シングルベッドの上で美優と二人。
目が覚めると朝になっていた。
アラームをかけるとなぜかベルが鳴る直前で目が覚める俺は、俺の右腕を枕にして寝ている美優を起こさないよう、左手でそっとアラームをオフにする。
今日はバイトがあるから起きて準備をしなければならない。
朝ごはんは一緒に食べることになっているので、どちらにしても美優は起こさなければならないのだが、この安らかに眠る恋人の顔をもう少し眺めていたいとも思う。
顔が小さくて、肌がすべすべで、唇もふっくらしているこの可愛さは、もう何度目かの共寝になっても飽きることはない。
前までは俺が起きれば美優もつられるように起きていたのだが、最近ではまた更に眠りが深くなったようで、俺が起こさない限り美優は寝続けるのだ。
(まだ寝ていたいけど、バイトまでそう時間があるわけでもないしな)
せっかく恋人になったのだし、それなりの特権があってもいいはず。
そう思って、俺は少しだけ美優の可愛さを堪能しながら起こすことにした。
ほっぺをふにふにしたり、頭を撫でたり、手を握ったり。
どこまでしたら起きるかを確かめながら、俺は美優の体を触っていく。
しかし、昨晩のコスプレエッチで疲れているのか、まるで起きる様子がなかった。
普段の感覚からすればこの辺りで薄っすらと目を開け始めてもいい頃だが、美優は全く反応を示すことはない。
寝ているふりをしているのかとも思ったが、ふとももを触っても無反応だったので、これは完全に寝ていると見ていい。
美優の性感は意識があったらとても狸寝入りなんて続けていられないくらいに敏感なのだ。
(これが警戒モードがオフなのか。どれだけ信頼されてるんだか)
こんなに安心して眠ってもらえるのは、恋人としてこの上なく嬉しいものだ。
なんだかんだで毎日が忙しくて、じっくりとこの幸せを噛みしめる時間が取れていないけど。
すぐ隣りにあるこの幸せだけは、絶対に手放さないでいたい。
そんな幸福感の弾みで、つい男としての本能がくすぐられて。
俺は寝ている美優の唇にそっとキスをしてみた。
柔らかな紅の厚みが重なって、啄ばむようにそれを甘く唇ではんでから口を離す。
それでも美優は起きなかった。
キスで目覚めるなんてのは、おとぎ話の世界だ。
仕方がないので俺はアラームを掛け直し、美優も聞き慣れた音を鳴らしながら肩を揺すった。
「ふぁ……んっ……」
美優の目がゆっくりと開かれる。
そして、ぼんやりと目があったところで、美優は俺の胸に引っ付いてきた。
「おはよ」
「おはよう、美優。今日はバイトだからもう起きないと」
「知ってる」
美優は腕を回せる範囲でギュッと俺のことを抱きしめてきて、ひとしきり頬をスリスリしてからようやく俺から離れた。
美優のいつもの挨拶である。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう」
美優の一度目の「おはよ」はとりあえず起きたよの意味。
そして、それは同時に朝のぎゅーをしますの合図でもある。
俺に抱きつくのが好きな美優にとって、これは欠かせない日課だった。
それが終わると、美優は改めて目が覚めましたの「おはよう」を言ってくる。
こうして俺たちの朝は始まるのだ。
「どうした? 美優」
美優が上目で俺のことを眺めていた。
いつもは鋭い目尻の形が、目を大きく開くと柔らかい印象になる。
「んー。目が覚めたら、好きな人が隣りにいるから。なんだか幸せだなって」
「そ、そうか」
そんなセリフを恥ずかしげもなく吐いた美優に、俺のほうが照れ臭くなってしまった。
ファーストキスのときも男気たっぷりだったもんな。
エッチのときはあんなに純情で恥ずかしがり屋なのに。
普段と気構えが違い過ぎる。
朝起きたときに好きな人といる幸せか。
美優も俺と同じことを感じてくれてたんだな。
こういう部分を知ることで、ようやく美優と両想いになれた実感が湧いてくる。
それにしても、美優がこんなにわかりやすく「好き」を伝えてくれるなんてな。
やはり昨日の俺が美優の予想を上回って頑張れたのが良かったのだろうか。
「昨日のでだいぶ好感度が上がったのかな」
「昨日? なんで?」
「好きな人と一緒に起きられて幸せだって。急に言い出すから」
美優の態度は山本さんや由佳ほどわかりやすいものではない。
いつもドライな美優は、そこに行動が伴っているからこそ、俺は美優の「好き」を信じられる。
そういうこともあって、美優が口で直接的に「好き」を伝えてきたことは、これまでほとんどなかったように思うのだが。
「お兄ちゃんは何もわかってないよね」
「すまん」
美優は怒るでもなく、俺を仰向けにしてそこに正面から覆いかぶさってきた。
この体勢も、美優が好きな形だ。
よくおっぱいを邪魔そうにするけど。
「お兄ちゃんのことがどれだけ好きかを言語化するのは難しいんだよ」
「そうなのか」
「たとえば、ずっと楽しみにしていたイベントを前に寝れなくなる、あのもどかしいワクワク感があるじゃない? それがお兄ちゃんへの『好き』に置き換わるような、そんな感覚なの」
「なるほど」
いまいち要領を得ないが、言いたいことは伝わってきた。
「それが、さっきの言葉とどう繋がるんだ?」
楽しみなイベントを前にするような心境なら、もっとはしゃいだり身悶えしたりしても良いはず。
それこそ、俺がこれまで見てきたアニメやエロゲのヒロインたちは、頬を赤く染めながら四六時中引っ付いてきて、いかにその好意を伝えられるか日々奮闘していたものだ。
「私が『お兄ちゃん大好き、チュッチュ』とかやったら気持ち悪いでしょ?」
「気持ち悪くないし、むしろしてもらいたい」
「しない」
「はい」
とても残念だ。
ドライな美優も好きだが、全身で甘えてくる美優も見てみたい。
「でね」
美優は両脚で俺の腰を挟むと、体を起こして両手を広げた。
「私が『これぐらい好き』とかやったら、好きな気持ちは“これぐらい”になるわけじゃないですか」
「まあ、そうだな」
「でも実際には、私がお兄ちゃんを好きな気持ちは宇宙的加速度で大きくなってて、とても私の小さな体では表現できないわけですよ」
「いきなり壮大になったな……」
スケールが大き過ぎていまいちピンとこない。
美優が宇宙レベルで俺のことが好きなのはわかったが。
「この宇宙規模に匹敵するものとなったら、もう想像力しかない。なので、私はお兄ちゃんにごく一部の『好き』だけを伝えています。そうすればお兄ちゃんは、私がどれだけお兄ちゃんのことが好きかを考えるでしょ? そうやってお兄ちゃん側の理解を私の感覚に近づけているわけです」
