鈴原の入院している病室は二人部屋だった。
今は奥のベッドが空いていて、実質的な個室になっている。
「すまんな、ソトミチ。大した怪我じゃないのに見舞いに来てもらっちまって」
「大したことない割には大袈裟に包帯が巻かれてるな」
鈴原の怪我は肋骨にヒビが入った程度で済んだようだったが、黒澤さんに蹴られた時の裂傷があちこちにあるため、処置内容だけを見ると重症患者のようだった。
「それと、オフ会があんなことになって悪かった。美優さんたちにも迷惑かけたみたいだし、ほんと、身勝手で最悪だったよ。申し訳ない」
「見逃してたらハルマキさんもどうなってたかわからないわけだし、そこまで気に病むこと無いよ。美優たちも警察を呼んだ上での対応だったみたいだから」
鈴原がハルマキさんに誑かされて暴走したのは、ハルマキさんの黒澤さんから逃げたい想いに当てられた結果でもある。
本人に悪意がなくて、事態が上手く纏まったから許すというのも軽率な考えだが、あそこまで拗れることなんて誰も予想できなかっただろう。
なにより、美優たちが助けにきたのは俺の行動が直接原因なわけだからな。
その責任まで押し付けるつもりはない。
ちなみに、黒澤さんの出所後の対応については、いつだか俺が不遇を食らったときに出来た"ちょっとしたツテ"にお願いをしてあるので、この話に関係して鈴原の身に危険が及ぶことはほぼ無いと考えていい。
「そうそう、私らの件はお兄さんが悪いんであって、スズっちとハルっちを助けたのは都合によりだから。気にすることないのよ」
俺の横で、鈴原の脚に巻かれた包帯を珍しそうに突くツインテール。
俺は一人でこの病院に来たはずなんだけど。
「あえて今まで触れてこなかったんだが。なんでお前が居るんだ」
「ハルっちからあんたの動向を聞かせてもらったわけよ。謝礼としてね」
由佳はピースサインを作って「にっしっし」と、してやったりの笑顔を俺に向ける。
こいつは本格的に俺のことが好きなんじゃなかろうか。
「ごめんね、ソトミチくん。どうしても断れなくて、私が鈴原くんからこっそり……」
当のハルマキさんも病院に来ていた。
元々お見舞いには来るつもりで、タイミングを俺と合わせたらしい。
あんな一件の後ではいきなり鈴原と二人きりは気まずいだろうし、緩衝材として居てほしいということなら俺も悪い気分はしない。
「おにーさんも私たちに心配をかけたわけだし、次は自分がお仕置きを受ける番なんじゃないの?」
「されるにしても美優にお願いするよ」
「あ、た、し、も、心配したの。だから2対1ね。美少女二人から同時にお仕置きされるとかほとんどご褒美なわけだし、もはや断る理由はないというか? あっ、それだとお仕置きにならないのか……。んーまあ、それはそれで考えればいいわよね!」
由佳はテンション高めに俺の手を握ってくる。
鈴原とハルマキさんの驚いた顔を、俺は直視することができなかった。
「誤解を招くから変な言い方はよしなさい」
「流れ作りよ、流れ作り。ハルっちはスズっちとお詫びエッチするんでしょ? なら、私たちが奥のベッドでおっぱじめるくらいの方が、切り出しやすいかなって」
「配慮の度が過ぎる……」
段々と取り返しのつかない展開になってきた。
鈴原は口をパクパクさせて、何かを言おうとして何も言えずにいる。
「由佳ちゃんとソトミチくんって、やっぱり付き合ってるの……?」
ハルマキさんも由佳の発言には色々とツッコミを入れたそうな顔をしていたが、何よりも気になったのは俺との関係だったみたいだ。
「こいつとはほんとに何もないから」
「残念ながらそれが事実ね。お兄さんの恋人は美優だから」
その言葉に、俺は咽せ返り、ハルマキさんは絶句し、鈴原は肋を押さえて悶絶する。
まさかこんなところで暴露されるとは。
「そ、ソトミチ。由佳ちゃんの話はどこまでが本当なんだ? 美優って、あの、妹の美優さんだよな?」
