ぶどう狩り農園までのツアーバスを待つ晴天の下。
ハットの付いた帽子を頭に乗せた山本さんが、深刻な表情で俺を見つめていた。
「ソトミチくんに、残念なお知らせがあります」
湿気の抜けた風にワイドパンツがひらひらとはためくその姿は、昨日のような清楚な装いではなく、(Tシャツからバレーボールでも出てきそうなバストの膨らみに目を瞑れば)街中でよく見かけるような女の子の格好だった。
「残念なお知らせって?」
底が厚めのスニーカーで少しだけ俺より背の高くなった山本さんの顔を見上げ、カールさせた前髪から覗く真剣な眼差しに息を呑み、身構える。
「なんと今日は…………エッチ、禁止です」
物々しく放たれた言葉。
脳裏に電流が走る。
「……そうか」
たしかに山本さんが口にすることで衝撃的な宣告にはなっていたが、美優という恋人がいる俺にとって、エッチは山本さんからのお誘いに付き合っているだけのものだ。
だから、禁止されたところで何も困ることはない。
と言いたいところなのだが、実際のところ、とある事情によって俺は非常に残念な気持ちになっていた。
昨日から美優とスキンシップを取っていないのだ。
遥との仕事の準備が忙しいということと、生理初期に共寝をするのは不都合が多い事から、美優は意識的に一人でいるようにしていた。
仲直り作戦は俺と山本さんが親密にならなければ効力が薄いということもあって、敢えて距離を取ることで俺が山本さんを女として強く意識するように仕向けている面もある。
当たり前にあった妹成分が急に得られなくなったとなれば、本能が女体を求めてしまうのも無理からぬこと。
事実として俺は山本さんに会ってから胸部のシャツの膨らみばかりに目がいっていた。
生地が薄いので肉の揺れもぷるんぷるんと生々しく伝わってくるのだ。
意識的に見ないようにしていても重力に引かれるように視線が吸い込まれてしまう。
「山本さんは、その……暑くないの?」
セミの声と共にジリジリと暑さが迫ってくるこの季節に、日陰にいてもなお汗が吹き出してくる。
濡れた跡が目立たない服を着てきてよかったと安堵している俺に対して山本さんは涼しい顔をしていた。
豊満ボディなので俺なんかより熱を含みやすいはずだが。
「おっぱいのこと?」
身の丈に合った自意識を持っている山本さんはすぐに俺の意図に気づく。
「胸の辺りは特に」
「そうだね。胸が一番暑いかな。蒸れてかぶれないようにベビーパウダーを塗ったり大変なんだよね」
山本さんはシャツの上から両手で巨乳を持ち上げ、谷間に隙間が開くようにそれぞれの乳房を左右反対にたぷんたぷんと揺らす。
そんなことをしたらバス待ちをしている人たちの視線が余計に集まってしまうのだが。
巨乳としての自覚が足りていない。
「男の子もさ、蒸れるとニオイがするじゃない?」
山本さんは俺の下腹部に一瞬だけ視線を落とす。
「あれって男の子同士でいると気になるものなの?」
「自分のニオイはわかるけど、他人のは感じたことないな。あるとしたら運動部の部室くらいじゃないか?」
帰宅部の俺には想像上のものでしかないが、その手の匂いフェチからしたら堪らないほどの臭気空間だろう。
「ふーん」
今度は俺の股間を凝視する山本さん。
匂いフェチというほどではないだろうが、フェラをするときはズボンを脱いで即咥える山本さんにとって、汗に混じった精液のニオイはセックスを想起させる魅惑の香りに違いない。
「山本さん……?」
周りに聞こえないボリュームにしているとはいえ、爽やかな朝の時間に猥談をするのはいかがなものか。
そう思ってる傍で視姦されている愚息がわずかに反応してしまう。
すると山本さんは急に我に返ったようにハッと息を漏らした。
「清らかな男女のデートなんだから、エッチな話はいけません」
理不尽に俺を叱る山本さんは暑さとは別に顔を赤くしていた。
急にエッチを禁止にして山本さんも辛いはずだし、清純デートがしたいというのであれば俺も協力してあげたい。
「そしたら、気分転換にコンビニで何か買おうか」
「いいね、お菓子買おう、お菓子」
農園は山の方にあるのでバスに乗っている時間も短くはない。
車内は涼しいからドリンクを買い込む必要はないが、お菓子があったほうが旅行感が増すし楽しく過ごせるはずだ。
バス停は駅の近くにあるためコンビニに困ることはなく、近くの店に二人で入った。
こうして山本さんとコンビニに来るのは、あのエッチ三昧をしていた時期に手繋ぎしたままコンドームを買いに行ったとき以来か。
それは山本さんも覚えていたようで、ふと横目で山本さんの顔を伺うと、店のドア側に陳列されていたコンドームの棚に目をやっていた。
その様子を俺に見られたことに気づいた山本さんが、誤魔化すように照れ笑いをする。
思い出はエッチをしたことばかりなのに、その笑顔が花のようにキレイだったのは、エッチをすることも含めて人と一緒にいる時間を心から楽しんでいるからなんだと思う。
山本さんは清純かはともかくとして、純真な人であることは間違いないんだ。
俺たちはバス内でも気を使わず食べられるお菓子を三つほど買って、集合時間も近くなって並び始めたバスの列に合流した。
お年寄りが多いのかと思っていたら意外なことに若者が多く、最近では写真映えのするデートをするために景色の良い場所まで遠出するカップルが増えているようだ。
「悪い、トイレだけ行ってくる」
「じゃあ私は席を確認して座っておくね」
長距離移動になると思うと尿意を催してしまうもの。