「非常に理知的でびっくりした」
最大限に好意を伝える方法を考えた末にたどり着いた答えが“伝えないこと”になるとはな。
なんて賢い妹だ。
たぶん俺が出会った誰よりも俺の妹は賢い。
「で、そろそろバイトの準備が……」
俺はチラと時計を見やって時間を確認する。
まだバスの出発時間には余裕があるが、これ以上イチャイチャしてたら時間が一気に吹き飛びそうだ。
こうしているのが楽しすぎるからこそ、いい感じのタイミングで区切っておきたい。
「それについても、お話がありまして」
美優は俺の上からは退かず、やや神妙な面持ちになって俺を見つめた。
「お兄ちゃん、バイト辞めない?」
「これまた急な話だな」
俺が困惑している横で、美優はベッド脇に置いてあったスマホを手に取り、とあるアプリを開いた。
「前にお兄ちゃんさ、私の裁縫技術は売れるんじゃないかって言ってたでしょ? それで、趣味で作ってた小物とか、使わなくなった服とか売ってみたら、いい感じの値段で買い手がついちゃって」
美優が見せてくれたのは、個人間で物の売買ができるサービスアプリだった。
どうやらそれでそれなりの稼ぎがでているらしい。
「どれくらい入ってるんだ?」
「このままいくと扶養を外れる」
「マジか……」
社会人で一人暮らしをしているならまだしも、生活費のほとんどを親が工面している学生の身で、それだけの額が入るのはかなり大きい。
「ここから真面目な話になるんだけどね」
美優はスマホを置くと、また横向きにベッドに寝て俺にくっついた。
俺もそれに合わせて横になって、美優の前髪を軽く梳く。
この距離のほうが話しやすい。
「はっきりと言っちゃうけど、これから社会人になって、二人で暮らすことになったら、私のほうが収入が多くなる可能性もあるじゃない?」
「大いにありえるな。というか、絶対になると思う」
俺がそう返すと、美優は安心した表情を見せながらも「私は絶対とは思ってないけど」と小声で呟いた。
「お兄ちゃんのバイト代も、夏休みの残りを頑張って10万円くらいでしょ? それなら私のお財布から出したほうが早いというか。そういうのにも、慣れておいたほうがいいんじゃないかなって思って」
将来的に俺の稼ぎよりも美優の稼ぎが多くなれば、美優の貯金から支払いをすることが増える。
昨今では共働きが一般的で、専業主夫も増えてはいるものの、世間体としては嫁の財布ばかりからお金が出ていくのは素直に「良いこと」とは言いにくい。
それに、現実には妻の収入より自分の収入が少ないだけで、ストレスを感じる夫も多いことだろう。
つまるところ、俺のプライドが無駄に凝り固まる前に、効率を優先する生活にも慣れておいてもらいたいということだ。
「もちろん、私は旦那様を立てないような嫁ではないですよ?」
美優はキュッと俺のTシャツを引っ張って、上目を仰ぐ。
そのあたりは、そうだろうと思っていた。
これまでのやりとりからして、美優の思想は比較的古風だし、いわゆる大人たちが好きそうな常識というものは弁えている。
「でも、来年はお兄ちゃんも受験があるわけだし、この貴重な夏休みをバイトに費やしてまでガヤに付き合うことはないじゃない? お母さんたちもそろそろ帰ってくるから、そうなるとイチャイチャできる場所も限られてくるし。ここは私にわがままを言わせてほしいなって」
美優がお願いの体を取っているのは、この提案は俺のためではないと考えているからだ。
なぜならその選択は、世間に対する俺の男としての評価を下げることになる。
そんなことになれば「あいつは女が働いた金で遊ぶダメな男だ」とガヤを飛ばしてくる輩も出てくるだろう。
だから、他の男だったら、そんな情けない男にはなれないと断ったかもしれない。
だが、お生憎様、俺は世間体を無視するだけで美優が幸せになるなら、他はどうでもよいのだ。
バイトを辞めて美優が喜ぶなら迷わずそうする。
「そういうことなら辞めるよ。美優との時間が減るのは俺も惜しいからな」
「やった! お兄ちゃんなら絶対にそう言ってくれると思った!」
美優は「これだからお兄ちゃんは」とか言いながら、俺の脚をベシベシと叩いてくる。
とても嬉しそうだ。
これまで長いこと話を聞いてきたが、つまりは「イチャイチャが足りない」ということなんだよな。
それは俺も全面的に同意するところだ。
「ドタキャンはさすがに迷惑をかけるから、どうかとは思うけど」
「今日のは行って。特別にするのはお金のことだけ。それ以外は、お兄ちゃんが不出来な人だなんて言わせない」
美優は軽快にベッドから降りると、俺のクローゼットからスーツ一式を取り出して椅子の背もたれに掛けた。
どうやら昨日のうちに全部を用意してくれていたらしく、ベルトも靴下もきっちり揃っている。
「このシャツ、新品か……?」
美優が用意した服を見ると、どれも埃が取られていて、ピシッとシワが伸びている。
「汗染みを抜いて、アイロンもかけておいたよ。朝ごはんを作っておくから、ゆっくり準備してきて」
美優は一度自分の部屋に戻り、パジャマを着替えてから一階に降りていった。
さすが、服のことになると完璧な仕事をする。
俺が外に出ている間にここまでのことをしていたのか。
我が妹ながら感心のあまり言葉も出ない。
俺は軽く歯を磨いて顔を洗い、美優が出してくれた服に着替えて髪を整える。
朝のイチャイチャでだいぶ時間を使ったと思っていたが、この一瞬だけでいつもより早く支度ができてしまったぐらいだ。
そして、一階に降りると、なんということかもう美味しそうな香りが漂っているではないか。
テーブルに敷かれたランチョンマットの上には、夏野菜を使った豚肉の炒め物とご飯がすでにサーブされている。
夏場は米を冷凍庫に保存するのでレンチンすればすぐに出せるし、炒めものならそれほど時間はかからない。
焼き加減からしても十分な調理が施されていて、美優のことだから味にも妥協はないはず。
俺に無駄な時間を取らせないための速さを重視したスタイル。
それでいて味も栄養も損なわれていない。
これでも十分なくらいだが、美優はスープも作ってくれているようだった。
出汁を取ったものを凍らせておけばこちらも調理は早いからな。
匂いからするに酸辛系のスープで、普段よりも俺の体力に気を掛けている。
朝はしっかり食べる家庭で育った俺たちにはこれが適量だ。
夏場に力仕事をするということもあって、普段よりも味の濃いものが選ばれている。
「すぐにできるから、座って待っててね」
美優はスープカップに鍋の中身を移して、それをテーブルに運ぶ。