「美優ちゃんって、私を助けてくれた、あの子なんだよね? ソトミチくんと妹さんって、義理の関係なの?」
「それについては、なんというかだな」
俺はしばらくまごついていたが、他の三人が答えを待って黙り込んでしまったので、もはや誤魔化せる空気ではなかった。
いずれは話さなければならなかったことだし、今の鈴原とハルマキさんなら教えても大騒ぎをされることはないと判断して、俺は美優との関係を洗いざらい白状することにした。
ハルマキさんは当然として、鈴原には女性経験があること自体を隠していたので「お前は何を言っているんだ?」みたいな顔をされたが、途中で由佳が合いの手を入れて緊張した空気をぶち壊しにしてくれたので、思っていたよりはすんなり説明をすることができた。
「ソトミチも、なんだ。大変だったんだな。正直、理解はできないけど、わかったとだけ言っておくよ」
「ついでだから言っておくが山本さんとも一時期深い仲にあった」
「隠されてた悲しみとイキってた恥ずかしさで心がツラい」
「ちなみに私はこの男にレイプされて処女を奪われている」
「頼む現実世界の話をしてくれ……」
鈴原はげっそりした顔で頭を抱える。
話せば話すほどに酷い性生活だった。
初体験の相手もその日にチャットで決まった妹の友人だったしな。
「ソトミチくん、『童貞ではない』とかなんとか言って、私よりよっぽど卑猥なことしてるし、倫理観の欠片もないよね?」
ハルマキさんの発言は全く以て微塵の隙も無いほどに尤もだった。
返す言葉が見当たらない。
「そんなにエッチしてるなら……私の誘いも乗ってくれればよかったのに……。まあ、今となっては私の諸々はバレてるし、ゴネるつもりもないけどさ。由佳ちゃんもダメなの? 可愛い子じゃない?」
「でしょ!? そうよね!? 私も強くそう思うわ!! あんたついでにこの女ともヤりなさいよ!」
「結託するな結託するな」
昨日初めて顔を合わせたときには敵対していたはずなのに。
ハルマキさんが諸々反省したから由佳も気を許してるんだろうが、こいつの利用できる物は何でも使う姿勢は本当に恐ろしいほど迷いが無いな。
「ソトミチ……お前そんなにモテる奴だったんだな……」
「周りが不思議とそういう流れにしてくるんだよ。俺は何もしてないから」
俺も全く努力をしてこなかったわけじゃないが、これほどまでに女の子から熱烈アピールを受けられるほど立派になったつもりはない。
主に美優という存在が大きすぎるんだ。
「それよか、鈴原はいいのか? ハルマキさんのこと、本気で好きなんだろ? せっかくの出会いをこのまま終わりにするのは勿体無いと思うぞ」
「も、もちろん、本気で好きだ。今でもそれは変わらない。でも、この流れでオッケーを貰っても、弱味に付け込んでるみたいになるから……」
鈴原はなかなかハルマキさんと目を合わせようとはしなかった。
結果的にハルマキさんを助けたのが由佳たちで、自分は黒澤さんにボコボコにされただけという事実に負い目を感じているんだろう。
「付き合うかどうかはともかくとして、とりあえずセックスしとけば?」
由佳はあっけからんと鈴原に提案する。
「お前はすぐそういう話にする……」
「だってハルっちがお詫びにセックスするって言ってるんだから。しときなさいよ。減るもんじゃなし」
由佳は尤もらしくそう言い放つが、当のハルマキさん本人は「そんなこと言ってないんだけどなぁ」と困惑している。
「まあ、私としては、それでお詫びになるなら吝かではないんだけど。さっきも言った通り、私ってこういう女だからさ。鈴原くんは嫌かなーって」
ハルマキさんが胸中を打ち明けると、鈴原は驚くと同時にソワソワし始めた。
俺も美優ほどじゃないが、今の鈴原の心理状況ならわかる。
ハルマキさんと付き合いたいし、付き合えなくてもセックスはしたい。
それが鈴原の本音。