俺は急いで近くのトイレに駆け込んで、用を済ませてからバスの中に乗った。
予約した席はバスの中央のあたり。
背が高くて黒色が美しい髪をしている山本さんはすぐに見つかった。
「こっちだよ、ソトミチくん」
控えめに手をあげて俺を誘導してくれる山本さん。
通路を歩く俺の横から「あそこにメチャクチャ可愛い子がいた」と声が聞こえてくる。
その男が隠れて指差していた先にいたのは山本さんで、その美少女の隣に空いている席は、他でもない俺のものだった。
「お待たせ」
俺が腰を下ろすと、山本さんは早速ひとつお菓子を取り出して、ニッコリと笑った。
「好きな人を待ってる時間っていいよね」
カップ型の入れ物の蓋を開けて、細く練り揚げされたスナックを口の先に咥える。
山本さんはポジティブな人なので、近い将来にある楽しみを不安なく待つことができる。
昨日の勉強会でも山本さんは俺より早く合流場所に着いていたし、人に尽くすことが好きな山本さんらしいデートの楽しみ方だな。
「そう言ってもらえて嬉しいよ」
俺はそれほど待っている時間を前向きには捉えられない。
アニメや映画の見過ぎというのも問題で、いわゆる「上手くいきすぎているときは不幸の前触れ」という死亡フラグが脳裏にチラつくのだ。
「山本さんはぶどう狩りの経験はあるの?」
「ぶどうはないんだー。だから、今日は楽しみで」
バスガイドが乗車して、挨拶を済ませて、間もなくバスが発進した。
山本さんがひとつお菓子を差し向けてきて、俺はそれを遠慮なくパクッといただいた。
「このツアーのぶどう狩りは四十分食べ放題で、おまけにワイン工場の見学もあるから、色んなジュースを試飲できるみたいだよ」
もちろん本来ならワインの試飲がメインのイベントなので、「ソトミチくんとお酒も飲んでみたかったけどね」と残念がる山本さん。
俺たちはまだ学生だけど、いつかお酒を飲むことができるのか。
この夏に仲良くなったみんなとも酒の席を囲む日が来るのかな。
山本さんは酔ったら激しそうだ。
イケナイとわかっていてもエロい妄想が膨らんでしまう。
泥酔セックスなどした日は、翌日を生きていく精力の一片すら残してはもらえまい。
美優は……、そもそも、大人になったらどうなるのだろうか。
いまのままロリ可愛い姿でいるのか、山本さんのようなエロ美人になるのか、あるいはそれを超えていくのか。
いずれにしても、酔えばツンツンしたままともいかないだろうし、どんなギャップで萌えさせてくれるのか今から期待が高まるというもの。
できれば猫のようにニャンニャンに甘えてほしい。
そして翌日はそれを思い出して悶絶してほしい。
「ソトミチくんは、お酒を飲んだらどうなるかな」
山本さんに聞かれて気づく。
美優や山本さんの酔う姿を見るためには、俺もお酒を飲まないといけないんだ。
これは盲点だった。
「酒に強くはないと思うんだよな」
「ねー。さすがのソトミチくんも、酔ったら女の子を獣みたいに犯しちゃったりして」
ふふふ、と満更でもなさそうな顔をして、山本さんはお菓子を一口食べ、次の一口を俺に「あーん」と言って食べさせてくれる。
俺はどうにか理性で性欲を抑えこめているので、美優とエッチするときも山本さんとエッチするときも相手本位で行為を終えることができているが、その理性がなくなったらこの美少女たちを相手に性欲を抑えられる自信がない。
それがたとえ生セックスをするしかない状況だったとしてもだ。
そう考えると、この二人を相手に理性的な判断ができている普段の俺はやはり偉いな。
「あっ」
そして、再度我に返る……というか、自制心を取り戻す山本さん。
口を尖らせて恨めしく俺を睨んでくる。
今日はエッチな話は禁止なのだ。
「す、すまん」
こんな理不尽なやりとりも、俺は慣れてしまっているので素直に申し訳なく思う。
エッチな話をしないことがここまで難しいことだと思わなかった。
女の子との猥談は経験の少ない男子たちの夢ではあるが、ここまで関係が進展してしまうと避けるほうが難儀する。
それからもちょくちょくエッチな話に入ったり逸れたりしながら会話を続けて、バスでの旅行気分を味わう俺と山本さん。
高速道路に乗ったバスはほどなくしてサービスエリアに入り、一回目の休憩をすることに。
バスを降りると一気に温い空気に包まれた。
広大な駐車場の奥には売店があって、その先は田舎町が見下ろせる山景色になっている。
サービスエリアに来たのは修学旅行以来か。
なんてことない場所だけど、馴染みの薄い人間からすれば中々にテンションの上がる場所だ。
「ご当地グルメを探そうよ。おまんじゅうとかおにぎりとか、手軽に買って食べられるのも多いんだよ」
そして、俺以上にはしゃいでいる山本さんに連れられて、お土産売り場に向かうことに。
手を繋ぐか迷いながら、山本さんからは手を伸ばしてこないので後ろをついて行き、二人で売店を回る。
二人とも少食というわけではないけど、分けられるものはひとつだけ買って、半分こにした。
同じ景色を見て、同じ味覚を楽しんで、おしゃべりをしながら歩き回る。
なんてことないどこにでもあるデートの一風景だけど、俺にとってはどれも新鮮だった。
これまでが不健全な付き合いばかりだったせいか、こんなごく普通なやりとりに胸が高鳴って仕方がない。
そして、それは同時に違和感でもあった。
なんとも表現しがたいのだが、ごく微弱な地震に揺られているような、心の淀みを胸の奥で感じていた。