バスの出発時間に間に合わないぐらいになれば「先に食べてて」と言われるのだろうが、美優がそれを言うことはまずない。
俺と、美優と、二人が着席して、いつも一緒に「いただきます」から食事を始めるのだ。
美優は慌ただしくなるほど余裕のない時間の使い方はしない。
俺が急にバイトに行くと言い出すようなことがあれば別だが、今日のように予定を計画した上で朝食を作る場合、時間を切り詰めて行動するのは美優の主義に反する。
そして、何より勘違いしてはならないのは、これらの準備はすべて美優がしたいからしていることであって、俺を少しでも早くバイトに行かせることと、一緒にご飯を食べることを天秤にかければ、美優は必ず後者を優先する。
俺も美優にはそうあってほしいし、自分を大切にすることが相手のためになるということは、これからも忘れずにいたい。
「献立表からだいぶ進化してるな」
「あれはほら。妹の私が考えたものだから。いざこういう立場になってみると、思うところがあるわけですよ」
美優は熱々のスープに息を吹きかけて、少しずつ口に流し込んでいく。
時短を考えると俺のスープにもそのふーふーもやってもらいたいのだが、言ったら白い目で見られそうなのでやめておいた。
「もうちょっと、美優と居られる時間を増やせるといいんだけどな。明日も由佳と出掛ける約束になってるし」
今日はバイトに行って、明日は由佳と一日デート、その後も山本さんたちとの予定が入らないとも限らない。
二人でやると決めたこととはいえ、夏休みに失われていく時間は惜しい。
「由佳には優しくしてあげてね。奏さんにも。たぶん、そう長くはかからないよ」
夏休みが明けても、俺と美優が変わらずその二人と接していられるように。
美優と一切の雑念なくイチャラブできるように。
由佳の悩みと、山本さんの恋心の、その両方をキレイに解決する必要がある。
「美優は実際のところ、俺が由佳とか山本さんとそれなりのことをしてることについては、どう思ってるんだ?」
美優は俺が他の人とセックスすることは絶対に嫌だと言った。
それが嘘だったとは思わないが、言葉にしたほど嫌がっている様子もない。
「お兄ちゃんが思った以上のスケコマシだったのでそんなに嫌な気分ではないです」
「驚きと矛盾を同時に感じる……」
普通は彼氏がそんなヤリ手だったら心配になるものだが。
「なんだろ。健全な嫉妬みたいな?」
「嫉妬はするのか」
「女の子だからね」
この妹はまた難しいことを言う。
「そういうところも俺は好きだよ」
お互いにご飯を食べ進めながら、一口一口飲み込んで会話をする。
スープも飲みやすい温度になってきた。
「もう解決が見えてるからね。あとはきっかけを待つだけだから気が楽なの」
「俺には見えてないんだけど」
「それに加えて、許せる前提条件はもう四つほどあります」
「偶然許されているだけなのはよくわかった」
もうそんな段階まで来ていたんだな。
俺には山本さんとの関係も由佳との関係も、美優という恋人がいる観点からすれば悪化しているようにしか思えないのだが、着実に前進をしていたらしい。
「逆に言えば、もう引き返すわけにはいかない。特に奏さんは、堕ちるとこまで堕としてもらわないと困る」
「また物騒な話だな」
俺は美優を信じているから、その指示の行く末には大団円が待っているのだと信じている。
しかし、そこに美優と山本さんと三人で暮らしていくような未来はなくて、どうあっても最後は切り捨てることになるのだ。
「最終目標が仲直りすることだから、俺もやれることはやるつもりだけど。美優も言った通り、俺も山本さんのことは好きではあるから。あんまりあの優しさにつけ入るようなことは避けたいというか」
美優が意味もなく上げて落とすことなんてするはずないが、いつかは山本さんの好意を否定しなければならないと思うと、会うたびに申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「お兄ちゃんはさ、今の奏さんをどう思う?」
質問の答えを出すより先に、美優が問いを投げつけてきた。
美優の話の運び方がこうなるときは、俺の中の前提が何か間違っているのだと感覚的に知っている。
「今もなにも、山本さんは変わらず優しくて美人な優等生だよ」
「もっとお兄ちゃん的に」
「俺的に? そう言われると、超人的に優秀で、誰にでも全力で尽くす聖女みたいな人、って感じだけど……」
「まあそんな感じだろうね」
美優はそんな感想を述べて、しばらくは黙々とご飯を食べ進める。
さすがに山本さんの印象は間違ってないと思うのだが。
まさか山本さんにも、由佳みたいな認識のすり替わりがあるってことか?
山本さんが優秀なのは事実として間違いないし、もし俺の印象で間違ってるところがあるとするなら、優しいって部分になるけど。
あの山本さんが優しくなかったら、この世から優しい人なんて消えてなくなる。
「山本さんは優しい人だろ」
「そこは否定しないよ。私もそう思う」
やはりそうくるか。
そもそも、山本さんは優し過ぎるせいで苦労してきたわけだし、ここが否定される要素なわけがない。
俺も美優みたいな考え方ができるようになれば、すんなりと答えにたどり着けるのだろうか。
「お兄ちゃんも、遥とはもうだいぶ話したんだよね?」
「そうだな。そこそこ濃い話はしたよ」
遥とは男女としての接触があったわけじゃないけど、かなりエグいことをしてる姿も見てきたし、噂にも色々と聞いている。
「遥はね、すごく可愛い子なんだよ。アクセサリーとかあげると、飛び跳ねるくらいに喜んでくれてね。私があげたものなのに、これでもかってくらい見せびらかしてきて、ずっと上機嫌にしてるし」
美優が語り始めたのは、俺の知らない遥の姿。
きっと知る人は少ないであろうもう1つの顔だった。
「旅行の準備とかは、全部遥がしてくれるの。あれで私以外の人の好みとかも把握してるから、どこに行くにしても用意が良いんだ」
「三人以上でも旅行はするのか?」
「するよ。キャンプとか温泉くらいならね。それでね。遥は何でもかんでも新しい雑貨を使うのが好きだから、移動中とかいちいち便利グッズを紹介してくるの、変な癖なんだけど私は好きで」
少し照れ気味にそう語る美優にとって、遥という存在はとても大切なものなのだとわかる。
由佳と一緒に、何年も付き合ってきた友達だからな。
俺としても三人にはずっと仲良しでいてもらいたい。
「何より、本当に頭が良いんだ。遥が持ってるコネは、あの容姿で撮影会をしてた縁で繋がったものだけど。海外の製造場にまで電話一本で依頼をかけられるのは、相当な根回しが無いと不可能なことなの。そういうところは、心から尊敬してる」