だが、彼女を手に入れるために必死になっていると思われたくないプライドと、ハルマキさんとのセックスに興味があることを悟られたくない羞恥心が邪魔して、その本音を口にできずにいる。
「お、俺も、出来るだけ昔のことは、気にしないつもりだよ! でも、無かったことにするのはお互いのためにならないというか……だからまずは話し合いをだな……」
鈴原はハルマキさんと微妙な距離感でギクシャクしている。
さっきのプライド云々もあるけど、これはハルマキさんの過去のことも割り切れてないな。
俺は女運に恵まれてるから気にならないだけで、鈴原の反応が普通なんだけど。
そんな鈴原に、包帯などお構いなしにバシッと喝を入れたのは、やはりというか由佳だった。
「セックスに必要なのはイエスかノーよ! スズっちはハルっちとセックスしたいの! したくないの!」
「えっ、そ、そりゃ……したいけど……」
「ハルっちはスズっちとセックスしてもいいのよね!」
「ひとまずお礼ということならイエスでいいかな」
由佳は二人の同意を取り付けた後、なぜか俺の方に振り返った。
「というわけで、お兄さんは私とエッチする?」
「なぜ俺に振ったのか知らんが個人的回答としてはノーだ」
「うぐっ……。つ、つまりはこういうことよ。ちなみに私は全面的にイエスだったわ」
由佳は悔しそうに目を強く瞑る。
なるほど美しい身の犠牲の仕方だった。
「とにかく、一発ヤればスズっちの悩みは無意味だったってわかるから。騙されたと思ってヤってみなさいよ」
「が、頑張るよ」
そんな肩こり解消運動ぐらいの気軽さで言われても鈴原も困るだろうが。
まあ、俺たちが残ってたんじゃ話が進まないだろうし、そろそろ由佳を連れてくか。
ハルマキさんも鈴原との気まずさがだいぶ無くなっただろうしな。
「じゃあ、後は二人で話し合ってくれ。二人とも元気でよかったよ」
そう言って俺は由佳と一緒に病院を出た。
この病院までは電車で来ているので、実家の最寄り駅まで折り返しで帰ることになる。
俺はそんな道すがら、廊下では人が多くて聞けなかったとある疑問を由佳にぶつけてみた。
「由佳はどうしてあそこまで鈴原にセックスをさせたかったんだ? いつもの世話焼きとは少し違うよな?」
ハルマキさんを煽ってそこに便乗するつもりだったにしても、そんな程度で俺が由佳と喜んでセックスするような心変わりをするはずがない。
「お詫びやお礼にはエッチで返す。この常識をお兄さんに刷り込みたかった」
「それを言ったら台無しだな」
結局はどこまでもエゴの塊だった。
由佳の場合、なぜかそれが『らしさ』で片付けられてしまうんだよな。
「お兄さんはこれから家に帰るの?」
「人に会う用があるから、直接そっちに行くよ」
「ふーん。じゃあ私とは遊べないんだ」
由佳はしれーっとした顔をして、しかし、その表情の奥には不満が窺えた。
気持ちはわかるんだが、由佳とはあくまでも妹の友人としての関係でしか今はいられない。
「由佳と遊ぶこと自体は嫌ではないよ。でも、男女の仲って気持ちだけ割り切ってればいいものでもないと思うし。しばらくは美優だけを優先したいんだ。由佳だって俺と美優の関係は認めてるだろ?」
「それはそうだけど。これまでのお礼として構ってくれるぐらいいいじゃん」
由佳は美優を諦めるとは言ったが、たしかに俺を諦めるとは言っていない。
由佳が求めているのは健全なセックスとやらで、それはイコールでいちゃらぶエッチを指すようだから、俺に彼氏としての動きを求めるのもわかるけど。
どうしてだか最近は、由佳の内に本気の想いを感じてしまう。
ただの俺の思い上がりであればよいのだが、まだ美優との恋人としての仲も進展していないのに、これ以上のゴタゴタは遠慮したい。
「で、これからの用ってのは美優とのデートなの?」
「会うのは美優じゃないよ。できれば探らないでもらえると有り難い」
「あらそうなの。りょーかい」