その原因の一端はわかっていて、ちょっとしたトイレの時間でも、会計をするだけの間でも、山本さんが俺から離れてまた戻ってくるその瞬間に、俺は少なからぬ優越感を覚えてしまっていたのだ。
なぜこんな今更なタイミングでそれを感じるのかはわからないけれど、今日はどうしてか、山本さんの一挙手一投足が俺に向いていることが嬉しかった。
「どうかした?」
気分良さそうに俺の横を歩く山本さんは、露店で買ったソフトクリームの頭にかぶりついている。
「山本さんとデートしてるのが、なんか、楽しくて」
隠すことでもないと思って言ってしまった。
すると山本さんはニヘッと笑って、ソフトクリームを「どーぞ」と分けてくれたので、同じように上からかぶりついた。
甘くて濃厚なミルクの味がした。
「私もソトミチくんとデートができて楽しいよ」
無理のない等身大の姿で接してくれているからこそ、デパートの二人で歩いたときには感じなかった喜びがあって、それはきっと山本さんも似たようなものを感じてくれているのだと思う。
今日の俺たちは間違いなくラブラブカップルだった。
熱気を照り返すアスファルトの道を早歩きで渡って、駐車場の真ん中あたりに停まっていたバスへと戻る。
一人でバスに乗り込んだときにはなんとも思わなかったのに、入り口の段差が高いように感じて、気づけば後ろにいる山本さんに振り返っていた。
「段差、転ばないように気をつけてね」
底が厚めと言っても五センチにも満たない程度なので、履き慣れている女の子からしたら運動靴で歩くのとさして変わらないのだが、それでもふとそんな言葉が出た。
すると、山本さんは学芸会の出来を褒められた子供みたいな笑みで、「ありがとう」と言ってくれた。
そんなやりとりが俺の中にある違和感を大きくしていた。
俺は無意識に山本さんを大切にしてあげようとしている。
そうした感情の動きをなんと呼ぶか。
“下心”だ。
俺はいま、山本さんに好かれようとしている。
それは人としてなんらおかしくはない行動だし、作戦のために美優も俺が山本さんと仲睦まじくなることを望んでいる。
だから、俺が省みるべきことはないはずで、そこにある引っ掛かりはあくまでも違和感だった。
「農園に着くのが楽しみだね」
「あと一時間ちょっとだってな」
バスの通路を歩きながら山本さんとおしゃべりをする。
こんなにも可愛い子の声が、意識が、俺に向いている。
そこにあったのは、もしかしたら優越感ではなく安心感だったのかもしれない。
かつて、外出するたびに道行くカップルたちを羨んでいた俺は、可愛い女の子を見つけては得した気分になり、その子がどこかの男のものだとわかると勝手に失望していた。
そうしたショックを受けることがなくなった現在の状況……その根幹を成す山本さんという存在を、俺は特別に想っているのだとしたら。
これまで感じてきた周囲からの視線は、ダメ人間だった頃の自分から向けられていたものであったとも考えられる。
……なんて、意味もないことを考えて、俺もどうかしている。
美優に振り回されているうちに悪い癖がついたのかもしれない。
せっかく美優も山本さんも望んでくれているデートなのだから、思う存分楽しまなくては。
「食べる?」
そんな俺の心の切り替わりを肌で悟ったのか、山本さんが良いタイミングで二箱目のお菓子を開けて差し出してくれた。
「山本さん、ずっと食べてるけど、食べ放題は大丈夫?」
俺は山本さんに出された分をつまんでいる程度だから問題はないが、山本さんはそこそこの量を食べ続けている。
「う、うん。食べようと思えば、たくさん食べられるから……」
山本さんはほんのり恥ずかしそうに、それでもお菓子を口の先にパクリと挟む。
この「食べようと思えば」の程度がどれほどのものなのか、思い知るのは農園に着いてからのことだった。
天井にぶどうのツタを張り巡らせた店の前に到着したバスから、降りてすぐに籠とハサミを渡された。
簡単に取り方を説明してもらって、グループごとに歩いて先導される道を歩いていく。
いくつかに区画分けされたぶどう畑が左右に広がっていて、そのうちの一つに俺たち団体は案内をされた。
「たくさんあるね、どれが美味しいんだろ?」
「ネットには完熟を選べって書いてあったよ。房と枝の色をみるんだと」
「あ、調べてくれたんだ。ありがと、ソトミチくん」
大したことをしたわけでなくても、山本さんはニコニコと感謝をしてくれる。
暑さも構わずくっついてきて、ほっぺにチューでもしてくれそうだ。
風通しの良い場所を見繕って、ハサミで一房を切り取り、大粒のぶどうを皮を剥いて食べる。
お世話好きの山本さんもいっぱい皮を剥いてくれて、それをもぐもぐと口に頬張ること三房目。
「や、山本さん、そろそろお腹が……」
いくら食べ放題とはいえ、ただでさえ糖度の高い大粒のぶどうを四十分も食べ続けられるはずもなく、残りの時間は山本さんに食べてもらうことに。
どうにも遠慮がちだったので今度は俺から皮を剥いて食べさせてあげると、山本さんはそれから吹っ切れたように食べ始めた。
「んー、美味しい」
山本さんが年相応に少女らしくしていて、俺もつい機嫌が良くなって、できるだけ美味しそうな房を見つけてあげようと周囲を見渡す。
「あの辺りは色が良さそうだな」
指を差しても山本さんは食べるのに夢中でよくわかっていなさそうだったので、俺は山本さんを奥にまで誘導しようと手を取った。
「あっちのやつ、食べてみよう」