ポンポンと飛び出してくる未知の情報。
あの遥ならあるいはと思える部分もあるが、やはり俺の知る姿とはほど遠い。
「それって遥って名前の俺の知らない誰かの話じゃないよな?」
「うちにも遊びに来たあの遥のことだよ」
美優はそこまで話して、残ったご飯を食べ進める。
俺の知らない遥の姿か。
しかし、不思議には思わない。
美優が認めているほどの人物が、ただ可愛いだけの女の子ではないだろうし。
なにより、あの遥だ。
「さて」
二人とも朝食を食べ終わって、一息をつく。
とても元気になる美味しさだった。
「お兄ちゃんは私が語った遥の一面を知らないはずです。それはなぜでしょう」
「遥が潔癖症のレズだから」
「正解」
遥は男を寄せ付けないタイプのレズだ。
俺が男である以上、遥は女の子としての素を見せることはない。
デパートで山本さんと会った時にその片鱗を見せたものの、遥の本当の可愛さを知るためには女になるしかないだろう。
それも、遥が気に入るほどのとびきりの美人に。
「男子と女子とでは、遥は接し方がまるで違う。でも、それは嘘をついてるわけじゃなくて。どれも遥の意思で生きてる本当の遥の姿なの」
美優は食べ終わった食器をまとめて、俺の分と一緒にシンクへと運ぶ。
そして、食器を置いてすぐに戻ってくると、俺の手を取り、ソファーにまで誘導して腰を掛けさせた。
そこに、美優が正面から膝を跨ぐように座ってくる。
「私だってそうだよ。普段はそんなに表情も変えないし、男女で扱いの差もある」
美優は深いところまで腰と腰を近づけると、俺の首に両手を回してきた。
「こんな風に私から積極的にスキンシップを取る姿なんて、誰も想像できない。でも、隠したり騙してるわけじゃない。自然体でいるとそうなるだけ。クラスの子に見せる私も、お兄ちゃんにだけ見せる私も、全部が本当の私」
美優の話自体は、理解できる。
俺たちが社会的動物である以上、自分たちが生きる場所の枠組みやヒエラルキーに迎合するために、誰だって自分の見え方をその場に適応させている。
そこには個人の好みによる身の振り分けもあって、好きな人にはカッコいい姿や甘えた自分を見せたくなるし、あるいはお年寄りや上司には、自然と畏まって敬語を使うようになるものだ。
必要に応じて見せる自分を変えるのが普通。
それが人と人の間に生きる俺たちの自然な在り方。
「お兄ちゃんといるときの私も、最初からこんなに甘えられてたわけじゃない。お兄ちゃんを好きになって、お兄ちゃんに好きになってもらって、それがお互いに伝わって、今では全く違う関係になってる。じゃあ、奏さんとお兄ちゃんは?」
ようやく核心に迫る問いがなされた。
これまでの話を聞いて、ぼんやりとこのややこしい問答の全容が見えてきたところだが、まだその意図はわからない。
おそらくは、由佳みたいに矛盾をゴリ押しされて認知が歪んでるわけじゃなく、関係が変わった影響で俺が山本さんのとある一面を忘れてしまっただけなんだろうけど。
さっきも言った通り、山本さんは誰にでも優しい優等生のイメージからずっと変わってないからな。
そこは体の関係になっても同じままだと思うんだが。
「難しい話だな」
「だね。私だって奏さんと二人で話し合ったからわかるだけ。でも、今のお兄ちゃんなら理解できると思う。だから、今回は結論的な話だけするね」
美優は俺の両手を取り、それを自らの手で包んで真っ直ぐに見据えてきた。
「奏さん、まだ私に遠慮してるよね。好きにさせていいよ。お兄ちゃんも存分にそれに応えていい。それで初めて、奏さんの傲慢を正せる。これまでの指示は、そういう意味」
美優が語ったそれは、俺にとっては衝撃的で、しかし、なぜかスッと腹に落ちるものだった。
これまでの三ヶ月間、山本さんと誰よりも濃厚に接してきた俺は、美優の語るその背景の全てを知っている。
思考が追いついていないだけで脳の奥底はすでに理解しているんだ。
あとは俺が、その散りばめられたピースを、一目でわかるように繋ぎ合わせればいいだけ。
まず俺がすべきことは、きっと美優が傲慢と表現をした、山本さんの優しさを理解することだ。
「とりあえず、わかったとだけ言っておくよ。あとは俺でなんとかやれそうな気がする」
「頼りにしてるよ。あっ、ただ、本番のエッチするときは奏さんの家でしてね。それと事前に私に連絡して」
「な、なぜ……?」
「前者についてはそういう取り決めだから。自然とそういう流れになると思う」
「あー……なんかそれらしい雰囲気ではあったかも」
山本さんも本番はなぜか避けてたな。
本番を致すことに何の意味があるのか。
あるいは行為そのものに意味はないのか。
なんとなく、これは考えて答えが出るものではない気がする。
「お兄ちゃんも、だいぶ私に染まったね」
「こんだけ振り回されたら嫌でもなるよ」
「んふふ。嫌だったかな?」
「美優と同じことが考えられるようになるのは嬉しいよ」
これまで、何を考えてるのかわからない妹というのが、美優の一番の印象だったからな。
それを理解してあげたくて、俺は美優に振り回されながらも考え続けてきた。
こうして分かり合えるのは、俺にとってなによりも嬉しい。
「こんな妹をこれからもよろしくね」
「こんな兄もな。……主に性欲のあたりとか」
「そこはほんと苦労してます」
「感謝しています」
俺の性欲が、俺の生来のものなのか、美優のせいなのか、そこはまだわからない。
こうして美優を正面で見ていても、やはりエロいという思いをどこかに抱いてしまう。
美優が着ているのは、いつだか一斉処分をしたときにこっそり拝借していた俺の古着だ。
それに無地のスカートを穿いて合わせているだけの、オシャレの意識がまるでない格好をしている。
美優の部屋着はウエストを絞って美しく見せることを意識していないため、おっぱいはブラのカップの分だけ張り出ているし、お腹のところはそれに合わせて服が浮いている。
だが、それが、良い。
これがまた巨乳らしい絵面で、クるのだ。
「恋人の体を見てエロいと思ってしまうことは失礼なのだろうか」
「私はお兄ちゃんがいつもエッチなこと考えてるのをわかった上で好きになってるから、思う存分エッチな目で見てもらって構わないけど」
美優はシャツの上からおっぱいを持ち上げて寄せてみせた。
元が俺の服だけあって美優の体に比べてサイズが大きめで、谷間が開けているから景色がとてもよい。
俺がおっぱいが好きなことをよくわかっている。
「Tシャツの中って、もしかしてブラジャーだけ?」