由佳は素直に承知してくれた。
これは何かを企んでる風でもないし、信用しとくか。
『──大事な話があるので、明日、時間をください』
昨日、事件の夜に俺に届いたメッセージ。
端的に言えばそれは、遥からのものだった。
まさか個人的に呼び出される日が来るとは思っていなかったが、美優のこととか話さなきゃならないことはいくつもあったんだよな。
ある意味では俺が寝取ったようなものだし、場合によっては謝っておかないと。
会う場所は駅近くのデパートにあるイタリアンレストラン。
内装はオシャレで落ち着いたところだが、料理はファミレスとそう変わらない値段設定になっている。
お店のメニュー表と一体になった看板の前で、複数の人が誰かを立ち待つ中。
白いシャツが目立つ、ちょっぴり大人びたファッションに身を包んだ眩しいくらいの美少女がいて、通りゆく人々の視線を吸い寄せていた。
一体どんな男を待っているのかと、誰もがその相手を気にしていただろう。
人によっては、そんな考えを巡らせるだけで、心に悔しさが滲んだりもしたはずだ。
そんな羨望の相手が、まさかの俺なわけだが。
やはりというか現実味の無い話だよな。
しかし、この関係はあくまでも、美優という絶対的美少女権力のおこぼれであることを忘れてはならない。
スマホを弄って暇を持て余す遥に、俺は正面から気配を伺わせて、パッと顔を上げた遥と目を合わせる。
由佳より短い髪をふわっと二つ結びにしたツーサイドアップ。
高級ドールのような肌の質感とクリッとした潤やかな目は、しかしそこに確かな温度を宿すことで人としての形を完成させている。
どれだけ美優と親しい関係になっても、遥の可愛さだけは変わらなかった。
「昨日ぶりですね、お兄さん」
「まさか呼び出されるとは思ってなかったよ。遅れて悪かったな」
「お気になさらず。入りましょうか」
二人で入店して、遥の要望で店の奥の席に座ることになった。
お店に入る直前に遥が俺の背後を見ていたような気がしたのだが、まさか由佳のやつがついてきてたりしないだろうな。
「お兄さんには2つほど、会って話しておきたいことがあって。片方はついでみたいなものなんですけどね」
席に着いてすぐ、スープとバゲットのセットを注文してから、遥は早速話を切り出した。
俺もそれほどお腹が空いていないので同じものを頼んである。
「メインの話って、やっぱり美優のことか?」
「残念。そっちがついでです」
「ああ、そうなのか? ってなると……」
「由佳のことについてですよ」
遥が発した言葉に、俺は驚くことはなかった。
これまでの経緯からして、由佳を更生する美優の計画に、遥も関わっていると思ったからだ。
遥はまた俺の背後にある店の入口をしばらく眺めてから、俺の目を見て話を続ける。
「私がカラオケでお兄さんに話したことを覚えてますか?」
「由佳と話すときは過去の印象を思い出せってやつか?」
「そうです。それの真意をお伝えしようと思って」
昨日の話の真意か。
たしかに、俺も俺なりに考えはしたが、由佳と過去に話したときの印象を思い出せと言われても、いまいちピンと来なかったんだよな。
「お兄さんにとって、由佳のイメージってどんなものですか?」
「アホっぽいとか、執念深いとかだな。美優のことが好き過ぎて、それが原因で性格が歪んで、気を引きたいがためにイタズラをして空回りしてる……感じかな」
それが第一印象からの由佳のイメージ。
しかし、このところの由佳の言動を振り返ると、逆な部分も多い。
勉強はできないのかもしれないが、決してどうしようもない馬鹿というわけでもないみたいだ。
悪事のためなら記憶力も相当なものだし、あるいは興味のあることにだけ頭が働くタイプなのか、あの馬鹿さ加減も美優の気を引くための演技なのか。
そして、その美優への好意だって、このところはサッパリと吹っ切れて、俺への興味に変わっている。