そう言って山本さんを引っ張ると、山本さんは俺から手を繋がれたことに数瞬だけビックリしたようだったが、すぐにコロッと笑顔になって、それはもうすごく嬉しそうに付いてきてくれた。
そんな山本さんの明るい表情に、俺の胸もときめかずにはいられなかった。
「ソトミチくんが選んでくれるから美味しい」
「ネット知識サマサマだな」
「選んでくれるのがソトミチくんだから美味しいの」
「わかってるって」
わざとらしく膨れて、わざとらしく戯けて。
そうして二人で笑い合う。
バカみたいにカップルらしくイチャイチャしてるな、俺たち。
これまで付き合ってきた子たちといえば、性知識が皆無な佐知子と、いつも不機嫌な由佳と、無表情でツンデレな美優と、小難しい性格をした相手ばかりで、山本さんみたいに素直な感情を吐き出してくれることがこんなにも嬉しいだなんて知りもしなかった。
「結構食べたな」
「いやー、つい美味しくて」
後半はほぼ一人で食べていたにもかかわらず、気づけば籠には七本の穂軸が入っていて、それでも控えめにしたのだと言うのだから驚きだ。
山本さんは美味しそうにご飯を食べる表情も素敵なのでとても良いことだと思う。
どこを切り取っても山本さんは人を幸せにする人だ。
「ソトミチくんといるとさ、なんだか、自分の変かなって思うとこも見せられちゃうから、気楽で助かるんだよね」
「へぇ、なんでだろうな」
「んふふ。なんでだろうね」
山本さんは理由の一端がわかっているかのように含みのある笑みを浮かべた。
俺が思いつくところでは、付き合ってはいないから、というのが結局の理由だと思う。
山本さんの昔のことを聞かない云々の話が出たときもそうだけど、お互い真剣に交際を狙っていたのならまた評価は変わっていたはず……、多分。
「戻ろっか」
満足に食べ切った俺たちは籠とハサミを農園に返却して、バスの出発時間までを休憩スペースのベンチで待つことになった。
屋外だが立地の問題と天井のツタのおかげで涼しい空間になっている。
隣に座る山本さんはバッグから水筒を取り出して、キュッと小気味良い音とともに蓋を開けると、長い髪を後ろに分けてゴクゴクと喉を鳴らして飲み始めた。
そんな横顔も美しくて見惚れるほどで、俺は目を瞑る山本さんの長い睫毛をぼーっと眺めていた。
その気配に気づいた山本さんから、「いる?」と聞かれたので、一口もらうことに。
これほどの美少女の間接キス、以前は想像するだけで興奮するほどのものだったというのに、俺は平然と頂いてしまっている。
もし別の誰かがここに座っていて、俺がそれを目撃する立場だったら、歯痒さにテーブルを引っ掻いていたことだろう。
こんなに可愛い人を、どうして俺が独占できているのだろうか。
これまで山本さんと出会ってきた男たちは全員が節穴ばかりだったのかと、どうしたって不思議に思う。
たかだかコンプレックスを拗らせたぐらいで、こんなに優しくて可愛い(何よりもエロい)女の子を突き放すなんて考えられない。
そういえば、実際にそんなようなことを、山本さんの部屋で寝泊りしていたときに聞いたっけ。
「何か気になる?」
「ああいや、こうして山本さんと一緒にいるとさ、あまりに楽しいもんだから」
それが羨みや妬みからきた疑念ではなく、当時の俺はあまりに自信の無い人間だったから、単純な疑問として尋ねた。
その答えは、結局は有耶無耶にされていた気がする。
しかし、それを改めて聞くのもな。
「なんで前の人たちはダメだったのかって?」
そこはさすがに山本さんというか、読まれてしまった。
「それはソトミチくんの宿題にしてたはずだけどな」
「えっ、そうだっけ」
俺にあるのは断片的な記憶だけ。
ベッドの上で話をした俺と山本さんの姿が、俯瞰的にぼんやりと脳内に残っている程度だ。
「私をフるなんて信じられないってソトミチくんが言って、今の私しか知らないからだよって、私が答えて」
「ああ……」
そう言われたことは覚えている。
俺は今の山本さんしか知らない……つまるところ、山本さんも成長しているので、過去はこれほど良い女ではなかったのだと、俺はそう解釈していたのだが。
「シンプルな話なんだよ」
山本さんは俺から水筒を取り上げて、そして、その飲み口に唇を押し当ててキスをした。
「ソトミチくんが相手だから、私はいまの私なんだよ。好きになれば一途に尽くすけど、どんな反応をされるかは人それぞれだし。それによってどう幸せにしたいかは変わってくるから」
人の行動原理は義務かモチベーションに由来していて、それはご奉仕大好きな山本さんであっても例外ではない。
尽くしたい想いのベクトルは常にプラス向きでも、度合いや方策は相手により千差万別だ。
「私がこんなにエッチな女の子になったのもソトミチくんのせいでしょ?」
「えっ……ああ、うん。それは申し訳ない」
俺の影響より根のエロさのほうが勝っている気もするが、異議申し立ては心の中に留めておく。
「でもそれも、ソトミチくんからしたら私の魅力なわけで」
「そうだな。間違いないよ」
山本さんの語り口を聞きながら思い出した。
あの質問をしたとき、俺は山本さんに軽く叱られたんだ。
山本さんは俺に自信を付けようとしてくれていて、そんな山本さんだからこそ「大事なことを忘れてる」と言って、俺にそれを気付かせようとした。
「もし私が魅力的だと思うなら、その魅力を引き出してるのはソトミチくんなんだよ」
なぜこれほど素敵な人が、と思うその姿は、そもそも俺しか知らなかったのだ。