「もしかしなくてもブラジャーだけだよ。お兄ちゃんの服をブカブカに着てるのも谷間が涼しいからだし」
美優はTシャツの襟を持ってスンスンと匂いを嗅ぐ。
洗剤の匂いしかしないので、何か俺の物だからというの意図は、あまりないらしい。
俺が使い古したものは捨ててしまったからな。
美優が着ているのはほとんど未使用に近い。
「Tシャツを捲ったら怒る?」
「怒らないけど、時間は足りるの?」
美優はTシャツの裾だけペロリと捲って、やわっこいお腹をチラ見せする。
時間が足りるか、などと妙な聞き方をしたのは、つまりおっぱいを見たら俺が興奮してそれだけで済まなくなる可能性があるからだ。
「予定のバスが出るまでにはまだ時間があるよ。ただ、荷物の整理をしてないから、それを考えると微妙かも」
せっかくの良い雰囲気だが、お預けかな。
と、そんな残念な気分に浸っていると、美優はTシャツの裾をパタパタさせて、何かを気づいてほしそうに無言の主張をした。
そうだった。
いま目の前にいるのは、他でもない美優なのだ。
「……もしかしなくても、用意してくれてたりする?」
「もしかしなくても用意してあります」
驚くべくもなかったのだが、その予想通りすぎる肯定に思わず感動してしまった。
そういえば、俺が初めて美優に悩みを打ち明けて見た目を改善してもらったときも、美優は学校の準備を全部済ませてくれてたんだよな。
しかも、靴まで磨く完璧っぷりで。
「それなら、まだ十五分以上は時間があるな」
「ふむふむ。なら見る?」
美優は掴んでいた裾を俺の手に渡し、スッと背筋を伸ばす。
この眼前に据えられた大きな膨らみの、その中身を拝むことができる。
美優の下着姿を見たことがないわけではないが、美優とのエッチはほとんど着衣状態だったし、ブラジャーをつけている胸を見ることはほとんどなかった。
垂れ幕を上げるように、徐々に露わになっていく美優の色白な肌に、俺の気分は高揚していく。
細身ながらもくびれを確認できるそのお腹は、触るまでもなくすべすべしていることがわかった。
あの小さなおへその穴に、俺は昨日イかされたのだと思うと、見ているだけでゾクゾクする。
そして、鳩尾のあたりから現れる、美優の下乳。
左右はブラのカップで覆われて、中央には下向きの谷間が露わになっている。
「こう言っちゃ、なんだけど。美優の体ってほんとエロいよな」
俺の趣味がどうとか関係なく、美優はエロいと思う。
いつだか胸を小さくするために痩せ型になっていると言っていたが、それでも節々の肉感は損なわれていない。
摘めばふわりとお肉が摘めそうで、その肌の色ツヤからするに、マシュマロボディとはこういうものを形容するべきではないかと思ってしまう。
きっと女の子でもこんな体を見せつけられたらドキリとするだろうな。
「体づくりには、苦労してるんだよ」
美優は裸を見られることをやりづらそうにして、俺とは目を合わせない。
美優はこれまで、自分の姿をオカズにオナニーをしていたのだから、そういう観点で美優を見つめていたのは他でもない自分自身なんだよな。
自分の体をきちんと認識して、なりたい姿を思い浮かべながらトレーニングをすると効果が段違いだと言うし、美優のこのエロスもそうした努力の賜物なんだ。
そして、ついには美優のブラ着けおっぱいを露わにするべく、俺は美優の首元にまで裾をめくり上げる。
さすがに恥ずかしさを隠しきれない美優の顔がまたそそるもので、そんな美優の表情を目の端に、俺はピンク色のブラジャーの全貌をついにその目に収めた。
デカい。
ほんとビックリするくらい、カップがドンと張り出している。
ブラジャーにはレースに刺繍があしらわれていたり、中央の連結部がハートの形をしていたりと、よく見れば凝ったデザインをしているものの、そんなディテールなんて説明していられないくらいとにかくサイズ感のインパクトが凄まじい。
そこにあるだけで圧迫感を感じるほどだ。
美優の生のおっぱいは何度か見てきたが、ブラをしないとどうしたって重力で下向きになるため、これほどふっくらムチムチした印象はなかった。
整えられたおっぱいにこれだけの破壊力があるとは。
いや、正確には山本さんはもっとデカかったし、ブラ自体も見慣れているはずなのだが、なかなかどうしてこの体勢で見るおっぱいは絶景なのであった。
というかTシャツを捲り上げられて恥ずかしそうにする美優がエロすぎる。
「触る?」
美優は俺の両手にそれぞれの手を重ねて、裾を上げるのを代ろうとする。
「……いや、いい」
俺はTシャツから手を放して、美優の背中に回した。
意外そうにする美優をよそに、俺はグイと美優を抱き寄せる。
「美優には朝の準備を頑張ってもらったから。残りの時間は美優のために使いたい」
美優がくれるものは何もかもが素晴らしい。
それに比べて俺があげられるものは限られてるけど、もういい加減に俺から美優へ尽くすことも覚えるべきだろう。
美優が喜んでくれることなら、俺はいくらだってしてあげたい。
「……ん?」
俺の言葉に、美優はなぜか語彙を失っていた。
目をパチクリさせて、急に静かになる。
「ご飯とか、服の用意とか、ありがとうって言いたかったんだけど」
俺が言葉を続けても、美優は理解ができているのか俺を見つめるだけ。
どうにも美優の思考回路がショートしているようだった。
まさか、欲望のままにエロいことをお願いした方が良かったのだろうか。
それはそれで美優が喜んでくれるのはわかっているが、これほど尽くされている身で俺の欲望を優先するのは、さすがに違うと思ったのだが。
「美優?」
「ん?」
美優は困惑した様子で瞬きをするだけ。
なんだろう、このぎこちなさは。
これまでも淡白な美優は見てきたけど、こんなボケッとした表情は初めてだ。
もう抱き寄せようとしてたのはバレバレだし、こんな中途半端な体勢でいるのも気まずい。
とりあえず流れのままに抱きしめてはみたものの、美優が何かを言うことはなく。
どうやら長く息を止めていたようで、抱き合ってしばらくすると、美優は俺の首の後ろでふぅーっと息を吐いた。
ひとまず感謝の気持ちは伝えられたので、俺は美優を解放して背もたれに体重を戻す。
すると、美優は両手でパタパタと顔を扇いで、また大きく深呼吸をした。
「はあ。びっくりした」
美優はなぜだか顔を熱くしていて、妙に焦った様子。
そこに不快感はまるでなく、むしろクールな表情の奥で薄っすらとテンションが上がっているようにすら感じる。
まさかとは思うのだが。
いまの、照れてたのか?
あまりにも分かりづらすぎないか?