しかもその興味も、美優に対して抱いていたほどの執着は感じない。
「最近だと、サバサバした姉御肌というか、意外と良いヤツって感じもするかな」
美優のお仕置きで真人間になりかけているのかもしれない。
それくらい、由佳の印象はコロコロと変わっている。
バカかと思えば賢い。かと思えばやはりアホ。
自己中かと思えば他人想いで、しかし、言動はどこまでも身勝手。
一途かと思えば気の変わり様も激しく、それでも執念は人一倍に強い。
「まあ、なんだ。頑張り屋なんだと思うよ。結構、健気で可愛げがないでもないし」
俺がそうやって言葉を続けていると、遥がクスッと笑った。
「好きになっちゃいましたか」
「あ、ああ、いや! もちろん、これまでやってきたイタズラは許容できるレベルじゃないし、好きとかそんなんじゃなくて! あくまで、これは相対的な評価であってだな……」
「そこまで美優に気を使わなくても大丈夫ですよ。期待通りの回答ですし」
遥は満足げにそう言った。
どうやら由佳をよく知る人はみんな似たような印象を持つようだ。
「由佳は事実としてまあアホなんですが」
やはりそうなのか。
「問題なのは、人間の記憶の構造なんです。お兄さんは、由佳が美優のことを好きだと仰いましたよね?」
「そうだよ。あいつほど美優のことが好きな奴もいないだろ」
遥がどれくらいお仕置きの内容を知っているかはわからないが、由佳の美優への執着は恐ろしいほどだった。
あれはもはや好意などというレベルのものではなく、一種の崇拝に近い愛の形とも考えられる。
異常なほどの慕情。
理解のできない恋。
……あれを恋と表現するのはしっくりこないけど。
「本当に由佳が美優のことを好きだったと思いますか?」
「えっ……ああ……。それは、思うよ。好きじゃなきゃ、やらないようなこともたくさんあったし……」
由佳が美優にイタズラをしてきたのは、美優を笑顔にしたくて、その気を引きたくて、そういう子供らしい純粋な好意で行動をしてきたからだ。
結果的には、由佳は美優のことを好きになり過ぎて、あそこまで性格がひん曲がってしまったわけだが。
さっきはふとした迷いが生じたけど、少なくとも由佳が美優のことを好きなのは間違いがないはずだ。
「本当にそう思いますか?」
遥は俺を見つめるでもなく、そのぱっちりとした目を瞬かせながら、なおも同じ問いを重ねてくる。
「好き……なんじゃないのか……?」
「本当に?」
遥は小首をかしげて、三度の確認。
語尾が甘え声みたいに尻上がりになって、危うく俺の胸がトキメキそうになってしまったが、今はそんな不埒な事に惑わされている場合ではない。
これだけ問い詰められるということは、ここが重要なポイントということなんだよな。
つまりは、ここに過去の印象とやらが関係しているわけだ。
「……俺が初めて由佳に会ったのは、遥も居たときだよ。お仕置きを兼ねた勉強会をやってたやつ。そのときは、まあ、由佳が酷いイタズラをするやつだってことしかわからなかったけど」
初めて由佳と会った時は、美優への好意はまだ感じなかった。
イタズラにしても、正直なところ引くぐらいやり過ぎな事実が明らかになって、ロクでもない馬鹿だなってのが第一印象だった。
「例の、遥と美優の裸を撮られた事件があっただろ? 俺はあの前に、美優の弱点を教えてくれって由佳にせがまれてたんだ。もちろん教えるわけなんてなかったけど。その、弱点を知りたい理由が、美優のことを好きだったからで……」
そこまで言いかけて、俺は急に自分の説明に自信を失った。
美優に酷いイタズラを散々してきて、身勝手な理由で気持ちをぶつけて、その上に弱点を聞き出してまで美優を隷属させようとした奴が、どうして美優のことを好きだなんて判断になったんだっけ。
由佳が好きだと言っていたから?
俺はそれをどうやって納得した?
そもそも、あいつが美優のことを好きだなんて言ったのは、いつの話だ?