「私もね、ソトミチくんのことを好きになってから、自分のこと、ちょっと可愛くなったかなって思うし」
山本さんは自分で言っておいて恥ずかしそうに、場を茶化して話を締めくくった。
「どれくらい好きなの?」
それほど真面目に話し込む話題でもないと思って、俺も冗談半分に返してみる。
「え、すごく好き」
その簡潔な回答に添えられた幸せそうな笑みが、何より俺への好意を表現していて、くすぐったさのあまりに上手く話を続けられず、俺はベンチから立ち上がって山本さんと一緒にバスへ戻ることにした。
次の目的地はワイナリーで、そこでの試飲会が終わったら昼食を挟み、植物園を回って早めの解散になる。
工場見学なんて生まれてこの方楽しいなど感じたことはなかったのだが、好きな人と未知の場所を歩くというのはそれだけで特別な時間になるもので、少なくともデートに使うのであれば断然アリだと思った。
それから、試飲会の会場に辿り着くまでの間、山本さんは周囲に頻りに意識を向けていた。
会場に着いて、蛇口付きの樽をひとつひとつ見て回ってから、二人で紙コップを手に椅子に腰を下ろして、そこでようやく山本さんはとある人物に指を差した。
「あの人」
そこにいたのは、日焼けをしたスポーツ系の好青年だった。
カップルではなく男女二組の四人グループで来ていて、見たところ大学生の知り合いが集まって遊びに来た感じだった。
その男はグループの中心的存在で、四人グループとは言ったものの、他の女二人はその男にベッタリでチヤホヤしている。
しかし、男に嫌味ったらしさは無く、むしろ陽気に周囲を笑わせていて、整った顔に作られる笑顔は爽やかで、なによりそのガッチリとした体型は、セックスが上手そうだった。
「ソトミチくんの思う、私の理想的な恋人って、あんな感じ?」
唐突に訊かれて、図星だったこともあって、ドキリとした。
「運動も勉強もできそうだし、背も高くて顔もいいしな」
前者はともかくとして、顔や背丈は生まれ持ってのものだ。
俺たち下々の者からしたら羨むことぐらいしかできない。
そうした、いわゆる上位にいる人間こそが、山本さんの隣にいるには相応しいと思う。
でも、
「あの人と付き合ったら、私は幸せになれると思う?」
「……どうかな」
即座に「そう思う」と答えることが出来なかった。
少なくとも、その辺のブ男と付き合うよりは幸せになるだろうが、それは一般的な女の子がごく普通に享受するレベルの幸せであって、山本さんほどの人に相応しいとは思わない。
では、もっとレベルの高い芸能人レベルなら……とも考えたが、むしろ幸せなイメージからは遠ざかるだけだった。
どんなに優秀な恋人を手に入れても、どれほどの大金で豪遊ができたとしても、自身が優秀すぎる山本さんからしたらその程度のことでしかないのだ。
「エッチもできないしな」
「うんうんうん」
力強く首を縦に振る山本さん。
俺としても山本さんの持つ最大の才能が活かされないのは残念に思う。
「でもそうじゃなくてね」
山本さんは真顔で訂正をする。
「居心地の良さが、ソトミチくんは格別なの。そのままでいていいって言ってもらってる感じがして。最近は離れてると、恋しくなるぐらい」
穏やかに語る山本さんは、紙コップを両手で持って中を覗き込んだ。
「デパートのとき、美優ちゃんも同じなんだよって言ったのは、そういうこと。勉強したりとか、お金を稼いだりとか、一人で済んじゃうことは、別に私たちは自分で満足するまでできちゃうから」
それを彼氏のステータスとして求めたところで得られるものなど何もない。
ましてや世間からよく見られたいと考えているわけでもない美優や山本さんにとっては、恋人と二人でいるときだけに満たされる何かこそが重要だった。
「居心地がいいって言われても、俺は特別に何かしてるつもりはないんだけどな」
「それがいいんだよ。だからソトミチくんはすごいの」
山本さんはキラキラした目を俺に向けて話を続ける。
「ソトミチくんはさ、色んな子とエッチさせられたり、恋人が友達と肉体関係だったり、無茶苦茶な諍いに巻き込まれたり……」
レイプを強要されたり、清楚な見た目に反して破廉恥の度が過ぎる特殊性癖の子ばかりが相手だったりな。
「そういうの、少しぐらいは自分の好みに合わせて直してほしいって、お願いしたりするものじゃない?」
「そうなのかもな」
気にならないのもある一方で、相手の子がどれも自分より高いステータスの人間ばかりだから、俺はそれ以上を求めるほどの立場にないって部分もあるけど。
「私も他人のこと言えないけど、特にあの美優ちゃんの性格とか性癖は、すんなりそのまま受け入れられるものじゃないと思うんだ」
なるほど鈴原や由佳の例を見れば、好きな人がどれだけ上等でも自分の価値観に当てはめて変えたがるタイプはいくらでもいる。
逆に遥とは互いにそのままを受け入れあえる関係だったからこそ、二人は仲良しだったのかもしれない。
「でも、ソトミチくんは、人を無理に変えようとしないから」
その話を聞いて、ようやく俺にも整理がついた。
山本さんがこれまで教えてくれた俺の好きなところは、全てがここに繋がってたんだ。
「常々こんなことを考えてるわけじゃないんだよ? 次に会ったときは別のことを言ってるかもしれない。でも、理屈でどうっていうのは、些末な話で」
山本さんは真っ直ぐで想いの詰まった目で俺を見つめてくる。
「ソトミチくんと一緒にいるだけで、ソトミチくんの中にあるものが居心地の良さとして伝わってくるの。それが好き」