「なんか、すまん」
「いえいえ」
思えば、ドライな状態の美優が本気で照れたところって、一度も見たことがなかったな。
こんな顔をするのか。
しかも、あんな程度の言葉で照れるなんて。
もっと他にタイミングがあったはずなんだが、どうしてさっきの言葉が美優の琴線に触れたんだろう。
いやしかし、俺も普段から好きな気持ちとか、感謝を伝えられているほうではないからな。
それどころか性欲ばかりが目立っていて、それを美優が受け入れて喜んでくれるものだから、俺たちの関係はずっとそうやって続いてきた。
ある意味では、不良がたまに見せる優しさというか、そういうマッチポンプっぽい評価に、さきほどの言葉がハマったのだろう。
「では改めてぎゅーをお願いします」
美優は両手を伸ばしてハグを催促する。
「ああ、やっぱり喜んでもらえてたのか」
「うん」
短く頷いて、腕を更にグッと前に出してくる美優。
早くしてほしいみたいなのでまずはその希望に応えることにした。
さっき抱きしめたときより体温が高い。
「お兄ちゃんに褒められた」
美優は気分が良さそうに何度も俺をぎゅうぎゅうしてくる。
そんなに強くするとせっかく美優がアイロン掛けしたシャツがシワになってしまうのだが。
普段は気にせずバイトに行ってるから俺は別にいいんだけど。
「あれくらいなら美優はいつも言われてるんじゃないか?」
「一言一句同じ言葉で褒められてもお兄ちゃんに言われたほうが嬉しい」
「そういうものか」
「そういうものです」
つい数ヶ月前まで非モテだった俺の感覚からするに、あんな程度で女の子が喜ぶというのは不思議だった。
しかし、俺は大切なことをまだわかっていなかった。
色恋においては、何を言われるかが重要なんじゃない。
誰に言われるかが重要なんだ。
かつての恋愛感覚では、意中の子を振り向かせるために、趣味を理解して、会話の頻度を増やして、プレゼントに頭を悩ませて、その他大勢とは違う存在になることが最善だと俺は思っていた。
しかし、多くの女の子に好意を向けられるような身になって、俺は悟った。
数多の恋愛テクニックで攻め切るより、その人にとって精神的に身近な立ち位置を確保するほうが、ずっと気持ちは伝わりやすくなるのだ。
「これからも美優が信頼できる男でいるよ」
「むー。なんだか頭の中を覗かれてるみたいで変な気分」
俺はいつもそうなんだけどな。
美優からすれば、思考の先手を取られるのは不慣れなのだろう。
美優は自分を預けられる相手として、俺をその唯一の存在に認めてくれた。
俺が美優を喜ばせるために必要な情報は、その事実だけだ。
「最近、美優がよく寝てるから。それでわかっただけだよ」
「私ってそんなに寝てる?」
「今日だって全然起きなかったし」
「えー。今日は私、すぐに起きたよ」
美優は脚も腕もべったりと俺の体にくっつけて、揺りかごのように乗っかってくる。
たぶん服のこととかはもう考えていない。
「ん、ああ、そうだった」
俺がアラームを掛け直してお触りしてただけだから、美優は普通に起きたんだった。
「むっ」
そして、こんな流れになれば美優は気づく。
俺の頬を人差し指で突いて、犯人はお前だと言わんばかりにグリグリと責めてきた。
あえて隠していたことではないのだが、このタイミングでバレると罪悪感がある。
「変なことしたでしょ」
「す、すまん……」
「まあ別にいいけど」
美優は何ともなさそうにそう答えた。
変なことをしたと白状したのに、どんなことをされたか気にならないのだろうか。
「いいのか?」
「お兄ちゃんは私が本気で嫌がることはしないもん」
美優は俺から離れるどころかまた上半身を被せてきて、俺の体重が美優と一緒にソファーに沈んでいく。
美優が俺に向ける不満には、怒りの感情が含まれることはなくて。
どちらかといえば、羞恥心によってぶつくさとボヤかれることが多い。
俺としても嫌がらせをしたことは一度もない認識だ。
ただ、最後のアレは、色んな意味で許されるものか心配ではある。
「実は、美優を起こす前に、キスとかしてたんだけど」
「えっ」
恐る恐る口にすると、美優はピンと背筋を伸ばして反応した。
抱き合いモードは解除されて、美優が俺の目を見つめてくる。
「それはなに? お目覚めのキスとか?」
「そのつもりでは、あった」
「ふーん」
さっきはまるで気にしない風だったのに、実態を知るやいなや美優は問い詰めるように俺に迫ってきた。
しかし、美優の視線はまだ見つめている範疇であって、睨まれているわけではない。
とはいえ、その表情はとても不満げだった。
「ど、どうした?」
この沈黙が、怒りによるものでないことを、俺はもう知っている。
だが、何を考えているのかまでは、わからない。
「ほんとにわからない?」
美優は俺を見つめたまま両手を繋いでぶらぶらさせる。
どうやら悪い気分ではないことのアピールのようだが、なるほどもしかすると、こういう仕草こそが美優から発せられる最大のメッセージなのかもしれない。
手順に考えればいいんだ。
美優は俺がキスしたことを驚いた。
しかし、それは怒っているわけではない。
であれば美優の言葉の中からその態度の意図を探るべきで、美優がわざわざお目覚めのキスかと確認をしたのだから、そこに意味があると考えるべきだ。
なら、つまりはこういうことだろう。
お目覚めのちゅーはしてくれたのに、おはようのちゅーはしてくれないんですか、とか。
そんな可愛らしい不満に違いないのだ。
って。
そんなわけあるか。
「わ、わかりません」
俺は素直に観念する。
美優みたいなエスパーは持ち合わせていないのだ。
人の考えていることなどわかるはずがない。
そして、美優は俺の返答を聞いて、なおも不満げにその本心を口にした。
「お目覚めのちゅーはしたのに、おはようのちゅーはないんだ」
まさかの大正解だった。
そうかそんな乙女チックな思考回路でいいんだな。
俺はもう理解したぞ。
「いまからでも、間に合う?」
「んー、どうだろ」
美優は俺の質問に、たっぷりともったいぶりを付けてから、いじらしく目をそらして答えた。
「まだ間に合うかも」
こんなやりとりをしただけで美優の気分はすっかり良くなっていた。
自分のしたことを喜ばれるってこんなに嬉しいものなんだな。
さっきの美優もこんな気持ちだったのだろうか。
「じゃあ、す、するぞ」
「んふふ。うん」
美優はこめかみあたりに伸びた左右の髪を整えて頷く。
俺から初めて美優にしたキスは後ろからの不意打ちだったし、二回目は美優が寝ているときだった。
こうして正面からするのは、口づけする過程までをずっと観られることになるから、指一本動かすだけでも緊張してしまう。
まずは、美優の腕を掴んで、姿勢を整えるところからだ。
そうして少しずつ顔を近づけていって、これからキスをすることをアピールする。
互いの座高がズレないように、自然と唇が重なるぐらいにお腹に隙間を開けて、あとは上体を倒すだけ。
腕を引き寄せると、美優の視線が俺の唇に移った。
それから、呼吸のリズムを合わせてタイミングを計り、顔を近づけていくと美優の口が開く。
そこに俺は自身の唇を触れさせて、あとは、目を閉じてその感触だけを確かめた。
肉体で最も温度に敏感な部位で、自分とは違う体温を交わらせて、やがてその差は感じなくなっていく。
不慣れなキスに、すぐ息苦しさを感じてしまい、たまらず口を離すと「チュッ」と水音が鳴った。
「お、おはよう」
「えへへへ。おはよう、お兄ちゃん」
何秒と数えられるような長さではなかったと思う。
それでも、キスを終えた後の美優は、ゆるっゆるのデレ顔になっていた。
恋人の立場として言わせてもらうのだが。
美優って、好きな相手にはかなりチョロいな。
「思ったより、上手」
「ありがとう。そう言ってもらえると安心するよ」
「お兄ちゃんは、えっちのときもそうだけど、要領は良いほうだよ」
二回目にして高評価がもらうことができた。
あの美優が言うのだから、自信を持ってもいいのだろう。