イタズラをするのは好意の裏返しだという認識が俺の脳内には出来上がっている。
きっとそれは俺だけじゃなく、ドラマや漫画を嗜む人なら、誰だってその方程式を持っているはずだ。
だから、弱点を聞き出してまでイタズラをしようとした由佳には、よっぽどの想いがあるのだろうと推測をした。
なにより、イタズラの目的が美優を笑顔にすることだったのだから、それを好きの気持ちと解釈することはなんら不自然じゃない。
そうやって、今の時点から、事実だけをなぞって過去を振り返ると、由佳は純粋に美優を好きだったように思えてしまう。
だが、よくよく考えてみると、そうだ。
人の物を無断で使ったり、裸の画像で脅したりすることが、純粋な「好き」な気持ちと結びつくなんて、そんなの普通じゃない。
仮に笑顔にしたかったのが本意だったとして、それが恋愛的な想いの根拠になるだろうか。
そう、これだ。
思い出した。
俺は由佳と話してるとき、同じことを考えていたはずだ。
あいつの発言は支離滅裂で理解不能。
いつだって由佳の言葉にあるのは、尤もらしい論理とそれに支えられる謎の説得力だけ。
整合なんて全く取れていないんだ。
だから、俺はいつだって由佳の発言に疑問を抱いていたはずじゃないか。
今日だってそうだ。
あいつは病院で滅茶苦茶なことを言って、でも、俺はもうそれが正しい説得の仕方だったと思えるようになってしまっている。
それが由佳らしさだから。
それと同じように、いつの間に由佳の「好き」を、自然なものとして受け入れてしまっていた。
そのときの印象を思い出さないと由佳に丸め込まれる。
遥が俺に忠告した言葉の意味は、こういうことだったのか。
「由佳は美優のこと、好きなんかじゃなかったのか……」
「あ、いえ。好きなのは事実ですよ」
「え? あれ? どっちなんだ?」
「要するにですね。認識が間違っているのは結果ではなくて、因果関係なんですよ」
遥は一呼吸に食事を挟んで、再び説明を続ける。
「イタズラをするのは美優を好きだから、というのが間違いなんです。ここを勘違いされたままだと、お兄さんが正解に辿り着けないだろうと思ったので、こうして助言をさせてもらいました」
なんともまあ回りくどい説明をするものだ。
そこまでして、由佳の悩みとやらは俺が気づいてやらなければならないものなのか。
「お兄さんと同じで、私も美優も、由佳のことは好きなんですよ。結論を言えば、悪い子ではないので。ああなったのが美優のせいだから、美優は責任を感じてお兄さんに頼み込んでいる。でも、自分で助言をすると踏み込みすぎてしまうから、私をお助け役として立てた。そういうことです」
「そうか。まあ、俺も俺で、美優に振り回されるのは慣れてるし、別に構わないけど」
由佳のイタズラが悪化したのは美優の影響か。
美優は責任を背負い込むととことんまで清算しようとするからな。
半端な解決方法じゃ絶対に許さないだろう。
自力で解決できることならもっとスマートに終わらせるんだろうが、自分自身が原因とあっては他人に頼らざるを得ないよな。
俺だって美優には返しきれないほどの恩義があるわけだし、投げ出すつもりは毛頭ない。
それに、さっきは思わず取り繕ってしまったが。
俺も由佳のことは好きだ。
「もうちょっと情報をお伝えしておくとですね、由佳は美優以外にもかなりの人数に告白をしてるんですよ」
「また混乱する情報を……。にしたって、意外だな。美優にしか靡かないと思ってたのに」
「お兄さんも、その一人ですよ?」
「まあ、そうだけどさ」
由佳が俺にイチャラブセックスを要求してくるのは、俺が美優の血縁者だから。
そう思ってたけど、それはあくまでも『美優の義姉になりたいがために俺に精子を求めていた』頃の理由であって、今となってはそんなもの、由佳と知り合ったきっかけでしかない。
そもそも、美優の義姉になりたいから俺とセックスしたいって提案自体が滅茶苦茶だったわけだが、それ以外にも由佳の言葉のインパクトが強すぎて、俺が自分で過去の出来事を納得できる形に変えて記憶していた。
由佳の願望はいつの間にかゴム有りでいいからイチャラブセックスがしたいという願いに変わっていて、初めてその要望を聞いたときは俺も強い違和感を覚えたはずなのに、もうそんなことは気にならなくなっている。