あるいはそれは、これまで由佳の友達やハルマキさんから言われてきた「なんとなく」の正体だったのかもしれない。
それで初対面の男を相手にセックスを許せるというのは些か過剰な気もするが、そのあたりはあの妹の存在が大きいのだろう。
「あと、ソトミチくんはエッチがいっぱいできてめちゃめちゃ気持ちいいから、もう絶対に他にないってぐらい好き」
山本さんはやや興奮気味に分かりきった情報を付け加えた。
イイ話をしていた風だったのに結局はそこにオチを持ってくるとはな。
美優に育ててもらったこの体は性方面に大いに健闘しているようだ。
「今日はエッチの話は禁止なんじゃ?」
「なんだか揮発したアルコールに当てられて口が滑ったみたい」
そんなわけがあるか。
「俺は……どうだろ。やっぱり山本さんの真っ直ぐなところかな。そこが好きで」
もちろん、顔の良さもあってのことだけど、顔だけなら美優以外を好きになることはなかったはず。
身に余るほど幸福な話だが、可愛い女の子だけなら俺の周りにはたくさんいるんだ。
その中で、美優だけは特別で、美優だけが特別なはずなのに、きっと今の俺はいつ恋をしてもおかしくないほどに山本さんが好きだ。
「……ん? あっ、私、褒められてる……?」
山本さんは目を丸くして驚いていた。
「あ、あれ、伝わらなかったか」
たしかに、真っ直ぐなところが好きだなんて言われてもピンとこないよな。
でも、俺のこの感情も山本さんのものに似ていて、こうして一緒にいるときに伝わってくるなんとなくの安心感が、ここまでの好意を育んだのだ。
「山本さんが笑ってるところ、ほんとに好きなんだよ。見てるこっちが癒されるというか。山本さんと居られて良かったって思う」
「へー、そうなんだ、えへへ。嬉しいなぁ」
山本さんは予想していたよりずっと上機嫌に話を聞いてくれた。
当たり障りのない褒め言葉なのに、こんなに喜んでもらえるものなのか。
好きな人の言うことだからってことかな。
「ソトミチくん、行こっ」
バスガイドに呼びかけられて、俺たちは再度バスへと戻ることになった。
しばらく経っても山本さんはニヤニヤと高いテンションを維持したままで、ワイナリーを出てから最後の植物園に着いても、山本さんは俺にベタベタだった。
「そんなに嬉しかった?」
斜面の一帯に広がる花畑を見下ろしながら、スロープ状に伸びている道を、俺は山本さんと腕を組んで歩いていた。
バスは植物園の上に停車していて、そこから俺たちは園内を歩いて回ることになる。
下方には小博物館とレストランがあって、俺たちにはそこで過ごすための自由な時間が与えられていた。
「ソトミチくんみたいに褒めてくれた人、今までいなかったから」
少し強い風が吹いて、山本さんは片手で帽子を押さえる。
コスモスとアジサイが段々になっている花畑に映るその姿は、まるで絵画の一部のようでつい見惚れてしまった。
「そうなのか」
それは意外だった。
「だって私、可愛いし、なんでもできるし」
得意げに口角を引き上げる山本さんは、その自負が相応しいほどに美人で優秀だ。
まず第一に褒め言葉として挙がるのは、優しい、可愛い、頭がいい、エロい……とかだろうか。
「こんなに人に甘えたいって思ったの、初めてかも」
ちょうど木陰になるところにベンチがあって、俺たちはそこに一度腰を下ろすことに。
都会のように人や車が行き交う喧騒もなくて、景色はこんなにも広大なのに、二人きりでいる空間はより強調されていた。
「なんでソトミチくんの彼女じゃないんだろうなー」
「こうしてると彼女みたいな感じじゃないか?」
「えー違うよー、彼女は彼女だもん」
山本さんは遠くの景色を眺めながらベンチの後ろに両手をつく。
「付き合うって、言ってみれば居場所の確保じゃない? 友達でも他人でも、ソトミチくんに甘えることはできるけどさ、所有権を主張できるのは付き合ってる間柄の人だけだから」
山本さんはさりげなく片方の手を伸ばして、俺と手を重ねてきた。
「本当に欲しいときに、優先して相手をしてもらえるのって、やっぱり特別なんだよ。私がこうしてイチャイチャしてても、もし美優ちゃんがここに居たら、私はこの手を離して美優ちゃんに渡さないといけないわけだし」
そうして常に一番近くにいる権利を持つこと、あるいはそれを宣言していることが、他人と恋人を分ける決定的な差なのだと山本さんは云う。
「ソトミチくんの隣は、居心地がいいんだ」
手を伸ばした分だけ身を寄せて、帽子を膝に下ろしてから、山本さんは俺の肩に頭を乗せる。
「私がソトミチくんのこと好きなの、伝わったかな?」
山本さんは人差し指でツンツンと俺の腹をつついてきて、どうやらそれを理解させたくて俺に心の内を丁寧に教えてくれていたらしい。
俺の方からも、山本さんのテンションに合わせるように笑いが漏れて、その次に見渡した景色は一層鮮やかだった。
「伝わったよ。スッキリした」
背中に一本、筋が通ったような気がした。
俺は山本さんのためにデートをすることができて、山本さんは俺とデートをして幸せを感じている。
山本さんの手を握ることだってできるし、抱き寄せて体の距離をゼロにすることも、「ありがとう」と優しく感謝を伝えることも、手を引いてエスコートすることもできる。
「えへへ」
山本さんは軽快な足取りで俺に付いてきた。
「わーい、ソトミチくんとデートだ」
わざとらしく、子供っぽく、小声で呟いた。
