輪郭が俺を捉える。
どのパーツも形が良くて作り物みたいだ。
「実は、今日な」
俺は紅茶の表面に映る自分を見つめて、グッと熱いものを喉に流し込む。
「佐知子と別れた」
告げる口から、香ばしい葉の匂いとほのかなピーチの甘さが立ち登った。
「そっか」
美優は怒りも驚きもしなかった。
いろいろあって美優の表情が変わるところをたくさん見てきたけど、そういえば元々はこういうやつだったな。
「頑張ってくれたのに、ごめんな」
後悔があるとしたら、それだけだ。
美優の尽力を無駄にしてしまったことが情けない。
「いいよ。お兄ちゃんもだいぶ重症だもんね」
トイレの一件から、美優の態度は軟化している。
あのときの美優のため息は、やっぱり俺の更生を諦めたものだったか。
「ところでお兄ちゃん」
美優は神妙な面持ちで、俺を睨むように視線を送ってくる。
俺の破局報告なんて美優にとっては些事だったらしい。
「あんまりこういうのは好きじゃないんだけど、一つお願いがあって」
「おお、なんでも言ってくれ。美優には助けてもらってばかりだからな。できる限り力になりたい」
美優からの頼み事なんて、俺からすれば嬉しいくらいだ。
恩を返す機会を逃がすわけにはいかない。
「私、明日はすごく不機嫌かもしれないから。……どう言えばいいのかわからないけど。とにかく、気をつけてもらえると嬉しいかな」
「はあ。別にいいけど」
明日って普通に平日だよな。
学校で特別なイベントでもあるのか。
「よろしくね」
リビングを出て部屋に戻っていく美優。
階段を登っていくその背中は、いつもと変わりない、筋の通った美しい後ろ姿だった。