そうして俺が由佳に抱く印象は『俺に気があるそこそこ可愛くていい奴』になっていた。
とんでもない洗脳技術だったな。
無理が通れば道理が引っ込むをここまで体現したやつもいない。
意図的なものだったのか天然の考えだったのか。
どっちにしても恐ろしいやつだ。
「……って、待てよ? あいつ、性関係はほとんど未経験だって言ってたけど。まさか告白は全敗?」
「そのまさかです。あの子、あそこまで拗れたのは美優のせいですが、イタズラ好きで生意気なのは昔からなので。なんというか、『由佳と付き合うと悪い噂が立ちそう』というマイナスイメージが、致命的な障害になってしまっているわけですね」
「それはなんとも……もう学校が変わるのを待つしか無いな……」
俺もクラスに由佳みたいなのがいたら、どれだけ好意を寄せられても素直に付き合おうとは言えないからな。
思春期の小中学生が首を縦に振るはずがない。
「さて、由佳の話はここまでです。後はお兄さんが自然体で接してくれればすぐに解決しますので。美優に気を遣って邪険にしたらダメですよ?」
「わかったよ。それで、美優のことについてはどういう話なんだ?」
「こちらは端的に言いますね。美優とエッチする許可を貰いたい、という話です」
遥は水の入ったコップに口をつけ、澄まし顔でそう言った。
またぶっ込んで来たな。
「答えを出す前に……今更なんだが、美優と遥って友達以上ビジネスパートナー以下って認識でいいのか?」
「ええ、それで構いません。誤解のないように補足しておくと、美優はあくまでも可愛い服を楽しみたいだけであって、ただ、私の服を使うにはエッチをしてもらうことが前提となるので、そうなってもいいですかという確認をしたいわけです」
遥は銀行の受付のような淡々とした口調でそう述べた。
この手の話題になると、この子たちはみんな堂々と話すよな。
そういえば、美優は服のレンタル一ヶ月でエッチが何回とか、そういう契約で遥の服を借りてるんだっけか。
「エッチ以外を対価にする道はないのか」
「ないですね」
食い気味で強めの即答だった。
「由佳とは違って、私は100パーセント性的に美優を愛してるので、エッチ以外はありえません」
「それはそれで兄としては複雑なんだが……」
そうだった。
いつもクールで口調が丁寧だから忘れてしまうが、遥もあの中学生グループの一員なんだよな。
健全なはずがなかった。
「とはいえ、以前にもお話した通り、私は美優とお兄さんの関係は認めています。これはあくまでも、まだ自分では私が持っているレベルの服を作れない美優が、一時凌ぎのためにもう少し関係を続けたいと悩んでいるから伺っただけのことです」
「ああ、なるほど」
ビジネスパートナーってことは、美優に益があるからこそ続ける関係なわけだからな。
その理由が『自分では入手できない服が欲しい』であるならば、将来的にそこさえ解消すれば普通の友達に戻れるわけか。
「しかし、一時的とはいえ身売りは身売り。そんな関係を続けながらお兄さんだけに誠意を求めるのは、筋が通らないと。そんな感じに美優が悩んでいたので、いっそお兄さんの言質を取ってしまうことにしました」
そういうことだったか。
美優らしい悩みではある。
俺以外の人間と性行為に及ぶことは義理に反するが、美優が俺を大切に想ってくれているのは、俺が美優の趣味を認めているからでもあるわけで。
そんなジレンマを美優は抱えていたわけか。
俺としては、幼い頃からの趣味と、恋人としての俺を、天秤にかけてくれたというそれだけで嬉しく思えるんだけどな。
「美優が本気で好きな趣味なら自由に楽しんでもらいたい。それがいくらか性的なものでも、遥ならギリギリ許せるというか。元々あった関係だしな」
「そうですか。ではそうお伝えしておきますね」
「ああ、よろしく」
会話が終わる頃にはお互いに食事は終わっていて、俺たちはすぐに会計を済ませて店を出た。
そのとき、遥はまた店内のどこかに視線をやっていて、どう考えても誰かを気にしているような素振りだった。
「知り合いでもいるのか?」
「いえ、そういうわけでは」
そう答えるわりに、遥の足取りは緩やかで、後ろ髪を引かれているようだった。