スロープの反対側に咲いていた向日葵に彩られて、山本さんは一人の少女になっていた。
「写真でも撮ろうか」
この日のデートは俺にとっても大事な記念になる。
そう思って、残しておきたくなったのがその美しい姿だった。
「一緒に撮ろうよ」
山本さんは俺の腕を引き込んで、カメラモードのスマホを内向きにかざす。
女の子と二人で写真を撮るのなんて初めてだったから、どんな顔をしたものかと困惑していたところに、早速シャッター音が飛んできて慌ててカメラに目を向けた。
「あ、ちょ、待って」
「んふふ。そういうソトミチくんの素の可愛さも撮っておかなくちゃ」
山本さんは慣れた様子でパシャパシャと撮っていく。
二人でくっついているので背景などロクに写っていないのだが、それでも山本さんは満足そうに撮影ボタンを押し続けた。
「恥ずかしいな、写真って」
「自分で言い出したくせに。あとで送っておくね」
これまでは作戦とやらに追い回されるばかりだったのと、単純に自信が無かったこともあって、自分から何かを提案することなんてなかったのだが。
こんなにも喜んでもらえるなら、やりたいことを言うってのも悪くないものだな。
「そろそろお昼にしようか」
「はーい」
山本さんと花畑を下りきって、中庭になっている公園を囲む施設を見渡し、レストランの入り口を探す。
そんな俺を引っ張って山本さんが急に走り出して、中庭に着いたところで振り返った山本さんに、俺は正面から押し倒された。
地面には芝生が植わっていて、大地の柔らかさと草の匂いを感じたのは久しぶりだった。
「どうしたの、急に」
「ここなら気持ちよく寝られそうだったから」
山本さんは横向きになって俺と添い寝する形になっていて、これならベッドで寝るよりは抵抗はない。
「気持ちいいな」
「街中と違って気温も湿度も低くていいよね」
ビル群に日差しが反射して蒸されるような暑さもなく、山の風は空気全体が動いて撫でられているようで心地良い。
中学生になってから引きこもりがちだったけど、小さい頃は旅行好きの両親に連れられて色んなところに行ったんだった。
芝生に寝そべって見上げる青空の遠さはあの頃と変わっていなくて、懐かしさを覚えるこの気分は、センチメンタリズムと呼ばれるものなんだろうな。
「日差しを浴びすぎるのも良くないし、中に入ろうか」
「うん、そうだね。美味しいの探しに行こ」
立ち上がって土埃を払って、それから、向かったレストランでランチを食べて、博物館を回った。
帰りのバスが出るまでの時間潰しのはずが、デートの終わりが迫るにつれて胸がザワついてきて。
それは山本さんが彼女ではないからこそ湧き上がってきた、寂寥感と呼ばれる感情だった。
まるで片想いの女の子と同じ班になって回った修学旅行の帰り道みたいに、現実に戻ってしまう虚しさと、それを避けようとする奇妙な焦りが、歪に絡んで心臓を締め付けてくる。
そして俺は、山本さんと二人で下ってきたスロープを戻りながら思うのだ。
『なぜ?』と。
そう自分に問いかけた瞬間、俺は地面の底が抜けたような脱力感に襲われ、足をふらつかせて倒れかけた。
「大丈夫……!?」
山本さんに支えてもらって、俺はどうにか踏ん張ることができた。
「ごめん、助かった。坂に躓いちゃって」
どうにか誤魔化したものの、頭は混乱していた。
脚の力が抜ける直前にやってきた、得体の知れない二つの違和感に同時に浸食されるような感覚。
そのうちの一つは、俺がすでに同じものをどこかで感じたことがあった。
直感的にわかっただけだ。
実際にそれが何だったのかはわからない。
一連の感覚を喩えるならば、熱湯と冷水を同時にぶっ掛けられて、気絶してしまいそうなほどの恐怖に耐え抜いた結果、ただ濡れているだけでなんともなかった、みたいな。
そんな訳の分からない瞬間だった。
「気をつけてね。お借りしてる恋人に怪我させたら、美優ちゃんに怒られちゃうかもだし」
山本さんは変わらず元気にニコニコしていた。
せっかくのデートに水を差される形になったけど、こんな楽しい時間を無駄にするわけにもいかないな。
「山本さんに心配をかけた俺のほうが怒られるよ」
山本さんの手を握り直して俺は坂道をまた登り始める。
意識もはっきりしてるし、視界も良好。
むしろ以前よりはっきり見えるぐらいだ。
「筋力不足かな」
「そんなことないんじゃない? ソトミチくん、むしろ運動とか得意そう」
山本さんと駄弁りながら坂道を歩いて、言われてみると息も上がっていない自分に、我ながら驚く。
昔から運動は苦手というわけではなかったが、エロゲばっかりやってた元引きこもりにしては体力があり過ぎるよな。
「すごいのは、ソトミチくんなのか、美優ちゃんなのか」
山本さんの呟きに、そこでどうして美優が出てくるのかと疑問が浮かんで、すぐに美優の命令で筋トレを始めたことを思い出した。
しかし、多少筋トレをした程度で、そんなに筋力が付くものかな。
「愛のパワーってやつなのかな」
俺に尋ねるでもなく呟く山本さん。
その言葉の意味を説明してもらったのは、バスに戻って二人で腰を落ち着けてからだった。
「愛のパワーって、俺と美優の?」
「正確には、ソトミチくんの美優ちゃんに対する愛かな」
俺の美優への愛か。
別の女の子とデートしておいてなんだが、そこいらのカップルには負けないぐらい愛している自信はある。
「ソトミチくんってさ、美優ちゃんがエッチしたいって言ったら、その前に何回抜いててもエッチできるんでしょ?」
「まあな」