「これから毎朝楽しみだなぁ」
美優はルンルン気分で俺の手を握ってくる。
まあ、そうなるだろうとは思っていた。
美優のご要望なので期待を裏切るわけにはいかない。
「で、あとは?」
どうやら満足にはまだ至らないご様子。
「そうだな。行ってきますのちゅー、だともう行くことになっちゃうから……、お仕事頑張りますの、ちゅーとか?」
「あ、いいねいいね。なんでもいいけど」
せっかく真面目に考えたのになんでもいいとは。
それでも俺はめげない。
「じゃあ、今日はお仕事頑張ってくるからな」
「はい。体には気をつけてね」
美優はテンションが上がっているのか、もうすでに自分から口を近づけてきていて、唇を少し前に出せばキスができてしまう。
ちゅーの都合は何でもいいと言っただけあって、とにかく俺とキスをしていたいのだろう。
そんな気持ちを汲み取って、俺もためらいなく美優と唇を重ねた。
「んっ……」
さっきよりは、慣れたキス。
それでも、息の継ぎ方がわからなくて、同じくらいの早さで唇を離す。
美優は俺の目を見るでもなく惚けていた。
「はぁ……お兄ちゃんとキスしてる……」
美優の表情が蕩けて仕上がってきていた。
エロいことをしているわけでもないのに、デレ状態に移行するのが早すぎる。
「お次は何のちゅーなのでしょうか」
美優は舌を重そうにして続きをねだる。
もちろん、美優にお願いをしてもらえるのは、俺にとって最大の誉れだ。
ただ、実のところ、性欲的な事情がよろしくない。
「今朝は準備を頑張ってくれたから、ありがとうのちゅーかな」
「ふふふ。へぇ、感謝してるんだぁ」
美優はニヤケ顔で俺を煽ってから、身を寄せてきて俺の顔を見上げる。
「どれくらい感謝してもらえてるのかな」
そして、美優はここにきてド級の爆弾をぶち込んできた。
あれだけ尽くされたとあっては、感謝のキスを軽くで済ませられるはずもなく。
俺は覚悟を決めて、美優の顎に手を添え、唇の裏が触れ合うくらいに深くキスをした。
チュッ、チュッ、と互いの唾液を混ぜ合って、溢れそうになる甘い粘液を舌で舐め取っていく。
「んんっ……はぁ……んちゅ……」
美優は声を漏らし、なおも餌を待つ雛のように俺の唇を求めてくる。
キスが激しくなると口を合わせながらの呼吸も気にならなくなって、秒針の音が半周分を数えるまで、俺たちは口づけを貪っていた。
「あっ……ふぁ……いっぱいちゅーされた……」
キスをしただけで、美優は何度もイかされた後のように恍惚な表情をしていて、その淫らに緩む美優の笑みを見ていると、もう興奮を抑えておくのも限界だった。
「美優、そろそろ、時間が」
「ふへへ。はーい」
美優は俺に預けていた上体を戻して、正面から座ってきた最初の姿勢に戻ると、俺の頬を両手で包んでドロッドロに濡れた舌を口にねじ込んできた。
「んんっ……!?」
それから数秒、俺の口内は美優の舌に蹂躙されて、口の中にあったものを全てしゃぶり取られると、ようやく美優は俺を放して膝から降りた。
「いっぱいちゅーしてくれて、ありがとうのちゅーです」
美優は唇を指で押さえてニコッと微笑む。
もうちゅーなんて可愛らしいものじゃなくて、がっつりディープキスだったのだが、その点に区別は付けないのだろうか。
それにしても、まずい。
もう完全にダメだ。
雄としてのスイッチが入ってしまった。
「玄関で鞄を用意しとくね」
先にリビングを出ていった美優を追いかけながら、俺は迷っていた。
予定のバスに乗るためにはもう五分しか余裕がない。
そんな状況で美優に抜いてくれと頼んだら、ただ雰囲気もなくフェラをしてもらうだけになる。
これまでも似たようなシチュエーションは何度もあったが、あの頃はむしろ美優が恋人らしい振る舞いを避け、単なる精液の処理として考えてほしいと言っていたから事務的に抜いてもらっていたんだ。
美優とはもう恋人同士になったのに、俺からフェラで抜くだけのことをお願いするなんて、まるで性処理用の道具として扱うみたいで心苦しい。
「これが、お兄ちゃんのお仕事鞄です。ドリンクはただの冷たいお水だから、塩分はタブレットで摂ってね。あとは汗拭きタオルと、会員証も入れてあります」
玄関に行くと、美優が鞄を持って忠犬のように待っていてくれた。
「ありがとう。助かるよ」
俺は睾丸の疼きを告白できず、流れのままに革靴を履く。
足の半分を通すと、美優が靴べらを渡してきて、それを使って踵を入れた。
「ジャケットは専用のケースに入れてあるから、会場に入ったら出してね」
美優は両手で丁寧に鞄の取っ手を持って、俺に近づいてくる。
稀に見るくらいに良い笑顔だ。
「どうかな? 良いお嫁さんになれそうかな?」
美優は弾むような声でそう尋ねてくる。
犬耳と尻尾を幻視してしまいそうだ。
可愛い。
バイトに行きたくなくなるぐらい可愛い。
「もうなってるよ」
「えへへ。嫁になってた」
頭を撫でてほしいのか、コツンとおでこを胸に当ててくる美優。
そのご要望に応えながら、俺は必死に内なる自分と戦っていた。
こんな愛らしい嫁を相手に、欲情している俺はなんて節操なしなのだろう。
しかし、同時にそんな美優に対して、激情を荒ぶらせている自分がいる。
「み、美優。あの」
スラックスの中でムクムクと頭をもたげる堪え性のない愚息。
ここまできたら、もう言っても言わなくてもバレてしまう。
「出る前に、抜いてって言ったら、怒る?」
言ってしまった。
しかし、美優は少しも驚く様子がなく、表情を変えないまま俺と目を合わせる。
「んふふ。いつ言うのかと思ってた」
胸をツンツンして、してやったりの美優。
鞄を床に置くと、玄関マットに膝をついた。
こんなにわかりやすい状態を美優が気付かないわけもなかったけど、わかってて素知らぬ顔をしていたなんて人が悪い。
「時間はどれくらいあるの?」
「あと、五分……もないぐらい」
「だったら、四分まで計っておこうか」
美優は俺にスマホを出させると、デフォルトで入っている時間計測アプリを起動して、ストップウォッチの画面を出した。
「タイマーじゃなくて?」
「こっちのほうがいいかなって」
美優は俺の股間に手を伸ばし、チャックからペニスを引き出した。
そして、チュッと俺の愚息にも挨拶を済ませて、咥え込むと同時にスタートボタンを押す。
「はむっ……ちゅぶっ……ずじゅっ、ぢゅるる……!」
「あっ、ああっ……美優……気持ちいい……!」
美優のフェラに翻弄される俺に、美優は目を弓なりにしてスマホの画面を見せつけてくる。
つまりは、そういうことだった。
この四分間で、俺がどこまで美優のフェラに射精せず耐えられるのか。
それが一目でわかりやすいように美優はタイマーではなくストップウォッチを使った。
「んちゅ……ずちゅ…………あむっんふじゅぷっじゅぷっ……んっ……ちゅっずぶっ…………ちゅぱっ」
「ああ、あ、アッ、アッ、ああぁ……ッ!」
美優の容赦ないフェラチオに、俺の脚がガクガクと震える。
早く出せるように気持ちよくしてもらうべきなのに、俺は美優の肩を押さえて必死に快楽責めに抵抗していた。
「ちゅぶっ……じゅるっ…………ぶっちゅっ。んふっ。お兄ちゃん、腰引きすぎ」
「だ、だって、気持ちよすぎて」
「そうやってズルするなら、舌も全部使っちゃうからね」
「えっ、今までの……って……あ、ああっっ!!」
「ぐぢゅっ……じゅるじゅぷっ……! あむっぢゅぶ……じゅるっ……じゅぶぢゅるるぶちゅ……!」
美優は俺の腰を掴んで、下品な吸入音を立てながら俺の肉棒を深くまで咥え込む。
裏筋を這ってくる美優の舌の感触がはっきりと伝わってきて、触手のようにまとわりついて責め立ててくるその技巧に、俺の睾丸が急速にせり上がってきた。
「ああぁうぅ……はぁ、ああっ……!」
「ずっちゅずぶっちゅ……んぐぢゅ……んふっ、ちゅぶぢゅ……ふ、んっ……!」
「ああっ、あ、あああっ……ごめん、ごめん……!! もう、出るッ……!!」
びゅっ、びゅるるっ、びゅくん、びゅびゅっ──!!