そうしてまたお店の方に振り向いたところで、今度はピクッと反応してすぐに前を向いた。
で、その次はなぜか俺をジーッと見つめてくる。
「本屋に付き合ってもらってもいいですか?」
「本屋? 俺も一緒に? 別にいいけど」
そんなこんなで、俺はデパート内にある本屋に遥と二人で移動した。
漫画や小説から、参考書、雑誌に至るまで様々なジャンルの本が置いてあり、遥が雑誌コーナーに足を運んだので俺も横に立ち並んだ。
表紙が見えるように置くタイプの本棚が四列設置されていて、その真ん中あたりにあるファッション誌を遥は手に取る。
本棚の高さは女性の平均身長くらいの高さに揃えられており、本全体がパッと目につきやすい。
遥は俺の横で、グラビアアイドルの水着の特集(わりと健全なやつ)を読んでいる。
水着と女体とどちらが目的なのだろうか。
「後ろの棚にロリータ系の雑誌もあるけど、そっちは読まないのか?」
遥なら「すでに読んでます」と答える可能性もなくはないが。
「美優からも話を聞いていると思いますが、うちはコンセプトものが多いので、あまり正統派のデザインには拘らないんですよ。ときにはこうして肌色を眺めている方が、いんすぴれーしょんが刺激されるのです……」
なるほど。
これは女体を目的にグラビアを読んでいるパターンだな。
なんとなく口調でわかる。
にしても、これは意外なんだよな。
遥はロリータ趣味のわりに、発育の良い女の子が好みのようだ。
あるいは美優を特別だと言った意味も、主に胸のあたりにあるのかもしれない。
お互いに外見はドストライクなんだろうな。
さて、俺はどの雑誌を読もうか。
「お兄さん、後ろの棚に移動しましょう」
雑誌を手に取って何分もしないうちに、遥は本棚に雑誌を戻して俺を押した。
やはりロリータファッション誌に興味があるようで、俺はなされるがままに移動する。
これまでと違って遥は早足で、たどり着いた先にはヒラヒラした服が目立つファッション雑誌が置いてあった。
そして、その隣に積まれていた雑貨特集のゾーンには、顔全体が隠れるくらいに本を高く上げて雑誌を読んでいる不審な人物の姿があった。
スラッと伸びた脚をショートパンツに通し、どう考えてもその豊満さのせいでお腹が見えてしまっているとしか思えない胸部でシャツを押し上げている、瑞々しい女性。
これほどまでにエロい身体つきをしている女の人なんて、俺には失礼ながら一人しか思い当たる人物はいなかった。
「山本さん?」
俺が声を掛けると、山本さんは目の下ギリギリまで雑誌を下げて、目が合った瞬間に慌てて雑誌を棚に置いた。
「ソ、ソトミチくん! 奇遇だね、こんなところで」
山本さんは固い笑顔で挨拶をする。
「ああ、俺もびっくりだよ。久しぶり……でもないか」
あんな出来事の後で連絡もせずにばったりだから、俺としても気まずくはある。
「やはりこの方でしたか……」
遥が山本さんに熱い視線を送っていた。
表情にはまだ顕れていないが、俺と居たときとは打って変わって目が輝いている。
「えーっと……ソトミチくんの、お連れさん。初めまして。山本です」
「初めまして、山本さん。私のことは気軽に遥と呼んでください。で、その、ところでなのですが」
遥は弾むようにステップして近くの雑誌を手に取り、その中の見開きを1ページ開いて山本さんに見せた。
「こういう服に興味はありませんか!」
言わずもがなフリル衣装のロリータ服をオススメしていた。
まさかの勧誘である。
それに対し、山本さんはそれをしげしげと眺めてから、ハッとしたように顔を上げた。
「興味、あるかも……!」
たぶん弟を女装させるためだろうなぁ。
「では、ぜひぜひ連絡先を交換しましょう」
遥がスマホを取り出すと、ひとまずは俺を後回しにしたい山本さんは、それに合わせてスマホを手にした。
それから数秒後。
俺のスマホのバイブが鳴って、俺はディスプレイを確認する。
メッセージが一件。
またしても遥からだった。
そこには文字の類は一切なく。
ただ、サムズアップしている絵文字だけが送られてきている。
どういう意味かはさっぱりわからないが。
とにかく。
目の前では、絵に描いたような美少女が二人、キャッキャウフフしているのであった。