自分でも異常な体質だとは思うが、俺の性本能は美優の命令に強制服従する。
出せと命じられても、出すなと命じられても、美優が本気でそう願えば俺の体は実直にそれを叶えるのだ。
「セックスできる回数って、性欲よりも筋力とか体力に依存してるから、たとえどれだけソトミチくんがエッチな男の子だったとしても、毎日複数回なんて絶対に無理なんだよ」
微妙にツッコミたい部分はあったが、言い分には納得できた。
俺がエッチをしてきた頻度はアスリートと同等か、あるいはそれ以上のレベルかもしれない。
「逆説的に俺の肉体も美優によって強制的に鍛えられていると」
山本さんは頷いて、俺と肘をくっつけて、太腿を触ってくる。
ちなみに、これまでずっと通路側だった俺はいま、窓側に座っていた。
山本さんが譲ってくれたのだ。
「よりセックスに特化した身体に進化してるんだよ。学校で会ってた頃に比べても、目に見えて筋肉が増えてるもん」
俺の肉体は知らずのうちに立派になっていたらしい。
「あと、こっちの方もね」
予想していた通り──いや、期待していた通り、だったのか──、山本さんは俺の股間を手のひらで撫で回してきた。
そろそろ、今日一日疑問に思っていたことを聞いてもいい頃だろう。
「今日は、エッチ禁止なんじゃ?」
デートの内容は青春そのものだった。
もしかしたら本気でしないつもりなのかも、という可能性も十分に考えた。
しかし、結局のところ行きから帰りまで、ずっとエッチに関する話はしていたのだ。
そして、今は下腹部を触られている。
「もちろん、ダメだよ……?」
そう言いながら、山本さんは膨らみかけのムスコを優しく起こすように、なおも俺の股間を撫でて、瞬きで俺を誘惑してくる。
これはダメじゃないパターンだな。
「ほんとにダメなのか?」
「私は……何回も、ダメって、言ってるよ」
そうか責任を取りたくないわけか。
そうしたい理由があるんだな。
でもエッチはしたいんだよなこの様子じゃ。
それなら俺だって望むところだ。
俺だって昨日から抜いてなくて、睾丸を揺らせばたぷんと音がしそうなぐらいには精液が溜まっている。
ここまでされたからには、挿れさせてもらうか飲んでもらうかしなければ気が収まらない。
「これから帰っても、まだ夕方の早い時間だよな」
「うん。そうだね」
「だから……その、だな」
エッチは禁止と言われている。
直接的な誘いは厳しいか。
「ほ、ホテル、とかは……今日は、あれか。ダメか」
これじゃ直球勝負してるのと変わらない。
くそう、なんて難しいんだ。
これまでは誘われるがまま、流れのままだったから、ダメだと言い張る女の子を誘う方法がわからない。
「ホテルって、どんな?」
山本さんはねちっこい声で問い返してくる。
次第にその指先が、勃起したペニスを頭から根元までなぞるようになった。
「それは……あー……ら、ラブホテル……」
引っ込みがつかなくなって正直に答えてしまった。
わざとらしくても話題を変えるか、ビジネスホテルと答えてしまえばよかったのに。
どっちでもやれることは同じなんだ。
むろん、コンドームを買う都合はつけなければならないが、でも、この際フェラだけでも構わないし、なんならもう精液を飲んでもらうだけでもいい。
「んー? どうして、ラブホテルに行きたいの?」
まだまだ俺に誘う余地を残してくれる山本さんからの再度の質問。
そんなもの、セックスがしたいからに決まっているのだが。
いまの山本さんにはそのお願いを承諾することはできない。
「まあ、カラオケ……とかでも、いいんだけどな」
「カラオケ?」
「そう、カラオケ。……が、やりたかったんだけど、ほら、どっちにも付いてるだろ? カラオケ。でもビジホにはない。だから、ラブホ」
「へぇ……そうなんだ」
山本さんは人差し指と親指で俺のペニスを挟んで、クニクニとマッサージをしてくれる。
血流も過剰なほど良くなって、まだ帰るのに数時間かかるのに、ヤル気は最大近くまで高ぶっていた。
俺の脳のバックグラウンドではもう、サービスエリアのどこかでフェラ抜きしてもらえるところはないかと考えてしまっている。
「ホテルで、カラオケしたい?」
「したい! したい……!」
「エッチはダメって、私は言ったよね?」
「言った言った! わかってるから、ちゃんと」
これまでどんな状況でもエッチを受け入れてくれた山本さんが意見を反転させるだけで、どうしてこうまでシたくなるのか。
初めてだ。
無理やり押し倒してでもセックスがしたいと思ったのは。
「ならいいよ。じゃあ、それまでは……」
山本さんはスマホを取り出して、メッセージを一つ送ると、俺の端末に一枚の画像が届いた。
そこには青春というタイトルで額縁に飾りたいほどの笑顔で写る、俺と山本さんの姿があった。
「次のデートプランについて話そうね、ソトミチくん」
こんなに可愛い人と、楽しくて気持ちのいい思い出を、これからも作っていける。
「山本さんの浴衣姿とか見てみたいな」
「いいね、それ。脱がしやすいし?」
「も、目的は、お祭りとか花火だから」
体を密着させて、小声で繰り返される会話。
「木陰に連れ込まれたりしたら、私、怖くて声が出せないかも」
「そうやって妄想を掻き立てられるとだな……」
俺たちは、二人きりの空間にどっぷりと浸かり切って。
バスが駅に着くまで、乗客も疲れて眠りにつくその間に。
ごく自然な、カップルとしてあるがままの、なんの違和感もない時間だけが過ぎていくのだった。