仕事着のスーツから露出した男性器を頬張る美優に、俺はたっぷりの精液を出して喉奥まで注いだ。
朝一番に絞られた精液だけあって、濃い精液が尿道を流れていく。
「はぁ……はぁ……気持ち、よすぎ……」
「んふふ。んくっ……ぷはぁ。いっぱいでたね」
美優は俺のペニスをキレイにお掃除してから、スーツにしまってチャックを上げる。
そして、やはり確認される俺の射精タイム。
「ど、どうだった?」
「今で一分ちょっとだから、たぶん四十秒くらいだと思う」
「そうか……」
あれだけ時間がなくて心配していたのに、済んでしまえばむしろ余っているほど。
情けない。
俺は男としてこれでいいのだろうか。
「おーにいちゃん」
気落ちしている俺に、美優は最後の甘えとばかりに引っ付いてきた。
「お兄ちゃんが早漏のおかげで、あと三分もイチャイチャできるよ」
「な、なるほど。それは、よかった」
こうやってポジティブに捉えてくれる美優は、やっぱり優しい子なんだよな。
俺はまた美優に救われてしまった。
「あと、三分か」
告げられた残り時間が脳内でリフレインして、射精の後ということもあり頭が冷静になる。
「美優、ちょっといいか」
「ん? なぁに?」
俺は美優を引き剥がすと、体を後ろ向きにして、背後から抱き竦めた。
「うん? ん?」
そして、困惑する美優に構うこと無く、俺はスカートの中へと手を入れた。
「お、お兄ちゃん、何するの」
「何って。わかるだろ」
「もう、時間がないよ」
「大丈夫、あと二分はあるから。中途半端にはしない」
「ふえ、あ、ちょっ……!」
俺は迷わず美優のパンツに手を入れて、秘所に指をあてがった。
いつものようにクロッチはぐしょぐしょに濡れていて、こんなに性欲でムラムラした体は、鎮めてあげないと可哀想だ。
「い、ひゃぁ! あ、朝から頑張った嫁に、なんて仕打ちですか……!」
デレデレになっても恥ずかしさの抜けない様子の美優は、さしたる力も入れずに口だけで抵抗をした。
たぶんされたい気持ちでいっぱいのはずなので、俺は構わず美優のクリトリスに触れる。
ぷくっとした小さな膨らみを、まずは包皮の上から、スジに沿って縦に擦っていく。
「あ、あぁ……あひぃ……」
しばらくして美優が大人しくなり、俺の指を受け入れ始めたら、今度は指先で円を描くようにクリトリスを圧迫する。
まだ弱い力のまま、一定のリズムを保って、美優が自分で刺激をコントロールできるように、ただ漫然とした快感を美優に与えていく。
「はぁ……ああうぅ……あっ……あんっ、あ……きもちぃ……」
美優は人一倍に感じやすくて、エッチモードになると声もたくさん出してくれるため、まだ指でするのに不慣れな俺でもどんな攻め方が良いのか簡単に判断できる。
オナニーの経験も積んでくれているから、イク感覚を美優自身も熟知しているし、初心者の指遣いでも美優はすぐイッてくれるはずだ。
「あんっ、んんっ……はうぁっ…………おにいちゃん……うぅ……」
ずっとクリの表面を撫でるだけの刺激を続けていると、美優の焦れた体がその先を要求してくる。
こうなったら、ほんの少しだけ力を強めて、陰核を直に触りに行く。
そのためには割れ目から愛液をたっぷりといただかなければならないので、そのついでにクチュクチュと卑猥な音を立てて美優を煽ってみた。
「あああっ……はあぅわっ……んんっ……くっ……! お、にいちゃ……ん、んんっ……! そんな、わたしが、えっちな子みたいに……しないで……!」
恥ずかしがる美優の要望は、俺は聞いてあげることにしたいので、ひとしきり美優のエッチな音を堪能してからはまたクリの刺激に戻った。
円を描く動きはそのままに、お次は陰核を中心にして美優を攻める。
芽と包皮の隙間に指先を沿わせて、皮を捲り上げるように外周を刺激していく。
「あっ……んきゅっ……ん、ああっ……!!」
美優は感じやすいため、この時点で軽くイク。
そして、女の子なので一度イッて終わりではなく、刺激が続く限りはイキ続ける。
こうなったら、あとは仕上げまで持っていくだけ。
陰核の一番刺激に弱いところを、これまでと同じ程度の力で圧迫して、美優が痛くならない範囲で少しずつ強く押していく。
「ひひゃぁ……ああああっ、はうっ、はぁ、い、イク……イっちゃう……はぁ、はうぅああっ、ああっ
……いく、ひぃくぅはあぁうぅ……いいぃ、ひぃッ…………ク──ッ!!」
ビクンビクンと大きく跳ねる美優の体。
本気イキをしてからも少しだけ刺激を続けて、美優が疲れて快感も何もわからなくなる前に手を離す。
俺のバックハグから解放したあとも、美優は床にペタン座りしてしばらくはイッていた。
「……えっと。もう、時間だから、出掛けるな」
スマホを見ると、ちょうどストップウォッチは四分を回るところで、これなら俺の早漏もそんなに責められないよなと思いつつポケットにしまった。
「い、いてらひゃい……」
美優はもう俺に顔を向ける余裕もなかったようで、最後にその言葉だけを交わして俺は外に出た。
エアコンの効いた室内から出て、ジリジリと夏の太陽に照らされる。
日差しを遮るように、前方に出した手の指から、気泡を含んだ粘液がダラリと垂れ落ちた。
美優、めちゃくちゃエロかったな。
「はぁ……仕事、行くか」
俺は性欲どころか思考力まですっぽりと抜け落ちて、まるで先ほどまでの淫行を咎めるかような日差しに焼かれながら、最後のバイトへと足を進めるのだった。